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寒天出張大詰めです

茅野からの穂高周辺

晴れ渡った冬空に北アルプス穂高周辺がよく見えています。松本や霧ヶ峰からとはまた異なったアングルで、大キレットもはっきりですね。穂高岳の真下に寒天工場があります。右の方に常念、中央に蝶ヶ岳、蝶の奥に槍があるようですが。。

 

片付け中の庭

11月最終週から始まった冬の出張仕事である寒天作りもようやく終了の日が訪れようとしています。あまりにも長い日々に感じます。寒天を並べていた設備具を取り外し、田んぼに戻します。左側に設置していた防風ネットを外し、枠を取り外しているところです。田にはトカシと呼ばれる木が取り払われてそれを支えていた杭が残っていますが、これも昨日撤去しました。

 

完成したマルタバ

少し前まではこのように出来上がった寒天を束に仕上げていて、生産工程としてのわれわれの作業は終わります。あとは表面を削ったりして袋詰めにしていく作業は事業主の家族で引き続き行われて、製品に仕上がります。

 

マルタバ作り

これまでは何年も煮込み作業が終わったら帰宅していたので、このような庭作業はしていなくて、今回初めて行った「マルタバ」作り工程ですが、結構大変な作業でした。このような型に積んでいき、最後はアールの組み方で置き、全体をギュッと縛ります。経験者はもっと綺麗で素早いです。

 

立石公園

煮込み終了後の期間にも悪天候で1日だけ休みの日があり、2/11の祝日でしたが、諏訪湖方面へ出かけて来ました。写真は諏訪湖を見下ろせる立石公園ですが、「君の名は」の映画でモデルになった場所として人気のスポットになっているようです。隕石が落ちて来る場所でしたか。諏訪湖から公園へ上がっていく最中には、混雑を避けるため駐車場の混み具合をライブカメラで確認してほしいとか、車中泊は禁止などの看板がありました。この日は冬の天気の悪い日だったので、混んではいませんでした。外国からの訪問者もあるようで、1人見かけました。

 

蓼ノ海

最初、立石公園は霧にスッポリ覆われていて何も見えず、もっと上の蓼ノ海という湖のある場所へ向かいました。こちらへの道は除雪もしてなくて、走行跡の轍を追って進みましたが、このような写真の湖で、誰もいませんでした。

それで引き返して先の公園へ着いたところ、霧も晴れて、曇り空ながら展望が得られてラッキーでした。

このような状況で普段より大幅に延長して作業が続いた冬の出張でしたが、まもなく帰路に着き農家に戻ります。確定申告と並行し、たらの芽の栽培を開始せねばなりません。

雪解けの春まではまだ1か月半ありこれからが当園では冬の後半戦になります。こちら諏訪地方では春を迎える時期なんですがね。岩手に戻ってからも引き続き宜しくお願いいたします。

次回は帰路の旅の様子をお伝えいたします。

 

 

 

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新年も寒天作りで幕開けです

元日の天

長野県茅野市でテングサの煮込み作業を続けていまして、特段休みとかもなく新年を迎えております。まだ予定の1/3しか進んでませんが、あと1か月すれば煮込みは終わりです。深夜からの長時間に渡る作業工程ですが、無心に、無欲に、焦る気持ちも遮断し、1か月を過ごします。

 

元日の天出し風景

人数が今期は少ない中、庭の人たちも元日から頑張って天を出してくれています。通いの人は正月に家でいろいろしたいこともあるでしょうが。。建屋に泊まりの遠隔地従事者は、じっと部屋にいるよりは仕事をした方が良いとも思うでしょう。私自身これまでの数年間の中の休日(煮込みが休み)で、だいたいのところは行き尽くしましたので、油代もかかるし仕事してる方がそれだけ工程も進むということで結構なことです。

 

釜

バーナーの調子も良く早めの時間に沸騰しています。早めに煮込みが始められるのはありがたいことです。とはいえ煮込みといってもドンドンと草を放り込むわけでなく、ここで10分待つとか、ここでエアを放つ(コンプレッサーによる攪拌)とか決まりがあり、煮込み完了まで2時間ちょっとかかります。そして火を止め10数分待ってから全体のエア攪拌を念入りに行って、下に張り付いた草を上へ剥ぎ取り上げて、その日の工程は終わります。

 

煮込み終了後に夕方早めに寝て、今度は深夜11時から釜からバケットで舟の濾過装置へ煮汁と草を丸ごと移し、布のフィルター、竹の漏斗で濾して、下に溜まった液を容器(モロブタ)にポンプで移し、冷めたところで包丁で切断します。これを野外に出して(天出し)、凍結と融解をくり返して棒寒天(角寒天)が出来上がります。写真は漉した液を注入したのが冷めて固まったところを切る天切りの工程です。3:40〜5:30までかかります。

 

キース・ヘリング美術館

さて、クリスマスの頃に天気が悪くて休みとなり、夏の野良仕事の時にラジオでお勧めと聞いてチェックしていた、キース・ヘリング美術館に行って来ました。八ヶ岳山麓ですが山梨県になりますね。

 

キース・ヘリングの作品

キース・ヘリングのことは良くは知りませんでしたが、単純で敢えてわかりやすさを全面に出しながら、いろんなメッセージを描き込んだ作家のように思います。美術に長けた審美眼など全く持ち合わせておりませんが、素人目線ながら美術館に行くのは好きですね。

ここ茅野市での出張時期の部屋にいるときの時間の過ごし方(そんなに何時間もありませんが)はほとんどがスマホでの調べ物や、美術館博物館で撮影した写真を細部までじっくり眺めたりすること、あとはマップでドライブ旅行や登山の構想を練ることくらいです。通信の状態も良くないし、WiFiもなく夜に映画を楽しむこともできません。そもそもが夕方5時に就寝しますし。

 

蛇を戴く土偶

キース・ヘリングから富士見町に行き着いたので、そうだルバーブの専門産直店舗へ行ってみようと向かいましたが、閉店。ここは3回以上来た気がしますが、開いていた試しがありません。張り紙があって、月に5、6日しか営業してなくて。まるでお店としての体をなしてません。ちょうど関係者が出てきたのでどうなってるのか訊いてみましたが、経営が変わって、Googleマップとかもアクセスもできず、営業の告知ができないが仕方がないといった話。まあもう2度と来ないかなと思いました。ここだけで売っているのは確かルバーブのビールだったでしょうか。

その後、駅前の600円の日替わり定食が有名なお店で日替わり定食を食べ、それから思い立って井戸尻考古館へ行ってみました。

写真は髪がヘビになっている土偶です。

 

始祖女神像

こちらは始祖女神像という土偶。この2点をみるだけでも訪れる価値はありますが、その他にもたくさんの土器等の展示があり見応えがあります。

 

八ヶ岳昔の絵図

続いて隣にある民俗資料館も訪ねます。八ヶ岳についての古い絵図、良いですね。

 

代掻き作業機

代掻き作業機、代馬用です。なるほど原理は同じですが、輪で羽爪を括ることで強度を保持してますね。

 

除草下駄

除草下駄もありました。左側の下駄は除草機の回転器具が付いていて、滑らせることで回転、除草になり、草を沈め込む鉄板と合わせ2つの機能を持っています。なるほど。

 

籾摺り機

籾摺り機は初めて見ました。

 

元日の寒天建屋

元日の寒天建屋です。本日の作業が終わった後に。

 

軽トラin寒天工場

崖の上のハンパなスペースに軽トラを停めています。煮込みが続き発車の機会が減っています。黄色い目印棒よりもミラーがバックに下がると、崖から転落になります。祠が見守ってくださっているでしょうか。

頑張ろう、1月。

 

 

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長野県茅野市、冬の寒天生活となっています

南アルプス深部

11月の最終週から、今年も冬の寒天作りの生活に転換し、家を発っておよそ1か月が経とうとしています。仕事の流れは順調とは言い難く、天候の悪さ(雨で気温が下がらない)から煮込みの中断などもあり、寒天作りとしてはまだまだ始まったばかりです。

ということで、去年は最終日に至るまで1日の休みもなく作業が続きましたが、今年はここ茅野市を拠点に車でいろいろ気分転換の旅に出かける余裕ができています。別に焦っても仕方ありません。

ちょうど天気は良かった日ですが、これは天出し直後の天がいきなり悪天に当たってはまずく、数日後の雨天高温を見越しての煮込み中断になりました。

12月19日には、甲府方面から身延町方面へ向かい、自分にはお気に入りである富士山と南アルプスの間の山間地を走るという目的を叶える旅でした(身延線の走るルートです)。南アルプスでも北部の北岳とか甲斐駒・仙丈岳などは甲府市からアプローチするため、いまいる長野県やあるいは東京からも身近な山であると言えますが、南アルプスの奥深い南部の赤石・聖・光岳は静岡の北部山間部から入るため、とても近づき難い秘境感が強くあります。ここ身延、早川といった山梨県の南アルプス直下と言える地域であっても、手前の一連の低山が控えていて、赤石や光岳に直接向かえる土地ではありません。

早川町の南アルプスへ向かう道で野鳥の森という辺りで雰囲気を感じて来ました。ここは山あいの土地で、どんな産業で暮らしてるのかなと思いました。農業ができる土地にもなかなか思えません。

その後、身延から富士五湖方面へ向かうクネクネの道を登り詰め、本栖湖に着く手前の中ノ倉峠の小さな展望所で南アルプス方面を撮影したのが上の写真です。

3年前になりますが、この正反対の長野県飯田市から旧上村へ上って下栗の里として知られる山岳地帯で光岳方面を撮影しました。その時もゆずの実がなる天龍村とか、昔バイクで浜松から天竜川沿いに山道を北上し、長野と愛知の県境付近の無人駅の大嵐駅まで至りましたが、3年前は軽トラでここまで南下した後に十分満足し茅野の住まいに戻りました。

身延や早川といった南アルプス直下の地域ではいまリニア新幹線の工事が進められているようで、新幹線の工事との札を付けたダンプが何十台も連なって延々と道路を独占していました。静かな南アルプスの山あいの村はいま工事車両一色でした。地域住民にもストレスになるかというくらいの大規模な車列でしたね。

 

西湖からの富士山

富士五湖の辺りは以前も正月の休みだった時に訪れましたが、今回も身延から本栖湖にまで上がってきましたので、天気も良いしいろいろ走って来ました。子どもたちにも写真を送りますが、やはり富士山は眼前で大きく見応えがあるので、家族サービスでもあります。私自身は南アルプスをいろいろ撮影したかったですが、富士山のようには容易に接近できなくて。。

 

白糸の滝

白糸の滝に初めて訪れました。駐車料500円がかかりましたが、それでも見る価値ありますとチャットGPTが言うので行ってみました。

 

音消しの滝

こちらは近くの音消しの滝という滝で、富士山が後方にあって、景色としては綺麗でした。

 

霧ヶ峰からの北アルプス

ところで、12月18日は夜中からの天を作る作業の後、天を切って出す仕事が午前10時頃終わり、次の煮込みがないということで、それから近所のちょっとしたドライブに出ました。2年ぶりに霧ヶ峰を訪ね、北アルプスを確認しました。見えて良かった。いつまで経ってもあの大キレットを越える山行は叶わず、もう実行する機会はないでしょう。。

 

須藤康花美術館1

少し遡りますが先月11月30日も休みだったため、久々に松本を訪ねてみました。2年前に冬に松本市の美術館で特別展を行って観覧もした画家の須藤康花の美術館を訪ねました。毎週日曜日のみの開業で、その日はちょうど日曜日だったので。

2年前の時もブログに書きましたが、その特別展の時は画家の書き記した多くの文章が選び抜かれて絵に添えられていて、企画展の準備としてはかなり大がかりな作業だったと思います。絵と、同時に苦悶する画家の心で叫んだ言葉が相俟って、私には絵の鑑賞に相乗して良かったと思います。あの時に娘に買って送った画集はいまは品切れになってここでも買えなかったようなので、貴重な書籍を手にできたと思います。

病気と闘いながら絵を描き続け、30歳の若さで亡くなった康花さん。これからもずっと心に留めて振り返って行き続けたい人です。

 

須藤康花美術館2

日曜日のみの開館で、住宅地にある住宅を改築した展示館なのでわかりにくさがあるかと思いますが、一度訪れてほしい場所です。松本城の北の方です。

 

滝の湯

前後しますが、霧ヶ峰に行った時の帰りに、蓼科グランドホテル滝の湯へ行って来ました。以前も蓼科方面を走った時に寄ってもみましたが、休業中だったりして、最近になってリニューアルオープンとなったようでした。

遥か昔に信州大学の1年生の夏休みに、当時大阪の大学に通っていた幼なじみの健嗣君と一緒に住み込みで1か月ちょっと過ごしました。ルーム係という部署でしたが、内容は忘れました。覚えているのは、全国からリゾート地バイトということで学生たちが集まっていて、夜など大部屋に集まって、ワイワイ喋って過ごした時間ですね。なんか青春という感じで。

当時の常駐した場所まではさすがに立ち入りませんが、入ってすぐの売店で「滝の湯」の入った手拭いを記念に買って来ました。とにかく、懐かしい。

 

イイダヤ軒

こちら、松本駅前の立ち食い蕎麦屋のイイダヤ軒も懐かしいお店です。大学合格が決まって家族でアパート探しに広島から行ってここのホテルに泊まって、そしてそばを食べました。滝の湯と同じ45年ぶりですかね。朝食として開店の8時ちょうどに。ちなみに、道路挟んで向かいに駐車スペースがありますので停めてください。ただ松本駅の駐車場も何十分かまでは無料だったような。

この後は安曇野市に向かい、安曇野山岳美術館を訪ねました。常設コーナーには、懐かしく読んだ「黒部の山賊」の表紙を飾っていた畦地梅太郎の独特の絵が目を惹きます。そして企画展として、安曇野へ移住した女性が自ら栽培した稲や麦(ライ麦)の藁を使って作ったヒンメリが展示してあり興味深く見てきました。写真撮影不可ということで掲載はできませんが、DNAの二重螺旋を描いたような作品は興味深かったです。こういう吊り下げて飾る藁作品はヒンメリと言って、元は北欧のものでしたかね、本も買ったりしましたが、素材はあってもそのまま何も発展しないままで。。

2つの美術展巡りの休日になりました。

 

山賊焼き定食

松本ではランチに山賊焼きを食べねば、ということで事前に寒天仲間から仕入れた情報を元に、上高地方面へ向かう道にある松花というお店に入りました。なんと山賊焼きの量の多さ! 私は食べ切りますが、男性でも最近の人は残してしまうかもです。

 

山賊焼きラーメン

そして、山賊焼きをテーマにしたこの冬、ラーメンにも山賊焼きが。。地元の人気店テンホウ米沢店にて。霧ヶ峰へ向かう前の昼食にいただき、ちょうど餃子が半額の日だったので、今夜の部屋での飲み会用に3個仕入れました。テンホウは米沢店だと地元の寒天仲間からしっかり叩き込まれています。

 

麺とび六方

茅野市ではこちら「麺とび六方」という店も人気のようですが、工房から最も近くて気になっていたものの、これまで8年間行けずにいました。ジロー系というんでしょうか、いろいろしきたりがあって素人には敷居が高いですが、今回は連れがおり、何度目かだそうで、安心して入店しました(大丈夫です。安心して入れる店で、決して怒られたりしません)。初めての方はこちらで、の醤油ラーメンの麺が並、にんにくと野菜を大盛りでお願いしました。こちらも食の細い男には無理かもです。農家は一日4合の玄米を食べ、ですから、食の細い人は農家にはなれんでしょう。

 

ケンちゃんラーメン

こちらは岩手から長野へ向かう日に途中の山形市で娘と入ったケンちゃんラーメンです。

すごかったです。並び始めて食べ始めるまで何と2時間の行列です! 遠く関東ナンバーの車もあり、待った待ったです。10年くらい前に下の小学生の子ども2人と山形市のプールのジャバに行く前に入ったことがありましたが、ここまでではなかったです。専用の駐車場も当時はありません。長女は今回初めてでした。

ちょうど長女のメールをスマホでimap設定に変更し、これまでの送信メールを消失させず、復活させて、他のMacBookやiPadで送信メールも全て手元に置けるように苦戦してました。行列の間に完了できましたが。。

以上、観光や食べ物の話題に終始しましたが、こうした時間も無駄ではなく、エネルギー蓄積になっているはずですね。長野の寒天作りが即岩手の農業に直結はしませんが、何かしらの充電期間になってますし、こちらの仲間との付き合いも良い情報交換の機会です。

次回は寒天作りのことも紹介します。

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寒天作りの日々

庭の風景

新しい年になり気分も新たにというところですが、全く昨日と同じ寒天作り、テングサの煮込みとクレーンでの濾過作業、煮汁の注入と包丁での切断、のくり返しです。これまで雨が続いたりしそうな気候の時は釜の煮込みを休止し休日になることもありましたが、今年は気温が低く雨が続くような気象でなくて、ひたすら生産が続いております。

写真のようにカイリョウと言われる台の上で、生天が寒天に自然に進展していきます。

 

天出し

天出しと言われる光景です。青いモロブタと言われる容器にわれわれが煮たテングサの草を濾した煮汁(ノリと言う)を注入し、3時間後くらいで固まってトコロテンになったところを21に切断して現場(庭と言う)に運び、バトンタッチ、そこで10数名の庭の担当がカイリョウの上にヒョイと載せていくのです。

 

釜

釜で草を煮ています。ガンガンに沸騰させた状態で草を種類に応じて順番に投入して煮込みます。煮込みながらグルグルと全体が対流することが大事で、火加減は重要です。沸騰による対流が止んでしまうと草は底に張り付き、焦げたり、爆発的に噴出し惨事となります。恐ろしいくらいにグルグル波打って対流している方が安全で煮込みとしては正解です。

休日があり車で旅に出たりできればまた写真や記事を掲載できますが、休みなく働いておりますので、あまり書くこともありません。深夜からの長時間労働のため、休憩である13〜16時はひたすら身体を休め、体調には万全を尽くします(この時間帯が休憩でありうるのはあくまでトラブルなく煮込みまで無事完了した場合のことです)。晩酌もしないので、家にいる時の日々のアルコールを抜く良い機会であります。

ちなみに、このように書くと労働基準法とかに違反していないかなどと思われるかもしれませんが、天候次第で連続の勤務がありうることは労働基準監督署にも届けられているようです。まあ農家も同じですよね。そういう天候次第の事業に雇用されていて、しかもわれわれは泊まり込みで暮らしており、休日があっても家のことができるわけではないし、休みなく働くのがちょうど良いのかと思っています。

いずれあと何日、だとかあと1/3だとか思わないことですね。日々を淡々と生きる。目の前の今日のことだけ考える。始まれば、終わる。先のこと未来のことなど想像せず、いまのこの一瞬だけを見ること、でしょうか。早く期間が終われと念じることは、逆に自分を苦しめるだけですね。かつてトヨタの期間募集に行った時もまあかなりキツかったし、同じようにそうした環境で帰省できる日を指折り数える方も多いことでしょう。当時の自分がまさにそうでしたし、共感いたします。

とはいえ、勤務が終わって帰省する時の何泊かのドライブ旅行は最大の楽しみですから、Googleマップや楽天トラベルなどを見て休憩の時を過ごしている次第です。

2月10日頃までには帰宅になると思います。その節はまた宜しくお願いいたします。

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しばし長野からの通信です

煮込み中

毎年11月の最終週より、長野県茅野市で寒天作りに従事することが慣例になっていて、今年も長野へ渡り、12月になったいま、寒天煮込みの作業が本格化してきています。

深夜11時から、釜から舟へ蒸らし中の内容物のクレーン移送、布と竹のフィルターで濾された煮汁の濾過とモロブタへの液の注入、3時間かけ冷めて固まった天の切断と庭への運び出し、そして次の草の運び上げと釜への投入煮込み、エアによる攪拌。。これで夕方になり短い就寝、そして23時よりの舟へのクレーンでの移し替え、のくり返しです。

 

初の天

モロブタに注いだ煮汁(ノリと言う)を固まったところで切るまでが釜の仕事です。1日に320枚以上切ります。今季初の天。それをフィールドに運ぶと庭仕事の人たちが田んぼに作った施設に並べていくのです。

 

茅野からの北アルプス

市内からは北アルプスが遠望でき、左には穂高連峰を、そして深淵なる怖れを抱かせる大キレット。右には松本ではお馴染みの常念岳が鎮座し、大キレットに右手写真のど真ん中には盟主槍ヶ岳の穂先が天を突いています。ズームなので解像度がは悪いですが。

 

赤岳天狗尾根

さて岩手からの旅程です。今回は高崎市で泊まり佐久方面から長野入りし、小海線沿いに八ヶ岳を南から眺めつつ国道を走りました。赤岳に続く天狗尾根が見えます。昔、秋の平日に一人での山行で赤岳から南へ縦走し、誰もいないテント場で夕暮れを迎えた時に間近に見えたゴツゴツした天狗尾根。これには何とも言えぬ荘厳な感じを受けました。

 

今期初富士

しばらくして富士山が顔を出しました。今年の1月1日も釜が休みでこの辺りに来まして、そして夕方帰宅後に能登の地震が発生した日でした。

 

恐竜の足跡

高崎市からやや南下して神流川の美しい紅葉を見ながら西へ向かいましたが、途中、恐竜の足跡ということで、立ち寄りました。

 

ぶどう峠

恐竜の里神流町を過ぎて、群馬県上野村へ入り、険しい山道を越えて、ぶどう峠に到着です。長野県へは通常は十石峠を越えるようですが、ぶどう峠という名に惹かれ、全く1台も対向車とすれ違わなかったこのコースを選択しました。ぶどう峠が何となく記憶にあったのは、バイクのツーリングのマップにあったのを覚えていたんでしょうか。コーナーを攻めたい人には格好のコースです。道幅はとても狭く、すれ違いは大変そうでした。

 

ぶどう峠の祠

ぶどう峠直前には祠がありました。この近くは私が23歳の時の8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落の現場になるようです。御巣鷹山がどれかはわかりませんでしたが、当時事故を受けて出動した捜索隊はここぶどう峠を目指し登ったという記載も見ました。

ところで、釜の担当になると、午後1:30〜4:15までは煮たテングサの蒸らし時間で休憩となり、SBCテレビ(TBS系列)のローカル情報番組を見て過ごしています。たまに素晴らしい企画に会うことがあり、12/11の大鹿村在住のドイツ人女性ウーテ・ヴォルフさんを訪ねる番組は良かったですね。

子どもの頃から日本文化について書かれた本を愛読していて、終戦後ベルリンの壁ができたことをきっかけに、日本への憧れが大きく高まって、移住して、大鹿村で陶芸作家の日本人と結婚し、陶芸で生計を立てながら自給自足の暮らしを続けてきた80歳を超えた方でした。

電気と電話(黒電話)はあるものの、ネットの電波環境もなく煮炊きや暖房は薪で、ガスや灯油などもない、山から引いた沢水を使った古民家での、いまは一人暮らしの生活です。水墨画を描かれ、思索に満ちた日々を送っておられ、そのたたずまいに感銘を受けました。

「感動」と「畏怖」という言葉が自分の好きな言葉で、逆に「便利」と「文明」が好きでない言葉だそうです。そう話しながら水墨画風に筆で描いていました。

大鹿村には何度か訪れていますが、こういうお婆さんがいらっしゃったとは、です。バイクでも3度くらい、そして寒天に来てからも一度訪ねました。茅野からは杖突峠を越えて高遠に入りずっとそのまま細い国道を南下するのですが、途中冬季通行止めになっている箇所があって、いったん伊那谷の本線に降りないと行けなかったと思いました。

ウーテさんの取材番組は良かったですし、訪れた芸人さんも悪くはなかったですが、もう少ししっかり時間を取って掘り下げて、彼女の思う世界や自然に対する畏怖や感動の心のありようを掘り下げてほしかった気がします。

機会があればこの方を訪ねてみたいと思いました。ドイツの人としてブルックナーの音楽観やハイデガーの自然観など、堪能な日本語でお聴きしてみたいものです。

 

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信州茅野で寒天作業に従事

岩手から長野へ出張しています。7回目となった寒天製造のため茅野市に滞在し、テングサの煮込みと濾過、濾液の箱(モロブタ)への注入と包丁による切断が自分の作業工程です。

野外に出した天は夜に凍らないとダメになってしまうため、気温が高い状態の時は煮込みを休止します。

15日はそういう日で、それで松本に出かけて来ました。大学時代から慣れ親しんだ近郊の美鈴湖まで足を伸ばして来ました。美鈴湖の向こうは常念・蝶ヶ岳です。

 

懐かしい北アルプスの景色は変わることなく、そして見る立ち位置により微妙に異なった姿を表してくれます。平野部からはそれなりに、視座が高まれば山懐も深く重厚に。

 

一方、こちらはその数日前にやはり釜が休止になり出かけた、近くの蓼科高原から見た八ヶ岳。まだ雪はほんどありません。

 

寒天を作るにはそれなりの準備作業が必要です。私の場合、北国で積雪のため早く農業のシーズンが終わることと、釜の作業で煮込み終了とともに帰宅することから、庭の作業準備段階から長野入りし働いていて、釜が終われば帰りますが、外作業(庭と呼びますが)の人たちは、最後に出した天の完成と、そして庭の片付け作業を引き続き行って、私より3週間くらい後まで稼ぎます。

最初は田に藁を敷くことからスタートします。そこにトカシという天の載る台木を運んでいます。

 

杭を打ってその上に木を乗せて縛り、天の載るカイリョウを積んで準備完了です。この長木は稲のハセ掛けに使う杉の棒です。

あとは、乾燥して軽くなった天が風で飛んで行かないよう防風ネットを張り巡らせて完了です。

 

釜の方もいろいろ準備があります。10か月使っていなかった釜は水を入れても漏れるので、少しずつ水を入れバーナーで沸かし沸騰させ蒸気の力で桶の木を膨らませて漏らないように釜を仕込んでいかなくてはなりません。

 

こちらは煮汁を濾す舟の下、濾過された液(ノリ)が溜まる部分です。上に写る柱の上に舟が乗っています。舟も終了時には降ろして洗い、そして開始時のいま上に上げます。総勢で8人くらいで担ぎ上げる作業です。

 

12月15日、松本でふとパルコを見つけました。地元ニュースで閉店が報道されています。私が大学で松本にいた時にオープンし、何を買うわけじゃないけど出かけてみた記憶があります。その40年後に閉店ですね。

確かディズニーランドもこの大学4年間にオープンしました。ニュースで当時見たのは覚えてますが、全く興味がありませんでした。ビデオ等でディズニー作品に親しんだ世代でもないし、ただ、後に子育ての中で自分も結構夢中で調べたりし、実際3度行きましたが。。

 

松本に着いて最初に市の美術館に行きました。駐車場も十分で助かりました。向かいにある芸術館で信州大学オーケストラのマーラー巨人を聴いた時から、この美術館は目に付いていました。

 

2009年に30歳というあまりにも若くして病気で亡くなった、長野県にもゆかりのある画家須藤康花さんの展示を観て来ました。ゆかりがあるというのはそのお父さんが長野県麻績村で自然農業を開始されたことによる移住のようで、おそらく定年後なんでしょう。それまでは大学で教鞭を取られた方のようでした。娘の死後いくつかの刊行物も手がけられ、そして松本に須藤康花美術館を開館されました。次回、今回の松本市美術館での展示が終わった後に、そちらの方も行ってみたいと思います。

 

絵とともに展示された詩の数々は、創作芸術というようなものではなく心の中から溢れ出た生々しい現実と思います。その文章と絵とが合わさって、心を揺さぶられます。通常の美術作品鑑賞とは異なった感動がありました。

メメントモリとかよく言われますが、芸術は死というものを意識した創作であるべき、と言った理解ができるかもしれませんが、この方はそんな生やさしい「世界観」とかではないと感じました。そもそも「概念」などではなく、病魔と戦う苦しい現実そのものの救いや解放の模索が絵を描くという行為だったと思います。ベートーヴェンの感じた苦痛に通ずると思いましたが、ベートーヴェンの絵もありました。本を入手したので、帰った後ゆっくり読みたいと思います。

 

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山梨県への旅

山梨県立美術館

1月2日に山梨県へ出かけて来ました。現在の拠点長野県茅野市から甲府まで1時間くらい。沢内から北上や盛岡へ出る感覚なんですね。山梨県立美術館が開館ということで、ミレーを見に行きました。

鶏に餌をやる女

「鶏に餌をやる女」

夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」

種を蒔く人・落ち穂拾い

そして「種を蒔く人」と「落ち穂拾い」です。

落ち穂拾い

落ち穂拾いの絵画部分です。この日のみ、写真撮影許可とのことでした。良いですね。農夫の姿。大地に馴染んだ生活感。後ろに麦の束の大きな山が見えますが、乾燥はどうやってたのでしょうか? 積んでいては乾きませんし、この後乾燥棚に掛けたのでしょうか。

米倉壽仁・早春

米倉壽仁というシュールレアリスムの画家の展示もあり、併せて見てきました。「早春」(1940年)。

精進湖からの富士山

9時の開館時間から2時間以上堪能し、そして富士五湖方面へ向かいました。精進湖からの富士山はとても綺麗で圧倒されます。31日の南信州奥地の探訪もでしたが、好天に恵まれた年末年始です。甲府市内を走るのは初めてでした。

鳴沢氷穴

次に訪れた西湖のそばには洞窟があり、入館して来ました。こちらは鳴沢氷穴です。岩泉の龍泉洞などのように石灰岩が溶けて出来る鍾乳洞と異なり、溶岩から噴き出すガスが溶岩内に空間を形成して出来たダイナミックな火山活動によるもののようです。

富嶽風穴

こちらは富嶽風穴という洞窟です。かつて冷蔵庫のような役目にも使われて、蚕や植物種子等を保冷し、出芽を調整したり蚕も仮眠させたりで生産調整をしたという記述があり、興味深く感じます。

溶岩樹型

旅の途中で「溶岩樹型」なる標識を見て停車し、探索してみました。溶岩流に巻き込まれた樹木が溶岩に包まれた後、高熱で燃え尽きてその樹型を残したという穴です。こういう穴が無数にありました。鳴沢村です。

河口湖からの富士山

最後に河口湖へ。ここは一大リゾート地という感じですね。高校の修学旅行で行ったような記憶がありますが、どうだったか。北側の湖畔からやや夕暮れに近づいた富士山ショットを撮り、そして茅野市の宿営地に戻りました。茅野まで2時間。一関から沢内へ帰る感じです。

帰路で暗くなった夜道を運転していますと、何だか気持ちが暗くなってもくるんですよね。家に帰るわけではなく、自分の正しい居場所に根付いていないような感覚。単純な旅行であれば自分の意志で自由ですからまた違いますが、その感覚は仕事である程度長期に出張している以上仕方ありません。いろんな不安や悩みごとは家にいても感じることですしね。。

そして今日1月3日の深夜から湯を沸かし始め、明日からまたテングサ煮込みが始まります。ようやく折り返し地点で、出張もあと1か月余りです。

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長野の年末年始から

1月1日の富士山

珍しく年末年始が休止になった寒天工場です。初めての滅多にない機会なので、いろいろ出かけて来ました。茅野市のお隣の原村と富士見町の境界辺り、寒天作業場より車で20分弱の所で富士山を見ることが出来ました。天気も良く1月1日の富士山です。

正月の天

天出しされた寒天も順調に進んでいます。

木曽駒

大晦日の31日も休みとなり、釜の湯を沸かしたり若干の作業はありましたが、早々に終えて、そして信州ドライブに出かけて来ました。

長野県は言うなれば東北よりは都会でありますので、茅野市もですし松本、長野など人が多いです。車の往来も多くて渋滞に巻き込まれますので、割とのんびりしていて自分の好みでもある伊那谷の方面を走りました。最初は高遠から南アルプスに沿って走る山道の国道を進んでましたが、冬期の閉鎖ということで谷底を走るメインルートに変更し、伊那から飯田方面へ向かいました。天気が良くて駒ヶ根で少し中央アルプス側へ逸れて、木曽駒ヶ岳を撮影して来ました。千畳敷カールで有名ですね。

それから、30年近くも前に、伊那谷での就農移住を試みて、現在は飯田市に合併された当時の上村を訪ねました。今回の目標地点になります。ここに「下栗」という地区があり、かなり奥地の急峻な地形の土地に集落があります。何年か前にこちらのローカルの番組で放送されていたのを覚えていまして、今回訪れてみました。

国道から狭い舗装路をゆっくり上って行きます。命の水という湧き水で小休止し、車で行ける最終地点まで進みました。

さらに、駐車場から歩いて20分、その下栗の里が見下ろせる地点に到着です。確かに惹かれますよね。こういう山暮らし。当時上村の役場にも訪れて、就農の希望など職員さんに伝えて対応していただいて来ましたが、1995年頃はオウム事件もあり、この南アルプスの村も無縁でなくて、住民も他地域からの移住者という者に警戒感を抱いているというムードで、結局就農の話には進みませんでした。

ともあれ、ここまで奥地の急峻な土地では農業というのはなかなか難しかったでしょう。

でもいまでも何かしら後ろ髪を引かれる感じは少しありますね。

光岳

その下栗から見た光岳方面です。この山なみから受ける感動は、先の木曽駒などの比ではありません。北アルプスでは雲の平が最奥の地であるとすれば、南アルプスではこの山域が最深部になるでしょう。どこから入山しても下山まで3〜4日かかる奥深い山域。この光岳(てかりだけ)は東京にいた頃からずっと気に掛かっており、この夏もラジオの「山カフェ」でかつてのおしん役の小林綾子さんが登頂した話をしていた放送をしっかり聴いていて、羨ましく思ったものでした。

さて麓の方へ降りて来て、長野県最南端の天龍村へ。最近見た番組(ローカル)で、ここは柚子の栽培が盛んと言っており、写しました。良い感じの田舎ですよね。伊那谷の最奥部、満足度満点ですよ。あったかいんでしょうね。お茶も植わっています。

何かしら特産品を買って帰りたかったのですが、道の駅もことごとく閉まっていますし、開いている食堂もなくはないですが、一人でコロナ禍にわざわざ、とも思いパン等を買って天竜川沿いで食べました。

さて、軽トラックの旅はさらに深みに入って行きます。天竜川を下流に進んで行きますが、もうすれ違う車両もありません。長野と静岡と愛知の3県の交わる辺り、実に深いです。ガソリンもメモリが2個になり不安もよぎりましたが、飯田線の「大嵐」(おおぞれ)駅を今回の最終目標に、人っ子一人いない狭いカーブの続く道を、ただ訳もなくひたすら走行します。

実は東京に住んでいた時に確か年末にバイク(XLR250)で浜松から天竜川を上るツーリングをしました。その時に大嵐駅の辺りでテントを張って寝たような記憶が。。すぐそばにはスナックがあり、そこで生まれて初めて一人で酒場に入った記憶が。。駅のそば、テント脇で水道の蛇口を見つけ顔を洗い、そこで持参したシェエラカップを忘れてきたような記憶が。。

大嵐駅

でも大嵐駅は他に建物など何一つない場所にポツンと建っていました。全部思い違いだったのでしょうか。。いったい自分はどこの駅で野営したのだろうか?

飯田線はいったい誰が利用するのだろうと、線路とは対岸の道を元の長野方面へ戻りました。他に別のルートはなく、戻るしかない。

給油を気にしながら、対岸を見ると山あいに集落が。いやあ、本当に奥の奥に人が暮らしているんだ。。先の下栗を思い出します。

幸いガス欠になることもなく、阿南町まで戻って給油。長野県はガソリンが高いです。あとは飯田市、伊那市と戻って、高遠から杖突峠を経て茅野に戻りました。

明日2日も休みで、また出かけてみようと思っています。

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農シーズンが終わり、そして寒天製造時期になり

米ぬか施肥後のにんにく圃場

奇跡的に無積雪の11月が終わり、12月を迎えています。ありがたいことです。にんにくの雑草はかなりの茂みになっていましたが、全部取り切ることができました。そしてフィニッシュは米ぬかの散布です。生の米ぬかですが、これから冬場にゆっくりと腐熟して雪解け時には土作り効果、追肥効果をもたらせてくれると思っています。

日暮れが早く夕方4時半には外作業は終了。あとは作業場で黒にんにくの準備製造をしたり、会計の記帳をしたり、補助金等への事務作業をしたり、年賀状の作成をしたり、これまでできなかった事務作業も山のようにあり、これも何とか終了し、そして農作業のシーズンが終了しました。冬支度に漏れはないか、あちこち見回って、シーズン最終日を終えました。

 

タラノキ伐採2022

最後の収穫作業はタラノキ穂木です。悔しいことですが、育苗がうまく進まず芽の素材量は少なめで、作業はすぐに終わりました。作業場に保管しており、2月の芽吹かせを待ちます。

 

アイアン・横手

余裕もできてきて、お隣横手市での展示会に誘われて、知人の職人の技を見てきました。山のうえアイアンの鉄工アートです。

 

ブナの森・横手

こちらは「ブナの森」竹澤氏の木工展示です。飛ぶように売れていく品々ではありませんが、こうした作品群が然るべき買い手の元に届いてくれたらと願わざるを得ません。

 

あがたの森

そして11月が終わり、例年通りに長野への寒天製造の出張の日が来ました。今年は開始がやや遅く、11月29日に家を出て、翌30日、群馬の嬬恋村から長野入りしました。旅行支援で安く泊まれた上に3,000円のクーポンももらえ、食費に充てたところです。

上田から松本へ着き、学生時代を過ごした街を少し歩きました。

懐かしいスパイスの「キッチン南海」でカレーを食べ、旧制松本高校跡地である「あがたの森」公園を散策しました。ここは初めて足を踏み入れました。ヒマラヤ杉並木が有名です。家の庭木でも姿形の良い針葉樹が好きで植えておりますが、ヒマラヤ杉はちょっと手に入りにくそうですね。巨大になりそうだし。すぐ近くにはイオンモールもできています。今回は行きませんでしたが、ナワテ通りの辺りが好きです。

 

北アルプス

アルプス公園にも出かけてみましたが、木が邪魔でアルプスは見えず、進入した駐車場を間違ったかと退却し、すぐ近くの学生時代によく訪れた岡田神社奥にある芥子坊主という高みより北アルプスを眺めました。さっきまで見えていた常念が急に雲隠れしましたが。。

北アルプスに別れを告げいつものごとくひどい渋滞に巻き込まれながら茅野市を目指しました。19号はあんまりにも渋滞がひどくて我慢できず、ルートを東寄りの小高い南北に走る道路にチェンジし、塩尻から諏訪を経由し寒天工場のある茅野市に入りました。長野県の渋滞状況を見ていると、いつもながらやはり関東地方の人口密集度は東北とは異なるなと感じます。

 

庭

寒天の準備作業がスタートし、田んぼ(庭と言います)に藁敷きをし、杭を打って杉の間伐材の長木を上に載せて縛り、「とかし」作りをします。生寒天の台(「カイリョウ」)が乗り、日中の暖かい日差しを受けて溶けて、それが夜に凍って、をくり返して、東北でいえば凍み大根のような天日干し角寒天が出来上がります。

 

釜

私の係は釜のテングサ茹で業務なので、庭の準備ができれば釜の持ち場へ移ります。右の釜で茹でた草と煮汁をクレーンのバケットで掬い、左の舟には布を被せますが、その布の上に移し、濾した液(「のり」)が底に溜まっていきます。それをポンプで青いモロブタに移し、やや固まった状態で天切り包丁で切って庭に出し(「天出し」)、庭で寒天になっていきます。

 

 

舟の内部

舟の木枠にはタルキで溝を付けており、そこに竹のすだれを被せ、さらに布で覆います。毎日漉してはカスを捨て、のくり返しです。何十回で終わりになるでしょうか。今夜12月16日から深夜のクレーン作業とのりつぎ、天切り、草入れの釜作業が始まります。

 

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岩手に戻り農家再開しました

霧ヶ峰から北アルプスを遠望

2月10日夜からの最後の寒天(テングサの)煮込みが始まり11日の午前10時を持って庭への天出し作業が終わりました。そしてその日中と翌12日に片づけを終えて、寒天出張は無事完了しました。外で寒天を完成させていく庭仕事の人たちはまだ2週間くらい仕事は続きますが、煮込みを主体とした釜の仕事である私は区切りが付いて、13日の朝に工房のある茅野市を発ち、岩手へと向かいました。

今回は途中の1泊を会津若松にしましたが、佐久・高崎・日光経由のルートを取ったため、八ヶ岳を横断する必要もあり、まずは霧ヶ峰への登頂からのスタートでした。とはいえ茅野市から30分で着いてしまう近さなんですが。。

初めて寒天仕事に従事した年の2018年1月下旬にもこちらにはドライブで来ております(ブログの霧ヶ峰探訪記)。4年ぶりの今年は2月10日の積雪で雪は多めでした。雲が多めで写真としては晴れた2018年の時の方が少し綺麗でしたね。本当は大キレットを撮りたかったのですが、霧ヶ峰からはその全貌は見えないようで残念でした。2018年1月19日に来た時の良好な写真でお示しします(↓)。

 

大キレット

大キレットにこだわるのは、信州大学の松本にいた20歳前後の頃から、ここにずっと畏怖の念というかぞっとする恐怖心みたいなものを覚え続けていたからです。ここを越えないと槍と穂高を縦断することはできまでん。ついに槍穂の縦走の機会はなくて大キレットを通過することはなさそうですが、ここ霧ヶ峰の高さまで登っても大キレットの深淵部は見えません(蝶ヶ岳が遮っているのですが)。人は研鑽を積み高みに登れば登るほど、深淵部の深みを初めて見ることができる地位に至ります。それは松本のような都市部から簡単に全貌を表すものではありません。かつて常念岳に登った時は眼前に見えたはずですけどね。こういう考えにヘーゲルの「精神現象学」の絶対的に知ることへの高みへ至る「経験」の歩みを重ねて捉えていたものでした。高みへ登るということは足元の地盤の深みを自覚することでもあり。。

 

霧ヶ峰から富士山を遠望

こちらは富士山が見えるところでのワンショットです。右の方は南アルプスということですね。今回富士見町のルバーブ栽培の農家の方を2月11日の日に探訪する機会がありましたが、その時はもっと大きな富士山がいきなり現れて来たものでした。

 

茅野市から見た八ヶ岳

茅野市は八ヶ岳のお膝元であり、ちょうど寒天工場からは見えないんですが、少し走らせるとこのように美しい姿を見せてくれます。大学1年の夏休みには蓼科グランドホテル滝の湯でアルバイトした懐かしい土地でもあります。登山としては東京時代に3回くらい登りました。一度は年末大晦日の冬山で、赤岳山頂付近で風雪に遭い、顎のあたりが軽い凍傷でポロポロ皮が剥けた経験も懐かしいところです。

 

釜の煮込みが67日

去年に続き、今回も釜でのテングサ煮込みからモロブタに移した煮汁の天切りまでの工程で、夜10:30起床、翌日夕方5時に就寝というハードなスケジュールが休む間もなく67日間。前後の準備期間と片づけを合わせて約80日。一つ一つの作業そのものは決して重労働というわけではないのですが、力仕事の瞬間も多々あり、睡眠不足が背景にありまして、容易な仕事ではありません。ただただ慣れていくしかないという感じです。

 

TBS取材中

後半にTBSの取材が入りました。この土地に特有の伝統産業だけに新聞やテレビはひっきりなしに取材に来ますが、それらは季節の風物詩ということで、地元県内のニュースの一コマというものです。今回のTBSはそうではなくて、新しい企画の「不夜城」というタイトルで夜に働いている人たちを追ったドキュメンタリー番組ということで、22:30の起床時から付き合ってくれました。放送は3月29日の深夜の時間帯だそうです。

いろいろこれからの企画の話もしたし、私としては農家農村が、ここならではという仕事を見出して、「農閑期」という克服し難い壁を突破できるようなきっかけ作りがテレビ番組を通じても発掘されていけば良いと感じました。

 

鶴ヶ城

さて13日は八ヶ岳から佐久に抜け、会津若松を目指す日程でした。ホテルの宿に入るにあたり、ちゃんとしたカバンを持っていなかったので、旅行カバンを買える店?? と思案する中、結局佐久にあるイオンに入って手頃なバッグを買い、そして長野県を後にしました。あとは会津若松までお店が並ぶ市街地というのは通過しません。

佐久市のイオンにいたときに、日曜日でもあって、「お父さん!」という男の子の声が耳に入り、ハッとしました。10年前には盛岡のイオンで私がそう呼ばれていた。ここは長野で自分の子はいない一人身。仮に子どもたちがそばにいたとしても、いまはもう10代も半ばでこういう高い大きな声で遠くから呼ばれることはありません。そういう経験はもう永久に失ってしまったのだといまさらながら気が付いたのでした。。

翌日は夕方に抗原検査の予約をしていたために、あまりあちこち気ままに移動というわけにはいけませんで、ナビで到着時間を気にしつつ湯沢・横手から沢内に戻り、薬局で鼻から採取する抗原検査で陰性を確認し、家に戻りました。

わかっていたことですが、家が近づいてくるにつれ、こちら岩手での生活の感覚が戻って来て、昨日までの茅野の生活が遠のいて行きます。現実に戻り、こうして部屋のパソコンに向かっている姿を茅野では早く早くと願いつつ労働した日々ではありましたが、戻ってみれば当たり前のことで、こうした当たり前の自由な時間を持てることは貴重ではありますけれど、戻ってみればそれまでです。一番ワクワクする時は、工場を車で後にした直後の、自由になったという解放感でしょうか。自分で自分の時間を工面できるありがたみをひしひしと噛み締めながら、霧ヶ峰へと走らせる。ちょっと贅沢してCDや外部入力の付いたオーディオが軽トラには備わっていて、スマホから繋ぐケーブルもあります。これでブルックナーの5番を聴きながら霧ヶ峰を走る姿は、寒天作業中に何度も頭の中で予行演習されていたものでした。。

5番の終楽章のクライマックス(コーダ)は実に壮大です。トゥッティというんでしたか、全部の楽器が鳴り響き、主旋律は金管群が担当し、弦楽器は全て伴奏に回ります。この伴奏の弦楽器が必死に刻むリズムが何とも言えない魅力に感じています。

冒頭に触れた北アルプスへの空間をブルックナーが満たしてくれましたが、こうした山岳にはぴったりですね。帰り道のルートも、一部軽井沢のグネグネ道から高崎・前橋の市街地は高速道路で切り抜けましたが、後の会津へ向かう道は国道122号という山中をゆく道路。日光を過ぎて鬼怒川・川治・湯西川と温泉地を通過し、車中はやはりブルックナー。8番、9番と進みます。市街地ではどうも似合わずブルックナーは山間部というのがやはり実感できます。

暗くなって、会津若松に入り、鶴ヶ城を眺め、宿に入り、11月24日以来の晩酌を楽しみました。

そして、いまは再び農家に戻り、お米の出荷も全品種対応いたします。どうぞまた宜しくお願いいたします。