野良に見る夢

鍬

 

このコーナーは2000~2002年頃の雑感を記したものです。現在は「新着情報館」に引き継いでいます。


■「一人で生きること、二人で生きること・・・」

ずうっと、一人で生きてきた。それは当たり前になっていた。孤独だとも思わない。精神が強く秀でてさえいれば、それ以外、世俗の関わりなど、敢えてなくても心の平安さえあればよいではないか、、。それもそうだろう。一生孤高の人生を歩んだとしても、それは別に後悔されるものではない。自分は自分の意志で自分の人生を選び取り、それを全うしたのだから。

しかし、それにしても、一人でできることの限界は歴然としている。それは農業の規模や幅が増えるなんて表面的部分ではないだろう。何のために生きていくか、という目標なのではないか。一人で精神の自由を謳歌し、孤高の世界に遊んでも、その目標はたかだか自分のため、という満足感でしかないのだ。

いま、マイコという女性に出会い、マイコのために生きていこう、という大きな人生の目標ができた。一人の人間と一緒になり、まるごと受け止めることによって、自分にとって自分以上の自分より重い存在になるんだと思う。おそらく世の中すべての男たちがそのように考えるのだろう。サラリーマンの親父たちが汗して働いているのも、その自分以上の存在のため、なんだろう。ちっぽけな自分のために生きていても、それは所詮ちっぽけな人生でしかないんであれば、、。

そういうことに気づかされた。自分と同じ方向を見て、自分のことを気にかけてくれ、自分を理解してくれて、何でも話し合いながら生きていけるパートナー。自分たちの理想を掲げ、はたまた現実に妥協し、仕事や生活に波乱が起こっても、絆が固ければ、乗り切っていけるだろう。一人のとき以上に。

■「心の時代」は程遠い?

テロやBSEの報道を見ていると、アメリカ国民は愛国心が強く、日本人は個人主義を極めているように思えてならない。報復戦争の是非は別として(同時多発テロの米国民犠牲者よりもアフガン民間人犠牲者数の方が上回ったそうだ)、米国民が国旗を掲げ国歌を唱する姿に一瞬違和感を感じてしまったが、これも自分が個人主義日本人であるからだろうか。そうだ。アメリカでは日本車を燃やしたりするデモをやるではないか。日本人なら安い輸入品には飛びつくだけだ(まあちょっとデフォルメした言い方だが)。

「不況」が日本人の心をすさんだものにしてしまっているのは間違いない。痛ましい事件や虐待などが日常化している話も関係ありだろう。「われの利益」が最優先され、いかにして生き残り戦争を乗り切っていくかという状況。しかしその「われ」は自分とその家族であり、決して隣人や他産業の人ではないのは、たとえばアメリカなどとは異なって現代日本の特異性なのではなかろうか。ここで「国益」などと言えば全体主義者に思われてしまいそうだが、要は政治以前の基礎意識の問題である。不況のせいではない。経済成長以前の貧しかった時代、日本はもう少し違う理念で動いていたと思う。農村では古くから「地産地消」とか「自給自足」ということが当たり前に行われていた。これは他産業との連携の上に成り立っているのだから、お互いの職種を立てて大切にしながら、貨幣であれ物々交換であれ、お互いを尊重することでみんながうまく生きていこうとする世の中であったのだと思う。かつて日本がアメリカにやったことをいま中国からやられ、安い輸入品が日本の産業を苦しめていることは、仕方ないとはいえ、大変なことである。でも消費者は「安さ」だけを基準にするから、敵は内にいる、の様相なのだ。アメリカはその時期の苦い思い出から、いま自国産業に対して国民が意識改革したのかもしれない。

閉店のバーゲンセールで主婦たちが殺到し、怒号や罵声の飛び交う中「戦利品」を得て満足顔したり、これまで黙っていていまの状況をそれ利用せよと「オージービーフを使っているから安心です」というような宣伝を目にしたりすると、まさに他人の苦境を喜んでいるようである。これは必ず自分に跳ね返ってくるはずなのだが、そんなマクロのことなんか考えている余裕はないのであろう。「安かろう」だけで動いてきた社会が生産者を追いつめ、結果的にBSEを生み出したのだし、その結果罪のない廃用牛が放置されたりするのを見るのは哀れである。で、「責任は国がとれ」で人々の心は何も変わらない。何を「構造改革」すべきなのか、改めて最もベーシックな部分から、ではなかろうか。

■なんで「農業」を、という問いから

新しい人と会うとき、人前で自分の経験を語るとき、避けて通れないのが「なんで農業を始めたのか」という質問である。あるいは「なぜ沢内へ?」も同じく。人に話すときは、その時々のテンションによってさまざまに語るけれど、このことはやはり常に考えてい続けねばならない問いなのであろう。農村から都会へ移住するよりもその逆の方が何倍も大変で、しかも自営農業という職の、天候や市場まかせで不安定な収入というイメージが人々の心にあって、それに答えるとかあるいは自分を納得させるため、ではない。自分の「存在理由」みたいなものをはっきり自覚し続けることが必要だと考えるからである。つまり何を思い、何を目指してこの地に乗り込んできたのか、という問いなのである。これは「動機」として最初にだけはっきりしていれば良いというものではない。永続的に背負っていくものだ。

人は「職業」で人を規定しがちだ。それは「職業」によって人を「限定する」ことだ。「人間」という無限の可能性に満ちた存在を、ある切り取った側面で差別化・特殊化する。もちろん「職業一般」につくことはできず、何かの職業は常に個別限定的で、だからこそ専門的に才能や経験をのばすこともできる。

しかし、たとえば数ある学問という専門分野の中で、「哲学」はちょっと違うようだ。何か特定の具体的なフィールドを持つことができない。しかし抽象的かというと、たとえば数学よりは具体的で生々しい現実に向き合っているようでもある。

人として生まれ、意識を持ち、何かを感じたり行動したりしているそのことを勉強したいと思って、哲学科を志したのは高校3年の頃だ。心理学、社会学という形で限定されるのではない「哲学」なんだと。で、よくよく「農業」というか「農の営み」と表現したいが、これも根っこはそうなのでないか、と思ってしまうのだ。

哲学の勉強をしていた頃、医学という生命科学に関する書物の編集をしていた頃、そして農業をやるようになったいま、と振り返ると、何かつながっている。常に「どこか」に住み、何か「特殊性」にかかわりながらルーチンの作業を進めるのは当たり前ではあるのだが、何となく目指しているところはやはりもっと広くて普遍的な世界なのではと感じられてならない。農村は決して桃源郷ではないが、都会よりはずっと心安らぎ充実した場面だというのは、教育や家族のあり方が都会のように歪んでいない、関係がイキイキしていることからもよくわかる。耕して暮らすという日々も、自由であり、かつ、「暮らす」という根っこに常に思いを寄せるような世界である。具体的で現実の手触りが肌で感じられるような世界、常に生きる原点みたいなものに関わりながら暮らす世界、すなわち哲学的世界なのである。生きていく上での苦労はどんな職種も同じだ。でも農業はやはり趣が違う。働き、食って住むということに直結したスタイルを有しているからだ。

最近、後期のハイデガーの論説をよく読んでいる。ハイデガーの思考は実に農夫的なところがあり、現代の状況に対し、50年も前にきわめて先駆的な見解を持って発言しているのだ。おそらく、21世紀の哲学は農村から発せられるのではなかろうか。失ってしまった環境の復権というような表面的な話でなく、上に述べたようなもっと原理的な面で。そしてそれは散文的・演説的に語られる言葉ではない。そういう言語では捉えきれない「自然」「生命」についての「詩」のように語られるものであろう。

通勤の満員電車に揺られ息苦しい状況の中、ふっと、何かオアシスのような「原風景」が心に浮かばないであろうか? その何かを形にしようと漠然と手探りしていく中で、農村生活、もちろん沢内のような山村でだが、そこで耕しながら思索(詩作?)するような暮らしに辿りついた。「農業」は一つの産業だが、「農の営み」はずうっと深い。日々の農作業を通じて、手応えのある新しい世紀の哲学を生成していく、そういう壮大なプロジェクト X が、沢内の哲学徒たちの手で創造されていくのだ…。こういう構想は大きな自治体やましてや偏った機能的集団としての大企業では達成されない。小さな村、一人一人の重みが大きな人口4,000人の村こそふさわしい場だ。こういう風土や「農の営み」が醸し出していく世界や人間のかけがえのなさ、がもっと見直される世の中にしなくてはならない。そういうことも含まれた哲学の構築が、東京でも仙台や盛岡でもなく、ここ奥羽の山里にこそ、地に足をつけて息づいていくのだ。

■無為に身をまかすことの、意義を求めない意義

20代の前半までは哲学のことで頭がいっぱいだったと思う。就職してからは、覚えたての編集の仕事に、ついでイワナを求め釣りに、頂上制覇を求めて登山、遠い異郷の地を求めてバイクツーリングに全霊を傾け、その後田舎暮らしの構想に没頭、移住してからは初期の土台固めに精一杯、脇目もふらず何とか進んできた。のんびりした休日など眼中になく、体を休ませていても常に何か「意義のあること」に思いを巡らせる。夜ゲームを始めれば、とにかく攻略するまで全力を注ぐ(笑)。音楽や映画にも精神を集中し、楽曲の深いテーマや登場人物の生き方に注視、テレビも同様、何か価値あることを得なくてはという姿勢で臨む。もちろん楽しみも入っていることだが、常に気を張り詰めていたような気がする。

ずうっとこういう姿勢だったんだなと、いま、はたと思う。人生、常に気持ちは挑戦し続けていなくてはならない、のだろうか。農業を始めて5年たてば、それなりに気持ちの余裕も出てくる。この先一生農業は逃げないのだし、立ち止まって考えながら歩むことも別の意味で「意義あること」であろう。ただ「明日のために」「何かのために」休むという固い考えでなく、何のためでもなくただ自分をのんびりと癒してやること。無為ということをただ無目的に実感することを欲しているように思う。「目的のないぶらり一人旅」はそうした気分にかなっている。

農業だってあくせくとあれこれ忙しいのは当然だが、挑戦する生き方だけでは尽くされない世界かも知れない。お天道様の心を知るためには努力や意志だけではどうにもならない。ここにはおおらかな人間としての度量が求められている。作業していても一生懸命考え頑張り過ぎて、視野が狭くなり失敗したことも多々あったようだ。

「無為」は難しい。努力しない努力、意志しない意志、は弁証法的概念である。努力や意志を否定するとき、否定するために努力や意志を使用するから、単純に否定できない。眠れないときに、眠ろうと意志して眠れないのと似ている。「否定の否定」は単純な肯定に戻るのでなく、否定しようとしている地盤、その依って立つところを顕わにすること、つまり眠ろうと意志しているそのことを自覚して、まるごと「滅却」してしまうことなのだ。仏教でいう「涅槃」とは「火のかき消された状態」の意味だったかと思う。煩悩を滅して安らかな気持ちになり、不浄なる意志や意欲が心にもたげてこないような精神状態を得ること、これが「癒し」だろうか。「何かのために」という考えを脱却して、ただ淡々と暮らす、これが農業の極意なんだろうか。欲を持って「何か(お金)のために耕す」のでなく「ただ耕す」こころ。そういう境地になりたいものだと思う。そういった安らぎの場が農村であり、農の生き方の良さであるに違いない。

■雪道運転は要注意

暖冬少雪と言われる今年も、この1週間でそれなりに積雪し、1メートル以上にはなっているようだ。美しい雪景色も、部屋で眺めているには良いのだが、勤めに出る身にとってはやはりマイナスである。除雪される村道から家までの30メートルの雪払いは自力であり、週末の良い運動になっている。(写真参照)。去年は断念したが、今年くらいの積雪であれば、何とか払えたようだ。これまでのところは。吹雪が2日も続けばそれだけで1メートル吹き溜まる場所なので、吹雪けば終わりである。大体週末に払っても月曜日に降って、ほとんど1週間埋もれてしまうものなのだが。これを頑張ってやっておけば、春の雪解けも早く、去年は踏み固めて歩いたものだから、固めた山(最大時2メートル)をどかすには除雪機を借りるしかなかった。

軽乗用車(ワゴンR)にとって、軽さというのは結構怖い。脱輪等の脱出には良いだろうが、シャーベット状のときは結構ぶれる。幸い対向車と正面衝突したことはないが、軽トラで軽くガードレールに接触したことはあった。軽トラは特に後ろが軽いため、ちょっとしたハンドル操作で制御不能になることがある。道路いっぱいに大きく蛇行し始めたときは、肝を冷やした。ぶつかる、と思ったとき、勝手にまた向きを変えて、何とか脇が少し接触しただけで、まず停止した。対向車がいれば大変であったろう。

アイスバーンももちろん怖く、曲がったつもりなのに、そのまままっすぐ進むことがある。2年前まではスパイクタイヤだったが、アイスバーンにはめっぽう強かった。また-8℃以下の降雪時、ワイパーがきかなくなるのが厭である。冬用ワイパーでもダメ。車を停めて外へ出てワイパーをパンパンやるのは寒くて億劫である。

この冬に自動車事故現場を2度見た。人口の少ない農村でも、朝の8時頃には通勤の車が集中するため、結構対向車とすれ違う。完全に90度曲がって衝突していたが、フロントはつぶれていた。今年になってからの岩手県の死亡事故数は全国トップらしい。

雪道運転は直線で50キロをキープ、カーブは限りなく減速、が自分の方針である。30キロくらいで走っている車に遭遇するが、これでは後続車に迷惑がかかり、追い越しをかけられるなどで事故の原因を作ってしまうことにもなるから、ある程度流れに乗るべきであろう。いずれスピード違反になる速度にはならないのだから。

スタットレスの寿命は3冬と言われており、その出費もさることながら、ぶつけたりしての出費も痛い。農機具もそうだが、機械の修理代というのは何でこうも高いシステムになっているんだろう。車はもはや贅沢品ではなく、農村では必需品なのだから、何とかしてほしいと思う。

そこで、地下鉄などできないものか。吹雪でも停まらないし。田舎で酒飲み運転が問題になるのは、電車がないからである。村営地下鉄沢内線がほっとゆだ駅から雫石を経由して盛岡まで通じていれば良いと思う。長瀬野で長瀬野線に連絡し花巻にも通じており、途中、「渡辺前」で下車すれば、地下からわが家の玄関に通じているのだ。この地下鉄はりんどう等の出荷にも利用され、電車に積めば農協まで運ばれる仕組みにもなっている。冬の道路は冬期閉鎖され、除雪の苦労はいらない。日本のガソリンは高く、岩手は広い。実現されたいものだ。

■あったらいいな、農民食堂

昨今の農村部の嫁不足が起因してか、男所帯はわが家だけでなく、近所にも多々見られるようになった。特に収穫に追われる農繁期など、料理をするのは本当に面倒なものである。親戚の家へ食べに行く人もいるようで、つい、想像してしまうのが農民食堂だ。

普通の食堂までは最も近いところでも車で10分かかるし、大体あまり経済的ではない。農民食堂は普通の民家で営まれる。ここでは、普通の食堂のようなメニューはないのだ。いや、メニューは掛かっているが、「○○円」という表示はなく、すべて「○○合」なんである。農民食堂は米を作っている百姓しか利用できない高級な料亭なんで、都会からぶらり来た一見さんはお断り、なのだ。おかみさんは米作りをやめたおばあさんが切り盛りしており、メニューには「目玉焼き1合」「さばの煮付け3合」など、米で支払うシステムになっている。ビールの大ジョッキなら1升くらいか。1升は1.4キロで500円相当だ。

キュウリを持参する者あり、川で釣れたイワナを出す者あり、農民たちがわいわいと農民談義に花を咲かせながら楽しい夕べをすごし、明日への糧とする。独りでしょうがなしに黙々と食べるよりも楽しいであろう。情報交換の場にもなるのだ。きっと取材が殺到し、有名な食堂になることだろう。

■日本の米が高いわけ

猛暑の夏で10日早まった稲刈りを昨日したが、予想どおりバインダーが壊れ半分で中断。思えば春、折しも雑誌の取材中の田植え機械の故障に始まり、今年の水稲は不運続きであった。雨の中、大量のヒエ取りにも難儀したし、ぬかり方もかなりのものだ。バインダーも空気の抜けたタイヤでなければ大変な目にあっていただろう。そして結局機械は入院。あまり修理費がかかるようなら中古品への買い換えを頼んでおいた。ちょっとしたエンジンの修理でまず1万。結束部等の部品交換となれば2~3万。これがコンバインなどにもなれば10万を超す大金が飛び去っていく仕組みになっているのだ。もちろん肥料費・動力燃料費と半端でない労力、これに一般の農家であれば農薬代が何万円かが加算される(もちろんその分増収するが)。どんなに凶作でも2万円の地代はかかるし、12アールの田に投じたお金を考えれば絶対買って食べた方が安いのである。

自分の人件費だけは我慢するにしても、諸々のコストはしっかり国内の経済システムの中で行われるかぎり、米はもっと高く販売できなければどう考えてもやっていけないのである。とりあえず毎年何万円もかかる機械の修理代だけは何とかならないものかと痛感する。それだけ水田という土地に入ることは機械を酷使することなのだ。ちなみに機械を持たず人を頼んでコンバインで刈ってもらえば12アールなら2万円とられるだろう。田植えしかり、刈り入れ後の乾燥しかりと、機械が動けば金がかかるようになっているのだ。

田植え機、コンバイン、乾燥機と何百万もする機械が順繰りに壊れて買い換えざるを得ないものだから、なかなか田はやめられないだけで、田に積極的な情熱を持って臨む農家はほとんどいないのではないかと思う。いずれ現在の農家がリタイヤしたとき、いまの若い後継者が何百万もかけて機械を更新し、何町歩も田を作り続けるかどうかははなはだ疑問である。田植え時に重い苗箱を何百枚も運び、真夏の炎天下、何十キロの動噴を背負って防除し、稲刈りには30キロの米を何百も運ぶ辛い作業がいまの若い人にできるであろうか。いくら田は土日百姓でできると言ったって、勤めに出て残業もしている後継者も休日くらいはゆっくりしたいと考えるのではないか。おまけに休日は行事が多いのである。3反(30アール)やれば農業者年金が下りる(親父に)のであれば、これからは細々と小さい田植機とバインダーで家族や親戚が食べる分だけしか作らない世の中になっていくのは明らかであろう。もちろん、都会の消費者は外米を食べるのである。

■清貧の思想

自分の中で、長い間付き合い続けてきた<哲学>は、農家となったいまでも意識の中に常にあるようで、逆に言えば<哲学>をより完成したいという思いが農業・農村を選ばせたように思えてならない。いまでもよく思い出す一枚の写真。哲学者のハイデガーがキスリング(古いタイプのリュック)を背負って山道を歩く後ろ姿である。何とも言えぬ存在感、<道>を淡々と歩みつつ極めようという決意、思索者の姿である。こんなふうになりたいものだ。

農業には思索的な要素がある。<自然><生命><環境世界>が日常のフィールドだし、いくら忙しく追われていても喧噪がないために精神は思索の中に遊ばせることができる。肉体的な疲れの中で本を開くのは億劫であるけど、哲学する環境として山奥の村というのは絶好の居場所であろう。別に仙人的生き方を求めるわけではないが。何より静けさが最大の授けものである。

問題は、やはりカネであろう。いまのthougtfulな生活を持続させるためには、暮らしていける収入がいる。清貧の思想などと敢えて言わないでも、農家は収入の少ない状況になっている。この言葉のポイントは、金のないギリギリの暮らしにおいてどう思索生活に身を置き続けられるか、という自己試練かも知れない。収入が少ない、大丈夫だろうかという精神的な不安に勝つことであろう。「とりあえず生きていく心配は要らないくらいの収入はあるが、節約した暮らし方をしましょう」ということではないに違いない。

■休みの日には?

今日はちょうど作業がぽっかり空いて、休みにするには絶好である。ところが、実際、何をして遊ぶか。バイクは自賠責も切れ遠乗りには抵抗がある。車で出るにしても、買い物以外に何をするかとなると、結構迷う。

東京にいた頃であれば、もうとっくに出かけていたであろう。パソコンなど夜でもできることだ。しかし、3年農村に暮らしていると、いまさら山や農村のドライブでもないし、温泉だってしょっちゅう入っているのだから敢えて出かける気分にもなれない。20~30分も走れば良い露天風呂に着く環境にあればなおさら。そうなれば、ホームページの更新をしたり、のんびりビールでも飲みながらぼーっと外を眺めて体を休めるのが一番ではないか。クーラーいらずの涼しい風が部屋に入ってくるんだし。都会人であればこういうところに来てそうすることが楽しみなのだから。家にいるのが理想の休日!?

■FF VIIIをクリアする

プレイステーションを持っているが、この春~夏はやはり、ファイナルファンタジーVIIIで夜の楽しいひとときを過ごした。ドラクエのIやIIで単純なゲーム進行の中でくまなく遊び尽くそうとしていた頃からそんなに時代は変わっていないはずだが、ゲームの進化はすさまじく、自分の方がもうあの膨大なデータ量に着いていけず、攻略本がないとどうにもならない感がある。

出荷が始まり仕事が戦闘モードに移行する前に終わらせようと、この数週間集中して進め、7月3日、無事クリアすることができました。ただしオメガウェポンはどうにもならず、とりあえず保留(平均Lv50でGFを3人に集中してもHPが7,000~8,000では厳しいか。誰か知恵を…)。

最後のバトル(アルティミシア)は2時間かかり、7月2日の戦いでは、最終形態の半分くらいのところで全滅し、何ともやりきれない気分で眠りについたが、昨夜、無事終了し、大仕事をやり遂げた感でいっぱいである(笑)。

筆者の最終戦の戦いは、バハムートのカードをラストエリクサー100個にして回復体勢を万全にし、シェル・プロテス・ヘイストでまめにサポートしながら、リノアとセルフィ(要するに2人)を魔力60(40)+トリプル消費1で魔力アップさせて、GFが効かなくなってからアルテマやメテオを3連発させる無難なやり方であった。ゼルはデュエルに期待し、安全面からオーラに頼った。ポイントは敵の攻撃をみながらコマンド入力をリアルタイムで行い、決して続けざまに入れないことと、そのさいに△ボタンで味方のコマンドの順番を変えつつ、しかも特殊技の出現を促すことであろうかと思う。ショックウェイブパルサーが恐ろしく、シェルがなければ絶対勝てないであろう。

結局シドとイデアはスコールの親だったんでしょうか。エンディングでその辺がわかるのかと思ったが…。字幕左画面のキャラクター全員の出るムービーは実写のようでした。どうも実写のビデオを取り込んでCG加工しているようだ。

まずこれで今夜から早寝早起きに戻りたいと思う。

■目覚めてみると…

ある朝、目覚めてみると、東京世田谷の4畳半のアパートにいた。

長い夢を見ているようだった。そこでは、遠い北国で農家になっていた。汗を流しあれこれやっているようだった。周りの人とも仲良くなり、楽しく暮らしているようだった。でも、簡単に本当の百姓になれるわけはなくどこか中途半端な意識を抜けきれずに、それでも日々の作業に追われ、それなりに暮らしているようだった。

リアルな感じの夢だったなあ。でも所詮それは願望の現れで、そう簡単にそんな180度逆転した暮らしに変われるわけないよなあ。…そう思いながら、いつものように歯を磨きネクタイをして朝飯も食わず満員の地下鉄に乗る。

ふっと、いまでも思うことがある。これは全部夢なんじゃないかと。明日目が覚めたら三軒茶屋の暗いアパートで目が覚めてしまうんじゃないかと。いつか現在の生活が終わってしまうんじゃないかという不安なんでしょうか。まだ、本当の意味で、自分のこの家も部屋も畑も、どこか自分の<居場所>になりきれていないのかもしれない。30年以上都会(地方都市も含め)で暮らして3年田舎で過ごしても、まだ体の隅々までは納得していないのかも知れない。それほどに都会と田舎は違うような気がする。