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4月がスタートです

大川小学校壁画

4月1日、宮城県石巻市にある大川小学校の遺構を訪ねました。校舎が受けた津波の爪痕は凄まじく、衝撃を受けました。校庭の隅の方に卒業制作と書かれた壁が残されていました。銀河鉄道の絵や、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の文字を見ると、また強くこみあげてくるものがあります。子どもたちはそれほど深い意味を込めて書いたわけではなかったかもしれませんが、津波の犠牲になった子どもたちがいたこの事実が存在する以上、いま生きて暮らす自分もまだ決して幸福を感じることはできない。そのような打ちのめされる感覚です。「裏山」もその通り眼前にあり、最終的に皆が目指した「三角地帯」もすぐそばです。校庭は静かでしたが、13年前にここで50分の間、激しい葛藤やせめぎあいが繰り広げられていて、そして命が失われていった現場でした。現場の空間に実際身を置いてみないと理解できないことは多くあります。写真で見る遺構の姿とリアルな目の前にある姿はやはり違いました。

 

大川小学校建物入り口付近

学校は地区住民の避難先でもあったことから、発災後集まっていたのは小学生だけではなかったのですね。裏山に登り津波から逃げたいと話す教頭先生と、地区住民の代表と言うべき区長のそれに反対するやりとりがあったと記録にありました(ネットでの検索記事も含み)。本当にあの時の場面で、余震が続きしかも雪の舞う状況です。若くて登れる子どもを抱える学校の先生と、とても年寄りたちに山登りを強いることはできないと思う地元住民の立場の拮抗が想像されます。先生も、子どもたちだけでも裏山に避難にします、とは言えなかったのかと思います。「山へ逃げよう」と叫ぶ子どももいたのです。本当はそう言わなくてはいけなかったのでしょうが、津波はここまで来ない、というムードが全体にあったのですね。また子どもたちが山へ避難を始めれば、残る地元の年配者たちも不安と動揺を感じることは当然です。いろんな思惑が交錯する状況です。

どんな集落にもあり得る立場の違いの構図でしょうか。校庭に集まっていたのがもし小学生と先生だけであったなら、迷わずに裏山に避難していたと思います。でもいろんな人たちがいた。「多様性の尊重」などと言う言葉は吹き飛んでしまうような、命懸けだった状況と思います。自分の住む地区の区長や、また町長とかにこの《大川小学校の問い》を投げかけてみたいと強く感じました。でも、その実際にリアルな現場に遭遇しないと判断は出ないことと思います。

学校正面の入り口ロビーには花が飾られていました。暗くて見えにくかったですが、もしかしたら折り鶴の束だったかもしれません。

北上川の最上流域から、まさに河口への旅でもありました。

 

関谷洞窟住居跡外観

とはいえ、北上川沿いに下って来たのではなく、当日は大船渡へ向かい、そこを経由しての石巻への旅になりましたが、途中、大船渡で縄文人の住居跡であるとされる洞窟をGoogleマップで見つけたので、立ち寄ってみました。関谷洞窟住居跡という場所です。

 

関谷洞窟住居跡内部

奥の方まで行ってみよう、と思っていいた好奇心は、入り口に立ち入った時点でたちまちにして消失してしまいました。奥まで行けば100mくらいあるそうですが、絶対ムリ。この状況で携帯のライトだけで奥には進めません。第一、怖いです。道に迷って出て来れないかもしれないし、何者か、異なるものがいるかもしれません。もし5人くらいいて懐中電灯も持参していれば突入できたかもしれませんが。。写真の暗がりのところまですらも進入できませんでしたね。

次いで、石巻へ向かいました。この辺り、宮城県に至るまで無料の高速が整備されて、快適に走行できました。

 

ハウス完成2024

稲の種まきの時期が近づき、水稲育苗ハウスのビニールを掛ける作業をしています。左手首の骨折が原因で左手親指の伸展腱が切れてしまったその接合手術を受けて、まだ日が浅く、その接合箇所の再断裂の危険を医師から厳重に注意されています。ハウスのビニール張りをする前に、雪の重みで曲がってしまうため秋に外したハウスの下部の直管横パイプとジグザグ(ビニペット金具)を固定金具でパイプ本体に再装着し、次いで下から腰巻きビニール、前後の褄のビニール設置までを昨日、左手親指を気にしつつ行いました。翌日の本日4日、屋根とクルクルのビニールを張り、午前中でハウスの準備は完了しました。とはいえ、結構あちこちビリビリに裂けています。毎年強風は必ずありますから、ビニールもそう何年も持つものでもありません。前後や腰巻きなど強風を受けにくい部分もビニールが劣化してビニペットのジグザグがうまく装着できない(特に地際など)こともあり、毎年どこかのビニールを新調しているようなものです。来年はこの屋根ビニールが交換になります。午後は、たらの芽の出荷作業の後、破れた部分のビニールの補修を行いました。

取り外したパイプを装着するにも、そして次にビニールを掛け、装着したビニペット金具にジグザグ針金で固定していくにも、結構指の力を使います。せっかく手術でつなげた腱の断裂は嫌ですから、左手をかばいつつ、しかしやはり左手の指も使うんですよね。何度も腱は切れてないよね、と指を動かして確認しつつ、時間をしっかりかけて作業を遂行しました。屋根ビニール掛けはロープで引っ張る作業です。その後の黒テープでのビニール固定でも「結ぶ」と言う作業で指を使います。腱は切れていないだろうか心配でした。

少しでも手術後の回復の時間を設けるために、いまのうちに出かけるとか農作業外の用事があればそれを優先し、少しでも指を回復させて、農作業は後回しにしたい、まだ種蒔きまで時間はある。それが本音ですね。たらの芽作業に関しては、指への負担がなくて、こちらはとても助かっています。ギプスをした左手を使って電動テーブル鋸で穂木を駒木に切断する作業は苦戦しましたが、いまではすべて切断が終わり水槽に入っていて、芽吹きを待ち収穫をするのみです。ポケットマルシェで多くのご注文をいただいてありがたく思います。

雪解けまでもう秒読みの段階になっています。りんどうの畝が出現したら、とても忙しくなります。当面は稲の種まきを早く進めたいですね。当園は晩生系の品種が多く、早めの育苗開始が大事になります。培土を引き取りに行かなくてはなりません。そのタイミングで水漬けした籾の加温催芽を始め、ハトムネ催芽を行い種まきになります。

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神戸・淡路、イワテヤマナシ演習林への旅路

摩耶山展望台から神戸市夜景

長野・茅野での寒天煮込みが2月2日の天出し(釜から外に出し並べること)で終了し、その日中と翌日のほぼ午前中で、片づけを完了しました。釜からクレーン(ホイスト)のバケットで煮た中身を移し濾す時の布とその下の竹を釜の湯に吊るして漬け、またその釜のお湯をテングサの洗ったのを漬けておく水槽の方へと送り込んで、もう煮るべき草が空になった水槽で、天を入れるモロブタや舟の下の柱とか釜の蓋など重い汚れた木の器具を移動して洗います。天でヌルヌルした汚れは、ヤッケなどについた場合もそうですが、お湯で洗わないと落ちません。大きな木製の舟を10人がかりで地面に降ろし、10個あるマスの中に一人ずつ入ってたわしで洗ってくれたり、庭作業の人の手を借りて、釜部門の片付けは割合早く完了します。言葉だけだとわかりにくいかもしれませんが、こうしたワンチャンスの作業状況はなかなか写真に撮るというタイミングがありませんで。。

そして私の役目は終わり、2月4日の早朝に茅野市を発ち、今回は高速で神戸へと向かいました。

イワテヤマナシを生産し事業化しようという計画を折に触れてお伝えしていますが、その指導を続けてこられた神戸大学の先生が手がけてこられた演習林を見学することが目的です。先生ご自身この春から自らイワテヤマナシの生産加工事業に携わっていこうというとされていて、そうすると大学の圃場を見るチャンスもなかなかなくなるし、しかも岩手へ戻れば改めて神戸(兵庫県加西市ですが)まで出かけることは実際無理なので、この寒天出張からの帰途で大回りをすることが唯一の機会と考えた次第です。

神戸といえば一番の写真は夜景だろうと思いますので、翌2月5日夜の摩耶山からの夜景の写真を最初に掲載いたします。

 

鳴門海峡

そうした思いで旅が始まり、いつものように労務から解放された清々しい気持ちで工場を後にし、出張中に普段よく通った道から最後の日だけに取っておいた高速諏訪インターに入り、中央高速から阪神方面へとハイゼットを走らせて、約5時間後には神戸市三宮界隈に到着し、お昼ご飯となりました。

知人より勧められていた食堂「ほうらく」に行くために、大きな市街地ですからまず問題は駐車です。ガソリン代・高速代は研修旅行の経費として仕方ありませんが、昼食一つ食べるために数百円のコインパーキング代が、というのは田舎者にはとても違和感があります。が、まあ今回はおそらくもう2度と生涯の中でないであろう自走しての神戸旅行ですから、我慢します。

行列を並びきり、食べた後に問題が。。盛岡の大通りなどによくある路肩がパーキングエリアになっているというパーキングを利用し、駐車して「ほうらく」へ行って、長時間並び、美味しく食べて、さあ車にと思って歩いて戻るも、軽トラを停めた場所がわかりません。。東西に停めたか南北に停めたかも覚えていなくて、うかつにもすぐに歩き始めてしまったために、記憶に残っていなかったんですね。30分は無駄な歩きでロスしました。歩き疲れもしましたし。。

その時に神戸市内でやたらに目に付いたのが、冬の厚い誘導員ジャケットを着たシニアの誘導の人たちです。近くに大丸デパートがあったようで、そこへの駐車を誘導しているんだと思いましたが、こうした人が至る所にいて、こっちを見ている気がします。この人何さっきからぐるぐる歩き回ってるんだべ、という目つきのように見えます。自分の軽トラどこですかと訊くわけにもいかず、散々歩いてやっと見つけ、そして、午後の目的地である淡路島へ出発しました(この三宮界隈は後ほど何度も訪れることになります)。それにしてもこの駐車場誘導以外にもですが、何で誘導員シニアの人があちこちにこんなにいるのか。。

阪神高速も走ってみようと乗り入れて、そしてそのまま明石海峡を渡ります。心の準備もないままいきなりぐーんと上に道路が上昇し、橋のポール(車道より上部の両側の柵)?が高く聳え、背後に海の見える光景が眼前に広がったときは、突然でしたので、おぉと少し感動しました。

そのまま淡路島に上陸し、最初の観覧車があるパーキングで軽く休憩した後はそのまま走行を続け、淡路島南端で高速を降りるつもりだったのに、ナビの誘導では鳴門海峡も渡って、え、徳島じゃん?という感じで四国に降り立ちました。鳴門海峡の写真を撮りましたが、残念ながら潮の関係で渦潮は見れませんでした。

 

淡路バーガー&ソフト

淡路島側に戻って島の最南端に近い道の駅で、有名な「淡路島バーガー」を買い、また「玉ねぎソフト」も買って食べました。バーガーは夜のつまみ用にしました。明石海峡の橋も鳴門の橋も有料のようでしたが、地元民には負担ですよね。こまめな高速の乗り降りが続き、ETCにしていて良かったです。初日の諏訪からの利用は休日の割引にもなりましたしね。

 

淡路島の玉ねぎ

淡路島といえば玉ねぎ栽培と知っていましたが、特に南部の方によく畑が見られました。下車して畑のそばで観察もしてきました。4条だったり5条だったりしているようですが、マルチをしていません(例外として少し写っていますが)。除草は一体どうするのでしょうか。相当強力な除草剤を散布してから定植したのか。。定植時に土が動いて雑草の種が露出しはしないか? 雪もなく、2月ですから、10月に定植した苗はこれくらいまで生育しているんですね。かなり化学肥料も入っているのではと推察します。

 

伊奘諾神社

その後、伊弉諾(イザナギ)神宮へと向かいましたが、午後6時になり、真っ暗です。ここではなく、西海岸で有名な夕日を眺めていた方が良かった。。翌日改めて出直しました。夕方6時といえば、寒天の煮込みの時は既に眠りに就いている時間です。通常の時間から夕方5時からの睡眠に移行するのはとても大変でしたが、そのサイクルから通常のサイクルに戻すのはあっという間です。とはいえ、この旅行中、宿で晩酌もしていると、10時には寝落ちしていました。寒天の時は酒は飲んでいませんでしたので、解放されたわけですが、すぐ眠くなり。。

 

神戸異人館通り1

翌日、改めて伊弉諾神宮を参拝した後に、淡路島を出て神戸市内の観光の時間となりました。洋食のランチを食べた後、異人館通りという観光スポットに出かけました。神戸は結構坂の街なんですね。傾斜地に古い洋館が立ち並んでいました。

 

神戸異人館通り2

中に入るのは有料ということで、外観の見物にとどめました。

 

南京町

それから、歩いて南京町という中華街まで行きぶらぶらしました。食べ歩きする人が多くいましたが、どうもこういうところで買い食いができないタチで、歩いただけ。。

 

ほうらくと一平

初日2月4日と翌5日の三宮でのランチです。左は4日に入った「大衆食堂ほうらく」のワンタン普通盛りとオムライスの小のセットでセット割引が入り1,000円。神戸は洋食洋菓子の街という感じですが、中でもオムライスは代表的な存在みたいです。神戸へ行ったら一度はオムライス、ですね。右は翌5日の昼で「グリル一平三宮店」のタイムランチ1,000円です(ライス大盛りで1,100円)。ここもオムライスが人気みたいでしたが、昨日食べたので日替わりランチにしました。もちろん美味しいです!

人気の店というのは行列ができます。今回も神戸を知る人のおすすめに従い、結果、並びました。でもグリル一平の方は店内も結構広くてウェイトレスも多く、要領よくお客さんを誘導し組織的に上手にさばいているという感じで、割合とスムーズでした。

寒天出張中の休日のドライブの時とかも、人気店のラーメン店に入ったりはしました。まあ岩手でも同じ事情でしょうが、定食でもラーメンでもちょっと大盛りにしたりすれば1,000円が当たり前の時代になってしまっているんですね。旅先での日替わりランチ1,000円は別に普通のことでしょうが、このところの外食物価の上昇はすごく響く気がします。貧乏性なんでしょうが、やはり「ラーメンで1,000円」ではちょっと、ですかね。自分としては。それに比べれば神戸の上の2品はリーゾナブルだったと思います。とはいえ、加えて駐車料がかかっているのは気になりますが!

 

ヨドコウと白鶴

この神戸を歩いた日は月曜日で博物館とか閉まっているのは承知していましたが、ヨドコウ迎賓館を勧められていたので、外見だけでもと、東へ車を走らせ、高級住宅街で有名な芦屋市に入り、このヨドコウ迎賓館と、あと近くにあった白鶴美術館の外観のみ写真に収めてきました(岩手ナンバーの軽トラも写っています)。ヨドコウのすぐそばに小学校があって、芦屋の裕福であろうお子様がたの下校時間と重なって、路上の挙動不審なオジサンになっていました。傘をさしていますが、総じてこの旅行は天気が悪かったです。

そのあとは六甲山に向かいまして、まだ日のあるうちに六甲山の有名な展望台(ケーブルカーの終着駅)でまだ明るかった写真を撮った後に、山中の道路を走らせて、西側の摩耶山の掬星台(きくせいだい)という寒天の仲間に勧められたスポットで日が暮れて、最初に掲載した夜景写真を撮影できました。美しかったですが風も強く寒かったです。

この日は神戸市街地の宿泊だったので、摩耶山から三宮の駐車場まで戻って車を停め、ホテルに向かう途中にある、勧められた牛丼の店(「広重」というお店です)に進みましたが、「品切れのため閉店です」の表示。。やむなく、寒天勤務の時にちょっと検索していた餃子のテイクアウトの店を思い出して買いに行き、飲み物をコンビニで買って、重くなった荷物を抱えてホテルまで歩きました。。昨日は淡路島バーガーで、本日は餃子(大)9個で乾杯です。一人。

こうした街歩きではスマホのGoogleマップが頼りです。車のナビとスマホがなければ店にたどり着くのも難しく思い、これは地理感覚の明らかな退化とつくづく思います。昔バイクで旅していた時は昭文社のツーリングマップルのみでどこへでも行っていましたから。

 

BE-KOBE広場

神戸市内(三宮辺り)に泊まって翌朝、三宮駐車場までてくてく歩き、まだ早かったので車に乗ってポートアイランドに上陸し、さらに奥の空港までドライブしました。空港へ渡る橋からの眺めは格別でした。

そしてメリケンパークに向かい、有名なポートタワーは工事中で入れませんが、公園内を歩いた後、10時の開館とともに海洋博物館へ入りました。入館時に外で保育所の子供たちが整列して座り先生の話を聞いていたのですが、後に博物館2階のテラスから外を眺めたら、広場で凧揚げをしていました。BE KOBEモニュメントの方向の写真です。

 

メリケンパーク震災遺構

メリケンパーク内には阪神淡路の震災の遺構が保存されていました。1995年。この震災が1月にあって、3月に地下鉄サリン事件がありました。そのサリンの数日後に東京有楽町の「新規就農ガイドセンター」を訪れて、農業を始めたいがどうすれば良いかの相談をし、そしてその月の終わり頃に知人の縁で沢内村を初めて訪れたのでした。その1年後の1996年4月に移住しました。95年1月17日の震災の日、当時いた東京の出版社では書き手の先生のいた大阪大学医学部と被害状況の電話のやり取りの声が響いていましたし、報道では阪神高速が倒れていた記憶が鮮明です。その復活した高速も走って来ました。

昼食に、昨夜閉まっていた牛丼の広重に再挑戦しましたが、11時半という時間にもかかわらず既に行列ができていて、この後加西市の神戸大に行く約束もあったため断念しました。やっぱり私は並ぶの嫌いです。。

 

神戸大学農学部ナシ園地

高速も使い約1時間で加西市の神戸大学大学院農学研究科に着き、イワテヤマナシ圃場の案内をしてもらいました。ここは400〜500本のナシの木があるわけですが、それを植えたいと思っても大きくなった木を運んで移植するわけにはいかず、移植したい時は、まず別に台木を確保して現地に植え、神戸のこの圃場から希望の枝をいただいて切り運んで台木に接木する、という方法しかありません。その穂木はこちらに豊富にあり、財産です。やまなしはバリエーションがとても豊かで、1本の木が1つの品種ともいえるくらいに交雑による変化が多様な植物で、こちらはそうした多様なナシの保存園として価値ある圃場と思います。

また、多様な実をならせるだけに、さらに希望のナシを得るために人工交配により、いろんな有望な実のなる木より開花期におしべとめしべの受粉の掛け合わせを行って、できた種から地植えで苗を育て、それを切って大きな台木に接木して、それにより実を早くならせて採り、品質を確認する、という息の長い育種の方法も学びました。種の性質はそれぞればらけるので、希望の実がなるかは偶然に委ねられると思います。増殖はその枝を穂木にした接木で、種蒔きの栽培(実生)ではありません。

そうした結果によって今後現代のナシの味や大きさに、イワテヤマナシのみが持つ「香り」がプラスされたナシができれば、それは最強の画期的なことでしょうね。それを「やまなし」と呼べるかどうかはわかりませんが。。

 

浮御堂

神戸大学に長居させていただき、その後はちょっと予定していた京都付近の探索はやめて、高速を使って琵琶湖付近に予約した宿に移るのみでした。スーパーを見つけて夜ご飯の買い物をするも、結局今日も遅くなって、疲労気味です。寒天疲れも残る中ですしね。でもその3泊目は翌日朝食もしっかりあって、琵琶湖から最終宿営地である上越市に向かいました。例年寒天出張で高速を使わずに岩手から茅野市入りする時に、この上越市か長野市辺りがちょうど良い宿泊地になります。岩手を早朝に発ち暗くなるまで全力で走る行程になりますが。。

その旅路のスタートは琵琶湖の辺りのドライブからです。琵琶湖西岸の浮御堂(うきみどう)という寺を見学し、そして北陸へと進みました。

 

白エビバーガー

滋賀も北上するにつれ日本海型の気候になり、福井との県境付近は、道路こそ無雪なれど、周囲は積雪がありました。天気は雨です。道路脇のパイプから豪快に水が撒かれていて路面に積雪させないやり方がされてました。ガソリンでヒヤヒヤしつつも福井市付近でまた高速に乗って、富山まで走りました。福井は2年前に認定農業者のサミットで訪れて、永平寺や恐竜博物館にも出かけたところです。その次の石川県内は高速道路は平常でしたが、被害のあった能登方面への高速は一般車通行止めになっていました。

今回は富山市前で高速を降り、道の駅に立ち寄るだけで、去年食べ損ねた白エビを食べて来ました。本当は生の白エビ丼を食べたかったのですが、こちら道の駅カモンパーク新湊にはありませんでした。時期がまだ早かった?

 

白エビのつまみ

道の駅では白エビのかき揚げも売っていたので購入し(2枚で560円)、最終宿営地の上越市の温泉ホテルで晩酌のお供にしました。その直前には糸魚川市の物産館に立ち寄って、山形にいる娘にヒスイのお土産を買い、また帰路に一緒に山形ラーメンを食べ、2月8日の夜9時前に自宅へ到着し、旅は終わりました。

これからの人生で、もう軽トラックで神戸市街地を走ることは多分ないでしょう。神戸自体に行くことはあり得ますが、チャンスとしては少ないでしょうね。渦潮や神戸牛の牛丼が課題に残りました。食べてませんがビーフカツというのもちょっと気になったメニューです。

これからはたらの芽の栽培作業がスタートします。雪はうんと少なく、現在50cmくらいでしょうか。これから冬本番になるのか、いや早い雪解けでスタートも早まるのか。まだ2月半ばですが。。

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信州の旅、寒天出張後半です

寒天出張も終盤に入り、岩手を離れてから2か月、気分的にも疲れが溜まった日々を過ごしています。暖冬傾向のこの冬は暖かい日も多くて、寒天煮込みが休止になる日も多く、そんな日は普通に夜寝たりするため逆に睡眠リズムが乱れてもいます。やはり楽な仕事じゃありません。

1/1は以前はなかったのですが正月休みとなり、八ヶ岳中腹を南下して来た様子を記事にしましたが、その時に書き残していた稗之底村址について少し報告します。

全然予備知識もないままにいつもの頼りとなっているGoogleマップの記載で「稗之底村」という廃村になった地域を見つけ、何だろうと思い、時間はたっぷりありますので、訪ねてみることにしました。

上の写真はその廃村を守護したであろう神社であり、ここはいまでも手をかけ守られている空間になっているようです。

 

他にブログに書かれている方も必ず触れていらっしゃいますが、中央の石には剣の模様が彫られています。何のメッセージが込められているのでしょうか。。

 

一帯は自然散策路になっていましたが、所々に現れる祠が人里であった名残を示すだけで、特に何かの建築物とかがあるわけではありません。

 

後に教育委員会などが設置した標柱ですね。ここはテレビ番組でミステリースポットのように取り上げられたことがあるそうですが、私が鈍感なせいかそのような独特の空気は感じることはありませんでした。しかし遺跡や遺物と言われる場所はなぜか気になって訪れたくなります。

 

Googleマップで記載された地点まで林の中を歩いてみました。廃村になったというのは江戸時代とかのことで、石以外には何も残されているはずもありませんね。標高も高く気温も低くて作物が穫れる地帯ではなかったということで離村したとあります。飢饉とかもあったのでしょう。冷涼地で耕す一人として、何かしら共感の念を覚えます。

以上は1/1の八ヶ岳山麓の散策からでした。

 

茅野市内に綺麗な滝がありそうということで、1/19の煮込み休みの日に訪れました。「多留姫の滝」だそうです。なかなか綺麗な滝で、歌人らの碑が並んで整備されていました。あまり地元民も観光客も訪れる感じではなさそうですが、お弁当食べたりするには良さそうです。滝のそばには立派な東屋もありました。

 

その後に原村にある八ヶ岳美術館を訪ねました。

 

彫刻家・清水多嘉示氏の作品群の展示がメインの美術館ですが、原村の「阿久(あきゅう)遺跡」の土器土偶も展示されていました。

 

ユニークな表情が魅力的なフゥーちゃんだそうです。

 

こちら中央の「さんころん」と名付けられたおじいさん土偶も楽しいですね。縄文人の表現力には引き込まれるものがありますね。

茅野市には尖石という場所に国宝級の土偶が収められた資料館がありますが、私も寒天2年目くらいで訪れています。

さてこの後、実際に原村の阿久遺跡へ行ってみたくなり、向かいました。解説では蓼科山に向かって列石があるということで、それの確認に行ったのですが、残念ながらそうした遺跡は埋もれてしまったのでしょう。石らしき物は見ることはできませんでした。

 

岡谷市へ向かい、寒天仲間に勧められたラーメン店(麺やてっちん)で昼食した後に、蚕糸博物館の寄りました。この辺は大晦日にも通行しましたが、年末年始は休館で、奈良井宿に向かいました。

 

カイコから絹糸を取り出す装置の変遷がよくわかります。よく1本の繋がった糸になるものだなとは思います。

かつてオーロラ姫が塔に導かれて糸紡ぎの機械の先端の突起に刺されましたが、その辺はわかりませんでした。ヨーロッパだと絹じゃないんでしょうね。

 

実演のスペースでは奥で2名の方が作業をしていらっしゃいました。

そんなわけで昨年に続き出かけることの多かったシーズンになり、大多数の地元の通いでの従事者に比べ、居場所のなさを感じることも多くありました。とはいえ大変な激務でもありますから、時に休日があることは結構なことでもあります。

いかんせん、スマホだけでパソコンがないのはいろいろ辛いところです。スマホで大体用は足せるしありがたい存在ですが、記事を書くのはちょっと辛いし写真のトリミング加工も一切できません。撮った写真のリサイズが難しく、今回は自分宛に写真をメールで添付して送信時にサイズを「中」で選んで送ることでリサイズをしました。パソコンでもうまく表示されているでしょうか。

あと2週間あまり。家に帰ってしたいことは、昼間から焼酎を飲みながらAmazonの映画をiMacで観ることです。

 

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年末年始の長野から

年末年始はテングサの煮込みが3日休止となり、31、1日と出かけて来ました。1月1日の富士山は清里の辺りになりますが、八ヶ岳中腹にある美し森展望台という場所にて撮影しました(展望台へは駐車場から徒歩10分くらい)。

 

振り返ってその展望台から八ヶ岳を見るとこのような感じです。小海線沿いの南側から見た方が荒々しい姿は見られるので期待したのですが、真ん中の低い山がちょっと邪魔してますね。

年末の大晦日に赤岳登山をしましたが、30年も前ですが、小屋に荷物を下ろして山頂へ出かけた際にホワイトアウトで道に迷い、結構道も逸れたようで、ああ、これまでなのか、と思った時に、スッと一瞬前方の雲が取れ、山頂のピークを表す柱が見えました。一瞬なので他所を向いていたら見えなかったでしょう。それはすぐ雲に隠れましたが、その方向へまっすぐ歩いて無事山頂へ着きました。一瞬姿を見せた時、柱が十字架のように見えました。まだ生きていろとの啓示のように思いました。その夜山小屋のふとんの中で顎が痒くなり掻いているとボロボロ皮膚が剥がれてきて、凍傷になったんだとわかりました。正月明けの出勤時(出版社勤務の時代です)にはまだ黒い顎のままでした。。遠い昔の八ヶ岳の思い出です。

 

年末の庭仕事の風景、いわゆる天出しの作業です。私がモロブタに天を注いでそれを包丁で切り、運搬車で現地に運んだものを庭仕事の人たちが受け取って箱を配置し、カイリョウと呼ばれる台に並べていきます。

 

2週間ほど外で凍る溶けるを繰り返した天は「すどり」と言いますが、左の大型ザルに取り集めてハウスの棚で最終乾燥させて寒天が完成します。

 

29日の天出しで釜は休みに入り翌30日は草洗いなど水車の仕事をし、仕事納めとなりました。そしてその夜は忘年会ということで、庭仕事の人たちと一緒にお好み焼きを作り、長野の人たちに広島のソウルフードを伝授しました。いまは全国どこでもソース含め材料が揃います。特に小さいお子さんのいる家庭では、ホットプレートを囲んでお父さんが腕を振るう。うけること間違いなしですね。

 

山下清の美術館がすぐ近くにあり最近知りまして、31日に出かけて来ました。いいですね。貼り絵。身近な素材で生活感もあって、また長野にも縁があったんですね。カレンダーを買って、ポストカードもプレゼントにもらって来ました。末娘への土産です。

 

続いて諏訪の片倉館へ行きました。午前だし風呂は別に大丈夫でしたので400円払って中を見学しました。

遥か昔ですが信州大学に合格が決まった時にすぐに信州の旅行のガイドブックを買い、そこにあった片倉館の画像がずっと残っていまして、訪ねてみた次第です。が、建物の中は特にどうということもなく、建物の外観の写真だけで十分でしたかね。もちろん大多数の人は千人風呂に入りに訪れます。

旅行ガイドブックの表紙にあった安曇野の碌山美術館も頭の隅にこびりついていた画像でしたが、ここも既に寒天出張2年目の時の帰りに立ち寄っています。

 

片倉館の中に入ったから案内表示で気づいたのですが、守り熊という彫り物が外壁に施されていて、面白かったですね。

 

その後には塩尻を経由して、木曽の入り口である奈良井宿に出かけて来ました。妻籠も馬籠も行っておりますが、それらより建物の並ぶ街並みの距離はこちらが長い気がしました。岩手にはあまりないストリートでしょうかね。旅行者気分を味わって来ました。雨で寒かったですが。。

 

さて、この奈良井宿の中で事前にスマホで調べた際に気になっていたマリア地蔵を探し、ちょっとわかりにくかったですが、見つけることができました。なぜかこのような古い像には惹かれるんですね。岩手にもマリア観音像があります。旅行者たちには全く関心を持たれていないようでしたが。。

 

見つかった時には既に首はなかったようです。抱かれた赤子の手に持つものの先端が十字になっていることから、マリア像ではないかと言われ、ここ山深い木曽の地にも隠れキリシタンの信仰の姿があったことに感慨深いものを覚えました。キリシタン自身の手では首を落とすことはできなかったのではないでしょうか。全くの事故かもしれませんし、意図があった行為だったかもしれません。

これで大晦日の旅は終えて、木曽と伊那を結ぶ権兵衛トンネルで伊那に出て高遠経由で杖突峠を通って夕方4時には寒天宿舎に着いていました。遠いドライブに見えて岩手よりは狭いのかと感じました。

翌1月1日には八ヶ岳に中腹を清里方面へドライブして富士山も眺め午後1時には帰って来ていましたが、廃村になった稗之底古村址も途中探索していて、これについてはまた改めて投稿します。

大変な勤務である寒天煮込み作業もまだ中盤に差しかかったばかりで2/5くらいです。こちらでは少量の米の出荷しかできない不完全な農家ですが、2月上旬には岩手に戻ります。今年も何卒宜しくお願いいたします。

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信州茅野で寒天作業に従事

岩手から長野へ出張しています。7回目となった寒天製造のため茅野市に滞在し、テングサの煮込みと濾過、濾液の箱(モロブタ)への注入と包丁による切断が自分の作業工程です。

野外に出した天は夜に凍らないとダメになってしまうため、気温が高い状態の時は煮込みを休止します。

15日はそういう日で、それで松本に出かけて来ました。大学時代から慣れ親しんだ近郊の美鈴湖まで足を伸ばして来ました。美鈴湖の向こうは常念・蝶ヶ岳です。

 

懐かしい北アルプスの景色は変わることなく、そして見る立ち位置により微妙に異なった姿を表してくれます。平野部からはそれなりに、視座が高まれば山懐も深く重厚に。

 

一方、こちらはその数日前にやはり釜が休止になり出かけた、近くの蓼科高原から見た八ヶ岳。まだ雪はほんどありません。

 

寒天を作るにはそれなりの準備作業が必要です。私の場合、北国で積雪のため早く農業のシーズンが終わることと、釜の作業で煮込み終了とともに帰宅することから、庭の作業準備段階から長野入りし働いていて、釜が終われば帰りますが、外作業(庭と呼びますが)の人たちは、最後に出した天の完成と、そして庭の片付け作業を引き続き行って、私より3週間くらい後まで稼ぎます。

最初は田に藁を敷くことからスタートします。そこにトカシという天の載る台木を運んでいます。

 

杭を打ってその上に木を乗せて縛り、天の載るカイリョウを積んで準備完了です。この長木は稲のハセ掛けに使う杉の棒です。

あとは、乾燥して軽くなった天が風で飛んで行かないよう防風ネットを張り巡らせて完了です。

 

釜の方もいろいろ準備があります。10か月使っていなかった釜は水を入れても漏れるので、少しずつ水を入れバーナーで沸かし沸騰させ蒸気の力で桶の木を膨らませて漏らないように釜を仕込んでいかなくてはなりません。

 

こちらは煮汁を濾す舟の下、濾過された液(ノリ)が溜まる部分です。上に写る柱の上に舟が乗っています。舟も終了時には降ろして洗い、そして開始時のいま上に上げます。総勢で8人くらいで担ぎ上げる作業です。

 

12月15日、松本でふとパルコを見つけました。地元ニュースで閉店が報道されています。私が大学で松本にいた時にオープンし、何を買うわけじゃないけど出かけてみた記憶があります。その40年後に閉店ですね。

確かディズニーランドもこの大学4年間にオープンしました。ニュースで当時見たのは覚えてますが、全く興味がありませんでした。ビデオ等でディズニー作品に親しんだ世代でもないし、ただ、後に子育ての中で自分も結構夢中で調べたりし、実際3度行きましたが。。

 

松本に着いて最初に市の美術館に行きました。駐車場も十分で助かりました。向かいにある芸術館で信州大学オーケストラのマーラー巨人を聴いた時から、この美術館は目に付いていました。

 

2009年に30歳というあまりにも若くして病気で亡くなった、長野県にもゆかりのある画家須藤康花さんの展示を観て来ました。ゆかりがあるというのはそのお父さんが長野県麻績村で自然農業を開始されたことによる移住のようで、おそらく定年後なんでしょう。それまでは大学で教鞭を取られた方のようでした。娘の死後いくつかの刊行物も手がけられ、そして松本に須藤康花美術館を開館されました。次回、今回の松本市美術館での展示が終わった後に、そちらの方も行ってみたいと思います。

 

絵とともに展示された詩の数々は、創作芸術というようなものではなく心の中から溢れ出た生々しい現実と思います。その文章と絵とが合わさって、心を揺さぶられます。通常の美術作品鑑賞とは異なった感動がありました。

メメントモリとかよく言われますが、芸術は死というものを意識した創作であるべき、と言った理解ができるかもしれませんが、この方はそんな生やさしい「世界観」とかではないと感じました。そもそも「概念」などではなく、病魔と戦う苦しい現実そのものの救いや解放の模索が絵を描くという行為だったと思います。ベートーヴェンの感じた苦痛に通ずると思いましたが、ベートーヴェンの絵もありました。本を入手したので、帰った後ゆっくり読みたいと思います。

 

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稲刈り真っ最中です

ササシグレの稲刈り

8月9月にあれほど好天で田も乾いていたのに、いざ稲刈りを迎えた10月のいま、毎日雨続き、7月のあの悪夢の長雨が思い起こされます。。しかし、稲刈りはしなくてはならず、ぬからない方の田から刈り始めています。写真はササシグレ、7月の長雨でいもちが出ており残念です。やはりいもちには弱かった。。10アールの田から実質どれくらいの籾が穫れるか、脱穀してみないとわかりません。それにしても大雨の影響が残り、本当に田が乾かず。。。やっと昨日あたりから回復傾向で、一気に進めているところです。

 

熊被害

熊の被害が多い今年。。田も結構荒らされています。まあ被害としてはわずかなものですので問題にはなりませんが。昨日も町内で熊に遭遇し怪我をした人(おばあさんです)が出ております。

 

ハセこさえ

9月から10月にかけては目の回る忙しさです。切り花りんどうの出荷に多く時間を取られるからでありますが、稲刈りに向けてハセの準備も難儀な作業です。一人で横棒を架けるためには中央に写る補助具を使います。これであとはケースの上に上がって上から4本、白いハセナワで縛っていきます。小屋の2階の窓から下ろして柱のそれぞれの場所まで引きずり歩く作業で4時間、柱に結わえる作業で4時間という感じでしょうか。脱穀が終わってナワを解いて運んで2階に上げで保管する作業は6時間、くらいでしょうか。片づけるのはいつも雪が降る頃になってしまいます。下2本には2段ずつ掛け、上2本は1段ずつの計6段掛けになります。

10月6日の強い冬型気候の日、当地では暴風雨がすさまじく、ハセの柱が3本折れ、残りも全体的に傾いてしまいました。折れたハセの部分は稲を全部取り外し、横棒もいったんほどいて、柱をまず埋め直し(地際で折れるので、地中に埋まってた分短くなります)、もう一度ナワで縛って、稲を掛け直します。この作業で3時間のロスになりました。翌日、風が鎮まってからは、トラクターで柱を引っ張って、ハセの傾きを戻す作業を2時間くらいやりました。すべての柱につっかえを設置すればいいんでしょうが、棒の量が多くなりすぎても面倒で。。でも今回のことで、もう少し多めにつっかえをして強風に備えたいと思います。

 

亀の尾稲刈り2023

10月11日、亀の尾を刈っています。背丈が高く、その分収量も上がり、味も良い亀の尾は自然栽培向けであり、当園でもいま一番の作付けになっています。マイナス面といえば、やはり晩生であるということで、去年など青米がとても多かったです。山形の庄内原産ですので、ここよりはずっと暖かい地域のお米です。しかし青い米が多いことは食味上は決してマイナスではありません。今年のお米は概して良くないとの話が耳に入ってきます。一等米も少ないとか。。ここ沢内は真夏も32度以上にはなっていないし、水も結構入れておりましたが、果たして玄米の状態はどうでしょうか。。。昨夜は籾摺り機の掃除もしっかり行いまして、いま掛けている稲の脱穀と籾摺りはまもなく行えます。

 

小麦播種中

稲刈りの前の作業になりますが、まず小麦播種があります。播種の前には施肥と耕耘があり、耕す工程と播種の工程で、小麦4反歩で2日の作業量になります。「ごんべえ」がなければこの作業時間ではすみません。以前はトラクターの耕耘を狭い耕耘幅間隔で行って、写真にも見えるロータリーの尾輪の跡を蒔き溝にして手で蒔いていましたが、覆土作業も必要だし、トラクター作業も狭い間隔で耕耘場所を重ねながらの作業になるため時間が倍もかかり、もういまでは戻ることはできません。

 

緑肥後の小麦畑播種

ここは緑肥をすき込んだ畑になります。8月31日に1度のすき込み作業であらかたすき込んだ畑を播種直前に最終耕耘して、土の柔らかいうちに播種機で播種しました。ここは雑草に悩まされてきた畑ですが、8月に緑肥が完全に占有したことで、雑草退治になってくれれば良いがと思っています。ただ単に雑草をすき込んだだけという通常の年とは今回は雑草の生え方が違う気がします。これで秋のうちに一度管理機を借り中耕除草してやると、来年だいぶ違うのではないかと思います。

 

小麦というのは米よりも収量は上がらないし、販売単価も安いです。しかし、稲作とは作業時期がずれるため、農地の活用としては有効に思います。いまの小麦の圃場を全部田にしたとしたら約9反歩。これを全部稲刈りしてハセ掛けするのは当園としてはきついですね。ハセ場も足りません。また小麦関係の交流交友もありますし、にんにくとの輪作の役目もあります。この秋4反歩ほど南部小麦とアリーナを作付けしましたが、この量は維持していきたいものと思います。これだとギリギリ雨よけハウスの中のハセで乾燥させることができるのです。

なお、今年は南部小麦・アリーナとも既にいくらか製粉しており、現在は在庫がございます。精白粉kg単価600円+運賃になります。よろしければどうぞご利用ください。

麦熊

播種から半月経った南部小麦の畑に侵入者ありです。なんとなく小麦箇所はよけて歩こうとしている感じはするのですが、米と違いまだ食べられるものでもなく、徘徊しても無意味なんですがね。

 

にんにく畝完了

稲刈りと前後して進行しているのがにんにくの植え付けです。お彼岸用りんどうの出荷が忙しくなる9月の上旬の前に、このように畝の準備を行っておき、すぐにホワイト六片を植え付けます。ホワイト六片は休眠が浅く、早くに芽を出しますので、特に冬が早く来る当地では早植えに越したことはありません。遅れて10月になったりすると、大きなりん片を植え付けても結果は小さいにんにくになってしまいます。何度も経験済みです。

他方、八木や八幡平にんにくは休眠が深いので、稲刈り後の10月中旬でも大丈夫です。にんにくの植え付けは前もっての夜なべ作業の種こぼし(りん片に割って準備をすること)も含め、結構時間を要します。稲刈りが終わらないいまはなかなかにんにくの後半戦に手がつけ難いですが、この1週間で稲刈りも含めカタをつけたいところです。

 

Panna cotta

盛岡方面へ所用で出た時に、広宮沢という場所(以前、この辺で木下サーカスを観ました)で昼食のデザートに、初めてですがパンナコッタというのをいただきました。とても美味しく、上にかかったラムレーズンのソースが絶品です。帰りにイオンの食品売り場に寄った時、パンナコッタというのを主にプリンが置いてある辺りで探しましたが、見つかりませんでした。プリンのように手に入りやすいデザートになってくれれば、と願うところです。ちなみに、「ババロア」というお菓子も好きなんですが、手に入りません。寒天で長野にいるときは伊那食品のババロアのもとが売ってるんですが、こちらでは売っていませんね。できたデザートとしても置いていないですし、残念です。

 

滝沢の知人の田を訪れました。岩手山すぐそばのあきたこまち。手入れもしっかりしていて、まもなくの稲刈りを待つ状態です(夕方の撮影のため色が淡いです)。水が冷たくて、と言っておられ、冷たい湧き水の流水を池を介してぬるめているようでしたが、低温冷水の悩みは当園も同じです。あったかい地方よりも水の冷たい山間地の方が稲のいもちになりやすいというのは、悲しい現実ですね。自然栽培米として定評のあるササシグレはとてもいもちに弱く、それでササニシキに入れ替わったという経緯があるようですが、初年度の今年、結構大変でした。何とか、面積を小さめにしても続けていきたい品種です。こちらの写真のあきたこまちは順調でした。

稲刈りとにんにく植え、もうひと頑張りです。それを乗り越えれば、あとは、もう秋じまいの季節なんですね。寒くなってきました。

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小麦とにんにくの準備と夏休み

クロタラリアのすき込み

りんどうの切り花出荷をしていると、お盆と彼岸の出荷の山があり、その谷間の時期は、小麦とにんにくの圃場作りやホワイト六片の植え付け、草刈り、諸々の草取りの作業で、谷間の時期とはいえかなり慌ただしい日々になり、夜は夜で乾燥を終え冷蔵保存中(氷温冷蔵)のにんにくの出荷のための皮剥き作業で過ごしています。

彼岸のりんどうが咲いて来る前に秋植えの畑の準備を終わらせるために、逆算して結構煽られる時期になります。とはいえ、何かレジャーやお出かけができるのはこの時期ならではなのですが。。

小麦畑では、収穫後の休耕期間に播種したマメ科のクロタラリアが旺盛に茂っていて、これをトラクター(ロータリー)ですき込む作業を行いました。何回か書いておりますが、小麦は連作障害があり、またそれに起因して豪雪地では雪腐れ病を起こしやすくなるために、イネ科でなくマメ科の緑肥を作付けし連作回避をするとともに、小麦栽培に必要なチッソの補給を行うという工程を組み入れています。自然栽培であればこれのみで良いのですが、冬が長く気温の低い当地では、加えて鶏糞等も施すことで、収穫量を見込むことになります。

小麦の刈り取りから次の播種まで2か月という短い期間に生育させてすき込みし、しかもその後播種まで腐熟の期間が2〜3週間必要です。速攻で旺盛に育つ品種のマメ科の緑肥というと限られていて、小麦ではクロタラリアという緑肥を組み合わせることになります。

 

ネマコロリ

去年は同じクロタラリアという種でもネマックスという丸葉で柔らかいタイプの緑肥種子を栽培しました。ただ値段も結構高かったため、今年はいくらか安いネマコロリという品種のクロタラリアを購入し作付けしました。7月23日に播種し、8月26日にすき込みをしました。断然こちらが早いです。すき込み時点で背丈は120cm。1か月ですごい生育です。ネマコロリは細葉タイプで、生育は旺盛だがすき込み作業に困難な場合もあり、その際は早めの段階ですき込むようにという記述も見かけましたので、トラクターで手に負えなくなってしまうくらい伸びる前に、また天気もちょうど翌週から雨模様になるとの予報もあり、少し早いんでしょうがすき込みをしました。

しかし想定していた以上に柔らかくすき込むことができました。おそらく、今年の猛暑を受けて、暑さを好むクロタラリアは例年以上に短期間でぐんぐん生育し、かえって柔らかい状態で体が大きくなったのではと思います。西和賀のワラビが豊富な雪解け水といきなりの春の日照で急激に太く柔らかく育つ、というのと同じ感じの理屈? 今年の天候はクロタラリア緑肥にとっては好条件だったようです。背丈が伸び植物体の量が増えることでチッソ量も増すし、旺盛な生育で雑草を抑えることにも貢献してくれています。これから3週間以上かけて腐熟させたのちに、2度目の耕耘をして、そして小麦播種をします。

 

南部小麦とアリーナ乾燥中

乾燥中の、右が南部小麦、左がアリーナ小麦です。8月15日に脱穀しました。まだ脱穀直後そのままの状態なのですが、近々、籾摺り機でゴミの茎葉や殻などのゴミ飛ばしと玄麦に付着した薄皮の除去の作業を行い、玄麦として完成します。注文もいただいておりますので、早めに行い出荷をしたいです。米の籾摺りの時に小麦が混じるため、本当は小麦用の籾摺り機もあったら便利なんですが、なかなかそこまでは余裕がありません。。

 

ツキザワの家クラフト展1

さて、お盆には、去年もでしたが、古民家ツキザワの家でクラフト展が完済され、行ってきました。右奥はウッド工房ブナの森の竹澤さんのブースです。このサイトでも書いておりますが、栗の木の片袖机を作っていただいた方です。不慮の火事で工房の建物を失い、自宅の中に工房を再構築しての制作活動をされています。飾られている写真はこの古民家のオーナー、写真家瀬川強さんの写真です。

 

ツキザワの家クラフト展2

こちらは山のうえアイアン田中正博さんの鉄アートの品々です。また今回、木の家具製作の「nokka」工藤さんと、西洋木皿作家「waranoue」藤原さんとお会いすることもできて、良い時間を過ごさせていただきました。

 

菊池・nokka・waranoue

初対面であったnokkaさん、waranoueさんと話し込んで時間が過ぎ閉館時間となってしまい、詳しく写真を撮ることができませんでした。左は、木工竹澤さんと同じく古くから陶芸をなさっている菊池窯・菊池啓二さんの作品、右が新しい作家2名、上がwaranoue、下がnokkaの作品です。どうぞご本人のサイトで大きい写真もご覧いただけたら幸いに思います。

これも前にも書いていることなのですが、私自身はアート創作とは無縁な無芸の人間ですが、農業の土台に、芸術や創作活動の気持ちを持っていたいと常々持っていて、農業の営みは創作の精神とは無縁であってはいけないと感じている者です。そういう意識を持っていると、自ずと文芸やアート活動に取り組む人たちに対し親近感を覚え、関係性ができてくる気がしています。彼らとの交流は大切にしたいと思っています。

 

カズグリ自生地

さて、冬の手首骨折の関係で時々北上市への通院があるのですが、その際は遠回りの遠足を楽しむこととしていまして、今回はお盆繁忙期の後の休息ということで診療後に足を伸ばして探索してきました。

花巻市東和町の「カズグリ自生地」の探訪です。っカズグリというのは野生種の栗の突然変異種で、唯一ここにある木だけです。囲いの柵の中には唯一の変異株の木から接ぎ木で増やした数本が実を付け始めています。家のそばの栗の木が既にイガを形成していたのを見て、かねてからチェックしていた自生地に訪れることにした次第です。

 

カズグリ

数個のイガが数珠つなぎに連なっている不思議な栗の実です。

 

早池峰ダム

そのあとに、早池峰ダムに出かけました。早池峰山が奥に写っております。

折壁峠から早池峰山

帰路に着き、折壁峠を至りました。ここからは広大な山裾の背後に早池峰山が構えていて、とても良い景観をなしております。ここから紫波町方面へ抜け、花巻経由でなめとこラインを通って西和賀に戻りました。

 

月山山頂

7月の下旬にちょ山形県の山、月山に登る予定だったのが、りんどうの出荷が激しく、断念。そのリベンジでお盆後に月山8合目の駐車場がやや空くだろう8月22日(火)に月山行きを決行しました。正面が月山の頂上である月山神社ですね。上りが3時間ちょっと、下りが2時間ちょい、という感じのスケジュールでした。ほとんどが岩で組まれた登山道のため、つまづいて転びそうになるようなゴロゴロの岩の道でして、ここで転んだら骨折だな、という意識で一歩一歩進む感じでしたね。昔会社の近くにあった登山靴の店(巣鴨の辺り)で足の形を取って作ってもらった軽登山靴が活躍してくれました。

 

goro登山靴

30年前に購入したgoroの軽登山靴です。いまはこのような茶色の川の登山靴はあまり見かけませんかね。30年前のスタイルでした。。またいまは多くの方がストックを両手に持って登っていましたが、これは岩の道での転倒防止や、また斜面を登る時のヨイショの力入れにも使えます。自分は急な登りの場所は太ももを手で押すようにして登ってましたが、ストックを使った方がずっとスマートですね。

 

八紘一宇

八紘一宇、、全ての事象には差別などなく、一つの家に平和に暮らすように生きることが理想とする、というように解釈されるんでしょうか。そのような、信仰の雰囲気に満ちた山なんですね。随所に見られたお花畑も、どこか現実を超えた世界のごとくに咲いておりました。

 

月山登山入り口鳥居

下って、ほとんど駐車場近く。鳥居の中に写るのが月山です。登る時に撮影すべきですが、上りは別ルートでした。

 

月山8合目ライブカメラ

月山登山が気になり始めてから、月山8合目の駐車場のライブカメラというサイトを時々見ておりました。全部で170台停められるそうですが(右奥にまだスペースがあります)、苦労してカーブの多い狭い山道を上り詰めここまで来て車が停められない、となると結構悲惨ですよね。土日やお盆は到底無理でしょう。朝岩手を発って向かうというのでは。。ほぼ下山したタイミングでのライブカメラの画像を記念に保存しておきました。ちなみにこの日は火曜日で、混雑予想はなかったので、まず安心はしていましたが、時間はけっこうかかり、朝4:45に家を出ても結局8:30過ぎての到着でした。途中すき家で朝ごはんも食べましたし。

いずれ山形に入り真室川から最上川を下って鶴岡へ向かう道を走り、途中から左側(南側)へ曲がって山道をかなり走ります。今回、帰りは山形市へ出てから岩手に戻ったので、コースとしては月山スキー場の方からのルートの方が近かったかもしれません。が、情報ではそちらの駐車場代で1,000円かかることと、多分使いたくなるリフトに乗るならば往復で確か1,500円だったか、です。一人での登山でしたし、節約したわけですが、大回りの走行時間でガソリン代と、少し使った高速代を入れれば大差はないかもしれませんが。。いずれ、鶴岡の月山8合目からのルートの方が正統の道のようで、まあこちらにして良かったのかもです。

山形市では博物館等のある大きな公園のすぐそばの「かすみが温泉」に入ってきました。ここは市営で入浴料も200円、シャンプーや石鹸付きという穴場的な温泉でした。駐車場も問題なく停められました。夕食にラーメンを食べ、おみやげに山形の地酒セット等を買い、深夜の12時頃に家に着きました。かなり暑い日で下山して車でお風呂に向かうまでの間に500mlの飲み物を3本飲みました。月山の山頂部では涼しい風も吹いていて汗が冷たく感じられたくらいでしたが、下界の山形県内はかなり相当暑く、登山によりかなり水分も消費したのだと思います。

それに比べ、当地西和賀沢内では、数日前に初めて32.0℃の今期最高記録が出たとラジオで言っていた通り、35℃とかにはならない地域です。それはありがたいことですが、外で作業をしていると30℃でも暑いものです。でも田にとっては高温が大事ですので、寒さの夏をオロオロ歩くよりは、猛暑の方がずっとありがたいですね。

あとは、もう、彼岸りんどうの出荷までに草取りと草刈りに専念するのみです。隙間を見てにんにく植え(ホワイト六片から)も始めておきたいものです。とはいえ秋の品種も咲き進んできて、もうじき最初の1箱ができるまでとなり、お尻に火が着いた状態で他の済ませるべき農作業を進めています。

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にんにくと小麦の収穫期

にんにく乾燥中2023

秋田市では大変な大雨被害が出ましたが、ここ西和賀町は気象的にも秋田に近いせいもあって岩手で一番降ったようでした。川や水路の氾濫は気にかかり、消防でも見回りしたりしましたが、これだけ降っても浸水が起きにくいのはやはり舗装路が少なく、ほとんどが地面だからかもしれません。とはいえ氾濫や土砂崩れなどは山間地ではどこでも起こりうるので。。

自分の圃場も何度か見回りもします。水路で田に水を入れる箇所は水の取水栓の場所を石などを置いて水位を高くしていて、そこに急激に水が押し寄せて、置いた石で水が盛り上がり田畑に越水して流れ込んでいた場所を見つけ。。慌ててその石を退かせたりしました。

いまはまさににんにくと小麦の収穫期。例年より1週間早い進みで、にんにくは全て掘り終えて根茎を切り乾燥ハウス内の金属ハセに掛けて自然乾燥中です。この乾燥棚には小麦も入ります(写真右)。今年は小麦用にもう1棟ハウスを準備しました。にんにく乾燥ではハウス内が30度以上に上がりにくくするため、にんにくの頭上の部分だけを黒い遮光シートで覆っています。これでかなり気温上昇を防げます。小麦の箇所は日が差し込みます。

 

八木収穫2023

近年ご注文を多くいただいている秋田原産の「八木」です。赤みが特徴です。形としてはいびつだったり、土の付いた表皮を剥いた後の出荷の荷姿はホワイト六片のように美しくはないのですが、手に入りにくいにんにくですし、当園でも大きめの種子を使って植えますが、分球が不完全だったり、なかなか手ごわい栽培の難しい品種であります。

今年は全般に割合大きめのにんにくになっているようでした。周りに栽培農家のいない手探り農業技術なのですが、深く掘る・深く植える・早く(早い時期に)植える、の3点と、草取りなんだと思います。浅植えになったにんにくは収穫時の抜き取りは楽ですが、総じてそれらは小さめでした。深植えでは抜き取りに難儀し、茎がちぎれたりする場合もあり移植ベラ片手で起こしながらの収穫になったりしますが、大きいものを採るためには必要な努力かもしれません。

 

南部刈り取り2023

にんにくの後は小麦の収穫です。適期を迎えたとたん雨が続き、タイミングを探しておりましたが、昨日の7月15日は災害級の豪雨だとの予報を見て、13,14日の両日で何とか南部小麦の刈り取りを済ませました。14日夕方最後の1枚は雨に当たってしまいましたが、とりあえず畑から全部集め軽トラや運搬車の荷台、あるいは乾燥ハウスの中の地面に積み上げて翌日の豪雨から守り、そして大雨の昨日の午前中に全部ハセに掛け終えて、南部小麦の収穫作業は完了しました。1か月間ハセで乾かして、お盆過ぎに脱穀し玄麦を手にすることができます。

今回はは種機を使っては種したことは割合良い結果に至ったと思います。問題はやはり雑草対策で、春に一度管理機で中耕し、また草刈り機でも畝間除草したりしましたが、草が多発する場所はあり、また小麦に接している雑草はそのままなんともできぬまま大型化しバインダーで一緒に刈り取ることにもなります。田の除草にも言えることですが、一番難しいのが草対策です。

 

ササシグレ中干し中

こちらは今年初めて挑戦したササシグレです。割合分けつもし、いい感じで生育し中干しの時期を迎えています。冷水と低温多湿の傾向がある当地では、暖地よりもいもちが心配される土地柄です。これからの2週間は要警戒期になります。

 

金命水

今年は免許証の更新に行かねばならず、月1度の7月分のドライブの楽しみを兼ねる日としました。更新ですが、大型免許のため「深視力検査」があり、これが苦手なのです。。それでちょっと検索して、ユーチューブで前日に少し練習をしました。それで少し目が慣れたのか、当日は割とすんなりクリアすることができました。何の練習もなくいきなり検査に挑むのは結構厳しいと思います。寝床でスマホでの動画視聴でも、やっておいてよかったと思います。

免許証を手にした後は。ホームセンターでの買い物の後、今まで通ったことのない道路を走り、初めて地図で目にした阿原山という高原に向かいました。ここには金命水という名水があるとのマップの記載があって、そちらにまずは出かけました。ここは歩かなくても、車を停めてすぐの場所でした。4Lの焼酎ペットポトルに水をいただいて、いま朝のコーヒーに使用しています。

 

阿原山

そして阿原山に行き、賢治の詩碑等を見て一度水沢方面の市街地へと降りました。写真をとっている地点が三角点になります。

 

胆沢ダム

そしてまだ時間があったので、胆沢ダムへ向かいました。ここはその展望できる地点からの眺めです。そしてダムへ向かい、さらに湖の周囲を車で走りました。

 

弘法の枕石

弘法の枕石という場所がありました。1200年前に弘法大師が秋田へ旅する途中にこのそばの山中にあるという「於呂閇志神社」に詣った後にこの岩で一晩休んだと言われ、ダムを作るときに発見されたようなのですが、そのままだとダムの底に沈んでしまうことから、ものすごい苦労をして上まで引っ張り上げたそうです。

その於呂閇志神社にも車で向かい、かなりの悪路を走行したのですが、突然にUターンできるくらいの空き地が現れて行き止まりに。。夕方にもなっていたし、下車して歩いて深入りすることは避け、そのまま引き返しました。家に帰って検索してみると、よく見れば近くに歩いて向かう参道があったように見受けました。

それから秋田へそのままR397号で抜けて横手の山内経由で帰宅しました。帰りは横手方面の市街地へ出ず、東成瀬村から山内(さんない)への山道を経由して普段横手へ出る時のR107号へ合流できました。

397号は国道とはいえ車も少なく山道です。途中、久々に熊を見ました。子熊と思いますが、道脇の林へと去っていく姿はどことなく愛嬌がありました。すぐに見えなくなって、写真などは撮れませんでした。

前回の記事でも書いていますが、月1くらいで何かの用事に合体して未走行の道を探してドライブすることは良いリフレッシュになります。ふだんからGoogleマップはよく見ています。これからあともう1種アリーナ小麦を1枚ですが刈り、農道畦畔の草刈り2回目を終わらせ、りんどうの草取りやネット管理をしていれば、すぐにりんどうの出荷が始まります。

 

アリーナ刈り取り

7月17日、最後に残ったアリーナ小麦を刈りました。予報は雨の連続でしかも強い雨になっています。雨が数時間止んだ間隙を縫って、濡れてはいましたが刈るべきと判断しました。コンバインじゃないので麦に傷をつける心配はありません。水が溜まるような圃場ではないので機械作業は可能でしたが、土が柔らかくなっているので刈り取り部を持ち上げるようにしての作業となります。

 

アリーナ集め

アリーナは結構かさばるのです。全部集め終えました。すぐにハウスに向かいます。

 

アリーナハセ掛け中

ハウスに掛け終わりました。汚れたバインダーを洗浄機で洗い、今年の刈り取り作業完了です。右側は南部小麦です。早く雨が終わって猛暑になってほしいものです。。

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作物の生育期と草取り期

6月17日のにんにく

にんにくがもう少しで収穫期という段階になっています。トウ摘みをあらかた終えたところで(八幡平がメインですが)、ホワイト六片があと1週間、その1週間後に八木・八幡平の順に掘り取りというスケジュールになろうかと思います。はたして大きな球になっているかは全体としてわかりませんが、茎葉の伸びは良いようです。今年は小さめとの声も聞こえて来ていて。。

 

にんにくの芽

八幡平のにんにくの芽がごっそり採れております。とても美味しいので、これも収穫と言って良い作業です。この田植え用苗カゴに4つくらいになります。引き取り手がちょうど多数ありまして、余すところなく活用されたと思います。中ほどの芯は食べれませんが、ハサミで切って上と下が美味しく食べられます。冷蔵庫で2週間以上持ち、それもありがたいです。八幡平は100%トウ立ちし、ホワイト六片よりも5〜7日収穫も遅れます。また、晩秋から貯蔵にんにくにも出芽が始まり老化が進みますが、八幡平は休眠も遅くて当地では植え付け後の出芽が翌春になります。このことから貯蔵にんにくも出芽開始が遅くて老化が始まるのも遅いというメリットがあります。鮮度がそれだけ長持ちするということですね。

 

南部小麦6月7日

去年、雪腐れ病に泣かされた小麦部門ですが、盛夏の休耕期間にマメ科緑肥を導入したことで成果があったようです。また鶏糞を今回はしっかりと施用したこと、それに雪解けが早かったことも大きい要因ですが、背丈が取れ、かつてないほどの良好な生育を見せています。まだ穫れてみないとわかりませんが、特に南部小麦についてはかなり期待を持っています。7月10日頃に刈り取りし、1か月間ハウス内で乾燥し8月下旬には出荷ができるよう工程を進めたいと思います。

アリーナの方は、まだ雪腐れの土壌が残っているのか、初期生育が良くなく全盛期よりは7割くらいの勢いかと見ていましたが、ここの来て背丈もぐんぐん伸びて来ましたし、まずまずの収穫になるかなとは思います。来年は畑を変え、緑肥ももちろん施用してみたいと思います。

小麦に関しましては予約注文で8月末には全量が完売すると思いますので、ご利用いただける際は早めにカートあるいはメールフォームで宜しくお願いいたします(不測の結果もあり得ますのでクレジット決済は現時点ではお控えいただけたらと存じます)。

 

しどけ

山に詳しい方から、というか里山文化の森羅万象にお詳しい人なんですが、山中で採れた山菜苗を譲っていただきました。これはしどけです。しどけ(食用出荷)が道の駅等に並ぶ5月連休の頃、そうした産直施設などでそのしどけのポット苗などはないかなと注意していましたが、苗としては見当たりませんでした。こういう山菜も庭で育ててみたいという需要はあると思うんですが。

タラノキは出荷用に植えておりますが、その他コシアブラや行者にんにくも少しですが自家用に植わっていて、これにしどけが加わったことはありがたく思っています。活着するまでは、毎日葉に潅水し、蒸散でしおれないよう注意が必要でした。

 

アイッコとワサビ

また、こちら、アイッコ(左)とわさび(右)もいただき、順調です。アイッコの左の株はすぐ枯れてしまったのですが、すぐに次の芽がでてきて、次の週にいただいた2本目の苗と同等の生育になっています。わさびも当初の葉は悪く見えていましたが、新しい葉が出て活着しております。アイッコは絹などと同じ繊維としても使用されていたそうですね。

 

ルバーブ

ルバーブも続々と茎が立って来ています。あと1か月くらいは収穫でき、その後は株養成のために温存します。前回ジャムの写真を掲載しましたが、やっぱり色が綺麗で美味しいです(美味しさは緑のものと同じと思いますが)。自家製ジャム作りのため茎出荷としてご利用いただける方は、どうぞメールフォームよりお願いいたします。

 

苗代いちご

野イチゴをさまざまに植えております。その一つ「苗代イチゴ」。最初どんな姿かもわからず、通販で入手し、現在田畑の斜面等で栽培中なのですが、全く同じ植物がいつも過ごしているタラノキ圃場の崖の法面一面にびっしりと生えているのを発見しました。。ちなみにスマホで植物を見分けてくれるアプリをいれておりますが、まぎれもなく苗代イチゴと鑑定してくれました。

ここ奥羽の山村ではいろんな豊かな植物が生育しています。フリマサイト等で手に入れられる植物も探せば多くはこの地元にあるだろうと思うのですが、まず素人には名前と物が一致しないので見かけてもそれとわからない。次いで山歩きし探すような時間的余裕がない。ということで最初は購入するということが近道にはなります。その後自分でも知識を深め、近くで偶然出会った時には目に入って採取もできるだろうし、自生する環境の特性も学ぶことができるでしょう。日当たりとか、水辺かとか。。現にこうして身近な場所で苗代イチゴの大群落を見つけることができたのも、苗購入で勉強した成果と言えますね。

なお、サイトで購入したものは実は品種が違うイチゴだったということはよくあります。熊イチゴと冬イチゴは混同されやすいかもしれません。そこは何だ違うじゃないか、ではなく、そうしたことの学びも必要ですね。

 

カタカゴカフェ

ところで、近所にセンスの良いカフェができています。以前子どもたちがピアノを習っていた家の斜め向かい、カタクリ大群落で知られる「安ヶ沢」入り口付近にある「カタカゴヒルズカフェ」というお店です。こちらの家のお生まれで、長らく外国で暮らし、その後国内で古民家カフェを営んでいらした女性が実家に戻って自宅の改修をして、お店を開かれたのでした。うちから車で5分の距離だし、おしゃれでもありますので、特に女性の来園者(援農等)がいらした時はこちらに行くことが多いです。タンドリーチキンがおすすめのようです。個人的には左上のグリーンカレーがイチオシです。ふつうの住宅なんですが、いまはGoogleマップ等で場所で迷うことはないですね。機会がったらお勧めします。念のため電話で予約されると確実です(私もそうしてます)。「カタカゴ」は「カタクリ」の古語の表現のようです。

 

カタカゴヒルズカフェ外観

どうぞ西和賀方面に日中来られる方はお昼のランチやカフェタイムにご活用ください。やっていない日もあるので、前もって電話してからが無難です。

 

 

碧祥寺資料館1

前述の盛岡の山村文化に詳しい方と、碧祥寺博物館を訪ねました。こちらでも地元である私自身がその方にガイドをしていただき、民間信仰や仏教等の知見を深めることができました。いろんな場所で目にしているものも、名称とかその意味など知らない場合も多く、こうした資料館を一緒に見学することで、一人で漫然と見るよりも、はるかに勉強になります。

 

碧祥寺資料館2

こうした薬に関わる伝承知識もとても貴重なことですね。わかる人が少なくなっていくのは明らかで、通常こうした陳列を見ても、ふーんそうかで終わってしまい、そこで何かをコメントしたり実生活で応用したりできるような人が現在この山村でもどれくらいいるでしょうか。。こうした知見を備えていること、というのは現代の社会でもましてや求められることではないかと思うのですが。。しかもこうした知識や経験が発信できるのはこちらのような山村から、ですね。

 

碧祥寺マタギ1

さて、5月に阿仁マタギのレポートをした際に古い写真を探し出して当ブログでも掲載しましたが、こちら西和賀の「碧祥寺博物館」のマタギ資料館にも改めて行きました。手作りっぽい山の神がいろいろあり、農家が雪に閉ざされる農閑期にコツコツ掘ったんでしょうね。むしろシュールな美しさすら感じます。自宅の神棚や、家々の神社、山祇神社などに奉納されていた御神体なのでしょう。碧祥寺の前の住職の太田祖電さんが蒐集されたのだと思います。

 

碧祥寺マタギ2

猟具です。先の詳しい方からの解説で、特に小さい方のとらばさみでは、挟む力が強すぎて足を切断したりしてしまいがちで、獲物としての価値を損ねることにもなるため、布等をうまく巻いて挟む衝撃の強さを弱め、できるだけ獲物を傷つけないように捉えるための微妙な調整技というのが必要なのだそうです。力がゆるすぎると逃げてしまいますしね。

 

碧祥寺マタギ3

こちらは鹿やキジのオスがメスを呼ぶ声を模写した笛で、この音を聞いて近くのライバルのオスが何だけしからんと飛び出て来たところをバンとしとめるという笛です。シカ笛はクマの骨にガマガエルの皮が貼ってあるそうで。上の方の管を口に当てて吹くというものです。ちなみに鹿の骨は削って服用すると骨折に有効な薬用があるそうですが、逆に皮下脂肪の油は鹿の油よりも熊の油の方が薬用・美容の効果はずっと高いそうです。

 

碧祥寺マタギ資料館

碧祥寺の博物館は沢内大田の「農家食堂およね」の反対側の坂道を上がったところにあり、大人500円で4つの資料館を見学できます。上の写真はそのうちのマタギ資料館になります。20名以上だと団体割引があります。

 

八幡平ドラゴンアイ

さて、全然話題は変わりますが、昨今有名になった八幡平の「ドラゴンアイ 」(鏡沼)です。決して仕事にゆとりがあって出かけているわけではないのですが、何かの用に合わせて半日プラスしてぶらり軽トラの旅に出るのが、この春からしっくり来ていて、良い癒し効果にもなっている気がしています。6月8日頃に開眼した(中心点が雪解けで黒くなる)というニュースでしたが、この6月14日ではちょっと遅かったようで、ベストは6月10日辺りだったでしょうか。。雪解けの様子が龍の目のように見えるとのことで人気のスポットになっています(NHKの「山カフェ」でも放送していました)。

 

八幡平ガマ沼

ドラゴンアイ から八幡平山頂を経て、こちらはガマ沼です。美しいですね。

八幡平マツ

八幡平はトドマツが多いようです。八幡平の山頂(といっても明確なピークじゃありませんが)から「源太森」の方面を目指して散策しました。

 

八幡平池塘

八幡平という名称に対してこれまでぼんやりした認識しかなかったのですが、なだらかな丘陵地帯にトドマツの林と池塘が点在しているという景観です。駐車場から短時間でぐるり散策でき、登山というよりは散策ですね。鏡沼の辺りはドラゴンアイ ブームで多くの観光客が来ていました。6月ともなれば普通の服装で問題ありません。ただ悪天候の時はやはり厳しく冷たい雨が降ることは当然です。

 

寺山修司オペラ「黙示録」

さて、この日は夜に寺山修司の観劇の予定があり、これに先立って八幡平にも足を運んだのですが、夜、岩手県民会館に久しぶりに行きました(中ホール)。2010年度から7冬、土壌分析のアルバイトで公会堂の隣、盛岡広域振興局の4階の農業改良普及センターの実験室から正面に県民会館を眺めながら分析業務をやっていたのですが、その仕事がなくなって、内丸の官庁街に来る機会もなくなっていました。年に2〜3回は映画を観に大通り近辺に行くことはありますが、映画は北上市の場合もありますし。

オペラ「黙示録」というタイトルで、かつてNHKのラジオドラマになった寺山自作の脚本に、盛岡の方が室内楽用に全編に作曲し、演奏も出演も盛岡在住の方によるものでした。特にピアノは途切れることなく演奏が続き、要所要所で弦楽四重奏が加わるというスタイル。主役は圧倒的にピアノですね(上演時間は休憩除き1:40くらいでした)。

とても力作でした。オペラというには小規模ですが、とても味わいのある時間を過ごせました。金田一駐車場に停めていたので、ついでに大通りでラーメンを食べて帰りました(CT33ビルのラーメン屋です)。

田畑では、田の除草、りんどうの草取り&芽かき、そしてにんにく、次いで小麦の収穫が近づいている、という段階です。草イチゴ、苗代イチゴ、冬イチゴ、バライチゴ、カジイチゴ 、ノウゴウイチゴ、熊イチゴ、そしてキイチゴであるモミジイチゴも順調に生育しています。この6月、新たにエビガライチゴと紅花イチゴが加わりました。紅花イチゴは八幡平でも見かけました。コケモモ類もいろいろありますが、これら植えたところを毎日観察して歩くのは楽しいものです。こうした野イチゴ系のジャムなど、いつかは生産してみたく思っています。

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田植えが終わりました

田植え2023

真夏の暑さが来たかと思うと雪が降りそうな寒さで乱高下した気候の5月が終わりました。亀の尾とひとめぼれ、それに昨秋分けていただいた「ササシグレ」の苗などを植え、今年の田植えがまず終わりました。2回目の植え代かきをタプタプの水量にして回転を上げてトロトロ層を作る狙いのやり方をしてみましたが、部分的に凹凸になったりもし、そう簡単ではないなという感じもしました。今期は地域おこし協力隊による援農活動も加わっていて、例年以上に、よりきめ細かく稲作の諸作業をきっちりこなしていけたらと思っています。

何より、ササシグレがこちらの冷涼な気候でどうなのか、これが最大の関心事です。

 

チェーン除草2人版

そして苗の活着を待ち、チェーン除草をしました。写真はひとめぼれの田です。協力隊員の彼と2人で引っ張り合うことで、直接背中にたすき掛けロープで田の中を曳きずって歩かずにすみますね。田の短い幅の方を向かい合って往復でチェーンがけしておりますが、この後の動力除草機を使った作業は長い面を進行することになるので、90度逆の引き方をしてみました。うっすらと既に生えた雑草を取ることはできませんが、撹拌して泥水を作ることには効果があることと思います。あんまり田植え直後ですと苗に影響がいくし、遅れると田面が固くもなり、タイミングが非常に難しいです。

 

にんにく2023年5月

にんにくも旺盛に育っています。やはり雪解けが早かったのはありがたかったですね。春になって株元の草取りをし、次はトウ摘みですが、その前に気になっていた通路の雑草の草刈りも、今日完了できました。

 

2023年5月末の小麦とにんにく

にんにくと並んだ6月1日の南部小麦の生育状況です。いつもはこの6月になってからの出穂ですので、1週間程度前倒しで進んでいます。去年秋の播種は播種機を使用しました。均一に蒔けるというメリットもありますが、おそらく一番の効能は、覆土が深くならないで済むという点と思います。溝を掘って手で播種し鍬や長靴等で覆土するというやり方ではどうしても覆土が厚い深蒔きになってしまい、それが生育や、あるいは積雪地の難題「雪腐れ」菌に負けるという状態を招くと考えられ、播種機はそれを防いでくれるようです。

写真は南部小麦ですが、雪解けが早かったからか、その播種機使用が良かったか、これまでにない生育の良さです。一方のアリーナ小麦は、マメ科緑肥のクロタラリアの漉き込みの効果によってか、昨年の壊滅状態に比べるとそこそこに生育してはいますが、まだいくらか雪腐れの影響は受けているようです。アリーナは今度の秋は別の圃場で緑肥も行った上で作付けしてみようと思います。アリーナはヨーロッパの品種だけに、基本、雪には弱いのだと思います。それでもここ沢内でこれまで何年もしっかり育ってはくれました。畑を変えることで再び長稈の濃い葉色の姿を再現したく思います。

それにしても、南部小麦は雪腐れには非常に強いことは検証できました。とはいえ、ここは豪雪地です。雪腐れの原因となる連作を避けるためにも南部小麦圃場にもマメ科緑肥栽培を盛夏の休耕期間中に、全圃場とはいかなくても、順次行っていきたいと思います。緑肥の種代はかなり高価なので、そこが難点です。

 

自家製ルバーブのジャム

2021年晩秋に植え付けをしたルバーブが、昨年2022年の1作を収穫せずしっかり養成し充実させて、今年初めて収穫しました。当園とも共同で農産加工を手がける「味工房かたくり」の加工場でジャムになりました。第1号です。

 

ルバーブ園2023

「クリムゾン・チェリー」という品種になります。西日の強くない畑に籾殻や稲わらをたっぷり入れ、有機質(油粕)のみの栽培になります。近年は夏場の高温猛暑が特に西日本東日本では顕著なようです。ルバーブは暑さを嫌う作物でもあり、ここ沢内のような冷涼地で適度な雨により過乾燥にならない土地柄はかえってルバーブに向いているとも思われます。反面過湿にも弱いため、排水面の配慮は必要です。この場所は住宅の敷地と隣接した元々は田んぼでしたが、川のそばで石が多く、それはマイナスではありますが、水はけはとても良いのです。田としてはザルで不利でも、ルバーブにはきっと味方してくれる気がしております。

 

ルバーブ根塊

植え付けした時のルバーブの根塊です。今後数年間隔で、適宜株を掘り上げてはスコップや押し切りで4等分くらいにし、増やしていくという作業が晩秋または早春に必要になります。

 

タラノキ園2023

タラノキ園の管理も進めています。タラノキは根(種根)より発芽して増殖するのですが、いまこの雑草に覆われた通路部分で、地下に張り巡らされた種根から芽(ヒコバエと言ったりします)がにょきにょきと出て来ていて、それを見つけスコップで土が崩れないように掘り取って、別に作った畝の定位置に植えていくという作業をしています。たらの芽は受注が多く、生産が追いつかないので、できればしっかりと穂木が確保されるよう拡大努力をしたいし、それはいまのこの時期の作業になります。根を直接掘り取って育苗箱等で人工的に発芽させポット育苗して移植するというやり方もありますが、温度湿度管理は難しいですし、こうした切り取った根でなく土中の生きた根から発芽し地上に出現するヒコバエは質量ともに圧倒的に良好です。

逆に、家の敷地内に安易にタラノキを植えることは要注意です。定期的に草刈りで刈っていればいつか絶えてしまいますが、そうでなければあちこちにタラノキが出現し、いろいろ困ることもあるでしょう。庭木の方はご留意ください。

7月に入ると成木の畝は繁茂してもう畑に立ち入れなくなるし、いまのうちに草取り等の管理作業もしっかり進めておきたいものです。写真向こうの方はまだ植えたばかりの苗状態なので秋まで圃場に立ち入れますし、小さい苗のうちはしっかり8月まで草取り作業をしたいと思います。

 

早池峰神社

さて、現在左手首の治療をしているのですが、午前中で終わる診察の後に、病院のある北上市から遠野の早池峰神社に足を伸ばしてみました。雨の日ということもあり、農作業しなきゃと足早に帰るのでなく、やはり時々車を走らせていろんな土地を見ることで心と体のバランスが取れる気がしています。盛岡の知人から早池峰神社の由来についてなど聞く機会があり、関心を持っていました。附馬牛(つきもうし)という遠野の山間部にあり、なんか良い感じの景観でしたね。附馬牛、自分には心地よい土地柄でした。

 

早池峰神社山の神

阿仁でマタギ資料館や山の神を祀る神社に行ったりしましたが、この早池峰神社の中にも「山の神」の碑がありました。

 

早池峰神社馬の絵

遠野は馬産地ですよね。味わい深いです。時々ぼーっとこういう場で安らぎたいと感じます。

 

地早池峰神社地図

入り口付近にあったとてもわかりやすい案内図です。薬師岳がありその向こうはいったん谷間で幹線道路が走り、そしてその奥に早池峰山がそびえているんですね。静かな佇まい。月並みですが、心身の洗濯になった気がします。

 

稲荷穴

早池峰神社に向かう前に、いまは遠野市の宮守(ワサビの産地)でワサビラーメン定食を食べ(ラーメンと餃子にワサビが。。)、そして近くの「稲荷穴」という洞窟を見学しました。洞窟は好きなんですが、ここはちょっと中に入って探検という感じではなく狭い洞窟内に川が流れているというものでした。平日だし、ほぼ誰もいない山道のドライブです。長野県最南端天竜川沿いの誰もいない道路を走ったことを思い出しました。ここよりも天龍の方が秘境感があったかな。

 

宮守眼鏡橋

同じ宮守の「眼鏡橋」、昔子どもたちと来たはずですが、あまり記憶に残っておらず。。銀河鉄道が地上から空へ駆け上っていくシーンが彷彿されますね。

ちなみに、映画「銀河鉄道の父」を観て来ました。賢治の地元県というだけあり、平日でもかなりのお客さんでした。つくづく、妹トシが不憫ですよね。聡明で、賢治を励まし、最大の理解者でしたのに。。賢治の持つ迷いや心の弱い部分、内面の葛藤や自己批判的な傾向、現実を直視しようと力みながらも自分の慣れ親しんだイメージ世界にこもりたがる傾向。。こうした点はとてもわかり、自分も近いのかなと思います。役所広司が演じた父親像は、息子への愛と理解しようとする気持ちに満ち溢れていました。いままで何となく解釈していた賢治の父の印象とは異なっており、私には意外に思えました。

 

旧岩谷堂共立病院

かつて子どもたちを連れて訪ね、その断片的な記憶だけが頭に残って、あれはどこだったかな、と気になってGoogleマップで調べてみる、ということを夜に最近よくやっておりますが、この「旧岩谷堂病院」もその一つで、賢治の映画を観た後に、思い立って訪ねてみました。江刺の「えさし藤原の郷」の近くにあり、15年くらい前に「種山ケ原」へ行った帰りに見つけて立ち寄ったと思います。今回、管理人さんがいて(美しい人)、他に誰もいませんしとても丁寧に解説していただきました。

子どもたちが大きくなっていくにつれ、小さかった時の記憶が遠のいていって記憶が幻のように感じる時があります。そういう記憶の断片像をたどり直してみたい気持ちは後ろ向きであまり健全なことでもないのかもしれませんが、田畑で黙々と稼ぎながらも、時に田畑を飛び出して映画を観る、いろんな土地を訪ね歩く。。先にも述べましたが、そういうことを織り交ぜてくらしていくのが自然なことなのだと最近思います。

子どもたちが小さかった頃というのは農業面でも栽培技術的にまだ確立していないさまざまに不安定な面もあったし、そんな中でも子どもらにいろんな世界を見せたいという願望もあって、農業と外出スケジュールをこなすので精一杯でした。その出かけた先の中身などしっかり味わえていなかったかもしれませんね。前回同じように思って訪れた「マリア観音」について書きましたが、過去の不完全燃焼の部分をたどり直してみたい、そんな気持ちは誰しもあると思いますし、時々は田畑から出て何かしらの見聞を続けたいものです。

年齢的にも、人生の集大成をという年頃に達して来たのかもですね。。