に投稿 コメントを残す

田植えが終わり除草管理の時期に

飯豊朝日連峰

5月の連休からも時間が経ってしまってますが、いまは6月半ば。植え付けの時期が終わって草取りなどの管理の日々です。作業品方山のことも想起します。東北の山も良いですね。。連休が終わった直後になりますが、足慣らしに山形市郊外の白鷹山に登ってきました。5時間くらい歩いたでしょうか。新緑が綺麗で、人もいなくて、ここは白鷹山から足を伸ばしたレーダー雨雪量計のある地点から開けた光景が望めました。左に飯豊連峰が遠望、右側は正面に当たる朝日連峰になります。我々の住む和賀山塊も奥羽の中心域で奥深いですが、この辺り、新潟との県境付近の山域も重厚です。和賀岳に比べ登山者が多いことは単独行にとってはありがたいことです。和賀岳はさすがに一人ではいけませんね。。

 

亀の尾田植え

今年は例年より1週間早く田植えが始まりました。前代未聞の5月17日スタートになりました。亀の尾はとにかくオクテの品種ですから、早く植えるに越したことはありません。自種だしヒエも混ざったりしてますが、とにかくこの時期は、前へ次へ、ひたすら目の前の作業を片付けていく、まさに春の繁忙期になります。

 

除草機2026年

いまどきはアイガモロボで初期抑草をして後半は田植え機に取り付けた株間除草機で走行する、というところでしょうが、当園はまだそこまでいきません。ひたすら旧来型の条間の除草機で作業しています。今日のこの田はササシグレ13アール。ヒエやコナギも見えていますので、左右に揺さぶって下部に激しく接近し、または乗り上げて、株直近の雑草を掻き取りたい一心です。1時間半かけて完了ですが、まあ、疲れますよね。今度和賀岳へ登る計画があるので、トレーニングだと思いたい。この6月の頑張りで収量が決まります。中干しまであと2週間です。この間最低でもあと2巡したいところですね。。

なお、現在のお米は、新米時のお取り置きの予約で完売していて、カートは閉鎖した状態です。このようなやり方で、新米時に明確にお取り置きを言ってくださらなかった方や新規の方もお断りする格好になっていて、これで良かったのかなと思い悩んだりします。その時々の在庫量を明示しながら、自然なご注文で在庫がなくなっていく方が、カートも動いてますし、良いのかなと反省しています。今後は特定の方の大量のご注文というのもないと思いますし、注文が多い人、少ない人がいるのは自然で、かえってどれくらい消費するかをあらかじめ募るようなやり方に疑問を感じていますのが正直な本音です。まずは、しっかりと量を穫ることがいまの課題ですね。

 

南部小麦6月14日

 

そして6月の声とともに小麦は出穂期を迎えまています。6月14日の南部小麦です。アリーナも含め順調に育っています。盛夏の休耕期間にマメ科のクロタラリアを栽培し、次の小麦播種に合わせてすき込んで地力増進を図っていますが、数年経ってその効果がじんわりと現われ出てきています。補助的にまだ鶏糞を施用したりもしますが、アリーナの去年かなり背丈が伸びた圃場では無肥料としましたし、そのうち小麦分野も稲と同じくすべて無肥料栽培で成果が上がるのではと期待しています。雪腐れ対策の面でも、地力がしっかり備わっていることと、小麦→マメ→小麦という輪作スタイルが功を奏しているように感じています。

収穫・乾燥が終わって8月の中頃には雫石の老舗の製粉所に南部・アリーナともに製粉委託します。製粉はある程度まとまった量で出さなければならないので、少量ずつ注文ごとに何度もということはできません。この収穫時の1回の委託で1年間分を確保しますので、もしご予定がございます時はこれから収穫時期頃までにご連絡あるいはご注文としてでもお受けできたらありがたく思います(多少はご注文分+アルファで製粉委託はいたします)。

 

6月のルバーブ畑

数年前から栽培している赤いルバーブも良い感じです。パイプで抑えている箇所は雪解け直後にその左奥側の列のルバーブを掘り起こして分割し株分けして新植した2列です。マルチではなく抑草シートに穴を開けて草対策と乾燥防止を行っています。

赤いルバーブはその茎の販売も視野に入れてはいますが、クール便にしなくてはダメかなとか、まだ経験がなく、分量や価格とかも調査してしてみなければですね。いま近所の加工所「味工房かたくり」でジャムにしていますが、まずはそのジャム製品を販売にした方が良いのかも含め思案中です。岩手県内でしたら、北上や花巻の産直に出荷してるようです。

 

白鷹山山麓のユキツバキ糞整地

さて、最初に白鷹山という山形市近郊の低山に登った時の写真を掲載しましたが、この山頂からほとんど下山した麓の辺りにユキツバキの群落があり、看板も出ていました。ユキツバキは実は西和賀町にも多くみられ、もしかしたら東北の多雪地帯に特有の植物かもと思います。家の敷地内の庭木をいろいろ植えて楽しんでいますが、ちょうどユキツバキをこんもりと育ててみたいスペースがあって、挿し木でも増やせそうということで興味を持っていました。

 

ユキツバキの穂木

ということで、近所にちょうどユキツバキが植わっている場所があったので、穂木を少しいただいてきて、プランターに挿してみたところです。写真は採取した状態のものですが、一番上を少しカットして、3節残して一番下の節から3ミリ下をナイフで斜めに鋭利にカットして、ルートンを切り口にまぶして25本くらい挿しました。葉っぱは半分くらい切り取ったりします。培土は鹿沼土と赤玉土を混ぜたもの(やや鹿沼石を多く)とし、ちょっと礫っぽい感じにも思いましたが、保水が良すぎると根が腐ることもあるということで購入したこの土の配合としました。

ハウスだと暑い日もあるので外の日陰っぽい木の下に置いて、直接強い雨にも当たらないようにして管理しています。

また、別の無駄になっていた場所も少し整地して、もらってきたギョウジャニンニクを植えており、ここには育苗中の芍薬も取り混ぜて植栽してみたいと思います。メイン作業の野良仕事で圃場に行き帰りの時に、いろいろこういうものの状態を経過観察するのは楽しみですね。

 

川舟ナシの高接ぎ

イワテヤマナシですが、昨年から、近所の川舟地区にあるとても味が良い実がなる「川舟ナシ」の穂木をもらってきて、うちの品種不明の梨や、台木用にあったマメナシの小さい木に接ぎ木をしていました。去年も行いましたがは失敗し、ものになりませんでしたが、今年は少し良い感じです。写真の大きな茎葉は多分成功でしょう、川舟ナシです。

接ぎ木は穂木と台木の外皮のすぐ内側にある「形成層」をお互い密着させることで成立します。去年までのやり方は台木の形成層に沿って、いわば外側の皮部分に切れ込みを入れて形成層を露出させたところに穂木を挿し込むという、形成層の密着面積を重視したやり方でしたが、それは結果うまくいきませんでした。もちろん技術がないからでしょうが。。おそらく台木の外皮を剥いた首の皮一枚への穂木の挿し込みで何かグラグラし、隙間ができて密着できなかったんだと思います。今年はそうでなく「割り接ぎ」という方法で、台木の中央にナイフで切れ込みを入れて、そこへグイグイと力を込めて穂木を差し込んで、その時に台木の形成層と穂木のそれとが「端で接合できるように」右や左に寄せてテープを巻きました。台木は固くて、穂木を差し込むのにナイフで隙間をこじ開けながらの作業でしたが、グラグラなどのない密着度の高い状態は得られたでしょう。形成層との接点は面ではなくて端の「点」部分ですから、ここが開通してくれないと無理なわけですが、写真の展葉してるところはそこが無事つながったようですね。

他の箇所も葉が開きかけてきたのもあって、ドキドキの毎日です。

 

ポポー接ぎ木(NC-1)

ポポーでも接ぎ木をしました。神奈川県で味の良い優良品種の枝を販売している農園があり、そこから3品種枝を購入したました。ポポーの方は台木もやまなしよりやわらかく、やりやすかったです。無名品種の種から育てたポポーが5、6年経って大きくなったその枝を切って、高接ぎもしましたし、そのヒコバエとして地面から出てきている写真のような小さい台木にも接ぎました。この写真の場合はこの台木がそのまま優良ポポー品種として育ちますね。時間はかかりますが。。一方、大きい木の枝に接いだ方は早めに実をならせてくれるでしょうが、台木の方から出て来た枝の品種と区別をつけるための何らかの木の改変作業が必要になりますね。

 

秋扇湖の水没林

旅行というほどではないですが、雨の日に気分転換に出かけた写真を掲載します。西和賀のコメリより在庫の豊富な雫石店に買い物に行き、そのままR46号を秋田方面へぶらり向かって、田沢湖からやや北に進んだところに秋扇湖という湖があり、ここの水没林がとても綺麗だということで、そんなに遠くでもないし足を伸ばして見てきました。コバルトブルーと新緑がとても美しいです。橋の上からの見物になりますが、けっこう多くの人がいました。来年からは数年間6月までのこの光景は見られないということで、今年の眺めは貴重でしたね。西和賀の錦秋湖も水没林が見られますが、湖面の美しさはこっちが上かな。。

 

チャグチャグ馬ッコ

本当に久々に、チャグチャグ馬ッコを見てきました。ちょうど用事もあったので。。昔は100頭くらい歩いたようですが、いまはその3分の2くらいですね。娘がラウンドワンのハンバーガーを食べたいと言い、ラウンドワンの駐車場に停めて、そして食べた後に歩いて盛岡駅で見物しましたが、戻って精算時、ハンバーガー店の駐車割引が効いて200円で停められました。こういう時は一般のコインパーキングでなく、買い物をする店の駐車場を利用するべきですね。

 

キリストの墓(2006年9月24日)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ところで、テレビでちょうど青森県新郷村で行われた「キリスト祭」を放送していて、昔見学に行ったことを思い出し、写真を出して見てみました。エクセルでずっと農作業日誌を付けていますので、キリストの墓とかの用語で検索し、日時が特定でき、その日付の写真を辿って探し出せました。もっとも、子どもが小さい頃の写真なので、いまのこのMacに全写真を貯蔵することは容量的に無理でして、何千点とかになりますので外付けSSDに保存しています。SSDになってからMacのストレージも容量が少なめになってしまいましたよね。外付けSSDは昨年秋に買っておいたものに、先般の寒天から帰って割と時間がある時に、写真アプリからオリジナルに変換して外付けに整理収録していました。その 外付けSSDの価格がその春には購入時の昨年秋の2倍に跳ね上がっていてビックリです。中東情勢かレアアース不足なのか、はたまたAI関係の需要が高まっていて、ということか、いずれいま外付けディスクは手が出せない価格になっています。

ともあれ、キリストは生きてイスラエルから何らかの移動手段により青森県に移動し、確か弟とともに新郷村で余生を過ごしたらしいです。この辺に戸来(へらい)という地名がありますが、ヘブライから来てるとか。。資料館もそばにありましたが、全く記憶に残ってません。。。20年前の2006年9月24日、彼岸りんどうの出荷を終えて、そのお盆から彼岸までの繁忙期に3歳の長女を預かってもらっていた家内の実家に娘を引き取りに行った帰り道です。

 

2006年9月24日田子のニンニク植え付け風景
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

その後、にんにくで有名な田子町に寄って来ました。種にする用のにんにくの購入のため直接農家さんに伺ったと思います。9月の下旬はにんにくの植え付け真っ最中ですね。通りすがりに作業している光景に出会い、観察もできました。管理機が通路部分の土をマルチの上に飛ばし上げて、それを引き延ばして整地しています。左の方に見えるように、マルチの上は完全に土で覆われていますね。ここで初めて知った技術でした。右の方のようにまずりん片を植え付けしてから、ですね。マルチの穴に隙間ができるとそこが熱風状態になるので、それを防ぐためにマルチを密着させるということですね。

当園でもずっとこんな感じでやっていましたが、去年の晩秋にビニールマルチを剥がして米ぬか散布をし、この春には籾殻マルチとしました。そして来月初めのにんにく収穫後には植え付けていた畝の全体にソルガム等の緑肥を蒔き、それは緑肥すき込みするのでなくて、生育後に畝の上に刈り倒して敷き、リビングマルチとしてその隙間からりん片を植え付けていくという方式に切り替えます。不耕起になるので最初は土も硬いでしょうが、これをくり返すうちに重ねた緑肥体が積み重なって良い土づくりになってくれるのではと思っています。緑肥の種の覆土のために、上の写真で行っているように通路上の土を管理機で畝の上に飛ばし乗せてく作業は必要ですが、耕耘・畝立て・マルチ張りといった定植前の床作り作業からは解放されるし、すき込みではないため、植え付けの直前まで緑肥を生育させてから刈り倒し、さっと畝に並べてすぐ植え付けができます。9月は10日を過ぎると彼岸りんどう出荷、そして小麦畑耕耘と小麦播種、稲刈り、と1年で最も忙しい時期になり、そのためにんにくの植え付けは9月5日までに済ませるようにしています。雑草の具合がどんな感じになるのか、いろいろ読めない面もありますが。。

いまはもうあの頃のように種用のにんにくを他から買うことはありません。りん片がセンチュウに侵されている可能性がありうるからです。当園ではこれまでにもお知らせしておりますが、青森県のにんにく研究者である山下一夫氏によって生長点培養されてできたりん片のみを使用しています。八木にんにくや盛岡農業高校由来の八幡平系も、当園のりん片から生長点培養してもらってセンチュウ害のない優良化としてもらっています。一時、冬期間の水路からの畑への冠水により多くの優良にんにく種を失ってしまいましたが、その後増やし続けて、昨年秋定植分からは販売出荷用含め全にんにくが優良培養りん片からの栽培になっています。

また、新たに「最上赤」「富良野」「上海(太倉)」「南郷ピンク」など新手の品種も植え付けております。「上海」は暖地系になり、ここ北東北では無理かなというイメージもありますが、山下氏によれば、地理的に暖地と寒冷地にスパッと分かれるようなことではなくて、岩手や青森ににんにくが入って来たルーツを辿れば、暖地系も寒冷地系も結構混在しているようだ、とのことでした。上海と南郷は昨年のいまの時期に訪問させていただいた折に、山下氏が講師をされている東京の農大の学生に試食してもらって、この2種が「美味しい」と評価が高かったという話を聞き、試しに送っていただいて植えたもので、少量です。最上赤と富良野は割合多くなってきました。最上赤は味がややシャープでホワイト六片と似ており、また富良野の方はホクホク感がある、という感想です(知人による個人の感想ですが)。

ホワイト六片の系統では、紫波A,B、大野、苫米地、奥南ホワイト、そして福地ホワイト六片の元祖系混合、といった区分の品種構成となっています。紫波系は今回はあまり良くなく、元祖ホワイト系が良い生育でした。左に挙げた品種は食べた感じとして違いはわかりませんが、品種確保の意味でも絶やさず種子に回したいと思います。

にんにくはにんにくの芽のトウ摘みが始まっています。これを油炒めにして塩味で食べるのは格別です。

また時期が来ましたら紹介させていただきます。

 

に投稿 コメントを残す

一気に春が始まりました

稲の種まき2026

3月末まで雪がなかなか消えなくて、特に西和賀町の中でも中南部の地区よりもこの辺りは雪が多くて、気長に待つのみでしたが、4月になってから一気に雪解けが進んだ感じです。強風が多かったことも雪消しを進めました。

当園は4月10日に稲の種まきをスタートさせるよういつも段取りをしています。段取りは、ハウスの除雪と、水稲培土の搬入(「花巻酵素」社製)、籾の芽出し(ハトムネ催芽)が一致して揃うことです。

いつも思うことですが、有機の稲作りは薄蒔き・太い成苗作り・1株2本田植えといったセオリーがあるものの、東北の冷涼地帯でそのままの模倣は危険であります。ここ西和賀は同じ岩手県内の内陸部の盛岡や花巻よりも冷涼で、日照も少ない土地柄です。6月でも結構寒い日は多いし、稲の分げつはなかなか難しい。最初から2本植えで攻めてもそれが大きな株に生長することは難しいですね。ですので、ある程度箱に厚まきにして、しっかりと本数を植える方針にしています。成苗植えを目指して日数を育苗期間にかけるよりも、本田への移植と活着を進めた方が良いかとも思っています。その分というわけでもないですが、坪当たりの株数は60と間隔は広めて植え付けします。

今年は去年秋のご注文に対する供給不足を身に染みて感じており、13アールほど拡大しました。いままで育苗ハウス内のスペースで行い、播種後はすぐにそばのプール床に並べておりましたのが、プールの面積も拡大されたため、別途作業場で種まきをし、運搬車でハウス内に運ぶという形になりました。ちょうど搬入した水稲培土も作業場内に置いていましたので、その場所でそのまま作業をしました。

2年前にもらった播種機を使いましたが、種籾のホッパー下の苗箱の移動が電動モーターで進む方式です。その次の覆土は手回しです。が、手前に見える緑色の箱だとスムーズに播種時に移動していくのですが、右上の方に見える灰色の箱の時は播種最中時にスムーズに移動せず止まったり変に進んだりと不穏な動きをするために、播種にばらつきが出て、手直しが結構ありました。そうならないよう箱に手を添えて均一に動くようにしたり対処しますが、フイっと進まれたりすれば、そこは播種が薄くなるし、どうもダメでした。何十年も経った機械ですしね。2年前まではは「みくに式」という苗箱1枚ずつレール枠をはめて手動で播種する器具でやっていましたが、来年はそちらに戻すか、灰色の箱だけ「みくに式」に戻すか、ですかね。

 

ハウス除雪2026

ハウスの除雪は3月17日に。ハウスと作業舎の間に山のように雪が溜まるので。。ハウスのアーチ曲がりが始まる肩の寸前まで積雪していて、これより上部に雪が溜まるとパイプが雪の重みで曲がってしまいます。そのように最大積雪期を迎えるのは時期的に2月20日頃になるため、この頃までには冬の寒天作り出張から帰宅せなばならないのですが、今年は2月以降ひどい雪降りがなかったようで、寒天仕事の作業延長があり遅れましたが、何とかハウスを壊さないですみました。

 

水稲苗2026

奥羽の里西和賀町の4月はまだ冬景色でもあり、4月10日頃といえばまだ平気で雪も降る時期です。雪原を渡ってくる風は冷たくて、ここだけ除雪し土が露出したハウス内も当然地温は低いです。西和賀ではほとんどの農家が播種後、苗箱を出芽機に入れて2日間一定の高温環境下(30℃くらいでしたか)で出芽をさせ、それをハウスに並べる方式を取っています。その間のカビ等防止に農薬を使用します。当園はそれをせずハウス内にプール枠を囲った中に、播種後すぐに並べます。自力で出芽してもらう方式ですが、いつも種まきしハウス内に並べた後の出芽するまでの期間は本当に気が気でなりません。播種後10日を超えると、経験的に発芽率が落ちてくる気もします。今年は割合と気温が高く助けられました。播種後8日でほぼ均一に出芽してくれたのは嬉しい限りです。もちろん今後の推移が大事なので気は抜けませんが、第1段階はクリアした気持ちです。

ラブシート・透明有孔ポリシート・シルバーシートの順に3枚を被覆しており、曇天の日は上のシルバーは気温の抑制になるため外して透明シートで温めます。逆に日照がある日は箱の温度の上昇を抑制するシルバーを被せます。夜はシルバー含め3枚のふとんで保温するという格好です。気温の抑制を狙った反射シート(太陽シートなど)は、ここ沢内では使えません。20年以上前に買ってはみましたが。そもそも積雪期中の育苗で地温も外気温も低い中、出芽のために温度が欲しい時に曇天の日に太陽シートで一生懸命種籾を保冷している、という不条理な行為ですね。ビニール系は出芽までの土の乾燥を防ぐ目的もありますが、出芽が揃った後は、ラブシート1枚での管理になり、水を溜めプールにした後はシートは全部外します。

シート類も値段が高く、ラブシートなどうちは18mでよいのに50m単位で2万円します(210cm幅)。ラブシートだけは他に流用できる品もないので、20年以上使ってかなりボロボロなので来年は買うしかなさそうです。

 

ルバーブの株分け

さて、雪解け一番で行う仕事の一つにルバーブの株分けがあります。もう芽は出かかってますけど、いったん掘り上げて角スコップで3当分くらいにジャキっと切って元の穴と別の2穴に植えます。当園では縦横共に1m間隔で植えて、マルチでなく抑草シートを被せ、株の部分をカッターで切っています。もう少し活着したら、新しく広げた部分にもシートを被せますが、その前に株周囲に油粕をやりたいですね。植え穴には籾殻をふんだんに使っています。ピンクのルバーブは綺麗な色のジャムになるし、また株を入手することも困難なので、これは絶やさずに株分けしつつ育て続けたいと思います。

 

たらの芽最終群

たらの芽の出荷作業も最終盤に至っております。今年は寒天作り出張の帰宅が遅くなったこともあり、たらの芽のスタートも遅れました。本来、この4月20日頃という時期は完全に露路・天然のたらの芽が南から出荷されてくる時期で、施設栽培としては終了していなくてはいけないです。それでも注文をしてくださる方がいてありがたいですが、出芽の波があり遅れていて、ようやく最終の一群の収穫発送が始まりました。もう注文を終了にしないと、出荷物が足りなくなる可能性もあり、受注はストップにしました。

4月に入ると好天の日はたらの芽水槽の気温は25℃を超えたりもします。ここは単管で骨組みし透明のポリカで囲まれた施設内で、日射による気温上昇があります。ハウスと同じようなものですね。暖かくなってくると、施設栽培のたらの芽にとっては逆に過酷な環境下になるようで、ハカマの部分が着色したり、芽が出ないものもあり、極小のものも出たり、管理が難しくハジキも多くて、私のおかずも増えてきます。逆に、2月の早い時期から伏せ込みを始めて、寒い中なかなか育たず、そのうちにカビが生えてしまうこともありました。3月まで待ってふかし始めるのがベストのようですが、水槽の場所には限りがあり、全部伏せ込んで残った余りの駒木の処遇が難しく、最初の出荷が始まって水槽スペースが空いてから最終の待機したタラノキの伏せ込みになり、それが遅れた最終の一群になります。それが昨日4月21日にスタートし、この数日で一気に終了させるという感じになっております。外の仕事も始まっていて、しかもたらの芽の収穫(駒木からの切断)は発送直前の当日午後になってからですので、外仕事ができない前日夜間とかに切って準備したりもできません。。

雪が解けると全ての仕事がゴーサインになり、眩暈がしそうな時期を迎えます。

 

オーツ麦播種

今年の試験品目ですが、オーツ麦を蒔きました。春蒔きで可能ということで、豪雪履帯では秋蒔きはいろいろ困難ですので、合ってますね。オーツ麦は「えん麦」と言われればお馴染みの緑肥作物で、当園でもいつか使った記憶がありましたが、この試験は緑肥や飼料用ではなくて、オートミールの食材用として栽培するものです。ただし、オーツ麦は収穫脱穀後は写真のような状態で、いわゆる小麦などのようにハーベスタの中で殻が剥けて玄麦として収穫袋に集積されるというのと違います。稲と同じように籾状態で収穫されるのですが、オーツ麦は殻ががっちり実に絡まっていて籾摺り機で玄米になるというものでなく、この殻剥き・殻飛ばしが困難だと言われています。

脱っぷ機(デハラー)と呼ばれる装置で、しかもオーツ麦に対応した専用あるいは汎用のデハラーなんでしょう。そういう大がかりの設備でオートミールが生産されているようで、とても個人が小規模に行えるような代物ではありません。国内にも大規模な工場はあるようで、そこで国産あるいは輸入によるオーツ麦をデハラーし、さらに加湿して潰す(圧ぺん)工程を経てオートミールになるんだそうです。われわれ生産農家がどこまでやれるかはわかりませんが、オートミールを使った菓子やパンには一定の需要はありそうですし、これまで小麦栽培に関わって、失敗も多くくり返してきましたが、生産農家として興味ある栽培と思っています。ライ麦やスペルト小麦、お菓子作りで定評ある農林61号は、どれも雪で4月にの雪解け時に消滅しておりました。その中で残っているのが南部小麦とアリーナ小麦です。アリーナも一度雪解け時に消滅していたことがありましたが、秋田県の農家から逆輸入して復活させました。その後、マメ科クロタラリア緑肥を取り入れる栽培を取り入れてからは、連作回避にもなり、雪腐れ対策にもなり、鶏糞など肥料を与えなくても地力チッソが供給されて結果は良好で、ひとまずは軌道に乗った感もあります。春蒔きのこのオーツ麦が何かしらの展開につながればと思います。

本当は、殻が剥けやすい「裸オーツ麦」(naked oats, hulless oats)といわれる品種が手に入れば何も言うとはないのですが、国内で流通はありません。いろいろ問い合わせましたが、国内では手に入らないようです。生産農家から需要がもっと高まって、緑肥用飼料用鳥の餌、という扱いから食用オートミールの食材として注目されてくるならば、種苗会社も検疫を通して輸入へと重い腰を上げてくれるだろうし、さらには食用としていろんな風味食感の品種が提供される、という時代も来るかもしれません。が、いまはまだ少し早すぎたようです。

 

にんにく畑と熊の足跡

にんにくも長い眠りから覚めてまだ眠そうな状態です。秋に熊に踏んづけらてて、このやろうという感じですよね。これからもう少しだけ待って今月中には籾殻を床に撒いてリビングマルチにしたいと思います。晩秋に土づくりの一助になればと米ぬかをかなり厚く散布しましたが、ビニールマルチの上に米ぬかを散布しても面白くありませんので、その時点でマルチは剥がして米ぬかを散布をし、そして春を迎えました。ある程度生育が復活した上で今度は籾殻を撒こうと思います。通路にはライ麦(雪の強いとされる緑肥用品種)を緑肥として撒いてみましたが、生育が思わしくありません。播種時の9月下旬に土が十分乾燥していなかった気もしますね。今度は夏の収穫の後にこの床の上にソルガムを撒いて、次のにんにく植え付け時まで育てた上で刈り倒し(すき込まず)、それをマルチとしながら、その重ねたソルガムの隙間からりん片を植え付けるという方式にします。ビニールマルチ栽培とお別れができればと思っています。唯一の欠点は、冷涼な当地でビニールに頼らないことで、それだけ地温を確保することができないという点です。

 

福寿草2026

今年も福寿草が綺麗です。晴れた日はぱあっと開いてね。ここは田畑の空き地っぽい場所ですが、家のすぐ裏にもいつの間にか生えていました。

 

釜石・大石漁港

3月から4月にかけての遠出を少しやりました。長野からの帰りで遠出は十分やりましたが、月に一度の気分転換を兼ねて釜石へ向かい、リアス式海岸の景色を眺めながら、久々に堤防で釣りをしてみました。結果は釣れませんで、残念です。昔、広島にいた小中学生の頃は、至る所でよく釣れていました。港のある宇品やフェリーに自転車を付けて渡った似島や能美島、宮島で堤防や砂浜で投げ釣りをすると、夏はシロギスやギザミ(ベラ)が、冬はカレイやアイナメが面白いように釣れたものです。広島市内の川で同じく投げ込み釣りをすれば、ハゼが面白いようにかかり、4人で100匹とか、3人で100匹釣れたりもしましたね。。あの頃より魚が減ってしまったのか、または三陸では広島とは異なった棲息環境下に魚がいるのか。AIは後者の意見を述べていましたね。三陸沖など第1級の漁場なんですもんね。でも、誰もいない堤防で時間を過ごすのは悪くないですね。3月だからできることです。

 

工藤精肉店

釜石の食堂で食べたカツ丼はボリューム満点でした。

 

旧鮫ヶ浦漁港

4月の楽しみドライブは、奥松島方面にある旧鮫ヶ浦漁港の探訪でした(4月19日)。この日は仙台の日立システムズホールでベートーヴェンのピアノコンチェルト4番と、弦楽四重奏曲16番(最後の曲)の弦楽合奏版のコンサートがあったので、家を早く出て、漁港の風景を楽しんだ後、仙台の息子と昼ごはんを食べて、バイト先に息子を届けた後にコンサートを楽しんで、買い物などもして帰宅しました。ぼーっとGoogleマップを眺めるのが好きで、面白そうな場所を探し、お昼はどこにするかな、などと検索するのは楽しいですよね。この古い漁港はひなびた眺めが人気のようで、日曜日だったこともあり、チラホラ訪れる人と行き交いました。

 

旧鮫ヶ浦漁港へのトンネル

車を停めてから、暗いトンネルを1、2分歩いてから漁港に出ます。佐久間ダムを思い出しました。こういうちょっとしたワクワク感、良いですよね。仙台から自転車で来たという中学生が、スマホのバッテリーが切れてしまって、モバイルバッテリー持っていないかと訊かれました。帰り道がわからないというのです。ちょっとかわいそうでしたが、ケーブルがライトニングだというので、いまの私はタイプCで、バッテリーは車にあるけど繋げないな、ということで彼らは諦めて帰りました。まあ、大丈夫ですよ。中学生の頃、自転車でいろいろ行きました。地図くらいは持っていましたが、標識の看板やカンで走りました。まあ、いまでこそナビに頼りっきりで堕落してしまいましたが。。バイクで遠乗りした時代も、ツーリングマップルのみでしたね。

 

仙台シーラカンスモナカ

コンサートが終わってから、仙台で話題の「シーラカンスモナカ」を買いに行ってきました。テーブルがあってスイーツを飲食できるカフェなのですが、皆さん話題のモナカ(テイクアウトの包装した菓子)を買いにレジまで20人くらいの行列で、10分くらいは待ったと思います。まあお土産として買い私は食べていませんが、岩手のラジオで話題が出ていたので、繁華街でしたが軽トラをハザード出して停めて買えました。

昼に「久美食堂」というこれも行列のできる食堂で昼を食べたのですが、その後息子をバイト先まで送っていた時、この食堂の近くにパトカーが停まり、道路の反対側に報道陣が10人くらい待ち構えている光景に出会いました。事故かな、でもなんで報道陣が、と思い、通り過ぎて、そして次にコンサートからシーラカンスへ向かった時もまたここを偶然通りかかって、やはり報道陣もまだいるのです(夕方5時頃)。家に帰ってスマホのニュース記事でわかりました。熊がマンションの敷地内の茂みに立てこもっているということでした。その後暗くなる頃に駆除されたそうですが、かなりの町なかでしたね。盛岡でも駅前に突如現れたりしたことがありましたが、おそらくは自然の景観そのものである川伝いに山から降りてきて、市街地付近の食堂とかからの食べ物の匂いとか生ゴミの匂いにつられて川から上がって来たのでしょう。その点は、われわれの住む田舎では春とかは木の実などもないし、食べ物の匂いも漂っていないので、それほどやってくる意義は熊も感じないでしょうかね。一応気をつけながら作業はしてますが。

に投稿 コメントを残す

寒天出張から南国経由の軽トラの旅

佐久間ダム

2月23日朝に、「今日で終わり」という話になり、寒天の仕事が終了しました。いつもこんな感じで突然に終了します。そして、その後ですが、今期の帰り旅では、いつも小麦やにんにくを買っていただいている伊豆半島でカフェを営んでいらっしゃる方の古民家に泊めていただきながら、私も自分の産品でお付き合いのある近郊の方々と懇親をするという旅がメインの帰路となりました。

約束の日が2月25日と決めてあったため、24日まで働くことになれば当日の出発で伊豆に向かうことになりましたが、1日前倒しだったので、その場合の計画に入れていた、天竜川沿いの道を浜松方面へ南下する、というコースを加え、渥美半島まで走った後に愛知県内で宿泊し、翌日に伊豆へ、という計画に変更しました。

東京で出版の会社に勤務しながらバイクであちこち走っていた時代に、浜松から天竜川沿いに長野(飯田市付近まで)まで走ったルートを思い出しながら逆走した形です。主に飯田線に沿った道路になります。

去年は飯田から名古屋へ向かう国道を走り、まあ普通の道路でありましたが、この天竜川ルートは一味違います。飯田から天龍村へ出てから愛知県境を目指す道なんですが、まずすれ違う車はありません。以前も茅野滞在時期に出かけて記事に書いたことがありましたが、大嵐(おおぞれ)という駅まで走って、茅野に引き返しました。今回はその続きで、まずは佐久間ダムを目指し、静寂の道路を走り、ダムまで辿り着きました。

 

佐久間ダム付近のトンネル

東京時代のバイクの時に、手掘りの様相の岩肌が残るトンネルを走ったことが記憶に強く残っていましたので、今回走る動機づけになったのですが、いまも健在でしたね。佐久間ダムより南の側でした。

 

渥美半島伊良湖岬から

そして一応、この天竜ルートは達成し、市街地まで出たので、あとはどうするか? 時間的に宿に行くのはまだ早いし、明日は天気が悪く、しかも伊豆まで到達するために、今日のうちに渥美半島まで行ってみようと決め、岬に向かいました。

知らない土地を旅するので、距離の感覚はよくわからないままで、結局思ったより時間がかかって、渥美半島先端部の伊良湖岬に着いた時は夕暮れで、灯台の灯りも灯っていました。。。車を泊めた場所から10分くらい岬へ向かい歩きました。誰もいないしまだ2月です。ちょっと不安なドキドキ感も味わいつつ、写真の場所まで来て引き返しましたが、車に戻った時は真っ暗でした。明かりが見えたのは良い体験でした。

帰りは真っ暗な海を右に見ながらでしたが、行きは名の花畑や花産地のハウスなども見えて、渥美半島の景色を楽しむことができました。

 

浜名湖(舘山寺から)

翌日は雨の1日でしたが、浜名湖に立ち寄ってみた時は曇り空で、舘山寺というエリアに駐車して、遊歩道を楽しみました。そこから見た浜名湖です。

 

浜名湖舘山寺の穴地蔵

遊歩道には穴地蔵という史跡があり、ここは眼についてのご利益がある場所だとか。。

そしてお昼頃には浜名湖を去って、伊豆を目指しました。いつもですが、走ってばかりで時間の余裕もなく、コンビニでサンドイッチを買って車で食べるという、あまり旅らしくない昼食のまま、伊豆へと急ぎました。

 

Teasalon Kibi

今回の目的地である南伊豆町子浦にあるTeasalon Kibiに到着しました。寒天作りの同僚の藤井君と手前の温泉地で合流して入浴後に向かい、この由緒ある大きな古民家にて、近所の画家さんや、ユニークな内装や茅葺きを手がける若い職人さんやもう一軒の交流のあるカフェさんたちと一緒に楽しい懇親の時を過ごしました。

天城越えをして下田という市街地に入りますが、そこまでは誰もが知るであろう関東の郊外である地方の土地としての伊豆ですね。ただ、そこから南伊豆町を目指して走ると、だんだんと様相が、私などが馴染んでいる「田舎」になってきます。最後の15分で関東の地方の土地柄、から、西和賀にも少し通じるような真性の「田舎」へと変貌していくのが面白かったです。途中に寄った風呂は下加茂という地区の温泉で、「ポリネシア風呂」と呼ばれてました。中は南国風で面白かったですね。鉄骨の農業用ハウスの中に温泉が作られています。伊豆には謎の古代文化との交流があったらしいという話を寒天作業時に雑談で聞いていて、その時にポリネシアと接触があったと言っていたので、これは、だからポリネシア風呂か、と感じました。古代の交流は史実か。。

翌日からは素晴らしい好天で、暖かく、さすが伊豆です。写真は古民家の玄関付近です。ちなみにこの辺りは車が入ることができず、最後は荷物を持ち何分か階段を降りて玄関にたどり着きました。われわれのところのような広々とした空間に点在する農家の建物、というよりは狭い傾斜地に家がぎっしり立ち並ぶ住宅地です。狭い平地に、入植した漁家たちが山を削って家を建てて暮らしてきたのでしょう。

 

藤井君のピザ

やはり「田舎」に住まう者どうしは話も弾みます。同僚だった藤井君は春から秋までは北アルプスの山小屋で暮らしていて、岳人ですが、ピザ作りも上手です。みんなで持ち寄った料理で楽しみました。私には何のわざもなく、長野からの持ち寄りについては彼任せとなり。。

 

アリーナのケーキ

いまは店舗を休止されているのですが、もう1軒のカフェ(「ハナのつむじ」)の方が当園のアリーナで作って持って来ていただいたチーズケーキ風の菓子です。素晴らしいです。自分はただ生産に従事しただけで、こういうことはできません。しかし小麦の栽培をやっていて良かったと思える瞬間ですね。このような作品にしていただいて。

 

南伊豆子浦

近所の若い職人さんの住居を訪ねました。子浦を見下ろせます。素晴らしいですね。天気も良く穏やかな湾。砂浜でどこかの大学の応援団らしき数名が合宿でしょうか、声を出して練習に励んでいました。この景色は忘れられないでしょう。

 

ぼろんじ

子浦の「ぼろんじ」という海の家と、その右に画家さんの住まいです。紋様があれですね。伊豆松崎町の。「ぼろんじ」にはストーブが設計され、料理にも使えそう。上述の若い職人さんが内装を手掛け、また海の家もいろいろな趣向で運営なさるようです。関東の皆さん、最南端の南伊豆町まで足を延ばせば、また違った濃い田舎度の伊豆を楽しめそうですよ。

 

石部の棚田

翌日は南伊豆をドライブしました。石部の棚田と呼ばれる景勝地です。河津桜が満開ですね。ここの茅葺きは職人が手掛けました。

 

石廊崎の夕陽

いろいろ回って遅くなり、夕焼けの石廊崎へ。少し手前でゲートが閉じていて、少し歩きましたので、ちょうど夕暮れ時です。

 

石廊崎灯台

石廊崎の灯台です。伊豆最南端がここですね。

そして2日目もまたポリネシア風呂に入って、そして再びKibiさんの古民家に泊めてもらいました。再び職人さんたちと懇親をして。

 

大室山から富士山

南伊豆に別れを告げ、寒天藤井君と大室山へ行きました。ここはリフトのみで登頂できる独立した面白い山です。山全体を覆うススキの原っぱをちょうど2月に野焼きして、いまはこのように黒々とした山肌です。ふつうは山頂から見える眺めは周りの山々、でしょうが、ここではグルリ周囲を囲んで麓の街並みが直下に見えて面白かったです。伊豆半島でも北東部に位置するので、もうかなり首都圏から近いですよね、熱海などが近い。富士山もよく見えました。南アルプスもです。

 

河津桜

さて、同僚とここで別れて、小麦等を買っていただいているもう1軒のカフェさん、ハナのつむじへ向かいました。残念ながら現在は自宅兼店舗での営業を休止されて、注文を受けた弁当や惣菜の宅配をメインになさっているようでした。河津町でして、市街地の方ではちょうど河津桜の祭りをやっていました。

そして山間部のつむじさん宅に出かけ、ここでいろんな話をして、伊豆を離れて、帰路へと着きました。

「約束」がある旅程は終わりました(子どもと会う約束はまだ残ってますが)。寒天仕事がいつ終了になるか、当日までわからない。南伊豆の方々との約束も複数名の都合の調整だし、2転3転しました。ホテルの予約だって直前まで取れませんよね。。まあ、軽トラの幌でシュラフで寝ても良いんですが。今回寒天中にリサイクルで購入したので。たぶん来年は再び「約束のない一人旅」で帰路に着くでしょう。寒天に行ったとするならばですが。シュラフは持参した方が良さそうです。特に南国方面を経る時はOKですね。

 

三軒茶屋

懐かしい三軒茶屋を通過中です。少し寄り道して10年住んだこの街を走ってみました。アパートは既になく、大家さんの家も建て替えられて、別の人の名前になっていました。

ここ三茶から、会社のあった文京区白山にバイクで何度か通勤しましたが、そのコースを走ってみました。渋谷で少し道を間違えたりしましたが、道路というのは変わりませんですね。靖国神社を左に見て右折し、武道館を右に見て、神保町から左折で水道橋経由で白山の会社があった辺りに行き、それから東大の近辺を通行中に、末娘から、東京の神社で水琴鈴守というのを買ってきて欲しいとLINEが入りました。ちょうど根津神社とか近かったので寄ってみましたが、なく、湯島神社ならどうかなと向かったが、ここもなく、神田明神に行ってもなくて、帰ろうと思った時に、東京天満宮にはありそうとのことで、ここでやっと手に入れられました。お守りは1,000円でしたが、ちょっとだけ泊めたパーキングで4箇所、3〜4千円かかりました。東京のパーキングは怖い。。

そして、いわきへ予約していて、そっちに向かいました。神社巡りで時間を使い、またまた時間をが押してきて、霞ヶ浦を見物するのはやめました。

 

福島第1原発

最終日はいわき市から仙台、山形へ寄って帰る計画で、国道6号を海沿いに北上しました。福島第1原発がある地区を通過しますが、右の海岸方向へは通行が規制されていました。浪江町の辺りで小学校の遺構の存在を示す看板を見て右折して海岸へ行き、遺構を見て、それから海岸沿いに原発らしい煙突やクレーンを遠望しました。方向的にも第1原発なのでしょう。

仙台で大学生の息子と昼ごはんを食べ、それから山形市へ向かって長女に米を渡したりして、夕方山形を発って秋田へ抜けて、自宅に帰り着きました。3月1日でしたので、2月もまるまる留守にした形です。それから1週間が経っていますが、確定申告やりんどう関係の資材注文書作り、たらの芽の伏せ込みのための諸々の作業で、結構忙しいです。とはいえ、夜はゆっくりAmazonの映画を観たりできるし、事務はこたつに入ってのパソコン作業ですから、そんなに億劫なことでもありません。

こうして記事を書いたり、秋に買ってあった外付けのディスクにこれまで撮り溜めていた20年分の写真数万点を「写真アプリ」という特定の形式を外して永久保存できる形にしようと、いま書き出しの作業をしながら(時間がかかります)記事を書いています。とりあえずいまは、以前のiMacに貯蔵され、いまの新しいiMacには容量の関係で移植できず、HDDにバックアップしておいた2万5千点を500GBのSSDに書き出す作業をしています。長く保存するにはむしろHDDの方が長持ちするらしいですが、日頃アクセスして写真を取り出す作業を行うにはSSDの方がスムースでしょう。将来、30年後とかに子どもたちがMacだかWindowsだか、それとも予想もつかない媒体でも子どもの頃の写真を閲覧できるように、オリジナルの状態で編集をしない、アプリに依存しない状態で保存している最中です。まあいま現在では写真を素早く検索してコピーしたりするには写真アプリの形式の方が探しやすいですけどね。いずれiMacの内蔵ディスクには20年分の写真は収まりきらないので、外付けへの保存はやむなしですし、バックアップは絶対必要です。そしてこの外付けのディスク自体も何年かおきに新しい外付けディスクへコピーし直す必要もあるでしょう。絶対安心なクラウドがあれば、そこの方が良いかもしれませんが、その時は制作したディスクのデータをそのまま送れば良いですね。膨大な時間がかかりそうですが。。

秋に買ってあったと敢えて言いましたのは、その昨年秋よりもいま現在は外付けのHDDもSSDも2倍の価格になってるのです! 買っておいてよかったです。AI事業の需要によりレアアースの奪い合いが起きているための高騰だ、という感じのことをAIが言っております。まあ、便利だし、AIについ何でも聞いてしまいますよね。盛岡でカツ丼の盛りが良い店はどこですか? とか。。

中山間事業の総会の資料作りもあり、また伊豆のカフェさんと共同計画しているクッキー作りのための栽培種子の検索も進めています。諸々の事務作業に、まあチャットGPTが役立ってくれます。とはいえ雑多なネット情報を元にしているので不正確極まりないこともあり、にんにくについての乾燥中に起きた障害の原因を尋ねた時の回答については、青森の専門家山下さんから訂正を受けたりもしています。パソコン関係の質問の回答では、OSやアプリののバージョンが違って、画面表示と違うことを話し出して、バージョンはこうですと告げると、ああ、そのバージョンでしたらこうですね、という感じで意見を変えますが、いずれ簡単な鵜呑みは厳禁です。

けっこうかななりしんどい寒天の出張作業を終えて、また長旅を経て帰っているので、疲れは出ています。たらの芽は着手が10日以上遅れてスタートになってしまいましたが、まあ適度に休みながら、こうしてパソコン作業している時間が体の休み、になるわけです。積雪はまだ70cmくらいですが、こうして雪の解けるのを待ちたいと思います。

寒天が終わって工場を出発して旅に入ってから、2週間ですが、もうずいぶん昔のような気がします。寒天の時期は1日1日がさすがに長く感じられ、もう永久にここにいるのかという気にさえなりますが、終わってしまえば遠い過去です。よく寒天人たちにも言うのですが、山形から秋田県に入って湯沢の辺りまで来ると、11月までの地元での記憶がリアルに甦ってきて、11月の記憶と現在が繋がって、逆に長野の3か月が夢だったの? と、まぼろしになっていくのです。それこそ離れた距離、のなせるわざでしょう。

だからこそ、こっちもやはりつらい農作業の激しい現実の日々に、時々長野で走った道や場所が懐かしく思い出されることもあるし、晩秋になると、また長野に行ってもいいかな、と言う気持ちが少し出てくるのかもしれません。大学時代に4年間過ごした県でありますしね。そうでなければ続かなかったかもしれません。

 

 

 

 

 

に投稿 コメントを残す

新年も寒天作りで幕開けです

元日の天

長野県茅野市でテングサの煮込み作業を続けていまして、特段休みとかもなく新年を迎えております。まだ予定の1/3しか進んでませんが、あと1か月すれば煮込みは終わりです。深夜からの長時間に渡る作業工程ですが、無心に、無欲に、焦る気持ちも遮断し、1か月を過ごします。

 

元日の天出し風景

人数が今期は少ない中、庭の人たちも元日から頑張って天を出してくれています。通いの人は正月に家でいろいろしたいこともあるでしょうが。。建屋に泊まりの遠隔地従事者は、じっと部屋にいるよりは仕事をした方が良いとも思うでしょう。私自身これまでの数年間の中の休日(煮込みが休み)で、だいたいのところは行き尽くしましたので、油代もかかるし仕事してる方がそれだけ工程も進むということで結構なことです。

 

釜

バーナーの調子も良く早めの時間に沸騰しています。早めに煮込みが始められるのはありがたいことです。とはいえ煮込みといってもドンドンと草を放り込むわけでなく、ここで10分待つとか、ここでエアを放つ(コンプレッサーによる攪拌)とか決まりがあり、煮込み完了まで2時間ちょっとかかります。そして火を止め10数分待ってから全体のエア攪拌を念入りに行って、下に張り付いた草を上へ剥ぎ取り上げて、その日の工程は終わります。

 

煮込み終了後に夕方早めに寝て、今度は深夜11時から釜からバケットで舟の濾過装置へ煮汁と草を丸ごと移し、布のフィルター、竹の漏斗で濾して、下に溜まった液を容器(モロブタ)にポンプで移し、冷めたところで包丁で切断します。これを野外に出して(天出し)、凍結と融解をくり返して棒寒天(角寒天)が出来上がります。写真は漉した液を注入したのが冷めて固まったところを切る天切りの工程です。3:40〜5:30までかかります。

 

キース・ヘリング美術館

さて、クリスマスの頃に天気が悪くて休みとなり、夏の野良仕事の時にラジオでお勧めと聞いてチェックしていた、キース・ヘリング美術館に行って来ました。八ヶ岳山麓ですが山梨県になりますね。

 

キース・ヘリングの作品

キース・ヘリングのことは良くは知りませんでしたが、単純で敢えてわかりやすさを全面に出しながら、いろんなメッセージを描き込んだ作家のように思います。美術に長けた審美眼など全く持ち合わせておりませんが、素人目線ながら美術館に行くのは好きですね。

ここ茅野市での出張時期の部屋にいるときの時間の過ごし方(そんなに何時間もありませんが)はほとんどがスマホでの調べ物や、美術館博物館で撮影した写真を細部までじっくり眺めたりすること、あとはマップでドライブ旅行や登山の構想を練ることくらいです。通信の状態も良くないし、WiFiもなく夜に映画を楽しむこともできません。そもそもが夕方5時に就寝しますし。

 

蛇を戴く土偶

キース・ヘリングから富士見町に行き着いたので、そうだルバーブの専門産直店舗へ行ってみようと向かいましたが、閉店。ここは3回以上来た気がしますが、開いていた試しがありません。張り紙があって、月に5、6日しか営業してなくて。まるでお店としての体をなしてません。ちょうど関係者が出てきたのでどうなってるのか訊いてみましたが、経営が変わって、Googleマップとかもアクセスもできず、営業の告知ができないが仕方がないといった話。まあもう2度と来ないかなと思いました。ここだけで売っているのは確かルバーブのビールだったでしょうか。

その後、駅前の600円の日替わり定食が有名なお店で日替わり定食を食べ、それから思い立って井戸尻考古館へ行ってみました。

写真は髪がヘビになっている土偶です。

 

始祖女神像

こちらは始祖女神像という土偶。この2点をみるだけでも訪れる価値はありますが、その他にもたくさんの土器等の展示があり見応えがあります。

 

八ヶ岳昔の絵図

続いて隣にある民俗資料館も訪ねます。八ヶ岳についての古い絵図、良いですね。

 

代掻き作業機

代掻き作業機、代馬用です。なるほど原理は同じですが、輪で羽爪を括ることで強度を保持してますね。

 

除草下駄

除草下駄もありました。左側の下駄は除草機の回転器具が付いていて、滑らせることで回転、除草になり、草を沈め込む鉄板と合わせ2つの機能を持っています。なるほど。

 

籾摺り機

籾摺り機は初めて見ました。

 

元日の寒天建屋

元日の寒天建屋です。本日の作業が終わった後に。

 

軽トラin寒天工場

崖の上のハンパなスペースに軽トラを停めています。煮込みが続き発車の機会が減っています。黄色い目印棒よりもミラーがバックに下がると、崖から転落になります。祠が見守ってくださっているでしょうか。

頑張ろう、1月。

 

 

に投稿 コメントを残す

長野県茅野市、冬の寒天生活となっています

南アルプス深部

11月の最終週から、今年も冬の寒天作りの生活に転換し、家を発っておよそ1か月が経とうとしています。仕事の流れは順調とは言い難く、天候の悪さ(雨で気温が下がらない)から煮込みの中断などもあり、寒天作りとしてはまだまだ始まったばかりです。

ということで、去年は最終日に至るまで1日の休みもなく作業が続きましたが、今年はここ茅野市を拠点に車でいろいろ気分転換の旅に出かける余裕ができています。別に焦っても仕方ありません。

ちょうど天気は良かった日ですが、これは天出し直後の天がいきなり悪天に当たってはまずく、数日後の雨天高温を見越しての煮込み中断になりました。

12月19日には、甲府方面から身延町方面へ向かい、自分にはお気に入りである富士山と南アルプスの間の山間地を走るという目的を叶える旅でした(身延線の走るルートです)。南アルプスでも北部の北岳とか甲斐駒・仙丈岳などは甲府市からアプローチするため、いまいる長野県やあるいは東京からも身近な山であると言えますが、南アルプスの奥深い南部の赤石・聖・光岳は静岡の北部山間部から入るため、とても近づき難い秘境感が強くあります。ここ身延、早川といった山梨県の南アルプス直下と言える地域であっても、手前の一連の低山が控えていて、赤石や光岳に直接向かえる土地ではありません。

早川町の南アルプスへ向かう道で野鳥の森という辺りで雰囲気を感じて来ました。ここは山あいの土地で、どんな産業で暮らしてるのかなと思いました。農業ができる土地にもなかなか思えません。

その後、身延から富士五湖方面へ向かうクネクネの道を登り詰め、本栖湖に着く手前の中ノ倉峠の小さな展望所で南アルプス方面を撮影したのが上の写真です。

3年前になりますが、この正反対の長野県飯田市から旧上村へ上って下栗の里として知られる山岳地帯で光岳方面を撮影しました。その時もゆずの実がなる天龍村とか、昔バイクで浜松から天竜川沿いに山道を北上し、長野と愛知の県境付近の無人駅の大嵐駅まで至りましたが、3年前は軽トラでここまで南下した後に十分満足し茅野の住まいに戻りました。

身延や早川といった南アルプス直下の地域ではいまリニア新幹線の工事が進められているようで、新幹線の工事との札を付けたダンプが何十台も連なって延々と道路を独占していました。静かな南アルプスの山あいの村はいま工事車両一色でした。地域住民にもストレスになるかというくらいの大規模な車列でしたね。

 

西湖からの富士山

富士五湖の辺りは以前も正月の休みだった時に訪れましたが、今回も身延から本栖湖にまで上がってきましたので、天気も良いしいろいろ走って来ました。子どもたちにも写真を送りますが、やはり富士山は眼前で大きく見応えがあるので、家族サービスでもあります。私自身は南アルプスをいろいろ撮影したかったですが、富士山のようには容易に接近できなくて。。

 

白糸の滝

白糸の滝に初めて訪れました。駐車料500円がかかりましたが、それでも見る価値ありますとチャットGPTが言うので行ってみました。

 

音消しの滝

こちらは近くの音消しの滝という滝で、富士山が後方にあって、景色としては綺麗でした。

 

霧ヶ峰からの北アルプス

ところで、12月18日は夜中からの天を作る作業の後、天を切って出す仕事が午前10時頃終わり、次の煮込みがないということで、それから近所のちょっとしたドライブに出ました。2年ぶりに霧ヶ峰を訪ね、北アルプスを確認しました。見えて良かった。いつまで経ってもあの大キレットを越える山行は叶わず、もう実行する機会はないでしょう。。

 

須藤康花美術館1

少し遡りますが先月11月30日も休みだったため、久々に松本を訪ねてみました。2年前に冬に松本市の美術館で特別展を行って観覧もした画家の須藤康花の美術館を訪ねました。毎週日曜日のみの開業で、その日はちょうど日曜日だったので。

2年前の時もブログに書きましたが、その特別展の時は画家の書き記した多くの文章が選び抜かれて絵に添えられていて、企画展の準備としてはかなり大がかりな作業だったと思います。絵と、同時に苦悶する画家の心で叫んだ言葉が相俟って、私には絵の鑑賞に相乗して良かったと思います。あの時に娘に買って送った画集はいまは品切れになってここでも買えなかったようなので、貴重な書籍を手にできたと思います。

病気と闘いながら絵を描き続け、30歳の若さで亡くなった康花さん。これからもずっと心に留めて振り返って行き続けたい人です。

 

須藤康花美術館2

日曜日のみの開館で、住宅地にある住宅を改築した展示館なのでわかりにくさがあるかと思いますが、一度訪れてほしい場所です。松本城の北の方です。

 

滝の湯

前後しますが、霧ヶ峰に行った時の帰りに、蓼科グランドホテル滝の湯へ行って来ました。以前も蓼科方面を走った時に寄ってもみましたが、休業中だったりして、最近になってリニューアルオープンとなったようでした。

遥か昔に信州大学の1年生の夏休みに、当時大阪の大学に通っていた幼なじみの健嗣君と一緒に住み込みで1か月ちょっと過ごしました。ルーム係という部署でしたが、内容は忘れました。覚えているのは、全国からリゾート地バイトということで学生たちが集まっていて、夜など大部屋に集まって、ワイワイ喋って過ごした時間ですね。なんか青春という感じで。

当時の常駐した場所まではさすがに立ち入りませんが、入ってすぐの売店で「滝の湯」の入った手拭いを記念に買って来ました。とにかく、懐かしい。

 

イイダヤ軒

こちら、松本駅前の立ち食い蕎麦屋のイイダヤ軒も懐かしいお店です。大学合格が決まって家族でアパート探しに広島から行ってここのホテルに泊まって、そしてそばを食べました。滝の湯と同じ45年ぶりですかね。朝食として開店の8時ちょうどに。ちなみに、道路挟んで向かいに駐車スペースがありますので停めてください。ただ松本駅の駐車場も何十分かまでは無料だったような。

この後は安曇野市に向かい、安曇野山岳美術館を訪ねました。常設コーナーには、懐かしく読んだ「黒部の山賊」の表紙を飾っていた畦地梅太郎の独特の絵が目を惹きます。そして企画展として、安曇野へ移住した女性が自ら栽培した稲や麦(ライ麦)の藁を使って作ったヒンメリが展示してあり興味深く見てきました。写真撮影不可ということで掲載はできませんが、DNAの二重螺旋を描いたような作品は興味深かったです。こういう吊り下げて飾る藁作品はヒンメリと言って、元は北欧のものでしたかね、本も買ったりしましたが、素材はあってもそのまま何も発展しないままで。。

2つの美術展巡りの休日になりました。

 

山賊焼き定食

松本ではランチに山賊焼きを食べねば、ということで事前に寒天仲間から仕入れた情報を元に、上高地方面へ向かう道にある松花というお店に入りました。なんと山賊焼きの量の多さ! 私は食べ切りますが、男性でも最近の人は残してしまうかもです。

 

山賊焼きラーメン

そして、山賊焼きをテーマにしたこの冬、ラーメンにも山賊焼きが。。地元の人気店テンホウ米沢店にて。霧ヶ峰へ向かう前の昼食にいただき、ちょうど餃子が半額の日だったので、今夜の部屋での飲み会用に3個仕入れました。テンホウは米沢店だと地元の寒天仲間からしっかり叩き込まれています。

 

麺とび六方

茅野市ではこちら「麺とび六方」という店も人気のようですが、工房から最も近くて気になっていたものの、これまで8年間行けずにいました。ジロー系というんでしょうか、いろいろしきたりがあって素人には敷居が高いですが、今回は連れがおり、何度目かだそうで、安心して入店しました(大丈夫です。安心して入れる店で、決して怒られたりしません)。初めての方はこちらで、の醤油ラーメンの麺が並、にんにくと野菜を大盛りでお願いしました。こちらも食の細い男には無理かもです。農家は一日4合の玄米を食べ、ですから、食の細い人は農家にはなれんでしょう。

 

ケンちゃんラーメン

こちらは岩手から長野へ向かう日に途中の山形市で娘と入ったケンちゃんラーメンです。

すごかったです。並び始めて食べ始めるまで何と2時間の行列です! 遠く関東ナンバーの車もあり、待った待ったです。10年くらい前に下の小学生の子ども2人と山形市のプールのジャバに行く前に入ったことがありましたが、ここまでではなかったです。専用の駐車場も当時はありません。長女は今回初めてでした。

ちょうど長女のメールをスマホでimap設定に変更し、これまでの送信メールを消失させず、復活させて、他のMacBookやiPadで送信メールも全て手元に置けるように苦戦してました。行列の間に完了できましたが。。

以上、観光や食べ物の話題に終始しましたが、こうした時間も無駄ではなく、エネルギー蓄積になっているはずですね。長野の寒天作りが即岩手の農業に直結はしませんが、何かしらの充電期間になってますし、こちらの仲間との付き合いも良い情報交換の機会です。

次回は寒天作りのことも紹介します。

に投稿 2件のコメント

奥羽の秋を満喫(熊バトルも)

三ツ石山頂遠望

稲の脱穀が終わり、稲作の外作業が完了しホッとしています。10月は大変雨が多く、最終の亀の尾の脱穀は先週の本当に数少ない貴重な晴天を狙っての実行になりました。冬晴れするような地方でしたらいつまでも干して乾燥を続けることができるんですが、ここは日本海側気候の多雪地帯でそうはいきません。実際その日以降に冬型の気圧配置が続き連日の雨模様になっていて、現在までハセに残せば余計に厳しい状況になったと思います。多少水分が高めでしたので、送風機を使って補助的に水分を下げています。これは大事な工程で、来年の秋まで品質を保つために重要です。その後、色彩選別をお願いしていて、その農家の作業が終わる11月上旬に作業が行える予定です。現在も玄米白米共に出荷はできるまでになっていますが、できれば色選にかけたお米の出荷がお勧めになります。

カメムシは近年増加傾向で、殺虫剤を使用しない農家には悩ましい現実です。解決するには色選を導入するしかありません。農協等の大型施設で少量多品種の色選受け入れは断られることがほとんどで、有機農家でも高額な設備ですが小型の色選機の導入が増えています。

さて9月・10月は大変な繁忙期で作業は隙間がなくみっちり続くのですが、どうしても紅葉登山がやりたくて、まだ稲刈りも始まったばかりの時期でしたが、9月30日に三ツ石山に登って来ました。あまりにも紅葉で有名な山ですが、時期が早いんですよね。もう2週間でも遅れてくれればもう少し楽なんですが、午前中で下山できるという行程ですので、行って来ました。多くの客で駐車場が満杯になるため、平日に限られます。雫石観光協会の情報とかを参考にし、天気との兼ね合いで、多分ベストの日に行けたのではないかと思います。写真は山頂手前の岩の小山から山頂を撮りました。楽園ですね。。素晴らしかったです。

 

三ツ石から岩手山

そして山頂から真東に位置する岩手山です。いま現在は岩手山も中腹付近まで雪化粧をしています。

 

三ツ石山頂

これが山頂の標識になりますかね。平日ですが、さすがの名勝地、人は多かったです。

 

三ツ石のりんどう

りんどうが咲いています。エゾ系ですね。山にりんどうはよく咲いていますが、どれも背が低く、1段とか1.5段の花ですね。いまわれわれが栽培している花が5段以上になるようなりんどうは野生では存在しないということですね。

 

三ツ石登山ゲート

三ツ石山登山口のゲートです。この手前に駐車場がありますが、私が到着した午前6時台の時間帯では既にゲートに一番近いスペースは満車で、3分くらい歩いた次の駐車場に停めました。このゲートからはしばらくは舗装路を歩き、そこから山道になり、全体で登り2時間、下り1時間半という感じでしょうか。初心者でも楽勝コースですので、人気もあります。確かに山頂の眺めは素晴らしいの一言でした。

 

栗駒山遠望

一度山に行くと、すぐにもう一度次の山に行きたくなります。三ツ石と並んで岩手で紅葉の山といえば栗駒です。ここも午前中で完了できる行程の山なので、せっかく岩手にいますし、登って来ました。10月10日でした。去年は割と近くの焼石岳に登りましたが、ここは一応日帰りコースで、昼食持参(といってもコンビニしか開いていないですが)での山行になります。途中から見上げた栗駒山です。三ツ石以上に混んでいました。

 

栗駒山頂より

頂上からの南斜面の眺め。きれいではありますが、2日遅かったかな。

 

栗駒山中腹

山腹の辺りはベストの見頃で、本当にこうした景色を見ながらの歩きは楽しいです。

 

真昼岳奥羽の山並み

さて、一方、こちらは地元沢内の真昼岳登山の様子です。これは9月1日に行きました。こういう地元の山は登山客もいないし、熊とか何かあった時のことを考えると、特に初めての山は一人で行くのは勇気が入ります。私はまだ未経験でしたが、秋田の知人が、「自分の先祖は岩手奥州の地からこの辺りを辿って秋田に移動し角館に行き着いて定住したらしく、その行程の景観を山から遠望してみたい」という気持ちを持っていて、じゃ行こうということになって、この機会に4人で登って来ました。半日ではちょっと無理で弁当持参しての山行です。山頂から見た奥羽のど真ん中の山々。。これに何か神々しい故郷感のような憧れの感覚を持って、30年近く前になりますが、沢内へ移住して来ました。

家からの真昼岳この前の冬の出張帰りにドライブした紀伊半島の山々、南方熊楠が闊歩した南紀の山々も同じようなイメージがありましたね。

山に住むわけでなく、山里に暮らすのですが、このような山々を有した山麓で暮らすことに喜びを何となくですが感じております。家からも真昼だけのてっぺんが見えます。300m下ると、もう見えません。

 

真昼岳山頂

真昼岳の山頂です。

 

真昼岳山頂神社

山頂には小屋があって、神社になっていました。ここでお昼を食べました。いろいろ現地に来て考えてみると、どうもここは秋田の人の地元の山だったのでは、と畑と思いました。この神社も秋田の方の地元町で建てたようです(大仙市でしたか。花火大会で有名な大曲がりの辺りです)。岩手の沢内には真昼温泉という温泉もあるし、家からもてっぺんだけが見えますが、ただ、どちらかといえば秋田側に開けた地形のようだし、秋田側からの方が楽に登れるようでした。ここに秋田の人に大回りして来てもらったのは、考えてみれば申し訳なかった気もします。

 

飛竜の滝

登り始めてすぐの飛竜の滝です。筋が綺麗でした。誰一人出会うことのないひっそりした山旅。。三ツ石や、特に栗駒は大渋滞でした。登りと下りの客のすれ違いが大変です。まあ超有名な紅葉の山に、一度来てみて良かったとは思います。ここ地元の真昼岳付近も紅葉は綺麗でしょう。静かな紅葉狩りが楽しめることは予想できますが、紅葉の時期は実りの時期で、熊たちの活動も、この9月1日の時よりも激しく活発になっていることでしょう。いまはもう紅葉もこちら里の方に降りて来ていますので真昼岳ももう冬景色になりかけているでしょう。山は一人でと決めており、こうして4人で話をしながら歩くなんてもうないかもしれません。貴重な山行でした。

一人で山に行くのがなぜ良いかは簡単な理由でです。紅葉など見頃がタイトな時期で、しかも天気との兼ね合いがあり、さらには混雑する駐車場を回避する意味で、農家である自分は平日にさっと行けることが最大にメリットですから。

 

兎平2012年10月15日

2012年10月15日に同じ出発点から、真昼岳まで行かず途中の兎平まで、家族で登りました。小学校が土日何かの行事で、翌月曜日が代休になり、平日の登山でした。もちろん人がいるわけもないし、兎平の山頂でラーメンを食べようとカセットガスコンロで湯を沸かしていた時に、バッタリ熊が現れて驚きました。秋田側からやって来ましたね。すぐに体を反転し逃げ去りましたが5〜6m先という感じだったでしょうかね。いまは秋田や岩手では死亡事故も起きています。この2012年の頃は熊もまだそれほど多くもなくて凶暴化した個体もいなかったのでしょう。ザックに3歳の子を入れて歩きました。背景の紅葉が綺麗です。奥に見えるのは真昼岳?でしょうか。

 

西和賀自然素材製品1

前にも紹介したことがある町内の茅葺き屋根の古民家「ツキザワの家」で西和賀の自然素材を使った雑貨の展示会があって、見に行ってきました。もともとあけび蔓の篭などを地元のお婆さんたちが作っていて(沢内の若畑地区)、そのあけびやくるみ皮、山ぶどう蔓を使った製品は当園のHPでも紹介し、受注もしていました。しかしその後、冬場にストーブで暖を取りながらの編み作業は農閑期でもあり続けられたものの、夏場に山に入り素材を収集する作業をする人がなかなか不足していまして、結局素材が足りないということで、やめてしまったわけではないけれど、HPとかで販売することは終了していました。

ところが、最近、写真家でさまざまな自然や文化に根ざした活動を行っている瀬川強さんが、沢内の貝沢地区に植物素材の豊富な区域の管理を取得されて、この場所を中心にいろんな加工品に活かせる植物資源を収集しようという活動を立ち上げました(西和賀自然素材研究会:NSK)。こうして雑貨に似合った素材を集めながら、以前からの篭はもちろんですが、いろんな製品を作る人も集まって、こうして展示会が行われたというものです。

 

西和賀自然素材製品2

木の皮を使ってコースターなどの手作り品ですね。

 

西和賀自然素材製品3

いろんな種類の雑貨が展示されていました。すべてを逐一撮影したわけではありませんが、その創作活動は刺激的で、いつか自分にも、とも思いますが、こういうセンスはなかなかなくて、婦人グループ活動が主体になると思います。私は農産物という素材の提供者という立場でしょうね。。

 

稲被害概要

さて、このほど稲扱きも終わって稲作も一段落ですが、ハセに掛けた稲をめぐっての熊ファミリーとの戦いは本当に激しかったです。毎日、20束落とされているという感じで、束の籾はすっからかんになっているわけではないので、元に戻します。稲を上手に口で扱いて籾をきれいに食べるということはできないんでしょう。もちろんあちこちにちに見られる糞には籾が大半を占めていて、食べてはいるんですが、籾はかなり残っていて、とはいえ、束でなくバラされた穂を1つ1つ集めて脱穀するということまでは手間上できませんで、減収にはなりました。途中ひとめぼれやササシグレなどは先に脱穀しましたので、その後は残った亀の尾がターゲットになるのは当然ですが、全部の稲がハセに掛かっていた時も、なぜか亀の尾が集中的に狙われた気がします。掛けていた位置がちょうど気に入った食事場所だったのかもしれませんが、いずれ亀の尾が好きだったようです。

 

稲被害詳細

栗駒へ登った日、日中当園の園地内の農道を親子3頭が歩いていたそうで、ちょっと驚きました。いままで昼間に農道や圃場内で見かけたことはなく、必ず私が寝静まるのを待って深夜に活動していると思っていましたし、それは間違いありません。ちょうど私がいない日に昼間に現れたということは? 「お母さん、今日は軽トラがないね。山にでも行ったんじゃないの。大丈夫だよ、庭の栗の実を食べに行こうよ」という話になったのかもしれません。実際死亡事故も起きていて笑い話やほのぼのした物語ではありえませんが、毎日稲は食べられていて、それもあって、先日の亀の尾までの脱穀の決行としました。稲扱きが遅くなればなるほど稲は減っていくし、逆に、経験上、遅くまで掛けたから15%まで下がりましたというものでもないのです。ハーベスタの脱穀作業も糞を踏み踏みの作業です。。

稲や栗はある程度仕方ないですが、こうして熊一家を多少は養っているんですからね。人身危害だけは遠慮して欲しいです。そうしてしまったら稲も来年はないし、人間側から報復がありますから。

 

親子の糞の違い

糞だらけの農道を歩いています。食べ物が少なくて空腹でもちゃんと出るんですね。左は子熊、右は母熊の糞です(10月21日)。子熊のは籾殻でできていますが、母熊の方は緑が混じっています。脱穀したわらを回収に来てくれた酪農家の人が、熊は食べるものがなくて牧草を食べている、と言っていました。そうか、それで緑色なんですね。子どもには稲をお食べ、と言い自分は多少食べもするが足りなくて草も食べているんでしょう。昼間は園地に出て来ないので別の場所で草を。熊が増えすぎたこともあるのでしょうが、かわいそうな話です。もっとも籾には脂肪がなく、どんぐりなどの木の実に脂肪は多いので、いくら米を食べても当面の空腹をしのぐだけなんですが。。

 

にんじんも被害に

にんじんも掘って食べていますが、あまり好きじゃなかったでしょうか。悪さしただけでした。サツマイモがまだ未収穫ですが、土の中なので気づかないですね。とにかく冬眠前のいまの熊には必死です。が、里にはもう稲もなく、食べるものもなくなって雪の時期を迎えます。

こうしてブログを書いている今日は10月29日ですが、熊に関して悲しい出来事がありました。アスファルトの車が行き交う道路の端に、子熊の手(足?)が切断されて落ちていたのです。手のひらを見れば小さくて明らかに子熊です。こちらに撮影した写真も掲載いたしますので関心ある方はご覧ください。雪国文化研究所の職員さんが見に来てくれて、いろいろ見聞した結果、オスの熊による共食いだろうということに落ち着きました。車で轢かれたという感じでもありません。残りの体もありません。親子3匹で歩いたうちの子熊の1匹なのかと思うと、ちょっとかわいそうでなりません。初夏の繁殖期にオスが子熊を殺すという話は聞いたことがありますが、いまの時期、これは明らかに冬眠前に空腹が限界になっての行為と思います。オスで体も大きく、メスよりも摂取量も多いのでしょう。もちろん母熊がこんなことをすることはありえません。他の動物で子熊を食べ切るなどもありえないです。タラノキ園のすぐ側の公道での昨日から今朝にかけての出来事でした。ネコ科のライオンなどは獲物をまず仕留めて、絶命させてから食べるそうですが、熊はそういうことができず、生きたまま食べ始めるらしいので、その苦痛は計り知れません。先日の北上市管内での2名の犠牲者は明らかに食用として人を狙ったみたいで、お悔やみを申し上げます。オス熊の登場でこうした事態になってくると一段階危険度が進みます。気をつけて作業もしたいし、飼い犬のセブも暗くなるまでに早めに家に入れてやるべきと思いました。

追記: 翌日10月30日に、ちょっとした地区の集まりがあり、犠牲になった子熊の話をしましたが、そこで、ある人が「子熊に手をかけたのは母熊かもしれない」と言い、意表をつかれました。子熊は2頭いましたが、限界の食糧不足で、季節も進みさらに食べれる物もなくなった。このままでは3頭とも冬を越せない。そこで2頭の子熊のうち弱っている方を犠牲にして食べることで、もう1頭の子熊と自分の2頭が生きながらえるべきではないか。母熊がそのような究極の決断をしたのではないか、という考えでした。折しも、最後の稲の脱穀をした直後でもあります。いよいよ食べ物がなくなった絶望感がそうさせたのかと思うと、もう少し稲を掛けていた方が良かったかなとも悔やまれもします。こんな事態は想像すらできませんでした。そして、その翌日から、強い霜も降りて氷点下の朝となり、昨日今日は熊の気配はなくなりました。よくテレビで見ます岩手大学の熊の先生も、都市部でなく確か山村部の場合でしょうか、食料がない時は逆に早く冬眠してしまえということも起きうる、と言っていました。10月29日の未明でしょうか。お腹に肉を入れて、里から去り、2頭で冬籠りに入ったかもしれません。

とはいえ、これも人間の想像です。手をかけたのがオスなのか、メスなのかはわかりませんが、飢饉の時のこういうバランスの取り方を野生は行って来続けたのでしょうね。

子熊の手は保管されています。よく熊の手は飾り物で見ますが、子熊の小さい手を見ることはあまりないと思うので、貴重な教育資料になるかもと思います。

に投稿 コメントを残す

カーナビは心の友、地図更新に苦戦

白山を遠方にドライブ中
長野への2か月出張の行き帰りの軽トラ旅は自分にとって特別なリフレッシュと気持ちの切り替えの期間になっています。秋に農業が終わったという節目と、冬の寒天作業が終わったという節目ですね(もちろん後者の方が解放感が絶大ですが)。先月の長野県茅野市からの帰り道は紀伊半島を1周し、大阪から北陸へ抜けて、山形仙台経由で帰宅する長旅となりました。ブログでも書きましたが伊勢神宮とか南方熊楠記念館への訪問、岡本太郎設計の太陽の塔の見学など、だけでなく走行した旅の全体が心に刻まれています。そして、その時のドライブの走行は、帰宅後にGoogleマップで辿り直してみると、正確には出ませんのでそれ以上の走行キロ数になりますがおよそ1,800kmになりました。写真は福井県の越前市付近で正面に見える雪山が多分白山であろうと思って車内から撮影しました。

その旅を支えてくれたのはカーナビになります。カーナビを友に、旅が成り立っているようなものです。昔オフロードバイクで旅をした時はもちろん地図だけが頼りで、「ツーリングマップル」をバイクの風防手前のスペースに挟んで、東京からおよそ東日本のほとんどは走行したと思います。

ナビに頼るようになったいまは地図はもっぱら部屋にいる時の画面での表示になりました。地図そのものは好きでして、GoogleマップはいまでもPCで最も多く使用するアプリだし、山のコース地図、国土地理院の地図も併用して楽しんでいます。山も登山口まで車で向かうため、Googleと地形図は両方不可欠ですね。

そんな現在のカーナビは2台目で、初代は5年で故障してしまいました。ポータブル式でダッシュボードに吸盤で粘着させるタイプですが、よく剥がれてごつんとぶつけていましたので、それが原因かと思います。GPSも受信しない時が多くあったりして、同じ後継機種の「ゴリラ」5インチを2022年2月に購入し、現在に至っています。ちょうど3年ですが粘着は良くて衝撃も加えていないので、まだまだ使い続けたいと思います。

 

SDカードへの書き込み

購入してからまる3年経ちますと、やはりカーナビの地図が古くなってきます。有料の地図更新があるというのは知っていましたが、結構高価で、機械が壊れるまで地図は我慢して使い切って買い換えるしかないかなと思っていましたが、検索してみると、いま現在5インチのカーナビそのものがどうやら製造が終わっているようなんですね(国産の製品としては)。考えてみればスマホをダッシュボードに設置すれば済むことで、わざわざカーナビに代金を払って使うのは需要が減って来たという傾向なのだと思います。しかも本体だけでなく地図そのものの維持更新にもお金がかかるわけです。馬鹿らしいことかもしれません。

現在は新製品がなくて、自分のと同じ3年前のモデルが倍近い値段で中古品でしょうか、Amazonとかにも載っています。そういうことであるならば、いずれはスマホに取って代わられるのかもしれないが、ここは最後の贅沢、奮発して地図更新をし、もう3年はいまのゴリラに頑張ってもらおうという決断をしました。この5インチのカーナビと共に長距離の旅を続けてきましたし、やはり見やすい、めんこいやつなのです。ギガやバッテリーの減りの心配もありません。この最後の贅沢に出費を許してくださいの気持ちです。スマホのGoogleマップで住所や電話番号を調べてからカーナビに入力するのは面倒ではありますが、まあそれも旅へ出る楽しみの儀式で、セルを回した後の暖機運転です。

ところが、その地図更新の手続きがこんなに大変な作業であったとは!

まずSDカードを買ってこなくてはなりませんが、そもそもダウンロードするためのPCがウィンドウズで、10以上でなければだめですと。スマホもダメ、Macには対応しておりません、と冷ややかな説明文章が目に飛び込みます。でもどうしても更新がしたかったので、近所の家に行ってみると、ウィンドウズ7だそうでがっかり、結果、20分くらいの事務所の知人にお邪魔することにしました。どうせコメリまで行ってSDカードを買ってこなければならず、簡単に近所ではすみません。最初16GB以上という記述を見て16GBを買いましたが、容量が足りず、32GBを買いに再びコメリへ走りました。要注意ですね。16GB以上、ですから32ないと入りませんね、確かに。実際使用可能領域は16や32よりは少ないですし。

いったんナビにSDカードを入れて更新するための機種情報を書き込んでから地図提供元である「ゼンリン」のサイトよりウィンドウズ専用の地図更新のためのアプリを使って、まずは購入代金11,880円を決済し、地図データをダウンロードします。サイトからまずPCへのダウンロードですが、これで80分はかかりました。途中オセンで買い物したりしましたが余裕で終わっていません。そしてやっとダウンロードが終わり、次のSDカードへの書き込みの段階に入ったところで、エラー表示が出て、書き込みができない、SDカードが壊れているなどのメッセージが出て、あっけなく終了。作業進行の説明をスマホで並行して読みながら、購入手続きとかダウンロード時間以外にも時間をかけてここまで来たのに、できませんでした?

翌日パナソニックの技術相談の窓口に電話で問い合わせました。技術系の人らしい口調で、丁寧に説明してくれましたが、結局その通りSDカードか、SDカードリーダー(USB端子に接続できるアダプター)の不具合だろうとの説明でした。USBを介してのアダプターでなく直接SDカードのスロットがあるPCでなければだめなのかと訊いたところ、スロット搭載機のPCでも同じエラーはありうるのでアダプターがダメとは限らない、との言葉に安堵を覚えました。あまりSDスロット搭載機は見ないので。。

昨日、お米を配達したり、注文していたトレッキングシューズを受け取りに行く用事もあり、盛岡のインターネットカフェに行ってみました。事前に電話で確認したところ、SDカードのアダプターもあるので自由に使って良いとのことで、再チャレンジの気持ちが沸き起こりました。

時間はそれなりにかかりましたが、ソフトクリームを久しぶりに2回食べ、ココアやエスプレッソも飲んだりして、時間は過ぎました。思えば、長野の寒天出張の初回の時はまだスマホを持っておらず、溜まり込んでいるであろうメールの確認に茅野市のネットカフェに行ったことがあり、その時の店にもソフトがあり食べました。車にナビは付いていたので、電話帳でカフェの電話番号を調べ、初代ナビに入力して慣れない茅野市のネットカフェに辿り着けました。ありがとう、心の友です。

前回、SDへの書き込みの段階で失敗したので、もし本当にSDカードが壊れていたらすぐ買いに走らなくては、コンビニでも売っているのだろうか、とか考えているうちに、PCへのダウンロードが終わり、ついにSDカードへの書き込み段階に移行して、作業は途切れずに続いています。もしかして一歩進んだ? SDカードは壊れていなかった? このまま進んでくれとの緊迫の時が過ぎていきます。

そして、ついにゴールです。あまりに嬉しくて、写真を撮りました。

 

 

カーナビ本体への書き込み

ネットカフェでは利用料が1,000円弱かかりました。でもソフトや飲み物を飲食した代金と思えば済むことですね。ソフトクリームもいま高いですから。良い経験です。その後は車に戻りSDカードをを挿入してナビ本体の地図データ書き換えの作業です。ところがこれもまた時間がかかります。登山靴の受け取りに石井スポーツのあるMOSSビルに向かって進行しながら、作業は続いていて、石井スポーツでゆっくりいろんな商品を見て時間も使い、靴を購入して車に戻ると、まだ続いています。駐車場でエンジンは止めてもキーはオンにしたままバッテリーを減らしての作業です。昨秋にバッテリーをより大きいタイプに新調していてよかったです。

ジュンク堂へ行って農業書など眺めて戻ってみたら、終了していました。

サイトからPCへのダウンロードで80分、PCからSDへの書き込みで40分、SDからナビへの更新で80分、という感じでしょうか。予習で頭に叩き込んでわかっている場合の時間でこれですから、説明を読みながらしどろもどろでやっていれば、それがおととい地元で失敗した時の私ですが、とてつもない時間を要します。結局トータルで1日仕事でした。黙ってスマホでナビをすればタダで努力も要らなかったんですがね。

 

前潟駅が地図に

盛岡からの帰り道、ナビに「前潟駅」が写っています。このカーナビを買った2022年にはまだこの駅はなかったことをウィキペディアの情報で確認して(前潟駅は2023年3月の開業)、最新状態への地図更新が無事完了したことが証明されました。震災があった2011年から7冬、盛岡の農業改良普及センターに土壌分析の仕事で通った時代にはこの駅はなくて、私が車を停めて電車に乗っていた1個手前の大釜駅の次が終点盛岡でした。盛岡の内丸(通勤していた普及センターのある場所)から盛岡駅までの徒歩区間にはホームセンターがなくて、帰宅時にホームセンターにどうしても寄らなくてはいけなかった時は、大釜で下車した後に、家と逆方向の盛岡寄りのこの前潟まで車で戻って、サンデーで買い物をして帰宅したものでした。いまもし同じ通勤をするとしたら、家から直接前潟駅に車で行ってから電車に乗ったことでしょう(無料駐車場はあるんでしょうか)。そして職場まで盛岡駅から徒歩で30分近くかかるので、運動には良いし、冬だからできたことですね。そして帰宅もまた遅くなり、それからたらの芽の作業をしたりしていたので、結構忙しかったです。いまは、寒天出張時はかなりハードな拘束の作業でしたが、終わってからのドライブと、帰宅後の確定申告などの事務作業、次いでたらの芽作業の専念で雪解けを待つ暮らしになっています。こういう農閑期時期だからこそ、カーナビ地図更新という作業もできたのでした。

いよいよ今日からたらの芽の収穫出荷が始まりました。カビや腐れなどにやられることなく多くの出荷をすべく努力します。

に投稿 コメントを残す

太陽の塔を見学し豪雪の岩手に帰りました

太陽の塔真下から

長かった長野での寒天製造の仕事も、いつかは終わります。終わってしまえばあっという間に1週間、飛ぶように過ぎ去りますが、今回の帰宅時は気になっていた岡本太郎の太陽の塔を見ることと、これまで訪れたことのない紀伊半島を一周し、南方熊楠記念館へ行くこと、が目標のドライブ旅行となり、寒天工房のあった茅野から伊那谷へ入って飯田経由で名古屋入りし、ぐるっと半島を回って大阪から北陸、新潟から東北入りし、仙台経由で岩手へと戻る旅程となりました。そして現在は豪雪の沢内で過ごしています。体を休めながら、いろんな資材の注文や決算・確定申告の作業、ハウスのパイプが曲がらないようアーチ部分を超えた雪の除雪、そしてこれから始まるたらの芽栽培のための準備をしております。

寒天作業の終盤から居座った寒波で気温の低い状態が続いていますね。ちょうど北陸付近を通過するときは寒波の谷間のタイミングで走行はとても快適でしたが、いま再び雪が続く状態で、とにかくハウスのパイプを守ることが先決です。除雪機もありますが、格納する作業舎のシャッターが雪で完全に封じられており、少し気候が緩んでからの除雪機作業になりそうです。4月10日までにハウス近辺が完全に消雪し、ビニールが掛けられるようになればと思いますが、今年の雪は手強そうです。田畑から雪が消える時期も4月末の連休の頃になる予感もします。

さて太陽の塔、何がどうとが言い表せないけどスゴイ。このようにも感嘆されたりしますが、秋頃に講談師神田伯山のラジオで伯山氏が太陽の塔を観覧した時の印象を熱く語っていて、これは寒天終了時に足を伸ばして実物をリアルに体験して来なければ、と思っていました。2か月半に及んだ出張中、じっと旅立ちの時を待ち続けていた軽トラックはついにその時を迎え、始動し、下道ですが、飯田市からさらに南下して愛知県入りを目指し旅が始まりました。

途中、伊那谷へ入る手前の高遠(桜で有名)に、同じ寒天(てんやと言ったりします)に通っていた農家の橘内(キツナイ)さんを訪ねました。写真は撮りませんでしたが、畑と作業場や住宅を見せていただきました。福島県出身で、震災後に地元での営農を断念し知人の紹介を経て長野へと移住し、ここ伊那市高遠の山深い里で有機野菜を生産販売しています。農政や社会情勢にも明るい聡明な人ですが、新規就農者として私にもよくわかります苦労を積み重ねて現在に至っています。まだ40代前半、小さいお子さんもおられ、まさにこれからの人ですね。雪がないというメリットがありますし、来年は冬期も寒天従事でなく営農を続け、完全な専業になられるかもと思い、今年の機会に訪れておけて良かったと思いました。

とはいえ、寒天から西回りで帰宅旅をする場合、権兵衛トンネルで木曽から岐阜に抜けるような時もここは必ず通行しますので、私が続ける限りいつでも立ち寄ることは簡単ですが。。私と同じく時期にはポケットマルシェにも出品しているので、見かけたらいろいろ閲覧してみてください。

 

小川清風寮

長男が誕生した時ですので20年近く前ですが、近くの農業改良普及センターで冬期にやっていた田畑の土壌分析の業務が終了となり、近場で仕事も見つからず、4か月ほどトヨタで働いてきたことがありました。1冬だけで、その後は大型免許を取って町の除雪オペレータもやりましたが、その懐かしくもあるトヨタの小川清風寮を訪れてみました。ここで個室を与えられ、近くの元町工場へバスで向かいました。村の中でも、俺もトヨタにいたことあると言う人と会ったりします。

 

フィール

最初の頃は首にぶら下げた写真証で食堂の食事をし給料から引かれていましたが、3食となるとこれが結構な額になり、途中で食堂利用はやめまして家から米を送ってもらって自炊に切り替えました。昼ごはんだけは工場の食堂を使ったと思いますが。その時に週末に通ったスーパーも健在でした。

 

伊勢神宮外宮

初日はこの後名古屋経由で亀山市にあるホテルに宿泊し、翌日は紀伊半島に向かいました。数日前から急遽、伊勢神宮に行ってみようと思い立って、検索で調べ、まずは外宮(げくう)からということでその正宮を参拝しました。中はよく見えないんですが、どこも杉の丸太がどんと屋根に乗っていましたね。

 

伊勢神宮内宮

こちらは場所を変えて伊勢神宮内宮の正宮です。石段に踏み入れた後は写真撮影禁止ということでしたが、わからずに撮影している人が警備員に注意されていました。写真の消去まで求められはしなかったかと思いますが。。地元の両沢公民館のそばに昔の石碑など残っていますが、稲刈りが終わった後に何か月もかけて昔はお伊勢参りをしたようです。一生に一度、生きて戻って来れるか、という不安もあったゆえでしょうか、こうして石に刻んだりしたんでしょう。いまは思い立ってすぐ車で行けますが、それもこれも長野県で働いたという地理的な環境によるもので、いま岩手から車で伊勢参拝に行こうとはなりませんよね。

横山展望台からの賢島英虞湾

伊勢から南下し、鳥羽の辺りで真珠を土産に購入し(鳥羽パールタウンという建物内に入る専門店)、店でも勧められた賢島(かしこじま)を目指すことにしました。賢島はホテルのほか真珠の工房や販売店があったりという感じで、海辺まで降りて歩いたりしてみましたが、特に観光で立ち寄る施設というのはありませんでした。訪れるみなさんは宿泊客でしょう。その後、賢島を去ってから、偶然ですが気になる場所を見つけ、それは「横山展望台」というスポットでした。ここまではさすがに調べもできずに、ドライブを進める中でたまたま看板で見かけて、時間も押してはいましたが、行ってみようと思い寄り道をしました。

行って良かった、素晴らしい光景です。岩手三陸のリアス式海岸とも違う何とも穏やかな光景。毛細血管のように海が入り込んでいます。これはぜひ、伊勢志摩に来られた方は立ち寄って欲しいビュースポットですね。伊勢神宮の頃にはどんよりし強風が吹いていましたが、午後からは好天となり、気温は低めではありましたが、良い眺望に恵まれました。大きい写真もこちらに掲載しておきます。

そこから。。。その日の予約は南紀白浜の温泉宿だったんですが、夕方が近づく時間帯でまだこれから250kmあります。しかもグネグネ道で。。前日もでしたが遅めのスーパーに寄って値引きされた惣菜を買い、遅い時間に晩酌をするという形の旅行になり、一人旅ですし居酒屋に寄ったりはしませんね。また結局時間が遅くなってしまうので、夕食をどこかの店で食べるということもなく、急いでまずはスーパー、そしてホテルへという流れになります。でも伊勢から白浜へ向かう海辺の景色は入江がとても綺麗で楽しめました。途中からは内陸部になり、暗い夜道を走り続けます。

2日目の夜は温泉大浴場のあるホテルで部屋にはバストイレなしのタイプの5千円クラスのホテルでした。今回はすべて朝食付きでしたので、ビュッフェ形式で量もついつい食べてしまいがちで、お昼は逆にドライブの友の飲み物とおやつで済ませながら車をひたすら走らせるというスタイルになっておりました。

 

南紀白浜の海岸

翌朝の白浜の海岸です。紀伊半島の南西部のかなり深い場所ですね。岩手沢内から車で来た地点としては最も遠い地点といえます。砂浜もまさに白くて綺麗です。この景色から左へ向きを変えると、リゾートホテルが立ち並んでいます。関西エリアでは人気の観光地ではないかと思います。

 

南方熊楠記念館

この地域での目的は南方熊楠記念館です。岬の先端にあたる部分に建っていて、観光と兼ねるにも良いロケーションです。熊楠を知る人は寒天の仕事人の中にも結構いて、昭和天皇に粘菌を菓子の箱に入れて送ったとか、ロンドンの大英博物館を出禁になったりとか、知っている人もいましたね。われわれ人文思想系をやった者としては、粘菌学者という狭い範疇の人でなく、森羅万象に渡る現象物の観察の積み重ねから得られた壮大な世界観を提示しようとした知の巨人、というイメージになります。昔、中沢新一氏の『森のバロック』を読んだこともありましたが、8年くらい前になりますか、子どもたちと山形市の博物館へ「熊楠と粘菌の世界展」をお盆頃に見に行った時の印象も強く残っていました。例の菓子箱も山形に展示されていましたし、粘菌についてかなり詳しく紹介した動画も放送されていました。学芸員の方がとても親切に詳しくそばにいて解説してくれたこともよく覚えています(あまり他にお客さんもいなかったので)。

 

熊楠記念館の屋上テラスより

その熊楠記念館の屋上テラスからの眺めは素晴らしいものでした。ぐるっと周囲が見渡せます。位置的には四国の南部、高知とかと同じくらい南です。太平洋に面しているという点では関東も同じかもしれませんが、やはり遠くに来て南に張り出した土地で太平洋を見ている感慨はありましたね。

 

京大水族館

すぐそばに京都大学の水族館を見つけ、入館しました。熊楠館と両方入ると記念品がもらえるということで、箱の中から磁石で吊り上げた景品は、若き熊楠と南方マンダラが描かれた缶バッチでした。貴重なものです。説明を加え、中3の娘に渡しました。

ここから田辺市内にある熊楠の住んだ住宅を目指し、渋滞とナビがあってもわかりにくい路地をぐるぐる回った後に到着しましたが、校外学習に来ていた小学生が走り回っていて、また入館料もかかるということで、外観と庭を眺めてから立ち去り、次のメインの目的地である大阪の万博公園を目指しました(吹田市にある1970年の万博の記念公園です)。寒天の仲間と合流する予定でしたし、時間ももったいないので高速を使い2時間走りました。

 

太陽の塔正面

大阪市内も高速でビュンビュン走るため、渋滞はありませんでした。予定通りに駐車場に着き、寒天仲間のリュウちゃんと共に太陽の塔へ向かいました。いちおう写真は撮りましたが、写真からは実物の感動は得られません。実際にここに立ち会うことで、この70mの塔の凄さ、岡本太郎の凄さを感じることができます。説明することが難しいすごさ、万博といった技術の進歩や明るい未来の生活といったイメージへのまさに真っ向から対立する強力なアンチテーゼ。メインの万博会場というその最先端の調和の美空間のど真ん中に屋根を突き破って途方もないいびつなモニュメントが不気味に聳えている。当時の小学生世代にはこれほどのインパクトはなかったでしょう。自分もその世代ですが、ついつい、この岡本太郎の作品にいろんな概念的意味づけを考えたりしますし、南方熊楠と比較してみたり、世界観という視点で解釈しようとしたり、それは自由でしょうが、まずはその「説明すること」を超えたインパクトをそのままに受け止めたいと思います。

こうして、太陽の塔のみが終了後も特別に壊されずにここに残りました。その意味はとても大きく、当時広島から連れて行ってもらえなかった私も、追体験することができたのでした。しかし岡本太郎自身は壊すことには当然の決まりとして受け入れていたようでした。塔を壊さないで残して、という投書は、当時の小学生からの声が多かったと聞きます。

 

太陽の塔内部

内部は、生命の進化の系譜がモニュメントとして造形されています。これは後から作られたものでなく、万博の1970年当時からこのような内部になっていたのですね。そうした地球上の万物を包み込んだ象徴として「太陽」がここに聳えているわけです。こうした地球規模の発想は南方熊楠に通じますね。2人の巨人は同じ魂を持っているように思います。同じ日にこの2人の巨人の足跡を見たことは貴重な経験になりました。

階段で2階以上に上がっての写真撮影をしたい人は500円払って、たすき掛けにするスマホのホルダーというのを借りなければなりません。多分このモニュメントを上の階で撮影しようとしてスマホを落下させた例があるのでしょう。下にいた人には危険な話ですよね。随所に案内係さんがいましたが、この写真の箇所で、この首長竜だけは万博以後一度もこの系統樹の幹から外されて下に降りたことはありません、ここは写真を撮る絶好のスポットですよと教えてくれました。500円払ってホルダーを買った人だけに教えてくれているそうで、撮影しました。

 

太陽の塔内部の進化の図

わかりづらいですが、系統樹モニュメントのスケッチになります。

 

太陽の塔の腕の内部

そしてこちらは太陽の塔の左右の腕の部分です。このように頑丈な鉄の骨格が塔を支えていて、これはかなりの工事ですね。当時の製作費で6億3千万円かかったそうです。

 

太陽の塔後ろ

太陽の塔を後ろから見ると、こうです。黒い太陽と言われています。顔の部分はレンガが張り詰めております。この顔含め外装に3つの顔が描かれています。

 

地底の太陽

4つ目の顔になる「地底の太陽」は内部の1階にあります(展示品は数少ないスケッチから作成したレプリカで、実物は行方不明のようです)。

この後、塔を出て、同じ万博公園内にある国立民族学博物館を見て歩きました。結構広く膨大な展示品があり、じっくり見るには時間を要します。とにかく世界中のあらゆる展示品が並んでいると言う感じです。閉館までいましたが、まさに万博、熊楠含め広い視座の森羅万象を描いた世界観に浸った日になりました。

 

道頓堀川

それからリュウちゃんと車は別ですが道頓堀に向かい、初の道頓堀体験となりました。吹田市から一般道ですが全然混んでいません。大阪は市街部の道路網がしっかりしているようです。そして阪神優勝時に人々が川へ飛び込むのがここなんですね。串カツとたこ焼きを食べビールの生中で乾杯となりました。急遽ですが楽天トラベルで宿を探し簡単に取れましたが、豪華なビュッフェの朝食付きで一人4,500円は安いと思いました(心斎橋地区)。

 

富山のブラックラーメン

翌日からは、目的も終えたので、もう岩手へ帰るだけです。1日じゃ無理なので途中新潟県の上越市にホテルを取りました(こういう計画を寒天従事時に綿密に立てていたわけです)。朝リュウちゃんと別れた後は、もう予定もなくひたすら走るのみです。京都は清水寺のそばを通り、琵琶湖西岸の道を北上し福井県に出て、石川、富山、新潟と距離は長いです。夕方に富山市内でブラックラーメンを食べ、スーパーで富山名物のナルトを買って、上越市へ向かい、最後の宿泊、そして翌日仙台市内で長女と「北京餃子」で中華を食べてから、後は高速で帰宅しました。名物を食べたのは道頓堀の時とこのラーメンだけですね。伊勢神宮では店の並ぶ場所で「伊勢海老コロッケ」と「松坂牛コロッケ」を買い車で食べました。確かに味はそれっぽい感じでした。伊勢神宮では「伊勢うどん」を食べるのが慣わしだそうですが、何となくこういう観光地の店には入れないタイプなんですよね。人も並んでいたし。去年、神戸の市内で昼時に神戸の中華街にいましたが、ウロウロ歩いたものの、なんか、結局入れませんでした。

大阪へ行かれる方は、機会があったら万博公園の太陽の塔を実際に見て、何かを感じてもらえればと思います。そして紀州は熊楠記念館に立ち寄られた時は展望テラスからの眺望がおすすめです。本当は熊楠も闊歩した熊野の森も歩いてみたいところですが、熊野古道も那智の滝も行けませんでした。那智の滝など本当に最南部の深いところにあるのです。もう紀伊半島に踏み入れることはないかもしれません。が、寒天の仕事をしていなかったら、去年の神戸も、その前の年の合掌造りや佐渡ヶ島もなかったことです。大学生の子どもたちには探究心と好奇心をといつも言うのですが、知らない世界を見聞することは何かしら仕事や生活面でも影響を受けますよね。しばらくは東北管内で登山をメインに休日を時々設けたいと思います。

 

大雪のハウス

まずはこのドカ雪でハウスや建物に被害が出ないよう対処しながら、事務作業とたらの芽の生産に励みたいと思います。積雪がここまでになるのは久しぶりで、これから気温が高くなるらしいのでそれを期待し、シャッターを開いて除雪機が出せるようになったら、まずは作業場と住宅を行き来できるように払いたいと思います。玄米在庫もだいぶ減ってきており、いまはその作業場からの山を乗り越えて玄米を出荷ごとに個別に運んでいますが、もうじき玄米在庫も尽きますので、同じ冷蔵庫に氷温で貯蔵している籾を住宅の方に設置している籾摺り機械まで全部運び込んで玄米にする作業をしたく、そのための除雪機除雪のタイミングを待っています。次いで、ハウスの方の水稲種まきと育苗のためのビニール掛けのためのハウスの除雪となり、それは春一番の外作業といえますね。室内では並行して種籾の塩水選や水漬けがあります。

とはいえ、それは1か月後の作業ですので、その前にいまはたらの芽準備が課題で、3月中旬の出荷開始を目指して準備を進めたいと思います。

 

に投稿 コメントを残す

しばし長野からの通信です

煮込み中

毎年11月の最終週より、長野県茅野市で寒天作りに従事することが慣例になっていて、今年も長野へ渡り、12月になったいま、寒天煮込みの作業が本格化してきています。

深夜11時から、釜から舟へ蒸らし中の内容物のクレーン移送、布と竹のフィルターで濾された煮汁の濾過とモロブタへの液の注入、3時間かけ冷めて固まった天の切断と庭への運び出し、そして次の草の運び上げと釜への投入煮込み、エアによる攪拌。。これで夕方になり短い就寝、そして23時よりの舟へのクレーンでの移し替え、のくり返しです。

 

初の天

モロブタに注いだ煮汁(ノリと言う)を固まったところで切るまでが釜の仕事です。1日に320枚以上切ります。今季初の天。それをフィールドに運ぶと庭仕事の人たちが田んぼに作った施設に並べていくのです。

 

茅野からの北アルプス

市内からは北アルプスが遠望でき、左には穂高連峰を、そして深淵なる怖れを抱かせる大キレット。右には松本ではお馴染みの常念岳が鎮座し、大キレットに右手写真のど真ん中には盟主槍ヶ岳の穂先が天を突いています。ズームなので解像度がは悪いですが。

 

赤岳天狗尾根

さて岩手からの旅程です。今回は高崎市で泊まり佐久方面から長野入りし、小海線沿いに八ヶ岳を南から眺めつつ国道を走りました。赤岳に続く天狗尾根が見えます。昔、秋の平日に一人での山行で赤岳から南へ縦走し、誰もいないテント場で夕暮れを迎えた時に間近に見えたゴツゴツした天狗尾根。これには何とも言えぬ荘厳な感じを受けました。

 

今期初富士

しばらくして富士山が顔を出しました。今年の1月1日も釜が休みでこの辺りに来まして、そして夕方帰宅後に能登の地震が発生した日でした。

 

恐竜の足跡

高崎市からやや南下して神流川の美しい紅葉を見ながら西へ向かいましたが、途中、恐竜の足跡ということで、立ち寄りました。

 

ぶどう峠

恐竜の里神流町を過ぎて、群馬県上野村へ入り、険しい山道を越えて、ぶどう峠に到着です。長野県へは通常は十石峠を越えるようですが、ぶどう峠という名に惹かれ、全く1台も対向車とすれ違わなかったこのコースを選択しました。ぶどう峠が何となく記憶にあったのは、バイクのツーリングのマップにあったのを覚えていたんでしょうか。コーナーを攻めたい人には格好のコースです。道幅はとても狭く、すれ違いは大変そうでした。

 

ぶどう峠の祠

ぶどう峠直前には祠がありました。この近くは私が23歳の時の8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落の現場になるようです。御巣鷹山がどれかはわかりませんでしたが、当時事故を受けて出動した捜索隊はここぶどう峠を目指し登ったという記載も見ました。

ところで、釜の担当になると、午後1:30〜4:15までは煮たテングサの蒸らし時間で休憩となり、SBCテレビ(TBS系列)のローカル情報番組を見て過ごしています。たまに素晴らしい企画に会うことがあり、12/11の大鹿村在住のドイツ人女性ウーテ・ヴォルフさんを訪ねる番組は良かったですね。

子どもの頃から日本文化について書かれた本を愛読していて、終戦後ベルリンの壁ができたことをきっかけに、日本への憧れが大きく高まって、移住して、大鹿村で陶芸作家の日本人と結婚し、陶芸で生計を立てながら自給自足の暮らしを続けてきた80歳を超えた方でした。

電気と電話(黒電話)はあるものの、ネットの電波環境もなく煮炊きや暖房は薪で、ガスや灯油などもない、山から引いた沢水を使った古民家での、いまは一人暮らしの生活です。水墨画を描かれ、思索に満ちた日々を送っておられ、そのたたずまいに感銘を受けました。

「感動」と「畏怖」という言葉が自分の好きな言葉で、逆に「便利」と「文明」が好きでない言葉だそうです。そう話しながら水墨画風に筆で描いていました。

大鹿村には何度か訪れていますが、こういうお婆さんがいらっしゃったとは、です。バイクでも3度くらい、そして寒天に来てからも一度訪ねました。茅野からは杖突峠を越えて高遠に入りずっとそのまま細い国道を南下するのですが、途中冬季通行止めになっている箇所があって、いったん伊那谷の本線に降りないと行けなかったと思いました。

ウーテさんの取材番組は良かったですし、訪れた芸人さんも悪くはなかったですが、もう少ししっかり時間を取って掘り下げて、彼女の思う世界や自然に対する畏怖や感動の心のありようを掘り下げてほしかった気がします。

機会があればこの方を訪ねてみたいと思いました。ドイツの人としてブルックナーの音楽観やハイデガーの自然観など、堪能な日本語でお聴きしてみたいものです。

 

に投稿 コメントを残す

晩秋の西和賀と秋田への小旅行

りんどう片づけ

比較的暖かい秋で好天に恵まれて、りんどうの出荷とか稲の脱穀作業が終わった後のいわゆる秋仕舞い作業も順調に進みました。好天はハセ掛けの稲にも良い環境だったと言えるし、何よりも秋に作付けをしたにんにくと小麦がこれまでにないほどの良い生育となっていて、大変ありがたいことでした。とはいえ、秋仕舞いも結構な量があり、数日で決着が付くものではありません。

いちばんが、りんどうの片づけです。残った残茎を、十分に枯れてから草刈機で刈り払い、花の収穫車で通路を歩きながら丁寧に集め、軽トラで捨て場まで運んで捨てます。雨降り後は濡れて重くなっているのでやりません。また刈り払い時にりんどうが濡れていると刈り刃を通じてウイルスが伝染することがありうるので、乾いているときに刈ります。主に午後1番の作業で刈って、1品種2日くらいかけて運び出します。これが終わらないうちに雪が降ってくるとネットごと雪に乗っかかられて、支柱が折れます。。

お盆の早生品種はもう完全に枯れて軽くなっているし、ボリュームもないので、ネットを重ね、りんどうがまだネットに引っかかって立脚している状態で刈り払い、そしてネットから取り外すようにしながら集めます。彼岸品種はボリュームもあり、背丈もうんと高いので、まずは半分ほど手で追って(いわゆる花茎取り作業)いったん集めて運び出し、残りは半分サイズになった状態で自力で立脚できるので、ネットを完全に外して、その残って立っている残茎を刈り払って、運び出します。

今期で廃園にするりんどう圃場は、強引にネットを外し、支柱も全部抜いて、倒れたりんどうの茎を丸ごとトラクターですき込んでいきます。今年は極晩生のつい最近まで収穫していた生々しいりんどうを潰したので、耕耘は2回かけて埋め込みました。小麦畑の緑肥のすき込みと同じような作業です。

りんどうが濡れているような時は他の仕事を進め、たとえば脱穀後に残ったハセの紐を解いて横棒(ホケ)を解体し、軽トラの荷台で集めて、収納している小屋の2階へ搬入します。これもけっこうしんどい仕事です。ただ、空中戦の作業になるため、仮に積雪があっても進められる作業ですので、りんどうの片づけのような地際の作業が優先です。ブルーベリーや他の庭木果樹等の雪囲いもあります。ビニールを外して骨組みだけになったパイプハウスの下の方の横パイプとビニペットも雪で曲げられてしまうので外します。

 

2024年取り込んだタラノキ

タラノキも11月になれば完全に写真のような1本の棒状態になるため、ノコギリで伐採して集め、作業場に収納します。伐採するときに、来春芽が出る場所は既にわかるので、地際から2芽くらい残してその上で伐採します。上の状態で2月まで置いておき休眠が覚めるのを待ちます。寒天仕事が終わった頃には芽吹きを開始できる時期になっています。

 

カボチャのアップルパイ

小麦の作業も完全に終わり、製粉するものは製粉し、玄麦はそのままに例年のように10月末で注文を締めさせていただいて、残った在庫を秋田市の窯ベーカーカボチャさんに納入します。いつもは取りに来てくれるのですが、今年は店が休みの日も忙しかったようで、私が届けました。カボチャさんは秋田市南部の河辺町にあり、有機の小麦だけで、しかも全部薪窯で焼いているお店です。カンパーニュを販売しているのですが、サイドメニューとしてアップルパイ(写真)が非常に美味しいです。パイ生地は南部小麦全粒粉で仕込んでいるそうです(1個450円くらいでした)。

 

秋田大学鉱業博物館1

さて、せっかく秋田まで来たので、前から気になっていた秋田大学鉱業博物館へ出かけてきました。秋田大学には鉱山学部という学部があって、それに付随する施設になります。膨大な鉱物が陳列されてあり、解説は専門的で、とても全てを熟読することはできそうもありません。素人にとっては鉱物の魅力をさっとなぞるということしかできませんが、それでも十分な時間、石の世界に浸ることはできます。一番下の子が小学生だった時はこの近くのアスレチックの公園や、男鹿に足を伸ばして水族館ガオなどにも行きましたが、いまはそういうこともなくなってしまいました。帰り道に横手のまんが美術館で矢口高雄展を見てその直後に氏がお亡くなりになったのももう3年くらい経ちましたか。。さすがにこの鉱業博物館は小学生では飽きてしまったかもです。

 

秋田大学鉱業博物館2

この前の2月の寒天出張からの帰りには新潟の糸魚川でヒスイを購入しましたが、そうした縁がある鉱物は、グッと身近になります。

 

秋田大学鉱業博物館3

出口にある土産コーナーでは、化石を販売していました。レプリカなどではなく本物だそうです。我慢ができず、アンモナイトと三葉虫を購入し末娘にあげました。時々取り出して観察したりデッサンしたりして欲しいものです。2つ合わせて3,500円くらいでした。

 

モナカイベント出展

さて、11月16日には、盛岡市中心部にできた話題の商業施設「モナカ」で、当園にも年に1度農業体験に学生が訪れる盛岡の専門学校と共同で、西和賀物産展が開催され、私も亀の尾とササシグレを持参し販売してきました。こういう機会はあまりなく、米などそう売れるものでないのですが、にんにくがとにかく今年はダメでしたので、仕方ありません。秋仕舞いもだいたい目処がついていたので、楽しんできました。パッケージや台に置くポップ的なものなどよくわからずに、ゼロからの勉強の機会でした。

 

モナカアイアンのテーブル

一緒に参加した町内の鉄アート作家「山のうえアイアン」も素晴らしい展示をしてくれていました。長女にブローチを購入。チタンだそうです。

 

アイアンの鉄工スタジオ

そのアイアン宅に初めて訪れて来ました。旧湯田町内の左草という地区に住居を得て、付随する小屋は作業場になっていました。王国が準備できました。ここでどのように自分の創作の世界を展開してくれるのか、わくわくします。中央に見えるのは手作りの薪ストーブです。右奥には何かプレスに関する大きな機械がありました。

森林資源の豊富なここ西和賀町ですが、他に木を扱うクラフト作家さんも数名います。森林や木の活用に関心を持って協力隊として入植した人もいます。そうした仲間たちと共に、森林資源を価値を持った商品として活用したり、また山そのものの保全・治山とか環境面の啓蒙活動的なことも展開していきたいといった将来の目標の一端もアイアンは話してくれました。私たち農家は冬は仕事ができにくい期間になりますが、クラフト作家さんは冬に精力的に創作活動を行い、夏には森や田畑を相手に暮らしていく、そういう二刀流が成り立ちますね。われわれ農家も室内の加工を取り入れればそれはできるのですが、そう簡単にはいきませんよね。食材の提供までしか現状では当園は行えず、その分他の希少な食産業への従事ということで2か月の寒天出張を取り入れたりしています。ここでお酒造りなどができるようになれば年間を通して地元での活動ができるわけですが。。

 

フユイチゴ

秋仕舞いが終わって、りんどうの草取りを行っていましたら、2年前に植えたフユイチゴが実を付けていました。本当に冬のイチゴだったんですね。今年は秋が暖かかったから生育が良く、根雪の前に実がなってくれたのでしょう。たぶん普段の年であれば気温が足りずに、実をつける前に雪の下になっているのではと想像します。