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にんにくと小麦の収穫期

にんにく乾燥中2023

秋田市では大変な大雨被害が出ましたが、ここ西和賀町は気象的にも秋田に近いせいもあって岩手で一番降ったようでした。川や水路の氾濫は気にかかり、消防でも見回りしたりしましたが、これだけ降っても浸水が起きにくいのはやはり舗装路が少なく、ほとんどが地面だからかもしれません。とはいえ氾濫や土砂崩れなどは山間地ではどこでも起こりうるので。。

自分の圃場も何度か見回りもします。水路で田に水を入れる箇所は水の取水栓の場所を石などを置いて水位を高くしていて、そこに急激に水が押し寄せて、置いた石で水が盛り上がり田畑に越水して流れ込んでいた場所を見つけ。。慌ててその石を退かせたりしました。

いまはまさににんにくと小麦の収穫期。例年より1週間早い進みで、にんにくは全て掘り終えて根茎を切り乾燥ハウス内の金属ハセに掛けて自然乾燥中です。この乾燥棚には小麦も入ります(写真右)。今年は小麦用にもう1棟ハウスを準備しました。にんにく乾燥ではハウス内が30度以上に上がりにくくするため、にんにくの頭上の部分だけを黒い遮光シートで覆っています。これでかなり気温上昇を防げます。小麦の箇所は日が差し込みます。

 

八木収穫2023

近年ご注文を多くいただいている秋田原産の「八木」です。赤みが特徴です。形としてはいびつだったり、土の付いた表皮を剥いた後の出荷の荷姿はホワイト六片のように美しくはないのですが、手に入りにくいにんにくですし、当園でも大きめの種子を使って植えますが、分球が不完全だったり、なかなか手ごわい栽培の難しい品種であります。

今年は全般に割合大きめのにんにくになっているようでした。周りに栽培農家のいない手探り農業技術なのですが、深く掘る・深く植える・早く(早い時期に)植える、の3点と、草取りなんだと思います。浅植えになったにんにくは収穫時の抜き取りは楽ですが、総じてそれらは小さめでした。深植えでは抜き取りに難儀し、茎がちぎれたりする場合もあり移植ベラ片手で起こしながらの収穫になったりしますが、大きいものを採るためには必要な努力かもしれません。

 

南部刈り取り2023

にんにくの後は小麦の収穫です。適期を迎えたとたん雨が続き、タイミングを探しておりましたが、昨日の7月15日は災害級の豪雨だとの予報を見て、13,14日の両日で何とか南部小麦の刈り取りを済ませました。14日夕方最後の1枚は雨に当たってしまいましたが、とりあえず畑から全部集め軽トラや運搬車の荷台、あるいは乾燥ハウスの中の地面に積み上げて翌日の豪雨から守り、そして大雨の昨日の午前中に全部ハセに掛け終えて、南部小麦の収穫作業は完了しました。1か月間ハセで乾かして、お盆過ぎに脱穀し玄麦を手にすることができます。

今回はは種機を使っては種したことは割合良い結果に至ったと思います。問題はやはり雑草対策で、春に一度管理機で中耕し、また草刈り機でも畝間除草したりしましたが、草が多発する場所はあり、また小麦に接している雑草はそのままなんともできぬまま大型化しバインダーで一緒に刈り取ることにもなります。田の除草にも言えることですが、一番難しいのが草対策です。

 

ササシグレ中干し中

こちらは今年初めて挑戦したササシグレです。割合分けつもし、いい感じで生育し中干しの時期を迎えています。冷水と低温多湿の傾向がある当地では、暖地よりもいもちが心配される土地柄です。これからの2週間は要警戒期になります。

 

金命水

今年は免許証の更新に行かねばならず、月1度の7月分のドライブの楽しみを兼ねる日としました。更新ですが、大型免許のため「深視力検査」があり、これが苦手なのです。。それでちょっと検索して、ユーチューブで前日に少し練習をしました。それで少し目が慣れたのか、当日は割とすんなりクリアすることができました。何の練習もなくいきなり検査に挑むのは結構厳しいと思います。寝床でスマホでの動画視聴でも、やっておいてよかったと思います。

免許証を手にした後は。ホームセンターでの買い物の後、今まで通ったことのない道路を走り、初めて地図で目にした阿原山という高原に向かいました。ここには金命水という名水があるとのマップの記載があって、そちらにまずは出かけました。ここは歩かなくても、車を停めてすぐの場所でした。4Lの焼酎ペットポトルに水をいただいて、いま朝のコーヒーに使用しています。

 

阿原山

そして阿原山に行き、賢治の詩碑等を見て一度水沢方面の市街地へと降りました。写真をとっている地点が三角点になります。

 

胆沢ダム

そしてまだ時間があったので、胆沢ダムへ向かいました。ここはその展望できる地点からの眺めです。そしてダムへ向かい、さらに湖の周囲を車で走りました。

 

弘法の枕石

弘法の枕石という場所がありました。1200年前に弘法大師が秋田へ旅する途中にこのそばの山中にあるという「於呂閇志神社」に詣った後にこの岩で一晩休んだと言われ、ダムを作るときに発見されたようなのですが、そのままだとダムの底に沈んでしまうことから、ものすごい苦労をして上まで引っ張り上げたそうです。

その於呂閇志神社にも車で向かい、かなりの悪路を走行したのですが、突然にUターンできるくらいの空き地が現れて行き止まりに。。夕方にもなっていたし、下車して歩いて深入りすることは避け、そのまま引き返しました。家に帰って検索してみると、よく見れば近くに歩いて向かう参道があったように見受けました。

それから秋田へそのままR397号で抜けて横手の山内経由で帰宅しました。帰りは横手方面の市街地へ出ず、東成瀬村から山内(さんない)への山道を経由して普段横手へ出る時のR107号へ合流できました。

397号は国道とはいえ車も少なく山道です。途中、久々に熊を見ました。子熊と思いますが、道脇の林へと去っていく姿はどことなく愛嬌がありました。すぐに見えなくなって、写真などは撮れませんでした。

前回の記事でも書いていますが、月1くらいで何かの用事に合体して未走行の道を探してドライブすることは良いリフレッシュになります。ふだんからGoogleマップはよく見ています。これからあともう1種アリーナ小麦を1枚ですが刈り、農道畦畔の草刈り2回目を終わらせ、りんどうの草取りやネット管理をしていれば、すぐにりんどうの出荷が始まります。

 

アリーナ刈り取り

7月17日、最後に残ったアリーナ小麦を刈りました。予報は雨の連続でしかも強い雨になっています。雨が数時間止んだ間隙を縫って、濡れてはいましたが刈るべきと判断しました。コンバインじゃないので麦に傷をつける心配はありません。水が溜まるような圃場ではないので機械作業は可能でしたが、土が柔らかくなっているので刈り取り部を持ち上げるようにしての作業となります。

 

アリーナ集め

アリーナは結構かさばるのです。全部集め終えました。すぐにハウスに向かいます。

 

アリーナハセ掛け中

ハウスに掛け終わりました。汚れたバインダーを洗浄機で洗い、今年の刈り取り作業完了です。右側は南部小麦です。早く雨が終わって猛暑になってほしいものです。。

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作物の生育期と草取り期

6月17日のにんにく

にんにくがもう少しで収穫期という段階になっています。トウ摘みをあらかた終えたところで(八幡平がメインですが)、ホワイト六片があと1週間、その1週間後に八木・八幡平の順に掘り取りというスケジュールになろうかと思います。はたして大きな球になっているかは全体としてわかりませんが、茎葉の伸びは良いようです。今年は小さめとの声も聞こえて来ていて。。

 

にんにくの芽

八幡平のにんにくの芽がごっそり採れております。とても美味しいので、これも収穫と言って良い作業です。この田植え用苗カゴに4つくらいになります。引き取り手がちょうど多数ありまして、余すところなく活用されたと思います。中ほどの芯は食べれませんが、ハサミで切って上と下が美味しく食べられます。冷蔵庫で2週間以上持ち、それもありがたいです。八幡平は100%トウ立ちし、ホワイト六片よりも5〜7日収穫も遅れます。また、晩秋から貯蔵にんにくにも出芽が始まり老化が進みますが、八幡平は休眠も遅くて当地では植え付け後の出芽が翌春になります。このことから貯蔵にんにくも出芽開始が遅くて老化が始まるのも遅いというメリットがあります。鮮度がそれだけ長持ちするということですね。

 

南部小麦6月7日

去年、雪腐れ病に泣かされた小麦部門ですが、盛夏の休耕期間にマメ科緑肥を導入したことで成果があったようです。また鶏糞を今回はしっかりと施用したこと、それに雪解けが早かったことも大きい要因ですが、背丈が取れ、かつてないほどの良好な生育を見せています。まだ穫れてみないとわかりませんが、特に南部小麦についてはかなり期待を持っています。7月10日頃に刈り取りし、1か月間ハウス内で乾燥し8月下旬には出荷ができるよう工程を進めたいと思います。

アリーナの方は、まだ雪腐れの土壌が残っているのか、初期生育が良くなく全盛期よりは7割くらいの勢いかと見ていましたが、ここの来て背丈もぐんぐん伸びて来ましたし、まずまずの収穫になるかなとは思います。来年は畑を変え、緑肥ももちろん施用してみたいと思います。

小麦に関しましては予約注文で8月末には全量が完売すると思いますので、ご利用いただける際は早めにカートあるいはメールフォームで宜しくお願いいたします(不測の結果もあり得ますのでクレジット決済は現時点ではお控えいただけたらと存じます)。

 

しどけ

山に詳しい方から、というか里山文化の森羅万象にお詳しい人なんですが、山中で採れた山菜苗を譲っていただきました。これはしどけです。しどけ(食用出荷)が道の駅等に並ぶ5月連休の頃、そうした産直施設などでそのしどけのポット苗などはないかなと注意していましたが、苗としては見当たりませんでした。こういう山菜も庭で育ててみたいという需要はあると思うんですが。

タラノキは出荷用に植えておりますが、その他コシアブラや行者にんにくも少しですが自家用に植わっていて、これにしどけが加わったことはありがたく思っています。活着するまでは、毎日葉に潅水し、蒸散でしおれないよう注意が必要でした。

 

アイッコとワサビ

また、こちら、アイッコ(左)とわさび(右)もいただき、順調です。アイッコの左の株はすぐ枯れてしまったのですが、すぐに次の芽がでてきて、次の週にいただいた2本目の苗と同等の生育になっています。わさびも当初の葉は悪く見えていましたが、新しい葉が出て活着しております。アイッコは絹などと同じ繊維としても使用されていたそうですね。

 

ルバーブ

ルバーブも続々と茎が立って来ています。あと1か月くらいは収穫でき、その後は株養成のために温存します。前回ジャムの写真を掲載しましたが、やっぱり色が綺麗で美味しいです(美味しさは緑のものと同じと思いますが)。自家製ジャム作りのため茎出荷としてご利用いただける方は、どうぞメールフォームよりお願いいたします。

 

苗代いちご

野イチゴをさまざまに植えております。その一つ「苗代イチゴ」。最初どんな姿かもわからず、通販で入手し、現在田畑の斜面等で栽培中なのですが、全く同じ植物がいつも過ごしているタラノキ圃場の崖の法面一面にびっしりと生えているのを発見しました。。ちなみにスマホで植物を見分けてくれるアプリをいれておりますが、まぎれもなく苗代イチゴと鑑定してくれました。

ここ奥羽の山村ではいろんな豊かな植物が生育しています。フリマサイト等で手に入れられる植物も探せば多くはこの地元にあるだろうと思うのですが、まず素人には名前と物が一致しないので見かけてもそれとわからない。次いで山歩きし探すような時間的余裕がない。ということで最初は購入するということが近道にはなります。その後自分でも知識を深め、近くで偶然出会った時には目に入って採取もできるだろうし、自生する環境の特性も学ぶことができるでしょう。日当たりとか、水辺かとか。。現にこうして身近な場所で苗代イチゴの大群落を見つけることができたのも、苗購入で勉強した成果と言えますね。

なお、サイトで購入したものは実は品種が違うイチゴだったということはよくあります。熊イチゴと冬イチゴは混同されやすいかもしれません。そこは何だ違うじゃないか、ではなく、そうしたことの学びも必要ですね。

 

カタカゴカフェ

ところで、近所にセンスの良いカフェができています。以前子どもたちがピアノを習っていた家の斜め向かい、カタクリ大群落で知られる「安ヶ沢」入り口付近にある「カタカゴヒルズカフェ」というお店です。こちらの家のお生まれで、長らく外国で暮らし、その後国内で古民家カフェを営んでいらした女性が実家に戻って自宅の改修をして、お店を開かれたのでした。うちから車で5分の距離だし、おしゃれでもありますので、特に女性の来園者(援農等)がいらした時はこちらに行くことが多いです。タンドリーチキンがおすすめのようです。個人的には左上のグリーンカレーがイチオシです。ふつうの住宅なんですが、いまはGoogleマップ等で場所で迷うことはないですね。機会がったらお勧めします。念のため電話で予約されると確実です(私もそうしてます)。「カタカゴ」は「カタクリ」の古語の表現のようです。

 

カタカゴヒルズカフェ外観

どうぞ西和賀方面に日中来られる方はお昼のランチやカフェタイムにご活用ください。やっていない日もあるので、前もって電話してからが無難です。

 

 

碧祥寺資料館1

前述の盛岡の山村文化に詳しい方と、碧祥寺博物館を訪ねました。こちらでも地元である私自身がその方にガイドをしていただき、民間信仰や仏教等の知見を深めることができました。いろんな場所で目にしているものも、名称とかその意味など知らない場合も多く、こうした資料館を一緒に見学することで、一人で漫然と見るよりも、はるかに勉強になります。

 

碧祥寺資料館2

こうした薬に関わる伝承知識もとても貴重なことですね。わかる人が少なくなっていくのは明らかで、通常こうした陳列を見ても、ふーんそうかで終わってしまい、そこで何かをコメントしたり実生活で応用したりできるような人が現在この山村でもどれくらいいるでしょうか。。こうした知見を備えていること、というのは現代の社会でもましてや求められることではないかと思うのですが。。しかもこうした知識や経験が発信できるのはこちらのような山村から、ですね。

 

碧祥寺マタギ1

さて、5月に阿仁マタギのレポートをした際に古い写真を探し出して当ブログでも掲載しましたが、こちら西和賀の「碧祥寺博物館」のマタギ資料館にも改めて行きました。手作りっぽい山の神がいろいろあり、農家が雪に閉ざされる農閑期にコツコツ掘ったんでしょうね。むしろシュールな美しさすら感じます。自宅の神棚や、家々の神社、山祇神社などに奉納されていた御神体なのでしょう。碧祥寺の前の住職の太田祖電さんが蒐集されたのだと思います。

 

碧祥寺マタギ2

猟具です。先の詳しい方からの解説で、特に小さい方のとらばさみでは、挟む力が強すぎて足を切断したりしてしまいがちで、獲物としての価値を損ねることにもなるため、布等をうまく巻いて挟む衝撃の強さを弱め、できるだけ獲物を傷つけないように捉えるための微妙な調整技というのが必要なのだそうです。力がゆるすぎると逃げてしまいますしね。

 

碧祥寺マタギ3

こちらは鹿やキジのオスがメスを呼ぶ声を模写した笛で、この音を聞いて近くのライバルのオスが何だけしからんと飛び出て来たところをバンとしとめるという笛です。シカ笛はクマの骨にガマガエルの皮が貼ってあるそうで。上の方の管を口に当てて吹くというものです。ちなみに鹿の骨は削って服用すると骨折に有効な薬用があるそうですが、逆に皮下脂肪の油は鹿の油よりも熊の油の方が薬用・美容の効果はずっと高いそうです。

 

碧祥寺マタギ資料館

碧祥寺の博物館は沢内大田の「農家食堂およね」の反対側の坂道を上がったところにあり、大人500円で4つの資料館を見学できます。上の写真はそのうちのマタギ資料館になります。20名以上だと団体割引があります。

 

八幡平ドラゴンアイ

さて、全然話題は変わりますが、昨今有名になった八幡平の「ドラゴンアイ 」(鏡沼)です。決して仕事にゆとりがあって出かけているわけではないのですが、何かの用に合わせて半日プラスしてぶらり軽トラの旅に出るのが、この春からしっくり来ていて、良い癒し効果にもなっている気がしています。6月8日頃に開眼した(中心点が雪解けで黒くなる)というニュースでしたが、この6月14日ではちょっと遅かったようで、ベストは6月10日辺りだったでしょうか。。雪解けの様子が龍の目のように見えるとのことで人気のスポットになっています(NHKの「山カフェ」でも放送していました)。

 

八幡平ガマ沼

ドラゴンアイ から八幡平山頂を経て、こちらはガマ沼です。美しいですね。

八幡平マツ

八幡平はトドマツが多いようです。八幡平の山頂(といっても明確なピークじゃありませんが)から「源太森」の方面を目指して散策しました。

 

八幡平池塘

八幡平という名称に対してこれまでぼんやりした認識しかなかったのですが、なだらかな丘陵地帯にトドマツの林と池塘が点在しているという景観です。駐車場から短時間でぐるり散策でき、登山というよりは散策ですね。鏡沼の辺りはドラゴンアイ ブームで多くの観光客が来ていました。6月ともなれば普通の服装で問題ありません。ただ悪天候の時はやはり厳しく冷たい雨が降ることは当然です。

 

寺山修司オペラ「黙示録」

さて、この日は夜に寺山修司の観劇の予定があり、これに先立って八幡平にも足を運んだのですが、夜、岩手県民会館に久しぶりに行きました(中ホール)。2010年度から7冬、土壌分析のアルバイトで公会堂の隣、盛岡広域振興局の4階の農業改良普及センターの実験室から正面に県民会館を眺めながら分析業務をやっていたのですが、その仕事がなくなって、内丸の官庁街に来る機会もなくなっていました。年に2〜3回は映画を観に大通り近辺に行くことはありますが、映画は北上市の場合もありますし。

オペラ「黙示録」というタイトルで、かつてNHKのラジオドラマになった寺山自作の脚本に、盛岡の方が室内楽用に全編に作曲し、演奏も出演も盛岡在住の方によるものでした。特にピアノは途切れることなく演奏が続き、要所要所で弦楽四重奏が加わるというスタイル。主役は圧倒的にピアノですね(上演時間は休憩除き1:40くらいでした)。

とても力作でした。オペラというには小規模ですが、とても味わいのある時間を過ごせました。金田一駐車場に停めていたので、ついでに大通りでラーメンを食べて帰りました(CT33ビルのラーメン屋です)。

田畑では、田の除草、りんどうの草取り&芽かき、そしてにんにく、次いで小麦の収穫が近づいている、という段階です。草イチゴ、苗代イチゴ、冬イチゴ、バライチゴ、カジイチゴ 、ノウゴウイチゴ、熊イチゴ、そしてキイチゴであるモミジイチゴも順調に生育しています。この6月、新たにエビガライチゴと紅花イチゴが加わりました。紅花イチゴは八幡平でも見かけました。コケモモ類もいろいろありますが、これら植えたところを毎日観察して歩くのは楽しいものです。こうした野イチゴ系のジャムなど、いつかは生産してみたく思っています。

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田植えが終わりました

田植え2023

真夏の暑さが来たかと思うと雪が降りそうな寒さで乱高下した気候の5月が終わりました。亀の尾とひとめぼれ、それに昨秋分けていただいた「ササシグレ」の苗などを植え、今年の田植えがまず終わりました。2回目の植え代かきをタプタプの水量にして回転を上げてトロトロ層を作る狙いのやり方をしてみましたが、部分的に凹凸になったりもし、そう簡単ではないなという感じもしました。今期は地域おこし協力隊による援農活動も加わっていて、例年以上に、よりきめ細かく稲作の諸作業をきっちりこなしていけたらと思っています。

何より、ササシグレがこちらの冷涼な気候でどうなのか、これが最大の関心事です。

 

チェーン除草2人版

そして苗の活着を待ち、チェーン除草をしました。写真はひとめぼれの田です。協力隊員の彼と2人で引っ張り合うことで、直接背中にたすき掛けロープで田の中を曳きずって歩かずにすみますね。田の短い幅の方を向かい合って往復でチェーンがけしておりますが、この後の動力除草機を使った作業は長い面を進行することになるので、90度逆の引き方をしてみました。うっすらと既に生えた雑草を取ることはできませんが、撹拌して泥水を作ることには効果があることと思います。あんまり田植え直後ですと苗に影響がいくし、遅れると田面が固くもなり、タイミングが非常に難しいです。

 

にんにく2023年5月

にんにくも旺盛に育っています。やはり雪解けが早かったのはありがたかったですね。春になって株元の草取りをし、次はトウ摘みですが、その前に気になっていた通路の雑草の草刈りも、今日完了できました。

 

2023年5月末の小麦とにんにく

にんにくと並んだ6月1日の南部小麦の生育状況です。いつもはこの6月になってからの出穂ですので、1週間程度前倒しで進んでいます。去年秋の播種は播種機を使用しました。均一に蒔けるというメリットもありますが、おそらく一番の効能は、覆土が深くならないで済むという点と思います。溝を掘って手で播種し鍬や長靴等で覆土するというやり方ではどうしても覆土が厚い深蒔きになってしまい、それが生育や、あるいは積雪地の難題「雪腐れ」菌に負けるという状態を招くと考えられ、播種機はそれを防いでくれるようです。

写真は南部小麦ですが、雪解けが早かったからか、その播種機使用が良かったか、これまでにない生育の良さです。一方のアリーナ小麦は、マメ科緑肥のクロタラリアの漉き込みの効果によってか、昨年の壊滅状態に比べるとそこそこに生育してはいますが、まだいくらか雪腐れの影響は受けているようです。アリーナは今度の秋は別の圃場で緑肥も行った上で作付けしてみようと思います。アリーナはヨーロッパの品種だけに、基本、雪には弱いのだと思います。それでもここ沢内でこれまで何年もしっかり育ってはくれました。畑を変えることで再び長稈の濃い葉色の姿を再現したく思います。

それにしても、南部小麦は雪腐れには非常に強いことは検証できました。とはいえ、ここは豪雪地です。雪腐れの原因となる連作を避けるためにも南部小麦圃場にもマメ科緑肥栽培を盛夏の休耕期間中に、全圃場とはいかなくても、順次行っていきたいと思います。緑肥の種代はかなり高価なので、そこが難点です。

 

自家製ルバーブのジャム

2021年晩秋に植え付けをしたルバーブが、昨年2022年の1作を収穫せずしっかり養成し充実させて、今年初めて収穫しました。当園とも共同で農産加工を手がける「味工房かたくり」の加工場でジャムになりました。第1号です。

 

ルバーブ園2023

「クリムゾン・チェリー」という品種になります。西日の強くない畑に籾殻や稲わらをたっぷり入れ、有機質(油粕)のみの栽培になります。近年は夏場の高温猛暑が特に西日本東日本では顕著なようです。ルバーブは暑さを嫌う作物でもあり、ここ沢内のような冷涼地で適度な雨により過乾燥にならない土地柄はかえってルバーブに向いているとも思われます。反面過湿にも弱いため、排水面の配慮は必要です。この場所は住宅の敷地と隣接した元々は田んぼでしたが、川のそばで石が多く、それはマイナスではありますが、水はけはとても良いのです。田としてはザルで不利でも、ルバーブにはきっと味方してくれる気がしております。

 

ルバーブ根塊

植え付けした時のルバーブの根塊です。今後数年間隔で、適宜株を掘り上げてはスコップや押し切りで4等分くらいにし、増やしていくという作業が晩秋または早春に必要になります。

 

タラノキ園2023

タラノキ園の管理も進めています。タラノキは根(種根)より発芽して増殖するのですが、いまこの雑草に覆われた通路部分で、地下に張り巡らされた種根から芽(ヒコバエと言ったりします)がにょきにょきと出て来ていて、それを見つけスコップで土が崩れないように掘り取って、別に作った畝の定位置に植えていくという作業をしています。たらの芽は受注が多く、生産が追いつかないので、できればしっかりと穂木が確保されるよう拡大努力をしたいし、それはいまのこの時期の作業になります。根を直接掘り取って育苗箱等で人工的に発芽させポット育苗して移植するというやり方もありますが、温度湿度管理は難しいですし、こうした切り取った根でなく土中の生きた根から発芽し地上に出現するヒコバエは質量ともに圧倒的に良好です。

逆に、家の敷地内に安易にタラノキを植えることは要注意です。定期的に草刈りで刈っていればいつか絶えてしまいますが、そうでなければあちこちにタラノキが出現し、いろいろ困ることもあるでしょう。庭木の方はご留意ください。

7月に入ると成木の畝は繁茂してもう畑に立ち入れなくなるし、いまのうちに草取り等の管理作業もしっかり進めておきたいものです。写真向こうの方はまだ植えたばかりの苗状態なので秋まで圃場に立ち入れますし、小さい苗のうちはしっかり8月まで草取り作業をしたいと思います。

 

早池峰神社

さて、現在左手首の治療をしているのですが、午前中で終わる診察の後に、病院のある北上市から遠野の早池峰神社に足を伸ばしてみました。雨の日ということもあり、農作業しなきゃと足早に帰るのでなく、やはり時々車を走らせていろんな土地を見ることで心と体のバランスが取れる気がしています。盛岡の知人から早池峰神社の由来についてなど聞く機会があり、関心を持っていました。附馬牛(つきもうし)という遠野の山間部にあり、なんか良い感じの景観でしたね。附馬牛、自分には心地よい土地柄でした。

 

早池峰神社山の神

阿仁でマタギ資料館や山の神を祀る神社に行ったりしましたが、この早池峰神社の中にも「山の神」の碑がありました。

 

早池峰神社馬の絵

遠野は馬産地ですよね。味わい深いです。時々ぼーっとこういう場で安らぎたいと感じます。

 

地早池峰神社地図

入り口付近にあったとてもわかりやすい案内図です。薬師岳がありその向こうはいったん谷間で幹線道路が走り、そしてその奥に早池峰山がそびえているんですね。静かな佇まい。月並みですが、心身の洗濯になった気がします。

 

稲荷穴

早池峰神社に向かう前に、いまは遠野市の宮守(ワサビの産地)でワサビラーメン定食を食べ(ラーメンと餃子にワサビが。。)、そして近くの「稲荷穴」という洞窟を見学しました。洞窟は好きなんですが、ここはちょっと中に入って探検という感じではなく狭い洞窟内に川が流れているというものでした。平日だし、ほぼ誰もいない山道のドライブです。長野県最南端天竜川沿いの誰もいない道路を走ったことを思い出しました。ここよりも天龍の方が秘境感があったかな。

 

宮守眼鏡橋

同じ宮守の「眼鏡橋」、昔子どもたちと来たはずですが、あまり記憶に残っておらず。。銀河鉄道が地上から空へ駆け上っていくシーンが彷彿されますね。

ちなみに、映画「銀河鉄道の父」を観て来ました。賢治の地元県というだけあり、平日でもかなりのお客さんでした。つくづく、妹トシが不憫ですよね。聡明で、賢治を励まし、最大の理解者でしたのに。。賢治の持つ迷いや心の弱い部分、内面の葛藤や自己批判的な傾向、現実を直視しようと力みながらも自分の慣れ親しんだイメージ世界にこもりたがる傾向。。こうした点はとてもわかり、自分も近いのかなと思います。役所広司が演じた父親像は、息子への愛と理解しようとする気持ちに満ち溢れていました。いままで何となく解釈していた賢治の父の印象とは異なっており、私には意外に思えました。

 

旧岩谷堂共立病院

かつて子どもたちを連れて訪ね、その断片的な記憶だけが頭に残って、あれはどこだったかな、と気になってGoogleマップで調べてみる、ということを夜に最近よくやっておりますが、この「旧岩谷堂病院」もその一つで、賢治の映画を観た後に、思い立って訪ねてみました。江刺の「えさし藤原の郷」の近くにあり、15年くらい前に「種山ケ原」へ行った帰りに見つけて立ち寄ったと思います。今回、管理人さんがいて(美しい人)、他に誰もいませんしとても丁寧に解説していただきました。

子どもたちが大きくなっていくにつれ、小さかった時の記憶が遠のいていって記憶が幻のように感じる時があります。そういう記憶の断片像をたどり直してみたい気持ちは後ろ向きであまり健全なことでもないのかもしれませんが、田畑で黙々と稼ぎながらも、時に田畑を飛び出して映画を観る、いろんな土地を訪ね歩く。。先にも述べましたが、そういうことを織り交ぜてくらしていくのが自然なことなのだと最近思います。

子どもたちが小さかった頃というのは農業面でも栽培技術的にまだ確立していないさまざまに不安定な面もあったし、そんな中でも子どもらにいろんな世界を見せたいという願望もあって、農業と外出スケジュールをこなすので精一杯でした。その出かけた先の中身などしっかり味わえていなかったかもしれませんね。前回同じように思って訪れた「マリア観音」について書きましたが、過去の不完全燃焼の部分をたどり直してみたい、そんな気持ちは誰しもあると思いますし、時々は田畑から出て何かしらの見聞を続けたいものです。

年齢的にも、人生の集大成をという年頃に達して来たのかもですね。。

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阿仁への旅

マタギ資料館

大型連休も終わりましたが、気温高めの好天の日もありましたけど、5月6日は終日の雨予報で。。ずっと農作業続きでしたので、本降りの天気そうだし気分転換にふと思いついたドライブ旅行を実行しました。阿仁マタギの地を探訪します。雫石のR 46号に出て、仙岩トンネルを抜ければ秋田県です。すぐに田沢湖で、そこから北に上れば阿仁と呼ばれる地域になります。

こちらへ移住する2年前に、東京からバイクで訪れました。阿仁を経て森吉山の中腹を走って白神山地へ向かう旅でした。「阿仁」を意識した動機は「釣りキチ三平」著者の矢口高雄氏の影響によるものですね。農家を志す気持ちが固まった時、大学が信州だったことで長野県での移住就農も模索しましたが、その後東北に気持ちが向かうことになったのは、阿仁マタギのイメージが東北にはあって、それは確かに長野にない要素だったろう、という思いがあったのですね。東北は未経験・未知の世界で、テントを積んで北に向かったのでした。そのツーリングで初めて東北へ移住するという考えが視野に入って来ました。

 

マタギ鉄砲

そんなことを思い出しながら阿仁に向かい、今回2度目となるマタギ資料館を訪れました。温泉宿泊施設の館内の一室が資料館になっており、当時(1994年)とはちょっと違いましたね。展示品はそう代わりないだろうと思いますが。村田銃などが陳列されていました。

 

マタギ武器類

その他の武器や熊を獲る時の補助具などです。

 

マタギわな等

カンジキをはじめとした道具や罠など。陳列品は結構多く、ここが日本で一番のマタギ資料館に違いありません。

 

マタギ巻物

このような歴史的に重要な資料も実物が展示されているんですね。

 

マタギ山の神

山の神の信仰というのが阿仁のマタギの根幹を成しているように思います。ちなみに、山の神は女の神様で、確か片目だと何かで読みました。上の写真も拡大すると左目がそのようになって見えます。理由は調べましたがわかりませんでした。

ところで、こちら西和賀町沢内は阿仁と似た景観風土であり、実際にマタギ博物館(沢内太田・碧祥寺境内)もあるのです。もちろん地元なので訪れています。が、ここ沢内では、あまり「マタギ」とか言わないんですよね。熊を撃つ人は多くいますが、「鉄砲撃ち」とか呼び、マタギとかシカリとか独特の言葉は使わないように思います。実際熊撃ちと話をしてそう思いました。夏は田んぼをやったり建設関係の人もいます。

 

マタギ沢内

解説パネルに確かに「沢内」とあります。岩手で唯一とは驚きですね。ちなみに、この図と同じ図が沢内の碧祥寺マタギ博物館にもあります。思い起こせば狩猟のための道具や山の神像も陳列されてありました。この博物館では阿仁と同じように「マタギ」の語も出て来ます。でも、実際の熊撃ちはマタギって言わないんですが。。なぜか。。あくまで秋田・阿仁の言葉遣いなのでしょうか?? 多分沢内の博物館を開設するに当たって、おそらくは阿仁のマタギ関連の文献を参考にされたのではという気もしています。学術的歴史的には阿仁が中心地なのでしょう。が、言葉遣いとかまでは奥羽の峠を越えてこちらまでは伝わりきれなかったのだろうと推測します。とはいえ、阿仁と沢内は地理的気候的に近さを感じますし何となくほっとする場所でした。

それしても、言葉遣いはどうあれ、マタギ文化は日本海側気候の多雪地帯に分布していますよね。積雪により冬の農閑期が長く、そのため生活のため、産業の一つとして熊を獲る文化が養われたのではないか、という気がいたします。

 

マタギ小屋

マタギの小屋だそうです。こちら資料館のある温泉施設の駐車場内にありました。雪に強い形ではありますが、2mほどの積雪には耐えられない気がします。無雪期用に建ててはほぐしという形で使ったのでしょうか。。

 

打当の山神神社

山の神様を祀る神社があり、資料館のある打当地区の神社です。鳥居の上部には山神神社と書かれています。山の神については沢内の博物館にも像があるのですが、山神神社というのはありません。代わりにではないかもしれませんが、「山祇神社」はたくさんあります。

 

沢内の山の神

この山の神像とオコゼの写真は2017年2月に地元碧祥寺のマタギ資料館で撮影したものですが、上に山の神の御神体という説明があり、山祇神社に祀られるという語句を見ることができます。2枚の別の写真を組み合わせたものですが、オコゼの上の説明文は左の木彫りの山の神の像を指していると思います。農家が農閑期に作ったのでしょうか、こうした木彫りの無名の像が沢内ではあちこちにあって、「山祇神社」や家の神棚に奉納されているということのように解釈されますが、阿仁では数か所の「山の神神社」に祀られており、また手作りの無数の神像があるわけでなくて、阿仁資料館のパネルにある写真のごとく、素人の作ではない立派な御神体が奉納されているという感じなのでしょうか。。

 

マタギ資料館1994年

ちなみに、1994年の今回と同じく大型連休の折にバイクで出かけた際の阿仁のマタギ資料館で撮影した写真が出てきたので、スキャナーしてみました。この時は独立した建物だったような気がしますが、30年近く前のことなのであまり覚えていません。。自分の無意識ながらも趣味趣向というのは変わらないものですね。何にシャッターを向けるか、何年経っても変わりませんね。

 

根子山神社

次に、こちらはマタギの発祥地と言われる阿仁の根子(ねっこ)集落にある山の神の神社です。隙間から中を見させてもらいましたが、この奥に山の神が祀られていることと思います。

 

根子集落の遠景

根子に入ってすぐの少し高台から集落を遠望しています。新緑と雨で雲が沸き立つ様子が美しいです。

 

根子のトンネル

この根子集落に入るにはメインの国道から脇に逸れ、トンネルを抜けて来なければなりません。昔は峠越えでしょうが、いま現在でもこのトンネルはとても狭く、対向車とすれ違うことなど到底できず、随所にすれ違いのスペースがありました。結構長いトンネルでしたが、幸い車と行き違うことはありませんでした。車内からの撮影で、ナビのアンテナに引っ掛けたマスクが写っており恐縮です。高さ3.8mとうことでかろうじて大型トラックも通れなくはなさそうで、トラックが入れないと何かと大変ですがそれは大丈夫そうでした。

 

またたびラーメン

お昼に、打当の資料館の建物内にあった「シカリ」という食堂で「またたびラーメン」を食べてきました(950円)。山菜がしっかり入っています。ワラビも多く入ってましたが、固かったですね。と言うか、沢内のワラビは柔らかくして食べる風習なので、固く感じたということで、こちらが普通なのでしょう。あっさりとしてまた食べごたえもありました。

 

くま牧場

近くにくま牧場があり、こちらも29年ぶりに訪れてみました。この連休から冬の休み明け営業となっておりました。

 

くま牧場遠景

ひぐま舎の2階から眺めた景色です。良いですね、阿仁。

 

ツキノワグマ

ツキノワグマがいっぱいいて、みんな動き回っています。29年前の時は確か子グマを抱っこできたような気がします。自分も抱っこした記憶があり、爪が当たって結構痛かったような?? 当時はもっと子連れ客も多かった気がします。連休ですがあまりお客さんはいませんで、資料館も、ラーメンの食堂も私一人でした。雨だったからですかね。

 

ヒグマ舎

こちらがひぐま舎です。10年くらい前、秋田の八幡平のくま牧場で冬に除雪機で排雪して出来た山をひぐまがよじ登って脱走し、餌係であったおばあさんたちが死亡した痛ましい事故がありました。とてもセンセーショナルなニュースで、襲った熊は餌も十分に与えられていなくて飢餓状態だったとのことです。この事故を受けて、八幡平は廃園しこちらの阿仁で飼育するようになったそうです。ひぐま舎はその際に建てられた建物のようで、29年前にはありませんでしたし、ひぐま自体もいなかったのではと思います(?)。そもそも一般の動物園にもひぐまはいるのでしょうか? 八幡平くま牧場の時のニュースで初めて本州にもいたのだと知りました。

 

ひぐま

ひぐまは1頭ずつ時間を決めて飼育部屋から庭に出て来ます。ツキノワグマのように大勢で見ることはできません。2頭以上一緒にしておくと喧嘩して、実際1頭死んでしまったらしいです。そういえば「ゴールデンカムイ」でもひぐまはよく登場しますし、人が襲われるシーンも多く出て来ます。なお、阿仁マタギも出ていましたね(第7師団の谷垣ニシパ?)! このひぐま舎はツキノワグマよりも人気を集めているようで、園の目玉になってるように思いました。もっとも雨でしたしお客さんは少ないです。左は池で水浴びし、ブルっとしている瞬間です。ものすごいしぶきでした。

 

ハチ公の生家の像

さて、阿仁のマタギ関連と熊を観ることができたので、目標は終えたのですが、そのまま引き返すのもなんだしと、北に大館の方へ向かいました。忠犬ハチ公の生家というのがあり、見て来ました。ハチ公は秋田犬だったんですね。

 

ハチ公の生家のトイレ

こちらは案内板を兼ねた公衆トイレです。こちらの施設の方がユニークかもですね。

この後は大館のコメリで買い物をして帰路に着きました。大館から鹿角へ出るのですが、そのあとはこの前通った十和田湖からの帰り道とダブらないように、今回秋田のドライブということで、八幡平の秋田側、玉川温泉を通るルートで宝仙湖を抜けて田沢湖、仙岩道路で雫石、というルートで走りました。八幡平アスピーテラインは午後5時で閉鎖になるというのは知っておりますが、その閉鎖が田沢湖へ至るこれから走る道にまで及んでいはしないか、ちょっと心配でした。まだ連休のさなかというのに車の往来などほとんどない山道です。一応国道なんですが。。

ひぐまの事故で閉鎖になった牧場も鹿角からのこのルート上にあったのをいま知りました。アスピーテラインの辺りはさすがに道路脇に雪が残っていて、一部車道にも雪崩れて来ている箇所もあり、夕方暗くなりつつあるし、ちょっと心細い気もしましたが、まあこういう走りはいつものことですし、とにかく車の故障がないことのみを祈ります。ちなみに、この玉川温泉近辺の道路にはガソリンスタンドは全くありません。山間地のスタンドは土日休みだったりもするのであてにはできません。田沢湖近辺の国道で給油はしておきました。

 

宝仙湖

玉川温泉を過ぎ南下すると美しい宝仙湖に出ます。これは最南部ダムのそばからの1枚で、夕方6時半近くになっています。写真はPhotoshopで明るく改造しています。

 

カリヨンの鐘

そのダムの脇に「カリヨンの鐘」と言うスポットが。ビゼーの組曲「アルルの女」にもカリヨンという曲があったですね。定時ではなかったので大きい金のみ手動で鳴らして来ました。西洋の鐘の音、私はとても心が安らいで好きです。ここも偶然見つけ立ち寄ったわけでなく、前夜にGoogle マップを見ていて「カリヨンの鐘」に着目して、停車したのでした。

暗くなり、あとは帰るだけ。土産を買うようなお店もありません。。

 

くま牧場1994年

1994年のくま牧場の写真です。ここに落ちたら一巻の終わりですね。熊たちは何に注目しているのでしょうか。。

 

阿仁1994年

バイクにテントを積んでのツーリング。アルバムのメモに阿仁と書いてあるだけでどこか全く覚えがないですが、いずれ阿仁で一泊したようでした。いまだったら軽トラの幌の中でテントなしに場所も選ばず寝ることができますが。。

今日はまた寒さが戻って来て、冷たい雨が降っています。岩手北部では数センチの積雪もあったそうです。タラノキの種根の管理作業と田の排水部へのパイプ設置などの作業をしておりました。タラノキ部門では管理をしっかり行い発芽育苗に成功させ、無事にタラノキにできる苗を一本でも多く育てるべく努力しています。今夜は0度になるそうで、いろいろ警戒です。。

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2023稲作が始まりました

山桜2023

雪解けが早かった2023年春、3月下旬から気温も高くて好天が続き、そしてその反動で例年と同じく、4月10日頃、稲の種籾を蒔いた直後より寒い日が1週間続く、という前進後退をしながらの、2023年春作業のスタートになりました。例年5月4日に満開になる農作業の指標木でもある山桜は今年は4月27日に満開となり、ちょうど1週間の前進での推移になっています。とはいえ、続いた低温への対策に透明被覆を使用して苗箱内の温度確保に努めましたが、まだ出芽には少々ムラがあるようです。この地域では出芽機をみんな使用しますが、その寒冷地ならではの理由がよく分かります。やっと居座り続けた寒気が去って行きつつあり、春なのに暑くて、という気候に早くなってほしいものです。

 

亀の尾種籾

種まきは普段通りの4月12日。小規模農家用の種まき機で2日かけての播種作業となりました。

 

種まき2023

今年はササシグレの種籾が入手できまして、亀の尾・ササシグレ・ひとめぼれ・いわてっこの4品種での作付けになります。ササシグレが成功するかどうかが最大の懸案になりますが、病気にかけずそこそこに穫れるようであれば、ひとめぼれかいわてっこのどちらかを減らし、最終的には3品種の体制にしたく思っています。品種数が多いととても諸々作業が大変になります。亀の尾もですが貴重な籾であるため、コンタミも軽減しなくてはいけません。

 

たらの芽2023

たらの芽部門では、はタラノキ畑がなかなか順調に当初の作付け時点の規模にまで改植が進んでおらず、7a程度での圃場での収穫分でのたらの芽栽培となっております。定期的に注文をいただく飲食店の方々への出荷を除いた余剰分はあまりなくて、収穫の波が大きく来た時のみ、限定的に個人の方向けにフリマサイトを利用しました。ありがたいことに生鮮品であるたらの芽の売れ残りという事態になることなくご注文をいただいて、出荷販売を完遂することができました。3cmの厚さに収まることから、クリックポストを活用することで、送料を抑えた形状の出荷を行うことができました。大小がまちまちになるのは恐縮に思いますが、これから春の栽培管理の時期、できるだけ均一な太さのタラノキを生産する技術、というのもしっかり実現していきたいと思うところです。芽かきの技というところですね。

 

やまなし研究会2023

イワテヤマナシの研究会への参加も10年を超えて時間は重ねて来ておりますが、九戸や水沢で生産グループが立ち上がっていくのに比して、当地西和賀では私が個人的に栽培実証を行っているという域を出ず、力不足を感じる昨今です。現在は水沢が中心になっていて、研究者の神戸大学片山先生も水沢の圃場によくいらっしゃって、私もそうした機会には研究会に足を運んでいる次第です。

大きく生産出荷のグループ活動をということになれば、出荷先の見通しや、ある程度大がかりな加工の体制も必要になって来ます。そうした段階が集団の取り組みの目標にはなるだろうとはいえ、ここ沢内のような場所でいきなり大量の作付けを、という方式を目指すのではなく、採れた果実を自家加工で小さく、イワテヤマナシの魅力をメニュー化・商品化して個別の消費者に提供できる形、というのが取り組みやすいやり方なのかな、と思っているところです。

 

東北ユースオーケストラ

農業外の記事になりますが、3月21日の祝日、盛岡でマーラーの5番のコンサートがあり、出かけて来ました。東北ユースオーケストラという若い楽団のコンサートでした。流石に音楽のプロを目指す若手プレイヤーの集団です。演奏は見事でした。震災復興のテーマを掲げたコンサートでした。このコンサートの直後にお亡くなりになった坂本龍一さんの震災追悼オーケストラ作品が最初に演奏され、その後に宮沢賢治の作品にちなんだ朗読等の要素も含まれたプログラム、そしてマーラーでした。写真が小さくて分かりづらいですが、朗読部分を担当した「あまちゃん」ののんさんが全プログラムの終了後改めてステージに出てこられたシーンです(指揮台やや左)。その左には進行をされていた、かつてニュースステーションで毎日目にしていたアナウンサーの渡辺真理さんも登壇しての終了時の写真です。渡辺真理さん、2001年9.11テロの時のアナウンサーだったですかね。

地方にいてマーラーを聞く機会はあまりありません。ブルックナーもですが。。ふだんはもっぱらCDで聴きますので、細かい部分がどうなっているか、生ではいろんな楽器に目移りしつつ、音の実証確認しますね。やはり目立つ打楽器に目が行きますが、ティンパニの女性、とても上手でした。見ていればどこがティンパニでどれが大太鼓かもはっきり分かりますよね。生ですから。またマーラーといえばタムタムですが、5番では、前半こそ多用されるものの、後半は全く出番がなかったんですね。確かに、タムタムは運命的な宣告を与える要素です。短調の暗い音色の1、2楽章はタムタム的、ですけど、明るい音色に変わっていく3楽章以降はタムタムという感じから抜け出していたかもですね。そういう部分も演奏会ではよく分かります。

東京にいた時はN響のNHKホール当日券D席1,000円のコンサートにお世話になりました。滅多に演奏されないマーラーの3番も、8番「千人」もここで生で聴きました。この2曲は一生忘れられないメモリアルです。上京した初年度、上野の文化会館に、朝比奈隆のブルックナー8番(大フィル)を聴きに行けたのも貴重な思い出です(36年前ですね)。

 

ヤマメ2023

昨年3月に、盛岡在住の、山間地の生活技術や歴史伝承習俗に長けた方を招いての集いを石鳥谷の「カフェそら」さんで行いましたが、その第2弾を西和賀で行いました。懇談会に先立って、わが家の家の前で早速ヤマメを釣り上げた達人の腕前です。渓流釣りでも目印ではなくてウキ(玉ウキ)を使うことで、ウキ下のハリスと針の動きを自然にする効果を狙っていると思います。目印よりウキの方がよく見えますしね。家の前にはヤマメとイワナの両方がいます。すっと移動して捕食するのはこのヤマメで、岩陰でじっと餌を待つのがイワナだそうです。川岸に立てば、達人にはどの辺にどれくらい魚がいるか、カンでわかるそうです。もちろん、クマの気配は常人の何倍もの感覚で察知します。

このあと、古民家「ツキザワの家」でこの達人の方を囲む懇談会を行い、家の管理者の写真家の瀬川さんご夫妻ともとても話が合って盛り上がりました。農作業が本格化する前、自然や生活の技に関する有意義な話題を聴きながらのひとときを過ごすことができました(ツキザワの家は8月の記事で襖絵も紹介させていただきました)。

 

マリア観音標識

さて、子どもたちの小さかった頃のことを思い出し、あの時行ったあの場所はどこだったっけ、と思い改めて検索してみることがよくあります。当時は岩手の土地勘もわからずに出かけていましたし、ああ、あそこに行ってたんだ、ということもよくある話ですね。その一つが一関市東山町にある「マリア観音」でした。気になり始めると、とことん探したくなり、当時の日誌とGoogleマップのおかげで「マリア観音」の名称と場所が特定できました。2007年5月3日に大船渡や陸前高田へ出かけ、その帰り道にふと見つけて立ち寄った光景がずっと片隅に残っていました。2007年の訪問の時は写真に残していなかったんですね。

その日は、震災前の高田松原にドライブに出かけ、その海岸のそばにあるちょっとした公園で、3歳だった長女を遊ばせていた時に、地元の子かな、10歳くらいの女の子が、長女が滑り台で遊ぶ様子をそばでやさしく見守って手助けしてくれたり、ぴったりくっついていてお世話してくれたことがあり、とても印象に残る光景だったのです。

2007年5月3日

お姉さんに娘が遊んでもらっている写真が残っていました。震災の4年前。この公園はもう失われているはずです。お姉さんはお元気でしょうか。いまは25歳くらいかなと思います。この光景はずっと忘れられないです。

 

マリア観音出発地

当時帰り道に寄った「マリア観音」は残念ながら、いまは落石の危険ありということで立ち入り禁止になってました。15年前の記憶ではこの像のあたりから上へ登って、岩場内のマリア像へ至る急峻な道だったと思います。これ以上の写真は撮れませんでした。

 

幽玄洞入り口

せっかくなので、すぐそばにある「幽玄洞」を訪れることにしました(入洞には1,100円かかります)。

 

石筍こま犬

ところどころ、後から設置された石仏などもありますが、いろんな造形美を見せてくれた洞窟でした。石筍こま犬とあるのは、石筍がこま犬のような形に形成されていることからの命名のようです。

 

石筍こま犬

アップするとこんな感じですが。。。

洞窟サンゴ

昔岩手が海だった頃、四射(四放)サンゴとかウミユリとかの化石がここに閉じ込められたそうです。こうした姿を正確に表象するのは難しいですが、専門家による標識がたくさんありました。

 

フローストン

これは生物ではなく水による岩盤の削りの痕跡のようです。

雨の日の、買い物等用足しを兼ねたドライブでした。

 

十和田湖標識

こちらも所用で出かけた青森県の帰りに立ち寄った十和田湖です。奥入瀬渓谷はちょうど新緑が綺麗で(いつもより早いでしょう)、観光客も多くいました。夕方でもありあまり立ち止まらず十和田湖へ向かい、これはメインの道路から逸れた山道を走っていたからこそ出会えた展望台で、ここで美しい十和田湖を眺めてまいりました。

 

十和田湖展望台より

上の看板の眺めです。湖の佇まいって良いですね。八ヶ岳山麓の蓼科の御射鹿池も良かったですね。。

 

八甲田を望む十和田湖

遠方の山は八甲田山でしょうか。八甲田山の映画、まだ観られないでいます。。

冒頭の山桜開花により、諸々の農作業が一斉にスタートしています。作業時期というのに関係ないビニールやネットを掛けたり、苗物を植えたりの作業は適宜行っていますが、桜の開花でりんどうの芽かき(立ち本数を減らす株仕立て作業)のゴーサインとなりましたし、田起こしや、りんどう新植のための堆肥入れ等の準備も OKです。小麦の通路の除草作業が大きな作業枠になり、時間をかけて取り組むことになります。ブルーベリー等の剪定作業もほぼ終えて、とにかく、抜かりなく、遅れることなく、作業を前へ前へと進めていくのみです。

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長野からのゆっくり旅〜合掌造りの山里と佐渡の探訪

相倉集落合掌造り

恒例になっています冬期の長野県諏訪地方への寒天造りは今年は期間が短く、早めに釜の煮込みも終了したことから、めったにない機会ですし、少し寄り道をしてたっぷりと帰郷の旅路を楽しみました。普段の岩手からの行き帰りでわざわざ大回りをすることはないのですが、大体のコースは通行して来ましたし、今回は木曽から岐阜へ出て、高山から白川郷方面へと向かうことにしました。上は白川郷を見た後に、たまたま案内標識で見て立ち寄った「相倉(あいのくら)合掌造り集落」で、白川郷以上にすばらしい、この冬の一番の絶景フォトを撮ることができました。雪の山道を10分くらい登っての観測ポイントからの眺めは感動的で、日曜日でもあり観光客も結構いましたが、みんな感嘆の声を上げていました。あまりに美しく、大きいフォトもリンクで掲載しておきます。

相倉集落2なぜこのような光景に惹かれるんでしょうか。外国の童話の挿絵等でも見たことがあるような、田舎集落と背後に高い雪山の取り合わせ。世界に通ずるいわばやはり原風景で、心の底でえもいわれぬ何ものかに掻き立てられる感情でしょうか。。住みたいですよね。でも実際住めば、えもいわれぬ気持ちはなくなる気もします。

背後の山は白山と思います。岐阜へ入った時、白山は見たいと思いつつも、なかなかその全貌を眺める場所に恵まれず、高山から白川郷へ至る山道も谷間の庄川という川沿いを通るために眺望はそれほどよく得られません。河童橋から穂高を眺めるようには、白山は姿を現してくれませんでした。

それにしても高山から白川へ向かう国道は、往来も少なく、おそらくみんな高速を通るのでしょう。完全な雪道でしたので4駆をかけ、慎重に走りますが、荷台にテングサの煮カスを100kgくらい積んでいたので少し安定感はあったかもです。それにしても対向車が少ない。車と出会わない。12月31日の長野・愛知・静岡の県境付近の天竜川の感じです。もしかしてあと少しで白川郷というところで冬期閉鎖になっているとか?? そんな不安もよぎりました。それほど山奥の道でした。

あるいは高速を走っていたらもしかして白山は見えたのでしょうか? しかし上の相倉集落の背景にある山はどうやら白山の一部のようですので、少し安心しました。ちなみに、東京で勤務していた出版社のあった土地が文京区白山でした。それで白山の言葉により惹かれるものを感じていたのかもしれません。

 

帰雲城址

この庄川沿いに走る道路脇に、沈んだ城の跡というような案内があり、車を停めました。一見遠目に西洋の修道士かのように見えた石像に惹かれ、近づいて眺めましたが、雪でほとんど何があるかわかりません。帰雲城(かえりくもじょう)という城が昔あり、ここで沈んだということですが、家に帰って調べてみると、1585年に東海や北陸を襲った大地震により崩落した土砂に埋もれてしまったという記載がありました。こんな山奥にもお城があったのですね。

 

白川郷

そして、道路の閉鎖に見舞われることもなく、突然に人々が往来する世界文化遺産の白川郷に着きました。外国人だらけです。外人にとってはこのクラスの雪も茅葺きの建物もさぞ珍しいことでしょうね。東南アジア系の人が多く、また少数ですが欧米系の人の歩いて移動している光景が割と目につきました。バックパッカーとまではいかないかもしれませんが、欧米系は個人の客で、アジア系は団体客という感じでしたか。駐車料が1,000円かかりました。人が多くてマスクしますが、眼鏡が曇ります。。

 

白川郷合掌造り屋根裏

有料で見学できるエリアに立ち寄って、合掌造りの中に入ってみました。私は沢内へ移り住んだ2年目に、住んでいる屋根の葺き替えを手伝ったことがあります。こうした屋根裏に上がって、カヤ葺きの人が外側から刺してくる紐付きの大きな針を中に押し入れて、写っているように丸い骨組み棒に紐を通して、もう一度その針を抜いてもらい、骨組みどうしではなく外と中でカヤを挟んで紐で縫うという作業を行いました。

 

合掌造りのき

軒下を見上げるとはこんな作りになっています。建物の中には昔の農具や生活具が展示されていたりしましたが、これは11月に岩手の川井でも見ましたし、そんなに珍しくもない感じでしたが、外国人にとっては興味深いものだったでしょう。「カンテラ」など実際どうなんだっけという品は写真に収めて来ました。

この白川郷はあまりにも有名ですが、でも景観としては「相倉」ですね!

 

木曽白川の氷柱群

相倉集落の光景が印象的だったためにトップに記させていただきましたが、順序としては、茅野の寒天工場を発った日は杖突き峠から伊那に入り、権兵衛トンネルから木曽へ抜けて、木曽福島の辺りの山道をフラフラしました。

釜の煮込み作業は夜の11:30から始まり、クレーンでの舟への煮汁移し、濾過した煮汁のノリツギ作業、固まった液の天切り作業、次の草の釜入れ作業を終えて13時過ぎから16時のエアかき混ぜ(棒立て作業)まで2時間ちょっと休憩があり、ここで風呂に入ったりしますが、ちょうどこの時間に長野SBCのローカル番組をテレビで観ていました。そこで確か紹介されていた氷柱群が木曽にあるということで、今回目指しました。ちょっとわかりにくくて通り過ぎたりしましたが、写真の「白川の氷柱群」がそれでした。写真に収めているのは一部で、高さ50m、幅250mに及ぶと記されていましたが、今年はそこまでにはなっていないようでした。地下水が染み出してツララになっているものです。御嶽山の近くまで進みましたが、雲に隠れて見えませんでした。

 

寝覚めの床

木曽といえば「寝覚めの床」ですので、これも掲載いたします。国道からだと線路とかが邪魔ですよね。学生時代に「特急しなの」で通行した時は眼前でよく見え、列車のスピードも落としてくれて案内アナウンスもしてくれました。車掌さんによっては「木曽のナカノリさん〜」と歌ってくれたものでした。いまでもそういうアナウンスはあるのでしょうか。。

3年くらい前にもここを訪れて記事にも書いたと思いますが、名古屋から特急で木曽の山を懸命に登り進み、そして松本のある穏やかな平野部に至ります。遠くには神々しい北アルプスが。。ブルックナーの九番の最終楽章の最後の部分がそうなんですね。激しいトゥッティ(全ての楽器が全力で奏でるクライマックス部)の後に、ふっと突然に天上の光景が拓けて、静かに終わります。アダージョで終わる九番ならではの全曲の締めくくりです。

西和賀沢内もそうですね。北上市から激しい山間部を通り抜け、山間部の盆地平野部に、ふっと至る。ブルックナー的です。

馬籠宿

木曽からは馬籠宿へ向かいました。以前、まだ釜煮込みでなく水車の仕事(テングサを洗う仕事)をしていた時の1日休みがあった折に「妻籠」には行っておりましたので、今回は馬籠に行きました。妻籠とともに、高校の時の修学旅行で来ているはずなんですが、全く記憶にありません。。

 

富山湾岩瀬浜

さて木曽の翌日の、合掌造りの里を満喫した後ですが、富山湾へ向かいました。昔NHK特集で富山湾についての番組があり、内容は忘れていますが蜃気楼だったり、いろんな生態的なこととか、背後に北アルプスが聳えていたり、気になっていた場所でした。ちょうど寒天工場に富山にゆかりがある人がいて話を聞いているうちに、こちら方面へ遠回りして寄ってから帰ろうと決めてました。いつも赴任の最初の頃からもう帰りのコースを検討し始めるのですが、頭の中で合掌造りとセットコースになっております。午後3時頃に岩瀬浜海水浴場に到着し、砂浜からの景色を楽しんでおりました。

が、いきなりのアクシデントが。。海水を触っていて、急に潮が大きくなったので靴を濡らすまいと後ずさりをしたところ、その波が結構大きくて、思わずダッシュし転んで左手を着いた時に結構な衝撃が。。靴は濡れはしませんでしたが、手首は3日経ったいまでもまだ痛く、けっこうな打撲を負ってしまいました。この後富山市内に戻ってガラスの美術館を見て白えびの天丼を食べてから宿泊地である上越市へ向かおうと思っていましたが、すぐに運転ができる状態でもなく、少し仮眠してしまい、それから次の上越市の宿へ向かうことにしました。白えびが課題に残りました。

軽トラなので、当然マニュアル車ですが、左手が痛いです。市街地は信号や渋滞で特にギアの入れ替えが多く、困ったと思いました。結局右手を左に回して2速に入れて発進し、次は4速に入れる、という2段階で何とかこなしました。国道8号とかを新潟方面へ向かい走るわけですが、時々5速まで入れるものの、2・4速式で何とかなりました。それにしても、富山市から上越市までは結構距離がありました。暗がりの中すぐ海が見える道を走りますが、昼間だったらもっと海がよく眺められたことでしょう。

夜に出張先の土地を走っていると寂しくなるということを前回も書いたのですが、2回目の寒天赴任で長野入りした時に、岩手を発ちこの上越市で1泊する行程を取りましたが、暗くなってから海が見えて来た時に、初めて何とも言えぬ寂しさを感じました。今回はもう自宅への帰路行程に入っいるし、そんな寂しさはありません。手首の痛さがあるだけです。

 

佐渡へ入港

上越市内のスーパーで閉店間際の値引き惣菜やビールを買い込んで、軽く晩酌後早々に眠りに就いて、そして翌日は新潟港を目指し早めに出発し、生まれて初めての佐渡渡航を実現しました。

昨夜は暗くて海がよく見えなかったものの、上越から新潟市への海沿いの道で十分に海辺の風景を楽しむことができました。海辺には板張りの住宅が建ち並んでいて、独特の景観を醸していましたし、佐渡に入ってからもでしたが、新潟には竹が多くあるなと思いました。

少しでも安く渡航費用を抑えたいといろいろ検索し、アプリを入れたりいろいろやった結果、ただでさえ足りないギガを消費して、オーバーしたギガ分を回収できたかどうかというくらいの割引率でチケットを入手し、佐渡に渡りました。新潟市からは佐渡は見えませんでした。霞んでいて見えないのか、それとも地球が丸いために見えないのかわかりませんが、フェリーは2時間半の航路で、あと30分くらいという時の佐渡の光景が上の写真です。

フェリーですが、車を積むとうんと高くなるので、新潟港に停めて単身で渡りました。2等席ですが片道3,100円くらいでした。新潟佐渡汽船すぐそばの万代駐車場Eに停め、24時間以内でしたので、翌日800円の料金ですみました(乗船した人の割引価格です)。ちなみに軽自動車でも往復で30,000円かかるようです(運転手1人乗船料金込み)。

 

トキの剥製

船は東側の両津という港に停まりますが、宿を取ったのは小1時間バスで走っての西側の温泉旅館でしたので、バス代が往復かかります。しかも帰りの方は、時刻の少し前に別の方面行きのバスが来るから注意してと旅館で言われたにも関わらず、よく行き先を確かめず、時間的にこれだと思って間違えたバスに乗ってしまい、違和感を感じて運転手さんに確認して2個先のバス停で降りて乗り直すというミスも。。行きは港で少しバスが停車してたので確認できましたが。。乗り慣れていないせいか、どうもバスは苦手です。料金が刻々と変わり、スムーズに支払って降りられるかも気になってしまいますよね。定期券ではないし。

温泉宿のすぐ近くに博物館があったので、午後4時を過ぎていましたが、まずこちらを見学しました。佐渡といえば、1)トキ、2)金山、3)伝統芸能(太鼓や能など)でしょうか。博物館でしたので縄文や弥生の出土品や生き物の剥製などが多かったですが、まあまあ満足。車じゃないのでトキの住む森にも世界遺産が決まったという金山にも行けませんでした。佐渡は結構広く、グーグルマップとかでコンビニが近いなとか思っても経路を見れば歩いて40分とかで、足がないと何もできないだろう感じです。

翌日の旅館からの帰りは、バス下車から出航まで時間があったので両津の港を少し歩く余裕がありましたが、レンタカーがあるじゃないですか。そういえばレンタカーを生まれてこのかた借りたことがありません。いつか、多分その時はもうないでしょうが、再び佐渡に来れた時はレンタカーを借りれば良いんですね。軽だと1日5千円切る感じでした。今回バスは往復で1,500円くらいでした。

砂金採りの道具佐渡金山には行けませんでしたし、博物館にもあまり見たかった展示はありませんでしたが、砂金を取るための道具が陳列してありました。ちなみに、今回の旅で、絵画にせよ展示品にせよ、案内看板にせよ、説明があるとそれは写真を撮るようにしていました。WiFiのない寒天工場にいて無駄にギガは使えないし、夕方5時のおやすみ前のひとときとか、旅先でスマホで撮った写真をその説明書きとともに見返していました。引き伸ばして見れば十分読めますよね。

 

 

 

 

 

 

佐渡文化・鬼太鼓

佐渡にはいろんな演芸の文化が栄えていたとは知りませんでした。太鼓が盛んなのは何となく知っていましたが、鬼太鼓というジャンルになるらしいです。岩手にも鬼の文化というのがありますが、さらにまた能とかも盛んで、能楽堂も結構数あるらしいです。

ブリカツ

小1時間博物館にいて、それから隣の温泉旅館に移り、ゆっくり温泉に入って寒天煮込みの積み重なった疲れと、手首の打撲をたっぷり癒しました。ぬるっとした効能ありそうな温泉でしたね。一人だし素泊まりですので、売店の適当な食べ物と、フェリーの中で買った「ブリカツ」やスーパーの千切りキャベツで晩酌としました。バスなので道中下車して買い物もできずです。居酒屋も館内にはありましたが、温泉から出て出歩く気力も予算もないし、売店のビールと茅野で買っていた五一ワインの大瓶も味わって、のんびりテレビを見て極楽でしたね。何より、もう夜の11時20分に起きなくて良いのです。佐渡だけで使えるという2千円の商品券がもらえたのもラッキーでした。

 

ときわ丸

両津港からフェリーで帰路に着きました。立派な船でした。佐渡の土産として、娘にはトキのキーホルダーのようなものとかマグネットを買ったりしましたが、佐渡土産ナンバーワンは佐渡バターのクッキー(800円)のようで、買いました。

 

佐渡からの別れ

佐渡見えず

 

 

 

 

カモメに見送られながら、佐渡が離れて行きます。しばらくすると何も見えなくなってしまい、雲のせいか地球が丸いせいなのか。。

新潟からは小国・山形を経て自宅に戻りました。カツ丼(ふつうに卵でとじたもの)が無性に食べたくなり、いつも旅の時はそうですが、チェーン店とかでなく大衆食堂を探して入りました。

また途中小国の道の駅で買ったラフランス入り午後の紅茶は美味しかったです。

疲れていますし、まだ手首も痛い。少し何もできずゆっくり休養し、夜は念願の晩酌しながらWiFiでPC映画を観る、で過ごし、それからたらの芽作業や確定申告等事務作業に着手します。とりあえず、スマホの写真をMacに移送し年賀状に目を通したり、どっさりの郵便物を開封したりしています。

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寒天休日の長野旅、その2

御射鹿池1

今年の寒天事業は規模の縮小があり、年末年始以外にも3日間の休日があって、部屋でじっとしていてももったいないので、1月12日、近郊の蓼科付近をドライブしてみました。蓼科の御射鹿池は東山魁夷の有名な絵のモデルになった、静謐なたたずまいの池でした。ちょうどいい感じの結氷で美しく、真冬にも関わらずカメラを向ける人もおりました。

 

御射鹿池2

蓼科にはグランドホテル「滝の湯」という昔からのホテルがあり、信州大学1年生の夏休みに長期アルバイトをしました。バイト仲間とも仲良くなって、よく部屋による集まって談笑したものでした。八ヶ岳自体も大学卒業後ですが東京から登山に何度か来ており、寒天作業場のある茅野市はその玄関口であり、この冬季出張はそうした過去の縁もあって続いている気がします。この日「滝の湯」も訪れましたが、休館でした。。

温泉施設や別荘地のある蓼科の山麓そのものの地帯はそんなに歩いているわけでなく、もちろん有名なこの池も初めての来訪でした。目は常に山頂の方へ向いていましたので。麦草峠は冬季閉鎖と知っていましたが、こちらも行けるところまで軽トラで走って来ました。

 

乙女滝とカモシカ

近くに乙女の滝という滝があり、足を伸ばしました。カモシカの子どもが左の方におります。蓼科は日本を代表するリゾート地の一つともいえ、観光客も特に夏場のシーズンはとても多いことでしょう。そうした人たちを対象にした直販型の農家も多くいることと思います。ただ冬場は休んでいるところもあり、そういう姿には少し残念な、寂れた感みたいなものを感じてしまいますね。スキー場とかは賑わっているんでしょうが。。

 

槍穂・霧ヶ峰

そして、蓼科に来たからには、やはり霧ヶ峰方面に足を伸ばしたくなって来ます。去年も岩手への帰り道で八ヶ岳を横断し佐久方面へ抜ける際に通ったので、寒天の折だけで3回目になります。蓼科山麓から白樺湖経由で30分もかからないでしょうか。茅野市街地からも小一時間で行ける場所です。この霧ヶ峰から良い地下水が茅野方面へ巡り流れて来て、良い寒天作りの基盤になっているとのことです。

 

鹿島槍

さて、休日2日目の翌日は大町方面へ出かけて来ました。本当は松本の少し先の安曇野の美術館を目的に走ったのですが、行ってみると冬季閉館中で、昨年の寒天で長野入りした時に出かけてちょうど閉館日だったことのリベンジに大町まで向かったのでしたが、それほど遠くという感じではありませんでした。大町山岳博物館からの、これは鹿島槍ヶ岳でしょうか。前面に壁のごとく立ちはだかっています。正月もでしたが、好天が続き、ドライブには最適でした。

ちなみに、かつて松本市内にあって学生からも好評だったスパゲティ屋さんがその美術館の近くにあり、お昼時に行ってみたものの、こちらも閉店中。。松本駅前から別荘地的な林間の土地に移転していて、リゾート客向けの経営に転換してのことなのかと思うと、何となく残念な気持ちでした。

 

山岳博物館には畦地梅太郎の絵が2点飾られていました。「黒部の山賊」の表紙にも使われた、実に味わいのある絵ですね。

 

大町博物館の雷鳥

この博物館では庭で雷鳥やカモシカが飼育されています。こちらは日本の雷鳥ですが、スバールバル雷鳥という北欧の雷鳥もいました。

そして博物館を去り、夕方茅野への帰路に着きます。正月のドライブでも感じたことですが、暗くなってくると、やはり少し憂鬱になってくるんですね。お前はどこに向かって帰っているのだ、という根無し草的状態。たった2か月といっても結構長いです。こちらでりんどう出荷している頃の2か月はあっという間ですけどね。地元で冬に除雪勤務している人も、除雪のこの3か月間はとても長く感じると言っていました。家で夜過ごす地元の勤務でも確かにそう感じます。ましてや600kmも離れた土地ですから。

とはいえ寒天作業は独特な伝統工芸的な面もあり、天日干しで乾燥させて産品を作る面はうちの農業とも大きく通じます。いつまでこの産業自体が成り立っているか不明でもありますが、機械的な工場生産品とは違った職人的作業であることは確かです。学生時代を過ごした、第2の故郷である長野はその後の東京時代よりも自分には近いものがありますし、割り切って旅行の楽しみも単純に受け入れながら、続けていけばよろしいのでしょうかね。この出張の一番の楽しみは行き帰りの道中の旅路ですね。それに今年は近郊のドライブが随分加わりました。

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山梨県への旅

山梨県立美術館

1月2日に山梨県へ出かけて来ました。現在の拠点長野県茅野市から甲府まで1時間くらい。沢内から北上や盛岡へ出る感覚なんですね。山梨県立美術館が開館ということで、ミレーを見に行きました。

鶏に餌をやる女

「鶏に餌をやる女」

夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」

種を蒔く人・落ち穂拾い

そして「種を蒔く人」と「落ち穂拾い」です。

落ち穂拾い

落ち穂拾いの絵画部分です。この日のみ、写真撮影許可とのことでした。良いですね。農夫の姿。大地に馴染んだ生活感。後ろに麦の束の大きな山が見えますが、乾燥はどうやってたのでしょうか? 積んでいては乾きませんし、この後乾燥棚に掛けたのでしょうか。

米倉壽仁・早春

米倉壽仁というシュールレアリスムの画家の展示もあり、併せて見てきました。「早春」(1940年)。

精進湖からの富士山

9時の開館時間から2時間以上堪能し、そして富士五湖方面へ向かいました。精進湖からの富士山はとても綺麗で圧倒されます。31日の南信州奥地の探訪もでしたが、好天に恵まれた年末年始です。甲府市内を走るのは初めてでした。

鳴沢氷穴

次に訪れた西湖のそばには洞窟があり、入館して来ました。こちらは鳴沢氷穴です。岩泉の龍泉洞などのように石灰岩が溶けて出来る鍾乳洞と異なり、溶岩から噴き出すガスが溶岩内に空間を形成して出来たダイナミックな火山活動によるもののようです。

富嶽風穴

こちらは富嶽風穴という洞窟です。かつて冷蔵庫のような役目にも使われて、蚕や植物種子等を保冷し、出芽を調整したり蚕も仮眠させたりで生産調整をしたという記述があり、興味深く感じます。

溶岩樹型

旅の途中で「溶岩樹型」なる標識を見て停車し、探索してみました。溶岩流に巻き込まれた樹木が溶岩に包まれた後、高熱で燃え尽きてその樹型を残したという穴です。こういう穴が無数にありました。鳴沢村です。

河口湖からの富士山

最後に河口湖へ。ここは一大リゾート地という感じですね。高校の修学旅行で行ったような記憶がありますが、どうだったか。北側の湖畔からやや夕暮れに近づいた富士山ショットを撮り、そして茅野市の宿営地に戻りました。茅野まで2時間。一関から沢内へ帰る感じです。

帰路で暗くなった夜道を運転していますと、何だか気持ちが暗くなってもくるんですよね。家に帰るわけではなく、自分の正しい居場所に根付いていないような感覚。単純な旅行であれば自分の意志で自由ですからまた違いますが、その感覚は仕事である程度長期に出張している以上仕方ありません。いろんな不安や悩みごとは家にいても感じることですしね。。

そして今日1月3日の深夜から湯を沸かし始め、明日からまたテングサ煮込みが始まります。ようやく折り返し地点で、出張もあと1か月余りです。

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長野の年末年始から

1月1日の富士山

珍しく年末年始が休止になった寒天工場です。初めての滅多にない機会なので、いろいろ出かけて来ました。茅野市のお隣の原村と富士見町の境界辺り、寒天作業場より車で20分弱の所で富士山を見ることが出来ました。天気も良く1月1日の富士山です。

正月の天

天出しされた寒天も順調に進んでいます。

木曽駒

大晦日の31日も休みとなり、釜の湯を沸かしたり若干の作業はありましたが、早々に終えて、そして信州ドライブに出かけて来ました。

長野県は言うなれば東北よりは都会でありますので、茅野市もですし松本、長野など人が多いです。車の往来も多くて渋滞に巻き込まれますので、割とのんびりしていて自分の好みでもある伊那谷の方面を走りました。最初は高遠から南アルプスに沿って走る山道の国道を進んでましたが、冬期の閉鎖ということで谷底を走るメインルートに変更し、伊那から飯田方面へ向かいました。天気が良くて駒ヶ根で少し中央アルプス側へ逸れて、木曽駒ヶ岳を撮影して来ました。千畳敷カールで有名ですね。

それから、30年近くも前に、伊那谷での就農移住を試みて、現在は飯田市に合併された当時の上村を訪ねました。今回の目標地点になります。ここに「下栗」という地区があり、かなり奥地の急峻な地形の土地に集落があります。何年か前にこちらのローカルの番組で放送されていたのを覚えていまして、今回訪れてみました。

国道から狭い舗装路をゆっくり上って行きます。命の水という湧き水で小休止し、車で行ける最終地点まで進みました。

さらに、駐車場から歩いて20分、その下栗の里が見下ろせる地点に到着です。確かに惹かれますよね。こういう山暮らし。当時上村の役場にも訪れて、就農の希望など職員さんに伝えて対応していただいて来ましたが、1995年頃はオウム事件もあり、この南アルプスの村も無縁でなくて、住民も他地域からの移住者という者に警戒感を抱いているというムードで、結局就農の話には進みませんでした。

ともあれ、ここまで奥地の急峻な土地では農業というのはなかなか難しかったでしょう。

でもいまでも何かしら後ろ髪を引かれる感じは少しありますね。

光岳

その下栗から見た光岳方面です。この山なみから受ける感動は、先の木曽駒などの比ではありません。北アルプスでは雲の平が最奥の地であるとすれば、南アルプスではこの山域が最深部になるでしょう。どこから入山しても下山まで3〜4日かかる奥深い山域。この光岳(てかりだけ)は東京にいた頃からずっと気に掛かっており、この夏もラジオの「山カフェ」でかつてのおしん役の小林綾子さんが登頂した話をしていた放送をしっかり聴いていて、羨ましく思ったものでした。

さて麓の方へ降りて来て、長野県最南端の天龍村へ。最近見た番組(ローカル)で、ここは柚子の栽培が盛んと言っており、写しました。良い感じの田舎ですよね。伊那谷の最奥部、満足度満点ですよ。あったかいんでしょうね。お茶も植わっています。

何かしら特産品を買って帰りたかったのですが、道の駅もことごとく閉まっていますし、開いている食堂もなくはないですが、一人でコロナ禍にわざわざ、とも思いパン等を買って天竜川沿いで食べました。

さて、軽トラックの旅はさらに深みに入って行きます。天竜川を下流に進んで行きますが、もうすれ違う車両もありません。長野と静岡と愛知の3県の交わる辺り、実に深いです。ガソリンもメモリが2個になり不安もよぎりましたが、飯田線の「大嵐」(おおぞれ)駅を今回の最終目標に、人っ子一人いない狭いカーブの続く道を、ただ訳もなくひたすら走行します。

実は東京に住んでいた時に確か年末にバイク(XLR250)で浜松から天竜川を上るツーリングをしました。その時に大嵐駅の辺りでテントを張って寝たような記憶が。。すぐそばにはスナックがあり、そこで生まれて初めて一人で酒場に入った記憶が。。駅のそば、テント脇で水道の蛇口を見つけ顔を洗い、そこで持参したシェエラカップを忘れてきたような記憶が。。

大嵐駅

でも大嵐駅は他に建物など何一つない場所にポツンと建っていました。全部思い違いだったのでしょうか。。いったい自分はどこの駅で野営したのだろうか?

飯田線はいったい誰が利用するのだろうと、線路とは対岸の道を元の長野方面へ戻りました。他に別のルートはなく、戻るしかない。

給油を気にしながら、対岸を見ると山あいに集落が。いやあ、本当に奥の奥に人が暮らしているんだ。。先の下栗を思い出します。

幸いガス欠になることもなく、阿南町まで戻って給油。長野県はガソリンが高いです。あとは飯田市、伊那市と戻って、高遠から杖突峠を経て茅野に戻りました。

明日2日も休みで、また出かけてみようと思っています。

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農シーズンが終わり、そして寒天製造時期になり

米ぬか施肥後のにんにく圃場

奇跡的に無積雪の11月が終わり、12月を迎えています。ありがたいことです。にんにくの雑草はかなりの茂みになっていましたが、全部取り切ることができました。そしてフィニッシュは米ぬかの散布です。生の米ぬかですが、これから冬場にゆっくりと腐熟して雪解け時には土作り効果、追肥効果をもたらせてくれると思っています。

日暮れが早く夕方4時半には外作業は終了。あとは作業場で黒にんにくの準備製造をしたり、会計の記帳をしたり、補助金等への事務作業をしたり、年賀状の作成をしたり、これまでできなかった事務作業も山のようにあり、これも何とか終了し、そして農作業のシーズンが終了しました。冬支度に漏れはないか、あちこち見回って、シーズン最終日を終えました。

 

タラノキ伐採2022

最後の収穫作業はタラノキ穂木です。悔しいことですが、育苗がうまく進まず芽の素材量は少なめで、作業はすぐに終わりました。作業場に保管しており、2月の芽吹かせを待ちます。

 

アイアン・横手

余裕もできてきて、お隣横手市での展示会に誘われて、知人の職人の技を見てきました。山のうえアイアンの鉄工アートです。

 

ブナの森・横手

こちらは「ブナの森」竹澤氏の木工展示です。飛ぶように売れていく品々ではありませんが、こうした作品群が然るべき買い手の元に届いてくれたらと願わざるを得ません。

 

あがたの森

そして11月が終わり、例年通りに長野への寒天製造の出張の日が来ました。今年は開始がやや遅く、11月29日に家を出て、翌30日、群馬の嬬恋村から長野入りしました。旅行支援で安く泊まれた上に3,000円のクーポンももらえ、食費に充てたところです。

上田から松本へ着き、学生時代を過ごした街を少し歩きました。

懐かしいスパイスの「キッチン南海」でカレーを食べ、旧制松本高校跡地である「あがたの森」公園を散策しました。ここは初めて足を踏み入れました。ヒマラヤ杉並木が有名です。家の庭木でも姿形の良い針葉樹が好きで植えておりますが、ヒマラヤ杉はちょっと手に入りにくそうですね。巨大になりそうだし。すぐ近くにはイオンモールもできています。今回は行きませんでしたが、ナワテ通りの辺りが好きです。

 

北アルプス

アルプス公園にも出かけてみましたが、木が邪魔でアルプスは見えず、進入した駐車場を間違ったかと退却し、すぐ近くの学生時代によく訪れた岡田神社奥にある芥子坊主という高みより北アルプスを眺めました。さっきまで見えていた常念が急に雲隠れしましたが。。

北アルプスに別れを告げいつものごとくひどい渋滞に巻き込まれながら茅野市を目指しました。19号はあんまりにも渋滞がひどくて我慢できず、ルートを東寄りの小高い南北に走る道路にチェンジし、塩尻から諏訪を経由し寒天工場のある茅野市に入りました。長野県の渋滞状況を見ていると、いつもながらやはり関東地方の人口密集度は東北とは異なるなと感じます。

 

庭

寒天の準備作業がスタートし、田んぼ(庭と言います)に藁敷きをし、杭を打って杉の間伐材の長木を上に載せて縛り、「とかし」作りをします。生寒天の台(「カイリョウ」)が乗り、日中の暖かい日差しを受けて溶けて、それが夜に凍って、をくり返して、東北でいえば凍み大根のような天日干し角寒天が出来上がります。

 

釜

私の係は釜のテングサ茹で業務なので、庭の準備ができれば釜の持ち場へ移ります。右の釜で茹でた草と煮汁をクレーンのバケットで掬い、左の舟には布を被せますが、その布の上に移し、濾した液(「のり」)が底に溜まっていきます。それをポンプで青いモロブタに移し、やや固まった状態で天切り包丁で切って庭に出し(「天出し」)、庭で寒天になっていきます。

 

 

舟の内部

舟の木枠にはタルキで溝を付けており、そこに竹のすだれを被せ、さらに布で覆います。毎日漉してはカスを捨て、のくり返しです。何十回で終わりになるでしょうか。今夜12月16日から深夜のクレーン作業とのりつぎ、天切り、草入れの釜作業が始まります。