はじめに(奥羽の山里からの農村通信)

 

 

七内川の雪東京から岩手・沢内村へ移り住む…
大都会のサラリーマン生活の中では決して得られなかった、
充足した暮らしがここにある。

この暮らしの変化は、月並みな表現とは言えやはりカルチャーショックと言っていいものだったろう。
自然を相手とした農業は、細かく多方面での注意力と努力が欠かせない。
一瞬の気のゆるみや判断力不足は多大な損失に結びつく、やり直しのきかないワンチャンスな仕事。
そして農村では、特に農業をやる上では、経費にかかわる投資が実に大きい。
住宅、小屋、自動車、機械装置、ハウス施設、そして諸々の農業経費…
自分の懐を一つも痛めることなく、定額の給与が振り込まれていたこととの落差は結構なもの。もちろん資産として残るものも多いのだが。
すぐそばに美しい山や川があっても、単純に「アウトドア」を楽しむ余裕はなかなか生まれず、
時間が余れば、遊びにではなく常に意識は次の仕事や用事の段取りをめぐらせている。経営者はやはり休んではいられない。

しかし、そんな、体を張って毎日を格闘している農家の姿を見てみれば、
やはり、これが正しい生き方なんじゃないかと思えてくる。
もっとラクな生き方もあるだろうといつも言われるが、
でもこれが、生きていく「根っこ」の部分に常にかかわった暮らしであるから。

頼みになるのは人間の協力して生きていく力。
自然に左右される農作業はさることながら、暮らしを少しでもより快適に、向上させるにはどうしたら良いか…。
人とかかわることも、そういうベーシックなつながりにならざるを得ない。少なくとも人間の一面だけを出しての機能的付き合いじゃない。
農村では「仮面」はかぶれないのだ。
全人的な交流の中で、お互いに何とかしようじゃないか、智恵を絞って模索していく。そういう生き方が農村なんだと思う。
確かに、「農協に頼る」ではなく「自分の営業力だけで販売する」、というのが時代にマッチした新鮮なスタイルだと思われる風潮もあるかもしれない。
でも、自分一人が自分のコネと力量だけで自分の営農を成功させたところで、それだけでは、たかだか自分だけに矢印の向いたこと…。
結局都会的考えそのもの、ということになるように思えてハッとする。

そして、よし、こういうやり方でやってみようじゃないかと、共に夢を見てみよう。最初は自分一人から始めたっていい。何をやってもいい。自由業として自由な可能性があるのも農家のポジションであろう。自由な夢を形にできる。先は長いのだ。

何と言っても農的生活は「楽しい」ではないか。ワクワクするような出来事に満ちているではないか。
耕す人たちはみんな目が輝いているではないか。

現代社会が取り逃がしつつある何ものかを案ずるとき、
忘れてならないのがこうした農業、農村の生き方。特に都市部から離れた山間部こそ顕著である。
いま、これからの21世紀社会に求められていくすべての要素がここに凝縮されている。

うまく言えないけれど、人が生きていくための最も<原初的>で<普遍的>なるものが…

西和賀町(旧沢内村)・両沢地区は山あいの沢筋に農家の点在する日本的な景観の農村集落。本ページでは、両沢を舞台に、農業や農産物についての紹介や風景、出来事を掲載しつつ、都会育ちの脱サラ新米農家の目に映った農村に生きることの素晴らしい意義・価値観を伝えていきたいと思っています。