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たらの芽栽培を開始しています

たらの芽2023

晩秋に伐採して小屋に仕舞っておいたタラノキを切断し、芽出しして出荷する段取りを進めています。切断して使うのは8cmくらいで、それ以上長いとちゃんと立っていられないし、短いと水没したり、浮力でひっくり返ったりでまずいのです。が、穂木の先端部は芽の間隔が狭いので短くなり、いつもふかし棚での管理には難儀します。

 

たらの芽2023

切って用意した木(駒木)はすぐ加温水槽に並べるのではなく、24時間以上水に漬けます(浮かんでくるので重しをします)。これで催芽を促進しつつ、かつ樹液を出させる意味もあり、むしろ後者が大事な目的です。樹液でヌルヌルしているとカビの要因となるため、カゴを揺さぶったりもしますが、最終的にはトレイに並べた後に強めのシャワーで洗い流します。

 

たらの芽2023

こちらは畑から集めた状態の穂木と切断の電動鋸です。おが屑が飛び散ってくるためマスクしたりもしますが、エアコンプレッサーで鋸盤の下側周囲をまめに飛ばしてやることで、今年はさほど苦労せずに済みました。エアで掃除しないでいた時はメガネまでびっしり付着して、しかも呼吸で体内にも入り具合が悪くなったりしていましたが。。

 

たらの芽2023

切って、水に漬けて、トレイに並べて、シャワーで樹液を流して、それを棚に配置します。初回のこの伏せ込みは2月18日になります。水槽の構造は、骨組みは25mmのパイプで90cm幅長さ3.6mの3段ベッドを作り、コンパネ・保温マット(スタイロフォームというブルーの資材)・ハウス用のビニール・プラスチック段ボール(一番上)、の順に敷いてあります。

 

たらの芽栽培施設遮光中

栽培棚の外観です。3段ベッドの一番上は、きゅうり用の支柱の曲がり部分をカットして使用しています。中の空間に電熱ケーブルを張って、サーモで温度管理します(電気代を考慮し三相電源にしています)。ここは住宅の一部にコンクリで作った、籾摺り精米の器具や薪などを収納している土間の外側に、単管を組んでポリカの半透明外壁資材を張って作ったスペースで、ここに棚を設置しています。シャッターを隔てて繋がっている母屋のコンクリの土間は穂木を収納、そして切断したり、たらの芽の出荷の作業をするスペースになります。

豪雪地ですので、たらの芽栽培の時期にハウスにビニールを掛けてこの棚施設を設置し営農するという一般的な方式はかなり困難で、こうしたスタイルしか考えられませんでした。以前は屋根部分は単管の上に耐雪の意味でコンパネを敷き詰めて、そして波トタンで屋根にしていましたが、何せ暗かったし、コンパネも悪くなってきたので、光を通すポリカに変更し、しかも2枚重ねで強化しています。骨組みである屋根の単管も2本くらい増やして間隔を詰め、写真のような具合です。これで現状では雪で潰されることはないです。

ただ、栽培にある程度の明るさは必要なのですが、伏せ込みしてしばらくは写真の通り遮光が絶対必要です。最初から明るい環境にしておくと芽吹きの胴体の部分が十分に大きく育たないうちに展葉が始まり、小さくて見た目のバランスも悪い生産品になってしまいます。

 

芽吹き始め遮光中

芽が膨らんできています。本日2月28日です。伏せ込みから10日経ちました。ここでしっかり遮光することで、緑の塊が大きく育ちます。その上でタイミングを見て遮光を剥がして、2本の茎のツノが伸び先に葉が開き始める。ここで収穫になります。畑や天然のタラノキの芽吹きは自然に行われているわけで、ここは人工臭さが残る栽培ですね。。土に根を張った木である場合は木全体のパワーを受けて出芽するのでしょうから、遮光がどうのは関係ないのでしょう。水耕の出芽は小さな駒木の持つ力のみで頑張っており、われわれは水分と気温と光線を与えるのみです。が、その管理は難しいもので、手作り感のある農業スタイルではありますね。大きな外気温の変動に対しても換気とか温度調整に神経を使います。他の品目、稲や小麦、にんにくも自然まかせの露地栽培ですから、そこは大きく異なる点です。

 

5月末のタラノキ園

畑でのタラノキ園地の段階から農薬化学肥料不使用の栽培になり、技術的に結構大変です。タラノキには寿命があり、改植・新植は欠かせませんが、植えたての苗はすぐに草に覆われて見えなくなってしまい、初夏までは足繁く通って管理もきっちりやりますが、7月に入りにんにくの収穫の頃からりんどう出荷の始まる7月下旬より以降は畑に行く時間も減ってしまい、お盆過ぎて畑を訪ねると雑草に覆われてしまってるのですよね。。アスパラ畑なども同じ状況になりがちですが。

タラノキ畑は田植え頃の5月下旬頃に入ると、通路の部分に、地下で張り出した根から出芽したタラノキの若い苗がちらほら見えてきます。写真はその頃撮ったものですが、通路も既に雑草がはびこって、遠くからは苗は小さいしもちろん見えません。通路を歩いて出芽を見つけたら、これをスコップで根の土を崩さないように掘り上げて、黒マルチを張って畝作りした畝の所定位置に定植していく作業が早朝の日課になっていました。

 

タラノキ苗

本来、根を掘り上げて、タオルなどにくるんで保湿し芽出ししてそれをポットで育苗してから畑に定植する、というのがセオリーです。が、実際は出芽率が低く、芽出ししてポットに植えたものも以降はダメになったり難しいです。それよりも地面に出芽してきたものを園地で確保し、畝を作って定位置に定植する方がはるかに現実的と思います。昨年はこの作業で木を増やすことに割合成功しましたので、それが収穫株になる来年2025年春は、是非とも豊富な穂木が得られていますことを願っています。もちろん、この今度の6月も畑をしっかり見回り、芽を出したヒコバエをびっしりの雑草の合間から鋭く発見し、定植し、根付くまでは灌水も怠らず、管理していきたいと思います。慣れてくれば、タラノキのヒコバエの方から目に飛び込んで見つかります。大事なのはこの苗の掘り取り時に、ずっとつながる元株から伸びてきた根をいかに上手にスコップで切断し、その時に土がほぐれ落ちないように確保するか、ですし、問題は後の7、8月の除草なんですね。。生育した収穫株になると、7月以降は枝も張って、通路に入っては行けませんし草刈りなども無理です。こういう茂った株の通路は雑草ももちろん少ないので問題はないのですが、それでも5月6月は雑草だらけですがね。問題なのは生育した木でなくは1年生の苗エリアの夏場の除草(定植の植え穴と通路の両方です)。

 

タラノキ園6月下旬

当園のタラノキ栽培の特徴は、園地・促成栽培施設双方で通常はかなり多用される除草剤や殺虫剤、ジベレリンやカビ抑制殺菌剤などを一切使わずに(カビ対策として食用酢200倍を霧吹きで散布します)、園地も有機質肥料施用のみで生産している点と、赤みの少ない緑色の綺麗な品種を育てていること、そして、市場出荷から店頭に並んでお客さんが手に取るまでの待機期間がないことで、ある程度の展葉を進ませて、たらの芽胴体部分と先端の葉の部分のバランスが良い状態で収穫裁断し、美味しい食感を提供できることになるかと思います。市場出荷の基準で早採りすると、どうしても芽の胴体を食べているというもさっとした感じなので、切ってから即日直送し翌日には届いて冷蔵庫に入れてもらえる遅切り型の出荷スタイルの貴重さを感じます。子どもたちもむしろ葉が占める割合の大きいシャキシャキ感のある小さいたらの芽天ぷらの方が好みのようです。

ちなみに、邪道かもしれませんが、天ぷらの小麦粉をとく時に、同時に塩とカレー粉を混ぜてカレー風味に味付けした衣で揚げるのも美味しいです。

長野の寒天出張から帰宅すると、確定申告などの事務作業と並んで、たらの芽作業が始まり、そして雪が消え春作業へとバトンタッチします。伏せ込みも収穫も体力は要せず、楽な仕事ですし、長時間の拘束でもありません。タラノキがじゃんじゃんと増えていけば作業も多くなるでしょうが、一方で枯死する木もあり、そんなに園地が拡大することはありません。実際、最初に導入した時の圃場面積と変わっていないのです。むしろ第1期定植園地が寿命になって廃園とし、いまは畑が変わって改植を進めている途上で、最初の規模を復活するのが当面の目標です。市場へ大量出荷する営農の人は量が大事だし規模拡大を短期で進めたいかもしれませんが、ここは一人農業、園地の除草管理なども含め、身の丈に見合った生産規模を続けたいと思います。

いまは寒天作業が2月初めに終わってフリーになりますが、それ以前に盛岡で土壌分析の冬期パートに出ていた時は、3月末までの期間の勤務だったので、夜7時過ぎに帰宅して(盛岡からなので)、それから夜なべでたらの芽栽培をし、あとは土日にフル回転でやっていたので結構大変でした。寒天出張は短期で土壌分析より収入も高いですが、夜中から始まる長時間労働になり、ここでかなり消耗しますので、いまはたらの芽作業だけでなく、いろんな調べ物をしたりし、農閑期そのものも楽しめるようでありたく感じます。

昨年は長野からの帰路の旅路で手首の骨折という事態に遭って、その通院に引っ掛けて、北上市の病院から県内近郊へのドライブ旅をして気分転換にもなりました。そうした「軽トラ自由旅」は元々は寒天仕事のための長野への往復の旅路や、たまにある寒天煮込み休止(釜止め)という降って沸いた現地での休日の過ごし方で始まりました。ブログにも掲載している通りで、今年は兵庫までの遠征になりました。

いまもGoogleマップを開くと、いろんな構想が沸き起こります。去年は久々に登山をやってきました(月山)が、昔、出版社にいた時に、東京から同僚とオフロードバイクで同じ山形の朝日連峰の大鳥池(釣りキチ三平で有名になった伝説の岩魚「タキタロウ」伝説の湖)へキャンプに行ったことを思い出し、マップでルートを追跡してみたりしていくうちに、もう一度いまチャレンジしたくなっています。30年前のツーリングの時は関越道で新潟入りし、胎内川とか三面川を遡上した林道ツーリングで登山口まで走ったと思いますが。。

 

大鳥池1992年

こちら岩手から行く時はもう少し楽な4時間ちょっとでの走行で登山口まで到着できます。1992年の時は大鳥池までの往復でしたが、全行程は3泊くらいしたと思います。今度は以東岳まで登って、そこで割合新しくできた避難小屋に泊まってみようかと思っています。小さい避難小屋ですし、ハイシーズンでなく日の長い6月下旬くらいの平日の、天気の良い日を狙って。。先客がいるかも、ですが。。今年なら残雪も少ないでしょう。2日農場を空けるには、前準備も必要だし簡単じゃないですが、こうしたことが農への活力にもなりますから、ぜひ実現したいものです。その前にナメトコ山で練習してからでしょうか。。

癒しという言葉をミノにして歳を重ねて体力が落ちてくることの言い訳にするというのでなく、思いだけでがむしゃらに突き進むというのでもなく、仕事や生活感覚の全体像を見てベストな暮らし方をと、常に思いを巡らせていたいものです。

 

 

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神戸・淡路、イワテヤマナシ演習林への旅路

摩耶山展望台から神戸市夜景

長野・茅野での寒天煮込みが2月2日の天出し(釜から外に出し並べること)で終了し、その日中と翌日のほぼ午前中で、片づけを完了しました。釜からクレーン(ホイスト)のバケットで煮た中身を移し濾す時の布とその下の竹を釜の湯に吊るして漬け、またその釜のお湯をテングサの洗ったのを漬けておく水槽の方へと送り込んで、もう煮るべき草が空になった水槽で、天を入れるモロブタや舟の下の柱とか釜の蓋など重い汚れた木の器具を移動して洗います。天でヌルヌルした汚れは、ヤッケなどについた場合もそうですが、お湯で洗わないと落ちません。大きな木製の舟を10人がかりで地面に降ろし、10個あるマスの中に一人ずつ入ってたわしで洗ってくれたり、庭作業の人の手を借りて、釜部門の片付けは割合早く完了します。言葉だけだとわかりにくいかもしれませんが、こうしたワンチャンスの作業状況はなかなか写真に撮るというタイミングがありませんで。。

そして私の役目は終わり、2月4日の早朝に茅野市を発ち、今回は高速で神戸へと向かいました。

イワテヤマナシを生産し事業化しようという計画を折に触れてお伝えしていますが、その指導を続けてこられた神戸大学の先生が手がけてこられた演習林を見学することが目的です。先生ご自身この春から自らイワテヤマナシの生産加工事業に携わっていこうというとされていて、そうすると大学の圃場を見るチャンスもなかなかなくなるし、しかも岩手へ戻れば改めて神戸(兵庫県加西市ですが)まで出かけることは実際無理なので、この寒天出張からの帰途で大回りをすることが唯一の機会と考えた次第です。

神戸といえば一番の写真は夜景だろうと思いますので、翌2月5日夜の摩耶山からの夜景の写真を最初に掲載いたします。

 

鳴門海峡

そうした思いで旅が始まり、いつものように労務から解放された清々しい気持ちで工場を後にし、出張中に普段よく通った道から最後の日だけに取っておいた高速諏訪インターに入り、中央高速から阪神方面へとハイゼットを走らせて、約5時間後には神戸市三宮界隈に到着し、お昼ご飯となりました。

知人より勧められていた食堂「ほうらく」に行くために、大きな市街地ですからまず問題は駐車です。ガソリン代・高速代は研修旅行の経費として仕方ありませんが、昼食一つ食べるために数百円のコインパーキング代が、というのは田舎者にはとても違和感があります。が、まあ今回はおそらくもう2度と生涯の中でないであろう自走しての神戸旅行ですから、我慢します。

行列を並びきり、食べた後に問題が。。盛岡の大通りなどによくある路肩がパーキングエリアになっているというパーキングを利用し、駐車して「ほうらく」へ行って、長時間並び、美味しく食べて、さあ車にと思って歩いて戻るも、軽トラを停めた場所がわかりません。。東西に停めたか南北に停めたかも覚えていなくて、うかつにもすぐに歩き始めてしまったために、記憶に残っていなかったんですね。30分は無駄な歩きでロスしました。歩き疲れもしましたし。。

その時に神戸市内でやたらに目に付いたのが、冬の厚い誘導員ジャケットを着たシニアの誘導の人たちです。近くに大丸デパートがあったようで、そこへの駐車を誘導しているんだと思いましたが、こうした人が至る所にいて、こっちを見ている気がします。この人何さっきからぐるぐる歩き回ってるんだべ、という目つきのように見えます。自分の軽トラどこですかと訊くわけにもいかず、散々歩いてやっと見つけ、そして、午後の目的地である淡路島へ出発しました(この三宮界隈は後ほど何度も訪れることになります)。それにしてもこの駐車場誘導以外にもですが、何で誘導員シニアの人があちこちにこんなにいるのか。。

阪神高速も走ってみようと乗り入れて、そしてそのまま明石海峡を渡ります。心の準備もないままいきなりぐーんと上に道路が上昇し、橋のポール(車道より上部の両側の柵)?が高く聳え、背後に海の見える光景が眼前に広がったときは、突然でしたので、おぉと少し感動しました。

そのまま淡路島に上陸し、最初の観覧車があるパーキングで軽く休憩した後はそのまま走行を続け、淡路島南端で高速を降りるつもりだったのに、ナビの誘導では鳴門海峡も渡って、え、徳島じゃん?という感じで四国に降り立ちました。鳴門海峡の写真を撮りましたが、残念ながら潮の関係で渦潮は見れませんでした。

 

淡路バーガー&ソフト

淡路島側に戻って島の最南端に近い道の駅で、有名な「淡路島バーガー」を買い、また「玉ねぎソフト」も買って食べました。バーガーは夜のつまみ用にしました。明石海峡の橋も鳴門の橋も有料のようでしたが、地元民には負担ですよね。こまめな高速の乗り降りが続き、ETCにしていて良かったです。初日の諏訪からの利用は休日の割引にもなりましたしね。

 

淡路島の玉ねぎ

淡路島といえば玉ねぎ栽培と知っていましたが、特に南部の方によく畑が見られました。下車して畑のそばで観察もしてきました。4条だったり5条だったりしているようですが、マルチをしていません(例外として少し写っていますが)。除草は一体どうするのでしょうか。相当強力な除草剤を散布してから定植したのか。。定植時に土が動いて雑草の種が露出しはしないか? 雪もなく、2月ですから、10月に定植した苗はこれくらいまで生育しているんですね。かなり化学肥料も入っているのではと推察します。

 

伊奘諾神社

その後、伊弉諾(イザナギ)神宮へと向かいましたが、午後6時になり、真っ暗です。ここではなく、西海岸で有名な夕日を眺めていた方が良かった。。翌日改めて出直しました。夕方6時といえば、寒天の煮込みの時は既に眠りに就いている時間です。通常の時間から夕方5時からの睡眠に移行するのはとても大変でしたが、そのサイクルから通常のサイクルに戻すのはあっという間です。とはいえ、この旅行中、宿で晩酌もしていると、10時には寝落ちしていました。寒天の時は酒は飲んでいませんでしたので、解放されたわけですが、すぐ眠くなり。。

 

神戸異人館通り1

翌日、改めて伊弉諾神宮を参拝した後に、淡路島を出て神戸市内の観光の時間となりました。洋食のランチを食べた後、異人館通りという観光スポットに出かけました。神戸は結構坂の街なんですね。傾斜地に古い洋館が立ち並んでいました。

 

神戸異人館通り2

中に入るのは有料ということで、外観の見物にとどめました。

 

南京町

それから、歩いて南京町という中華街まで行きぶらぶらしました。食べ歩きする人が多くいましたが、どうもこういうところで買い食いができないタチで、歩いただけ。。

 

ほうらくと一平

初日2月4日と翌5日の三宮でのランチです。左は4日に入った「大衆食堂ほうらく」のワンタン普通盛りとオムライスの小のセットでセット割引が入り1,000円。神戸は洋食洋菓子の街という感じですが、中でもオムライスは代表的な存在みたいです。神戸へ行ったら一度はオムライス、ですね。右は翌5日の昼で「グリル一平三宮店」のタイムランチ1,000円です(ライス大盛りで1,100円)。ここもオムライスが人気みたいでしたが、昨日食べたので日替わりランチにしました。もちろん美味しいです!

人気の店というのは行列ができます。今回も神戸を知る人のおすすめに従い、結果、並びました。でもグリル一平の方は店内も結構広くてウェイトレスも多く、要領よくお客さんを誘導し組織的に上手にさばいているという感じで、割合とスムーズでした。

寒天出張中の休日のドライブの時とかも、人気店のラーメン店に入ったりはしました。まあ岩手でも同じ事情でしょうが、定食でもラーメンでもちょっと大盛りにしたりすれば1,000円が当たり前の時代になってしまっているんですね。旅先での日替わりランチ1,000円は別に普通のことでしょうが、このところの外食物価の上昇はすごく響く気がします。貧乏性なんでしょうが、やはり「ラーメンで1,000円」ではちょっと、ですかね。自分としては。それに比べれば神戸の上の2品はリーゾナブルだったと思います。とはいえ、加えて駐車料がかかっているのは気になりますが!

 

ヨドコウと白鶴

この神戸を歩いた日は月曜日で博物館とか閉まっているのは承知していましたが、ヨドコウ迎賓館を勧められていたので、外見だけでもと、東へ車を走らせ、高級住宅街で有名な芦屋市に入り、このヨドコウ迎賓館と、あと近くにあった白鶴美術館の外観のみ写真に収めてきました(岩手ナンバーの軽トラも写っています)。ヨドコウのすぐそばに小学校があって、芦屋の裕福であろうお子様がたの下校時間と重なって、路上の挙動不審なオジサンになっていました。傘をさしていますが、総じてこの旅行は天気が悪かったです。

そのあとは六甲山に向かいまして、まだ日のあるうちに六甲山の有名な展望台(ケーブルカーの終着駅)でまだ明るかった写真を撮った後に、山中の道路を走らせて、西側の摩耶山の掬星台(きくせいだい)という寒天の仲間に勧められたスポットで日が暮れて、最初に掲載した夜景写真を撮影できました。美しかったですが風も強く寒かったです。

この日は神戸市街地の宿泊だったので、摩耶山から三宮の駐車場まで戻って車を停め、ホテルに向かう途中にある、勧められた牛丼の店(「広重」というお店です)に進みましたが、「品切れのため閉店です」の表示。。やむなく、寒天勤務の時にちょっと検索していた餃子のテイクアウトの店を思い出して買いに行き、飲み物をコンビニで買って、重くなった荷物を抱えてホテルまで歩きました。。昨日は淡路島バーガーで、本日は餃子(大)9個で乾杯です。一人。

こうした街歩きではスマホのGoogleマップが頼りです。車のナビとスマホがなければ店にたどり着くのも難しく思い、これは地理感覚の明らかな退化とつくづく思います。昔バイクで旅していた時は昭文社のツーリングマップルのみでどこへでも行っていましたから。

 

BE-KOBE広場

神戸市内(三宮辺り)に泊まって翌朝、三宮駐車場までてくてく歩き、まだ早かったので車に乗ってポートアイランドに上陸し、さらに奥の空港までドライブしました。空港へ渡る橋からの眺めは格別でした。

そしてメリケンパークに向かい、有名なポートタワーは工事中で入れませんが、公園内を歩いた後、10時の開館とともに海洋博物館へ入りました。入館時に外で保育所の子供たちが整列して座り先生の話を聞いていたのですが、後に博物館2階のテラスから外を眺めたら、広場で凧揚げをしていました。BE KOBEモニュメントの方向の写真です。

 

メリケンパーク震災遺構

メリケンパーク内には阪神淡路の震災の遺構が保存されていました。1995年。この震災が1月にあって、3月に地下鉄サリン事件がありました。そのサリンの数日後に東京有楽町の「新規就農ガイドセンター」を訪れて、農業を始めたいがどうすれば良いかの相談をし、そしてその月の終わり頃に知人の縁で沢内村を初めて訪れたのでした。その1年後の1996年4月に移住しました。95年1月17日の震災の日、当時いた東京の出版社では書き手の先生のいた大阪大学医学部と被害状況の電話のやり取りの声が響いていましたし、報道では阪神高速が倒れていた記憶が鮮明です。その復活した高速も走って来ました。

昼食に、昨夜閉まっていた牛丼の広重に再挑戦しましたが、11時半という時間にもかかわらず既に行列ができていて、この後加西市の神戸大に行く約束もあったため断念しました。やっぱり私は並ぶの嫌いです。。

 

神戸大学農学部ナシ園地

高速も使い約1時間で加西市の神戸大学大学院農学研究科に着き、イワテヤマナシ圃場の案内をしてもらいました。ここは400〜500本のナシの木があるわけですが、それを植えたいと思っても大きくなった木を運んで移植するわけにはいかず、移植したい時は、まず別に台木を確保して現地に植え、神戸のこの圃場から希望の枝をいただいて切り運んで台木に接木する、という方法しかありません。その穂木はこちらに豊富にあり、財産です。やまなしはバリエーションがとても豊かで、1本の木が1つの品種ともいえるくらいに交雑による変化が多様な植物で、こちらはそうした多様なナシの保存園として価値ある圃場と思います。

また、多様な実をならせるだけに、さらに希望のナシを得るために人工交配により、いろんな有望な実のなる木より開花期におしべとめしべの受粉の掛け合わせを行って、できた種から地植えで苗を育て、それを切って大きな台木に接木して、それにより実を早くならせて採り、品質を確認する、という息の長い育種の方法も学びました。種の性質はそれぞればらけるので、希望の実がなるかは偶然に委ねられると思います。増殖はその枝を穂木にした接木で、種蒔きの栽培(実生)ではありません。

そうした結果によって今後現代のナシの味や大きさに、イワテヤマナシのみが持つ「香り」がプラスされたナシができれば、それは最強の画期的なことでしょうね。それを「やまなし」と呼べるかどうかはわかりませんが。。

 

浮御堂

神戸大学に長居させていただき、その後はちょっと予定していた京都付近の探索はやめて、高速を使って琵琶湖付近に予約した宿に移るのみでした。スーパーを見つけて夜ご飯の買い物をするも、結局今日も遅くなって、疲労気味です。寒天疲れも残る中ですしね。でもその3泊目は翌日朝食もしっかりあって、琵琶湖から最終宿営地である上越市に向かいました。例年寒天出張で高速を使わずに岩手から茅野市入りする時に、この上越市か長野市辺りがちょうど良い宿泊地になります。岩手を早朝に発ち暗くなるまで全力で走る行程になりますが。。

その旅路のスタートは琵琶湖の辺りのドライブからです。琵琶湖西岸の浮御堂(うきみどう)という寺を見学し、そして北陸へと進みました。

 

白エビバーガー

滋賀も北上するにつれ日本海型の気候になり、福井との県境付近は、道路こそ無雪なれど、周囲は積雪がありました。天気は雨です。道路脇のパイプから豪快に水が撒かれていて路面に積雪させないやり方がされてました。ガソリンでヒヤヒヤしつつも福井市付近でまた高速に乗って、富山まで走りました。福井は2年前に認定農業者のサミットで訪れて、永平寺や恐竜博物館にも出かけたところです。その次の石川県内は高速道路は平常でしたが、被害のあった能登方面への高速は一般車通行止めになっていました。

今回は富山市前で高速を降り、道の駅に立ち寄るだけで、去年食べ損ねた白エビを食べて来ました。本当は生の白エビ丼を食べたかったのですが、こちら道の駅カモンパーク新湊にはありませんでした。時期がまだ早かった?

 

白エビのつまみ

道の駅では白エビのかき揚げも売っていたので購入し(2枚で560円)、最終宿営地の上越市の温泉ホテルで晩酌のお供にしました。その直前には糸魚川市の物産館に立ち寄って、山形にいる娘にヒスイのお土産を買い、また帰路に一緒に山形ラーメンを食べ、2月8日の夜9時前に自宅へ到着し、旅は終わりました。

これからの人生で、もう軽トラックで神戸市街地を走ることは多分ないでしょう。神戸自体に行くことはあり得ますが、チャンスとしては少ないでしょうね。渦潮や神戸牛の牛丼が課題に残りました。食べてませんがビーフカツというのもちょっと気になったメニューです。

これからはたらの芽の栽培作業がスタートします。雪はうんと少なく、現在50cmくらいでしょうか。これから冬本番になるのか、いや早い雪解けでスタートも早まるのか。まだ2月半ばですが。。

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信州の旅、寒天出張後半です

寒天出張も終盤に入り、岩手を離れてから2か月、気分的にも疲れが溜まった日々を過ごしています。暖冬傾向のこの冬は暖かい日も多くて、寒天煮込みが休止になる日も多く、そんな日は普通に夜寝たりするため逆に睡眠リズムが乱れてもいます。やはり楽な仕事じゃありません。

1/1は以前はなかったのですが正月休みとなり、八ヶ岳中腹を南下して来た様子を記事にしましたが、その時に書き残していた稗之底村址について少し報告します。

全然予備知識もないままにいつもの頼りとなっているGoogleマップの記載で「稗之底村」という廃村になった地域を見つけ、何だろうと思い、時間はたっぷりありますので、訪ねてみることにしました。

上の写真はその廃村を守護したであろう神社であり、ここはいまでも手をかけ守られている空間になっているようです。

 

他にブログに書かれている方も必ず触れていらっしゃいますが、中央の石には剣の模様が彫られています。何のメッセージが込められているのでしょうか。。

 

一帯は自然散策路になっていましたが、所々に現れる祠が人里であった名残を示すだけで、特に何かの建築物とかがあるわけではありません。

 

後に教育委員会などが設置した標柱ですね。ここはテレビ番組でミステリースポットのように取り上げられたことがあるそうですが、私が鈍感なせいかそのような独特の空気は感じることはありませんでした。しかし遺跡や遺物と言われる場所はなぜか気になって訪れたくなります。

 

Googleマップで記載された地点まで林の中を歩いてみました。廃村になったというのは江戸時代とかのことで、石以外には何も残されているはずもありませんね。標高も高く気温も低くて作物が穫れる地帯ではなかったということで離村したとあります。飢饉とかもあったのでしょう。冷涼地で耕す一人として、何かしら共感の念を覚えます。

以上は1/1の八ヶ岳山麓の散策からでした。

 

茅野市内に綺麗な滝がありそうということで、1/19の煮込み休みの日に訪れました。「多留姫の滝」だそうです。なかなか綺麗な滝で、歌人らの碑が並んで整備されていました。あまり地元民も観光客も訪れる感じではなさそうですが、お弁当食べたりするには良さそうです。滝のそばには立派な東屋もありました。

 

その後に原村にある八ヶ岳美術館を訪ねました。

 

彫刻家・清水多嘉示氏の作品群の展示がメインの美術館ですが、原村の「阿久(あきゅう)遺跡」の土器土偶も展示されていました。

 

ユニークな表情が魅力的なフゥーちゃんだそうです。

 

こちら中央の「さんころん」と名付けられたおじいさん土偶も楽しいですね。縄文人の表現力には引き込まれるものがありますね。

茅野市には尖石という場所に国宝級の土偶が収められた資料館がありますが、私も寒天2年目くらいで訪れています。

さてこの後、実際に原村の阿久遺跡へ行ってみたくなり、向かいました。解説では蓼科山に向かって列石があるということで、それの確認に行ったのですが、残念ながらそうした遺跡は埋もれてしまったのでしょう。石らしき物は見ることはできませんでした。

 

岡谷市へ向かい、寒天仲間に勧められたラーメン店(麺やてっちん)で昼食した後に、蚕糸博物館の寄りました。この辺は大晦日にも通行しましたが、年末年始は休館で、奈良井宿に向かいました。

 

カイコから絹糸を取り出す装置の変遷がよくわかります。よく1本の繋がった糸になるものだなとは思います。

かつてオーロラ姫が塔に導かれて糸紡ぎの機械の先端の突起に刺されましたが、その辺はわかりませんでした。ヨーロッパだと絹じゃないんでしょうね。

 

実演のスペースでは奥で2名の方が作業をしていらっしゃいました。

そんなわけで昨年に続き出かけることの多かったシーズンになり、大多数の地元の通いでの従事者に比べ、居場所のなさを感じることも多くありました。とはいえ大変な激務でもありますから、時に休日があることは結構なことでもあります。

いかんせん、スマホだけでパソコンがないのはいろいろ辛いところです。スマホで大体用は足せるしありがたい存在ですが、記事を書くのはちょっと辛いし写真のトリミング加工も一切できません。撮った写真のリサイズが難しく、今回は自分宛に写真をメールで添付して送信時にサイズを「中」で選んで送ることでリサイズをしました。パソコンでもうまく表示されているでしょうか。

あと2週間あまり。家に帰ってしたいことは、昼間から焼酎を飲みながらAmazonの映画をiMacで観ることです。

 

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年末年始の長野から

年末年始はテングサの煮込みが3日休止となり、31、1日と出かけて来ました。1月1日の富士山は清里の辺りになりますが、八ヶ岳中腹にある美し森展望台という場所にて撮影しました(展望台へは駐車場から徒歩10分くらい)。

 

振り返ってその展望台から八ヶ岳を見るとこのような感じです。小海線沿いの南側から見た方が荒々しい姿は見られるので期待したのですが、真ん中の低い山がちょっと邪魔してますね。

年末の大晦日に赤岳登山をしましたが、30年も前ですが、小屋に荷物を下ろして山頂へ出かけた際にホワイトアウトで道に迷い、結構道も逸れたようで、ああ、これまでなのか、と思った時に、スッと一瞬前方の雲が取れ、山頂のピークを表す柱が見えました。一瞬なので他所を向いていたら見えなかったでしょう。それはすぐ雲に隠れましたが、その方向へまっすぐ歩いて無事山頂へ着きました。一瞬姿を見せた時、柱が十字架のように見えました。まだ生きていろとの啓示のように思いました。その夜山小屋のふとんの中で顎が痒くなり掻いているとボロボロ皮膚が剥がれてきて、凍傷になったんだとわかりました。正月明けの出勤時(出版社勤務の時代です)にはまだ黒い顎のままでした。。遠い昔の八ヶ岳の思い出です。

 

年末の庭仕事の風景、いわゆる天出しの作業です。私がモロブタに天を注いでそれを包丁で切り、運搬車で現地に運んだものを庭仕事の人たちが受け取って箱を配置し、カイリョウと呼ばれる台に並べていきます。

 

2週間ほど外で凍る溶けるを繰り返した天は「すどり」と言いますが、左の大型ザルに取り集めてハウスの棚で最終乾燥させて寒天が完成します。

 

29日の天出しで釜は休みに入り翌30日は草洗いなど水車の仕事をし、仕事納めとなりました。そしてその夜は忘年会ということで、庭仕事の人たちと一緒にお好み焼きを作り、長野の人たちに広島のソウルフードを伝授しました。いまは全国どこでもソース含め材料が揃います。特に小さいお子さんのいる家庭では、ホットプレートを囲んでお父さんが腕を振るう。うけること間違いなしですね。

 

山下清の美術館がすぐ近くにあり最近知りまして、31日に出かけて来ました。いいですね。貼り絵。身近な素材で生活感もあって、また長野にも縁があったんですね。カレンダーを買って、ポストカードもプレゼントにもらって来ました。末娘への土産です。

 

続いて諏訪の片倉館へ行きました。午前だし風呂は別に大丈夫でしたので400円払って中を見学しました。

遥か昔ですが信州大学に合格が決まった時にすぐに信州の旅行のガイドブックを買い、そこにあった片倉館の画像がずっと残っていまして、訪ねてみた次第です。が、建物の中は特にどうということもなく、建物の外観の写真だけで十分でしたかね。もちろん大多数の人は千人風呂に入りに訪れます。

旅行ガイドブックの表紙にあった安曇野の碌山美術館も頭の隅にこびりついていた画像でしたが、ここも既に寒天出張2年目の時の帰りに立ち寄っています。

 

片倉館の中に入ったから案内表示で気づいたのですが、守り熊という彫り物が外壁に施されていて、面白かったですね。

 

その後には塩尻を経由して、木曽の入り口である奈良井宿に出かけて来ました。妻籠も馬籠も行っておりますが、それらより建物の並ぶ街並みの距離はこちらが長い気がしました。岩手にはあまりないストリートでしょうかね。旅行者気分を味わって来ました。雨で寒かったですが。。

 

さて、この奈良井宿の中で事前にスマホで調べた際に気になっていたマリア地蔵を探し、ちょっとわかりにくかったですが、見つけることができました。なぜかこのような古い像には惹かれるんですね。岩手にもマリア観音像があります。旅行者たちには全く関心を持たれていないようでしたが。。

 

見つかった時には既に首はなかったようです。抱かれた赤子の手に持つものの先端が十字になっていることから、マリア像ではないかと言われ、ここ山深い木曽の地にも隠れキリシタンの信仰の姿があったことに感慨深いものを覚えました。キリシタン自身の手では首を落とすことはできなかったのではないでしょうか。全くの事故かもしれませんし、意図があった行為だったかもしれません。

これで大晦日の旅は終えて、木曽と伊那を結ぶ権兵衛トンネルで伊那に出て高遠経由で杖突峠を通って夕方4時には寒天宿舎に着いていました。遠いドライブに見えて岩手よりは狭いのかと感じました。

翌1月1日には八ヶ岳に中腹を清里方面へドライブして富士山も眺め午後1時には帰って来ていましたが、廃村になった稗之底古村址も途中探索していて、これについてはまた改めて投稿します。

大変な勤務である寒天煮込み作業もまだ中盤に差しかかったばかりで2/5くらいです。こちらでは少量の米の出荷しかできない不完全な農家ですが、2月上旬には岩手に戻ります。今年も何卒宜しくお願いいたします。

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信州茅野で寒天作業に従事

岩手から長野へ出張しています。7回目となった寒天製造のため茅野市に滞在し、テングサの煮込みと濾過、濾液の箱(モロブタ)への注入と包丁による切断が自分の作業工程です。

野外に出した天は夜に凍らないとダメになってしまうため、気温が高い状態の時は煮込みを休止します。

15日はそういう日で、それで松本に出かけて来ました。大学時代から慣れ親しんだ近郊の美鈴湖まで足を伸ばして来ました。美鈴湖の向こうは常念・蝶ヶ岳です。

 

懐かしい北アルプスの景色は変わることなく、そして見る立ち位置により微妙に異なった姿を表してくれます。平野部からはそれなりに、視座が高まれば山懐も深く重厚に。

 

一方、こちらはその数日前にやはり釜が休止になり出かけた、近くの蓼科高原から見た八ヶ岳。まだ雪はほんどありません。

 

寒天を作るにはそれなりの準備作業が必要です。私の場合、北国で積雪のため早く農業のシーズンが終わることと、釜の作業で煮込み終了とともに帰宅することから、庭の作業準備段階から長野入りし働いていて、釜が終われば帰りますが、外作業(庭と呼びますが)の人たちは、最後に出した天の完成と、そして庭の片付け作業を引き続き行って、私より3週間くらい後まで稼ぎます。

最初は田に藁を敷くことからスタートします。そこにトカシという天の載る台木を運んでいます。

 

杭を打ってその上に木を乗せて縛り、天の載るカイリョウを積んで準備完了です。この長木は稲のハセ掛けに使う杉の棒です。

あとは、乾燥して軽くなった天が風で飛んで行かないよう防風ネットを張り巡らせて完了です。

 

釜の方もいろいろ準備があります。10か月使っていなかった釜は水を入れても漏れるので、少しずつ水を入れバーナーで沸かし沸騰させ蒸気の力で桶の木を膨らませて漏らないように釜を仕込んでいかなくてはなりません。

 

こちらは煮汁を濾す舟の下、濾過された液(ノリ)が溜まる部分です。上に写る柱の上に舟が乗っています。舟も終了時には降ろして洗い、そして開始時のいま上に上げます。総勢で8人くらいで担ぎ上げる作業です。

 

12月15日、松本でふとパルコを見つけました。地元ニュースで閉店が報道されています。私が大学で松本にいた時にオープンし、何を買うわけじゃないけど出かけてみた記憶があります。その40年後に閉店ですね。

確かディズニーランドもこの大学4年間にオープンしました。ニュースで当時見たのは覚えてますが、全く興味がありませんでした。ビデオ等でディズニー作品に親しんだ世代でもないし、ただ、後に子育ての中で自分も結構夢中で調べたりし、実際3度行きましたが。。

 

松本に着いて最初に市の美術館に行きました。駐車場も十分で助かりました。向かいにある芸術館で信州大学オーケストラのマーラー巨人を聴いた時から、この美術館は目に付いていました。

 

2009年に30歳というあまりにも若くして病気で亡くなった、長野県にもゆかりのある画家須藤康花さんの展示を観て来ました。ゆかりがあるというのはそのお父さんが長野県麻績村で自然農業を開始されたことによる移住のようで、おそらく定年後なんでしょう。それまでは大学で教鞭を取られた方のようでした。娘の死後いくつかの刊行物も手がけられ、そして松本に須藤康花美術館を開館されました。次回、今回の松本市美術館での展示が終わった後に、そちらの方も行ってみたいと思います。

 

絵とともに展示された詩の数々は、創作芸術というようなものではなく心の中から溢れ出た生々しい現実と思います。その文章と絵とが合わさって、心を揺さぶられます。通常の美術作品鑑賞とは異なった感動がありました。

メメントモリとかよく言われますが、芸術は死というものを意識した創作であるべき、と言った理解ができるかもしれませんが、この方はそんな生やさしい「世界観」とかではないと感じました。そもそも「概念」などではなく、病魔と戦う苦しい現実そのものの救いや解放の模索が絵を描くという行為だったと思います。ベートーヴェンの感じた苦痛に通ずると思いましたが、ベートーヴェンの絵もありました。本を入手したので、帰った後ゆっくり読みたいと思います。

 

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ダッシュで秋じまい作業。。

亀の尾の姿

晩秋になり、冬型の気候が次から次へとやって来て、すぐに雪が降るほどではないにしても、どんよりと暗く寒い11月。積雪前にやるべきことは山ほどあるのに、天気はずっと雨マーク。最後の気合いをこめて片づけ作業を進めています。昨日はずっと気になっていたハセの解体と横棒の作業小屋2階への搬入作業が終わり、ホッとしています。

何より、脱穀が終わって、あああとは片づけだけだな、終わった感が滲みます。亀の尾が現在の主力の品種になっていますが、やはり姿が美しく、ハセ掛けが似合う品種と思います。今年一番の期待を込めて作付けしたササシグレは7月の長雨で病気にかかり、収量が低く、今期は亀の尾とひとめぼれが主な出荷となります。極端に病気に弱い品種を薬を使わずに栽培することはハードルが高いことは十分わかってはいますが、しかし実際玄米を食べてみて、ササシグレは魅力を感じるお米です。来年は無難に小さい田で作付けします。これからしばらく長期出張に出ますため、ササシグレの出荷は2月中旬より10kgまでの少量出荷でお届けさせていただきたく、その際には宜しくお願いいたします。

 

ハセの熊被害

7月の長雨と並んで、今年の稲作にダメージとなったのは、熊による食害です。毎年、山ぎわに面した田の山ぎわの方の稲をこっそりと食べていたのは知っていました。が、今年は堂々とその山に面した田全体を歩き回っていた上に、いままでは手を出すことがなかったハセ掛け中の稲も毎夜手を出して荒らし、結果、相当な減収被害になった次第です。全てが胃袋に入ったわけではないにしても、バラバラにされた籾は回収できるはずもなく約100kgは減ってしまった感じですね。

秋じまいを進めているいま、タラノキ園やりんどうの通路など至る所、思わぬ場所にバインダーで結束した状態の稲の束が見つかっています。持ち運ばれた稲はすべて、綺麗に脱穀されていて、熊の歯で千歯こきのようにして食べていると想像されます。ハセから落としただけのものや、付近の籾がまだ残っている束はハセに掛け直します。毎日50束も掛け直すのは疲れました。

ハセ掛け乾燥中には、10月6日の暴風の被害もありました。今日も暴風が吹き荒れていますが、強い冬型が到来し、ハセが折られて倒れた状態を、全部いったん束を外し、柱を立て直して、横の棒を組み直し、下ろした稲を再度掛ける。大変です。次いで、全体的に傾いてしまった他の部分は柱にロープを巻きトラクターで引っ張って傾きを直す作業もあり、これも繁忙期真っ只中なのに、余分な仕事でした。冬だったら視界ゼロの大吹雪というところでした。

 

稲わらカッティング

脱穀が終わって、残った稲わらは8割くらいは畜産農家さんに引き取ってもらっていますが、残り、ちょうどハウス内に掛けた稲のわらはわらカッターで田に還元します。天日干しの稲作はわらを持ち出してしまうので、面倒な作業ではありますが、田に戻してやります。これで稲作の外仕事は終わりです(ハセの片づけが残りますが、空中の作業なので最悪積雪後でもできる作業で後回しです。がこれも終わりました)。

 

秋のにんにく米ぬか施用

にんにくも秋のうちに一度草取りをしてやって、その後にマルチの上から全面米ぬかを撒いてやります。これが雪の下で腐熟して、春には植え穴の土と混じって良い追肥効果、乳酸菌補給効果になってくれることと思います。

 

タラノキの伐採

少々の積雪は良いのですが、どっさり雪で埋もれる前にしておかなくてはいけないのが、タラノキの伐採です。このように、11月になりますと全ての枝葉が幹の付け根から落ちて、1本の棒の状態になっています。これを、下の方の、太さによって1〜3芽分残して上を伐採します。それが2月後半からのたらの芽栽培の穂木になります。地際から切って収穫してしまえば来年の芽がないので、必ず芽の位置を確認しつつ、太さによって残す芽の数を勘案しながらノコギリ(剪定ノコ)で切っていきます。重いチェーンソーなど使わず、細身のノコギリで軽快に切って置いていきます。

全部切ったら、通路で20〜30本ずつ縛り、軽トラに積んで作業場に収納します。休眠期間がありますが、その間は寒天製造の出張に出ておりますので、たらの芽生産は寒天から戻ってきてからの2月の作業になります。雪のない地方では2月になって必要時に伐採しても構わないことです。

 

晩秋のタラノキの様子

真ん中の株のように1株で4本くらい立ってくれると理想ですね。秋の伐採時に何本芽を残すかはとても重要で、芽が少なくて太すぎる穂木になっても無駄になるし、多く芽吹かせて細い木が乱立してもたらの芽が小さくなる。細い木はいまは放っておいて春に伐採して捨てることになります。また、せっかく最後まで生育したのに、その後枯れてしまって色合いの黒ずんだものも見られ、そういう木は株元ももう枯死した感じになっています。こういう株もあり、新たに植えつけた養成株もあり、とにかくいっぱい植えておくことが大事です。

 

木の実の種

さて、秋の稲刈りが終わった頃の時期だったですが、ツキザワの家で写真家瀬川強さんの渾身の企画展「西和賀の木の実」があり、見に行ってきました。木の葉っぱや実、種について、どれくらいわれわれはわかっているでしょうか。本当にわかりません。たとえばブナの実が不作で熊が、と報道されるものの、ブナの実を知っている方がどれくらいいらっしゃるか。。長い自然観察の活動の中から得られた標本をずらり陳列されていました。圧巻です。

 

熊の餌

今年ほど熊に泣かされた年もありませんでした。この写真の実を数々食べ歩きできていれば、熊御膳の中に「稲」は記載されずにすみました。糞が消化し切れなかった、というかそれ以外に食べ物がなかったことでしょう。籾殻100%でできているという熊の糞もあちこちで初めて見ました(写真にも撮っています)。

 

イワテヤマナシ研究会

11月になり、研修会も全部ではないですが参加しています。イワテヤマナシ研究会が盛岡市のアイーナで開催され、西和賀の人々にも声かけをして、割合多くの参加者が出てくれました。「香り」が最大の特徴になる昔からの岩手固有のやまなしをジーンバンク活動として残そう、またバラエティ豊かに品種が混じり合ってできた多彩な風味の実を集め、優良なものを食品加工の商材にしてゆこう、と話し合っています。不思議なことに、芳醇な香りが立ち込めるナシというのは豊水幸水ではなくて、昔から賢治の時代より親しまれてきたイワテヤマナシオンリーです。香りを生かしたデザートの試食会も開かれて、その風味を堪能しました。

イワテヤマナシの増殖ということを考えると、ナシの台木(マメナシ、等)を苗木業者から準備して、そこにお気に入りの枝を接木するという手法が主力になります。来年は当園以外の人たちにも植えていただく計画になっていて、いまから楽しみです。

秋じまい作業もあと少しです。天候が非常に悪い中ですが、庭木の雪囲いや外に出された鉢とか放置されたジョウロとか諸々の片づけをもう少しですが頑張って済ませたいと思います。建物の窓を雪から守る雪囲い板の設置もありました。

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稲刈り真っ最中です

ササシグレの稲刈り

8月9月にあれほど好天で田も乾いていたのに、いざ稲刈りを迎えた10月のいま、毎日雨続き、7月のあの悪夢の長雨が思い起こされます。。しかし、稲刈りはしなくてはならず、ぬからない方の田から刈り始めています。写真はササシグレ、7月の長雨でいもちが出ており残念です。やはりいもちには弱かった。。10アールの田から実質どれくらいの籾が穫れるか、脱穀してみないとわかりません。それにしても大雨の影響が残り、本当に田が乾かず。。。やっと昨日あたりから回復傾向で、一気に進めているところです。

 

熊被害

熊の被害が多い今年。。田も結構荒らされています。まあ被害としてはわずかなものですので問題にはなりませんが。昨日も町内で熊に遭遇し怪我をした人(おばあさんです)が出ております。

 

ハセこさえ

9月から10月にかけては目の回る忙しさです。切り花りんどうの出荷に多く時間を取られるからでありますが、稲刈りに向けてハセの準備も難儀な作業です。一人で横棒を架けるためには中央に写る補助具を使います。これであとはケースの上に上がって上から4本、白いハセナワで縛っていきます。小屋の2階の窓から下ろして柱のそれぞれの場所まで引きずり歩く作業で4時間、柱に結わえる作業で4時間という感じでしょうか。脱穀が終わってナワを解いて運んで2階に上げで保管する作業は6時間、くらいでしょうか。片づけるのはいつも雪が降る頃になってしまいます。下2本には2段ずつ掛け、上2本は1段ずつの計6段掛けになります。

10月6日の強い冬型気候の日、当地では暴風雨がすさまじく、ハセの柱が3本折れ、残りも全体的に傾いてしまいました。折れたハセの部分は稲を全部取り外し、横棒もいったんほどいて、柱をまず埋め直し(地際で折れるので、地中に埋まってた分短くなります)、もう一度ナワで縛って、稲を掛け直します。この作業で3時間のロスになりました。翌日、風が鎮まってからは、トラクターで柱を引っ張って、ハセの傾きを戻す作業を2時間くらいやりました。すべての柱につっかえを設置すればいいんでしょうが、棒の量が多くなりすぎても面倒で。。でも今回のことで、もう少し多めにつっかえをして強風に備えたいと思います。

 

亀の尾稲刈り2023

10月11日、亀の尾を刈っています。背丈が高く、その分収量も上がり、味も良い亀の尾は自然栽培向けであり、当園でもいま一番の作付けになっています。マイナス面といえば、やはり晩生であるということで、去年など青米がとても多かったです。山形の庄内原産ですので、ここよりはずっと暖かい地域のお米です。しかし青い米が多いことは食味上は決してマイナスではありません。今年のお米は概して良くないとの話が耳に入ってきます。一等米も少ないとか。。ここ沢内は真夏も32度以上にはなっていないし、水も結構入れておりましたが、果たして玄米の状態はどうでしょうか。。。昨夜は籾摺り機の掃除もしっかり行いまして、いま掛けている稲の脱穀と籾摺りはまもなく行えます。

 

小麦播種中

稲刈りの前の作業になりますが、まず小麦播種があります。播種の前には施肥と耕耘があり、耕す工程と播種の工程で、小麦4反歩で2日の作業量になります。「ごんべえ」がなければこの作業時間ではすみません。以前はトラクターの耕耘を狭い耕耘幅間隔で行って、写真にも見えるロータリーの尾輪の跡を蒔き溝にして手で蒔いていましたが、覆土作業も必要だし、トラクター作業も狭い間隔で耕耘場所を重ねながらの作業になるため時間が倍もかかり、もういまでは戻ることはできません。

 

緑肥後の小麦畑播種

ここは緑肥をすき込んだ畑になります。8月31日に1度のすき込み作業であらかたすき込んだ畑を播種直前に最終耕耘して、土の柔らかいうちに播種機で播種しました。ここは雑草に悩まされてきた畑ですが、8月に緑肥が完全に占有したことで、雑草退治になってくれれば良いがと思っています。ただ単に雑草をすき込んだだけという通常の年とは今回は雑草の生え方が違う気がします。これで秋のうちに一度管理機を借り中耕除草してやると、来年だいぶ違うのではないかと思います。

 

小麦というのは米よりも収量は上がらないし、販売単価も安いです。しかし、稲作とは作業時期がずれるため、農地の活用としては有効に思います。いまの小麦の圃場を全部田にしたとしたら約9反歩。これを全部稲刈りしてハセ掛けするのは当園としてはきついですね。ハセ場も足りません。また小麦関係の交流交友もありますし、にんにくとの輪作の役目もあります。この秋4反歩ほど南部小麦とアリーナを作付けしましたが、この量は維持していきたいものと思います。これだとギリギリ雨よけハウスの中のハセで乾燥させることができるのです。

なお、今年は南部小麦・アリーナとも既にいくらか製粉しており、現在は在庫がございます。精白粉kg単価600円+運賃になります。よろしければどうぞご利用ください。

麦熊

播種から半月経った南部小麦の畑に侵入者ありです。なんとなく小麦箇所はよけて歩こうとしている感じはするのですが、米と違いまだ食べられるものでもなく、徘徊しても無意味なんですがね。

 

にんにく畝完了

稲刈りと前後して進行しているのがにんにくの植え付けです。お彼岸用りんどうの出荷が忙しくなる9月の上旬の前に、このように畝の準備を行っておき、すぐにホワイト六片を植え付けます。ホワイト六片は休眠が浅く、早くに芽を出しますので、特に冬が早く来る当地では早植えに越したことはありません。遅れて10月になったりすると、大きなりん片を植え付けても結果は小さいにんにくになってしまいます。何度も経験済みです。

他方、八木や八幡平にんにくは休眠が深いので、稲刈り後の10月中旬でも大丈夫です。にんにくの植え付けは前もっての夜なべ作業の種こぼし(りん片に割って準備をすること)も含め、結構時間を要します。稲刈りが終わらないいまはなかなかにんにくの後半戦に手がつけ難いですが、この1週間で稲刈りも含めカタをつけたいところです。

 

Panna cotta

盛岡方面へ所用で出た時に、広宮沢という場所(以前、この辺で木下サーカスを観ました)で昼食のデザートに、初めてですがパンナコッタというのをいただきました。とても美味しく、上にかかったラムレーズンのソースが絶品です。帰りにイオンの食品売り場に寄った時、パンナコッタというのを主にプリンが置いてある辺りで探しましたが、見つかりませんでした。プリンのように手に入りやすいデザートになってくれれば、と願うところです。ちなみに、「ババロア」というお菓子も好きなんですが、手に入りません。寒天で長野にいるときは伊那食品のババロアのもとが売ってるんですが、こちらでは売っていませんね。できたデザートとしても置いていないですし、残念です。

 

滝沢の知人の田を訪れました。岩手山すぐそばのあきたこまち。手入れもしっかりしていて、まもなくの稲刈りを待つ状態です(夕方の撮影のため色が淡いです)。水が冷たくて、と言っておられ、冷たい湧き水の流水を池を介してぬるめているようでしたが、低温冷水の悩みは当園も同じです。あったかい地方よりも水の冷たい山間地の方が稲のいもちになりやすいというのは、悲しい現実ですね。自然栽培米として定評のあるササシグレはとてもいもちに弱く、それでササニシキに入れ替わったという経緯があるようですが、初年度の今年、結構大変でした。何とか、面積を小さめにしても続けていきたい品種です。こちらの写真のあきたこまちは順調でした。

稲刈りとにんにく植え、もうひと頑張りです。それを乗り越えれば、あとは、もう秋じまいの季節なんですね。寒くなってきました。

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小麦とにんにくの準備と夏休み

クロタラリアのすき込み

りんどうの切り花出荷をしていると、お盆と彼岸の出荷の山があり、その谷間の時期は、小麦とにんにくの圃場作りやホワイト六片の植え付け、草刈り、諸々の草取りの作業で、谷間の時期とはいえかなり慌ただしい日々になり、夜は夜で乾燥を終え冷蔵保存中(氷温冷蔵)のにんにくの出荷のための皮剥き作業で過ごしています。

彼岸のりんどうが咲いて来る前に秋植えの畑の準備を終わらせるために、逆算して結構煽られる時期になります。とはいえ、何かレジャーやお出かけができるのはこの時期ならではなのですが。。

小麦畑では、収穫後の休耕期間に播種したマメ科のクロタラリアが旺盛に茂っていて、これをトラクター(ロータリー)ですき込む作業を行いました。何回か書いておりますが、小麦は連作障害があり、またそれに起因して豪雪地では雪腐れ病を起こしやすくなるために、イネ科でなくマメ科の緑肥を作付けし連作回避をするとともに、小麦栽培に必要なチッソの補給を行うという工程を組み入れています。自然栽培であればこれのみで良いのですが、冬が長く気温の低い当地では、加えて鶏糞等も施すことで、収穫量を見込むことになります。

小麦の刈り取りから次の播種まで2か月という短い期間に生育させてすき込みし、しかもその後播種まで腐熟の期間が2〜3週間必要です。速攻で旺盛に育つ品種のマメ科の緑肥というと限られていて、小麦ではクロタラリアという緑肥を組み合わせることになります。

 

ネマコロリ

去年は同じクロタラリアという種でもネマックスという丸葉で柔らかいタイプの緑肥種子を栽培しました。ただ値段も結構高かったため、今年はいくらか安いネマコロリという品種のクロタラリアを購入し作付けしました。7月23日に播種し、8月26日にすき込みをしました。断然こちらが早いです。すき込み時点で背丈は120cm。1か月ですごい生育です。ネマコロリは細葉タイプで、生育は旺盛だがすき込み作業に困難な場合もあり、その際は早めの段階ですき込むようにという記述も見かけましたので、トラクターで手に負えなくなってしまうくらい伸びる前に、また天気もちょうど翌週から雨模様になるとの予報もあり、少し早いんでしょうがすき込みをしました。

しかし想定していた以上に柔らかくすき込むことができました。おそらく、今年の猛暑を受けて、暑さを好むクロタラリアは例年以上に短期間でぐんぐん生育し、かえって柔らかい状態で体が大きくなったのではと思います。西和賀のワラビが豊富な雪解け水といきなりの春の日照で急激に太く柔らかく育つ、というのと同じ感じの理屈? 今年の天候はクロタラリア緑肥にとっては好条件だったようです。背丈が伸び植物体の量が増えることでチッソ量も増すし、旺盛な生育で雑草を抑えることにも貢献してくれています。これから3週間以上かけて腐熟させたのちに、2度目の耕耘をして、そして小麦播種をします。

 

南部小麦とアリーナ乾燥中

乾燥中の、右が南部小麦、左がアリーナ小麦です。8月15日に脱穀しました。まだ脱穀直後そのままの状態なのですが、近々、籾摺り機でゴミの茎葉や殻などのゴミ飛ばしと玄麦に付着した薄皮の除去の作業を行い、玄麦として完成します。注文もいただいておりますので、早めに行い出荷をしたいです。米の籾摺りの時に小麦が混じるため、本当は小麦用の籾摺り機もあったら便利なんですが、なかなかそこまでは余裕がありません。。

 

ツキザワの家クラフト展1

さて、お盆には、去年もでしたが、古民家ツキザワの家でクラフト展が完済され、行ってきました。右奥はウッド工房ブナの森の竹澤さんのブースです。このサイトでも書いておりますが、栗の木の片袖机を作っていただいた方です。不慮の火事で工房の建物を失い、自宅の中に工房を再構築しての制作活動をされています。飾られている写真はこの古民家のオーナー、写真家瀬川強さんの写真です。

 

ツキザワの家クラフト展2

こちらは山のうえアイアン田中正博さんの鉄アートの品々です。また今回、木の家具製作の「nokka」工藤さんと、西洋木皿作家「waranoue」藤原さんとお会いすることもできて、良い時間を過ごさせていただきました。

 

菊池・nokka・waranoue

初対面であったnokkaさん、waranoueさんと話し込んで時間が過ぎ閉館時間となってしまい、詳しく写真を撮ることができませんでした。左は、木工竹澤さんと同じく古くから陶芸をなさっている菊池窯・菊池啓二さんの作品、右が新しい作家2名、上がwaranoue、下がnokkaの作品です。どうぞご本人のサイトで大きい写真もご覧いただけたら幸いに思います。

これも前にも書いていることなのですが、私自身はアート創作とは無縁な無芸の人間ですが、農業の土台に、芸術や創作活動の気持ちを持っていたいと常々持っていて、農業の営みは創作の精神とは無縁であってはいけないと感じている者です。そういう意識を持っていると、自ずと文芸やアート活動に取り組む人たちに対し親近感を覚え、関係性ができてくる気がしています。彼らとの交流は大切にしたいと思っています。

 

カズグリ自生地

さて、冬の手首骨折の関係で時々北上市への通院があるのですが、その際は遠回りの遠足を楽しむこととしていまして、今回はお盆繁忙期の後の休息ということで診療後に足を伸ばして探索してきました。

花巻市東和町の「カズグリ自生地」の探訪です。っカズグリというのは野生種の栗の突然変異種で、唯一ここにある木だけです。囲いの柵の中には唯一の変異株の木から接ぎ木で増やした数本が実を付け始めています。家のそばの栗の木が既にイガを形成していたのを見て、かねてからチェックしていた自生地に訪れることにした次第です。

 

カズグリ

数個のイガが数珠つなぎに連なっている不思議な栗の実です。

 

早池峰ダム

そのあとに、早池峰ダムに出かけました。早池峰山が奥に写っております。

折壁峠から早池峰山

帰路に着き、折壁峠を至りました。ここからは広大な山裾の背後に早池峰山が構えていて、とても良い景観をなしております。ここから紫波町方面へ抜け、花巻経由でなめとこラインを通って西和賀に戻りました。

 

月山山頂

7月の下旬にちょ山形県の山、月山に登る予定だったのが、りんどうの出荷が激しく、断念。そのリベンジでお盆後に月山8合目の駐車場がやや空くだろう8月22日(火)に月山行きを決行しました。正面が月山の頂上である月山神社ですね。上りが3時間ちょっと、下りが2時間ちょい、という感じのスケジュールでした。ほとんどが岩で組まれた登山道のため、つまづいて転びそうになるようなゴロゴロの岩の道でして、ここで転んだら骨折だな、という意識で一歩一歩進む感じでしたね。昔会社の近くにあった登山靴の店(巣鴨の辺り)で足の形を取って作ってもらった軽登山靴が活躍してくれました。

 

goro登山靴

30年前に購入したgoroの軽登山靴です。いまはこのような茶色の川の登山靴はあまり見かけませんかね。30年前のスタイルでした。。またいまは多くの方がストックを両手に持って登っていましたが、これは岩の道での転倒防止や、また斜面を登る時のヨイショの力入れにも使えます。自分は急な登りの場所は太ももを手で押すようにして登ってましたが、ストックを使った方がずっとスマートですね。

 

八紘一宇

八紘一宇、、全ての事象には差別などなく、一つの家に平和に暮らすように生きることが理想とする、というように解釈されるんでしょうか。そのような、信仰の雰囲気に満ちた山なんですね。随所に見られたお花畑も、どこか現実を超えた世界のごとくに咲いておりました。

 

月山登山入り口鳥居

下って、ほとんど駐車場近く。鳥居の中に写るのが月山です。登る時に撮影すべきですが、上りは別ルートでした。

 

月山8合目ライブカメラ

月山登山が気になり始めてから、月山8合目の駐車場のライブカメラというサイトを時々見ておりました。全部で170台停められるそうですが(右奥にまだスペースがあります)、苦労してカーブの多い狭い山道を上り詰めここまで来て車が停められない、となると結構悲惨ですよね。土日やお盆は到底無理でしょう。朝岩手を発って向かうというのでは。。ほぼ下山したタイミングでのライブカメラの画像を記念に保存しておきました。ちなみにこの日は火曜日で、混雑予想はなかったので、まず安心はしていましたが、時間はけっこうかかり、朝4:45に家を出ても結局8:30過ぎての到着でした。途中すき家で朝ごはんも食べましたし。

いずれ山形に入り真室川から最上川を下って鶴岡へ向かう道を走り、途中から左側(南側)へ曲がって山道をかなり走ります。今回、帰りは山形市へ出てから岩手に戻ったので、コースとしては月山スキー場の方からのルートの方が近かったかもしれません。が、情報ではそちらの駐車場代で1,000円かかることと、多分使いたくなるリフトに乗るならば往復で確か1,500円だったか、です。一人での登山でしたし、節約したわけですが、大回りの走行時間でガソリン代と、少し使った高速代を入れれば大差はないかもしれませんが。。いずれ、鶴岡の月山8合目からのルートの方が正統の道のようで、まあこちらにして良かったのかもです。

山形市では博物館等のある大きな公園のすぐそばの「かすみが温泉」に入ってきました。ここは市営で入浴料も200円、シャンプーや石鹸付きという穴場的な温泉でした。駐車場も問題なく停められました。夕食にラーメンを食べ、おみやげに山形の地酒セット等を買い、深夜の12時頃に家に着きました。かなり暑い日で下山して車でお風呂に向かうまでの間に500mlの飲み物を3本飲みました。月山の山頂部では涼しい風も吹いていて汗が冷たく感じられたくらいでしたが、下界の山形県内はかなり相当暑く、登山によりかなり水分も消費したのだと思います。

それに比べ、当地西和賀沢内では、数日前に初めて32.0℃の今期最高記録が出たとラジオで言っていた通り、35℃とかにはならない地域です。それはありがたいことですが、外で作業をしていると30℃でも暑いものです。でも田にとっては高温が大事ですので、寒さの夏をオロオロ歩くよりは、猛暑の方がずっとありがたいですね。

あとは、もう、彼岸りんどうの出荷までに草取りと草刈りに専念するのみです。隙間を見てにんにく植え(ホワイト六片から)も始めておきたいものです。とはいえ秋の品種も咲き進んできて、もうじき最初の1箱ができるまでとなり、お尻に火が着いた状態で他の済ませるべき農作業を進めています。

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にんにくと小麦の収穫期

にんにく乾燥中2023

秋田市では大変な大雨被害が出ましたが、ここ西和賀町は気象的にも秋田に近いせいもあって岩手で一番降ったようでした。川や水路の氾濫は気にかかり、消防でも見回りしたりしましたが、これだけ降っても浸水が起きにくいのはやはり舗装路が少なく、ほとんどが地面だからかもしれません。とはいえ氾濫や土砂崩れなどは山間地ではどこでも起こりうるので。。

自分の圃場も何度か見回りもします。水路で田に水を入れる箇所は水の取水栓の場所を石などを置いて水位を高くしていて、そこに急激に水が押し寄せて、置いた石で水が盛り上がり田畑に越水して流れ込んでいた場所を見つけ。。慌ててその石を退かせたりしました。

いまはまさににんにくと小麦の収穫期。例年より1週間早い進みで、にんにくは全て掘り終えて根茎を切り乾燥ハウス内の金属ハセに掛けて自然乾燥中です。この乾燥棚には小麦も入ります(写真右)。今年は小麦用にもう1棟ハウスを準備しました。にんにく乾燥ではハウス内が30度以上に上がりにくくするため、にんにくの頭上の部分だけを黒い遮光シートで覆っています。これでかなり気温上昇を防げます。小麦の箇所は日が差し込みます。

 

八木収穫2023

近年ご注文を多くいただいている秋田原産の「八木」です。赤みが特徴です。形としてはいびつだったり、土の付いた表皮を剥いた後の出荷の荷姿はホワイト六片のように美しくはないのですが、手に入りにくいにんにくですし、当園でも大きめの種子を使って植えますが、分球が不完全だったり、なかなか手ごわい栽培の難しい品種であります。

今年は全般に割合大きめのにんにくになっているようでした。周りに栽培農家のいない手探り農業技術なのですが、深く掘る・深く植える・早く(早い時期に)植える、の3点と、草取りなんだと思います。浅植えになったにんにくは収穫時の抜き取りは楽ですが、総じてそれらは小さめでした。深植えでは抜き取りに難儀し、茎がちぎれたりする場合もあり移植ベラ片手で起こしながらの収穫になったりしますが、大きいものを採るためには必要な努力かもしれません。

 

南部刈り取り2023

にんにくの後は小麦の収穫です。適期を迎えたとたん雨が続き、タイミングを探しておりましたが、昨日の7月15日は災害級の豪雨だとの予報を見て、13,14日の両日で何とか南部小麦の刈り取りを済ませました。14日夕方最後の1枚は雨に当たってしまいましたが、とりあえず畑から全部集め軽トラや運搬車の荷台、あるいは乾燥ハウスの中の地面に積み上げて翌日の豪雨から守り、そして大雨の昨日の午前中に全部ハセに掛け終えて、南部小麦の収穫作業は完了しました。1か月間ハセで乾かして、お盆過ぎに脱穀し玄麦を手にすることができます。

今回はは種機を使っては種したことは割合良い結果に至ったと思います。問題はやはり雑草対策で、春に一度管理機で中耕し、また草刈り機でも畝間除草したりしましたが、草が多発する場所はあり、また小麦に接している雑草はそのままなんともできぬまま大型化しバインダーで一緒に刈り取ることにもなります。田の除草にも言えることですが、一番難しいのが草対策です。

 

ササシグレ中干し中

こちらは今年初めて挑戦したササシグレです。割合分けつもし、いい感じで生育し中干しの時期を迎えています。冷水と低温多湿の傾向がある当地では、暖地よりもいもちが心配される土地柄です。これからの2週間は要警戒期になります。

 

金命水

今年は免許証の更新に行かねばならず、月1度の7月分のドライブの楽しみを兼ねる日としました。更新ですが、大型免許のため「深視力検査」があり、これが苦手なのです。。それでちょっと検索して、ユーチューブで前日に少し練習をしました。それで少し目が慣れたのか、当日は割とすんなりクリアすることができました。何の練習もなくいきなり検査に挑むのは結構厳しいと思います。寝床でスマホでの動画視聴でも、やっておいてよかったと思います。

免許証を手にした後は。ホームセンターでの買い物の後、今まで通ったことのない道路を走り、初めて地図で目にした阿原山という高原に向かいました。ここには金命水という名水があるとのマップの記載があって、そちらにまずは出かけました。ここは歩かなくても、車を停めてすぐの場所でした。4Lの焼酎ペットポトルに水をいただいて、いま朝のコーヒーに使用しています。

 

阿原山

そして阿原山に行き、賢治の詩碑等を見て一度水沢方面の市街地へと降りました。写真をとっている地点が三角点になります。

 

胆沢ダム

そしてまだ時間があったので、胆沢ダムへ向かいました。ここはその展望できる地点からの眺めです。そしてダムへ向かい、さらに湖の周囲を車で走りました。

 

弘法の枕石

弘法の枕石という場所がありました。1200年前に弘法大師が秋田へ旅する途中にこのそばの山中にあるという「於呂閇志神社」に詣った後にこの岩で一晩休んだと言われ、ダムを作るときに発見されたようなのですが、そのままだとダムの底に沈んでしまうことから、ものすごい苦労をして上まで引っ張り上げたそうです。

その於呂閇志神社にも車で向かい、かなりの悪路を走行したのですが、突然にUターンできるくらいの空き地が現れて行き止まりに。。夕方にもなっていたし、下車して歩いて深入りすることは避け、そのまま引き返しました。家に帰って検索してみると、よく見れば近くに歩いて向かう参道があったように見受けました。

それから秋田へそのままR397号で抜けて横手の山内経由で帰宅しました。帰りは横手方面の市街地へ出ず、東成瀬村から山内(さんない)への山道を経由して普段横手へ出る時のR107号へ合流できました。

397号は国道とはいえ車も少なく山道です。途中、久々に熊を見ました。子熊と思いますが、道脇の林へと去っていく姿はどことなく愛嬌がありました。すぐに見えなくなって、写真などは撮れませんでした。

前回の記事でも書いていますが、月1くらいで何かの用事に合体して未走行の道を探してドライブすることは良いリフレッシュになります。ふだんからGoogleマップはよく見ています。これからあともう1種アリーナ小麦を1枚ですが刈り、農道畦畔の草刈り2回目を終わらせ、りんどうの草取りやネット管理をしていれば、すぐにりんどうの出荷が始まります。

 

アリーナ刈り取り

7月17日、最後に残ったアリーナ小麦を刈りました。予報は雨の連続でしかも強い雨になっています。雨が数時間止んだ間隙を縫って、濡れてはいましたが刈るべきと判断しました。コンバインじゃないので麦に傷をつける心配はありません。水が溜まるような圃場ではないので機械作業は可能でしたが、土が柔らかくなっているので刈り取り部を持ち上げるようにしての作業となります。

 

アリーナ集め

アリーナは結構かさばるのです。全部集め終えました。すぐにハウスに向かいます。

 

アリーナハセ掛け中

ハウスに掛け終わりました。汚れたバインダーを洗浄機で洗い、今年の刈り取り作業完了です。右側は南部小麦です。早く雨が終わって猛暑になってほしいものです。。

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作物の生育期と草取り期

6月17日のにんにく

にんにくがもう少しで収穫期という段階になっています。トウ摘みをあらかた終えたところで(八幡平がメインですが)、ホワイト六片があと1週間、その1週間後に八木・八幡平の順に掘り取りというスケジュールになろうかと思います。はたして大きな球になっているかは全体としてわかりませんが、茎葉の伸びは良いようです。今年は小さめとの声も聞こえて来ていて。。

 

にんにくの芽

八幡平のにんにくの芽がごっそり採れております。とても美味しいので、これも収穫と言って良い作業です。この田植え用苗カゴに4つくらいになります。引き取り手がちょうど多数ありまして、余すところなく活用されたと思います。中ほどの芯は食べれませんが、ハサミで切って上と下が美味しく食べられます。冷蔵庫で2週間以上持ち、それもありがたいです。八幡平は100%トウ立ちし、ホワイト六片よりも5〜7日収穫も遅れます。また、晩秋から貯蔵にんにくにも出芽が始まり老化が進みますが、八幡平は休眠も遅くて当地では植え付け後の出芽が翌春になります。このことから貯蔵にんにくも出芽開始が遅くて老化が始まるのも遅いというメリットがあります。鮮度がそれだけ長持ちするということですね。

 

南部小麦6月7日

去年、雪腐れ病に泣かされた小麦部門ですが、盛夏の休耕期間にマメ科緑肥を導入したことで成果があったようです。また鶏糞を今回はしっかりと施用したこと、それに雪解けが早かったことも大きい要因ですが、背丈が取れ、かつてないほどの良好な生育を見せています。まだ穫れてみないとわかりませんが、特に南部小麦についてはかなり期待を持っています。7月10日頃に刈り取りし、1か月間ハウス内で乾燥し8月下旬には出荷ができるよう工程を進めたいと思います。

アリーナの方は、まだ雪腐れの土壌が残っているのか、初期生育が良くなく全盛期よりは7割くらいの勢いかと見ていましたが、ここの来て背丈もぐんぐん伸びて来ましたし、まずまずの収穫になるかなとは思います。来年は畑を変え、緑肥ももちろん施用してみたいと思います。

小麦に関しましては予約注文で8月末には全量が完売すると思いますので、ご利用いただける際は早めにカートあるいはメールフォームで宜しくお願いいたします(不測の結果もあり得ますのでクレジット決済は現時点ではお控えいただけたらと存じます)。

 

しどけ

山に詳しい方から、というか里山文化の森羅万象にお詳しい人なんですが、山中で採れた山菜苗を譲っていただきました。これはしどけです。しどけ(食用出荷)が道の駅等に並ぶ5月連休の頃、そうした産直施設などでそのしどけのポット苗などはないかなと注意していましたが、苗としては見当たりませんでした。こういう山菜も庭で育ててみたいという需要はあると思うんですが。

タラノキは出荷用に植えておりますが、その他コシアブラや行者にんにくも少しですが自家用に植わっていて、これにしどけが加わったことはありがたく思っています。活着するまでは、毎日葉に潅水し、蒸散でしおれないよう注意が必要でした。

 

アイッコとワサビ

また、こちら、アイッコ(左)とわさび(右)もいただき、順調です。アイッコの左の株はすぐ枯れてしまったのですが、すぐに次の芽がでてきて、次の週にいただいた2本目の苗と同等の生育になっています。わさびも当初の葉は悪く見えていましたが、新しい葉が出て活着しております。アイッコは絹などと同じ繊維としても使用されていたそうですね。

 

ルバーブ

ルバーブも続々と茎が立って来ています。あと1か月くらいは収穫でき、その後は株養成のために温存します。前回ジャムの写真を掲載しましたが、やっぱり色が綺麗で美味しいです(美味しさは緑のものと同じと思いますが)。自家製ジャム作りのため茎出荷としてご利用いただける方は、どうぞメールフォームよりお願いいたします。

 

苗代いちご

野イチゴをさまざまに植えております。その一つ「苗代イチゴ」。最初どんな姿かもわからず、通販で入手し、現在田畑の斜面等で栽培中なのですが、全く同じ植物がいつも過ごしているタラノキ圃場の崖の法面一面にびっしりと生えているのを発見しました。。ちなみにスマホで植物を見分けてくれるアプリをいれておりますが、まぎれもなく苗代イチゴと鑑定してくれました。

ここ奥羽の山村ではいろんな豊かな植物が生育しています。フリマサイト等で手に入れられる植物も探せば多くはこの地元にあるだろうと思うのですが、まず素人には名前と物が一致しないので見かけてもそれとわからない。次いで山歩きし探すような時間的余裕がない。ということで最初は購入するということが近道にはなります。その後自分でも知識を深め、近くで偶然出会った時には目に入って採取もできるだろうし、自生する環境の特性も学ぶことができるでしょう。日当たりとか、水辺かとか。。現にこうして身近な場所で苗代イチゴの大群落を見つけることができたのも、苗購入で勉強した成果と言えますね。

なお、サイトで購入したものは実は品種が違うイチゴだったということはよくあります。熊イチゴと冬イチゴは混同されやすいかもしれません。そこは何だ違うじゃないか、ではなく、そうしたことの学びも必要ですね。

 

カタカゴカフェ

ところで、近所にセンスの良いカフェができています。以前子どもたちがピアノを習っていた家の斜め向かい、カタクリ大群落で知られる「安ヶ沢」入り口付近にある「カタカゴヒルズカフェ」というお店です。こちらの家のお生まれで、長らく外国で暮らし、その後国内で古民家カフェを営んでいらした女性が実家に戻って自宅の改修をして、お店を開かれたのでした。うちから車で5分の距離だし、おしゃれでもありますので、特に女性の来園者(援農等)がいらした時はこちらに行くことが多いです。タンドリーチキンがおすすめのようです。個人的には左上のグリーンカレーがイチオシです。ふつうの住宅なんですが、いまはGoogleマップ等で場所で迷うことはないですね。機会がったらお勧めします。念のため電話で予約されると確実です(私もそうしてます)。「カタカゴ」は「カタクリ」の古語の表現のようです。

 

カタカゴヒルズカフェ外観

どうぞ西和賀方面に日中来られる方はお昼のランチやカフェタイムにご活用ください。やっていない日もあるので、前もって電話してからが無難です。

 

 

碧祥寺資料館1

前述の盛岡の山村文化に詳しい方と、碧祥寺博物館を訪ねました。こちらでも地元である私自身がその方にガイドをしていただき、民間信仰や仏教等の知見を深めることができました。いろんな場所で目にしているものも、名称とかその意味など知らない場合も多く、こうした資料館を一緒に見学することで、一人で漫然と見るよりも、はるかに勉強になります。

 

碧祥寺資料館2

こうした薬に関わる伝承知識もとても貴重なことですね。わかる人が少なくなっていくのは明らかで、通常こうした陳列を見ても、ふーんそうかで終わってしまい、そこで何かをコメントしたり実生活で応用したりできるような人が現在この山村でもどれくらいいるでしょうか。。こうした知見を備えていること、というのは現代の社会でもましてや求められることではないかと思うのですが。。しかもこうした知識や経験が発信できるのはこちらのような山村から、ですね。

 

碧祥寺マタギ1

さて、5月に阿仁マタギのレポートをした際に古い写真を探し出して当ブログでも掲載しましたが、こちら西和賀の「碧祥寺博物館」のマタギ資料館にも改めて行きました。手作りっぽい山の神がいろいろあり、農家が雪に閉ざされる農閑期にコツコツ掘ったんでしょうね。むしろシュールな美しさすら感じます。自宅の神棚や、家々の神社、山祇神社などに奉納されていた御神体なのでしょう。碧祥寺の前の住職の太田祖電さんが蒐集されたのだと思います。

 

碧祥寺マタギ2

猟具です。先の詳しい方からの解説で、特に小さい方のとらばさみでは、挟む力が強すぎて足を切断したりしてしまいがちで、獲物としての価値を損ねることにもなるため、布等をうまく巻いて挟む衝撃の強さを弱め、できるだけ獲物を傷つけないように捉えるための微妙な調整技というのが必要なのだそうです。力がゆるすぎると逃げてしまいますしね。

 

碧祥寺マタギ3

こちらは鹿やキジのオスがメスを呼ぶ声を模写した笛で、この音を聞いて近くのライバルのオスが何だけしからんと飛び出て来たところをバンとしとめるという笛です。シカ笛はクマの骨にガマガエルの皮が貼ってあるそうで。上の方の管を口に当てて吹くというものです。ちなみに鹿の骨は削って服用すると骨折に有効な薬用があるそうですが、逆に皮下脂肪の油は鹿の油よりも熊の油の方が薬用・美容の効果はずっと高いそうです。

 

碧祥寺マタギ資料館

碧祥寺の博物館は沢内大田の「農家食堂およね」の反対側の坂道を上がったところにあり、大人500円で4つの資料館を見学できます。上の写真はそのうちのマタギ資料館になります。20名以上だと団体割引があります。

 

八幡平ドラゴンアイ

さて、全然話題は変わりますが、昨今有名になった八幡平の「ドラゴンアイ 」(鏡沼)です。決して仕事にゆとりがあって出かけているわけではないのですが、何かの用に合わせて半日プラスしてぶらり軽トラの旅に出るのが、この春からしっくり来ていて、良い癒し効果にもなっている気がしています。6月8日頃に開眼した(中心点が雪解けで黒くなる)というニュースでしたが、この6月14日ではちょっと遅かったようで、ベストは6月10日辺りだったでしょうか。。雪解けの様子が龍の目のように見えるとのことで人気のスポットになっています(NHKの「山カフェ」でも放送していました)。

 

八幡平ガマ沼

ドラゴンアイ から八幡平山頂を経て、こちらはガマ沼です。美しいですね。

八幡平マツ

八幡平はトドマツが多いようです。八幡平の山頂(といっても明確なピークじゃありませんが)から「源太森」の方面を目指して散策しました。

 

八幡平池塘

八幡平という名称に対してこれまでぼんやりした認識しかなかったのですが、なだらかな丘陵地帯にトドマツの林と池塘が点在しているという景観です。駐車場から短時間でぐるり散策でき、登山というよりは散策ですね。鏡沼の辺りはドラゴンアイ ブームで多くの観光客が来ていました。6月ともなれば普通の服装で問題ありません。ただ悪天候の時はやはり厳しく冷たい雨が降ることは当然です。

 

寺山修司オペラ「黙示録」

さて、この日は夜に寺山修司の観劇の予定があり、これに先立って八幡平にも足を運んだのですが、夜、岩手県民会館に久しぶりに行きました(中ホール)。2010年度から7冬、土壌分析のアルバイトで公会堂の隣、盛岡広域振興局の4階の農業改良普及センターの実験室から正面に県民会館を眺めながら分析業務をやっていたのですが、その仕事がなくなって、内丸の官庁街に来る機会もなくなっていました。年に2〜3回は映画を観に大通り近辺に行くことはありますが、映画は北上市の場合もありますし。

オペラ「黙示録」というタイトルで、かつてNHKのラジオドラマになった寺山自作の脚本に、盛岡の方が室内楽用に全編に作曲し、演奏も出演も盛岡在住の方によるものでした。特にピアノは途切れることなく演奏が続き、要所要所で弦楽四重奏が加わるというスタイル。主役は圧倒的にピアノですね(上演時間は休憩除き1:40くらいでした)。

とても力作でした。オペラというには小規模ですが、とても味わいのある時間を過ごせました。金田一駐車場に停めていたので、ついでに大通りでラーメンを食べて帰りました(CT33ビルのラーメン屋です)。

田畑では、田の除草、りんどうの草取り&芽かき、そしてにんにく、次いで小麦の収穫が近づいている、という段階です。草イチゴ、苗代イチゴ、冬イチゴ、バライチゴ、カジイチゴ 、ノウゴウイチゴ、熊イチゴ、そしてキイチゴであるモミジイチゴも順調に生育しています。この6月、新たにエビガライチゴと紅花イチゴが加わりました。紅花イチゴは八幡平でも見かけました。コケモモ類もいろいろありますが、これら植えたところを毎日観察して歩くのは楽しいものです。こうした野イチゴ系のジャムなど、いつかは生産してみたく思っています。