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カーナビは心の友、地図更新に苦戦

白山を遠方にドライブ中
長野への2か月出張の行き帰りの軽トラ旅は自分にとって特別なリフレッシュと気持ちの切り替えの期間になっています。秋に農業が終わったという節目と、冬の寒天作業が終わったという節目ですね(もちろん後者の方が解放感が絶大ですが)。先月の長野県茅野市からの帰り道は紀伊半島を1周し、大阪から北陸へ抜けて、山形仙台経由で帰宅する長旅となりました。ブログでも書きましたが伊勢神宮とか南方熊楠記念館への訪問、岡本太郎設計の太陽の塔の見学など、だけでなく走行した旅の全体が心に刻まれています。そして、その時のドライブの走行は、帰宅後にGoogleマップで辿り直してみると、正確には出ませんのでそれ以上の走行キロ数になりますがおよそ1,800kmになりました。写真は福井県の越前市付近で正面に見える雪山が多分白山であろうと思って車内から撮影しました。

その旅を支えてくれたのはカーナビになります。カーナビを友に、旅が成り立っているようなものです。昔オフロードバイクで旅をした時はもちろん地図だけが頼りで、「ツーリングマップル」をバイクの風防手前のスペースに挟んで、東京からおよそ東日本のほとんどは走行したと思います。

ナビに頼るようになったいまは地図はもっぱら部屋にいる時の画面での表示になりました。地図そのものは好きでして、GoogleマップはいまでもPCで最も多く使用するアプリだし、山のコース地図、国土地理院の地図も併用して楽しんでいます。山も登山口まで車で向かうため、Googleと地形図は両方不可欠ですね。

そんな現在のカーナビは2台目で、初代は5年で故障してしまいました。ポータブル式でダッシュボードに吸盤で粘着させるタイプですが、よく剥がれてごつんとぶつけていましたので、それが原因かと思います。GPSも受信しない時が多くあったりして、同じ後継機種の「ゴリラ」5インチを2022年2月に購入し、現在に至っています。ちょうど3年ですが粘着は良くて衝撃も加えていないので、まだまだ使い続けたいと思います。

 

SDカードへの書き込み

購入してからまる3年経ちますと、やはりカーナビの地図が古くなってきます。有料の地図更新があるというのは知っていましたが、結構高価で、機械が壊れるまで地図は我慢して使い切って買い換えるしかないかなと思っていましたが、検索してみると、いま現在5インチのカーナビそのものがどうやら製造が終わっているようなんですね(国産の製品としては)。考えてみればスマホをダッシュボードに設置すれば済むことで、わざわざカーナビに代金を払って使うのは需要が減って来たという傾向なのだと思います。しかも本体だけでなく地図そのものの維持更新にもお金がかかるわけです。馬鹿らしいことかもしれません。

現在は新製品がなくて、自分のと同じ3年前のモデルが倍近い値段で中古品でしょうか、Amazonとかにも載っています。そういうことであるならば、いずれはスマホに取って代わられるのかもしれないが、ここは最後の贅沢、奮発して地図更新をし、もう3年はいまのゴリラに頑張ってもらおうという決断をしました。この5インチのカーナビと共に長距離の旅を続けてきましたし、やはり見やすい、めんこいやつなのです。ギガやバッテリーの減りの心配もありません。この最後の贅沢に出費を許してくださいの気持ちです。スマホのGoogleマップで住所や電話番号を調べてからカーナビに入力するのは面倒ではありますが、まあそれも旅へ出る楽しみの儀式で、セルを回した後の暖機運転です。

ところが、その地図更新の手続きがこんなに大変な作業であったとは!

まずSDカードを買ってこなくてはなりませんが、そもそもダウンロードするためのPCがウィンドウズで、10以上でなければだめですと。スマホもダメ、Macには対応しておりません、と冷ややかな説明文章が目に飛び込みます。でもどうしても更新がしたかったので、近所の家に行ってみると、ウィンドウズ7だそうでがっかり、結果、20分くらいの事務所の知人にお邪魔することにしました。どうせコメリまで行ってSDカードを買ってこなければならず、簡単に近所ではすみません。最初16GB以上という記述を見て16GBを買いましたが、容量が足りず、32GBを買いに再びコメリへ走りました。要注意ですね。16GB以上、ですから32ないと入りませんね、確かに。実際使用可能領域は16や32よりは少ないですし。

いったんナビにSDカードを入れて更新するための機種情報を書き込んでから地図提供元である「ゼンリン」のサイトよりウィンドウズ専用の地図更新のためのアプリを使って、まずは購入代金11,880円を決済し、地図データをダウンロードします。サイトからまずPCへのダウンロードですが、これで80分はかかりました。途中オセンで買い物したりしましたが余裕で終わっていません。そしてやっとダウンロードが終わり、次のSDカードへの書き込みの段階に入ったところで、エラー表示が出て、書き込みができない、SDカードが壊れているなどのメッセージが出て、あっけなく終了。作業進行の説明をスマホで並行して読みながら、購入手続きとかダウンロード時間以外にも時間をかけてここまで来たのに、できませんでした?

翌日パナソニックの技術相談の窓口に電話で問い合わせました。技術系の人らしい口調で、丁寧に説明してくれましたが、結局その通りSDカードか、SDカードリーダー(USB端子に接続できるアダプター)の不具合だろうとの説明でした。USBを介してのアダプターでなく直接SDカードのスロットがあるPCでなければだめなのかと訊いたところ、スロット搭載機のPCでも同じエラーはありうるのでアダプターがダメとは限らない、との言葉に安堵を覚えました。あまりSDスロット搭載機は見ないので。。

昨日、お米を配達したり、注文していたトレッキングシューズを受け取りに行く用事もあり、盛岡のインターネットカフェに行ってみました。事前に電話で確認したところ、SDカードのアダプターもあるので自由に使って良いとのことで、再チャレンジの気持ちが沸き起こりました。

時間はそれなりにかかりましたが、ソフトクリームを久しぶりに2回食べ、ココアやエスプレッソも飲んだりして、時間は過ぎました。思えば、長野の寒天出張の初回の時はまだスマホを持っておらず、溜まり込んでいるであろうメールの確認に茅野市のネットカフェに行ったことがあり、その時の店にもソフトがあり食べました。車にナビは付いていたので、電話帳でカフェの電話番号を調べ、初代ナビに入力して慣れない茅野市のネットカフェに辿り着けました。ありがとう、心の友です。

前回、SDへの書き込みの段階で失敗したので、もし本当にSDカードが壊れていたらすぐ買いに走らなくては、コンビニでも売っているのだろうか、とか考えているうちに、PCへのダウンロードが終わり、ついにSDカードへの書き込み段階に移行して、作業は途切れずに続いています。もしかして一歩進んだ? SDカードは壊れていなかった? このまま進んでくれとの緊迫の時が過ぎていきます。

そして、ついにゴールです。あまりに嬉しくて、写真を撮りました。

 

 

カーナビ本体への書き込み

ネットカフェでは利用料が1,000円弱かかりました。でもソフトや飲み物を飲食した代金と思えば済むことですね。ソフトクリームもいま高いですから。良い経験です。その後は車に戻りSDカードをを挿入してナビ本体の地図データ書き換えの作業です。ところがこれもまた時間がかかります。登山靴の受け取りに石井スポーツのあるMOSSビルに向かって進行しながら、作業は続いていて、石井スポーツでゆっくりいろんな商品を見て時間も使い、靴を購入して車に戻ると、まだ続いています。駐車場でエンジンは止めてもキーはオンにしたままバッテリーを減らしての作業です。昨秋にバッテリーをより大きいタイプに新調していてよかったです。

ジュンク堂へ行って農業書など眺めて戻ってみたら、終了していました。

サイトからPCへのダウンロードで80分、PCからSDへの書き込みで40分、SDからナビへの更新で80分、という感じでしょうか。予習で頭に叩き込んでわかっている場合の時間でこれですから、説明を読みながらしどろもどろでやっていれば、それがおととい地元で失敗した時の私ですが、とてつもない時間を要します。結局トータルで1日仕事でした。黙ってスマホでナビをすればタダで努力も要らなかったんですがね。

 

前潟駅が地図に

盛岡からの帰り道、ナビに「前潟駅」が写っています。このカーナビを買った2022年にはまだこの駅はなかったことをウィキペディアの情報で確認して(前潟駅は2023年3月の開業)、最新状態への地図更新が無事完了したことが証明されました。震災があった2011年から7冬、盛岡の農業改良普及センターに土壌分析の仕事で通った時代にはこの駅はなくて、私が車を停めて電車に乗っていた1個手前の大釜駅の次が終点盛岡でした。盛岡の内丸(通勤していた普及センターのある場所)から盛岡駅までの徒歩区間にはホームセンターがなくて、帰宅時にホームセンターにどうしても寄らなくてはいけなかった時は、大釜で下車した後に、家と逆方向の盛岡寄りのこの前潟まで車で戻って、サンデーで買い物をして帰宅したものでした。いまもし同じ通勤をするとしたら、家から直接前潟駅に車で行ってから電車に乗ったことでしょう(無料駐車場はあるんでしょうか)。そして職場まで盛岡駅から徒歩で30分近くかかるので、運動には良いし、冬だからできたことですね。そして帰宅もまた遅くなり、それからたらの芽の作業をしたりしていたので、結構忙しかったです。いまは、寒天出張時はかなりハードな拘束の作業でしたが、終わってからのドライブと、帰宅後の確定申告などの事務作業、次いでたらの芽作業の専念で雪解けを待つ暮らしになっています。こういう農閑期時期だからこそ、カーナビ地図更新という作業もできたのでした。

いよいよ今日からたらの芽の収穫出荷が始まりました。カビや腐れなどにやられることなく多くの出荷をすべく努力します。

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雪深い早春のたらの芽栽培

たらの芽ふかし2025

寒い冬になっていますが、その中でも日中は春の気配も漂う季節になっています。今年も寒天製造の出張から帰宅して、たらの芽の促成栽培をスタートさせています。帰宅直後の頃は寒さも真冬本番で、真冬日が続いており、そんな気候の中で無理にふかし促成を始めても、時間ばかりかかって生育は遅く、逆に時間がかかりすぎることでカビにやられたりする危険も高まります。そこはじっと待ってからにすることとし、決算や確定申告、また春からのいろんな資材や種苗とかの検索や注文事務など、パソコンへ向かっての作業が主体となっていました。

たらの芽栽培としては、穂木を駒木に切断し、水に漬ける作業(樹液を出させてカビがつきにくくする意義と、発芽を促す催芽の意味があります)、水に漬けた駒木を圧力あるシャワー洗浄をし樹液を洗い流し、トレイに並べていく作業だけで、1日3時間くらいの軽作業です。収穫が始まるまではこんな感じです。

 

駒木トレイ

水に漬け終わった駒木をトレイに並べ、シャワー洗浄しました。あまりくっつけすぎて並べるとカビになりやすく、離れすぎると倒れます。だいたいこんな感じでトレイを埋めて、このまま栽培棚へ置きます。

 

穂木のテーブル電動鋸

秋のうちに採取しておいた穂木をこのテーブルカッターで駒木にします。2/3くらいは終わりました。あと1週間で手持ちの穂木は全部棚に入りますが、3段の棚全部使っても入り切らないので、残りは収穫で棚から出て行って空きスペースができるのを待ってからの伏せ込みになります。

全部伏せ込みが終わると、あとは収穫だけですが、こまめに棚を観察し、カビの発生はないか、温度や遮光の管理、水の交換は適切にしているか、日々チェックが欠かせません。日中の日差しがある日はビニールを開けて空気の入れ替えも大切な作業です。その時は扇風機で静かに風を送ったりもします。特に最上段は日光を多く受けやすく、遮光を掛けておかないと、芯の腹の部分が小さい膨らみのうちに葉が展葉する茎が出始めてしまい、結果小さなたらの芽になってしまうので、しっかりとお腹を膨らませるために暗く管理します。ダイオシートを使っていますが、日中晴れて来ても急激に気温が上がらないためにも遮光は大事なことです。

 

やまなし園3月上旬

やまなし園もまだまだ雪に覆われていて、ここは斜面のてっぺんで雪が溜まりにくい場所なんですが、まだ50cmくらいはあります。その他の田畑の平均でまだ1.3mといった感じでしょうか。近年は雪の量が少なめであったため、今年は多いように感じますが、10年くらい前など、4月1日の時点で1mくらいあった気がします。田畑の消雪も4月末の連休に突入してからという年もありました。この辺りが長野や新潟などの豪雪地帯と違う点で、関東よりも消雪の日が1か月も遅くなるのは、やはり最高最低の気温が全然こちらが低いことによるのでしょう。

 

作業舎への通路

問題は稲の籾を収納しているこの作業舎の冷蔵庫から籾を出して、籾摺り機のあるたらの芽栽培室の方へと搬送したいのですが、1mを超える雪の除雪に苦労しています。写真で見える作業場のシャッターが雪で開かず、除雪機が出せないでいました。やっと昨日シャッターをこじ開けて除雪を開始しましたが、歩いて硬く踏み固めたところとそうでない気温が上がって柔らかくなっているところとの差が大きくて、除雪機が真っ直ぐに進めないで苦戦しています。秋に籾摺りした玄米の在庫がほぼ底をつき、氷温貯蔵籾を早く玄米にして出荷を再開したいのですが。。

本当は秋のうちに全部籾摺りをしてその半分の玄米をこちら作業小屋の冷蔵庫に氷温貯蔵して、そのまま継続して出荷するようにしても良いのです。お客さんを待たせないで済むし、1回1回の出荷分玄米を雪山を越えて担いで運び出すことはできないわけじゃありません。籾摺りとなると全部を持ち出さないとダメなので、軽トラが入れるように除雪が必要なのです。もともと、秋に全部玄米にしてしまうのではなく籾での貯蔵で春に籾摺りした方が春以降の出荷分が鮮度も良く美味しいのでは、という考えで行ってきたことですが、実際のところ半年遅れで籾摺りした玄米が秋に籾摺りを行ったものより本当においしくて鮮度が良いのか、と言われればなかなかその差を実感できるものではありませんね。

農薬を使わない稲作ではどうしてもカメムシ斑点米の発生がありますので、農協の色彩選別機を使うことである程度除去することができます。そうなればむしろ秋のうちに全て玄米にして色選委託に出すことになりますので、それにより玄米品質を向上させることができて、かつ玄米をそのまま-1℃の氷温貯蔵米にすることももちろん継続します。いまの時期にお客さんも待たせません。次回作ではそのようにしてカメムシ害対策と品切れのない状態を維持することを遂行したいと思います。稲刈り直後の高水分の生出荷分だけは色選に出せませんが。。また通常の16%乾燥米とハウスでの15%乾燥米が色選装置で混じってしまうことはちょっと心配ですので、15%と16%の袋を分けて装置に入れるよう要望はいたします。

 

作業場通路除雪2025

昨日真っ直ぐに進めなかった除雪機はクローラーの左の軸のピンが切れてしまっていて、農機屋さんへ走り、そしてクローラーの回転軸のピンの穴とそれの外枠の穴を合わせるために、方向転換クラッチを微妙に切りながら軸を回転させ2つの穴を合わせ、まず折れたピンを叩き出し、新しいピンを差し込むためにさらに正確に穴位置を定め、ピンは何とか差し込めました。機体が傾いたことでオイルが漏れてしまい、エンジンオイルを補給し、再スタート。無事住宅の方から作業舎への通路を除雪することができました(やれやれです)。これで多分数日待てば雪が消えて軽トラをバックで入り口に着けて、氷温籾を運び出し、住宅の方の作業場部分に設置した籾摺り機で玄米にします。また、森林組合より薪を購入していますが、バックで入れるところまで入ってもらってユニックで写真の右側の山に薪を降ろしてもらえます。雪のあるうちにここで玉切りし、あとは地面が出てからゆっくり薪割りをします。

近々籾貯蔵在庫の籾摺りが行えますが、玄米が底をついているいま現在、米の価格が高騰していることもあり、「ポケットマルシェ」の方への出荷は注文に応じきれそうになく休止していました。自サイトの方はそのまま続けておりますが、やはり注目度が足りないせいか、そんなにサイトに直に注文が来るするわけではありません。有名サイトへの出品とは違いますね。価格は去年と据え置きで、社会で価格が高騰しているからといって、それに便乗して値上げをすることは、ちょっと恥ずかしい行為ですし、自分の経営上やむなくの値上げというのなら別ですが、今期はその理由もありません。ですので、慣行栽培のお米よりも販売価格が安くなってすらいます。といっても農協や米卸経由の店頭価格からどれくらい差し引かれて、秋に農家に精算額が入って所得が実際増すのか、その時は近所の農家に訊いてみたいと思います。価格を上げる要因はないと申しましたが、今度の秋に亀の尾のみになると思いますが色彩選別に委託を出すとなれば、その手数料分は価格に入れさせていただきたいと思います。キロ当たり数十円の値上げにはなりますが、それでより品質の良いお米を供給することができるならば、必要な工程となると思っています。

 

ハウス除雪着手2025

来月の今日辺りは種まきをしている時期です。除雪機が出せたので、ハウスと作業場の間の雪山の除雪にも手を付けました。水稲育苗ハウスの除雪はまず外周からです。反対側の側面は雪が少ないので、とにかくまずここを払うために、5回くらいかけて減らしていきました。

去年は猛暑の夏だったので、ここ奥羽の里はちょうど良い暑さで、亀の尾など、よく穫れました。先日までいた長野の人たちは、真夏は標高1,000mの茅野・原村付近でも平気で35度になるよ、とのことで、やはり東北の山間地は違うのかもしれません。気象庁のデータを見ても去年の沢内で8月6日にたった一度32.0°を観測し、それが最高です。前後に31.5℃とかは数日ありますが。。ちなみに長野県の原村の実測値は7月23日の33.5℃が最高でしたので、まあ35℃はちょっと大袈裟でしたが、32℃台は数日ありました。もっとも岩手県の北上市も結構高い数値を叩き出しており、原村よりもむしろ暑かったかもという感じです。それほどここ沢内は冷涼と言って良い地域と思います。広大な奥羽の山塊の醸し出す水蒸気や緑そのものがリビングマルチになって気温の上昇をマイルドに抑えてくれているのかもしれませんね。豪雪の影響は真夏までは持たないと思いますが。。

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太陽の塔を見学し豪雪の岩手に帰りました

太陽の塔真下から

長かった長野での寒天製造の仕事も、いつかは終わります。終わってしまえばあっという間に1週間、飛ぶように過ぎ去りますが、今回の帰宅時は気になっていた岡本太郎の太陽の塔を見ることと、これまで訪れたことのない紀伊半島を一周し、南方熊楠記念館へ行くこと、が目標のドライブ旅行となり、寒天工房のあった茅野から伊那谷へ入って飯田経由で名古屋入りし、ぐるっと半島を回って大阪から北陸、新潟から東北入りし、仙台経由で岩手へと戻る旅程となりました。そして現在は豪雪の沢内で過ごしています。体を休めながら、いろんな資材の注文や決算・確定申告の作業、ハウスのパイプが曲がらないようアーチ部分を超えた雪の除雪、そしてこれから始まるたらの芽栽培のための準備をしております。

寒天作業の終盤から居座った寒波で気温の低い状態が続いていますね。ちょうど北陸付近を通過するときは寒波の谷間のタイミングで走行はとても快適でしたが、いま再び雪が続く状態で、とにかくハウスのパイプを守ることが先決です。除雪機もありますが、格納する作業舎のシャッターが雪で完全に封じられており、少し気候が緩んでからの除雪機作業になりそうです。4月10日までにハウス近辺が完全に消雪し、ビニールが掛けられるようになればと思いますが、今年の雪は手強そうです。田畑から雪が消える時期も4月末の連休の頃になる予感もします。

さて太陽の塔、何がどうとが言い表せないけどスゴイ。このようにも感嘆されたりしますが、秋頃に講談師神田伯山のラジオで伯山氏が太陽の塔を観覧した時の印象を熱く語っていて、これは寒天終了時に足を伸ばして実物をリアルに体験して来なければ、と思っていました。2か月半に及んだ出張中、じっと旅立ちの時を待ち続けていた軽トラックはついにその時を迎え、始動し、下道ですが、飯田市からさらに南下して愛知県入りを目指し旅が始まりました。

途中、伊那谷へ入る手前の高遠(桜で有名)に、同じ寒天(てんやと言ったりします)に通っていた農家の橘内(キツナイ)さんを訪ねました。写真は撮りませんでしたが、畑と作業場や住宅を見せていただきました。福島県出身で、震災後に地元での営農を断念し知人の紹介を経て長野へと移住し、ここ伊那市高遠の山深い里で有機野菜を生産販売しています。農政や社会情勢にも明るい聡明な人ですが、新規就農者として私にもよくわかります苦労を積み重ねて現在に至っています。まだ40代前半、小さいお子さんもおられ、まさにこれからの人ですね。雪がないというメリットがありますし、来年は冬期も寒天従事でなく営農を続け、完全な専業になられるかもと思い、今年の機会に訪れておけて良かったと思いました。

とはいえ、寒天から西回りで帰宅旅をする場合、権兵衛トンネルで木曽から岐阜に抜けるような時もここは必ず通行しますので、私が続ける限りいつでも立ち寄ることは簡単ですが。。私と同じく時期にはポケットマルシェにも出品しているので、見かけたらいろいろ閲覧してみてください。

 

小川清風寮

長男が誕生した時ですので20年近く前ですが、近くの農業改良普及センターで冬期にやっていた田畑の土壌分析の業務が終了となり、近場で仕事も見つからず、4か月ほどトヨタで働いてきたことがありました。1冬だけで、その後は大型免許を取って町の除雪オペレータもやりましたが、その懐かしくもあるトヨタの小川清風寮を訪れてみました。ここで個室を与えられ、近くの元町工場へバスで向かいました。村の中でも、俺もトヨタにいたことあると言う人と会ったりします。

 

フィール

最初の頃は首にぶら下げた写真証で食堂の食事をし給料から引かれていましたが、3食となるとこれが結構な額になり、途中で食堂利用はやめまして家から米を送ってもらって自炊に切り替えました。昼ごはんだけは工場の食堂を使ったと思いますが。その時に週末に通ったスーパーも健在でした。

 

伊勢神宮外宮

初日はこの後名古屋経由で亀山市にあるホテルに宿泊し、翌日は紀伊半島に向かいました。数日前から急遽、伊勢神宮に行ってみようと思い立って、検索で調べ、まずは外宮(げくう)からということでその正宮を参拝しました。中はよく見えないんですが、どこも杉の丸太がどんと屋根に乗っていましたね。

 

伊勢神宮内宮

こちらは場所を変えて伊勢神宮内宮の正宮です。石段に踏み入れた後は写真撮影禁止ということでしたが、わからずに撮影している人が警備員に注意されていました。写真の消去まで求められはしなかったかと思いますが。。地元の両沢公民館のそばに昔の石碑など残っていますが、稲刈りが終わった後に何か月もかけて昔はお伊勢参りをしたようです。一生に一度、生きて戻って来れるか、という不安もあったゆえでしょうか、こうして石に刻んだりしたんでしょう。いまは思い立ってすぐ車で行けますが、それもこれも長野県で働いたという地理的な環境によるもので、いま岩手から車で伊勢参拝に行こうとはなりませんよね。

横山展望台からの賢島英虞湾

伊勢から南下し、鳥羽の辺りで真珠を土産に購入し(鳥羽パールタウンという建物内に入る専門店)、店でも勧められた賢島(かしこじま)を目指すことにしました。賢島はホテルのほか真珠の工房や販売店があったりという感じで、海辺まで降りて歩いたりしてみましたが、特に観光で立ち寄る施設というのはありませんでした。訪れるみなさんは宿泊客でしょう。その後、賢島を去ってから、偶然ですが気になる場所を見つけ、それは「横山展望台」というスポットでした。ここまではさすがに調べもできずに、ドライブを進める中でたまたま看板で見かけて、時間も押してはいましたが、行ってみようと思い寄り道をしました。

行って良かった、素晴らしい光景です。岩手三陸のリアス式海岸とも違う何とも穏やかな光景。毛細血管のように海が入り込んでいます。これはぜひ、伊勢志摩に来られた方は立ち寄って欲しいビュースポットですね。伊勢神宮の頃にはどんよりし強風が吹いていましたが、午後からは好天となり、気温は低めではありましたが、良い眺望に恵まれました。

そこから。。。その日の予約は南紀白浜の温泉宿だったんですが、夕方が近づく時間帯でまだこれから250kmあります。しかもグネグネ道で。。前日もでしたが遅めのスーパーに寄って値引きされた惣菜を買い、遅い時間に晩酌をするという形の旅行になり、一人旅ですし居酒屋に寄ったりはしませんね。また結局時間が遅くなってしまうので、夕食をどこかの店で食べるということもなく、急いでまずはスーパー、そしてホテルへという流れになります。でも伊勢から白浜へ向かう海辺の景色は入江がとても綺麗で楽しめました。途中からは内陸部になり、暗い夜道を走り続けます。

2日目の夜は温泉大浴場のあるホテルで部屋にはバストイレなしのタイプの5千円クラスのホテルでした。今回はすべて朝食付きでしたので、ビュッフェ形式で量もついつい食べてしまいがちで、お昼は逆にドライブの友の飲み物とおやつで済ませながら車をひたすら走らせるというスタイルになっておりました。

 

南紀白浜の海岸

翌朝の白浜の海岸です。紀伊半島の南西部のかなり深い場所ですね。岩手沢内から車で来た地点としては最も遠い地点といえます。砂浜もまさに白くて綺麗です。この景色から左へ向きを変えると、リゾートホテルが立ち並んでいます。関西エリアでは人気の観光地ではないかと思います。

 

南方熊楠記念館

この地域での目的は南方熊楠記念館です。岬の先端にあたる部分に建っていて、観光と兼ねるにも良いロケーションです。熊楠を知る人は寒天の仕事人の中にも結構いて、昭和天皇に粘菌を菓子の箱に入れて送ったとか、ロンドンの大英博物館を出禁になったりとか、知っている人もいましたね。われわれ人文思想系をやった者としては、粘菌学者という狭い範疇の人でなく、森羅万象に渡る現象物の観察の積み重ねから得られた壮大な世界観を提示しようとした知の巨人、というイメージになります。昔、中沢新一氏の『森のバロック』を読んだこともありましたが、8年くらい前になりますか、子どもたちと山形市の博物館へ「熊楠と粘菌の世界展」をお盆頃に見に行った時の印象も強く残っていました。例の菓子箱も山形に展示されていましたし、粘菌についてかなり詳しく紹介した動画も放送されていました。学芸員の方がとても親切に詳しくそばにいて解説してくれたこともよく覚えています(あまり他にお客さんもいなかったので)。

 

熊楠記念館の屋上テラスより

その熊楠記念館の屋上テラスからの眺めは素晴らしいものでした。ぐるっと周囲が見渡せます。位置的には四国の南部、高知とかと同じくらい南です。太平洋に面しているという点では関東も同じかもしれませんが、やはり遠くに来て南に張り出した土地で太平洋を見ている感慨はありましたね。

 

京大水族館

すぐそばに京都大学の水族館を見つけ、入館しました。熊楠館と両方入ると記念品がもらえるということで、箱の中から磁石で吊り上げた景品は、若き熊楠と南方マンダラが描かれた缶バッチでした。貴重なものです。説明を加え、中3の娘に渡しました。

ここから田辺市内にある熊楠の住んだ住宅を目指し、渋滞とナビがあってもわかりにくい路地をぐるぐる回った後に到着しましたが、校外学習に来ていた小学生が走り回っていて、また入館料もかかるということで、外観と庭を眺めてから立ち去り、次のメインの目的地である大阪の万博公園を目指しました(吹田市にある1970年の万博の記念公園です)。寒天の仲間と合流する予定でしたし、時間ももったいないので高速を使い2時間走りました。

 

太陽の塔正面

大阪市内も高速でビュンビュン走るため、渋滞はありませんでした。予定通りに駐車場に着き、寒天仲間のリュウちゃんと共に太陽の塔へ向かいました。いちおう写真は撮りましたが、写真からは実物の感動は得られません。実際にここに立ち会うことで、この70mの塔の凄さ、岡本太郎の凄さを感じることができます。

 

太陽の塔内部

内部は、生命の進化の系譜がモニュメントとして造形されています。これは後から作られたものでなく、万博の1970年当時からこのような内部になっていたのですね。そうした地球上の万物を包み込んだ象徴として「太陽」がここに聳えているわけです。こうした地球規模の発想は南方熊楠に通じますね。2人の巨人は同じ魂を持っているように思います。同じ日にこの2人の巨人の足跡を見たことは貴重な経験になりました。

階段で2階以上に上がっての写真撮影をしたい人は500円払って、たすき掛けにするスマホのホルダーというのを借りなければなりません。多分このモニュメントを上の階で撮影しようとしてスマホを落下させた例があるのでしょう。下にいた人には危険な話ですよね。随所に案内係さんがいましたが、この写真の箇所で、この首長竜だけは万博以後一度もこの系統樹の幹から外されて下に降りたことはありません、ここは写真を撮る絶好のスポットですよと教えてくれました。500円払ってホルダーを買った人だけに教えてくれているそうで、撮影しました。

 

太陽の塔内部の進化の図

わかりづらいですが、系統樹モニュメントのスケッチになります。

 

太陽の塔の腕の内部

そしてこちらは太陽の塔の左右の腕の部分です。このように頑丈な鉄の骨格が塔を支えていて、これはかなりの工事ですね。当時の製作費で6億3千万円かかったそうです。

 

太陽の塔後ろ

太陽の塔を後ろから見ると、こうです。黒い太陽と言われています。顔の部分はレンガが張り詰めております。この顔含め外装に3つの顔が描かれています。

 

地底の太陽

4つ目の顔になる「地底の太陽」は内部の1階にあります。

この後、塔を出て、同じ万博公園内にある国立民族学博物館を見て歩きました。結構広く膨大な展示品があり、じっくり見るには時間を要します。とにかく世界中のあらゆる展示品が並んでいると言う感じです。閉館までいましたが、まさに万博、熊楠含め広い視座の森羅万象を描いた世界観に浸った日になりました。

 

道頓堀川

それからリュウちゃんと車は別ですが道頓堀に向かい、初の道頓堀体験となりました。吹田市から一般道ですが全然混んでいません。大阪は市街部の道路網がしっかりしているようです。そして阪神優勝時に人々が川へ飛び込むのがここなんですね。串カツとたこ焼きを食べビールの生中で乾杯となりました。急遽ですが楽天トラベルで宿を探し簡単に取れましたが、豪華なビュッフェの朝食付きで一人4,500円は安いと思いました(心斎橋地区)。

 

富山のブラックラーメン

翌日からは、目的も終えたので、もう岩手へ帰るだけです。1日じゃ無理なので途中新潟県の上越市にホテルを取りました(こういう計画を寒天従事時に綿密に立てていたわけです)。朝リュウちゃんと別れた後は、もう予定もなくひたすら走るのみです。京都は清水寺のそばを通り、琵琶湖西岸の道を北上し福井県に出て、石川、富山、新潟と距離は長いです。夕方に富山市内でブラックラーメンを食べ、スーパーで富山名物のナルトを買って、上越市へ向かい、最後の宿泊、そして翌日仙台市内で長女と「北京餃子」で中華を食べてから、後は高速で帰宅しました。名物を食べたのは道頓堀の時とこのラーメンだけですね。伊勢神宮では店の並ぶ場所で「伊勢海老コロッケ」と「松坂牛コロッケ」を買い車で食べました。確かに味はそれっぽい感じでした。伊勢神宮では「伊勢うどん」を食べるのが慣わしだそうですが、何となくこういう観光地の店には入れないタイプなんですよね。人も並んでいたし。去年、神戸の市内で昼時に神戸の中華街にいましたが、ウロウロ歩いたものの、なんか、結局入れませんでした。

大阪へ行かれる方は、機会があったら万博公園の太陽の塔を実際に見て、何かを感じてもらえればと思います。そして紀州は熊楠記念館に立ち寄られた時は展望テラスからの眺望がおすすめです。本当は熊楠も闊歩した熊野の森も歩いてみたいところですが、熊野古道も那智の滝も行けませんでした。那智の滝など本当に最南部の深いところにあるのです。もう紀伊半島に踏み入れることはないかもしれません。が、寒天の仕事をしていなかったら、去年の神戸も、その前の年の合掌造りや佐渡ヶ島もなかったことです。大学生の子どもたちには探究心と好奇心をといつも言うのですが、知らない世界を見聞することは何かしら仕事や生活面でも影響を受けますよね。しばらくは東北管内で登山をメインに休日を時々設けたいと思います。

 

大雪のハウス

まずはこのドカ雪でハウスや建物に被害が出ないよう対処しながら、事務作業とたらの芽の生産に励みたいと思います。積雪がここまでになるのは久しぶりで、これから気温が高くなるらしいのでそれを期待し、シャッターを開いて除雪機が出せるようになったら、まずは作業場と住宅を行き来できるように払いたいと思います。玄米在庫もだいぶ減ってきており、いまはその作業場からの山を乗り越えて玄米を出荷ごとに個別に運んでいますが、もうじき玄米在庫も尽きますので、同じ冷蔵庫に氷温で貯蔵している籾を住宅の方に設置している籾摺り機械まで全部運び込んで玄米にする作業をしたく、そのための除雪機除雪のタイミングを待っています。次いで、ハウスの方の水稲種まきと育苗のためのビニール掛けのためのハウスの除雪となり、それは春一番の外作業といえますね。室内では並行して種籾の塩水選や水漬けがあります。

とはいえ、それは1か月後の作業ですので、その前にいまはたらの芽準備が課題で、3月中旬の出荷開始を目指して準備を進めたいと思います。

 

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寒天作りの日々

庭の風景

新しい年になり気分も新たにというところですが、全く昨日と同じ寒天作り、テングサの煮込みとクレーンでの濾過作業、煮汁の注入と包丁での切断、のくり返しです。これまで雨が続いたりしそうな気候の時は釜の煮込みを休止し休日になることもありましたが、今年は気温が低く雨が続くような気象でなくて、ひたすら生産が続いております。

写真のようにカイリョウと言われる台の上で、生天が寒天に自然に進展していきます。

 

天出し

天出しと言われる光景です。青いモロブタと言われる容器にわれわれが煮たテングサの草を濾した煮汁(ノリと言う)を注入し、3時間後くらいで固まってトコロテンになったところを21に切断して現場(庭と言う)に運び、バトンタッチ、そこで10数名の庭の担当がカイリョウの上にヒョイと載せていくのです。

 

釜

釜で草を煮ています。ガンガンに沸騰させた状態で草を種類に応じて順番に投入して煮込みます。煮込みながらグルグルと全体が対流することが大事で、火加減は重要です。沸騰による対流が止んでしまうと草は底に張り付き、焦げたり、爆発的に噴出し惨事となります。恐ろしいくらいにグルグル波打って対流している方が安全で煮込みとしては正解です。

休日があり車で旅に出たりできればまた写真や記事を掲載できますが、休みなく働いておりますので、あまり書くこともありません。深夜からの長時間労働のため、休憩である13〜16時はひたすら身体を休め、体調には万全を尽くします(この時間帯が休憩でありうるのはあくまでトラブルなく煮込みまで無事完了した場合のことです)。晩酌もしないので、家にいる時の日々のアルコールを抜く良い機会であります。

ちなみに、このように書くと労働基準法とかに違反していないかなどと思われるかもしれませんが、天候次第で連続の勤務がありうることは労働基準監督署にも届けられているようです。まあ農家も同じですよね。そういう天候次第の事業に雇用されていて、しかもわれわれは泊まり込みで暮らしており、休日があっても家のことができるわけではないし、休みなく働くのがちょうど良いのかと思っています。

いずれあと何日、だとかあと1/3だとか思わないことですね。日々を淡々と生きる。目の前の今日のことだけ考える。始まれば、終わる。先のこと未来のことなど想像せず、いまのこの一瞬だけを見ること、でしょうか。早く期間が終われと念じることは、逆に自分を苦しめるだけですね。かつてトヨタの期間募集に行った時もまあかなりキツかったし、同じようにそうした環境で帰省できる日を指折り数える方も多いことでしょう。当時の自分がまさにそうでしたし、共感いたします。

とはいえ、勤務が終わって帰省する時の何泊かのドライブ旅行は最大の楽しみですから、Googleマップや楽天トラベルなどを見て休憩の時を過ごしている次第です。

2月10日頃までには帰宅になると思います。その節はまた宜しくお願いいたします。

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しばし長野からの通信です

煮込み中

毎年11月の最終週より、長野県茅野市で寒天作りに従事することが慣例になっていて、今年も長野へ渡り、12月になったいま、寒天煮込みの作業が本格化してきています。

深夜11時から、釜から舟へ蒸らし中の内容物のクレーン移送、布と竹のフィルターで濾された煮汁の濾過とモロブタへの液の注入、3時間かけ冷めて固まった天の切断と庭への運び出し、そして次の草の運び上げと釜への投入煮込み、エアによる攪拌。。これで夕方になり短い就寝、そして23時よりの舟へのクレーンでの移し替え、のくり返しです。

 

初の天

モロブタに注いだ煮汁(ノリと言う)を固まったところで切るまでが釜の仕事です。1日に320枚以上切ります。今季初の天。それをフィールドに運ぶと庭仕事の人たちが田んぼに作った施設に並べていくのです。

 

茅野からの北アルプス

市内からは北アルプスが遠望でき、左には穂高連峰を、そして深淵なる怖れを抱かせる大キレット。右には松本ではお馴染みの常念岳が鎮座し、大キレットに右手写真のど真ん中には盟主槍ヶ岳の穂先が天を突いています。ズームなので解像度がは悪いですが。

 

赤岳天狗尾根

さて岩手からの旅程です。今回は高崎市で泊まり佐久方面から長野入りし、小海線沿いに八ヶ岳を南から眺めつつ国道を走りました。赤岳に続く天狗尾根が見えます。昔、秋の平日に一人での山行で赤岳から南へ縦走し、誰もいないテント場で夕暮れを迎えた時に間近に見えたゴツゴツした天狗尾根。これには何とも言えぬ荘厳な感じを受けました。

 

今期初富士

しばらくして富士山が顔を出しました。今年の1月1日も釜が休みでこの辺りに来まして、そして夕方帰宅後に能登の地震が発生した日でした。

 

恐竜の足跡

高崎市からやや南下して神流川の美しい紅葉を見ながら西へ向かいましたが、途中、恐竜の足跡ということで、立ち寄りました。

 

ぶどう峠

恐竜の里神流町を過ぎて、群馬県上野村へ入り、険しい山道を越えて、ぶどう峠に到着です。長野県へは通常は十石峠を越えるようですが、ぶどう峠という名に惹かれ、全く1台も対向車とすれ違わなかったこのコースを選択しました。ぶどう峠が何となく記憶にあったのは、バイクのツーリングのマップにあったのを覚えていたんでしょうか。コーナーを攻めたい人には格好のコースです。道幅はとても狭く、すれ違いは大変そうでした。

 

ぶどう峠の祠

ぶどう峠直前には祠がありました。この近くは私が23歳の時の8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落の現場になるようです。御巣鷹山がどれかはわかりませんでしたが、当時事故を受けて出動した捜索隊はここぶどう峠を目指し登ったという記載も見ました。

ところで、釜の担当になると、午後1:30〜4:15までは煮たテングサの蒸らし時間で休憩となり、SBCテレビ(TBS系列)のローカル情報番組を見て過ごしています。たまに素晴らしい企画に会うことがあり、12/11の大鹿村在住のドイツ人女性ウーテ・ヴォルフさんを訪ねる番組は良かったですね。

子どもの頃から日本文化について書かれた本を愛読していて、終戦後ベルリンの壁ができたことをきっかけに、日本への憧れが大きく高まって、移住して、大鹿村で陶芸作家の日本人と結婚し、陶芸で生計を立てながら自給自足の暮らしを続けてきた80歳を超えた方でした。

電気と電話(黒電話)はあるものの、ネットの電波環境もなく煮炊きや暖房は薪で、ガスや灯油などもない、山から引いた沢水を使った古民家での、いまは一人暮らしの生活です。水墨画を描かれ、思索に満ちた日々を送っておられ、そのたたずまいに感銘を受けました。

「感動」と「畏怖」という言葉が自分の好きな言葉で、逆に「便利」と「文明」が好きでない言葉だそうです。そう話しながら水墨画風に筆で描いていました。

大鹿村には何度か訪れていますが、こういうお婆さんがいらっしゃったとは、です。バイクでも3度くらい、そして寒天に来てからも一度訪ねました。茅野からは杖突峠を越えて高遠に入りずっとそのまま細い国道を南下するのですが、途中冬季通行止めになっている箇所があって、いったん伊那谷の本線に降りないと行けなかったと思いました。

ウーテさんの取材番組は良かったですし、訪れた芸人さんも悪くはなかったですが、もう少ししっかり時間を取って掘り下げて、彼女の思う世界や自然に対する畏怖や感動の心のありようを掘り下げてほしかった気がします。

機会があればこの方を訪ねてみたいと思いました。ドイツの人としてブルックナーの音楽観やハイデガーの自然観など、堪能な日本語でお聴きしてみたいものです。

 

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晩秋の西和賀と秋田への小旅行

りんどう片づけ

比較的暖かい秋で好天に恵まれて、りんどうの出荷とか稲の脱穀作業が終わった後のいわゆる秋仕舞い作業も順調に進みました。好天はハセ掛けの稲にも良い環境だったと言えるし、何よりも秋に作付けをしたにんにくと小麦がこれまでにないほどの良い生育となっていて、大変ありがたいことでした。とはいえ、秋仕舞いも結構な量があり、数日で決着が付くものではありません。

いちばんが、りんどうの片づけです。残った残茎を、十分に枯れてから草刈機で刈り払い、花の収穫車で通路を歩きながら丁寧に集め、軽トラで捨て場まで運んで捨てます。雨降り後は濡れて重くなっているのでやりません。また刈り払い時にりんどうが濡れていると刈り刃を通じてウイルスが伝染することがありうるので、乾いているときに刈ります。主に午後1番の作業で刈って、1品種2日くらいかけて運び出します。これが終わらないうちに雪が降ってくるとネットごと雪に乗っかかられて、支柱が折れます。。

お盆の早生品種はもう完全に枯れて軽くなっているし、ボリュームもないので、ネットを重ね、りんどうがまだネットに引っかかって立脚している状態で刈り払い、そしてネットから取り外すようにしながら集めます。彼岸品種はボリュームもあり、背丈もうんと高いので、まずは半分ほど手で追って(いわゆる花茎取り作業)いったん集めて運び出し、残りは半分サイズになった状態で自力で立脚できるので、ネットを完全に外して、その残って立っている残茎を刈り払って、運び出します。

今期で廃園にするりんどう圃場は、強引にネットを外し、支柱も全部抜いて、倒れたりんどうの茎を丸ごとトラクターですき込んでいきます。今年は極晩生のつい最近まで収穫していた生々しいりんどうを潰したので、耕耘は2回かけて埋め込みました。小麦畑の緑肥のすき込みと同じような作業です。

りんどうが濡れているような時は他の仕事を進め、たとえば脱穀後に残ったハセの紐を解いて横棒(ホケ)を解体し、軽トラの荷台で集めて、収納している小屋の2階へ搬入します。これもけっこうしんどい仕事です。ただ、空中戦の作業になるため、仮に積雪があっても進められる作業ですので、りんどうの片づけのような地際の作業が優先です。ブルーベリーや他の庭木果樹等の雪囲いもあります。ビニールを外して骨組みだけになったパイプハウスの下の方の横パイプとビニペットも雪で曲げられてしまうので外します。

 

2024年取り込んだタラノキ

タラノキも11月になれば完全に写真のような1本の棒状態になるため、ノコギリで伐採して集め、作業場に収納します。伐採するときに、来春芽が出る場所は既にわかるので、地際から2芽くらい残してその上で伐採します。上の状態で2月まで置いておき休眠が覚めるのを待ちます。寒天仕事が終わった頃には芽吹きを開始できる時期になっています。

 

カボチャのアップルパイ

小麦の作業も完全に終わり、製粉するものは製粉し、玄麦はそのままに例年のように10月末で注文を締めさせていただいて、残った在庫を秋田市の窯ベーカーカボチャさんに納入します。いつもは取りに来てくれるのですが、今年は店が休みの日も忙しかったようで、私が届けました。カボチャさんは秋田市南部の河辺町にあり、有機の小麦だけで、しかも全部薪窯で焼いているお店です。カンパーニュを販売しているのですが、サイドメニューとしてアップルパイ(写真)が非常に美味しいです。パイ生地は南部小麦全粒粉で仕込んでいるそうです(1個450円くらいでした)。

 

秋田大学鉱業博物館1

さて、せっかく秋田まで来たので、前から気になっていた秋田大学鉱業博物館へ出かけてきました。秋田大学には鉱山学部という学部があって、それに付随する施設になります。膨大な鉱物が陳列されてあり、解説は専門的で、とても全てを熟読することはできそうもありません。素人にとっては鉱物の魅力をさっとなぞるということしかできませんが、それでも十分な時間、石の世界に浸ることはできます。一番下の子が小学生だった時はこの近くのアスレチックの公園や、男鹿に足を伸ばして水族館ガオなどにも行きましたが、いまはそういうこともなくなってしまいました。帰り道に横手のまんが美術館で矢口高雄展を見てその直後に氏がお亡くなりになったのももう3年くらい経ちましたか。。さすがにこの鉱業博物館は小学生では飽きてしまったかもです。

 

秋田大学鉱業博物館2

この前の2月の寒天出張からの帰りには新潟の糸魚川でヒスイを購入しましたが、そうした縁がある鉱物は、グッと身近になります。

 

秋田大学鉱業博物館3

出口にある土産コーナーでは、化石を販売していました。レプリカなどではなく本物だそうです。我慢ができず、アンモナイトと三葉虫を購入し末娘にあげました。時々取り出して観察したりデッサンしたりして欲しいものです。2つ合わせて3,500円くらいでした。

 

モナカイベント出展

さて、11月16日には、盛岡市中心部にできた話題の商業施設「モナカ」で、当園にも年に1度農業体験に学生が訪れる盛岡の専門学校と共同で、西和賀物産展が開催され、私も亀の尾とササシグレを持参し販売してきました。こういう機会はあまりなく、米などそう売れるものでないのですが、にんにくがとにかく今年はダメでしたので、仕方ありません。秋仕舞いもだいたい目処がついていたので、楽しんできました。パッケージや台に置くポップ的なものなどよくわからずに、ゼロからの勉強の機会でした。

 

モナカアイアンのテーブル

一緒に参加した町内の鉄アート作家「山のうえアイアン」も素晴らしい展示をしてくれていました。長女にブローチを購入。チタンだそうです。

 

アイアンの鉄工スタジオ

そのアイアン宅に初めて訪れて来ました。旧湯田町内の左草という地区に住居を得て、付随する小屋は作業場になっていました。王国が準備できました。ここでどのように自分の創作の世界を展開してくれるのか、わくわくします。中央に見えるのは手作りの薪ストーブです。右奥には何かプレスに関する大きな機械がありました。

森林資源の豊富なここ西和賀町ですが、他に木を扱うクラフト作家さんも数名います。森林や木の活用に関心を持って協力隊として入植した人もいます。そうした仲間たちと共に、森林資源を価値を持った商品として活用したり、また山そのものの保全・治山とか環境面の啓蒙活動的なことも展開していきたいといった将来の目標の一端もアイアンは話してくれました。私たち農家は冬は仕事ができにくい期間になりますが、クラフト作家さんは冬に精力的に創作活動を行い、夏には森や田畑を相手に暮らしていく、そういう二刀流が成り立ちますね。われわれ農家も室内の加工を取り入れればそれはできるのですが、そう簡単にはいきませんよね。食材の提供までしか現状では当園は行えず、その分他の希少な食産業への従事ということで2か月の寒天出張を取り入れたりしています。ここでお酒造りなどができるようになれば年間を通して地元での活動ができるわけですが。。

 

フユイチゴ

秋仕舞いが終わって、りんどうの草取りを行っていましたら、2年前に植えたフユイチゴが実を付けていました。本当に冬のイチゴだったんですね。今年は秋が暖かかったから生育が良く、根雪の前に実がなってくれたのでしょう。たぶん普段の年であれば気温が足りずに、実をつける前に雪の下になっているのではと想像します。

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稲作が終わり新米の季節へ

稲刈り2024

7月と9月に大雨があって、多雨多湿の2024年夏でした。気温は高かったと思いますが、晴天の印象が薄く、天候的には恵まれたとは言えないシーズンだったでしょうか。切り花りんどうなど園芸品目に病害が出て収量を落としましたが、いつもりんどうとお米は反対になり、今年の稲作は、大雨にもめげず病気にならないで平年よりは多収であったと思います。9月には雨が多かったものの、幸い稲刈り時期の下旬は田も割合乾いていて、去年のようにバインダーが進まないということはありませんでした。もちろん水のある中を用心して刈り進んだ箇所はありました。

 

稲扱き2024

脱穀の時期は割と秋晴れが多くて、今年は良い稲扱きができたと思います。とは言えこちらは気温の低い地域ですから自然乾燥に適しているとは言い難く、外のハセで15%まで水分を下げるというのは厳しいですね。三陸沿岸部とかで遅くまで掛けている風景を見たりしますが、長期間掛けていれば干せるだろうと思われますが、そうもいかなくて、特に11月に入って冬型の気圧配置になってくると、気温も低く小雨が多いぐずついた気候になってきます。籾の水分も下りはしません。10月中の取り込みは必須です。

 

ハウス稲の脱穀2024

そんな地帯ですので、この18間のハウスにも稲を掛けています。4mパイプ4段2連結が2列です。麦の乾燥の時は夏だし真ん中にもう1列作りますが、秋の稲の時は風通しの悪くなる中央部は設置せず2列で行います。それでも4段の下から2・2・1・1の束を掛けますし、ハーベスタに付けているメッシュのコンバイン袋ですが、ここから8袋穫れました。

 

わらカッター2024秋

外に干した通常の稲の脱穀後のわらは畜産農家さんに持って行ってもらいます。そしてこのハウスに掛けたわらについては、わらカッターで田んぼに戻します。ハウスには亀の尾を掛けていましたので、背も高くて効率が良いです。この意味でも長稈品種は助かります。ただ、このわらカット作業は結構体力を消耗します。通常田んぼは水を張っていて平面であるというイメージがあるかもしれませんが、それは慣行の農薬を使う人の田の話で、われわれは何度も除草機かけで田の中を歩きます。長靴の足跡で条間はボコボコになっています。なのでバインダーで刈る時もぶれそうになる動きを制御しながら刈っていきますが、バインダーはエンジンで走行します。このわらカッターは自走せず、エンジンは藁を切断し飛ばすための動力です。タイヤは一輪車に付いているようなタイヤで、自分で押して動かすので、これでわらを田の中で均一に散らかるように移動したり角度を変えたりして飛ばすのは結構力がいるのです。ちょっとした長靴の凹み跡でももう前進できません。むしろ移動は引っ張ることで行います。小さめの田で2枚に散布しました。ハウスに掛ける稲は5〜6アール分の稲なので、わらの量の入り具合は薄めになりますが、やはり毎年少しずつでも田んぼに還元したいものです。ハセ掛け栽培は稲わらを持ち出してしまうので。。

 

小麦の中耕除草

天気の良い日には小麦畑の中耕除草をします。今年は40cm間隔で播種しておりましたが、管理機とちょうど合っているようです。秋のうちに一度こうして除草しておくことは大事です。雪解け後の5月頃にも2度目を行いますが、やはり雪の押されて土も硬くなっていて、それほど綺麗に土が飛んでいかないのです。

 

南部小麦10月27日

10月27日の播種後約1か月後の南部小麦です。今年の秋は高温傾向だったため、秋に植え付けをするこの小麦やにんにくはとても生育が旺盛です。いつもとは違います。ああ、同じ岩手でも東北でもここより気温の高い場所は多いというかほとんどなので、みんな当たり前のように秋にこれくらいの生育になっているんだ、とつくづく感じます。こちらではそれが今年限りのラッキーな状況だということですかね。小麦の場合寒冷なのは悪いことじゃありませんが、早い根雪で年内の生育が早く終わり、遅い雪解けで春の再開が遅れることは結構ではありません。要するに雪がネックになるのが小麦栽培で、春先の雪腐れ病も原因は雪です。

雪腐れ病の対策は、連作をしないことと積雪前の年内の生育をしっかり充実させること、のようです。小麦と輪作できるのはにんにくくらいですが(あとは玉ねぎとか)、小麦と同じ面積のにんにくを交互に作付けするわけにもいきませんし、小麦の連作になってしまいます。そこで刈り取り後と次の播種の前の2か月余りの間にマメ科である緑肥のクロタラリアを栽培し、ある程度生育したところをトラクターですき込んで腐熟化し、小麦を播種するという形をとっています。マメ科を挟むことで連作の回避の意味と緑肥のチッソ分補給の両方を兼ねるのです。また、今回は、南部小麦よりも晩生であるアリーナの方を先に播種しました。ヨーロッパ原産のアリーナは南部小麦よりも雪腐れに弱いです。これは他のライ麦とかスペルト小麦などヨーロッパ小麦にも言えることで、まだアリーナは良い方ですが、それでも南部よりは危険なので、年内の生育量をしっかりキープするためには、早く蒔くということが大事になってきます。

前回も書きましたが、小麦播種は稲刈りと重なります。天気が良く土が乾いている時は稲刈りよりも小麦播種を優先します。ちょうど田植えが代かき後雑草の種が動き始める前に早く行うというのと同じで、小麦畑を耕耘ししかも土がこなれているうちに素早く播種を行う、できれば耕耘当日か翌日に、というのが鉄則になります。

 

焼石岳

いまはそんな激しかった繁忙期も終わり、一段落ついて秋仕舞いの時期になりました(とはいえ今度は雪の心配をしながらで、決して楽な時期というわけではありませんが)。それもごく最近からですが、ちょうど稲刈りが終わって、稲扱きにはまだ時間がある10月17日、かねてから計画していた焼石岳への紅葉登山をしてきました。

焼石岳はここ西和賀町に接する南本内岳から縦走すれば近いんですが、一般向けのコースじゃないので、初めてのコースで一人登山ではちょっと抵抗があり、ぐるっと胆沢ダムの方へ回ってから中沼のコースで登りました。胆沢ダムから登山口までの林道は結構な悪路でスピードも出せず、しかも紅葉の時期なのでもし駐車場が満車だったらどうしようとの心配もよぎります。その意味でその直前の3連休は天気が良かったものの入山はやめて農作業に専念し、新米時期限定の早期脱穀を行い新米を準備することができました。17日は紅葉もピークの好天の日でしたが、平日だったため、駐車場が満車ということはありませんでした(朝7時頃到着で3〜4割の駐車あり)。

 

中沼

地元じゃなく胆沢ダムからのコースにしたのは、紅葉の池を見たかったというのもありました。登山開始からすぐの中沼です。

 

上沼

やや進んで上沼。ここも素晴らしい紅葉です。

 

銀明水避難小屋

避難小屋があります。銀名水という湧き水のところです。避難小屋ってとても魅力的です。前にも書きましたが、予約も要らず値段も安い(あるいは無料)。2段ベッドが組み込まれてあってシュラフと食事の準備はもちろん必要ですが、快適に休めます。そんなに混むこともない。ただ、この場所は登山口から2時間くらいだし、焼石岳自体が日帰りの山ですので、よほど想定外のトラブルとかがない限りはなかなか利用する機会はなさそうです。6月に訪れた朝日連峰の以東岳の避難小屋は山頂近くで、大鳥池のコースで登山口から6時間。早朝に家を出て9時頃から登り始めて到着は夕方。ちょうど良い場所ですね。この以東岳も日帰りする客がいて、かなり強行になります。そのような方は前夜とかに登山口まで乗り入れて車中泊し、早朝から登り始めて日帰り登山をするのですが、そういう山行をするよりは、私は早朝に家を出て、そして山中で小屋泊をする、ということに惹かれます。人の多い関東の有名な山ではなかなかできませんが、東北の静かな山だからこそ、避難小屋を使って夜も昼も山を楽しみたいものです。

 

銀明水

こちらは銀明水という湧き水です。昔からある名水のようですね。中央に見えるパイプ?のようなものはなんでもなく、石の左下から流れてくる水をその出口の箇所で掬って飲みました。よくわかりにくいですが、木の踏み台みたいなものの右側は水の流れになっています。帰りに2L汲んで家でコーヒーや米の水に使いました。

全くの余談ですが、9月のNHK交響楽団の定期でブルックナー8番の「初稿」での演奏会があり、FMとテレビ番組とで放送がありました。指揮は現在常任のファビオ・ルイージです。今年は生誕200年ですしね。ビッグイベントです。

ビックリです。大学1年の頃から40年以上聴き続けてきた8番の初稿がこんなだったのか、と。1楽章の終わりが何と大きく盛り上がって終わるし、3楽章の頂点部ではシンバルが3連打!! 個人的にはここでシンバルが入らないハース版よりも1発大きく鳴るノヴァーク版の方が好きでしたが(その後でもう1発入りますが)、3連打は驚きでした。ノヴァーク版が好みというよりは、オイゲン・ヨッフムのブルックナーが好きだったことによります。いや、でもこの初稿は一番好きかもと思いました。発表後も改訂をくり返すことの多かったブルックナーの交響曲ですが、誰の意見に左右されず、まだ自分の完全な好みで描かれた初稿ですから、最もブルックナーらしさに満ちていると言えます。ブルックナー8番はやはり私には松本市での大学生生活の空気感がまとわりついています。10月になれば空気もぐっと下がってきて、湿度もなく、とても稲がよく乾きそうな。そういうヒヤッとした感覚が蘇りました。

しかし最近は、どちらかと言えば5番の方が好みになっています(私の趣味など別にどうでも良いことではありますが、5番には着目してもらいたい気持ちです)。2楽章も美しくて好きですが、やっぱり終楽章のコーダの部分が凄いですよね。ここの金管セクションはものすごい体力を消耗するそうです。金管が旋律を強奏し、弦楽器は完全に伴奏のリズムを刻みますが、この伴奏もまた良いんですよね。最近「カケルクラシック」という毎回ラジコで聴いている番組にゲスト出演した、NHK教育ピタゴラスイッチで有名な「栗コーダーカルテット」の一員の方が、自らの思い出深い演奏として東京カテドラルで行われた朝比奈隆の5番を挙げて、そのコーダ部分が放送で流れましたが、これもまたテンポも雄大で迫力でした。あまりに凄い演奏で、終演後誰も拍手を打ち鳴らせず沈黙が続いたそうです。オケは大フィルでなく東京都響だったように思いますが、CDで見つけることはできない特殊な音源なようでした。5番も朝比奈、ヨッフム、チェリビダッケの3人のライブ録音をよく聴いています。東京へ上京した最初の年に朝比奈/大フィルの8番を東京文化会館で聴き、バチバチと照明がショートする銀座線に乗って三軒茶屋から上野まで行きましたが(外苑前で乗り換えだったか)、その時は比較的早いテンポで進んでいましたが、生まれて初めての生の8番は感動的でありました。これが唯一の朝比奈体験でした(ハレー彗星の来た1986年です)。ちなみに、8番のヨッフム/バンベルク交響楽団の東京公演は大学生の頃に帰省中の広島でFMの生放送で聴き、これも凄い名演で、わなわなと震えました。NHKホールだったでしょうか、CDで持っていますが、私には8番のベストの演奏です。最後の3音の微妙にためながらの終わり方にもしびれました。東京へ出た年には、朝比奈だけでなく、実はヨッフムも来日していました。しかも確かすぐ近所の昭和女子大学人見記念講堂へ来たのに。。お金がなくて行けませんでした。まだサントリーホールができる前で、この人見記念講堂が日本のベストのホールとされた時期です。ブルックナー7番だったと思いますし、CDにもなっています。まだ未購入ですが、聴きたいですね。

後に、サントリーホールには出版社にいた頃にマーラーの「大地の歌」を聴きに行きましたが、オーケストラの大音量で歌い手の声が掻き消えた箇所があり、それは少し残念でしたが、マーラー自身この曲を耳にすることなく亡くなってしまっているので、オケと歌手の音量のバランスがわからなかったのかもしれませんね。オケの編成は確かに大きかったと思うので。

NHKホールにもよく行きました。1,000円の当日券D席で、会社を早めに退社して、確か6時頃から当日券発売だったような。。コンサートでは珍しいマーラーの3番や、記念碑的な8番もここで聴きました。両曲とも10年に一度くらいの稀なる演奏会ですね(地方では皆無で東京でですね)。マーラー8番の「千人の交響曲」を聴く機会など一生に一度でしょうから、貴重な体験でした。神保町の洋書屋さんでレクラム文庫版の「ファウスト」原書を買って、8番の歌詞を追ったものでした。最後の「hin an!」「上へ(天上へ)!」のラスト、懐かしいです。タムタムが一発荘厳に鳴り響き、終結する。この初演の時は当代の作曲家や指揮者はむろん、ホフマンスタール、シュテファン・ツヴァイクやトーマス・マンも会場にいたという話です。音楽のイベントが歴史的事象になった出来事と言われました。このマーラーの8番、出だしも強烈で、「Veni creator spiritus」(来たれ、創造主なる精霊よ)、でいきなり有無を言わさず引き摺り込まれるわけですが、当時就学以前の幼少の子どもたちに冒頭を聞かせながら、この意味をどうやって教えよう、「おいで、世界を作った妖精さん」で始まるんだと伝えたことも、懐かしい思い出です。

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2024年秋作業繁忙期です

アリーナ脱穀前乾燥中

今年の夏は梅雨の頃から雨が多く、梅雨明け後の晴天もそれなりにあったかもしれませんが、あまり記憶になくて、日照が少なくとにかく湿度が高くムシムシした夏、という印象が強いです。9月の10日頃になってようやく晴れ間のある時にカラッとした空気になってくれた、という感じです(とはいえいまはひどい雨降りになっておりますが)。ハウス内で乾燥を続けていた南部小麦とアリーナ小麦ですが、なかなか水分が落ちず、現在は写真の束の段階から脱穀、そして籾摺り機による選別も終え綺麗な玄麦ができているのですが、メッシュの袋に入れてハウス内で追加の乾燥を続けているところです。水分計での計測はその時の外気の湿度に影響されるので、湿度が高い時は水分も高めに出る傾向もありますし、実際湿度が100%であればどんなに風を送っても乾燥はしてくれないと思います。とはいえ、これから空気も変わってきますので、秋晴れっぽくなってくれることを期待しています。今年の小麦も宜しく願いいたします。なお、製粉しての出荷は、ある程度注文がまとまってからの発注になりますので、晩秋の頃になるかと思います。

 

クロタラリア

小麦の栽培に当たり、近年取り入れているのが、豆科緑肥のクロタラリアの栽培とすき込みです。小麦刈り取り直後の7月15日頃、すぐ耕耘しクロタラリアを播種し、浅い耕耘で覆土、そして9月の最初に耕耘しすき込んで2〜3週間寝かせ(腐熟させ)、最終に耕耘し直後に小麦を播種します(9月25日頃)。小麦は肥料を入れないとなかなか育たなく、また特にこちらのような豪雪地では小麦の連作によって雪腐れ病が発生します。小麦に連作障害があるとすれば、アメリカなど見渡す限りの小麦地帯などではどうやって何と輪作しているのだろう、小麦だけの連作以外考えられないんじゃないの、と思わずにはいられませんが、雪が多いこの地方では、雪腐れ病のためだけに、ということでも確かに連作は良くないようです。しかも高温多湿の日本(ここは高温というよりは低温での多湿になりますが)というのは、小麦には不利な条件と思います。

 

クロタラリアのすき込み耕耘

緑肥をいままで深くすき込もうとロータリーを深めにして掘っていましたが、そうすると1度の耕耘ではすき込めず、連続2回掘っていました。今回は浅めに設定して回転を早めてみまして、そうすると1度の耕耘ですき込めました。背丈がちょうど良かったということもあるでしょうが。。あとは小麦播種直前に最終耕耘し播種になり、この時に深めに掘ります。天気だけがいちばんの心配です。昨今のニュースで見るゲリラ豪雨などに見舞われれば、秋ですししばらくは土も乾かず、小麦は種の適期を逃してしまいます。こなれないボコボコの状態で播種しても発芽率が落ちます。今年は7月後半に厳しい大雨が続きまして、山形や秋田で水害が起こりました。その時の気象は日本海側の気候である当地にも影響を与え、ちょうどクロタラリアの播種の直後に当たり、特に粘土質系の畑では水たまりができまして、クロタラリアの発芽不良に見舞われました。南部小麦とアリーナ小麦の2種を作付けしていますが、ちょうど晩生のアリーナ刈り取り後に蒔いたクロタラリアが大雨の影響を受けた形です。

また小麦作付け時期からの逆算で、緑肥は9月アタマにすき込まなければなりませんが、アリーナ刈り取り後のクロタラリアの生育は南部小麦よりどうしても1週間は遅れるために、その分遅れ、背の低い状態ですき込まざるを得ず、緑肥効果としては損をするということにもなります。2か月ちょっとというギリギリの小麦休耕期間に緑肥を育てすき込むので、スケジュールはタイトです。雪のない地域であれば、ゆっくり緑肥を育て、10月の中頃にでも小麦を蒔いて十分育ちますので、これは過酷な条件ではあります。

有機での栽培としては緑肥はとても貴重で大事な要素です。ただ、緑肥は種子代金が結構かかります。また何度も耕耘を繰り返し、軽油代もかさみます。稲など無肥料で、しかも代掻きと合わせても3回のトラクターがけですが、小麦の場合、収穫直後・緑肥播種の後の覆土・緑肥すき込み・小麦播種前の耕耘、で4度の耕耘になり、そもそも収量も販売単価も米よりも低いという、ほとんど常識ではメリットがない作目になります。楽しみの面での生産という側面も確かにありますが、実際は合理性や経営判断で全部を水田にしてしまっても、作業的に大変だし在庫が捌けるほど販売できないかもしれない。また田んぼにできないような条件の悪い畑もあります。稲と小麦は作型が違うため労力を分散できる、といったメリットもあります。有機での麦作はほとんど流通がないし、自分が取り組み続けることは需要に応える意味でも確かに有益ではあります。乾燥ハウス麦束収納能力にも限界があり規模の拡大は難しいですが、現状の3〜4反歩で2品種をという作付けを続けていきたいと思っています。

 

今年の優良にんにく種

8月の末より小麦と同じ作型であるにんにくの植え付けも進めています。今年は年明けの冬、長野県出張中の時期に、杉の枝とかで詰まった水路から水が畑に流入していて、にんにくがダメになってしまう事故があり残念な年になりましたことはお伝えしております。近年、土壌病害やウイルスに侵されていない生長点培養のにんにく種子を専門技術者の方から購入し量を増やしているところですが、この貴重な優良にんにくも水難で量が減り、この秋また新たに注文をし、来年以降に備えました。左はホワイト六片の原種に近い田子原産の品種、右はこの秋よりスタートする山形県の有名な「最上赤」になります。八幡平系統では西根(八幡平市内)の由来の種が追加になりました。あとは休眠が最も深い八幡平系の植え付けを残すのみになっていますが、水難に耐えて生き残った種子りん片はどれも小さく量も少ないです。八木と八幡平については来年夏の収穫物も今後の種使用を最優先することで、出荷に耐えうるサイズのにんにくは来年は供給できないかもしれません。その分、ホワイト六片系統は来年の食用の通常出荷に耐えうる量を植え付けしておりますので、来年はホワイト六片主体の出荷ということで宜しくお願いいたします。

 

彼岸りんどう夜なべ作業

彼岸りんどうの最需要期を何とか乗り切ることができました。市況を見てみて、結果は大体良いタイミングで出荷できたのかなという感じで、最も値段が上がるはずの18日出荷20日販売は出荷量が下降し、値段もやや下がって、これで終わり、になりました。量的には16日月曜日の市場が最大の出荷量になるようですね。当園でもそうでしたので、多分どこの産地も同じと思います。花屋さんは今週の前半に仕入れたりんどうをこの3連休に売っているでしょうが、現在は追加での新たな出荷はもうありません。天気も悪いお彼岸でしたので、売れ行きはイマイチ振るわなかったかもですね。。

今年は全ての作目が前倒し出荷になっていて、彼岸りんどうまでそのように今年の傾向に引きずられました。紅葉と同じで暑い夏だったから逆に開花が遅れるかなと思ったりしましたが、そうではありませんでした。もっとも、前倒しのため、逆に彼岸需要期に間に合わずこれから遅れて出荷されたりんどうが大量に出回る、ということはないわけなので、価格の暴落はないのかなと希望的に観測しています。これからは極晩りんどうの出荷がまだ残ります。とはいえ、今年は高温多湿(当地では主に7月の多雨)により病害が多く、出荷量は平年よりも少なくなってしまっています。お盆の時など7月半ばから開花が始まっていて、日々の管理作業との兼ね合いがちょっと間に合わないよと、とっかかりが遅れて畑にかなり残してしまった苦い経験もありました。もっともムリクリ出荷しても値段はかなり安かった時期です。りんどうは高温多湿に弱い作目ですので、今年のような多雨の夏の状態が今後も続くならば、当地よりも暑くさらに深刻にダメージを受ける地域はより増えることと思います。いつものことですが、米とりんどうの出来は逆になります。なので、米の出来は悪くはないのかと思いますが、どうでしょうか。。高温多湿化の進展で産地が何でも北へ北へと移動していくことになりそうです。米も同じで、新潟はコシヒカリの適地でなくなる日も遠くない気がします。

 

稲2024年9月16日

稲刈りも近づいています。りんどう彼岸出荷が終わったら、稲刈りするか、小麦を先に播種するか、で迷います。いずれまずハセを作らなければダメなので、それが手始めです。土が乾けば小麦の耕耘と播種が優先になります。稲の写真は9月16日の左がササシグレ、右が亀の尾です。水口付近からの撮影になります。いつも気温の低いここでは十分熟せないかな、という極晩生の亀の尾ですが、今年はここでもよく育ってくれました。収量も以前よりも上がっているかと思います。9月中には亀の尾含めて稲刈りが終わるかと思いますし、10月上旬には、ひとめぼれと亀の尾については少量ですが早期脱穀米(17%水分のみずみずしい新米)の出荷をさせていただきますので、その際は宜しくお願いいたします(いつもお買い上げいただいています方々にはご案内をさせていただきます)。

 

2024秋アリーナ播種

どの作業に着手するか迷いましたが、土が乾いていたので、小麦の播種、まずはアリーナを蒔きました。稲刈りの場合、雨の後で土が湿っていても、バインダーがぬかるほどでない限りは稲刈りできますが、小麦播種はまずトラクターで耕耘してからとなりますので、天気の具合を見て、まずアリーナ約17アール分の耕耘と、そしてすぐに播種を行いました。南部小麦よりも晩生のアリーナを先に播種したのは、アリーナはヨーロッパ原産で南部小麦よりも雪腐れに弱かったことから、雪腐れの原因の一つである「根雪となる年内までに十分な生育がなされていない」という事態を回避し生育を少しでも進めておきたいとの考えでした。これで来年の収穫期が早まるというわけではないでしょうが、早く蒔いて、もしかして少しでも早く熟し収穫できるようになれば、その分来年の緑肥クロタラリアを大きく育ててすき込めることにもつながるとも言えます。

しかし播種翌日の昨日9月20日から東北は大雨となり、発芽不良がとても心配されます。どうしても水溜まりが起きてしまうので、種の腐れと流されることが懸念されます。

 

111コーヒー

さて、娯楽面ですが、前から気になっていた町内の「111coffee」に行ってきました。ジャンボスライダーがある焼地台公園内にあり、地元の若者が営んでいます。初めて飲んでみましたが、これはこれまでの中でダントツの美味しさでした! この店のコーヒー豆を買って、自分で淹れて飲んだことはありましたが、全然違う。やはり淹れ方が大事なんですね。本当に感動的な味でした。写真では何かが浮かんでいるように見えていますが、窓の外の何か(木とか)が写り込んでいるようです。お菓子も手作りで、品があり、閑静な公園内だし良い場所があるんだなとつくづく思いました。町内でカフェやクラフト作家、新手の宿泊サービス等での起業の機運が高まっていて、とてもわれわれにとっても励みになる昨今の西和賀です。地域おこし協力隊がらみでの参入者も順調に増えてきていて、われわれ農家もより時代の流れを意識した新しいモノづくりの達人を目指して精進しなくてはなりませんね。

 

八時の芝居小屋

月に1回から1.5回でしょうか、息抜きも必要で、お盆のりんどうが一段落した8月28日、芝居を観てきました。去年はこの時期に月山に登ってきました。「八時の芝居小屋」という名目の小規模な劇で、盛岡の「もりげき」地下のタウンホールで不定期に行われているようです。盛岡まで1時間はかかりますし、行く時にはいろんな買い物や所用をすませますので、時間的には4時頃からの半日分のスケジュールになりますが、たまにはこうした観劇も必要ですよね。小規模な一人独白の短編が3つ4つという感じで大きな感動を得るタイプの回ではありませんでしたが、気分転換になりました。怪談系というかミステリー要素でした。11月にある四季の「ジーザスクライスト」も観てみたいですが、値段的に手が出ないでしょうね。。

「ジーザス」で思い出しましたが、春に出かけ私はとても感銘を受けた「大籠キリスト殉教公園」にお盆に帰省した子ども2人を仙台に送るという機会に連れて行きました。そしてその後には大川小学校の遺構にも。暑い日で大籠で300段の階段を上がるのは結構しんどかったですが、こうした施設を見せることは、経験した私が率先しない限りなかなか本人たちが思い立って足を運ぶということはないでしょうから、まあ連れて行って良かったのかなと思っています。

ちなみに、彼岸りんどうの出荷が一段落した昨日、9月20日は雨だったこともありますが、お昼前に出て、買い物がてら、盛岡で「ラストマイル」を観てきました。時間の余裕があったので、中央公園の駐車場に車を停めて、久しぶりに映画館まで(フォーラム盛岡)まで30分歩きました。ここの道は子どもたちが小さかった頃からよく通っていて、市民文化ホールのオルガンコンサートやら、ランチバイキングやら、映画やらで盛岡市街地へ向かう際によく歩いた道路です。また冬に盛岡の合同庁舎で土壌分析のアルバイトをしていた時も、雪で田沢湖線の電車が止まったりしたときなどに、ここまで車で来て、内丸まで歩いたものでした(約40分)。「ただ歩く」というのは農作業であれこれ忙しなく思案しながら歩くのと異なって、良い気分転換なんですね。傍観者として周りを観察する、という気持ちが心地よいのです。盛岡駅の中を横切って、西口から東口へ、そして開運橋を渡って大通りへ。帰路では途中クロステラスでいろんな地域の産品を眺めたり。冬の盛岡普及センターからの帰り道もそうでした。どんな地域で誰がどのような個性的な商品を出品しているのだろう。とても気にかかることです。ここにたらの芽を出荷していた時もあり、通勤する朝にたらの芽を出荷して、ということもやりました。盛岡へ通ったのは震災のあった年度から7冬でした。

「ラストマイル」から派生していまAmazonで「アンナチュラル」を観ております。面白いです。天気が回復すれば昼間稲刈り、夜りんどう、になりますので、いまだけの貴重な時間です。

 

唐揚げとエビチリ

8月の芝居鑑賞の時、前から気になっていた唐揚げが評判のお店へ寄ってみました(盛岡食堂高松店)。左ですがでっかい唐揚げが売り物です。NHK盛岡放送局のすぐ近くです。大衆食堂って良いですね。右は昨日「ラストマイル」を観る前に入ったエビチリのお店です。盛岡南イオンの近くのホーマック(いまはDCMとかいう?)そばの中華料理店です。PANOPANOというパン屋さん(昔サバの入ったパンを食べ美味しかったです)の路地へ入ってすぐそば、向かいはツルハドラッグです。わざわざ記事にするべきことでもありませんが、どうしてもエビチリが食べてみたくなって、検索し見つけた中華料理店です。大変美味しかったですが大衆食堂ではありませんでした。。私は量も多く食べますし、少なくとも食堂に関しては意識低い系の方が好みです。エビチリが食べられる店はそんなに多くなくて、弁当とかでも見ないですよね。見つけたのはやはりGoogleマップです。PCで一番使っている機能かもしれません。「エビチリ」で検索できるんですね。口コミも拾ってくれたりで。「大衆食堂」とかも打ち込んでおくと高級中華の店が排除されるかと思います。12:40頃の入店でも5分くらい待ったので、人気店ではあったと思います。写真のセットで1,100円でしたが、やはりもうランチも1,000円時代になってしまったんですね。

稲刈りで使う消耗品にバインダー紐がありますが、10年くらい前は1個700円くらいだったと思います(当園ではだいたい15アール分でしょうか)。いまは完全にその2倍の価格になっています。燃料代も上がっているし、お米の値段が上がるのも無理はないかもですね。南海トラフの注意喚起報道がきっかけだったかもしれませんが、今年は米は作柄が良いのではないかと思いますよ。去年の米をいっぱい買ってしまった人は、その分新米を買うのが遅くなりますよね。古いのから食べるでしょうから。当園では便乗で米を値上げすることはしませんが、ここ数年の間にゆうパック料金が小出しに値上がりし続けていて、自分の代金負担分が増えてきておりましたので、送料のみ、実際かかる額に改定させていただけたらと思っております。家に来てもらう集荷では高くなるので、郵便局へ持ち込みにし、スマホ割の料金で支払っております(土日祝日は出荷できません)。送料はその実費の額にさせていただいて、と思っています(実質100円ちょっとのご負担増になる感じですが)。

最後に、「そうそう」、で始まる講談師神田伯山のラジオが面白くて、作業中、普段のラジオでお気に入りの番組じゃない時に、ポットキャストでずっと遡って自動再生で聴いております(本当は遡りじゃなくて時系列で聴きたいんですが、できません)。聴いていて思ったことですが、前に村上春樹氏と小澤征爾氏の対談の本を読み、ちょっとした感銘を受けました。普段われわれは何かを感じ、思った時に、それをいちいち言語化しないで直観的に頭に浮かべている、ということをやっていると思います。ブログ記事にしたりする時はもちろん頭で言葉にして反芻してみたりもしますが、それ以前の段階では通常頭の中で、ある形態の意識が生じている、という感じなのかと思います。その感覚的なことを村上春樹は綺麗に言葉で表現してくれて、まさに「そうそう」、そういうことを私も考えていたよ、という共感になりましたね。音楽についての本だったから、余計にそのような直観→言語化の妙を感じることができたのかもしれません。伯山のラジオを聴いてもそういう気がしていまして、やはり語りのプロだな、と思いながら笑わせてもらっています。本人も語っていますが、「吟味された言葉の選び方」が工夫されていて、それが意識の事象をくっきりと形にしていることなので、偽りようのない「本音」なんだと思います。村上氏の時と同様に「そうそう」と心地よく感じられるのですね。

この雨、また強くなってきました。播種したアリーナ小麦が心配で。。

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早池峰山登山日記

ハヤチネウスユキソウ

岩手県へ移住してから、早池峰山はずっと気にかかっていた山でした。岩手山は知らなくても早池峰はご存知という方も多いかと思います。神楽とか神社とかと結びついた独特の雰囲気を持つ山ということはひしひしと感じておりましたし、ハヤチネウスユキソウがまた有名で、これを目当てに多くの登山客が訪れます。

ハヤチネウスユキソウは7月に開花期を迎えます。今年は何もかもが前進傾向でしたので、6月後半には開花の情報も見られるようになっていました。前回の大鳥池と以東岳の登山で今年は終わりかと思っていましたが、どうしてもこの7月は逃したくなくて、去年と同様に梅雨前線がま上に来て雨続きの秋田岩手ですが、貴重な晴れ間を狙って、平日の7月16日火曜日に出かけてきました。投稿が遅れてタイムリーではなくなってしまいましたが、現在はお盆出荷用の切り花りんどうの出荷に追われていて、かなり前の感覚になってしまいました(りんどうの開花も前進しており、お盆の最中にはなくなっていると思います)。

 

河原の坊駐車場

夏は土日祝日はかなり手前の駐車場(岳という場所)から走行が規制されるため、河原の坊駐車場(キャンプ場)まで乗り入れができる平日を選んで向かいました。朝4時半に家を出て2時間、河原の坊には6時半時点で4割くらいが埋まっていました。一番心配なのは、遅くなり登山が遅れるということよりも、駐車場がもし満車だったらどうしようかという不安でした。確かにもし満車だったら、どうすればいいんでしょうか。。

 

小田越登山口

河原の坊駐車場で朝食や歯磨きなどを済ませ、舗装路を登山口まで歩きます。35分くらいでしょうか。それなりに傾斜もあり標高を上げていくのがわかります。そして登山口である小田越に着き、ここからが登山開始です。そもそもここには駐車場がないために、夏の交通規制に関係なく、ここまで歩いて来なければなりません。タクシーとか車から降ろしてもらう人はここで降りてすぐ登山開始ですが。。

 

早池峰5合目

五合目まで来ました。小田越から山頂まで2時間くらいの行程で十分に日帰り登山の山ですが、この辺りから巨岩の上を歩くという感じで、傾斜もあり、歩きにくさはレベル高めです。

 

ハシゴ

大きな一枚岩を梯子で登ります。

 

早池峰山頂

そして山頂へ。こうした山の雰囲気は、やはり信仰や神社とかの習俗を身にまとった山と思わずにはいられませんね。

 

早池峰山頂2

わかりにくいですが石仏も見えます。オレンジの祠(ほこら)には神様が祀られているのでしょう。

 

早池峰剣ヶ峰

さて、大半の登山客はそのまま往路を引き返して下山するのですが、せっかくなので早池峰の東側に位置する「剣ヶ峰」を縦走することにしました(剣ヶ峰往復で1時間20分くらい)。最初のハヤチネウスユキソウの写真はこの縦走路の前半部分の岩稜地帯で撮影しました。3〜5本の群れが点在するという形になっていて、カタクリのような群落ではありません。岩場は剣ヶ峰へ向かう前半のみで、後半は土にハイマツ地帯となっており、ウスユキソウはありませんでした。早池峰への登山コースでは登山道とお花地帯はロープで区切られていて、ウスユキソウを間近に見る番所は少なかったと思います。こちら剣ヶ峰稜線ではまさに歩く足元にあちこちに咲いていて、しかも見頃の花たちでした。

 

これもウスユキソウか

再び早池峰登山道に合流し、下山します。同じような花が咲いておりますが、これはハヤチネウスユキソウではないのですかね。あるいはウスユキソウが花期が過ぎた状態でしょうか。。

 

早池峰の花々

これらが今回出会った7月の花たちです。

 

靴とポール

最新のトレッキングポールに30年前の登山靴です。去年月山に出かけた時に多くの人がポールで登山していて、先月の以東岳の折に通販で買ったものです(3千円)。確かに登りも下りも腕の力が添えられて楽でしたし、転ばぬ先の杖にもなりました。大きな岩の乗り越えや梯子の昇降の時は邪魔にはなりますが、時間的にはわずかです。靴の方は、巣鴨の辺りの「goro」というオーダーの登山靴屋さんで買ったものです。今回、キャラバン社のソックスを購入し、履いてみました。素晴らしいフィット感で、以東岳の時に感じたつま先とかの痛みが一切ありません。登山用の靴下(中厚というものでしたが十分厚みがありました)、とても大事です。キャラバンといえばキャラバンシューズで有名ですね。18歳の頃、北アルプスのお膝元松本市にいて、登山用品をいくつか買いましたが、最初はみんなキャラバンシューズです。男子は灰色、女子はピンク色です。土踏まずの部分に滑り止めの金具が付いていました。今は全く見ることがありませんが、良い靴でしたね。当時で5千円くらいだったと思います。当時というのは40年前です。

ところで、30年前の登山靴、革の感じはとてもよく、下山後はミンクオイルとかで保全はしておりますが、靴のソール部分は大丈夫なのかと、ふと気になりました。早池峰小田越コースはほとんど岩場で、岩自体、多くの登山者に踏まれてテカテカしていました。見るからに何となく滑りやすそうと思いましたが、30年前のソールで今後も大丈夫だろうか、少し調べてみた方が良さそうに思いました。いずれこういう登山靴で歩いている人は全く見かけませんね。。確かに重いです。

 

救助ヘリ

だいぶ登山口まで戻ってきた頃に、麓の方から救急車の音が響いてきて、また空にはヘリが現れました。同時に消防隊が数名のグループで5組くらいすれ違って登っていきました。総勢で20名くらいでしょうか。山頂で動けなくなっている人がいるらしく、ヘリも来たのだが山頂付近はガスってて近づけないということで、しばらく滞空していましたが、撤退していきました。確かに剣ヶ峰から登山コースに戻った時間帯、下からガスが立ち込めてきて、涼しい冷気を感じていました。標高の低い下山路は天気は良かったですが、山頂付近は確かに見えません。

早池峰登山の半分以上は岩場です。上の方に土はありません。岩100%の急な斜面で転倒すれば、骨折の可能性も大きいし、そうなれば自力で降りられず救助を頼むしかありません。トレッキングポールは確かに有効と感じました。早池峰の山頂は人も多く安心感もあるでしょうが、剣ヶ峰の方だったら人は少ないです。幸い、山の稜線上は多分どの山でも携帯の電波はありますので連絡は取ることはできますが、稜線じゃなければ、だいたい圏外のことが多いです(以東岳の時も大鳥池の辺りは全くの圏外でした)。こういう可能性も考えて登山しなくてはなりません。夏の日の長い時だから良かったですが、救助が登って行ったのは午後3時前でした。10月とかであれば1時間後にはに日没ですね。ちなみに、消防隊員はポールは使わずに登っていました(人を運搬するという目的からも当然でしょうか)。

そして、早池峰登山後、天気はずっと悪く、特に24日からの1週間は大変な雨量でした。秋田から山形へのよく通る地域では大規模な被害が発生し、去年の月山や今年の以東岳の際に通った戸沢村も最上川の氾濫が起き、残念に思います。娘が山形市に住む以前には、冬の長野出張の折に、この最上川を鶴岡まで降って、日本海経由で長野県に向かったものでした。山形県の海沿いにある「あつみ温泉」など、いつか泊まってみたいと思いながら通過していました。当園のタラノキの品種「あすは」は山形に入ってすぐの真室川の育種家より分けてもらったものですが、この真室川も被害が出たようで、駐在所の警官の方も勤務中にパトカーごと流されてお亡くなりになられて、とても痛ましいことでした。

大雨の直前の23日に、前日22日に刈り取ったアリーナ小麦跡地の耕耘と緑肥播種を行い、そこまではギリギリ間に合ったものの、その後の大雨続きで発芽不良が目立ちます。出荷がいま盛りのりんどうも、特に白の品種で雨による花の腐りが目立ち、今年は減収は避けられません。春からの草取り椅子(タイヤ付き)に座っての延々と続いた1株1株の芽かき&草取り作業ですが、多雨によりあっけなく無効にされてしまう、悲しさです。にんにく畑も、冬の間に杉の枝葉で詰まった水路からの溢れ水で畑一面が2か月間冠水し、大半が腐れて消失するという残念な結果になっていて。。。いまのところ稲のみが頑張って生育を続けています。これまでの高温傾向によって、稲には良い夏となっています。が、まだいもちの発生には警戒を続けなくてはいけませんし、いずれこれ以上の雨はもう不要です。去年は夏場に田んぼがとても乾き、水を入れればそれは済むことですが、その反動で稲刈り時期に雨続きとなり、稲刈りがなかなかできず参った秋になりました。とはいえ、田畑が大規模に冠水し収穫が不能になった山形・秋田の農家さんも多いかと思い、本当にお見舞い申し上げます。

今日から8月ですが、まだ梅雨明け宣言は出ません。ぐずついた気候ということで最高気温もせいぜいが28℃、最低は19℃という感じで、酷暑の南日本に比べれば快適なのですが、とにかくお日様が見たいです。

余談ですが、7月19日には、3月のうちからチケットを買っておいた仙台フィルのコンサートに長女・長男を連れて行ってきました。場所は日立システムズホールというホールで、曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番とマーラーの交響曲第1番など、です。ピアノ協奏曲自体、もしかしたら初めてだったかもしれません(東京時代にN響定期によく通いましたのでその時聴いていたかもですが)。ピアノの小山実稚恵は特に東北ではよく知られた人で、長大なカデンツァも見事でしたし、この曲もモーツァルトのピアノコンチェルトの中でとても人気の高い名曲です。マーラーの「巨人」は何度か聴いておりますが、今回左の方のかなり前の席で、ハープの音がよく聞こえました。指揮者の広上淳一さんも人気の方ですね。プログラムといいまた演奏者もすばらしく、チケット完売で当日券なしという盛況も理解できます。演奏会自体かなり長時間で、終演は21:30となり、このホールの近所の人気の「中華飯店」での食事は諦めましたが、贅沢な一夜となりました。

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30年ぶりの大鳥池の山行

大鳥池

まだ農閑期だった頃に、東京にいた時にツーリングで訪れた東北地方の行程を記憶の中でたどり返しながらGoogleマップで確認したりしていました。当時訪れた朝日連峰の「大鳥池」が気になり始め、いろいろ検索していたところ、大鳥池からさらに進んだ「以東岳」の新しい避難小屋が何となく魅力的に思われて、そちらを利用しての1泊2日の山行を春先から計画して下調べ準備をし、そして先週6月20・21日に行って来ました。

梅雨入り前の最後の好天だなと分かっていましたし、週末になれば山も小屋も混むだろう。6月の山は基本的に盛夏よりは人も少ないし、残雪あり、新緑も鮮やかで登山のベストシーズンかと思っています。アブとかの虫もまだですしね。熊の危険性が高いのは繁殖期である6月だという心配はあるのですが。。また盛夏になればりんどうの出荷やら次の小麦やにんにくの畑準備で忙しくなりますし、ちょうど田植えや新しいりんどう苗の定植が終わり、りんどうの芽かき作業や草取り、そして草刈りとか田の除草といった、延々と際限なく続いていますが、とはいえ比較的待ってもらえる作業時期であるいまこそ、農家には登山のチャンスであります。

朝4時半に家を出て、途中朝食や歯磨きなどをしながら9時半に登山口である泡滝ダム駐車場に到着し、靴の履き替えや荷物の最終梱包を終えて10時前に大鳥池に向け出発しました。

当地西和賀町からだと、秋田県横手市を経由して国道13号を南下し、ほどなく山形県入りしますが、山形最北の町真室川町から斜めに酒田・鶴岡方面へ進み、最上川沿いに西へ進んで、酒田市の手前で南下して朝日連峰へ至ります(山形に入ると市街地を通らないし、コンビニが頼りです。時間帯的にも。。)。

 

大鳥小屋(タキタロウ山荘)

かつて30年前の時は東京からオフロードのバイクで関越道で新潟入りし、村上市の辺りから三面川を遡る朝日スーパー林道を走って、途中テントで1泊もしましたが、同じくこの泡滝ダム登山口にバイクを停めたのだろうと思います。そこは変わるはずはありません。が、全く記憶にはありませんでしたし、大鳥池までの3時間の登山も、全く憶えていませんでしたね。天気が悪くカッパを着てたことは覚えていますし、大鳥小屋(タキタロウ山荘)前で写真を撮った記録は残っております。

最初の写真のように大鳥池はとても美しく、岸辺からのぞくと小さい魚が泳いでいました。タキタロウの稚魚でしょうか。大鳥小屋に泊まって釣りをする客が多いという話でしたが、平日もあって行きは釣り人は見ませんでした。帰りに再び池まで降りて来た時にルアー竿を持った若いカップルと行き違いました。ここはどうやらルアー釣りがメインのようです。いずれ釣り目的でも登山口から3時間ですから、ちょっと釣りに、というわけにはいかなそうです。

午後2時頃、その池から以東岳を目指しましたが、これまた3時間、しかもかなりの急登で、しんどかったですね。今回、最近の傾向であるトレッキングポールを購入し、使用しました。2本組のもので、去年の月山登山でよく見かけ、気になっていたものです。30年前の登山をしていた頃はあまり使っている人はいなかったと思いますが、近年は半数以上の人が使っています。初めて使ってみて、やはり楽でした。大きな岩をよじ登って乗り越えていくような時は直接岩に手を付いて体を持ち上げるので、その時は邪魔になるわけですが、それは時間的にごく一部ですし、かなりの急な坂もポールで踏ん張れて、転ばぬ先の杖にもなり、使用して良かったと思いました。

 

以東岳避難小屋

登り始めが10時頃でしたし、結局夕方5時半の到着になってしまいました。2017年10月に新築されたとあり、とてもきれいで好感が持てる以東岳避難小屋です。屋根の形など、わが家に似てもいます。山小屋へ泊まるのも30年以上ぶりで、現在の事情はよくわかりませんが、確かどこも予約が必要で、宿泊費も食事があるものの1万円近くかかるのではと思います。なかなか手が届きませんし、それに比べて避難小屋はシュラフや食料・調理器具は必要ですが、自由だし、安価です。今年からは2,000円(去年までは1,500円だったようですが)の「協力費」を木箱に支払う形です。天気の良い日に思い立って山行を決める者にはありがたい存在です。

お一人、先客の利用者がいらっしゃいました。若いけれど山慣れた方で、30年ぶりの私にいろいろ教えてくださいました。飯豊・朝日連峰を好んで登られており、茨城のご自宅から何時間もかけて車で登山口に来るそうで、私の4時間半よりもずっと時間をかけていらしたようでした。小屋に電気はありませんし、その方のランタンを窓辺にぶら下げて、お話をしました。

翌日、以東岳山頂から大鳥池へ下山する途中に、昨晩大鳥池(タキタロウ山荘)へ宿泊されたという登山者から、以東岳小屋の明かりがキラキラしていて、満月(に近い月)と相まって美しかったよ、と聞きました。月の光が窓に反射しているのかと思ったそうで、いや宿泊者のランタンだと説明しました。

 

以東岳からの日没

西の日本海の方面を見ています。小屋の窓からの夕日です。宿泊した方は、佐渡が見えたと言っていましたが、この時はよくわかりませんでした。山形と新潟の県境付近、山がとても深いです。この深さはとても魅力です。私の住む西和賀町も奥羽の深奥部で山が深いです。ただ景観上周囲が山に囲まれてある、というのではなく山塊の面積が広いことに魅力を私は感じます。

毎年この時期に、多くある避難小屋を利用して朝日連峰へ来ようと思いました。娘も山形市におりますし。そうなると、今回30年ぶりに、破れたりチャックが壊れかけていた50Lザックを新調しなければ、で、検索だけはして楽しんでいます。シュラフがかさばるので大きめのになりますね。安く買えそうなワークマンでも登山関連用品を探してみましょうか。。

飯豊連峰も良いですが、さすがにうちからは遠いんですよね。まず米沢まで出るのも大変で、山形大学では2年目に米沢市の工学部に住所を変えることを「渡米する」と言うそうです。飯豊山麓の小国町は西和賀町と気候も似ていて、同様に地理的に深いです。基督教独立学園も独特ですね(冬の寒天帰りに来訪し、ブログ記事でも取り上げました)。

 

以東岳山頂

翌日に以東岳へ登り、大鳥池へ下山しますが、行きと違う「オツボ峰」縦走コースで降りて行きました。以東岳から見る大鳥池は熊の毛皮のような形です。西の日本海方面を見た写真です。

 

月山と雪渓

昨年お盆過ぎに月山に登りましたが、稜線から、雪渓の向こうに美しい姿を見せてくれています。月山の方が以東岳よりも高そうですね。

 

以東岳の花1

花もいろいろ咲いていました。左のピンクのゆりは東北に固有の花のようです。その「ヒメサユリ」と、右はチングルマでしょうか。高山植物の季節ですね。

 

以東岳の花2

シャクナゲと、色素のない花ギンリョウソウです。シャクナゲは全国的でしょうかね。岩手の五葉山にも多く群生していました。ギンリョウソウというのは銀竜草と表記され、初めて見ましたが、まるで宇宙の植物といった印象ですね。ちゃんと花も咲いているようですが、残念ながら花の中までは覗き込みませんでした。

 

以東岳のりんどう

なんと、りんどうがありました。早生系のエゾリンドウになりますね。背は低いです。1対か2対ほど8月頃に紫の花を咲かせると思います。ハヤチネウスユキソウも咲いてきたようですし、梅雨の合間を見て早池峰山にも登りたいです。ここは登山口まで2時間、山行は往復で6時間ですので十分日帰りで歩けます。

農園ではりんどうの「芽かき」作業を進めつつ、田の除草機かけに汗しています。まもなく除草機は5回目をかけて終了し、あとは手取りで株ぎわのヒエとコナギを他の作業の合間に除草します。また、にんにくの収穫時期になっていて、ホワイト六片から掘っているのですが、今年は冬の出張中に杉の枝で詰まった水路から水が溢れ出してにんにくと南部小麦の畑が冠水していて、大半が消失してしまいました。かろうじて種にするりん片は確保できそうですが、今年はホワイト六片と八木が少量ずつで、個別に毎年ご注文いただいている方のみに供給させていただいて、サイトを使っての出荷はできそうにありません。とても残念ですが、来年、どうかまた宜しくお願いいたします。