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寒天作りが終わり農家へ戻りました

釜の湯気

久しぶりに岩手から記事を書きます。2月12日の朝に寒天の私の作業が終わり、茅野市を発って、帰路に向かいました。

寒天の釜の仕事は前日お昼頃の草入れから始まり、エアコンプレッサーによる「棒立て」で釜の中の草を混和する作業を3回行って、それからクレーンで中身を舟に移し、朝方に濾過した液を箱(もろぶた)に注入して、それが固まるのを待って包丁で切って、箱を運搬車で庭に運ぶ、という一連の流れになります。

庭に運び終わって庭の人たちに引き渡して工程が終了となり、最後の煮込みもこの2月12日の朝の庭への運び出しを持って完了しました(午前8時過ぎ)。

 

クレーン作業

夜中から始まる作業は、先ほどの庭へ運び出して寒天として並べていく天出しの作業(10数人で行う)から逆算し、組み立てられています。リモコンでクレーンを操作して、舟に液と草を移すバケット作業は最初の大仕事と言えます(深夜12時から2時頃まで)。要はUFOキャッチャーのようなもんですが。

 

舟

バケットで釜から草と液を隣の舟に移します。白い布はコーヒーフィルターと同じ役目です。へりに草を置いていて、これは後に防波堤の役目になります(防波堤はまだ未完成です)。

 

満杯になった舟

バケットで釜から移し終える頃にはこのように舟は溢れそうになります。先の防波堤がないと舟の布どうしの隙間箇所とかから下層部に草が落ち混入していき、純粋な寒天の液に「オリ」として草が混じってしまうのをできるだけ防ぐためです。

 

舟下部のつらら

その舟の下層部がこちらです。舟には各セクションに竹製のフィルターが設置してあって、その上に布を敷きます。それで濾された液がこの部分に溜まっていきます。したたる液はこのように上部につらら状にもなっていて、鍾乳洞のような面白い光景を見せてくれます(コリコリした歯ごたえで旨い)。この撮影時にはもちろん液はなく、箱に全部出し終わって最後に溜まったオリを掃除している時に撮影したものです。

毎日が長時間にわたる辛い作業ではありました。終わっていま岩手へ戻っていますが、その戻ったあとの時間の経つのの早いこと。もう10日以上になります。夜10時半に起きて次の日の夕方5時に寝る作業は大変でしたし、この10日間は疲労回復の期間のようで、久々のパソコンに向かいながらゆっくりと過ごしています。とはいえ、除雪をしたり、籾摺り作業をしたり、そしてタラノメの作業を開始したり、にんにくの皮むき、決算と申告の準備をしたり、決して暇ではないんですが。。強風で切れた光ケーブルの修理に立ち会う日もありました。吹雪の中、業者さんがケーブルを修理して無事インターネットが復旧したのは嬉しいことでした。

 

松本ピカドン

今回の長野からの帰路では上田の「無言館」を訪れる計画でした。そのために松本を経由しますが、まだ、ありました。信州大学前の食堂「ピカドン」。広島の原爆投下を後世の松本市民に伝えるメッセージで名付けられたと思います。40年経ってるんですね。。八十二銀行も懐かしい。チキンカツカレーを食べました。

本当は信大の生協で昼を食べたかったのですが、駐車するのに時間がかかりそうで、今回はパスしました。学食の方が入っている人の数も密ですしね。

この前に、ルバーブを栽培されている農園を見学させていただいたのですが、それについては春以降また改めて記事にも挙げていきたく思います。

 

無言館

松本から上田に向かい、現在は無料になった三才山トンネルを越えて、無言館に到着しました。戦死した画学生の残した絵を収集している記念館です。多くは二十歳前後の絵画を志す若者の遺作が展示され、絵のそばにはその若者や絵についての説明が記されています。若い生命のほとばしりを感じますし、その後この人はまもなく突然の戦死を遂げるのだということを前提に絵に接するという鑑賞です。。

敷地内にはもう一つ別館もあって、そんなに広くはないのですが、1時間ちょっとかけて、この貴重な空間に滞在してまいりました。写真は撮ることができません。

 

無言館別館

無言館の第2の新館です。こちらも静寂な時間が流れていて、今朝までの次々と目前の作業に迫られて追われるように過ごした80日間から、すうっと意識が切り替わっていきます。ポストがあります。実際に配達されるポストではないですが、思いを書き連ねた手紙を投函することができる、そういうポストです。三陸にもこのようなポストがありましたか。いや、公衆電話でしたか。。

 

真田神社

上田市では、息子が高校受験を迎えますので、2年前の長女の時と同様、真田神社で合格祈願のお参りをし、お守りを買ってきました。落ちない城、不落城ということで受験の祈願も多いとかです。

そしてこの後はすぐ高速に乗って、その日の宿になっている新潟市に向かいました。夜の10時半に起きてずっと仕事をしてそのあとの夕方ですし、もう寝るべき時間に上信越道を高速運転するというのは、結構辛い行程でした。毎日5時間しか寝られませんでしたしね。10分くらいのうたた寝は休憩時間にしてましたが。上田から軽自動車でも料金が4,500円かかったので、距離としてはかなりあったということですね。何とか新潟市に着き、無事予約していたホテルに到着しました。

 

おまけ1カレー

おまけ1。寒天工場では食事は3食給食センターが配達してくれる弁当です(正月や日曜日は休みになるため、寒天の専務が弁当を買って届けてくれる)。金曜日の昼はカレーと決まっていまして、これは結構美味しかったです。最後の金曜日は出発でギリギリ食べれませんでしたが、ピカドンでチキンカツカレーを食べましたね。

ちなみに、天草を煮る釜の仕事は夜食が必要で、これは家から玄米を持参して、釜飯の素を買って味付けし食べておりました。

 

おまけ2バイキング

おまけの2です。新潟のホテルの翌朝の朝食バイキングです。盛り付けしてる時はもちろんマスク着用ですね。この後コーヒーとヨーグルトをデザートにいただきました。朝コーヒーが飲めるのは喜ばしいことで、寒天の時もコーヒーメーカーで作ってましたし(起きてすぐという意味で夜食を食べる23時過ぎに作ってましたが)、またホテルの予約でも大概はコーヒー欲しさに朝食付きにしています。もっとも道中にコンビニでもコーヒーは買って飲むんですが。。

朝これだけしっかり食べれば、コロナ禍での県外の移動になりますし、昼ご飯は無理になくても大丈夫です。結局はいろんな店に買い物で立ち寄ることにはなりましたが、昼は食べなくてOKで。。

これからの時期はタラノメに集中して、飲食店からの受注が厳しい状況下で、無事販売ができるよう努力していかなくてはなりません。これまで買っていただいていたお店の方にこれまでのようにどうでしょうかと電話をかけるのも、すごく抵抗を感じてしまいます。。季節のものと比べ、柔らかくて緑が綺麗なタラノメは需要もあると思いますし、冬の仕事の1部門として続けていきたいと思います。ちなみに、このタラノメがあるために寒天の仕事は2月上旬までにしてもらっています。庭で寒天の作業に携わる10数人は2月末あるいは3月初めまで外の仕事を続けております。最後の2月12日に出した天も寒天になるのはこの月末頃になるわけです。ただ、もう新たな「天出し」は13日以降はないですので、並行して庭の片付けも進めていくことになりますね。青森から赴任していた人たちもそろそろ帰宅時を迎えることでしょう。

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長野への旅路

華厳の滝

慌ただしく12月に突入しています。11月22日に岩手を発って、寒天作りの仕事に就くために長野へ向けて出発しました。ギリギリまでいろんな用事や事務作業、秋仕舞い、またタラノメ栽培室の外壁ポリカの張り替え作業など、もうクタクタになりながら、時間のなさに煽られながら、出発の日を迎えました。

横手市からずっと南下して今回は日本海に出ず、寒河江、喜多方、会津若松を経て鬼怒川温泉辺りを通過して、初めて日光へ行きました。日光駅前のビジネスホテルで一泊し、翌朝いろは坂を通って日光華厳の滝を見て来ました。なんともいえぬ風格というか重厚なたたずまいは印象に残る光景でした。

 

いろは坂

軽トラでいろは坂は厳しいものもありましたが、S字カーブを堪能して来ました。天気も良く、冬型で悪天の日本海側と異なり良い天気です。

 

男体山

男体山は日光の主峰でしたか。赤茶けた山肌が特徴なんですね。

その後、いろは坂を戻って足尾銅山の方へ向かい、前橋、高崎。この辺り道路も狭い一車線で渋滞気味です。車ものんびりノロノロ運転が多い感じでした。やっと郊外へ抜けて横川の釜飯(釜飯屋さんは昼時を過ぎていても大勢の観光客)を越えて、またもS字峠越えで軽井沢。白樺湖を越えて茅野市の寒天工場に到着しました。この11月23日より、冬の出張生活がスタート。江戸時代から続く伝統製法の寒天作りに従事いたします。

 

ワラシキ

翌日24日から仕事始め。稲刈りの終わった寒天予定地の田に大量に藁を敷いていくワラシキからスタートです。

東北の田のようにコンバイン等の轍に雨水が溜まってぬかるんでいるような田じゃありません。もともと冬場は降水量が少ない上に水捌けも良い田です。そうは言ってもこのワラシキで泥とかが付かない製造ができるわけですね。

こうした外の寒天作りは庭の仕事と言いますが、ここに寒天を並べていくための棚を設置していく準備作業があるわけで、実際に生天が外に出ていくまでは10日ほどの準備期間を要します。そして別工程で天草の準備、釜の準備も並行しており、次回はこの話題を報告いたします。

 

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秋田への小旅行〜水族館とアスレチックと釣りキチ三平

紅葉2020/10/27

10月27日の写真で、ほぼ紅葉の盛りという感じなのですが、今年はどうだったでしょうか。鮮やかさという点では例年より見劣りする気もします。南部小麦の鮮やかな緑色が目に飛び込んでくる季節です。7月の悪天候が響いているのか、当地では栗の出来が思わしくありません。かなり前から落ちた実を確認してましたが、割れていないもの、中身が薄っぺらいものが大半で、どうしてなんでしょうね。ここは採れませんが県内では松茸の豊作が伝えられたり、米も良く穫れているような話ではありますが、こうした山間地ではそうでもなかったり、いずれ普通にはない変な1年でした。

当地域の経営を支えてくれている切り花りんどうも、夏の多湿による障害や病害が結構多く、ただ「花」ということで一番心配されたコロナ禍による需要減についてはそうでもなくて、よくわかりませんが品薄感があってということで割と安定的な価格で推移し、3日文化の日の出荷で今シーズンは当園でも終了になりました。終盤の出荷と並行して現在はりんどう残茎の片づけ作業に追われておりまして、畑で残っているりんどうの茎を草刈り機で刈り払い、運び出して捨てるという作業に追われています。刈り取って大雑把な片づけを終えてネットを外してしまう作業のすむ前にごっそり降られたりすると、ネットやりんどうにたまった雪で支柱含め雪で大変無惨な姿になってしまい、まずは、大雑把な片づけを急ピッチで進めています。

現に、今日4日も初の降雪とうっすらとした積雪を見ておりますが、そもそも雨に濡れたりんどう残骸は運び出し捨てるのに大変重くて、泣きそうになります。雪がまだ降りませんというのであれば、りんどうが乾いている日だけ作業を行いたいところですが、そうもいきません。濡れているりんどうを刈り払いするのは、ウイルス等に罹患した茎のウイルスが草刈り刃を通じて他のりんどうに感染させてしまう可能性もあるので、できるだけ枯れてから、かつ水気を含まない好天時だけにしたいのですがね。。同じ理由でりんどうは収穫の時も鋏を使わず、指で折り取ります。

 

ゴジラ岩

さて10月3日、今年は稲刈りも終わっていて少しだけ余裕があったこの日、秋田へのプチ旅行を下の娘と行いました。最近小麦を買っていただき当園にも来訪してにんにくの植え付けまで手伝っていただいた秋田市の「薪窯ベーカー・カボチャ」さんへ訪れて、パンやジャム等を買いまして(ユニークなミルクジャム、アップルパイは絶品でした)、その後潟上市の「ファームガーデンたそがれ」を運営なさっている菊地晃生さんの圃場へと見学に向かいました。同じように秋田市近郊と思っていましたが、潟上市は結構遠くて、菊地さんのところにはお昼近くになりましたが、素晴らしい自然栽培の田んぼを見せてもらいました。体験の方が足踏みで脱穀をされていました。消費者との農作業の共有体験を活動の基本にしておられます。冬場は今度は加工の方で忙しくされることでしょう。

秋田にも農を通じた知り合いができることは喜ばしいことです。ふだんなかなか有機の者どうしで集う機会も少なくて貴重な機会です。

それから娘の希望である男鹿の水族館GAOへと走らせました。

男鹿水族館へ向かう途中に、上のお二人から勧めてもらった「ともしびカフェ」という雰囲気の良いお店でお昼を食べ、そして水族館への途中に立ち寄ったのが、ゴジラ岩です。結構絶え間なく観光客が来ていて、車も10台近く停まっているという名所のようでした。

 

ゴマフアザラシ

GAOに着いたのは2時を過ぎていました。天気が悪くて、本当は秋田市にある大型のアスレチック公園に行きたかったのですが、水族館に変更しました。農家見学で男鹿の喉元まで来ていましたしね。人も少なくて、また入館料も予想より安くなっていました。日誌では2012年の5月5日にも訪れておりますが、その時はものすごい混雑でした。こどもの日ですし、こうした日は外すべきでしたね。

 

ヤドクガエル

静かな風情の水族館を楽しみました。ユメリアという温泉に入り(料金割引してくれていました)、国道46号雫石経由で戻りました。

 

2020年稲

そして稲の脱穀を迎えます。1度目の脱穀は適当に好天の日を選んで、やや水分高めの状態で扱くわけですが、問題は2回目(最後ですが)です。もうこれで秋晴れは終わり、あとはぐずついた冬の走りの冬型の雨続きですよ、という稲にとって最も乾燥した最後の日を選んで決行します。その感覚はだいたい当たります。11月に入るとまず2日晴れが続くことは稀ですね。稲扱きにはなりません。10月の20〜25日が最終便という気がしますね。三陸に旅行したりすると11月を過ぎてもまだ稲が掛かってたりします。雪は降らないし冬は太平洋機構で晴れの日が多いから、何の心配もいらないんですね。自分の都合次第でしっかりと好き時に脱穀できるというわけでしょう。

 

秋田フィールドアスレチック

再び秋田ですが、前回の旅で天候により宿題となっていた娘の第一希望「秋田県立中央公園フィールドアスレチック」に来ました。土曜日の学習発表会で代休になった月曜日です(10月26日)。ここは東北では最大級でしょうか。広大なアスレチック公園です。平日だしほとんど誰もいません。

 

ジャブジャブ橋

中身は結構バラエティに富んでいて、とにかくたくさんのアスレチックがこれでもかと続きます。結構難易度も高くて、遊び方がイラストの看板でざっくり示されているのですが、そんな絵に描くような簡単なもんじゃないよという姿勢を求められ、高度な姿勢を保つことができず断念する場面も結構ありました。事故が起きたらすぐにこちらへ連絡を、とマップに示されていましたが、確かに事故が起きても不思議ではありません。特に雨上がりで地面は滑りやすかったです。

いろんな物語に沿ってコースが組まれていて、田沢湖で有名な辰子の物語のアスレチックも点在しています。「失神した辰子」というアスレチックではえびぞりの姿勢に耐えられず棄権。写真は「ジャブジャブ橋」という橋ですが、水も増水していて、ほんとにジャブジャブという感じでした。直前のロープでターザンして的をキックするという場所で途中水たまりに足が浸かってしまい、既に靴がやられており、上の橋で濡れがさらに深まった格好でした。

これはもうコースもラストの方だったので、まずは無事完走し、横手まで向かって、そこのイオンで靴下やスボンを買った次第です(このあと美術館にも行きますので)。

 

矢口高雄50年記念

第2の目的は「増田まんが美術館」でした。矢口高雄創作50周年記念展を開催していて、月曜日でもやっているということで、アスレチックと組んだ旅にしたのでした。原画がかなり展示されていて、時間的に1時間しかなかったのですが、誰もいない館内を十分楽しむことができました。急遽服を買う時間が発生し、時間切れで入館できないかとハラハラの運転でした。

 

釣りキチ三平原画

小学生の頃に読んだ「釣りキチ三平」が心の底にあって、それが遠い縁となって30を過ぎて奥羽の山里へ移住をしました。矢口氏が銀行員から漫画家に転身されたのも年齢的には同じ頃でしょうか。こちらに移住して1か月後の連休の頃に250ccのバイクで矢口高雄の生家を訪ねたのは既に24年前になりますね。そのあとに鳥海山まで走りました。秋田へは東京時代の時も東北ツーリングに来ていて、その時は白神山地を目指したのでした。

 

矢口書斎

アトリエの再現だそうです。今回増田町(いまは横手市に合併)の矢口氏の生家狙半内(さるはんない)地区には行きませんでしたが、目抜き道路である国道13号からの距離として車で20分弱という地理で考えますと、岩手では国道4号から20分はまず都市部と言っていいでしょう。三平が闊歩した山河は確かに奥羽の大自然に違いありませんが、ここ沢内のような地理的にも奥まった地というわけではないようです。菅総理の出身が湯沢市ですが、飲屋街もあるところで、多分狙半内からは車で30分くらいでしょうか。

今回は雫石経由で秋田空港そばのアスレチック、そして横手市近郊のまんが美術館を旅し、美術館が午後6時に閉館した後は湯沢温泉でお風呂に入って、横手市西部の「十九番」という食堂でカツ丼を食べて横手経由で帰宅しました。アスレチックで辛い思いをした娘は水族館の方が良かったと言っておりますが、中学生にもなればアスレチックは行かなくなるし、お出かけ自体もせいぜい必要な買い物に行くくらいになってしまいますね。

あとは「鬼滅の刃」を見に行きたいところですが、まずはりんどうの片づけを進めなければです。今日は雪が降っていて、昨日のうちにハウスのビニールを外して収納したことは正解でした。ハウス腰巻の地際のビニペットのところでハウス全体を留める黒紐を固定しているため、ちょっとでも積もると、滑って落ちて来た雪がこの部分に集中してたまるために、ハウスビニールを外すための第一歩の作業ができなくなってしまいます。

りんどうの出荷が昨日終わったため、昨日の夕暮れから大急ぎで作業場を出荷作業場から冬期用の農機収納小屋へとチェンジしています。

ハセもまだ組んだままですし、もう少しすればタラノキの伐採もあります。りんどう片づけはまだ1週間は絶対かかりますし、しばらく雪はご勘弁ですね。

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秋作業本番です

秋彼岸ピーク時

毎年1番の繁忙期が9月になります。切り花りんどうの秋彼岸需要期の出荷が大きな仕事量になるのですが、その出荷ピークが始まる前に、追い立てられるように最終の草刈り(畦畔と農道)、新植したりんどうの草取り(結構大変な作業)、にんにくの畑作り(施肥・耕耘・畝立て・マルチ張り)を済ませ、間髪を入れずりんどうの大量出荷がやってきます。地元民放ラジオを聞いていると、りんどう農家から「眠い」「あと少しの頑張りだ」といった投稿が読まれ、みんな頑張っているから自分も負けられないみたいな気持ちにさせられますね。

秋の品種の方が、お盆のりんどうよりも株のボリュームがあって、面積当たりの出荷本数も多く、限られた時間でいかに数をこなすかが決め手になります。葉先枯れ、葉全般の枯れ症状とか、老花、ネット管理不十分による出荷できない曲がり、病害虫被害、などがあれば、手を加えて除去したりする時間もかかり、全体の質が悪ければ出荷本数も減ります。この出荷時において、これまで半年の管理作業が全て集約されていて、何のためらいもなくスムーズに選別台に並べ、5段、4段、3段、2段とよどみなくに作業が流れて行くのがプロの仕事ですね。今日のいまのこの作業が、こういう結果に直結する、という手応えを実感しつつ農作業を進めてきたか、ただ漫然のマニュアルお通りにやるべきとされていることをやった(つもりになっている)か、といった点は全て出荷時に現れてきますね。

毎年必ず失敗があります。今年はどうしようもない7月の長雨がありました。やはり畝の根域に湿害が出て、葉にまだらの枯れ症状が発生したほ場もありました。春先から入念に田(りんどう畑)の排水の側にしっかりとした明渠を掘り(30cmとか気合いを入れて)、対策していたら起きなかったかもしれません。来年の課題です。定植時に深く掘ることも必要ですし、欲張らないで溝付け用に排水側の土の余白をしっかり取って畝作りすることも意識すべきですね。一度畝作りすると6年間そのままなので。。一番理想なのは弾丸暗渠等を施すことですが、莫大な費用がかかるそうで。。

今年花き栽培で心配されたのは新型コロナによる需要減、ということでしたが、結果的にはお盆の市場価格はまずまずで(盆需要直前の7月最終週の下落はひどくて、出荷を見合わせるほどでしたが)、お盆後と彼岸の間の谷間の時期も価格は維持していました。今回9月の彼岸需要期の価格は総じて高く、おととい18日金曜日のセリは彼岸需要期最大の仕入れピークの市場だったのですが、いままでにない高価格が付きました。反面、この後の極晩品種の価格が反動で逆に心配になりますが。。

 

にんにく植え付け2020

こちらはにんにく植え付けの様子です。ホワイト六片は休眠が浅く9月になったら植え付けをします。当地は気温の低い寒冷地である上に、根雪が早く訪れることから、遅く植えてしまうと結果的に小さいものばかりになってしまいます。ましてや有機質のみでの栽培ですし、日本一積雪期間が長いと言われている地方です。今年は9月9日に、有志の方々が集まって植え付けを手伝ってくれました。本当にありがたいことです。

カケラに割る作業がまず前半の大きな作業で、作業場で座ってする作業ですが、次いで畑に出て、棒で植え穴を開ける人、カケラをマルチの穴に合わせて4個ずつ配って歩く人、穴に植えて行く人、そして私が鍬で通路の土を畝に掘り上げ、最後にそれを手で植え穴にならして入れ覆土をする作業、に分担されます。左畝は手前は土を載せるところまで進んだ段階。覆土した後も土はマルチの上に残るようにして、雪が降る前に米ぬかをマルチ全体に散布して、この土と混ぜ合わさって春先に植え穴に入って追肥効果になってくれればと思っています。そういうことをしない慣行のにんにく栽培でも土はマルチ状に覆いかぶさった状態にしているようです。りんどうとかでも同じですが、芽が出た苗とかがビニールマルチで保温された暑い空気にさらされないように、マルチを床土と密着させることが大事みたいですね。

全体の7割がホワイト六片なので、これが片付くだけでも気持ちはずいぶん楽です。

 

にんにく植えランチ

昼食は敷地内の栗の木の木陰で。当園の小麦を買っていただいて、この植え付け会に合わせて玄麦を引き取りに来てくださった秋田市近郊のパン屋さん「薪窯ベーカーカボチャ」さんと潟上市の農家「ファームガーデンたそがれ」のお二方と、岩手県内から大迫、花巻、北上の農家関係あるいは農に近い気持ちの消費者の方々が集っていただいて、相互の交流の時間も取れて、楽しいひと時でした。

 

カボチャのパン

「カボチャ」さんが当園の南部小麦で作って持ってきてくださったずっしりと重いパンです。カンパーニュと言うのでしょうか。南部小麦の頭文字「N」が刻まれています。秋田ではあまり南部小麦は作付けされていないようですが、この品種を気に入っていただけて嬉しく思います。

ちょうどいま小麦の播種準備をしています。種まきは「ごんべえ」という知られた播種機を使う方が多いのですが、私はまだ使ったことがなく、確かに植え付けから覆土まで一気に終わってしまうので便利とは思います。ただ、経験がないせいですが、準備した播種量をぴったりと使い切りたく、そのまま蒔かれた種を見るとこなく覆土が済んでしまうのは不安な気もしますね。時間はかかりますが、トラクターの尾輪で蒔き溝を付けつつ耕耘していくというやり方を今年まではやっています。来年こそはごんべえ導入にしましょうか。。

 

ゴハンヤmeetsランチ

手伝ってくださった皆さんに用意したお昼の弁当です。昨年秋に西和賀町内湯本地区にオープンした「ゴハンヤmeets」さんにお願いしました。インスタグラムでのやりとりということで、おそるおそるアプリを使って送信し、すぐに返事も来て、注文できました。メニュー写真の中に「山賊焼き」の文字が見えたので、長野県には縁もあるし、実際美味しいので、山賊焼きのメニューにしていただきました。山賊焼きは鶏肉の唐揚げと同じですが、1枚の大きい肉を揚げて切って食べる形です。にんにくと生姜の両方が漬け込みダレに入っていることも必須条件と思います。うちでは普通に唐揚げを作るときもにんにくと生姜の両方を使います。みなさんそうされているかとは思いますが。

いずれ美味しいし、人気店です。町外の参加者もゴハンヤのことを知っていました。今度は店舗で食べたいと思います。が、地元で食堂に行く機会というのはそうそうないんですよね。。

 

大ケ生1

ちょっと時間は遡りますが、8月23日の日曜日に、閉伊川に釣りに行きました。指導してくれる方と午後からの待ち合わせでしたので、午前に花巻方面へ出かけました。いま当地沢内と花巻を結ぶ「なめとこライン」は土砂崩れの工事で通行止めになっていますが、日曜と祝日のみは工事を休むため通行できるということです。それで日曜日でしたし、中3の息子となめとこラインで花巻へ行き、花巻市の博物館で原爆展を開催していたのを見ました。息子も何らかのことを感じ取ったでしょう。

次いで、閉伊川を目指す途中の盛岡市の大ケ生(おおがゆう)という地区にある廃坑になった坑道を見学して来ました。前に紫波町の洞窟を探索しましたが、この時と同じくIBCラジオでレポートしていて知ったのでした。ここが坑道の入り口です。案内の方が詳しい方の妹さんということで、照明の付け方がわからないということで、携帯の照明を頼りに進んで行きました。

 

大ケ生2

「萬寿坑」という坑道跡になりますが、これが入ってすぐの地点から奥を見た様子です。通行できるのは100mくらいだったでしょうか。とても涼しく、また脇には冷たい流水が奥から湧き出て流れておりました。この水を使って水路下流の方ではクレソンを栽培しているそうです。

 

大ケ生3

萬寿坑入り口近くの小屋に資料展示がありました。金が採れたらしいですね。ここはやや山に入ったところですが、平地まで降りた紫波町の辺りには精錬所もあったそうです。

 

大ケ生4

金が採れたのは昔の話です。。

 

大ケ生5

概要の説明文です。こういうのを撮影した際にはまっすぐ正面からは撮れず歪みが出るのですが、Photoshopでは自由変形という機能があって、まっすぐに修正することができ、こういう時に便利です。

 

閉伊川の釣り

さて午後から閉伊川で渓流釣りをしました。ベテラン釣り師の佐々木さんに指導を受けました。前にうちに来訪していただいた時、家の前で簡単なアドバイスでその場ですぐに息子がイワナ(ヤマメだったか)を釣り上げました。この方は盛岡市在住ですが、出身がこの閉伊川のある川井(いまは宮古市)で、私よりは若いのですが幼い頃から山の暮らしの知恵、技術を受け継いで来られた方で、山仕事をしている人から実地に習った釣りの技を備えていらして、それを私や息子に伝授していただいたのでした。ネットや本での知識というのは実際釣り場では使えないことが多く、使えないというよりは自分が真に会得していないということなんですが、こうして直接に教えられるということが、とても大事だと思います。岩手で育ったといっても皆が皆その地方の深い生きる術とか技とかを備えているわけではありません。家系は早池峰の神社の神職の系統にもつながるそうで、古くは山伏としての血筋でいらっしゃるとのこと。そういうことを代々「家」の習わしとして受け継いで来た。釣りの技を含めそうした山暮らしのベーシックな部分をいま現在はあまり求められることはなくなってきていて、われわれがそうした実践的な伝統文化というのでしょうか、それに興味を持っているために、伝授をしてくれる気持ちになってもらえたのだと思っております。

この方が実際にどんな身のこなしで魚を釣り上げるかは、まだ見ておりません。いつかこの奥羽の山里でもその技を披露していただけたらと願ってやみません。

お盆の安比八幡平と、この花巻から閉伊川への旅で夏は終わり、いまは秋めいた気候の中、またぐずついた気候が続いていますが、小麦播種、稲刈り、にんにく残りの八木・八幡平の植え付けをすませつつ、まだもう2品種残るりんどう極晩成品種の出荷を無事終えたいところです。去年は10月に突風で車庫が飛ばされる被害もありました。まだまだ台風シーズン中ですし、これから稲もハセに掛けるわけで、脱穀無事終了まであと1か月ちょっとですが頑張りたいと思います。

 

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安比方面へ日帰りの旅

前森山から岩手山

結局、梅雨明け宣言もなく、実際雨の続く北東北はまだ梅雨空という感じです。気温だけは高めで蒸し暑いです。13日朝出荷でお盆用のりんどう需要期が終了し、出荷休みが2日続くタイミングで、この13日に安比方面へ出かけてきました。予報もこの日のみが晴れ、あとは雨マークで、実際その通りです。。天候上も仕事上もワンチャンスの休暇になりました。

安比高原へ向かい、弁当を持ってゴンドラで前森山に到着しました。快晴というわけではありませんが岩手山がよく見えています。

 

安比ゴンドラ

ゴンドラに乗ったのは初めてかもしれませんね。登山でこういう経験はなかったと思うし、観光地で1人で乗ることはあり得ませんし。。娘も初めてだというので、乗ってみました。結構長時間乗った気がします。安比といえば有名なスキーリゾート地。麓にはホテルが見えますが、逆に積雪期以外は従業員たちは何をしているのでしょう。5月の連休(まだちょっと寒い)やお盆時期、あとは週末の天気の良い時などはレジャー客も見られるかもしれませんが。。

 

ツタンカーメン王

目的は、娘のリクエストでレゴの展示会に行くということで、この安比を訪れました。山頂でランチの後、ゴンドラで戻り、「ピースオブピース」というタイトルの展示会へ向かいました。全くの余談ですが、HPを前日に見ていて、サイトからチケットを買うと安比のアイスクリームがサービスというので、そうしました。山ぶどうのアイス、美味しかったです。

 

アンコールワット

レゴ博は世界遺産がテーマということです。アンコールワットの遺跡です。

 

中尊寺金色堂

日本からは岩手の中尊寺金色堂です。

 

 

ウィーン歴史地区

ヨーロッパのこれはウィーンの歴史街区の教会ですね。

 

レゴ博解説

こういった説明がなされていて、レゴのピースの数や製作日数もわかります。制作に着手する前の、設計や準備の段階がかなり大変ではと感じました。闇雲に作り始めるわけにはいきませんしね。

 

プペルVR

また、安比ではこの後に人気の絵本「えんとつ町のプペル」のVR上映会というのがあり、せっかくの機会なので娘が体験してきました。VRというものの実際を初めて見ましたが、頭に装置を付けて視覚と聴覚が完全に上映の舞台の真っ只中にいる疑似体験をするということですね。絵が綺麗で、この本はうちにもあります。15分上映で1,100円はちょっと高かった?

 

 

焼走り溶岩流

さて、安比では迷路とか、空中高いところをロープで滑空するアトラクションもあって、これらもやってきました(娘がです)。初めて訪れた安比を満喫しました。そして、これから旅の後半戦第2部の、焼走り溶岩流のある「岩手山焼走り国際交流村」へ向かいました。ここは3年くらい前に「姫神山」に登山した後に訪れて、ブログにも掲載しています。あの時は結構奥まで進みましたが、今回は入り口のみ踏み入れて、すぐ温泉へと向かいました。毎年のことですが、前日までハードな出荷残業が続いた直後のドライブやハイキングですので、結構疲れもたまっているんですね。久々の温泉は良かったけれど、長湯はできませんでした。

溶岩流は何度来ても圧倒されるスケールです。

 

 

溶岩と木

こうして時々木が生えてはいますが、ほとんどが荒涼とした溶岩流で、何年経っているかわかりませんが他に草木がいまもって生えてこないということは、土がないということで、こうした溶岩が何メートルも深く堆積しているということですね。

 

銀河ステーション天文台

焼走りの温泉に入った後は、旅を締めくくる目玉である天体観測です。ここは「銀河ステーション天文台」というところで、前に来た時は気づきませんでしたが、溶岩流近辺の一連の交流村の施設の一環ですね。この右手の方には木立の中にキャンプサイトがいっぱいあって、ここが村ということでしょう。お盆休みということで車を乗り付けてバーベキューで盛り上がっていました。民間じゃないので多分料金も安いんでしょう。温泉はあるし、天文台もあります(通常は土曜日のみ夜の観測が可能です)。天体観測に合わせ今度は一泊で来てみたいです。

 

 

天体観測

天文台は18:30に開館し、木星と土星、アークツールス、おりひめとひこぼし、などを観測。客もわれわれ入れて5〜6人という感じ。実はIBCラジオの中継リポートで知ったのですが、まあそんなに混雑するほどでもなく、見るのにいっぱい待つこともなくスムーズです。コロナ自粛のせいもあったでしょうね。安比もですが、まずは混雑はありません。東京だとそうはいかないでしょうが。

木星の4つのガリレオ衛星を観測するのが前半の目玉でしたが、一番大きな「イオ」だけは木星の後ろになっていて、木星のこちら側へは回ってくれませんでした。イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストの4つは覚えるように娘も何度か復唱しましたが、既に忘れているでしょう。

かつてボイジャーの頃でしたか話題になった土星の衛星タイタンも見ました。天体望遠鏡では惑星の衛星が観れるのが魅力ですよね。もちろん木星の縞々と土星の輪もはっきり見えました。木星の大赤斑は残念なが向こう側だったようで見えませんでしたが。室根山の天文台も訪れたことがありますが、昼間でも確か木星とか望遠鏡で観れたと思いました。

アルビレオあと、「銀河鉄道」にも登場するアルビレオも観測しました。迂闊にも知らなかったのですが、近接する2つの星を合わせてアルビレオなんですね。A,Bと呼び分けたりとか。片方がオレンジ色、もう1個が青です。これが望遠鏡の視野に収まっているので色の対比も含めとても美しいです。アルビレオといえば、りんどうの品種になっていて、私も栽培していました。岩手県の開発品種には賢治由来のネーミングがなされていました。ジョバンニ、ポラーノホワイト、アルタ、イーハトーヴォ、などなどで、アルビレオは私も好きな品種でしたが親株が古くなり種の供給ができなくなって、いまはなくなってしまいました。なお、「銀河鉄道」ではお互い引力で回転し合っている二重星みたいに書かれているそうですが、実際この2個は距離的にはすごく離れていて、たまたま地球から見て近接しているだけだそうで、干渉はないそうです。とにかく美しいです。

夜8時前に一度休憩に入ったので、娘とダッシュでコンビニに走り、夕食を取って、また天文台に戻りました。コンビニを探すにも以前ならどうにもなりませんでしたが、いまはスマホですぐわかります。ありがたい時代ですね。充電もシガーでできますし。後半では海王星を見る予定だったのが、雲が出てきて残念ながら見えず。でも、アンドロメダ銀河を見ることができ、私は大満足です。子どもの頃から、不思議とアンドロメダは大好きな天体で、当時は星雲とか言っていましたが、星間物質の集まりではなく、銀河なんですね。規模も銀河系よりも大きいそうです。

またこのアンドロメダを見る時にドームがカシオペア座の方向に開いたそのスペース内で、1個ペルセウス座流星が流れました。私はちょうど目撃しました。この数日間に北のカシオペアの辺りを起点に流れるのがペルセだそうです。前日12日が最高に見える日でしたが、雨でした。

天文台の館長さんが本当に楽しそうで星が大好きだという感じだったのが印象に残りました。こうした職業に就くことができていたら、また違った人生もあったことでしょう。農業というのはひたすら「作業」に追われる仕事です。専門家業というのは違いますね。量で測れるものではなくて次元も違うし、知識と技。農業も知識と技ではありますが、目の前の「作業量」をただひたすらこなさなくてはなりません。まあそれも性には合っているし、時々はでもこうして地上を離れて天体に思いを馳せてみるのも大事ですね。

帰りは西根インターから盛岡インターまで高速を使ってみたのですが(軽で600円)、なんと1時間余りで家に着きました。来年は泊りがけで天文台ですね。観測も楽しかったようで、本当にいまのうちなので、思った場所には連れていきたいものです。

 

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にんにくを掘っています

ホワイト六片収穫始め

7月に入り、毎日のように雨が降り続いています。九州は集中豪雨になっていて大変お気の毒に思います。梅雨前線が上昇してくればこちらも同じ状況があり得ますが、台風とかだと勢力が落ち着いてから来ることが多く、その点は南西の地域の方々が深刻と思います。土砂降りの雨というよりも、霧雨から小雨がずっと続くという傾向が強いここ奥羽の7月です(これから下旬はどうなるかわかりませんが)。

そういう悪天続きの中ですが、少しでも雨の中休みがあれば、間髪を入れずにんにく掘りを最優先に作業を進めています。とはいえまず雨露が消えてくる10時以降にならないと着手できませんが。。

まずは早生であるホワイト六片から始め、7月6日に全部掘り終えました。全体の5/8がホワイト六片ですので、一気というわけにはいきませんで、何回かに分けての収穫です。にんにくは掘り遅れてそこに雨が続くと茎葉が軟弱になってくる上に、結球の上部が裂け始めてきて、抜くと切れてしまいます。これは一番嫌な状態で、商品性も著しく低下します。遅れてこうなるよりはむしろ早めに掘った方が、見た目も綺麗で商品性も高いと思っています。毎年梅雨のさなかの収穫になるので、当園のように1反歩弱でも神経を使うのですから、何倍もやられている産地の専業の方の気苦労はいかばかりかと思います。理想の掘るタイミングの期間は結構タイトなので、1週間くらいの間に決着をつけているのではないでしょうか。規模の大きい方はきっと収穫機械で掘っているんですね。動画で見たことがありますが。

その点当園では早生のホワイトに加え、中生の八木、晩生の八幡平とあるので、収穫時も、また植え付け時も長いスパンの中で作業ができるのは好都合です。青森の産地のようにホワイト六片だけで何反部とか何町歩となると、やっぱり機械なんでしょう。

 

根茎切り

掘ったにんにくは何時間か畑のその掘った場所に置いてざっと乾燥させ、そして黒いコンテナに集めて作業場に搬送します。これでまずは一安心。今日掘ったものが全部室内に揃えばまずは雨が降っても大丈夫です。ここでコンテナから1本ずつ取って茎と根を切ります。この写真の時は朝大慌てで掘っていた時に雨が降り始め、ちょっと濡らしてしまいました。それで根と茎を切った後、すぐにコンテナやネットに入れずに、ハウスの中へ持って行き、1個1個が重ならないように並べてムレが取れるようにしました。今日あたりはもう次の工程として乾燥させるためにネットに入れて、吊るす作業をします。

 

Mサイズ品

今年は例年よりもちょっと大きめにできました。雪解けが早かったことで生育の期間がいつもよりあったことと、去年の秋のうちに米ぬかを畝全体(マルチ全体に)に散布して、雪の下で良い感じに熟成して春に追肥になれ、と撒いた米ぬかの効果もあったかと思います。米ぬか追肥、今年もやって、加えて乳酸菌の補給の効果も与えたいところです。春の雪消えを早めるには、現状では3月終わり頃に炭の粉を雪に撒いて消雪を早めてやることしか手立てはありません。除雪機でにんにくの上の雪を歩いて飛ばすのもおっかないですし、炭の粉は土壌にも効果があると思います。

 

八木の1列と八幡平

こちら、八木にんにくは1列の面積で、同じく7月6日に掘り上げました。こうしてしばらく並べてから集めるわけですが、その日の予定分を全部掘って並べ終わってから、さあ集めようとする流れにすると、途中で雨が降ってきた際に雨に当ててしまうことになります。何度かに分けて、適度に乾いたら集めつつ、次のにんにくを掘って行き、最後に回収という感じで進めます。梅雨時ですから。ましてや今年の梅雨空は例年以上です。

 

八木2020

今年の八木です。こちらもやや大きめにできました。八木は分球が良くないものも多いです。こちら西和賀の積算気温が足りないせいなのかもしれませんが、2片しかないようなものは見た目も良くないので、種に回します。1片としてはその分大きくなっているので種向きです。Mサイズも採れているのですが、それは残念ながら出荷用ではなくて種用に回すしかありません。そもそもの量も少ないですので。

 

にんにくスライム種

こちらは、私が勝手に「スライム」と呼んでいる1片ものです。土から掘り上げる通常のにんにくは土壌から何らかの病害を得てしまっていることもありますが、「珠芽」と呼ばれる空中の茎の部分にできる赤い塊は土壌の病害からは安全な種として活用することができます。珠芽そのものは小さくて、それが翌年の収穫で写真のようなスライム形の1片ものになることがあります。結球して2〜3片に分球している場合ももちろんありますが、それらは植え付けりん片としては小さすぎて、廃棄します。上のようなスライムはこれで1個の植え付けになるため、翌年は立派なにんにくになることが期待でき、かつ、病害を受けていにくい安全性を期待することができるわけです。にんにくの種を購入するのは、実は危険な行為で、最も安全性が高いのが、珠芽から新しい畑で栽培をすることと言われております。

 

進入路造成工事

さて、長年、このタラノキの下の田んぼには機械の進入路がなくて、隣の畑の畦畔部をおそるおそる通ってトラクターや運搬車などを圃場に入れていました。今回、地元の水路工事のついでの作業で、よく慣れた重機使いの方に進入路を造作してもらいました。タラノキ園はちょうど重機のいるあたりが無駄な畦畔スペースになっていたので、そこまで進出していたタラノキを何本か倒すことになりますが、立派な進入口を作ってもらえて大満足です。

 

船久保洞窟1

さて、話は変わりますが、岩手県紫波町にある「船久保洞窟」に子どもたちと行ってきました。IBCラジオでレポートしていたのを聞き、これは行ってみなくてはと思っていて、5日の日曜日に訪れました。予約の電話を入れ、地元の案内ガイドの方に導かれての洞窟探索でした。

 

船久保洞窟2

洞窟内は見事な鍾乳石群で覆われていて、空中にはコウモリが飛び交っていました。

 

船久保洞窟3

龍泉洞や安家洞のような大規模のものではありませんが、もちろん他に誰もいなくて、洞窟を満喫することができました。上から垂れる石灰を含んだ水が石筍を形成しています。私は広島生まれで、小学校の修学旅行ではお隣山口県の秋芳洞や秋吉台を見て以来、こうした場所が大好きです。

 

船久保洞窟4

天井にはキクガシラコウモリが止まっています。案内の方は噛まれたこともあるらしいですが、穏やかな気質のコウモリらしく、また日本にいるコウモリはコロナウイルスとかは持っていないということでした。でもあまり刺激するようなことはしない方が良いとのことでした。いまは昼で休息している時間なので、そっとしていれば何も攻撃は仕掛けてこないということで。

 

船久保洞窟5

この狭い箇所は最初の洞窟の入り口からすぐのところで、光も見えています。が、ここは後にあとから作られた入り口で、本当の入り口は別のもっと険しい感じのところにあるそうです。ここは縄文人たちが住んでいて、土器や火を焚いた後の炭なども残っていて、いまはどこかの博物館に保管してあるそうです。縄文の後期だとか。ただいつからいつまでの期間というのはわからないそうで。後期の作風の土器があったという話でした。岩手の冬は厳しいため、冬だけここで過ごしていたのではという解説でした。この写真の入り口はなかったので、もっと険しい方から出入りしていたのだと思われます。コウモリもそこから出入りしているんですね。

 

 

船久保洞窟6

茶色っぽくなっているのは、石灰岩の性質にコウモリの糞などが合わさって化学反応を起こした形なのだとか。

 

船久保洞窟7

入り口にある看板です。中は電灯もあり、解説を聞きながらの約30分程度の探索になります。高校生以上300円。中学生以下200円の料金がかかります。岩手でもあまり知られておらず、ひっそりと佇んでいます。興味がおありの方は紫波町観光協会のサイトをご覧ください。他にも洞窟専門のサイトにも掲載されています。

気温は12度で、夏場の方が良さそうですね。

この辺りから東は北上山地になり、龍泉洞のある岩泉なども含めて石灰岩が豊富な洞窟地帯です。石灰岩があるところは大昔は海だったという話です。松茸とかトリュフとかも採れるのでしたね。われわれの地方は奥羽山系になり、こっちは酸性土壌で洞窟も石灰岩もありません。。。

 

志和稲荷2020年

紫波町を旅したのにはもう一つ目的があり、それは志和稲荷神社の参詣です。こっちへ移住した当初の20数年前に、田植えなどの一連の春作業が一段落する6〜7月の時期に、近所のおばあさんたちがここ志和稲荷へ行きたいとのことで、私が運転して訪れていました。私自身は全くこういうのには縁もゆかりもありませんでしたが、農業という仕事が自然任せの五穀豊穣をただ祈るのみのような不安定な業種でもありますし、ましてや私は他業種から転向した素人です。神様の力に頼らずにはやっていけなかったことでしょう。いまはおばあさんたちは高齢で参拝もできませんが、私自身習慣になっていて、できるだけ訪れようと思っています。去年は来ませんでした。それで、というわけでもないでしょうが、秋の台風19号では小さな車庫が飛ばされてしまい、急遽撤去して再建するという思わぬ大きな出費が打撃となりました。やはり神様の力ですね。

というわけで、一度来ると、来なかった時にこういう理由づけにもなってしまいますし、毎年参拝した方が良いのでしょう。思想として云々ということは私は考えていませんし、子どもたちにも、日本のこの東北の山村に生まれたものとして自然に身についた文化なんだというように捉えて欲しいと思っています。

写真は中風除とあり、祀られている木彫りの神様を撫で、自分の頭を撫でて中風(脳血管の病気)になりませんように、と願う場所です。

 

 

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束の間の釣り行脚

下野除草の効果

 

田植えやりんどう苗の植え付けも終わり、にんにくや小麦の収穫までのいまの時期は、ひたすら草取り、草刈りの毎日です。そこに面倒な中山間直接支払いの事務作業も加わり、第5期が始まるということでいろいろあって、農作業的には少し落ち着いた雰囲気はあるものの、いずれせわしない毎日です。

とりあえず田の除草作業は終了としました。チェーン除草を何回かかけて、フィニッシュは除草下駄です。ある程度草が大きくなり、田の土も少しふわっとした泥の柔らかさが取れて、それでいて固すぎずちゃんと草を埋め込んでくれる微妙な土の感触。この辺りでは田植え後1か月、6月20〜25日頃がベストのタイミングでしょうか。踏んだところは写真のごとく綺麗に埋め込んでくれるのですが、株間は残ります。全部の面積を2本の足で歩き覆い尽くさなければなりません。

1反歩で4時間という感じですね。

最終的に下駄で踏み潰すのであればチェーン除草はいらない気もしますが、初期の抑草は無駄ではないし、株間は下駄で踏めないので、この株周りはあらかじめチェーンで抑えておきたいということですね。

 

 

除草下駄ピアノ線

除草下駄の構造はこの通りです。このピアノ線で雑草を泥に埋め込みます。青い取っ手を手に持って緑の紐を持ち上げるようにしながら歩きます。長靴の足は黒い、昔のトイレの下駄のような帯に入れます。通販で購入しましたが、製作しているのは岩手県金ケ崎町の農家の方でした。

下駄除草は雨の日や朝の早い時間帯など、りんどうの葉や土が濡れているような時に行います。りんどうはお盆・彼岸と家計を支えてくれる重要な品目で、乾いているときはりんどうの草取りを中心に行っています。宿根草なので、春に整地して植えるような畑とは違い、経年の雑草たちがうごめいていて、放置しておけばネットも引き上げられず、りんどう自身も見えなくなってしまいます。りんどうはハウス栽培の花々とは違って、土地利用型。面積があるために、低単価の量で稼ぐ品目。もともと田に植えるため、面積も広い。草取りは大変な作業になるのです。

農作業全般に言いえることですが、これまで、農業を始めて10年経っても、なかなか感覚がつかめずに、これくらいの作業にこれくらいの時間がかかって成果はこれくらいだ、という感触のないままにがむしゃらに突き進んできた感じがありました。思いや意志だけ突っ走って、頭で思ったようには進まないで、挫折感っぽいものを常にどこかで感じながら1日が終わっていく。

20年を過ぎたこの頃は、その辺りが少しは見えていて、客観視できてきているんでしょうか。この作業はこの成果、という行動と結果がわかり始めている気もします。20数年経ってやっと、です。。冷静になれている分、野球で言えばボールがスローで見える。去年はこれでダメだったからこうしてみるかというところも、行動→その結果、が見えていないと、自信のない勘に頼ったむやみな試みで成果もわからない、という虚しさが残ります。理想が高すぎても、もちろん低くてもダメですね。いまのこの目の前の状況と自分の現状をピタリと見て取り、手応えのある作業を積み重ねていく。そんな農家でありたいものです。

 

アリーン出穂

アリーナ小麦がうっすら色づいてきました。岩手でも大半の地域はそろそろ小麦の刈り取り時期です。しかし雪消えが遅く気温も低いこの地域は2〜3週間遅くなります。雪が早く消えた今年も5月にすごく寒くて、プラマイゼロのいつも通り。特に極晩生であるアリーナは7月末の刈り取りで、南部小麦が当地で7月15日頃なのでプラス2週間という感じです。岩手の各地より2週間遅れになる西和賀地方です。

 

部分日食

部分日食がありました。以前子どもたちに太陽を見るぺらっとしたレンズを買ったものですが、突然日食だと言われても所在がわかりません。でもスマホで写すと写真のように別位置に欠けた太陽が小さく写し出されるのです。不思議なことです。メインの太陽は欠けているとあまりわかりませんが。

 

七内川

さて、中3になった息子と遊ぶ機会もだんだんなくなって寂しいところです。部活がぎっしりで仕方ないんですけど、中総体というスポーツの節目が終わって、3年生は引退ということになり、これからは高校受験に専念という時期になります。とりあえず息子に時間ができたので、イワナ釣りに行きました。

最初に行ったのはうちの前の川をしばらく遡った上流の堰堤です。前々から気になっていたところで、竿を出し、餌釣りとルアーとをやってみましたが、イワナの姿は見えたものの、釣れませぬ。雪解け直後頃のもっと水量がある時期なら釣れるのではないでしょうか。

 

和賀川1

別に日には和賀川本流からやや林道を奥まで進んで橋のところから入って釣ってみました。奥羽山脈の深い源流域ですが、結構明るく開けた感じ。本当の奥はまだまだあるのですが、それを極めるにはテントを背負って2日くらいの行程で、とネットでも記載があり、そこまでは踏み込みません。林道がちゃんと進めるかどうかもわかりませんしね。

 

和賀川のイワナ

でも、写真の浅い川で息子が1匹釣りました。上に写るのは私の竿で、息子はこの時テンカラで釣ったと言っていました。この1匹で終わり。県道まで戻り、コイン精米所から米ぬかを採取して戻りました。

 

和賀川2

そして昨日、3回目。ここは結構な大きさの堰堤。魚影も濃いのですが、朝10時頃来た時には残念、先客がいて、家に戻り、午後3時に出直して竿を出しました。ここでもやはり息子が1匹。私もこの場所ではかつて釣ったことがありますが、今回は息子にやられました。先客がいた影響もあったでしょうか。どんな山奥でも、釣り人はいるものです。関東から来る人はおそらく和賀川本流の源流域を目指すんだと思いますが、車で簡単に行ける支流部は、どこも盛岡とか北上など近郊からの客に責められています。私の家の近くも釣り人は多く、農道に平気で車を停められて自分の農業車両が入って行けず腹立たしい思いもさせられること多々です。

ここはルアーもやってみましたが、釣れず。こういうところでは川虫も採取できないので、ミミズに頼るしかありません。春先に釣具屋で買ったミミズをバケツに移し、畑の土を入れて飼っています。水をやりすぎても、干からびさせてもダメで、とにかくミミズの存在を忘れないことです。草取りをしていてミミズを見つけたらこのバケツに放ちます。とりあえず2か月あまり元気です。飼っている土に牛乳をかけると良いと昔何かで読みました。

最初に、中山間の事務に追われつつ、と書きましたが、実際、この地区には430の田があり(これでも小さい地域です)、これをその農家ごとにプリントして、管理者の異動はないか、5年10年後の田畑の管理はどういう計画で考えているのか、を1筆ごとに書けと言う。こういう結構辛い事務負担を農家に強いるのですね。当然、ほ場データはエクセルで管理することになりますが、国から降りてきたんでしょう、今回の第5期対策用の書式に、現状の430筆の地番や面積、管理者のデータを移植する作業は、まず同じエクセルの別データからコピペでできはしました。しかし、それを各農家ごと、団地ごと、作付け品目ごとに並び替えるフィルターができる環境がちゃんと準備されていない。想定されていない。各地域の事務担当(ここは私ですが)で適当にやってくれ、という感じで、しらっと大変な負担を求めてくるんですね。この並べ替え作業の解決に半日要しました。そうしないと各農家ごとにほ場一覧を渡せませんから(国は分かっていないんだろうか)。

もともと農家なので、エクセルにそんなに通じているわけじゃありません。中山間事業の事務も、多くは農協や役場をリタイヤした人がやっているのです。もともと補助金関係の事務に通じた人たちですね。役場や農協職員はどの地域にも必ずいるのですから、そういう人向けに、天下りじゃありませんが、事務の仕事を与える事業なのか、と疑ってしまいますね。。まあ私も事務手当はもらっていますし、やるしかないですけどね。

一般の会社勤めでも何かとエクセルくらいはできないとダメでしょうが、いかんせん私は編集職上がりなんで、お役所文書も統計っぽい計算事務もやったことはないんですね。。まあでもエクセルでデータの並べ替え設定は何とか自力でできましたので、農家ごとに分けてプリントし、農地の現状を各農家に記入してもらう段取りは無事できました。

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田植えも終わり暖かい初夏に

田植え後の早苗2020

いつも田植え前後は寒気が入り続け寒い日が多いのですが、今年は5月半ばにかなりの低温が1週間あった後に突然初夏らしい好天に恵まれました。そして6月に入り、南の方で梅雨入りの声が聞こえる頃のいま、こちらが梅雨入りするまでの6月前半の時期だけはいつも晴天が続きます。水はふんだんに来ているし、りんどうのように成長期に水を欲しがる作目は田の取水口から水を入れてやり、灌漑します。土も乾いていたので、昨日今年初めてのりんどう灌漑を行いました。

 

やまなし開花2020

代かきの頃に、やまなしの花が咲きました。去年はまるで実がならなかったのですが、今年はどうでしょうか。実の元のようなのはできてはいますが。

 

タラノキ6月初め

タラノキも芽吹き始めて1か月でずいぶん大きく育ちました。飲食店需要が減って販売に苦戦した今年のたらの芽出荷でしたが、来年はまた何事もなかったかのように例年通りに受注が戻ってくれたら良いのですが。。タラノキは本当に成長がすごいです。5月連休頃にぷくっと米粒くらいの緑の塊が現れて、ぐんぐんと枝葉を付けて成長します。目に見えない遺伝子の設計情報が展開されて造形が進いんでいく姿には圧倒するものがあります。

周囲の畦畔や農道の草刈りもしなければなのですが、りんどうの苗植えもあり、いろいろ優先事項が多くて、草刈りは後手後手に。。

 

 

鯨山山頂からの展望

さて、コロナ禍でお出かけもなくひたすら仕事のみの日々でしたが、5月の最終日の日曜日に、三陸に行って来ました。田植えも終わったし区切りをつける「さなぶり」ですね。「鯨山」の登山というかハイキングです。山田町にある陸中海岸青少年の家に車を泊めて(ここは息子は学校のスポーツ行事関連で宿泊したことがあるようでした)、登り2時間、下り1時間といったコースです。鯨山山頂付近は大槌町になりますか。山頂からその方面が見えています。

結構傾斜が急な鎖場もあって、上り下りともに難儀した箇所もありましたが、天気も良く、楽しい休日となりました。

 

 

鯨山山頂鳥居

山頂には、鯨山神社。立派な鳥居があります。去年の夏に「鯨と海の科学館」に行った記事も書きましたが、この地方では捕鯨の伝統があったのですね。それで漁から帰港する時に見える大槌辺りの山が鯨の形に見えたことから、くじらさんと呼ばれているようです。こうして神社があるということは、豊漁や海の安全を願ったことと察せられますね。

 

 

鯨山神社(山頂)

こちらは鳥居のそばの神社ですね。

帰路は途中から登りの稜線コースと違う沢コースで下山しようと思っていましたが、登りの時にこの沢コースへの分岐点がわからず、ちょうど山頂で行き会ったベテランハイカーの方に分岐地点について尋ねてみたところ、では分岐点や迷いそうな場所にピンクの標識を付けてあげると言ってくれて、到着した私たちとすれ違いに下山されていきました。カップのスープやほっか弁で昼食を終え、帰路につきましたが、そのわかりにくい分岐点も標識を付けていただいてわかり、道中そのピンクじるしを見つけては回収し、終点の青少年の家へ着くちょっと前にその方に合流することができて、標識を返したのでした。ありがたいお心遣いに感謝でした。

NHKラジオ土曜朝の「山カフェ」で、登山道のピンク標識について話題になっていたことがありました。林道の道作りとか植生調査とか、さまざまな目的で山に入る人がそれぞれの目的でしるしを付けているものなので、登山客が登山のための道しるべだと思い込んではいけないということでした。確かに鯨山にも登山とは関係なさそうな意味の標識が多数あって、あまり頼りにはしませんでしたし、私たちのために付けていただいた今回の標識も紛らわしくなってはいけないので回収してお返ししたという次第です。こんな回収の機会も初めての経験でしたね。

 

吉里吉里海岸で釣り

1日の旅に色々盛り込みすぎるのが私の悪い癖なのですが、今回もせっかく海に来たのだからと竿をちょっとだけ出してみました。釣り餌が買えるところを探したり、砂浜を探したりするのに時間を取られ、結局わずかな時間の竿出しでしたが、釣れませんでした。三陸の道はいま震災後に大きく変わっていて、カーナビはあまり役に立たず、また、砂浜自体が少なくて、釣りをしない次女の希望で砂浜を探すのには結構難儀しました。あちこちで工事もしていて、あまり釣りという感じではなく、ここ吉里吉里海岸(海水浴場)は貴重でした。ここも工事中ではあったようですが日曜日だったので稼働はしていませんでした。

砂浜からの投げ釣りは秋田の方が良いかもしれず、三陸では船を除けば堤防釣りがメインになりそうです。が、海遊びしたい者には堤防じゃつまらないんですよね。。

息子が、今度は川釣りに行こうと言い、確かに奥羽の山深く、和賀川源流域に住んでいるので、やはりわれわれは地元を中心に渓流釣りをやって行こうと内心決意した次第でした。釣り関係では何十年も前の知識しかありませんで(釣りキチ三平の時代)、アマゾンで安い入門書を2冊購入しました。現代はイワナやヤマメもルアー釣りが盛んなようで、こうした分野は全くわかりませんで、学びながらやってみたいものです。

 

南部小麦畑

南部小麦が出穂してきました。いつも6月1日が標準出穂期なので、3日程度遅れています。雪解け自体は早かったけど、4月5月は確かに寒かったです。早い雪解けの恩恵はありません。あるとしたら、それは私の農作業が早くから始められた点で、それは何よりのことでしたが。

 

南部小麦の穂

麦や稲の穂を撮ろうとすると、必ずピンボケになるんですよね。ちょうど開花期になるいまの時期、雨があまり降らないことを願います。

 

りんどう定植2020

りんどうの苗も配布され、植え付けを進めています。128個入りのプラグ苗1枚植えるのに約1時間ですかね。これだけに集中すれば1日に10枚は植えられるのですが、いろんな作業や用事があるので、遅れていきます。

 

チェーン除草2020

こちら、田の除草も待ったなしです。長女と田の向こうとこっちでチェーン除草器具を引っ張りあいこで進めました。3枚の田で約1時間。残りはロープを外して私が直に田に入り引きました。しゃがんでのりんどうの植え付け作業をしながら、疲れて来たらチェーンを引く、という感じで仕事の能率上メリハリをつけます。

このチェーン除草だけでは除草は難しく、次は除草下駄の出動です。田植え後少しでも早くチェーンを引くことが理想ですが、あまり早く始めると草への効果は高くても、苗を傷めてしまうので、判断が難しいのです。昨日6月6日の1回でチェーン除草は終わりになりますか。除草下駄は後半戦で大きくなった草を埋め込む作業ですが、これも今度は遅くなりすぎると(たとえば7月になったりとか)、田が固くなってうまく田の泥に埋め込めなくなります。

その前に、米ぬかの散布があります。これは風のある晴天時は撒いた米ぬかが偏って沈殿してしまうので、雨の日の散布が理想です。雨が強ければ強いほど、撒いたその場所で米ぬかが沈んでくれるのです。それでしばらくトロトロ層を形成してくれるのを待って、除草下駄の登場となりますね。

6月は田の除草月間です。7月に入って上旬に中干しをすると、もう除草は実質上できません。作業は次のはにんにくの収穫、小麦の刈り取りに移ります。

間髪を縫ってイワナ釣りができればいいのですが。。

 

 

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寒天出張が終わりました

万治の石仏

80日に及んだ長野県茅野市での寒天製造を終えて、昨夜2月10日に岩手に戻ってまいりました。

休みのないひたすら働きづめの日々でしたが(静岡農業研修2日と釜入れ休止による休み2日を除く)、ポツンと田畑で一人作業の農業とは違ったアクセントが付いた時期になったと気がします。これからは本業に邁進するのみですね。まずはたらの芽の生産からスタートし、お米やりんどう、にんにくの栽培につなげていきたいと思います。雪は50cm余りしかなく、春は早いのかもしれません。とはいえ、これまでの暖冬の反動で、寒い3月、4月になることは十分に想像されます。4月になって雪が降り続き、逆に雪がなかなか消えない、なんて、すごく多いにありそうなことです。暖冬=冷夏のイメージもありますし、まともな稲作ができるのだろうか。長野の寒天経営にとっては辛い暖冬でしたが、この先は農家に辛い気候が待ち構えているかもしれず、心配の種は尽きません。とりあえず当面暖かさが来てくれれば、たらの芽にとっては好条件です。

さて、いつも1回は長野で床屋に行くのですが、今回も諏訪市内にある安いお店に行って来て、その足で地元の方からの情報で「万治の石仏」を見て来ました。岡本太郎氏が絶賛し有名になったらしい石仏で、親しみをすら感じさせるその表情は心に訴える何かを感じさせられます。

 

石仏の由来

その石仏の由来です。

 

諏訪大社春宮

万治の石仏は諏訪大社春宮のそばにあり、春宮にまずお詣り(初詣ですね)をしてから石仏に向かいました。ちなみに神社の神様はいまの時期はこの春宮にいらっしゃり、夏ころでしたか、秋宮に移られるそうで、いまはここ春宮にお詣りをするのが良いそうですね。

 

菅野温泉

諏訪大社の近くには古くからの温泉がいくつかあり、これまでは児湯(こゆ)という湯に2度ばかり入りましたが、今回は菅野温泉という温泉に入って来ました(240円。石鹸等はなし)。昭和の風情が色濃く残る味わい深い温泉でした。

 

草の釜入れ

寒天の煮込み、天出しも今年は暖冬のため早く終わりました。現在はもう釜の火も消え、出された寒天の庭仕事と、庭の設備器具等の片づけが残るだけとなっています。今月末には全て終了して人員は解散となっていることでしょう。この釜の2人は夜の11時前に起きて夜通しかけて液を濾しもろぶたに注入する作業を行います。この草入れはお昼前後に行う作業です。われわれより圧倒的に長い時間の勤務となり、誰にでもできるものではありません。

 

さよなら北アルプス

昨日の朝、茅野の製造所を発ち、安曇野のサービスエリアから北アルプスを望みました。11月24日に松本入りしてから2か月半経ち、アルプスともお別れです。帰路は茅野から最寄りの諏訪インターから、長野市の先の信州中野インターまで高速を使いました。われわれ岩手からの旅人にとっては長野県は全般に都会です。建物も人も車も多く、どこも渋滞が激しいです。下道だけでは茅野から北進し長野県を通過するだけで1日仕事になってしまいます。このあと新潟県内でもところどころ渋滞はありましたが、小千谷の辺りからは立派なバイパスがあるので、長岡、新潟と快調に通過し、胎内の無料高速区間を乗り終えると、もう山形県です。新潟県が一番通過時間を要します。

山形に入ってしばらくして鶴岡の市街地はさすがに混雑がありましたが、その後最上川沿いは快調で、あとはナビが示す予定時間通りに進み、午後9時過ぎに帰宅しました。雪道も結構あったし、天カスの肥料袋40個を積んでたし四駆をかけて走り、それでリッター15kmの燃費は悪くありませんね。3年前の製造の軽トラは私には乗用車の乗り心地で走ってくれました。渋滞時のギアの入れ替えの面倒さはやむを得ないところでしたが。

これからたらの芽作業です。今日はまずはいくつかタラノキの駒木切断を行って、水に漬けました。これで栽培はスタートになります。明日はお米の出荷も再開させていただきます。今夜は久しぶりのWiFiでアマゾンの映画を家族で観たいと思います。

今年の農業も、どうぞ宜しくお願いいたします。

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もうじき農家に戻ります

天出し作業

寒天出張もあと1週間となりました。

 

家路へと旅立つ当日の感覚というのは独特のものがあります。昨日まで延々と続いた作業の日々がなんだか急に遠い日の記憶のように変わり、かといって自宅での生活はまだちょっとピンときていなくて、どっちつかずの浮遊感。私は自由だ、という感覚。

 

移動の間の短い期間のみの貴重な気分と言えるかもしれません。町に入り家が近づいてくると、もう以前の意識に戻りますから。

 

今年は暖冬で、何度か寒天の煮込みが休止となり、草を洗う業務ではなく慣れない庭仕事もやりました。暖かい日が続く中に煮立ての生の天出しをすると、寒天にならずダメになってしまうそうです。

 

この寒天作りで一番技術を要するのがモロブタに入った生天を取り出して改良台に載せる「天出し」作業でしょう。折らずに素早さも求められるこの作業は難しいです。

 

 

雪のため積む

吹雪もありました。沢内では日常茶飯事のフキもこちら寒天の里では一冬に1〜2度あるかないか。風が強い地方では寒天やそれを載せるムシロが飛んでいってしまいます。諏訪地方が産地なのはもともと風が弱いというせいもあります。

 

でも写真を撮った頃にはもう雪もへたってましたが。

 

 

シンビズム展

寒天作業に来ている画家の方の情報で、美術展にも行って来ました。茅野駅そばの市民会館です。アート的な要素は常に自分の農業に対する思いの中に位置付けていたいと感じています。この作品は会館の外庭にあるオブジェですが、この作家は田んぼもやられており、稲やその作業に創作の源泉をお持ちのようでした。「シンビズム展」という展示で信州の新しいアートの動向を表す造語のようです。

 

 

茅野駅前

茅野駅前です。松本から大学1年の夏休みに蓼科グランドホテル滝の湯でアルバイトした時もここで下車したし、東京時代に八ヶ岳登山に来た時もここの駅でした。冬に赤岳山頂付近でホワイトアウトに見舞われて頬に凍傷を追ったこともありましたね。とはいえあまりこの茅野駅の記憶はないんですよね。確か昔はMount8と駅舎にロゴマークがあったような。。ただこちらの方に訊いても知らないようで、私の記憶違いかもです。

 

夕方からはテレビを見て過ごすことが多いです。いま家にテレビを置いてなく、テレビ以外の生活を大事にしているのですが、こちらでは一人だし、最近は情報番組も多いので、まあ楽しんでいます。特に土曜日の「子ども博士」の番組は好きですね。地元局制作の特集番組は必ず観ています。

 

最近は記憶喪失の方の身元を視聴者からの連絡で探すという番組を興味深く観ました。中でも、幼少期の記憶はあるのだが、現在の身元がわからない記憶喪失者として保護されたという方の報道は、考えさせられることが多くありました。

 

本人は父母がなく叔母に育てられて、虐待も受け学校にも通っていなかったという記憶をお持ちなのですが、テレビを観た母親という方から連絡が入り、実際は親もあり、大学まで通ったそうです。そしてスタジオでその話を人ごとのようにご本人は聞いている。

 

素人が思う素朴な疑問ですが、一般常識や日本語も失われず、正常に流暢な日常会話はできる。ただ自分が何者かがわからない。「日本」や「ラーメン」「愛」は理解できていて、しかし自分が誰かだけがわからない。しかもそれでいて幼少期に過ごした部屋や自分を虐待した人物の顔が光景としてしっかり根付き自分の経験になっている。しかしそれは実は想像の産物だった。いったい「自己」とは何なのか、突きつけられた思いです。

 

視聴者からの連絡でカメラマンだった方もいましたが、ご自分では過去から現在まで全く記憶がないそうです。でも「カメラ」や「シャッター」はわかるはずですね。しかし職業上使っていたはずのカメラ関係の専門用語は記憶がないことになるでしょうか。それがわかると自己の自覚まであと一歩と思えますが、触れられていません。

 

そもそも一般の知識とはすべて自分の経験で獲得するものとも思えますが、学校や本とかで習った「寒天」は覚えていても、この製造所で獲得した「天切り」や「モロブタ」は自己の経験とあまりに密接なため忘れることになるのでしょうか。あるいは、なぜか私はこの青いモロブタのことを使用法まで含めて知っているが、私は寒天を作っていた人物だという記憶がない、ということになるんでしょうか。

 

イマヌエル・カントという人は、すべての認識の根源には統覚という自己の意識があると述べていますが、こうした根源的な統覚能力により、日常的な認識判断だけでなく、全く別の現実にない経験を脳内に構築することがあるのでしょうか。観念論的に。不思議な現象と思いますね。すべて自己の認識能力が知識を形成する以上は、大雑把に言って、自分の経歴に密着する知識と一般常識の知識とに線引きはできないように私には思えるのですが。。当たり前のことですが、痴呆という現象とは全く違いますね。

 

いずれにせよ、もし私がいま私の経歴だと信じていることが、周囲の100人から揃って一律に違うと告げられたなら、私は私の思い込みで自分の記憶を捏造していた、という思いに自分自身なるかもしれないですね。自分の過去も解釈の賜物という気もするし、自分の経歴の理解というのは、刻一刻と再構成されて自覚されているのではとも思います。

 

wifiのないギガ難民の暮らしももう少しです。こちらでは月末になるとギガ使用が次のステップにならないよう節約せざるを得ず、モバイル禁止で我慢です。

 

天カスを表面の乾いたところを剥ぎ取っては肥料袋に詰めていく作業をしつつ、積雪がないことを確認して軽トラの幌を張る作業のタイミングを図っています。

 

もう少し頑張って全うしたいと思います。