奥羽の田舎暮らし

 

奥羽の田舎暮らし

 

ここ奥羽の麓の田舎暮らしのコーナーへのご訪問ありがとうございます。奥羽山脈のど真ん中の村へ移住し、わくわくするような田舎ならでは体験や、素人農家が飛び込んで悪戦苦闘する農作業の様子を情報発信してみたいと1999年にホームページをスタートさせました。時を経たいまでもなお「都会から移住した立場」という視点は変わらないように思いますが、もう都会には戻れない気もします。そんな雪深い片田舎より、現代社会における農村生活の持つ意義とか、ひいてはこれからあるべき農村像のようなことも考えつつ、投稿ブログ記事含め取り上げていきたいと思います。

また、農業がメインの暮らしであるとはいえ、この長く厳しい冬の期間にどうやって過ごし、収入を得ていくか、どう本業と時間的バランスを取っていくか、これは寒冷地方の農家にとって永遠の課題になると思います。当地では農家の主人たちは大概は除雪オペレーターをあいます(県と町の2個あります)。私も少しやりましたが、やはり土木建設業の雰囲気がちょっと違うかなという気もしました。実際4冬で除雪は辞めたのですが、一番の理由は大雪の早朝に除雪車庫まで車で出て行けないということでした(もちろん除雪前なので)。

冬の仕事として、西和賀に移住して最初の冬から9冬は地元の農業改良普及センターで土壌分析業務を、移住10年目の2005年度の冬はトヨタの自動車ラインで4か月の勤務、その後は地元西和賀での除雪オペレーター4冬、盛岡での土壌分析が7冬、そして現在の寒天業務に移りました。この盛岡の分析勤務時代に早春のたらの芽の部門を立ち上げることができ、現在は冬の前半に寒天の仕事2か月+たらの芽や事務作業で後半の2か月という形で春の雪解けに繋がっていく形になっています。盛岡の実験室勤務時代にもたらの芽はスタートしていましたが、1時間40分の通勤からの帰宅後の夜なべと土日で促成栽培作業に当たるという結構きつい日々でした。いまは寒天が終わって岩手に戻ってからはたらの芽に専念できることは良かったと思います。その分たらの芽時期は楽なのですが、寒天の2か月は大変辛いです。

 

トヨタでの仕事トヨタでの仕事2上に述べたトヨタの4か月の間に愛知県で撮影した写真はなぜか全て失ってしまい、かろうじて当時編集して掲載したブログ記事の写真を思い出したので、ダウンロードし、またこのページにも奥羽の生きるための冬の過ごし方の一例として参考までに掲載しました。とにかく「何かを得て吸収して帰らねば」という気持ちが強かったですね。漫然と農作業に当たるのではダメで、動線や自分の手足の動かし方そのものも効率的に科学の目で検証する必要性というのを感じたものでした。

年末年始の休業期間に寮の部屋でボーッとしているのがもったいなくて、豊田市内のデパートで正月のみのアルバイトを見つけて、応募し働いてきました。それはお酒売り場での店員ということで、接客に当たったりしましたが、当時リーマンショックの前でもあり景気は良くて、ドンペリなどの高級ワインが結構出てました。。4か月の期間中、最初食事は工場の食堂で食べていましたが、結構高くついたため、米を送ってもらい自炊に転換し、深めのホットプレートで何でも作ってました。

いまでも町内で、自分もここでアルバイトしたことあるよ! という人がいて、妙な連帯感も得たり、です。

 

 

これからも地域の衣食住の山村文化や、自然の中で生きるため伝承されてきた狩猟採取の技などもできる限り吸収し、お届けしたく思います。現在は園主の体験した部分のささやかな披露にどどまりますが、お時間のあるときに閲覧していただけたら幸いです。