都市農村交流について

■農村はこの豊かな暮らしを都会に提示する使命がある

あくまで強引な私見だが、都会というのは人工的に<記号化>された生活体系のように思う。何か生きている実感が伴わない。誰かがゲームをやっていて、モニターの中で動かされているキャラクターのような気がして、上を見上げてみると、本当はプレイヤーがいるのだ。そんな気持ちに鬱憤もたまるし、そうすればやはり癒しを求めて、人は必ず自然の中へ出かけたくなるはずである。満員電車の中で、ふっと、何かが心をよぎる。ランニングシャツを着、麦わら帽子をかぶって虫採り網を持っている自分。もちろんこれもまた植え付けられた「記号」かもしれないが。

もちろん農村はそういうときのためだけにあるのではない。ここにはモニターに映っている自分はいないし、むしろ各人がプレイヤーたりうるのだ。しかも、言葉は悪いが都会の方を向きながら都市化の道を歩む近郊型の農村でなく、山あいの中山間地域の専業農家の多い農村にこそ、積極的に、これからの時代を導いていくライフスタイルを提示する役割があると思えてならない。

自分もそうであったように、都会で人生の明確な目的も持てず悶々として日を過ごす人は多い。勤め人という公の私と趣味・遊びに没頭するプライベートな私、この単調な往復の中で「何かが欠けている」と感じ虚ろな気持ちにさいなまれる瞬間…。でも何かに没頭したり新しく何かに飛び込むことはしても、生計の立て方や生活自身が変わることは稀である。そこが大事なのであって、時々普段と違うことをして何か自分が変わったかの錯覚に陥ることこそ、戒めなければならないのではないか。家計や生活様式の根本の変化が伴わなければ、それこそ単なるシュミレーションゲーム、<つもり>なのだ。そしてそのあやふやな、何とも言いようのない気持ちにカツを入れ充たしてくれる暮らし方の一つが、農村で農業をやることだ。こうした考え方は農村の方から発信していくべきであって、都会の側からの「時々の隠れ家」じゃ何にもならないのだと思う。

逆に、厳しい農業情勢の中、新しい発想転換を求められている農村社会においても、自らの地域の美しい自然環境や農業・農村社会の持つすぐれた側面について改めて再認識し、新しい視点を取り入れた農業経営を模索していかなくてはならないのだから、そういう意味では外的な刺激を取り入れるべきで、都会人の農村に対するイメージや思いを農村人は知る必要があるんだと思う。何が宝で何が求められているのか、これはずっと暮らしているとわからないものである。

■グリーンツーリズムの諸問題

村にいても最近とくにグリーンツーリズムが話題になる。でも交流が望ましいことはみんな納得するものの、人を呼び、泊めるとなれば大変なことであるのは言うまでもないこと。旅館業者ではなく、野良仕事に追われる農家なのだから。

自分の家に他人を泊め食事等の世話をするというのは本当にエネルギーを要することだし、怖さもある。では宿泊施設を別個に作りそこで自炊させればよいとなると、今度はその施設の管理を誰がするか、という問題があります。吹雪の続く冬期間、客が来なくたって雪払いだけはしなくてはいけない。夏場だって草取りがある。それ以外にも建物の管理というのは結構大変である。

まずはできることから、始めよう。どこか湯本か沢内バーデンに泊まってもらって、あるいは日帰りで、一緒に農作業して、採れたもので一緒に料理を作って、という感じで、まずは知り合いから。HP見たと訪ねて来てくれた人でも良いではないか。

みどり学園夏の転住みどり学園実習盛岡市のみどり学園は必ずしも健常でない子ども、家庭環境に困難がある子どもたちを預かって教育指導する施設。彼らは年に何度か沢内を訪問し、農家などに入って共に作業をする。都会ではみられない生き生きしたその姿を見るにつけ、教育とか子育てにおいて持つ農村の効果・重要性というものをあらためて感じさせられる。農村には人を活性化させイキイキさせる何かがあるのだ。左は98年、右は99年の沢内合宿の際。

旅行の概念においても<滞在型>が当たり前になりつつある時代だ。おきまりの単なる観光とは違った、農村生活そのものに浸るというグリーンツーリズム的発想が重要な要素を持っていることは疑いをいれないこと。余計な気遣いや過剰なサービス精神で疲れてしまうのでなく、長続きする<交流>のあり方を自分なりに追究してみたいものだ。

そのためにはインターネット上の発信は送る側・受ける側双方にとって重要なメッセージになるし、また個人では難しいが情報誌の発行を通じて交流に結びつけていくことが大切。私たちの地域では「雪国通信」という情報・産直季刊誌を発刊し、平成10年創刊以来現在も続いている。ただズラリ物産がならぶだけの商品カタログではなく、われわれの暮らしの文化や自然のイメージが伝わるような、その中でわれわれの地域に関心を抱かずにはいられなくなるような、手づくりのあったか味が感じとれるような誌面になっていけばと思う。