雪 国

 

 

大ブキの家沢内(合併して西和賀町に)は雪深い山里。12月の暮れから4月上旬まで大地は雪の下に埋もれ、最大積雪量は1.5メートルになる。秋田の方が日本海に面していて降るんじゃないかと思われるけれど、実際は、日本海からの季節風が奥羽山脈に当たり、その反対側(東)斜面に多く降らせるようだ。そしてもう一つ山並みを東に越えれば(花巻)雪は降らない。奥羽の山並みのど真ん中にある湯田町や沢内村が、この辺では一番の豪雪地帯。もっとも雪質の湿った新潟や福島の当たりの方が量は多いのだけれど、、。

 

お隣の湯田(いまは同じ町内ですが)が雪の量が多いけど、沢内は特有の吹雪(フキ)に吹かれ、ブルで真っ平らにきれいに除雪はしてくれるものの、やはり吹雪の運転は視界不良で大変だ。かつて八ケ岳の稜線で吹雪に見舞われ、遭難しかけたことがあったけど、ここでは里に居ながらにして山岳の光景を味わえるのだから、貴重な体験ができ恵まれたものかも知れない、、。雪には教えられることが多い。大切なのは、自然に逆らった考えを持たないということ、敬虔であれということだろう。吹雪く夜には出かけようと思わないこと。とかく現代は前もっての予定で出る用が決まるため、「今日は吹雪くから」と断るわけにもいかない場合も多い。でも、ここではあくまで主は自然であって、無理な運転はしない方がいいのである。どんな天候でもお構いなく行動できるという考えは都会では当たり前かもしれないが、やはり錯覚なのだと思う。

雪の波雪庇雪は横から降ってくるので、雪を払うことにより逆にそのあいた空間にやわらかい新雪がごっそり入り込んできて、あっという間に道をふさぐことになる。写真は試しにがんばって雪払いしてみたあとの吹雪のときの様子(左は上から、右は手前から見たマブ)。そうなれば腰まで埋もれて歩くのも容易でない。無駄な人工的努力というものは、しない方がいいのだろう。昔の人たちは足で踏み固めて歩いた。これによりかえって踏み道は生きており、「いざ一晩で大雪」というときに、最低限の労力で道は確保できる。

雪は一様に積雪するのではなく、さまざまな曲線を描いた美しい造形美を形作っている。全く積もらずに地面が見えているところもあれば、すぐそばには2メートル以上の吹き溜まりとなっているところもある…。家を建てることで風の加減を変えているのである。吹雪の日に車を運転していると、雪が一方向から降って(吹いて)来るのではないことがわかる。揺らぐように左右に振れている。そして吹き溜まりの雪庇や家の屋根から粉雪がヒュルヒュルと糸を引くように伸びてくる光景は、何か神々しさすら覚え、言い得ぬ感動を受けるのは自分だけだろうか、、。

大ブキかつては電線まで手が届いたと言われる雪も、昨今では少なくなってきたとのこと。いずれ地球の温暖化が進めば、この地方だけでコシヒカリがとれるようになるというような冗談話も聞こえてくる(つまり、いまはコシヒカリは栽培できない)。しかし温暖化になれば湿り雪で積雪量は増すのではないかと心配されるが…。

雪消えが近づく3月の終わり頃になると、稲の種もみの準備やら、ハウスの雪掘りなど、俄然忙しくなってくる。多年生の宿根草であるりんどうは深い雪の下、0度以下にならない土の中で春を待って眠っている…。雪に土が埋もれているということは、土、微生物が守られているということである。豪雪の年にケガヅ(不作)なし。古くからの言葉…。雪の美しさを楽しみ、雪国の冬の暮らしを満喫しよう。雪の少ない盛岡などのかえって寒々とした冬景色に比べれば、ここは「あったか雪国」。土壌も凍害をまぬがれ、夏場も水不足にならないのは雪のおかげである。