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しばし長野からの通信です

煮込み中

毎年11月の最終週より、長野県茅野市で寒天作りに従事することが慣例になっていて、今年も長野へ渡り、12月になったいま、寒天煮込みの作業が本格化してきています。

深夜11時から、釜から舟へ蒸らし中の内容物のクレーン移送、布と竹のフィルターで濾された煮汁の濾過とモロブタへの液の注入、3時間かけ冷めて固まった天の切断と庭への運び出し、そして次の草の運び上げと釜への投入煮込み、エアによる攪拌。。これで夕方になり短い就寝、そして23時よりの舟へのクレーンでの移し替え、のくり返しです。

 

初の天

モロブタに注いだ煮汁(ノリと言う)を固まったところで切るまでが釜の仕事です。1日に320枚以上切ります。今季初の天。それをフィールドに運ぶと庭仕事の人たちが田んぼに作った施設に並べていくのです。

 

茅野からの北アルプス

市内からは北アルプスが遠望でき、左には穂高連峰を、そして深淵なる怖れを抱かせる大キレット。右には松本ではお馴染みの常念岳が鎮座し、大キレットに右手写真のど真ん中には盟主槍ヶ岳の穂先が天を突いています。ズームなので解像度がは悪いですが。

 

赤岳天狗尾根

さて岩手からの旅程です。今回は高崎市で泊まり佐久方面から長野入りし、小海線沿いに八ヶ岳を南から眺めつつ国道を走りました。赤岳に続く天狗尾根が見えます。昔、秋の平日に一人での山行で赤岳から南へ縦走し、誰もいないテント場で夕暮れを迎えた時に間近に見えたゴツゴツした天狗尾根。これには何とも言えぬ荘厳な感じを受けました。

 

今期初富士

しばらくして富士山が顔を出しました。今年の1月1日も釜が休みでこの辺りに来まして、そして夕方帰宅後に能登の地震が発生した日でした。

 

恐竜の足跡

高崎市からやや南下して神流川の美しい紅葉を見ながら西へ向かいましたが、途中、恐竜の足跡ということで、立ち寄りました。

 

ぶどう峠

恐竜の里神流町を過ぎて、群馬県上野村へ入り、険しい山道を越えて、ぶどう峠に到着です。長野県へは通常は十石峠を越えるようですが、ぶどう峠という名に惹かれ、全く1台も対向車とすれ違わなかったこのコースを選択しました。ぶどう峠が何となく記憶にあったのは、バイクのツーリングのマップにあったのを覚えていたんでしょうか。コーナーを攻めたい人には格好のコースです。道幅はとても狭く、すれ違いは大変そうでした。

 

ぶどう峠の祠

ぶどう峠直前には祠がありました。この近くは私が23歳の時の8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落の現場になるようです。御巣鷹山がどれかはわかりませんでしたが、当時事故を受けて出動した捜索隊はここぶどう峠を目指し登ったという記載も見ました。

ところで、釜の担当になると、午後1:30〜4:15までは煮たテングサの蒸らし時間で休憩となり、SBCテレビ(TBS系列)のローカル情報番組を見て過ごしています。たまに素晴らしい企画に会うことがあり、12/11の大鹿村在住のドイツ人女性ウーテ・ヴォルフさんを訪ねる番組は良かったですね。

子どもの頃から日本文化について書かれた本を愛読していて、終戦後ベルリンの壁ができたことをきっかけに、日本への憧れが大きく高まって、移住して、大鹿村で陶芸作家の日本人と結婚し、陶芸で生計を立てながら自給自足の暮らしを続けてきた80歳を超えた方でした。

電気と電話(黒電話)はあるものの、ネットの電波環境もなく煮炊きや暖房は薪で、ガスや灯油などもない、山から引いた沢水を使った古民家での、いまは一人暮らしの生活です。水墨画を描かれ、思索に満ちた日々を送っておられ、そのたたずまいに感銘を受けました。

「感動」と「畏怖」という言葉が自分の好きな言葉で、逆に「便利」と「文明」が好きでない言葉だそうです。そう話しながら水墨画風に筆で描いていました。

大鹿村には何度か訪れていますが、こういうお婆さんがいらっしゃったとは、です。バイクでも3度くらい、そして寒天に来てからも一度訪ねました。茅野からは杖突峠を越えて高遠に入りずっとそのまま細い国道を南下するのですが、途中冬季通行止めになっている箇所があって、いったん伊那谷の本線に降りないと行けなかったと思いました。

ウーテさんの取材番組は良かったですし、訪れた芸人さんも悪くはなかったですが、もう少ししっかり時間を取って掘り下げて、彼女の思う世界や自然に対する畏怖や感動の心のありようを掘り下げてほしかった気がします。

機会があればこの方を訪ねてみたいと思いました。ドイツの人としてブルックナーの音楽観やハイデガーの自然観など、堪能な日本語でお聴きしてみたいものです。

 

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