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阿仁への旅

マタギ資料館

大型連休も終わりましたが、気温高めの好天の日もありましたけど、5月6日は終日の雨予報で。。ずっと農作業続きでしたので、本降りの天気そうだし気分転換にふと思いついたドライブ旅行を実行しました。阿仁マタギの地を探訪します。雫石のR 46号に出て、仙岩トンネルを抜ければ秋田県です。すぐに田沢湖で、そこから北に上れば阿仁と呼ばれる地域になります。

こちらへ移住する2年前に、東京からバイクで訪れました。阿仁を経て森吉山の中腹を走って白神山地へ向かう旅でした。「阿仁」を意識した動機は「釣りキチ三平」著者の矢口高雄氏の影響によるものですね。農家を志す気持ちが固まった時、大学が信州だったことで長野県での移住就農も模索しましたが、その後東北に気持ちが向かうことになったのは、阿仁マタギのイメージが東北にはあって、それは確かに長野にない要素だったろう、という思いがあったのですね。東北は未経験・未知の世界で、テントを積んで北に向かったのでした。そのツーリングで初めて東北へ移住するという考えが視野に入って来ました。

 

マタギ鉄砲

そんなことを思い出しながら阿仁に向かい、今回2度目となるマタギ資料館を訪れました。温泉宿泊施設の館内の一室が資料館になっており、当時(1994年)とはちょっと違いましたね。展示品はそう代わりないだろうと思いますが。村田銃などが陳列されていました。

 

マタギ武器類

その他の武器や熊を獲る時の補助具などです。

 

マタギわな等

カンジキをはじめとした道具や罠など。陳列品は結構多く、ここが日本で一番のマタギ資料館に違いありません。

 

マタギ巻物

このような歴史的に重要な資料も実物が展示されているんですね。

 

マタギ山の神

山の神の信仰というのが阿仁のマタギの根幹を成しているように思います。ちなみに、山の神は女の神様で、確か片目だと何かで読みました。上の写真も拡大すると左目がそのようになって見えます。理由は調べましたがわかりませんでした。

ところで、こちら西和賀町沢内は阿仁と似た景観風土であり、実際にマタギ博物館(沢内太田・碧祥寺境内)もあるのです。もちろん地元なので訪れています。が、ここ沢内では、あまり「マタギ」とか言わないんですよね。熊を撃つ人は多くいますが、「鉄砲撃ち」とか呼び、マタギとかシカリとか独特の言葉は使わないように思います。実際熊撃ちと話をしてそう思いました。夏は田んぼをやったり建設関係の人もいます。

 

マタギ沢内

解説パネルに確かに「沢内」とあります。岩手で唯一とは驚きですね。ちなみに、この図と同じ図が沢内の碧祥寺マタギ博物館にもあります。思い起こせば狩猟のための道具や山の神像も陳列されてありました。この博物館では阿仁と同じように「マタギ」の語も出て来ます。でも、実際の熊撃ちはマタギって言わないんですが。。なぜか。。あくまで秋田・阿仁の言葉遣いなのでしょうか?? 多分沢内の博物館を開設するに当たって、おそらくは阿仁のマタギ関連の文献を参考にされたのではという気もしています。学術的歴史的には阿仁が中心地なのでしょう。が、言葉遣いとかまでは奥羽の峠を越えてこちらまでは伝わりきれなかったのだろうと推測します。とはいえ、阿仁と沢内は地理的気候的に近さを感じますし何となくほっとする場所でした。

それしても、言葉遣いはどうあれ、マタギ文化は日本海側気候の多雪地帯に分布していますよね。積雪により冬の農閑期が長く、そのため生活のため、産業の一つとして熊を獲る文化が養われたのではないか、という気がいたします。

 

マタギ小屋

マタギの小屋だそうです。こちら資料館のある温泉施設の駐車場内にありました。雪に強い形ではありますが、2mほどの積雪には耐えられない気がします。無雪期用に建ててはほぐしという形で使ったのでしょうか。。

 

打当の山神神社

山の神様を祀る神社があり、資料館のある打当地区の神社です。鳥居の上部には山神神社と書かれています。山の神については沢内の博物館にも像があるのですが、山神神社というのはありません。代わりにではないかもしれませんが、「山祇神社」はたくさんあります。

 

沢内の山の神

この山の神像とオコゼの写真は2017年2月に地元碧祥寺のマタギ資料館で撮影したものですが、上に山の神の御神体という説明があり、山祇神社に祀られるという語句を見ることができます。2枚の別の写真を組み合わせたものですが、オコゼの上の説明文は左の木彫りの山の神の像を指していると思います。農家が農閑期に作ったのでしょうか、こうした木彫りの無名の像が沢内ではあちこちにあって、「山祇神社」や家の神棚に奉納されているということのように解釈されますが、阿仁では数か所の「山の神神社」に祀られており、また手作りの無数の神像があるわけでなくて、阿仁資料館のパネルにある写真のごとく、素人の作ではない立派な御神体が奉納されているという感じなのでしょうか。。

 

マタギ資料館1994年

ちなみに、1994年の今回と同じく大型連休の折にバイクで出かけた際の阿仁のマタギ資料館で撮影した写真が出てきたので、スキャナーしてみました。この時は独立した建物だったような気がしますが、30年近く前のことなのであまり覚えていません。。自分の無意識ながらも趣味趣向というのは変わらないものですね。何にシャッターを向けるか、何年経っても変わりませんね。

 

根子山神社

次に、こちらはマタギの発祥地と言われる阿仁の根子(ねっこ)集落にある山の神の神社です。隙間から中を見させてもらいましたが、この奥に山の神が祀られていることと思います。

 

根子集落の遠景

根子に入ってすぐの少し高台から集落を遠望しています。新緑と雨で雲が沸き立つ様子が美しいです。

 

根子のトンネル

この根子集落に入るにはメインの国道から脇に逸れ、トンネルを抜けて来なければなりません。昔は峠越えでしょうが、いま現在でもこのトンネルはとても狭く、対向車とすれ違うことなど到底できず、随所にすれ違いのスペースがありました。結構長いトンネルでしたが、幸い車と行き違うことはありませんでした。車内からの撮影で、ナビのアンテナに引っ掛けたマスクが写っており恐縮です。高さ3.8mとうことでかろうじて大型トラックも通れなくはなさそうで、トラックが入れないと何かと大変ですがそれは大丈夫そうでした。

 

またたびラーメン

お昼に、打当の資料館の建物内にあった「シカリ」という食堂で「またたびラーメン」を食べてきました(950円)。山菜がしっかり入っています。ワラビも多く入ってましたが、固かったですね。と言うか、沢内のワラビは柔らかくして食べる風習なので、固く感じたということで、こちらが普通なのでしょう。あっさりとしてまた食べごたえもありました。

 

くま牧場

近くにくま牧場があり、こちらも29年ぶりに訪れてみました。この連休から冬の休み明け営業となっておりました。

 

くま牧場遠景

ひぐま舎の2階から眺めた景色です。良いですね、阿仁。

 

ツキノワグマ

ツキノワグマがいっぱいいて、みんな動き回っています。29年前の時は確か子グマを抱っこできたような気がします。自分も抱っこした記憶があり、爪が当たって結構痛かったような?? 当時はもっと子連れ客も多かった気がします。連休ですがあまりお客さんはいませんで、資料館も、ラーメンの食堂も私一人でした。雨だったからですかね。

 

ヒグマ舎

こちらがひぐま舎です。10年くらい前、秋田の八幡平のくま牧場で冬に除雪機で排雪して出来た山をひぐまがよじ登って脱走し、餌係であったおばあさんたちが死亡した痛ましい事故がありました。とてもセンセーショナルなニュースで、襲った熊は餌も十分に与えられていなくて飢餓状態だったとのことです。この事故を受けて、八幡平は廃園しこちらの阿仁で飼育するようになったそうです。ひぐま舎はその際に建てられた建物のようで、29年前にはありませんでしたし、ひぐま自体もいなかったのではと思います(?)。そもそも一般の動物園にもひぐまはいるのでしょうか? 八幡平くま牧場の時のニュースで初めて本州にもいたのだと知りました。

 

ひぐま

ひぐまは1頭ずつ時間を決めて飼育部屋から庭に出て来ます。ツキノワグマのように大勢で見ることはできません。2頭以上一緒にしておくと喧嘩して、実際1頭死んでしまったらしいです。そういえば「ゴールデンカムイ」でもひぐまはよく登場しますし、人が襲われるシーンも多く出て来ます。なお、阿仁マタギも出ていましたね(第7師団の谷垣ニシパ?)! このひぐま舎はツキノワグマよりも人気を集めているようで、園の目玉になってるように思いました。もっとも雨でしたしお客さんは少ないです。左は池で水浴びし、ブルっとしている瞬間です。ものすごいしぶきでした。

 

ハチ公の生家の像

さて、阿仁のマタギ関連と熊を観ることができたので、目標は終えたのですが、そのまま引き返すのもなんだしと、北に大館の方へ向かいました。忠犬ハチ公の生家というのがあり、見て来ました。ハチ公は秋田犬だったんですね。

 

ハチ公の生家のトイレ

こちらは案内板を兼ねた公衆トイレです。こちらの施設の方がユニークかもですね。

この後は大館のコメリで買い物をして帰路に着きました。大館から鹿角へ出るのですが、そのあとはこの前通った十和田湖からの帰り道とダブらないように、今回秋田のドライブということで、八幡平の秋田側、玉川温泉を通るルートで宝仙湖を抜けて田沢湖、仙岩道路で雫石、というルートで走りました。八幡平アスピーテラインは午後5時で閉鎖になるというのは知っておりますが、その閉鎖が田沢湖へ至るこれから走る道にまで及んでいはしないか、ちょっと心配でした。まだ連休のさなかというのに車の往来などほとんどない山道です。一応国道なんですが。。

ひぐまの事故で閉鎖になった牧場も鹿角からのこのルート上にあったのをいま知りました。アスピーテラインの辺りはさすがに道路脇に雪が残っていて、一部車道にも雪崩れて来ている箇所もあり、夕方暗くなりつつあるし、ちょっと心細い気もしましたが、まあこういう走りはいつものことですし、とにかく車の故障がないことのみを祈ります。ちなみに、この玉川温泉近辺の道路にはガソリンスタンドは全くありません。山間地のスタンドは土日休みだったりもするのであてにはできません。田沢湖近辺の国道で給油はしておきました。

 

宝仙湖

玉川温泉を過ぎ南下すると美しい宝仙湖に出ます。これは最南部ダムのそばからの1枚で、夕方6時半近くになっています。写真はPhotoshopで明るく改造しています。

 

カリヨンの鐘

そのダムの脇に「カリヨンの鐘」と言うスポットが。ビゼーの組曲「アルルの女」にもカリヨンという曲があったですね。定時ではなかったので大きい金のみ手動で鳴らして来ました。西洋の鐘の音、私はとても心が安らいで好きです。ここも偶然見つけ立ち寄ったわけでなく、前夜にGoogle マップを見ていて「カリヨンの鐘」に着目して、停車したのでした。

暗くなり、あとは帰るだけ。土産を買うようなお店もありません。。

 

くま牧場1994年

1994年のくま牧場の写真です。ここに落ちたら一巻の終わりですね。熊たちは何に注目しているのでしょうか。。

 

阿仁1994年

バイクにテントを積んでのツーリング。アルバムのメモに阿仁と書いてあるだけでどこか全く覚えがないですが、いずれ阿仁で一泊したようでした。いまだったら軽トラの幌の中でテントなしに場所も選ばず寝ることができますが。。

今日はまた寒さが戻って来て、冷たい雨が降っています。岩手北部では数センチの積雪もあったそうです。タラノキの種根の管理作業と田の排水部へのパイプ設置などの作業をしておりました。タラノキ部門では管理をしっかり行い発芽育苗に成功させ、無事にタラノキにできる苗を一本でも多く育てるべく努力しています。今夜は0度になるそうで、いろいろ警戒です。。

阿仁への旅」への2件のフィードバック

  1. 玉川温泉!田沢湖!!
    はぁ~♪懐かしいです

    あの日は、山の中腹にある野良温泉を求めて 乳頭山山頂まで登山&田沢湖周辺の道端で野宿からの
    ガソリン半分で国道341号で玉川温泉の方へ北上したが最後
    ガス欠に怯えながら山越えの記憶が(笑)

    玉川温泉で天然地熱岩盤浴はサイコーに気持ちよかったけど
    あんな山奥でのガス欠が怖くて 下り坂道はエンジン止めて 転がして下った記憶が10年以上経っちゃったのに鮮明です~

    石川県ナンバーのおじさんが
    自分の車から手持ちのペットボトルにガソリン入れてくれて・・・・
    結局角館のガソリンスタンドまで自前のガソリンで間に合ったのだけど、ペットボトルに入れられた優しいガソリンを しばらく御守りにしてました~

    今でも石川県人は文句無しに良い人だと思ってます(笑)

    渡邉さんは玉川温泉には行かれないのですか???
    私なら 離月で行きたい!!!

    1. 私も! 20年も前ですが、おばあさん達と玉川温泉へ行った時、スタンドが全然なくて冷や汗をかきました。結果、玉川温泉のスタッフにお願いして何リットルか分けてもらいました。玉川温泉は2回行きましたが、最近は全然です。。いつも思うのですが、自分の車のガソリンを汲み取ることの方法がわかりませんが。。

      今回阿仁に行った時は20年前の教訓を胸に、満タン給油してから向かいました。帰路は玉川温泉のルートで岩手に戻りました。ちなみに、昨日ですが八幡平に行きドラゴンアイ(こちらでは有名)を見つつ、湿原の探索をし、農繁期の休養を兼ねた1日となりました。またブログで報告します。

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