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田植えが終わり管理作業の日々

田植え後の亀の尾

5月の連休以後、農繁期に入っておりますが、5月は降雨続きの毎日で、土が乾かず耕耘作業にとても難儀した春になりました。とはいえ、田の方は、耕耘(田おこし)はこなれた土が求められる畑作りと違って、どうとでもなりますし、代かきや田植えは雨の中でもできますので特に支障はないのですが、切り花りんどうも栽培している当園では、去年まで水田だった圃場を春の5月にいきなり細かく砕土した畑にするという毎年の新植分床作り作業。。それは雪解けが遅く春も低温で雨の多い奥羽の山中ではいつも難事業で、6月第1週に苗が搬入される時期までにりんどう定植圃場の畝立てまでをやり終える課題に直面して、いつも憂鬱な気分になりがちです。。今年はまさにぬかるんだ畑作りになった年で、1週間くらい前までりんどう苗を植え付けていましたが、マルチの穴のボコボコの土をかき回して、そして通路のボコボコを手でほぐして、プラグ苗を土の隙間がない状態に密着して植え付けていくという、近年では状態の悪い中の作業になりました。こういう時に、ラジオとかで、県内平野部からの投稿で「畑におしめりの雨を待ってます」などの文言を聞くと、雨の多い当地ではイラッと来たりする、そんな、全体としてはいつものような5月でした。

 

除草機作業中

とはいえ、田植えも終わり、今年も量では亀の尾、ササシグレ、ひとめぼれの順に植え終えて、6月のいまは畦畔農道の草刈りと、水田の除草機をかける時期になっています。りんどうの芽かき草取り作業、タラノキの管理作業などの合間にですが、水田除草機で十分に除草をするためには、土を露出させて固くしてしまってはダメですので、深水にし、田面を柔らかく保ち、除草機もただ条間をまっすぐ一直線に進むのではなく、稲の株に接触するくらいジグザグに満遍なく動かして除草を行うことになります。この時期の稲は除草の回転器具が接触しても大丈夫で、植わっている稲ギリギリを攻める手法で分げつも誘引され、生育効果も上がると言えましょう。エンジン部分は背中に背負うタイプの刈り払い機で、ポールの先端にアタッチで取り付けるタイプの3条の水田除草機です。

 

亀の尾(6月27日)

西和賀町沢内の今年の稲の生育は遅れています(写真は6月27日)。関東以西(あるいは東北南部より南)で時折り「真夏日」のニュースを目にし、農家や評論家が猛暑による白濁米や減収を心配する声を報道したりしていますが、当地はなかなかそうした暖気の恩恵に預かる日は少なく、現在のところでは、さすがに今日は暑かったなという日も最高で28℃弱が1日あったかなと思います。うちの田に限らずですが分げつがなかなか進まず、現段階では茎数確保に不安があります。有機稲作のテキストなどで関東以西をモデルにした記述になるのでしょうが、例えば太い大苗2本植えで、といった推奨がこうした寒冷地ではあまり参考にならないことを痛感します。大きく太い苗ができればそれは良いことですが、苗作りの時期もまだ周囲には雪があり、地温自体が低く、まず芽出しまでの温度確保が最初の難関で、実際に出芽率も下がる傾向がありますし、薄まき推奨の苗箱作りは確かに危険です。結果、田植え後に目立つ欠株を長時間の手植え補植で補うような形を何度もくり返して来ており、毎年が気象との戦いの日々です。例外的に、昨年に関しては播種後に気温が高めで出芽も良かったですね。雪解けも早くて春のスタートが早く、作業的にも余裕を持って進められたし、夏も良い高温でお米も良く穫れました。その分、平年並みの遅めの消雪と冷涼傾向が続いた今年は厳しさを余計に感じるところです。りんどうの開花も遅れるのではという声が聞かれます。

稲の除草作業も終盤になってきました。除草機で掻き回して雑草を浮かせて退治する手法ですが、浮いた雑草が地面に再び着地しないように、浅水管理がセオリーの一般論に逆らって、深水を続け、かつ土を柔らかい状態にキープします。以前からの水田と、小麦やにんにくから転作した水田では雑草に違いがあり、やはり水田を長く続けている田はヒエやコナギが多いです。水面下の小さいコナギは除草機で浮かせてやれますが、水面から顔を出した雑草は除草機では取りきれず、手取りになります。手取り除草は厄介な作業ではありますが、重い除草機をジグザグに時間をかけて進ませる重労働の機械作業と比べて、どちらが楽とも言い切れません。気軽に毎日1時間手取りしよう、と空身で気軽な気持ちで田に入る時間を取りながら、雑草の多い箇所を集中的に歩いて、あと少しに迫った中干しまでの除草期間を乗り切りたいものです。一様に全部をくまなく作業するという除草機械的発想ではなく、草の多い箇所を選んで手取りするというやり方になります。100%を目指すことは不可能ですし、どう効率的に除草するか、でしょうか。

なお、いまは今年からの第6期中山間直接支払交付金の新年度に入り、役員としては役場に提出する書類作りにかなりの時間を取られています。いちばんは協定に入れる農地面積の確定ですが、それ以外にも面倒な書類がいっぱいあり、つくづく役所書類は苦手です。。朝からいきなり強い雨の日とかは諦めて1〜2時間PCに向かいもしましたが、目の前に迫る農作業を犠牲にもできず、夜間や朝食後とかに少しずつ小刻みにやるしかないのですが、本当にやることが多いです。消防の行事もあるし、りんどう関係の役員会やらいろんな集まりで、小規模農業経営者は本当にあれこれ多忙ですよね。全部一人でこなしますので。今夜も結局ブログ記事を書いてしまい、中山間事務は明日に先延ばしにしました。

 

南部小麦(6月27日)

南部小麦が色付いてきました。岩手の平野部ではいまはまさに刈り取り期で、晴天の今日などあちこちで刈り取っていることでしょう。西和賀は岩手の標準的地域に比べ2週間遅れます。消雪の遅さと春の低温が原因ですね。今回は40cm間隔で播種したことが良かったのでしょうか、昨年晩秋の好天が幸いしたのでしょうか、とても良い状態で、多収が見込まれます。とはいえ、いまは小麦の大敵である赤カビ病の発生時期です。こまめに圃場を歩き見回って、疑わしい状態の穂を見つけたら穂を切って圃場外へ持ち出して処分します。南部小麦の刈り取りは、例年ですと7月10日頃になります。実際は水分の%で判断します。水分が高い状態で刈り取ると、ハウスにハセ掛けをするわけですが、その後の乾燥が進みにくい嫌いがあります。しっかりとした乾燥(30%以下)を確認してからの刈り取りがベストですね。

 

にんにくとアリーナ(6月27日)

にんにく畑とアリーナ小麦の圃場です。にんにくは球の肥大に直結するトウ摘み(主に八幡平系)の時期を終え、あとは収穫適期を待つだけですが、どうやら今年は稲と同じく、またりんどうと同じく、遅れているようです。もっと暑くなって欲しいと願うばかりですが、これまでの遅れが急速に取り戻せることもないでしょう。なお、にんにくですが、今年の雪解け時の4月22日と、試験的に1か月後の5月22日にマルチを剥がしました。春から収穫期にかけて、にんにくの根域にマルチで高温の環境を作っていると、割れ、裂球を生じさせる可能性があるそうです。西和賀はにんにくの収穫時までに30℃超えしたりすることはあり得ませんが、念のためマルチを剥がしてみました。4月に剥がした2列はすぐに籾殻をリビングマルチとして施用しました。が、5月22日にマルチを剥がした残りの畝は、籾殻を持って来て散布する時間も取れず、そのままで収穫期を迎えます。使用する籾殻自体は残っているんですがね。雑草の具合にそれほど違いもなさそうなので、来年からはまだそう忙しくない4月に全部剥がして、すぐに籾殻でマルチングしてやることが作業手順の上でも効果的と思いました。あるいは前年の根雪直前に剥がしても同じかもしれませんが。

アリーナ小麦は極晩生で、南部小麦よりもさらに2週間後の刈り取りになります。こちらは強力の品種で、南部小麦と違い穂の色が白がかった茶色になり、とても背が高いです。背が高いことで、穂の長さも南部よりありまして、収量は多くなるありがたい品種です(スイス原産の小麦でパンに向く品種です)。

 

山下氏圃場

ビニールマルチを早めに剥がしてリビングマルチへ、とのサジェスチョンをくださったのは、青森県で長らく県の野菜研究所でにんにくの研究に携わっておられたにんにくの専門家山下一夫さんとの情報交換で教えていただいた農法になります。当園ではセンチュウ害の出どころである青森県の農家からの種苗購入などで(あるいは岩手県内でも既にセンチュウ害を受けた種球の購入植え付けにより)、にんにくの収穫品にイモグサレセンチュウ被害を受けたという苦い経験があります。そしてそれをタネとしてりん片を植え付けることで、畑の土壌自身も、収穫される次のにんにく自身もセンチュウに感染させるという残念な状況に悩ませれていました(もちろん壊滅的な話ではなく一部のにんにくに被害が見られたということですが)。この山下氏の手によって、センチュウ感染したにんにくであっても、その生長点付近を冬の時期に切り取って培養し、最初に得られるそのひょろひょろした状態のネギのような苗を春に植え付けて秋に1片のセンチュウフリーのにんにく片を確保し、そのりん片を購入する、あるいはその優良種子片を植えてもらって翌年に6片の球の状態のにんにくを作ってもらって購入するなどしています。そして当然畑もこれまでにんにくを植えたことのない圃場に移して新規ににんにく畑とし、センチュウやあるいは厄介なウイルスの元となるサビダニ被害もフリーであるにんにくの生産を、当園ではいま達成しようとしています。キロ単位で出荷する量をその優良種優良圃場で生産するには時間もかかりました。昨年はさらに冬期の畑の冠水事故によって多くの優良にんにくが失われてしまったことも痛手でした。

上の写真はそのにんにく専門家の山下一夫氏の圃場に、田植え後の、そしてりんどうの新植苗の搬入をし植え付けがまさに始まる前の6月上旬に訪れて、圃場を見せてもらった時の圃場の様子です。上の写真ではマルチが見えますが、どの色のビニールマルチが畝内部を高温化させにくいかの試験だそうで温度計で計測していました。いちばん高温にさせにくいのがやはり白のマルチでして、次が緑、そして黒、最後に透明が一番温度が上がったようでした。

なお、それよりも氏のアドバイスで最も共感を得たのが、「緑肥の敷き詰め農法」というべき手順でした。写真奥に背が高く生えているのは緑肥作物です。私も小麦やにんにくでの休耕期間の7〜8月に緑肥を栽培しており、にんにく予定地は8月終わり、小麦予定地は9月初めにトラクターで漉き込んで、腐熟させ、にんにくや小麦を植え付ける、という工程を取り入れておりました。しかし、山下氏によれば、すき込みではなく、刈って、重ねて土の上に置く、という手法がミソになるようでした。これは自然農法の基本手法です。下手に耕耘したりするのでなく、刈った草を土の上に置く、それがリビングマルチとなりにんにくを保護するとともに、年数を重ねることでふかふかの土づくりに寄与してくれる。私など毎年小麦からにんにく、にんにくから小麦へと、緑肥を挟んで輪作しているものの、その都度耕耘をすることで、逆に、固い土壌を招いてしまっていたのではないか、耕耘をやめて積み重ねた緑肥の上から植え穴を空けてにんにくのりん片を秋に植え付ける。そのことにより山下氏はふかふか土壌を獲得し、翌年の収穫時もにんにくの茎が抜き難くブチっと切れてしまったりすることなく、柔らかい土壌ですっと力を入れずともにんにくが抜けていく土づくりができるのであると。山下氏は最初からビニールマルチなしで敷き緑肥で通しておられますが、より気温の低い西和賀では、またにんにく以外に作目が多く雑草が取り切れないことも考慮すると、秋の定植時には当園ではビニールマルチは必要です。当地では冬が早く来るためににんにく植え付けはとにかく早めにが鉄則になり、ホワイト六片など早く芽を出す品種は10月になってからの植え付けでは完全に遅い。10月になってから床作りをして植え付ければ雑草もそれほどではないでしょうが、9月最初などの時期に早く植え付けをすれば、やはり9〜10月に雑草は生えて来ます。9月の10日以降はりんどう彼岸出荷や、下旬になると稲刈りと小麦播種を迎えかなり多忙です。そのため9月最初ににんにく植えをするスケジュールではマルチ使用は欠かせないですね。

にんにくは連作はダメだと思い込み、当園では小麦との輪作をしていましたが、山下氏の場合、にんにく収穫後にスダックス等のイネ科の緑肥を蒔いて植え付け前に刈り倒してそしてにんにくを植え付けるのですが、そこでスダックス栽培が挟まれることでにんにくの連作が絶妙に回避され、畑をにんにくに固定しても連作にはならない。耕耘してしまわずに、自然栽培流に耕耘をしないことでかえって柔らかい土づくりを実現させてしまってもいる。見事だなと思いました。小麦で私が真夏の休耕期にマメ科クロタラリアを緑肥栽培していることも連作回避により雪腐れ等の病害を防ぐ目的で、それはにんにくでも同等なようです。研究所の研究員の経歴の方ですから、有機栽培や自然栽培に興味があるわけではありません。図らずも自然栽培の良い部分に出会って、それを活用しているということです。なるほど、ですね。

激務が続いた5月が終わって、ちょうど軽トラで遠乗りがしたくてウズウズと鬱積していた折に、八戸近郊の山下氏の圃場を見学させていただいて、さらに時間を忘れて遅くまで長居をさせていただきましたが、有益な時間でした。

農業について突っ込んだ会話ができることは時間を忘れ喜びです。いま現在、小麦を作付けしている当園では県の農業普及員が赤カビ病の観察のためによく訪れてくれます。その度にいろんな対話ができることは、一人で田畑に閉じこもって作業する自分には良い刺激、情報を得る時間になります。小麦の担当者は水稲の担当者でもあるので、稲の話もします。有機のことは専門外ですので、逆に私からも有機の話をして知ってもらいます。いくら日々の草取りや諸々の作業で立て込んで押しまくられていても、対話は大事な時間ですね。

 

蕪嶋神社

八戸近郊の山下氏の圃場を後にして、せっかくなので、ウミネコの繁殖地「蕪島」に向かいました。家とは逆方向で、帰宅は遅くなることは承知の上ですが、蕪島は見ておきたい。長年の希望でした。夕方で既に神社への階段は閉鎖されていて残念でしたが、山下氏との懇談が続いたからなので、それは仕方もなく、でも、十分に蕪島を楽しめました。光景としても美しいですね。

 

蕪島のウミネコ

浜辺にはいっぱいのウミネコ。良いですね。八戸に春から初夏に来られる機会があったら、ぜひ蕪島を訪れてみてください。

 

モミジイチゴ果実

当園では野いちご、木いちごの植え付けをしています。大した面積ではないし、趣味の域を出るものでもありません。オレンジの美味しい実をならせるモミジイチゴは最も惹かれるいちごです。いちばん最初はどれがそれか、どこにあるかもわからずに、フリマサイトで苗を購入したりしましたが、モミジイチゴ自体を知った後は、近所で見つけたりして、それを庭に移植したりしています。最初にわからずに購入することは教科書代、勉強代で、そこから実物を知り探究がスタートするのです。そうして植え付けたモミジイチゴが実を着けてくれました。きれいないちごですよね。外国にもあるかどうかは不明ですが、日本国内では最高の野いちごと思います。いつか増殖して商品化したら良いのか、趣味の域にとどめておくべきか、将来性は未知数ですが、こうした行いができることのために、都会から脱サラし、農家になったのですから、農家冥利に尽きるとも言え、こうした手間に時間は余計にかかるとは言え、楽しい残業タイムを与えてくれる存在ですよね。だから、やっていられるのでしょう。農業カテゴリー自体の中に楽しみがなければ、やっていられないでしょう。あとは月に2日の軽トラお出かけとです。

ちなみに、ベリー類は、ブルーベリーやラズベリー、ブラックベリー、ハスカップ、カシス、クランベリーやコケモモなど西洋のものもありますが、草イチゴ、クマイチゴ、エビガライチゴ、ノウゴウイチゴ、バライチゴ、フユイチゴ、カジイチゴ、ナワシロイチゴ、ニガイチゴ、ホワイトピーチベリー(これは国籍不明)があります。木ではジューンベリーなどいまが食べ頃になっていて、庭でイチゴの実った姿を目にするのは楽しいものです。

 

Googleマップ
Screenshot

余談ですが、最近はPC等で一番よく楽しみに使っているのがGoogleマップです。中山間交付金申請でいまはアプリとしてはエクセルに最も向かっていますが、息抜きの「空想軽トラ旅」にGoogleマップは良き友です。たまたま家の近くをストリートビューで見てみたら、草刈り作業中の自分の姿が。。。小麦やタラノキの圃場を刈っております。いま現在、りんどうの早生品種の草取りと芽摘み作業が最優先で、この写真の圃場の草刈りはその後にすぐやりますから、もう少しお待ちくださいです。田んぼや小麦やその他広大な面積の草刈りと園芸品目の株の近辺の精密な草取り、そして田の除草とキリがありません。おいしくてボリュームもある定食の店はないかな、大雨が降って買い出しに出た時とかに、どういうスポットを訪れようかな、などついGoogleマップに逃げたりしながら、草との戦いと諸々の管理作業、そして地域の交付金のための事務作業をこなす日々が続いています。

 

天峰山・桂松院

先週のことですが、買い出しの用もあり盛岡へ出かけまして、その時、まあ命の洗濯と言って良いでしょうか、久々に盛岡からR455で岩泉方面への国道を走りました。天峰山・桂松院という地点をGoogleマップで見つけて、訪れてみまして、草の中、仏像と紫の衣を羽織った石仏さんの佇まいを見てきました。こういうあまり人々が訪れないスポットを見つけてさりげなく訪れるのが好きです。

 

天峰山から盛岡岩手山方面の眺望

天峰山というのは知りませんでしたが、R455から北へ入ったところに展望台がありました。外山という地域です。放送局の電波塔らしきものもありました。息抜き、は大事です。こうした場所を目指して走り、無心になる。こうして日々の激務も乗り越えられれば、です。

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2025年春、農作業スタートです

たらの芽栽培最盛期

ようやく雪が消えてきて、春作業がスタートしましたが、連日の雨続きでなかなか進みません。ただ雨が続いたおかげで雪が消えていったとも言えるので、これまでの雨は良かったのですが、これからはもういりません。これまでのメインの作業はたらの芽の収穫出荷でしたので、天候には左右されず進められました。最終盤を迎え、もう加温も控え気味にし、最後の数点の注文に応えるだけです。無事、できたものは完売しそうで、生鮮品生産としては心配だった無駄な売れ残りの廃棄等が出ずに良かったと思います。

とはいえ、たらの芽栽培は結構難易度は高いと思います。今期については、カビの発生を恐れるあまり、灌水を控えて経過させてしまったことが、駒木の乾燥を招き、気温の高い日に悪くしてしまう失敗がありました。換気により風通しを良くしつつも、新鮮な水を常に供給することが大事で、ビニールに開いていた穴からの漏水もあって、ちゃんと対策が必要と分かりながら、栽培期間中はビニールの細かい検証や交換もできず、修繕は生産終了後の課題になっています。

収穫が終わったら施設の細かい点検をして来年に備えたいものです。雨の日の仕事ですね。

 

たらの芽出荷荷姿

たらの芽をポケットマルシェというサイトに出品しています。米やにんにくと違い、収穫期を迎えたものはすぐに出荷しなければならない生鮮品目ですので、自分のサイトだけでは短期間に全部売り切ることはできません。その点、フリマサイトは多くのお客さんに見ていただけるのでありがたい存在です。たらの芽の場合、梱包が3cmの厚さで収まるために、クリックポストを使用します。写真のように専用の箱に折り目を付けて保護の薄いシートを敷いて300gを並べていき、梱包します。全国一律185円という安価なコストはありがたく、輸送に2日以上かかる点だけは生ものだけに心配ですが、到着後にすぐにザルやボウルで水にさらしてから冷蔵してもらえれば、シャキッと戻ります。

ゆうパックなど本格的な輸送形態を選択するならば、輸送コスト的にもっと大きいパッケージ(1kgとか)となりましょう。でも一般の家庭利用では300g程度が適量で、その価格帯にいきなり700〜1,000円の輸送コストを上乗せすることはできません。ここはやはりクリックポストの選択で進むしかないかと思っています。

山菜の豊富な土地柄である上に、もともと農閑期の仕事をということで始めたたらの芽栽培ですので、旬の畑の露路物や山の天然物と違い、促成栽培という選択になりました。天然物以外は食べる気がしないよ、というような意見もわかりますが、こうした促成栽培のたらの芽は色も緑が綺麗で柔らかく、お子さんも喜んで食べてもらえる品ではあります。

5月になればこの穂木の採取圃場であるタラノキ畑でも自然に芽吹いてきて、秋までに1枝から2本程度芽を仕立ててその2本の穂木を育てて伐採採取します。細い枝の場合は芽は1個だけにしますし、1本の枝の芽の数を調整して、太い枝が秋に得られるように努めます。芽かき作業ですね。で、その余分な芽を掻いて持ち帰り天ぷらにしたりしますが、それらは結構硬くてゴワゴワした感じです。自分の施設での栽培のたらの芽のハジキを期間中食べていますが、それに慣れてくると、むしろ柔らかい方が食べやすく思います。

旬の時期に深山に入って天然のたらの芽を採れば、日陰になっていることで、促成に近い感じにはなりますが、タラノキ園の木は日当たりが良いので野生的です。タラノキそのものは日光を好むのですが、柔らかい緑のたらの芽は日陰が良いのです。そうなれば、柔らかい天然の緑のたらの芽と促成栽培のたらの芽との差はあまりないということになります。

そんな収穫出荷の日々もあと数日で終わります。

 

風呂消毒と塩水選

並行して、稲の種籾の準備もこの時期の大きな仕事です。亀の尾やひとめぼれなど晩生品種を作付けていてかつ出芽機を使わないハウス内平置きの出芽法ですので、種まきは早めに行います。早い時期の田植えを計画しますのでそれからの逆算ですね。地区の中では一番早いと思います。まあ途中で追い越されてしまいますが。。

今年から農協の育苗センターで温湯消毒をしてくれなくなったため、自分の風呂で行いましたが、60℃にはなりませんで、やかんで沸騰させたお湯を足し足しして、何とか58℃を確保し15分浸漬しました。そしてすぐに塩水選を行い、あとはそのまま水に漬けて12日くらい。そしてハトムネ催芽機で芽出しをしてから播種します。

 

播種機

3月後半になるとハウスの除雪をしますが、雪が消えてハウスのビニール掛け、そして種籾の催芽、そして育苗の培土の準備が一致して初めて種まきができます。わが家は4月10日が種まき開始の日です。ハウス内の土を整地しますが、その前に昨年の麦や稲の脱穀の際に溜まっていたハーベスタから排出される殻などを綺麗に片付けてからです。平らにした地面にプール枠を組んで、ブルーシートを敷きます。作業場の2階から苗箱を下ろし、播種機をハウス内に設置して、土入れ・播種・覆土の作業がスタートします。

亀の尾が60枚、ササシグレが26枚、ひとめぼれが18枚、通常出荷はしませんがりんどうの廃園後翌年に作付けするいわてっこが今年1反歩で21枚、以上になりました。用意した亀の尾種籾が予定より少し足りず、多めに準備していたササシグレが少し増えました。ひとめぼれも需要はありますので7アール分1枚に作付けします。

ここは冷涼な地域です。有機稲作のセオリーで薄まきの大苗育苗を理想として播種を行って田植えしても、結果、分けつが暖地のようにはできません。ある程度厚く蒔き、1株当たりの植え付け本数を増やすことは、寒冷地という地理風土の必要な方法になります。そうしたこともあって亀の尾は種籾を多く使ったせいで箱の枚数がやや少ない結果になりましたが、その面積の中でしっかり穫れるよう努力いたします。

品種が増えるといろいろ面倒なのですが、現在どれも必要な品種と思い、なかなか数を減らせないでいます。いわてっこの方はともかくとして、亀の尾・ササシグレ・ひとめぼれから選択してお求めいただきたく思います。

以上のここまでは雪が残り雨が降っている時期でも進められる作業になります。

 

にんにくの目覚め

外の圃場に目を向けますと、4月17日に、大部分のにんにくが現れてきました。雪に押しつぶされてまだ呆然とした感じですが、これから一歩も二歩も他地域に遅れての再スタートですので、頑張って挽回してくれとエールを送るのみです。

 

アリーナ小麦の目覚め

同じ17日の小麦アリーナ畑です。ヨーロッパ由来で南部小麦よりは雪に弱いのですが、何とか生き残っていてくれました。まだ眠そうですし、株元に葉がいっぱい枯れていて、この枯れ葉の中からの復活を力強く遂げてほしいです。この枯れた部分を見越して播種時は厚まきにします。また秋の年内の生育が足りないで雪の覆われると雪腐れになりやすく、そのためにも早い時期の播種が必要です(9月中の播種)。

去年の晩秋は暖かい日が多くて、にんにくと小麦については大変ラッキーでした。いろんな品目を植えていると、何かが思わぬ恩恵を受けてくれたりするものです。水稲だけで、しかもコンバイン+乾燥機であれば、稲刈り後10月からの天気はもはや関係ありません。ハセ掛けのわれわれは稲刈り後の好天がとにかく必要ですし、同じく作付け直後のにんにくや小麦もお日様に助けられました。とはいえ、去年の秋がたまたまそうだったため、やっと他地域並みに育ったということですので、同じ岩手県内でも他の少雪地域の人たちはこのくらいの生育はいつも当たり前だよということになるわけでしょう。まあそれも寒冷積雪地の宿命で、それを何らかポジティブ要素に変えて生きていくしかありません。

なお、雪腐れ病に対処するために、小麦連作による障害を回避するという必要があり、そのためと、土作りやチッソの補給という面を併せてマメ科のクロタラリアを盛夏の休耕期間中に作付けし、小麦の播種前にすき込んでいます。その成果が確認されるのもこの雪解け時期になります。

 

ルバーブの株分け

一方、消雪後まもなく行うことの一つに、ルバーブの株分けがあります。近所の加工所でジャムにしてくれていますが、やはり赤いルバーブのジャムは綺麗で貴重です。赤いルバーブはいま入手が困難ですので、大事に増やしていきたい財産です。1株掘り上げてスコップで4個に分けます(写真は4つに切り分けたところ)。株分けをすればそれらは小さくなるので今年の収穫は控えなければならず、したがって、一気にではなく毎年少しずつの株分けになります。

 

乙部のイワテヤマナシ園

もう一つ春の作業に果樹の剪定と接木や挿し木の作業があります。去年4月に、寒天出張終了時に神戸大学から輸送したマメナシ台木にイワテヤマナシを接木しましたが、あまり成果が思わしくなく、多分台木自体を植え付けてすぐの接木だったせいもあったでしょうか、失敗した台木を掘り起こして盛岡市乙部の片山先生の圃場へ持って行き、プロの手によって台木を生かしてもらうこととしました。秋の時点で成功したかなと思われるものは私の園地でそのまま経過観察していますが、やはり幼木をこの多雪地帯で管理することは容易でないと思いました。細く小さい木の上に2mの雪がずしりとのしかかるので、いくら雪囲いをしても、テープで止めて固着したはずの接木部分が押されて曲がってしまったり。。むしろこういう豪雪地では挿し木などと同じくポットで管理して冬は作業場で管理し、何度か植え替えをし、3年くらい育ててから地植えする方が良いのでしょうか。小さい台木での接木育苗作業は雪のない盛岡に委ねることにして、当園ではすでにイワテヤマナシ成木が8本あるので、それらの一部を高接ぎで好みの品種に改変していく、あるいは一本まるごと別の木に改造していくという作業をメインにしたいと思っています。立派な成木に高接ぎを行えば、成功率も高く、また生育も早いです。雪による圧迫も地面から上に上がった空中のことなので回避できることになります。

たらの芽もですが、太い穂木(駒木)からは大きな芽が育ち、細い木からは小さな芽になります。太さが肝心なようです。イワテヤマナシは岩手特有の、岩手にだけ自生した、香ばしい匂いのする梨の実なので、これを活かし、いろんな産品に商品化したり、また果実のみの出荷販売もありですしね。まずは太い枝に理想の実をしっかりならせられるよう栽培管理に努力したいと思います。

 

玉泉寺

農業外では、久しぶりに地元のお寺「玉泉寺」(ぎょうくせんじ)に法事で出かけました。りっぱなお堂です。すばらしいです。仏教文化の高い芸術性を目の当たりにした気持ちです。こんな山奥の過疎の村にこのようなお寺があることは嬉しくなるし、誇りに思いますね。新興の住宅街とかでない太古からの暮らしの歴史を持つ山村であることを感じさせてくれるひとときでした。入植時にとても世話になった地元のおばあさんの3回忌でした。ご飯を食べながらご家族親戚の人たちと久しぶりにおばあさんの話や、四半世紀前の話でとても懐かしい時間を過ごしました。

そのおばあさんの土地を借りて農業を続けてきているし、そのうちの1枚の田を買っていまの住宅や作業場、ハウスなどがあります。都会育ちで農業のイロハも、また田舎で力強く生きていくためのすべをも持たない30そこそこの青年に、豊かな知識と技を伝授してくれたおばあさんでした。ポツンと一人でやって来て、しかも血縁もない豪雪の山村です。いまそれなりに暮らしが続いてこれたのも、このおばあさんの助けで生活の土台ができたからでしょう。車の運転ができないおばあさんと、その地元のお婆さんたちを乗せて、県内のいろんな場所を訪ねました。自分にとってそれらのドライブは岩手を知る発見の旅でもありました。ワゴンRの後ろの席をフラットにして、そこにばあさんたちが座っておしゃべりする様を見ながら温泉に行ったり、志和稲荷へ参拝に行ったり、バイキングにも行きましたしいろいろでした。

 

薪割り

さて、雪がある時期のもう一つの仕事は、薪の玉切りです。10年以上前にヤフオクで買った古いチェーンソーに頑張ってもらって、雪のあるうちに玉切りを行いました。薪割りは地面が出てからの作業で後回しですが。森林組合からの購入で3間の量ですが、今年のこのナラは地元産だそうで、県内他の木よりもとにかくここ奥羽の地で育った木は年輪が詰まってずしりと重い。切るのも苦戦し難儀でしたが、燃やすには火持ちも良くて、良い薪になるでしょう。

 

最近食べたランチから(大盛り系)

農閑期の間はいろいろ出かける用もあり、外出でランチする機会も割合ありました。寒天出張の時は3食デリバリー弁当でしたが、とにかく量が少なくて、もうご飯はいいからと結局おかずだけにしてもらって、ご飯は炊飯器で炊いて好きな量を食べていました。深夜からの長時間の勤務のため1日4食食べており、しかも酒を飲まない生活だったので、米も長野産コシヒカリを社長からもらって、自分の持ち込んだ玄米と交互に食べておりました。デリバリーのない4食目(夜食)はレトルトのカレーだったりしましたが、3食のデリバリーもおかずは少ないし病院食のようです。そういう体験をしていると、高級な意識高い系の上品なレストランよりも、大衆食堂の大盛り系に行きたくなってしまうのが人情ですね。

左は盛岡市の「田舎家」という食堂の看板メニューの唐揚げ定食です。ご飯はまあ普通盛りですが、唐揚げの量が結構多くて、お腹いっぱいになりました。人気のお店で早い時間帯でないとかなり並ぶのではと思います。右は西和賀から横手へ向かう途中にある「山内食堂」で、オモウマイ店とかいう番組で取り上げられて行列の店になりました。昔はなかったと思うので、この10年くらいにできたのでしょうか。ユーリンチーというメニューです。写真じゃ分かりにくいですが、2枚の写真ともかなりの肉の量です。これでご飯が大盛りだったら食べきれないでしょう。油淋鶏というのは初めて食べましたが、醤油の甘酢とネギがふんだんにかかった美味しい唐揚げ料理でした。

寒天からの帰りに仙台で娘と「北京餃子」という中華店に行き、また先日は息子と「中華飯店」という店にも行きまして、ずいぶん中華を食べて、寒天生活の食の70日を挽回した気持ちです。「北京餃子」は中華が各種安価に食べられていろいろ頼んでシェアして食べたりしましたし、「中華飯店」は値段は結構しましたがどれも大盛り系で、いちばんのおすすめは春巻きでした。日立システムズホールというコンサートホールのすぐそばにありますので、コンサートの前後に出かけられてはいかがでしょうか。去年の夏にはここでモーツァルトのピアノコンチェルト20番とマーラーの「巨人」を聴き、その後で一緒に聴いた子どもたちと中華飯店に寄ろうと思いつつ、結局コンサートが夜9時頃までかかったので閉店して入れませんでした。

余談ですが、コンサートでは、先日NHK教育で観たマーラーの第2番「復活」がすばらしかったです。指揮者はカーチュン・ウォンというシンガポール出身の若手ですが、リハの映像からして、表情も豊かで人間味に溢れ、とても好感の持てる指揮者でした。この「復活」は合唱を伴った壮大な交響曲ですが、これまでコンサート経験も、曲の映像を動画で観たこともなかったので、とても刺激的で新鮮な体験でした。演奏ももちろん素晴らしいの一言です。いまの時代、語弊はあるかもですが、ブルックナーやマーラーのような壮大なシンフォニーというのは時代にマッチしていないように常日頃、感じています。自分自身がブルックナーやマーラーしか聴かないような狭いタイプなので余計に阻害感を意識してしまうのかもしれません。

想像するに、20世紀のバーンスタインやテンシュテット、ひいてはフルトヴェングラーのような気迫のこもった熱い演奏というのはいまの流行りではないのかもしれませんね。コンサートの曲目を見ても、ドビュッシーやサンサーンスなど、一見王道ではないよという作曲家の演目も東北の山形や仙台でも頻繁に行われるメジャー曲目だし、シベリウスなんかも演奏機会が多いですね。ラフマニノフなども人気の演目です。もちろんドヴォルザークだったり、シューマンだったり、演奏会いっぱいあります。ただ、ブルックナーやマーラーとなると、ちょっと「引いてしまう」というのが時代のムードなのかと感じています。え、やるの、という。。去年なんかブルックナーの生誕200年のメモリアルイヤーだったんですがね。私の偏見やひがみなんだと思われてもいけませんが、クラシックのトーク番組(FMの音楽番組)とかを聴いていても、敬遠されてるかなみたいに感じる節がありますね。だいたい女性はブルックナーが嫌いという説もあります。大袈裟な感情の発露とか、壮大なクライマックスとか、そういうのじゃなくてね、いまの気分はもっと身近な身の回りの感覚にマッチした音楽が求められているんじゃないの? そういうようなご時世という気がしますね。

「全身全霊でマーラー楽曲の表現を追究したい」という感じのことを「復活」の演奏に当たってカーチュン・ウォンは語っていました。復活の合唱はラストの10分くらいかと思いますが、歌い出しは「よみがえる」、で始まります(復活する、です。auferstehen)。歌詞を検証した上ではありませんが「生きるために死ぬ」とか、「自分が息絶えてしまうことも、それが生の糧になる」という感じの詩になりますね。後の傑作「大地の歌」の集結部では、「自分がこの世にいなくなった後も、花々は永遠に咲き誇るのだ、永遠に」の言葉で静かに終わっていきます。現代の感覚としては特異かもしれませんが、しかし「全身全霊」というカーチュン・ウォン氏の言葉は、非現実的な大袈裟なドラマを語るのではない、いま風に表現しマーラーのメッセージの核心を言い当てた言葉遣いに思いました。

カーチュン・ウォンと日本フィルでマーラーのチクルスを進めているそうで、その一環としての放送でした。それならば、いつか数年以内に第8番を演奏することになるのでしょう。「復活」と同じオルガンのあるサントリーホールですね。その時はぜひ東京へ行かなくては、と思いましたね。いまは日の目を見ないかもしれない時代の周辺部の人たちが集結しますね、きっと。ブルックナーの大作第5番のコンサートが東京で最近あったと思いますが、私が情報を目にした時は完売していました。いるのです。ブルックナーやマーラーに心を打たれ、時代の気分が何であろうと何十年もひたすら愛好して来た、自分の生きる道はこれだと貫いて来た、いまはたまたま特殊な愛好家として辺境地?に暮らす人たちが。。

マーラー8番は東京時代の最後の頃にN響の特別演奏会を30年前に渋谷で体験してはおりますが、楽しみに次回のその時を待つことにします。稲刈りとかお盆や彼岸のりんどう需要期でないことを願います。

 

石割桜2025

盛岡へ出かけた4月18日、盛岡市の石割桜が満開でしたので、車を停め写真を撮りました。外国人観光客がいっぱいいました。西和賀町まではまだインバウンドは及んでいません。が、早晩われわれのこの山あいの雪国にもお客は来ることでしょう。地元の若い人たちにもそういう読みはあるでしょうし、新たな形態の宿泊業への進出も取り組んでいます。

石割桜を見た後に、せっかくなので映画の「教皇選挙」(コンクラーヴェ)を観て来ました。カトリック教会のこと、ひいてはキリスト教の文化歴史的側面について、日本人はなかなか理解ができていないと思います。私自身もたとえば哲学の勉強の中で西洋思想史の中でのキリスト教の持つ意義というのは大大テーマであるとはいえ、その本質的部分は何となく避けて通って来た気がします。でも、子どもたちに対しても、世界を股にかけた仕事をするようになってほしいし、そういう時にギリシャ神話やキリスト教文化のことを知っておいた方がよく、同時に自国の「古事記」の個々の話なども外国人に説明できるようであってほしい、などと言いはします。その通りでしょうが、なかなか。。

次の教皇を決めるのは枢機卿(すうききょうと呼ぶのが正しいらしいです)団の人たちで、バチカンに集まって教皇の選挙を何日もかけて決まるまで行う、という話ですね。そのことは知っています。教皇が選出された時は特別な色の煙で地元住民に知らせるとかも何かで憶えていました。映画だけでなく実際にいろいろ策略や陰謀とかもあったことでしょう。そういう世界史の一コマを子どもたちには知ってほしいものです。

雪が溶けたいま、映画を見たりする余裕ももうなさそうです。去年よりも雪解けが遅くて春作業は遅れています。稲の育苗だけは進めていますが、ちょっと気温が低くて、いつものことですが出芽にヤキモキの日々です。平置き出芽でみんな使うシルバーシートですが、寒冷地では天気の悪い時は「保冷」になって箱の温度を低くしてしまうため日中は外して夜に「毛布」のつもりで掛けてやります。こうして出芽を待っているうちに、出芽機で出芽した苗をハウスに並べる地元の農家に追い越されてしまうのでした。。

これからりんどうの春作業が待ち構えています。支柱を直し、肥料をやり、ネットを掛けて芽かきをする。廃園予定の圃場はいまのうちにマルチを剥がしておくし、新たに新植する圃場は溝を掘って排水を進め、5月にはこなれた畑で畝立てができるよう準備をする。りんどう作業は何週間もかけて、夏までに終わらせるような息の長い作業です。田んぼの仕事はそれに比べれば、田おこしも代かきも、田植えもまあ数日で終わる話であり、問題は植え終わった後からの除草作業です。

とはいえ田もりんどうも除草がメインの作業になるということは春の作業の形が一段落し終わってからの話で、それがおよそ6月初めまでの仕事になります。一方、秋に植え付けをしたにんにくと小麦は、もういまは形ができているので、収穫の7月までは除草がメインになります。一方で秋はにんにく小麦の仕込みの時期であり、かつ稲刈りやりんどうの収穫時期であるため、最大の繁忙期になります。

まずはいまこの春の「形にしていく」時期を乗り切りたいところです。

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雪深い早春のたらの芽栽培

たらの芽ふかし2025

寒い冬になっていますが、その中でも日中は春の気配も漂う季節になっています。今年も寒天製造の出張から帰宅して、たらの芽の促成栽培をスタートさせています。帰宅直後の頃は寒さも真冬本番で、真冬日が続いており、そんな気候の中で無理にふかし促成を始めても、時間ばかりかかって生育は遅く、逆に時間がかかりすぎることでカビにやられたりする危険も高まります。そこはじっと待ってからにすることとし、決算や確定申告、また春からのいろんな資材や種苗とかの検索や注文事務など、パソコンへ向かっての作業が主体となっていました。

たらの芽栽培としては、穂木を駒木に切断し、水に漬ける作業(樹液を出させてカビがつきにくくする意義と、発芽を促す催芽の意味があります)、水に漬けた駒木を圧力あるシャワー洗浄をし樹液を洗い流し、トレイに並べていく作業だけで、1日3時間くらいの軽作業です。収穫が始まるまではこんな感じです。

 

駒木トレイ

水に漬け終わった駒木をトレイに並べ、シャワー洗浄しました。あまりくっつけすぎて並べるとカビになりやすく、離れすぎると倒れます。だいたいこんな感じでトレイを埋めて、このまま栽培棚へ置きます。

 

穂木のテーブル電動鋸

秋のうちに採取しておいた穂木をこのテーブルカッターで駒木にします。2/3くらいは終わりました。あと1週間で手持ちの穂木は全部棚に入りますが、3段の棚全部使っても入り切らないので、残りは収穫で棚から出て行って空きスペースができるのを待ってからの伏せ込みになります。

全部伏せ込みが終わると、あとは収穫だけですが、こまめに棚を観察し、カビの発生はないか、温度や遮光の管理、水の交換は適切にしているか、日々チェックが欠かせません。日中の日差しがある日はビニールを開けて空気の入れ替えも大切な作業です。その時は扇風機で静かに風を送ったりもします。特に最上段は日光を多く受けやすく、遮光を掛けておかないと、芯の腹の部分が小さい膨らみのうちに葉が展葉する茎が出始めてしまい、結果小さなたらの芽になってしまうので、しっかりとお腹を膨らませるために暗く管理します。ダイオシートを使っていますが、日中晴れて来ても急激に気温が上がらないためにも遮光は大事なことです。

 

やまなし園3月上旬

やまなし園もまだまだ雪に覆われていて、ここは斜面のてっぺんで雪が溜まりにくい場所なんですが、まだ50cmくらいはあります。その他の田畑の平均でまだ1.3mといった感じでしょうか。近年は雪の量が少なめであったため、今年は多いように感じますが、10年くらい前など、4月1日の時点で1mくらいあった気がします。田畑の消雪も4月末の連休に突入してからという年もありました。この辺りが長野や新潟などの豪雪地帯と違う点で、関東よりも消雪の日が1か月も遅くなるのは、やはり最高最低の気温が全然こちらが低いことによるのでしょう。

 

作業舎への通路

問題は稲の籾を収納しているこの作業舎の冷蔵庫から籾を出して、籾摺り機のあるたらの芽栽培室の方へと搬送したいのですが、1mを超える雪の除雪に苦労しています。写真で見える作業場のシャッターが雪で開かず、除雪機が出せないでいました。やっと昨日シャッターをこじ開けて除雪を開始しましたが、歩いて硬く踏み固めたところとそうでない気温が上がって柔らかくなっているところとの差が大きくて、除雪機が真っ直ぐに進めないで苦戦しています。秋に籾摺りした玄米の在庫がほぼ底をつき、氷温貯蔵籾を早く玄米にして出荷を再開したいのですが。。

本当は秋のうちに全部籾摺りをしてその半分の玄米をこちら作業小屋の冷蔵庫に氷温貯蔵して、そのまま継続して出荷するようにしても良いのです。お客さんを待たせないで済むし、1回1回の出荷分玄米を雪山を越えて担いで運び出すことはできないわけじゃありません。籾摺りとなると全部を持ち出さないとダメなので、軽トラが入れるように除雪が必要なのです。もともと、秋に全部玄米にしてしまうのではなく籾での貯蔵で春に籾摺りした方が春以降の出荷分が鮮度も良く美味しいのでは、という考えで行ってきたことですが、実際のところ半年遅れで籾摺りした玄米が秋に籾摺りを行ったものより本当においしくて鮮度が良いのか、と言われればなかなかその差を実感できるものではありませんね。

農薬を使わない稲作ではどうしてもカメムシ斑点米の発生がありますので、農協の色彩選別機を使うことである程度除去することができます。そうなればむしろ秋のうちに全て玄米にして色選委託に出すことになりますので、それにより玄米品質を向上させることができて、かつ玄米をそのまま-1℃の氷温貯蔵米にすることももちろん継続します。いまの時期にお客さんも待たせません。次回作ではそのようにしてカメムシ害対策と品切れのない状態を維持することを遂行したいと思います。稲刈り直後の高水分の生出荷分だけは色選に出せませんが。。また通常の16%乾燥米とハウスでの15%乾燥米が色選装置で混じってしまうことはちょっと心配ですので、15%と16%の袋を分けて装置に入れるよう要望はいたします。

 

作業場通路除雪2025

昨日真っ直ぐに進めなかった除雪機はクローラーの左の軸のピンが切れてしまっていて、農機屋さんへ走り、そしてクローラーの回転軸のピンの穴とそれの外枠の穴を合わせるために、方向転換クラッチを微妙に切りながら軸を回転させ2つの穴を合わせ、まず折れたピンを叩き出し、新しいピンを差し込むためにさらに正確に穴位置を定め、ピンは何とか差し込めました。機体が傾いたことでオイルが漏れてしまい、エンジンオイルを補給し、再スタート。無事住宅の方から作業舎への通路を除雪することができました(やれやれです)。これで多分数日待てば雪が消えて軽トラをバックで入り口に着けて、氷温籾を運び出し、住宅の方の作業場部分に設置した籾摺り機で玄米にします。また、森林組合より薪を購入していますが、バックで入れるところまで入ってもらってユニックで写真の右側の山に薪を降ろしてもらえます。雪のあるうちにここで玉切りし、あとは地面が出てからゆっくり薪割りをします。

近々籾貯蔵在庫の籾摺りが行えますが、玄米が底をついているいま現在、米の価格が高騰していることもあり、「ポケットマルシェ」の方への出荷は注文に応じきれそうになく休止していました。自サイトの方はそのまま続けておりますが、やはり注目度が足りないせいか、そんなにサイトに直に注文が来るするわけではありません。有名サイトへの出品とは違いますね。価格は去年と据え置きで、社会で価格が高騰しているからといって、それに便乗して値上げをすることは、ちょっと恥ずかしい行為ですし、自分の経営上やむなくの値上げというのなら別ですが、今期はその理由もありません。ですので、慣行栽培のお米よりも販売価格が安くなってすらいます。といっても農協や米卸経由の店頭価格からどれくらい差し引かれて、秋に農家に精算額が入って所得が実際増すのか、その時は近所の農家に訊いてみたいと思います。価格を上げる要因はないと申しましたが、今度の秋に亀の尾のみになると思いますが色彩選別に委託を出すとなれば、その手数料分は価格に入れさせていただきたいと思います。キロ当たり数十円の値上げにはなりますが、それでより品質の良いお米を供給することができるならば、必要な工程となると思っています。

 

ハウス除雪着手2025

来月の今日辺りは種まきをしている時期です。除雪機が出せたので、ハウスと作業場の間の雪山の除雪にも手を付けました。水稲育苗ハウスの除雪はまず外周からです。反対側の側面は雪が少ないので、とにかくまずここを払うために、5回くらいかけて減らしていきました。

去年は猛暑の夏だったので、ここ奥羽の里はちょうど良い暑さで、亀の尾など、よく穫れました。先日までいた長野の人たちは、真夏は標高1,000mの茅野・原村付近でも平気で35度になるよ、とのことで、やはり東北の山間地は違うのかもしれません。気象庁のデータを見ても去年の沢内で8月6日にたった一度32.0°を観測し、それが最高です。前後に31.5℃とかは数日ありますが。。ちなみに長野県の原村の実測値は7月23日の33.5℃が最高でしたので、まあ35℃はちょっと大袈裟でしたが、32℃台は数日ありました。もっとも岩手県の北上市も結構高い数値を叩き出しており、原村よりもむしろ暑かったかもという感じです。それほどここ沢内は冷涼と言って良い地域と思います。広大な奥羽の山塊の醸し出す水蒸気や緑そのものがリビングマルチになって気温の上昇をマイルドに抑えてくれているのかもしれませんね。豪雪の影響は真夏までは持たないと思いますが。。

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稲作が終わり新米の季節へ

稲刈り2024

7月と9月に大雨があって、多雨多湿の2024年夏でした。気温は高かったと思いますが、晴天の印象が薄く、天候的には恵まれたとは言えないシーズンだったでしょうか。切り花りんどうなど園芸品目に病害が出て収量を落としましたが、いつもりんどうとお米は反対になり、今年の稲作は、大雨にもめげず病気にならないで平年よりは多収であったと思います。9月には雨が多かったものの、幸い稲刈り時期の下旬は田も割合乾いていて、去年のようにバインダーが進まないということはありませんでした。もちろん水のある中を用心して刈り進んだ箇所はありました。

 

稲扱き2024

脱穀の時期は割と秋晴れが多くて、今年は良い稲扱きができたと思います。とは言えこちらは気温の低い地域ですから自然乾燥に適しているとは言い難く、外のハセで15%まで水分を下げるというのは厳しいですね。三陸沿岸部とかで遅くまで掛けている風景を見たりしますが、長期間掛けていれば干せるだろうと思われますが、そうもいかなくて、特に11月に入って冬型の気圧配置になってくると、気温も低く小雨が多いぐずついた気候になってきます。籾の水分も下りはしません。10月中の取り込みは必須です。

 

ハウス稲の脱穀2024

そんな地帯ですので、この18間のハウスにも稲を掛けています。4mパイプ4段2連結が2列です。麦の乾燥の時は夏だし真ん中にもう1列作りますが、秋の稲の時は風通しの悪くなる中央部は設置せず2列で行います。それでも4段の下から2・2・1・1の束を掛けますし、ハーベスタに付けているメッシュのコンバイン袋ですが、ここから8袋穫れました。

 

わらカッター2024秋

外に干した通常の稲の脱穀後のわらは畜産農家さんに持って行ってもらいます。そしてこのハウスに掛けたわらについては、わらカッターで田んぼに戻します。ハウスには亀の尾を掛けていましたので、背も高くて効率が良いです。この意味でも長稈品種は助かります。ただ、このわらカット作業は結構体力を消耗します。通常田んぼは水を張っていて平面であるというイメージがあるかもしれませんが、それは慣行の農薬を使う人の田の話で、われわれは何度も除草機かけで田の中を歩きます。長靴の足跡で条間はボコボコになっています。なのでバインダーで刈る時もぶれそうになる動きを制御しながら刈っていきますが、バインダーはエンジンで走行します。このわらカッターは自走せず、エンジンは藁を切断し飛ばすための動力です。タイヤは一輪車に付いているようなタイヤで、自分で押して動かすので、これでわらを田の中で均一に散らかるように移動したり角度を変えたりして飛ばすのは結構力がいるのです。ちょっとした長靴の凹み跡でももう前進できません。むしろ移動は引っ張ることで行います。小さめの田で2枚に散布しました。ハウスに掛ける稲は5〜6アール分の稲なので、わらの量の入り具合は薄めになりますが、やはり毎年少しずつでも田んぼに還元したいものです。ハセ掛け栽培は稲わらを持ち出してしまうので。。

 

小麦の中耕除草

天気の良い日には小麦畑の中耕除草をします。今年は40cm間隔で播種しておりましたが、管理機とちょうど合っているようです。秋のうちに一度こうして除草しておくことは大事です。雪解け後の5月頃にも2度目を行いますが、やはり雪の押されて土も硬くなっていて、それほど綺麗に土が飛んでいかないのです。

 

南部小麦10月27日

10月27日の播種後約1か月後の南部小麦です。今年の秋は高温傾向だったため、秋に植え付けをするこの小麦やにんにくはとても生育が旺盛です。いつもとは違います。ああ、同じ岩手でも東北でもここより気温の高い場所は多いというかほとんどなので、みんな当たり前のように秋にこれくらいの生育になっているんだ、とつくづく感じます。こちらではそれが今年限りのラッキーな状況だということですかね。小麦の場合寒冷なのは悪いことじゃありませんが、早い根雪で年内の生育が早く終わり、遅い雪解けで春の再開が遅れることは結構ではありません。要するに雪がネックになるのが小麦栽培で、春先の雪腐れ病も原因は雪です。

雪腐れ病の対策は、連作をしないことと積雪前の年内の生育をしっかり充実させること、のようです。小麦と輪作できるのはにんにくくらいですが(あとは玉ねぎとか)、小麦と同じ面積のにんにくを交互に作付けするわけにもいきませんし、小麦の連作になってしまいます。そこで刈り取り後と次の播種の前の2か月余りの間にマメ科である緑肥のクロタラリアを栽培し、ある程度生育したところをトラクターですき込んで腐熟化し、小麦を播種するという形をとっています。マメ科を挟むことで連作の回避の意味と緑肥のチッソ分補給の両方を兼ねるのです。また、今回は、南部小麦よりも晩生であるアリーナの方を先に播種しました。ヨーロッパ原産のアリーナは南部小麦よりも雪腐れに弱いです。これは他のライ麦とかスペルト小麦などヨーロッパ小麦にも言えることで、まだアリーナは良い方ですが、それでも南部よりは危険なので、年内の生育量をしっかりキープするためには、早く蒔くということが大事になってきます。

前回も書きましたが、小麦播種は稲刈りと重なります。天気が良く土が乾いている時は稲刈りよりも小麦播種を優先します。ちょうど田植えが代かき後雑草の種が動き始める前に早く行うというのと同じで、小麦畑を耕耘ししかも土がこなれているうちに素早く播種を行う、できれば耕耘当日か翌日に、というのが鉄則になります。

 

焼石岳

いまはそんな激しかった繁忙期も終わり、一段落ついて秋仕舞いの時期になりました(とはいえ今度は雪の心配をしながらで、決して楽な時期というわけではありませんが)。それもごく最近からですが、ちょうど稲刈りが終わって、稲扱きにはまだ時間がある10月17日、かねてから計画していた焼石岳への紅葉登山をしてきました。

焼石岳はここ西和賀町に接する南本内岳から縦走すれば近いんですが、一般向けのコースじゃないので、初めてのコースで一人登山ではちょっと抵抗があり、ぐるっと胆沢ダムの方へ回ってから中沼のコースで登りました。胆沢ダムから登山口までの林道は結構な悪路でスピードも出せず、しかも紅葉の時期なのでもし駐車場が満車だったらどうしようとの心配もよぎります。その意味でその直前の3連休は天気が良かったものの入山はやめて農作業に専念し、新米時期限定の早期脱穀を行い新米を準備することができました。17日は紅葉もピークの好天の日でしたが、平日だったため、駐車場が満車ということはありませんでした(朝7時頃到着で3〜4割の駐車あり)。

 

中沼

地元じゃなく胆沢ダムからのコースにしたのは、紅葉の池を見たかったというのもありました。登山開始からすぐの中沼です。

 

上沼

やや進んで上沼。ここも素晴らしい紅葉です。

 

銀明水避難小屋

避難小屋があります。銀名水という湧き水のところです。避難小屋ってとても魅力的です。前にも書きましたが、予約も要らず値段も安い(あるいは無料)。2段ベッドが組み込まれてあってシュラフと食事の準備はもちろん必要ですが、快適に休めます。そんなに混むこともない。ただ、この場所は登山口から2時間くらいだし、焼石岳自体が日帰りの山ですので、よほど想定外のトラブルとかがない限りはなかなか利用する機会はなさそうです。6月に訪れた朝日連峰の以東岳の避難小屋は山頂近くで、大鳥池のコースで登山口から6時間。早朝に家を出て9時頃から登り始めて到着は夕方。ちょうど良い場所ですね。この以東岳も日帰りする客がいて、かなり強行になります。そのような方は前夜とかに登山口まで乗り入れて車中泊し、早朝から登り始めて日帰り登山をするのですが、そういう山行をするよりは、私は早朝に家を出て、そして山中で小屋泊をする、ということに惹かれます。人の多い関東の有名な山ではなかなかできませんが、東北の静かな山だからこそ、避難小屋を使って夜も昼も山を楽しみたいものです。

 

銀明水

こちらは銀明水という湧き水です。昔からある名水のようですね。中央に見えるパイプ?のようなものはなんでもなく、石の左下から流れてくる水をその出口の箇所で掬って飲みました。よくわかりにくいですが、木の踏み台みたいなものの右側は水の流れになっています。帰りに2L汲んで家でコーヒーや米の水に使いました。

全くの余談ですが、9月のNHK交響楽団の定期でブルックナー8番の「初稿」での演奏会があり、FMとテレビ番組とで放送がありました。指揮は現在常任のファビオ・ルイージです。今年は生誕200年ですしね。ビッグイベントです。

ビックリです。大学1年の頃から40年以上聴き続けてきた8番の初稿がこんなだったのか、と。1楽章の終わりが何と大きく盛り上がって終わるし、3楽章の頂点部ではシンバルが3連打!! 個人的にはここでシンバルが入らないハース版よりも1発大きく鳴るノヴァーク版の方が好きでしたが(その後でもう1発入りますが)、3連打は驚きでした。ノヴァーク版が好みというよりは、オイゲン・ヨッフムのブルックナーが好きだったことによります。いや、でもこの初稿は一番好きかもと思いました。発表後も改訂をくり返すことの多かったブルックナーの交響曲ですが、誰の意見に左右されず、まだ自分の完全な好みで描かれた初稿ですから、最もブルックナーらしさに満ちていると言えます。ブルックナー8番はやはり私には松本市での大学生生活の空気感がまとわりついています。10月になれば空気もぐっと下がってきて、湿度もなく、とても稲がよく乾きそうな。そういうヒヤッとした感覚が蘇りました。

しかし最近は、どちらかと言えば5番の方が好みになっています(私の趣味など別にどうでも良いことではありますが、5番には着目してもらいたい気持ちです)。2楽章も美しくて好きですが、やっぱり終楽章のコーダの部分が凄いですよね。ここの金管セクションはものすごい体力を消耗するそうです。金管が旋律を強奏し、弦楽器は完全に伴奏のリズムを刻みますが、この伴奏もまた良いんですよね。最近「カケルクラシック」という毎回ラジコで聴いている番組にゲスト出演した、NHK教育ピタゴラスイッチで有名な「栗コーダーカルテット」の一員の方が、自らの思い出深い演奏として東京カテドラルで行われた朝比奈隆の5番を挙げて、そのコーダ部分が放送で流れましたが、これもまたテンポも雄大で迫力でした。あまりに凄い演奏で、終演後誰も拍手を打ち鳴らせず沈黙が続いたそうです。オケは大フィルでなく東京都響だったように思いますが、CDで見つけることはできない特殊な音源なようでした。5番も朝比奈、ヨッフム、チェリビダッケの3人のライブ録音をよく聴いています。東京へ上京した最初の年に朝比奈/大フィルの8番を東京文化会館で聴き、バチバチと照明がショートする銀座線に乗って三軒茶屋から上野まで行きましたが(外苑前で乗り換えだったか)、その時は比較的早いテンポで進んでいましたが、生まれて初めての生の8番は感動的でありました。これが唯一の朝比奈体験でした(ハレー彗星の来た1986年です)。ちなみに、8番のヨッフム/バンベルク交響楽団の東京公演は大学生の頃に帰省中の広島でFMの生放送で聴き、これも凄い名演で、わなわなと震えました。NHKホールだったでしょうか、CDで持っていますが、私には8番のベストの演奏です。最後の3音の微妙にためながらの終わり方にもしびれました。東京へ出た年には、朝比奈だけでなく、実はヨッフムも来日していました。しかも確かすぐ近所の昭和女子大学人見記念講堂へ来たのに。。お金がなくて行けませんでした。まだサントリーホールができる前で、この人見記念講堂が日本のベストのホールとされた時期です。ブルックナー7番だったと思いますし、CDにもなっています。まだ未購入ですが、聴きたいですね。

後に、サントリーホールには出版社にいた頃にマーラーの「大地の歌」を聴きに行きましたが、オーケストラの大音量で歌い手の声が掻き消えた箇所があり、それは少し残念でしたが、マーラー自身この曲を耳にすることなく亡くなってしまっているので、オケと歌手の音量のバランスがわからなかったのかもしれませんね。オケの編成は確かに大きかったと思うので。

NHKホールにもよく行きました。1,000円の当日券D席で、会社を早めに退社して、確か6時頃から当日券発売だったような。。コンサートでは珍しいマーラーの3番や、記念碑的な8番もここで聴きました。両曲とも10年に一度くらいの稀なる演奏会ですね(地方では皆無で東京でですね)。マーラー8番の「千人の交響曲」を聴く機会など一生に一度でしょうから、貴重な体験でした。神保町の洋書屋さんでレクラム文庫版の「ファウスト」原書を買って、8番の歌詞を追ったものでした。最後の「hin an!」「上へ(天上へ)!」のラスト、懐かしいです。タムタムが一発荘厳に鳴り響き、終結する。この初演の時は当代の作曲家や指揮者はむろん、ホフマンスタール、シュテファン・ツヴァイクやトーマス・マンも会場にいたという話です。音楽のイベントが歴史的事象になった出来事と言われました。このマーラーの8番、出だしも強烈で、「Veni creator spiritus」(来たれ、創造主なる精霊よ)、でいきなり有無を言わさず引き摺り込まれるわけですが、当時就学以前の幼少の子どもたちに冒頭を聞かせながら、この意味をどうやって教えよう、「おいで、世界を作った妖精さん」で始まるんだと伝えたことも、懐かしい思い出です。

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2024年秋作業繁忙期です

アリーナ脱穀前乾燥中

今年の夏は梅雨の頃から雨が多く、梅雨明け後の晴天もそれなりにあったかもしれませんが、あまり記憶になくて、日照が少なくとにかく湿度が高くムシムシした夏、という印象が強いです。9月の10日頃になってようやく晴れ間のある時にカラッとした空気になってくれた、という感じです(とはいえいまはひどい雨降りになっておりますが)。ハウス内で乾燥を続けていた南部小麦とアリーナ小麦ですが、なかなか水分が落ちず、現在は写真の束の段階から脱穀、そして籾摺り機による選別も終え綺麗な玄麦ができているのですが、メッシュの袋に入れてハウス内で追加の乾燥を続けているところです。水分計での計測はその時の外気の湿度に影響されるので、湿度が高い時は水分も高めに出る傾向もありますし、実際湿度が100%であればどんなに風を送っても乾燥はしてくれないと思います。とはいえ、これから空気も変わってきますので、秋晴れっぽくなってくれることを期待しています。今年の小麦も宜しく願いいたします。なお、製粉しての出荷は、ある程度注文がまとまってからの発注になりますので、晩秋の頃になるかと思います。

 

クロタラリア

小麦の栽培に当たり、近年取り入れているのが、豆科緑肥のクロタラリアの栽培とすき込みです。小麦刈り取り直後の7月15日頃、すぐ耕耘しクロタラリアを播種し、浅い耕耘で覆土、そして9月の最初に耕耘しすき込んで2〜3週間寝かせ(腐熟させ)、最終に耕耘し直後に小麦を播種します(9月25日頃)。小麦は肥料を入れないとなかなか育たなく、また特にこちらのような豪雪地では小麦の連作によって雪腐れ病が発生します。小麦に連作障害があるとすれば、アメリカなど見渡す限りの小麦地帯などではどうやって何と輪作しているのだろう、小麦だけの連作以外考えられないんじゃないの、と思わずにはいられませんが、雪が多いこの地方では、雪腐れ病のためだけに、ということでも確かに連作は良くないようです。しかも高温多湿の日本(ここは高温というよりは低温での多湿になりますが)というのは、小麦には不利な条件と思います。

 

クロタラリアのすき込み耕耘

緑肥をいままで深くすき込もうとロータリーを深めにして掘っていましたが、そうすると1度の耕耘ではすき込めず、連続2回掘っていました。今回は浅めに設定して回転を早めてみまして、そうすると1度の耕耘ですき込めました。背丈がちょうど良かったということもあるでしょうが。。あとは小麦播種直前に最終耕耘し播種になり、この時に深めに掘ります。天気だけがいちばんの心配です。昨今のニュースで見るゲリラ豪雨などに見舞われれば、秋ですししばらくは土も乾かず、小麦は種の適期を逃してしまいます。こなれないボコボコの状態で播種しても発芽率が落ちます。今年は7月後半に厳しい大雨が続きまして、山形や秋田で水害が起こりました。その時の気象は日本海側の気候である当地にも影響を与え、ちょうどクロタラリアの播種の直後に当たり、特に粘土質系の畑では水たまりができまして、クロタラリアの発芽不良に見舞われました。南部小麦とアリーナ小麦の2種を作付けしていますが、ちょうど晩生のアリーナ刈り取り後に蒔いたクロタラリアが大雨の影響を受けた形です。

また小麦作付け時期からの逆算で、緑肥は9月アタマにすき込まなければなりませんが、アリーナ刈り取り後のクロタラリアの生育は南部小麦よりどうしても1週間は遅れるために、その分遅れ、背の低い状態ですき込まざるを得ず、緑肥効果としては損をするということにもなります。2か月ちょっとというギリギリの小麦休耕期間に緑肥を育てすき込むので、スケジュールはタイトです。雪のない地域であれば、ゆっくり緑肥を育て、10月の中頃にでも小麦を蒔いて十分育ちますので、これは過酷な条件ではあります。

有機での栽培としては緑肥はとても貴重で大事な要素です。ただ、緑肥は種子代金が結構かかります。また何度も耕耘を繰り返し、軽油代もかさみます。稲など無肥料で、しかも代掻きと合わせても3回のトラクターがけですが、小麦の場合、収穫直後・緑肥播種の後の覆土・緑肥すき込み・小麦播種前の耕耘、で4度の耕耘になり、そもそも収量も販売単価も米よりも低いという、ほとんど常識ではメリットがない作目になります。楽しみの面での生産という側面も確かにありますが、実際は合理性や経営判断で全部を水田にしてしまっても、作業的に大変だし在庫が捌けるほど販売できないかもしれない。また田んぼにできないような条件の悪い畑もあります。稲と小麦は作型が違うため労力を分散できる、といったメリットもあります。有機での麦作はほとんど流通がないし、自分が取り組み続けることは需要に応える意味でも確かに有益ではあります。乾燥ハウス麦束収納能力にも限界があり規模の拡大は難しいですが、現状の3〜4反歩で2品種をという作付けを続けていきたいと思っています。

 

今年の優良にんにく種

8月の末より小麦と同じ作型であるにんにくの植え付けも進めています。今年は年明けの冬、長野県出張中の時期に、杉の枝とかで詰まった水路から水が畑に流入していて、にんにくがダメになってしまう事故があり残念な年になりましたことはお伝えしております。近年、土壌病害やウイルスに侵されていない生長点培養のにんにく種子を専門技術者の方から購入し量を増やしているところですが、この貴重な優良にんにくも水難で量が減り、この秋また新たに注文をし、来年以降に備えました。左はホワイト六片の原種に近い田子原産の品種、右はこの秋よりスタートする山形県の有名な「最上赤」になります。八幡平系統では西根(八幡平市内)の由来の種が追加になりました。あとは休眠が最も深い八幡平系の植え付けを残すのみになっていますが、水難に耐えて生き残った種子りん片はどれも小さく量も少ないです。八木と八幡平については来年夏の収穫物も今後の種使用を最優先することで、出荷に耐えうるサイズのにんにくは来年は供給できないかもしれません。その分、ホワイト六片系統は来年の食用の通常出荷に耐えうる量を植え付けしておりますので、来年はホワイト六片主体の出荷ということで宜しくお願いいたします。

 

彼岸りんどう夜なべ作業

彼岸りんどうの最需要期を何とか乗り切ることができました。市況を見てみて、結果は大体良いタイミングで出荷できたのかなという感じで、最も値段が上がるはずの18日出荷20日販売は出荷量が下降し、値段もやや下がって、これで終わり、になりました。量的には16日月曜日の市場が最大の出荷量になるようですね。当園でもそうでしたので、多分どこの産地も同じと思います。花屋さんは今週の前半に仕入れたりんどうをこの3連休に売っているでしょうが、現在は追加での新たな出荷はもうありません。天気も悪いお彼岸でしたので、売れ行きはイマイチ振るわなかったかもですね。。

今年は全ての作目が前倒し出荷になっていて、彼岸りんどうまでそのように今年の傾向に引きずられました。紅葉と同じで暑い夏だったから逆に開花が遅れるかなと思ったりしましたが、そうではありませんでした。もっとも、前倒しのため、逆に彼岸需要期に間に合わずこれから遅れて出荷されたりんどうが大量に出回る、ということはないわけなので、価格の暴落はないのかなと希望的に観測しています。これからは極晩りんどうの出荷がまだ残ります。とはいえ、今年は高温多湿(当地では主に7月の多雨)により病害が多く、出荷量は平年よりも少なくなってしまっています。お盆の時など7月半ばから開花が始まっていて、日々の管理作業との兼ね合いがちょっと間に合わないよと、とっかかりが遅れて畑にかなり残してしまった苦い経験もありました。もっともムリクリ出荷しても値段はかなり安かった時期です。りんどうは高温多湿に弱い作目ですので、今年のような多雨の夏の状態が今後も続くならば、当地よりも暑くさらに深刻にダメージを受ける地域はより増えることと思います。いつものことですが、米とりんどうの出来は逆になります。なので、米の出来は悪くはないのかと思いますが、どうでしょうか。。高温多湿化の進展で産地が何でも北へ北へと移動していくことになりそうです。米も同じで、新潟はコシヒカリの適地でなくなる日も遠くない気がします。

 

稲2024年9月16日

稲刈りも近づいています。りんどう彼岸出荷が終わったら、稲刈りするか、小麦を先に播種するか、で迷います。いずれまずハセを作らなければダメなので、それが手始めです。土が乾けば小麦の耕耘と播種が優先になります。稲の写真は9月16日の左がササシグレ、右が亀の尾です。水口付近からの撮影になります。いつも気温の低いここでは十分熟せないかな、という極晩生の亀の尾ですが、今年はここでもよく育ってくれました。収量も以前よりも上がっているかと思います。9月中には亀の尾含めて稲刈りが終わるかと思いますし、10月上旬には、ひとめぼれと亀の尾については少量ですが早期脱穀米(17%水分のみずみずしい新米)の出荷をさせていただきますので、その際は宜しくお願いいたします(いつもお買い上げいただいています方々にはご案内をさせていただきます)。

 

2024秋アリーナ播種

どの作業に着手するか迷いましたが、土が乾いていたので、小麦の播種、まずはアリーナを蒔きました。稲刈りの場合、雨の後で土が湿っていても、バインダーがぬかるほどでない限りは稲刈りできますが、小麦播種はまずトラクターで耕耘してからとなりますので、天気の具合を見て、まずアリーナ約17アール分の耕耘と、そしてすぐに播種を行いました。南部小麦よりも晩生のアリーナを先に播種したのは、アリーナはヨーロッパ原産で南部小麦よりも雪腐れに弱かったことから、雪腐れの原因の一つである「根雪となる年内までに十分な生育がなされていない」という事態を回避し生育を少しでも進めておきたいとの考えでした。これで来年の収穫期が早まるというわけではないでしょうが、早く蒔いて、もしかして少しでも早く熟し収穫できるようになれば、その分来年の緑肥クロタラリアを大きく育ててすき込めることにもつながるとも言えます。

しかし播種翌日の昨日9月20日から東北は大雨となり、発芽不良がとても心配されます。どうしても水溜まりが起きてしまうので、種の腐れと流されることが懸念されます。

 

111コーヒー

さて、娯楽面ですが、前から気になっていた町内の「111coffee」に行ってきました。ジャンボスライダーがある焼地台公園内にあり、地元の若者が営んでいます。初めて飲んでみましたが、これはこれまでの中でダントツの美味しさでした! この店のコーヒー豆を買って、自分で淹れて飲んだことはありましたが、全然違う。やはり淹れ方が大事なんですね。本当に感動的な味でした。写真では何かが浮かんでいるように見えていますが、窓の外の何か(木とか)が写り込んでいるようです。お菓子も手作りで、品があり、閑静な公園内だし良い場所があるんだなとつくづく思いました。町内でカフェやクラフト作家、新手の宿泊サービス等での起業の機運が高まっていて、とてもわれわれにとっても励みになる昨今の西和賀です。地域おこし協力隊がらみでの参入者も順調に増えてきていて、われわれ農家もより時代の流れを意識した新しいモノづくりの達人を目指して精進しなくてはなりませんね。

 

八時の芝居小屋

月に1回から1.5回でしょうか、息抜きも必要で、お盆のりんどうが一段落した8月28日、芝居を観てきました。去年はこの時期に月山に登ってきました。「八時の芝居小屋」という名目の小規模な劇で、盛岡の「もりげき」地下のタウンホールで不定期に行われているようです。盛岡まで1時間はかかりますし、行く時にはいろんな買い物や所用をすませますので、時間的には4時頃からの半日分のスケジュールになりますが、たまにはこうした観劇も必要ですよね。小規模な一人独白の短編が3つ4つという感じで大きな感動を得るタイプの回ではありませんでしたが、気分転換になりました。怪談系というかミステリー要素でした。11月にある四季の「ジーザスクライスト」も観てみたいですが、値段的に手が出ないでしょうね。。

「ジーザス」で思い出しましたが、春に出かけ私はとても感銘を受けた「大籠キリスト殉教公園」にお盆に帰省した子ども2人を仙台に送るという機会に連れて行きました。そしてその後には大川小学校の遺構にも。暑い日で大籠で300段の階段を上がるのは結構しんどかったですが、こうした施設を見せることは、経験した私が率先しない限りなかなか本人たちが思い立って足を運ぶということはないでしょうから、まあ連れて行って良かったのかなと思っています。

ちなみに、彼岸りんどうの出荷が一段落した昨日、9月20日は雨だったこともありますが、お昼前に出て、買い物がてら、盛岡で「ラストマイル」を観てきました。時間の余裕があったので、中央公園の駐車場に車を停めて、久しぶりに映画館まで(フォーラム盛岡)まで30分歩きました。ここの道は子どもたちが小さかった頃からよく通っていて、市民文化ホールのオルガンコンサートやら、ランチバイキングやら、映画やらで盛岡市街地へ向かう際によく歩いた道路です。また冬に盛岡の合同庁舎で土壌分析のアルバイトをしていた時も、雪で田沢湖線の電車が止まったりしたときなどに、ここまで車で来て、内丸まで歩いたものでした(約40分)。「ただ歩く」というのは農作業であれこれ忙しなく思案しながら歩くのと異なって、良い気分転換なんですね。傍観者として周りを観察する、という気持ちが心地よいのです。盛岡駅の中を横切って、西口から東口へ、そして開運橋を渡って大通りへ。帰路では途中クロステラスでいろんな地域の産品を眺めたり。冬の盛岡普及センターからの帰り道もそうでした。どんな地域で誰がどのような個性的な商品を出品しているのだろう。とても気にかかることです。ここにたらの芽を出荷していた時もあり、通勤する朝にたらの芽を出荷して、ということもやりました。盛岡へ通ったのは震災のあった年度から7冬でした。

「ラストマイル」から派生していまAmazonで「アンナチュラル」を観ております。面白いです。天気が回復すれば昼間稲刈り、夜りんどう、になりますので、いまだけの貴重な時間です。

 

唐揚げとエビチリ

8月の芝居鑑賞の時、前から気になっていた唐揚げが評判のお店へ寄ってみました(盛岡食堂高松店)。左ですがでっかい唐揚げが売り物です。NHK盛岡放送局のすぐ近くです。大衆食堂って良いですね。右は昨日「ラストマイル」を観る前に入ったエビチリのお店です。盛岡南イオンの近くのホーマック(いまはDCMとかいう?)そばの中華料理店です。PANOPANOというパン屋さん(昔サバの入ったパンを食べ美味しかったです)の路地へ入ってすぐそば、向かいはツルハドラッグです。わざわざ記事にするべきことでもありませんが、どうしてもエビチリが食べてみたくなって、検索し見つけた中華料理店です。大変美味しかったですが大衆食堂ではありませんでした。。私は量も多く食べますし、少なくとも食堂に関しては意識低い系の方が好みです。エビチリが食べられる店はそんなに多くなくて、弁当とかでも見ないですよね。見つけたのはやはりGoogleマップです。PCで一番使っている機能かもしれません。「エビチリ」で検索できるんですね。口コミも拾ってくれたりで。「大衆食堂」とかも打ち込んでおくと高級中華の店が排除されるかと思います。12:40頃の入店でも5分くらい待ったので、人気店ではあったと思います。写真のセットで1,100円でしたが、やはりもうランチも1,000円時代になってしまったんですね。

稲刈りで使う消耗品にバインダー紐がありますが、10年くらい前は1個700円くらいだったと思います(当園ではだいたい15アール分でしょうか)。いまは完全にその2倍の価格になっています。燃料代も上がっているし、お米の値段が上がるのも無理はないかもですね。南海トラフの注意喚起報道がきっかけだったかもしれませんが、今年は米は作柄が良いのではないかと思いますよ。去年の米をいっぱい買ってしまった人は、その分新米を買うのが遅くなりますよね。古いのから食べるでしょうから。当園では便乗で米を値上げすることはしませんが、ここ数年の間にゆうパック料金が小出しに値上がりし続けていて、自分の代金負担分が増えてきておりましたので、送料のみ、実際かかる額に改定させていただけたらと思っております。家に来てもらう集荷では高くなるので、郵便局へ持ち込みにし、スマホ割の料金で支払っております(土日祝日は出荷できません)。送料はその実費の額にさせていただいて、と思っています(実質100円ちょっとのご負担増になる感じですが)。

最後に、「そうそう」、で始まる講談師神田伯山のラジオが面白くて、作業中、普段のラジオでお気に入りの番組じゃない時に、ポットキャストでずっと遡って自動再生で聴いております(本当は遡りじゃなくて時系列で聴きたいんですが、できません)。聴いていて思ったことですが、前に村上春樹氏と小澤征爾氏の対談の本を読み、ちょっとした感銘を受けました。普段われわれは何かを感じ、思った時に、それをいちいち言語化しないで直観的に頭に浮かべている、ということをやっていると思います。ブログ記事にしたりする時はもちろん頭で言葉にして反芻してみたりもしますが、それ以前の段階では通常頭の中で、ある形態の意識が生じている、という感じなのかと思います。その感覚的なことを村上春樹は綺麗に言葉で表現してくれて、まさに「そうそう」、そういうことを私も考えていたよ、という共感になりましたね。音楽についての本だったから、余計にそのような直観→言語化の妙を感じることができたのかもしれません。伯山のラジオを聴いてもそういう気がしていまして、やはり語りのプロだな、と思いながら笑わせてもらっています。本人も語っていますが、「吟味された言葉の選び方」が工夫されていて、それが意識の事象をくっきりと形にしていることなので、偽りようのない「本音」なんだと思います。村上氏の時と同様に「そうそう」と心地よく感じられるのですね。

この雨、また強くなってきました。播種したアリーナ小麦が心配で。。

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白神山地への旅

2024田植え(亀の尾)

5月はとにかく繁忙期で、好天の日は田畑から離れられず、特に今年のように作物の進みが早い年は、煽られるように作業を後手後手で進めているという感じです。連休の頃からあっという間に月末へ。。5月20日よりも以前に田植えをしたのは初めての経験です。急ぐ必要はないよと地元では平常心で田植えをやっていますが(もちろんみんな例年より早いです)、亀の尾やひとめぼれなどの晩生品種を作付けする者にとっては、早い田植えはめったにない千載一遇のチャンスと言えます。当園の稲にとっては、近年の夏の高温化の傾向はとてもありがたく、「高温注意情報」のようなニュースを聞くと嬉しくなります。しかし実際は大した高温でもなかったりするのが大半ですが。。とにかく低温は稲へのいもち病の警戒も伴いますし、暑い夏になってくれることを望んでいます。昨年の当地の最高記録が32℃で、もともと冷涼な土地であるからこそ言えることで、暖地に住まれる方には気が滅入る言い方だろうかとは思い恐縮です(18歳まで広島で過ごしたので、真夏のすさまじい暑さはわかります)。もっとも、8月のお盆に日中15℃の表示を見た三陸の海のやませのことを思えば、まだ恵まれているかもしれません。ふだんは三陸の方がずっと気温は高いですが。。

昨日25日で田植えから1週間経ち、除草機がけを開始しました。

 

鶏頭場の池

さて連休中は好天続きで農作業に勤しんだのですが、その直後から天気が悪く、そんなぐずついた5月8日ですが、白神山地へ旅をしてきました。東京で250のバイクに乗っていた時から、「白神山地」には神々しい憧れを感じていまして、その名前によるのでしょうが、1994年、5月の連休に新潟から日本海経由で青森まで走り、東北を一周して戻ってくるという4泊くらい?のツーリングをしました。全部テント泊でしたね。いまは軽トラであまり林道を激しく攻めることはできませんので、当時と同じルートではないのですが、当時は全く見過ごしていた「十二湖」に初めて向かいました。

去年田沢湖から阿仁森吉方面へ走行しましたが、このルートは秋田県内を北上する道として気に入っておりまして、今回も雫石・田沢湖・阿仁を経て能代市で海岸に出て、それから十二湖は割とすぐでした。

白神山地の山中にあるきれいな湖水群は魅力的でした。外国の旅行者もいまして、長野からの帰り道旅行の時でもよく見かけましたが、確かに車を持っていないだろうので、車道もひたすら歩いていて、バックパッカー風に見えます。いわゆる交通網の完備した有名観光地の大勢の外国客とは違った雰囲気で旅を楽しんでおり、私にはこうした人には好感を覚えます。

写真は駐車場(500円徴収されました)からすぐの「鶏頭場(ケトバ)の池」です。

 

青池

それからすぐに、一番有名な「青池」に着きました。いろんなアングルで写真は撮りましたが、どれも足元の木道が邪魔で全貌をきれいに撮ることはできませんでした。水の色はきれいです。

 

沸壺の池

そこから坂を登って「沸壺(ワキツボ)池」を見下ろしました。全貌が撮れまして、ここも美しく、良い感じです。左の方から沢が流れ込んでいました。十二湖全部は距離も離れていて歩きませんが、残りは車道で車から眺められます。ベンチがあった場所で昼を食べました。去年八幡平を歩いた時(ドラゴンアイの時期)にも感じましたが、なかなか弁当を広げる場所というのはありそうで難しいものでした。本当の登山なら悩むことはありませんが(臭いを撒き散らし熊を招かないことには注意です)、半分観光地のようなところでは人の往来もあるし、ためらいがあります。東屋のような場所があれば問題なく弁当を広げますがね。。

 

日本キャニオン

車に乗り少し下ったところで「日本キャニオン」という山肌が見える場所の展望台への道があり、10分くらい登って「日本キャニオン」を眺めてきました。十二湖そのものは観光名所であるものの、敢えてオプショナルでここを目指してくる人はこの時はいなかったようです。

 

千畳敷

そして日本海まで戻りましたが、能代から来る途中、やたら「千畳敷まであと○○キロ」という看板が多く、そんなに有名なポイントなら行ってみようかと、能代方面へ戻らず、鯵ヶ沢とかの方へ北上を続けました。この千畳敷というのは地震で隆起してできた現象だそうです。

 

ライオン岩とかぶと岩

左は「ライオン岩」で、右を向いて寝そべっている様子です。右は「かぶと岩」。

 

白神山地林道入り口

ここまで来れば弘前の方へぐるっと回って帰るしかなく、さらに北を目指しました。途中、白神山地を東西に巡る有名な「弘西林道」の入り口を見つけました。いまは「白神ライン」と名づけられているようですが、残念ながら通行止めでした。オフロードのライダーには聖地のような場所と思いました。

 

岩木山の菜の花畑

林道は通れず(これは事前に検索でわかっていたことです)、鯵ヶ沢から弘前へ向かい、途中に有名な菜の花畑へ立ち寄りました。バックに岩木山が聳えているはずなのですが、雲で見えません。この日はそれほど雨は降りませんでしたが、天気も悪かったのです。天気が悪いから出かけてきたわけで仕方ありませんが。。。

 

1994年白神山地付近

余談ですが、1994年5月3日に白神山地へ向かった時です。大館市の辺りから真北へ白神山地に攻め入ったのですが、左は雪で阻まれて撤退を余儀なくされた地点で、右はその後戻って今回と同じく能代の方へ一般道を走りながら、途中姿を現した白神山地の遠景に感動して撮影した写真です。5月の連休だから山道はまだ雪が残り通行止めなのは当たり前ですよね。当時はわからなかったんですね。

 

1994年追良瀬の林道と岩木山

また、この左の写真は直前に秋田県の森吉山の付近の林道を走った時です。ここからいったん大館へ出て、そしてそのまま白神山地へ突撃しようとしたのですが、結局能代へ遠回りになったという話です。右はその後に、翌日5月4日に岩木山を見ながらの1枚です。岩木山に至る前に「赤石川」に沿った道を走る写真がありましたので、今回と最終的には同じように北側から岩木山を対面した写真だと思います。ちょうど30年前の旅でしたが、この後に岩木山の麓の「嶽温泉」に入り、そこでタオルにものすごい温泉臭が付いて、バッグに入れずに荷台にゴム留めして走ったことをよく覚えています。そして、鹿角のストーンサークルを見て南下し岩手に入り、盛岡手づくり村の駐車場でテントを張ったことは、近所だけによく覚えています。そしてその後に仙台を目指し、名取川で最終テント泊をして、沿岸沿いにR6号を南下し常磐道で東京に戻ったと記憶しています。途中少し高台の道から福島第一原発を見た記憶もあります。初めて見た原発の姿は、原発だと理解はしましたが、初めての原発の光景で印象に残るものでした。

こういう昔を懐かしんでの追走の旅というのは歳をとった証拠かもしれませんね。ただ、あの時の記憶が深い層に沈着していて懐かしいイメージで浮かび上がってくるんですよね。6年前から冬に茅野市で寒天作りの出張をして、学生時代を過ごした松本に久々に訪れるようになってから、過去の訪問や滞在の地に焦点が当たるようになりました。もちろん、新しい初めての場所にもいろいろ出かけています。去年、不幸な骨折のあった岐阜・富山・佐渡の楽しい旅の思い出は、現在の月1度の軽トラ日帰り旅行のきっかけになってしまいましたし、去年は特に治療で北上の病院に通院する日はそのまま足を伸ばしてリフレッシュの旅に出る、という2次的な助長効果も招いてしまっていました。

今年は去年の骨折の招いた伸展腱の断裂縫合術を受けての通院がまだ時々あって、今度の予約はは31日です。今回紹介しました十二湖を巡る旅からまた繁忙期をやり過ごして、またドライブへ出たい気持ちが高まってきています。買い物もあり所用もすませますが、少し足を伸ばして釜石ラーメンを食べたり荒々しい岬を見たりしようかなどとGoogleマップを眺めてみたりしています。

 

 

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イワテヤマナシの講習会

イワテヤマナシの花

10日から2週間も早まって植物の生育が進んでいます。雪解けが早くてその分作業時間を長く取ることができるのはありがたいことでしたが、それにしても作物の進みに作業が追いつかない、という状態が続いています。とはいえ天気が比較的良く暖かい日が多いことは助かっています。昨日今日(5/8,9)はとても寒い東北でしたが。

いつも5月15日頃に満開を迎える当園のやまなし、「ハンベエナシ」も5月2日に写真のような開花最盛期の姿を見せてくれています。「イワテヤマナシ研究会」については何度か記事に書かせていただいておりますが、上のハンベエナシを植え付けたのは2012年、神戸大学の片山寛則先生から譲られた、西和賀町由来の優良なやまなしの枝を穂木に神戸大学で台木に接木して育ったもの(当時2mくらい?)を逆輸入して育てたという経緯のなしです。土着の優良な梨ですから、別に県内他地域のやまなしの取り組みに対抗するわけではありませんが、この地域では何よりこの梨を栽培することに意義もあるし、ここの特色となればという願いを込めています。左から3本目は幼少期に熊にのしかかられて主幹が折れ、その分小さいです。一番右は交配用の別品種(「サネナシ」という種がないイワテヤマナシ)で、今年やっと花が咲きました。ハンベエナシに花粉が届いてくれますよう祈っています。

そうしたやまなしの取り組みを10年以上細々と続けてきたのですが、去年くらいから周囲に徐々に、というか一気に賛同者が出てきてくれて、岩手県内の初発地の九戸、次いで水沢、に続き3番目の取り組み産地と言っても良いようなグループに育ってきていて、とても嬉しく思っています。

 

接木講習会

これまで全く私だけ孤立していたこちらの町でのやまなしの栽培ですが、何か弾みがついたかなと思うのは、イワテヤマナシの研究者、神戸大学の片山先生ご自身が大学を早期退職なされ、この春から盛岡へ移住し、まさにイワテヤマナシの生産と加工に自ら先頭に立って取り組んでいこうと転身されたことが大きいと思います。そして実際4月20日に当園のやまなし園にもお越しいただいて、これからの生産の要となる「接木」作業の講習会を開催することができたのでした。これには町内からだけでなく県内の各地から、そして先輩に当たる水沢のリーダーにもご参加いただいて、共に技術を学んだのでした。

神戸大学にはいまも400本以上のイワテヤマナシが演習林として植えられていて、寒天出張が終了した際の2月に訪れた時に見学もしてきましたが、2012年当時から年月も経ち、木は成木になっていて、当時のように苗木レベルの木ではないため、掘り起こして搬送できるようなしろものではありません。ただ、枝は自由に切り運ぶことができますので、それを穂木にして、購入した台木に接いでやまなしを育てるということになり、それ以外に生産の道はありません。種の栽培では時間もかかり、また性質もばらけます。

台木(購入したマメナシ台木等)と穂木も2月の見学の折に私が軽トラで搬送してきて、それを雪の中で2か月やりすごし、4月初めに雪が消えると同時に植え付けて、そして4月20日にその台木に「ハンベエナシ」や、次いで特に私が惹かれている「和山なし」の穂木を先生の指導のもとに接木し、いまは経過を見守っているところです。

4月20日はとても寒い日でした。。そもそもこの西和賀は他の岩手県内の産地に比べ群を抜いて豪雪の土地です。小さい台木に穂木を接いで、高さは30cmくらいです。台木を雪消えの時に植えた際も、雪が多くたまる場所はとにかく避けて、結局12年前にハンベエを植えた同じ場所、斜面から上ってすぐの畦畔=雪がたまりにくい、の区域に台木を植えました。いまは接木も終わって、来年の春までここで育ってもらって、それから接木を行った各人に掘り起こして持って行ってもらいます。右の写真で斜面が分かりますが、その斜面の下側は雪がすごくたまります。この底はブルーベリー園なのですが、いつも春先にはどんなに雪囲いをしてもかなりバキバキに折られています。まあブルーベリーはしっかりと剪定するのが大事ですが、最初の植えたての幼少期の苗木にとっては過酷な環境です。やまなし(台木)はそれを避けるために狭いけれども雪が少ない区域を選んだ次第です。12年前のハンベエナシ定植の時は、1種では実が着かないので共に異種の交配用にサネナシを同梱してもらったのですが、雪が深いところに植え、翌年んに枯れてしまい、後にまた送ってもらったサネナシは今度は雪の少ない区域に並べて植え、枯れずに育っています。今年やっと開花し、嬉しいです。

 

接木の仕方

神戸大から持ち帰った台木は2種類あり、左は購入した1年目の台木(園芸業者が一般の現代のナシ栽培者の接木用に種から育てた木)、右はそれに接木をしたのだけれど穂木が活着せずに接木に失敗し、台木だけは根もあるため上をちょんぎられても生きていて成長しますので、その分大きくなった何年目かの台木です。小さい台木は左のように接木ナイフで中央付近に切れ目を入れ、右のように太い台木は木の皮のすぐ内側の成長し太っていく部分に切れ目を入れ、そこにシャープに削った穂木を差し込み、接木テープでぐるぐる巻きに密着し、完成です。穂木の成長の層と台木の成長層とがぴったり合わさることで接木が成立します。ので、右のような太さの違う台木のど真ん中に切れ込みを入れても接木にはなりません。穂木は2つ芽を残して切ります。芽が動いていない状態ですので、早めに採取して雪中および冷蔵庫で保存しておきました。

 

やまなし接木

本日5月9日の接木苗の様子です。まだ成否はわかりませんね。台木そのものは芽吹きが見られ、ちゃんと生きております。問題は穂木がどうか、です。左は成木のハンベエなしの枝を切って、高接ぎをした例、中は太い台木に2本穂木を接いだもの、右は細い台木に同じ太さの穂木を接木したものです。どうか活着してくれますように。

 

 

七内川の釣り

接木講習会は懇親会・宿泊も含めての開催でしたが、翌日は天気も良く、家の前の七内川での釣りをする参加者の姿も。とはいえ、この辺りは連日釣り客に攻められていて、なかなか釣れてはくれません。。私はすぐそばに住んでいながら、釣りをする余裕はなかなかありません。

 

鹿肉とチキン料理

ちなみに、懇親会ではジビエ料理を提供しました。写真左は鹿の焼肉で、いちばん美味しいとされる太ももの肉をお出ししました。写真を撮っていませんが鍋料理と、そしてお好み焼きも出しました。右は翌日に釣りをした釣り名人の方と近くの「カタカゴヒルズカフェ」でランチしたメニューです。チキンのガーリック料理は美味しいです。大変おいしくて見た目も美しいですが量が少ないのは難点で、大盛りとかの対応はありません(意識高い系?というのとは違うかもですが上品質のお店です)。女性向けですね。ここは有名なカタクリ大群落の入り口にあり、今年は今回の接木の翌週、連休の前半が見頃だったでしょうか、賑わったはずです。「カタカゴ」は「カタクリ」の古語だそうです。

 

イワテヤマナシの花近影

やまなしの蕾の近影ですが、本当にやまなしの花は美しいです。この花の時期に観に来られる方もいて、花の美しさもまた、やまなしを育てる魅力の一つです。桜の花見だけでなく、やまなしの花見もありです。余談ですが、秋にこのやまなしを囲んで酒を酌み交わしたというような話をもう亡くなってしまった古老から聞いた記憶があります。「ケカズナシ」とも言われるイワテヤマナシですが、救荒食とも言われます。これでケカズ(不作)の時に飢えを凌いだ、という意味なのか、それともケカズの時でも実をならせるよ、の意味なのか。。確かめたいと思います。

 

一本桜2024

いつも5月5日のこどもの日前後に近所の美しい一本桜の写真を撮影しています。今年はこれも大幅前倒しで、4月26日です。りんどうの芽かき作業はそれ単独で1か月かかるいつも大変な春作業なんですが、この桜の開花を待ってスタートしていました。でも今年は間に合わない。実際芽かきは暦通りの5月6日からのスタートになっています。この桜も年々衰えが見えていて、昔のように綺麗な円形の開花ではなくなってきていて、寂しいことです。

 

プール枠

水稲作業も始まっています。3月下旬にハウスを除雪し、下部のパイプを設置してビニールを掛け、地面の麦や稲の脱穀で出た殻を掃除して、整地をしプール枠を設置します。

 

播種機

今年は播種機を譲られまして、電動式の播種部分の装置を通過し、その後すぐに覆土も行うという流れになりました(覆土は手動のハンドル操作)。

 

水稲苗2024

5月9日時点の水稲苗の状況です。近所では代かきも始まっています。岩手の内陸部平野では田植えです。暖地の田植えとこちらの田起こし代かきが同時期になります。今年は当地でも田植えは早まりそうですね。

タラノキ園では、地上へにょきっと現れたヒコバエを探しスコップで掘って所定の畝位置に定植する作業を行っています。十分に需要に応えるためにタラノキ園から多くの穂木を収穫し、来春の出荷に備えたいです。

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4月がスタートです

大川小学校壁画

4月1日、宮城県石巻市にある大川小学校の遺構を訪ねました。校舎が受けた津波の爪痕は凄まじく、衝撃を受けました。校庭の隅の方に卒業制作と書かれた壁が残されていました。銀河鉄道の絵や、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の文字を見ると、また強くこみあげてくるものがあります。子どもたちはそれほど深い意味を込めて書いたわけではなかったかもしれませんが、津波の犠牲になった子どもたちがいたこの事実が存在する以上、いま生きて暮らす自分もまだ決して幸福を感じることはできない。そのような打ちのめされる感覚です。「裏山」もその通り眼前にあり、最終的に皆が目指した「三角地帯」もすぐそばです。校庭は静かでしたが、13年前にここで50分の間、激しい葛藤やせめぎあいが繰り広げられていて、そして命が失われていった現場でした。現場の空間に実際身を置いてみないと理解できないことは多くあります。写真で見る遺構の姿とリアルな目の前にある姿はやはり違いました。

 

大川小学校建物入り口付近

学校は地区住民の避難先でもあったことから、発災後集まっていたのは小学生だけではなかったのですね。裏山に登り津波から逃げたいと話す教頭先生と、地区住民の代表と言うべき区長のそれに反対するやりとりがあったと記録にありました(ネットでの検索記事も含み)。本当にあの時の場面で、余震が続きしかも雪の舞う状況です。若くて登れる子どもを抱える学校の先生と、とても年寄りたちに山登りを強いることはできないと思う地元住民の立場の拮抗が想像されます。先生も、子どもたちだけでも裏山に避難にします、とは言えなかったのかと思います。「山へ逃げよう」と叫ぶ子どももいたのです。本当はそう言わなくてはいけなかったのでしょうが、津波はここまで来ない、というムードが全体にあったのですね。また子どもたちが山へ避難を始めれば、残る地元の年配者たちも不安と動揺を感じることは当然です。いろんな思惑が交錯する状況です。

どんな集落にもあり得る立場の違いの構図でしょうか。校庭に集まっていたのがもし小学生と先生だけであったなら、迷わずに裏山に避難していたと思います。でもいろんな人たちがいた。「多様性の尊重」などと言う言葉は吹き飛んでしまうような、命懸けだった状況と思います。自分の住む地区の区長や、また町長とかにこの《大川小学校の問い》を投げかけてみたいと強く感じました。でも、その実際にリアルな現場に遭遇しないと判断は出ないことと思います。

学校正面の入り口ロビーには花が飾られていました。暗くて見えにくかったですが、もしかしたら折り鶴の束だったかもしれません。

北上川の最上流域から、まさに河口への旅でもありました。

 

関谷洞窟住居跡外観

とはいえ、北上川沿いに下って来たのではなく、当日は大船渡へ向かい、そこを経由しての石巻への旅になりましたが、途中、大船渡で縄文人の住居跡であるとされる洞窟をGoogleマップで見つけたので、立ち寄ってみました。関谷洞窟住居跡という場所です。

 

関谷洞窟住居跡内部

奥の方まで行ってみよう、と思っていいた好奇心は、入り口に立ち入った時点でたちまちにして消失してしまいました。奥まで行けば100mくらいあるそうですが、絶対ムリ。この状況で携帯のライトだけで奥には進めません。第一、怖いです。道に迷って出て来れないかもしれないし、何者か、異なるものがいるかもしれません。もし5人くらいいて懐中電灯も持参していれば突入できたかもしれませんが。。写真の暗がりのところまですらも進入できませんでしたね。

次いで、石巻へ向かいました。この辺り、宮城県に至るまで無料の高速が整備されて、快適に走行できました。

 

ハウス完成2024

稲の種まきの時期が近づき、水稲育苗ハウスのビニールを掛ける作業をしています。左手首の骨折が原因で左手親指の伸展腱が切れてしまったその接合手術を受けて、まだ日が浅く、その接合箇所の再断裂の危険を医師から厳重に注意されています。ハウスのビニール張りをする前に、雪の重みで曲がってしまうため秋に外したハウスの下部の直管横パイプとジグザグ(ビニペット金具)を固定金具でパイプ本体に再装着し、次いで下から腰巻きビニール、前後の褄のビニール設置までを昨日、左手親指を気にしつつ行いました。翌日の本日4日、屋根とクルクルのビニールを張り、午前中でハウスの準備は完了しました。とはいえ、結構あちこちビリビリに裂けています。毎年強風は必ずありますから、ビニールもそう何年も持つものでもありません。前後や腰巻きなど強風を受けにくい部分もビニールが劣化してビニペットのジグザグがうまく装着できない(特に地際など)こともあり、毎年どこかのビニールを新調しているようなものです。来年はこの屋根ビニールが交換になります。午後は、たらの芽の出荷作業の後、破れた部分のビニールの補修を行いました。

取り外したパイプを装着するにも、そして次にビニールを掛け、装着したビニペット金具にジグザグ針金で固定していくにも、結構指の力を使います。せっかく手術でつなげた腱の断裂は嫌ですから、左手をかばいつつ、しかしやはり左手の指も使うんですよね。何度も腱は切れてないよね、と指を動かして確認しつつ、時間をしっかりかけて作業を遂行しました。屋根ビニール掛けはロープで引っ張る作業です。その後の黒テープでのビニール固定でも「結ぶ」と言う作業で指を使います。腱は切れていないだろうか心配でした。

少しでも手術後の回復の時間を設けるために、いまのうちに出かけるとか農作業外の用事があればそれを優先し、少しでも指を回復させて、農作業は後回しにしたい、まだ種蒔きまで時間はある。それが本音ですね。たらの芽作業に関しては、指への負担がなくて、こちらはとても助かっています。ギプスをした左手を使って電動テーブル鋸で穂木を駒木に切断する作業は苦戦しましたが、いまではすべて切断が終わり水槽に入っていて、芽吹きを待ち収穫をするのみです。ポケットマルシェで多くのご注文をいただいてありがたく思います。

雪解けまでもう秒読みの段階になっています。りんどうの畝が出現したら、とても忙しくなります。当面は稲の種まきを早く進めたいですね。当園は晩生系の品種が多く、早めの育苗開始が大事になります。培土を引き取りに行かなくてはなりません。そのタイミングで水漬けした籾の加温催芽を始め、ハトムネ催芽を行い種まきになります。

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稲作がスタートしました

塩水選2024

3月の最終週に種籾を農協の温湯消毒依頼をし、次いで塩水選を行って、稲作がスタートします。亀の尾、ひとめぼれ、ササシグレ、いわてっこの四種の種籾を準備しました。すべて昨年の収穫の籾を使用しますので脱芒や選別作業の必要が出てきます。近所で借りている脱芒機を使いヒゲを取って、というのが最初のスタートですが、あまり上手に取れなかったのが正直なところで、前年の秋のうちに脱芒機作業をしておいた方が、一冬過ごしたいまよりも取れやすかったのかもしれません。

 

脱芒機

前もって脱芒機にかけた後はふるいで雑草の種や土埃を除去し、そして農協の温湯消毒、その後塩水選でしっかり種籾を選別します。特にササシグレは病気にかかって軽い籾が多く、厳重に選別をかけて重いもののみを種として確保しました。最初の写真はひとめぼれの塩水選の様子ですが、ササシグレほどごっそりと浮いてくるものでもなく安心しました。とはいえ塩水を濃いめにしてしっかり選別することは心がけています。

 

籾の水漬け

そして3月27日の夕方から水漬けがスタートしました。かつては、冷害に強く、とか敢えて厳しい環境で育てようとかの理由でこの水に雪を詰めたり、低温環境下で長期間漬けるなどの試みもあったようですが、現在は逆効果と言われ、かえって出芽が揃わなくなったりする危険もあるようで、比較的温度の高い状態で短期間の水漬が主流になっていると思います(積算水温100度で、1日10度平均とすると10日)。とはいえ夜間はまだ気温がマイナスになりますし、10日ではすみませんね。しっかり長く漬ければその後の加温催芽が短くて済むし、漬け方が足りなければその分長く催芽させれば良いと言えるので、あまり厳密には行っておりません。

現在は脱芒機に選別のグレーダーが付いていたりして、プロの種籾出荷農家はきちんと揃った種籾を提供しているし、塩水選はもう行う人はいないようです。薬剤をしっかり使って無病の籾を供給してもいるのです。われわれは自家用の籾を確保するだけの小農家ですので、高額な脱芒機を買うよりも、濃い塩水選で重い籾を確保することが大事です。

 

ハウス除雪1

ハウスの準備も並行して行うわけですが、雪が少なかった年ではあったものの、風が強い当地では建物に当たって跳ね返った雪がそそり立つようにたまってきますので、作業舎に近いハウスの右側にあたる箇所は除雪機による除雪が欠かせません。ハウスの外周をまず除雪します。塊になっているのは、除雪機の後にスコップで削ぎ落としたことによります。

 

ハウス除雪2

右側のパイプの付近は1mの積雪になり、何度も除雪機で掘り下げて飛ばしてやります。とはいえ、普段の年に比べたら楽なものでした。普段ですと硬く凝縮した古い積雪層は除雪機が跳ね返されてなかなか掘り進めていけず、斜めに上に傾いて進んでしまいます。今年は主に3月の積雪が多かったようで、地面に近い部分もそんなに硬くなっていませんでした。

パイプの付近は除雪機で飛ばせないので、あとは自然融雪に任せます。時々スコップで切って落としてやる作業は行うのですが。スコップで切れ目を入れてやるだけでも融雪には効果的です。

 

キリシタン石碑

息子が仙台へ引っ越しし、軽トラで荷物を運んで大型の家財道具が設置できて、ホッと一安心しています。家から運んだ机やベッド、布団、ガスコンロ、自転車などは幌の上部骨組みへの縛り固定もできて、幌付きのありがたさを感じます。荷物を下ろした後にリサイクル店に行き注文していた冷蔵庫や洗濯機を積載しましたが、これも幌フレームへの固定で搬送は楽でした。冷蔵庫と洗濯機ですが、いまは安い製品も多く聞き慣れないメーカーの格安品が生協のカタログ上とかでもみられました。が、自分が昔の人だからかもしれませんが、そうした格安新品よりも中古の国内メーカー品の方が信頼できる気がしました。最終的にどちらが得なのかはわかりませんが、安い新品よりも中古価格のブランド品の方が安心感を覚えるのです。。もちろん日本の老舗ブランドでも海外で製造していることは現実でしょうけど。とにかく時期が移動時期ですし、国内メーカー品の白物家電はリサイクルショップにたくさんありました。

大学の食堂はとても混むという話で、息子も自炊・弁当中心の生活を決意したようです。台所用品とかカーテンみたいな雑貨類は家内が行って手配していますが、とりあえず調味料や洗剤、消耗品などスーパーで買えるものは時間もあって息子と検討しつつ、料理酒とかも含め買い揃えてきました。和食が作れる青年になって欲しいと思ったりします。

さて、帰路は別コースの山道を辿り、宮城県から秋田県へ斜めに横断し、そして横手の方から帰宅をしました。やや大回りではありますが、まだそれほど忙しい時期でもないし、高速代の3,000円を節約し、ドライブ気分も味わって来たところです。湯沢市に入ったところで「キリシタン殉教慰霊碑」へ立ち寄って、雪の残る中運動靴を少し濡らしつつ辿ってみました。このような遺物があると大回りしてでも立ち寄ってみたくなりますね。長野出張時にもそうでしたが、Googleマップを眺めながら史跡等の表示を見てドライブのコースを構想するのは楽しいものです。忘れないように塩水選のための食塩紙包み5kgも購入して家路につきました。ちなみに、この帰途に通った道路(国道108号)のすぐ南に、同じ宮城と秋田をつなぐ県境に田代峠という場所があり、UFOの目撃談が多いスポットがあるようです。冬のこの時期に通行できるかどうかはわかりませんが、何となくそそられますね。

 

仙台駅前で

仙台の駅前を歩いて息子とラーメンを食べてきましたが、やはり盛岡などとは比べものにならない大都会でした。あらためて。。面白いモニュメントに惹かれて入ったペットショップでは、家の犬へのお土産としてはちょっと場違いな感じの用品ばかりで、早々に退散し、歩道橋を上がったり下がったりでラーメン屋に到達しました。

 

たらの芽の様子

現在のメインの作業はたらの芽の出荷です。去年の長野からの帰りで富山湾で負ってしまった手首骨折に関連して、二次的に、左手親指を伸ばすための腱が故障をきたしていました。ただほとんど日常に影響はありませんで、結構な激しさの寒天作業も普通に行えましたが、今年の寒天出張終了後の関西からの帰宅後すぐに、寒天出張の前から予約しておいた親指の長母指伸筋腱を再建する手術を行いました(去年のいま頃に入れたプレートを除去する手術も同時に行い、全身麻酔で2泊の入院です)。現在はまだ負荷がかかる親指の曲げ伸ばしは禁止なのですが、ギプスも取れて適度に親指を曲げ伸ばし動かしつつ、農繁期の到来までに腱の接合部が回復し故障が完治するようにという待機期間になっています。息子の引っ越しでは冷蔵庫や洗濯機を2人で2階に運ぶ作業もありましたが、案外と物を持ち上げるのに親指は使わないもので、まあ一応「静養すべき」身分をのんびり過ごしている次第です。2月後半からの3週間はギプスで服の着替えも辛かったですし、特にたらの芽の穂木を回転鋸で駒木に切断する作業がやりづらかったです。

現在は全ての穂木が駒木になり、それが全部ベッドに並んであとは水管理と収穫出荷のみです。ポケットマルシェで多く注文をいただいていて、ちょうど芽吹きが3月になってからの寒い日々により停滞し、お待ちいただく形になり申し訳なく思っています。均等に伏せ込みをしていっても、3段あるベッドの収穫の段が変わったり、そして気温の変化も加わって、一様のなだらかな出荷にはなりません。出荷が途切れる時期がどうしてもあって、ここは小規模の生産のネックです。ある程度大量に揃う時期もあるので、そういう時は注文が入っていないとまた不安になり、うまくいきません。現在のところほぼ1週間で出荷に応えることができる感じで受注となっていますので、何とか早く芽吹かせて、2日くらいで注文にすぐに応じたいところです。

逆に危険なのはいきなり高温になることで、芽が腐ってしまいます。最上段のベッドはトンネルで上部が全てビニールですので、晴れてくると朝8時前でも30度近くになってしまって危険です。1段、2段目は天井があるために側面だけのビニールなので、急激な上昇はありません。こちらは温度の確保が大事です。ビニール内の空間を温めてはいるものの、いまでも夜明けにはまだ外気は-5度になったりしますので、こうした低温を受けるとどうしても停滞はするでしょう。そしていきなり30度になるのも困りますし、神経を使う作業です。あと2週間、4月10日くらいまでは出荷が続くと思います。PCで調べ物もしたりしながら、左手の静養を兼ねながら農閑期の最終盤を過ごしているところです。

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たらの芽栽培を開始しています

たらの芽2023

晩秋に伐採して小屋に仕舞っておいたタラノキを切断し、芽出しして出荷する段取りを進めています。切断して使うのは8cmくらいで、それ以上長いとちゃんと立っていられないし、短いと水没したり、浮力でひっくり返ったりでまずいのです。が、穂木の先端部は芽の間隔が狭いので短くなり、いつもふかし棚での管理には難儀します。

 

たらの芽2023

切って用意した木(駒木)はすぐ加温水槽に並べるのではなく、24時間以上水に漬けます(浮かんでくるので重しをします)。これで催芽を促進しつつ、かつ樹液を出させる意味もあり、むしろ後者が大事な目的です。樹液でヌルヌルしているとカビの要因となるため、カゴを揺さぶったりもしますが、最終的にはトレイに並べた後に強めのシャワーで洗い流します。

 

たらの芽2023

こちらは畑から集めた状態の穂木と切断の電動鋸です。おが屑が飛び散ってくるためマスクしたりもしますが、エアコンプレッサーで鋸盤の下側周囲をまめに飛ばしてやることで、今年はさほど苦労せずに済みました。エアで掃除しないでいた時はメガネまでびっしり付着して、しかも呼吸で体内にも入り具合が悪くなったりしていましたが。。

 

たらの芽2023

切って、水に漬けて、トレイに並べて、シャワーで樹液を流して、それを棚に配置します。初回のこの伏せ込みは2月18日になります。水槽の構造は、骨組みは25mmのパイプで90cm幅長さ3.6mの3段ベッドを作り、コンパネ・保温マット(スタイロフォームというブルーの資材)・ハウス用のビニール・プラスチック段ボール(一番上)、の順に敷いてあります。

 

たらの芽栽培施設遮光中

栽培棚の外観です。3段ベッドの一番上は、きゅうり用の支柱の曲がり部分をカットして使用しています。中の空間に電熱ケーブルを張って、サーモで温度管理します(電気代を考慮し三相電源にしています)。ここは住宅の一部にコンクリで作った、籾摺り精米の器具や薪などを収納している土間の外側に、単管を組んでポリカの半透明外壁資材を張って作ったスペースで、ここに棚を設置しています。シャッターを隔てて繋がっている母屋のコンクリの土間は穂木を収納、そして切断したり、たらの芽の出荷の作業をするスペースになります。

豪雪地ですので、たらの芽栽培の時期にハウスにビニールを掛けてこの棚施設を設置し営農するという一般的な方式はかなり困難で、こうしたスタイルしか考えられませんでした。以前は屋根部分は単管の上に耐雪の意味でコンパネを敷き詰めて、そして波トタンで屋根にしていましたが、何せ暗かったし、コンパネも悪くなってきたので、光を通すポリカに変更し、しかも2枚重ねで強化しています。骨組みである屋根の単管も2本くらい増やして間隔を詰め、写真のような具合です。これで現状では雪で潰されることはないです。

ただ、栽培にある程度の明るさは必要なのですが、伏せ込みしてしばらくは写真の通り遮光が絶対必要です。最初から明るい環境にしておくと芽吹きの胴体の部分が十分に大きく育たないうちに展葉が始まり、小さくて見た目のバランスも悪い生産品になってしまいます。

 

芽吹き始め遮光中

芽が膨らんできています。本日2月28日です。伏せ込みから10日経ちました。ここでしっかり遮光することで、緑の塊が大きく育ちます。その上でタイミングを見て遮光を剥がして、2本の茎のツノが伸び先に葉が開き始める。ここで収穫になります。畑や天然のタラノキの芽吹きは自然に行われているわけで、ここは人工臭さが残る栽培ですね。。土に根を張った木である場合は木全体のパワーを受けて出芽するのでしょうから、遮光がどうのは関係ないのでしょう。水耕の出芽は小さな駒木の持つ力のみで頑張っており、われわれは水分と気温と光線を与えるのみです。が、その管理は難しいもので、手作り感のある農業スタイルではありますね。大きな外気温の変動に対しても換気とか温度調整に神経を使います。他の品目、稲や小麦、にんにくも自然まかせの露地栽培ですから、そこは大きく異なる点です。

 

5月末のタラノキ園

畑でのタラノキ園地の段階から農薬化学肥料不使用の栽培になり、技術的に結構大変です。タラノキには寿命があり、改植・新植は欠かせませんが、植えたての苗はすぐに草に覆われて見えなくなってしまい、初夏までは足繁く通って管理もきっちりやりますが、7月に入りにんにくの収穫の頃からりんどう出荷の始まる7月下旬より以降は畑に行く時間も減ってしまい、お盆過ぎて畑を訪ねると雑草に覆われてしまってるのですよね。。アスパラ畑なども同じ状況になりがちですが。

タラノキ畑は田植え頃の5月下旬頃に入ると、通路の部分に、地下で張り出した根から出芽したタラノキの若い苗がちらほら見えてきます。写真はその頃撮ったものですが、通路も既に雑草がはびこって、遠くからは苗は小さいしもちろん見えません。通路を歩いて出芽を見つけたら、これをスコップで根の土を崩さないように掘り上げて、黒マルチを張って畝作りした畝の所定位置に定植していく作業が早朝の日課になっていました。

 

タラノキ苗

本来、根を掘り上げて、タオルなどにくるんで保湿し芽出ししてそれをポットで育苗してから畑に定植する、というのがセオリーです。が、実際は出芽率が低く、芽出ししてポットに植えたものも以降はダメになったり難しいです。それよりも地面に出芽してきたものを園地で確保し、畝を作って定位置に定植する方がはるかに現実的と思います。昨年はこの作業で木を増やすことに割合成功しましたので、それが収穫株になる来年2025年春は、是非とも豊富な穂木が得られていますことを願っています。もちろん、この今度の6月も畑をしっかり見回り、芽を出したヒコバエをびっしりの雑草の合間から鋭く発見し、定植し、根付くまでは灌水も怠らず、管理していきたいと思います。慣れてくれば、タラノキのヒコバエの方から目に飛び込んで見つかります。大事なのはこの苗の掘り取り時に、ずっとつながる元株から伸びてきた根をいかに上手にスコップで切断し、その時に土がほぐれ落ちないように確保するか、ですし、問題は後の7、8月の除草なんですね。。生育した収穫株になると、7月以降は枝も張って、通路に入っては行けませんし草刈りなども無理です。こういう茂った株の通路は雑草ももちろん少ないので問題はないのですが、それでも5月6月は雑草だらけですがね。問題なのは生育した木でなくは1年生の苗エリアの夏場の除草(定植の植え穴と通路の両方です)。

 

タラノキ園6月下旬

当園のタラノキ栽培の特徴は、園地・促成栽培施設双方で通常はかなり多用される除草剤や殺虫剤、ジベレリンやカビ抑制殺菌剤などを一切使わずに(カビ対策として食用酢200倍を霧吹きで散布します)、園地も有機質肥料施用のみで生産している点と、赤みの少ない緑色の綺麗な品種を育てていること、そして、市場出荷から店頭に並んでお客さんが手に取るまでの待機期間がないことで、ある程度の展葉を進ませて、たらの芽胴体部分と先端の葉の部分のバランスが良い状態で収穫裁断し、美味しい食感を提供できることになるかと思います。市場出荷の基準で早採りすると、どうしても芽の胴体を食べているというもさっとした感じなので、切ってから即日直送し翌日には届いて冷蔵庫に入れてもらえる遅切り型の出荷スタイルの貴重さを感じます。子どもたちもむしろ葉が占める割合の大きいシャキシャキ感のある小さいたらの芽天ぷらの方が好みのようです。

ちなみに、邪道かもしれませんが、天ぷらの小麦粉をとく時に、同時に塩とカレー粉を混ぜてカレー風味に味付けした衣で揚げるのも美味しいです。

長野の寒天出張から帰宅すると、確定申告などの事務作業と並んで、たらの芽作業が始まり、そして雪が消え春作業へとバトンタッチします。伏せ込みも収穫も体力は要せず、楽な仕事ですし、長時間の拘束でもありません。タラノキがじゃんじゃんと増えていけば作業も多くなるでしょうが、一方で枯死する木もあり、そんなに園地が拡大することはありません。実際、最初に導入した時の圃場面積と変わっていないのです。むしろ第1期定植園地が寿命になって廃園とし、いまは畑が変わって改植を進めている途上で、最初の規模を復活するのが当面の目標です。市場へ大量出荷する営農の人は量が大事だし規模拡大を短期で進めたいかもしれませんが、ここは一人農業、園地の除草管理なども含め、身の丈に見合った生産規模を続けたいと思います。

いまは寒天作業が2月初めに終わってフリーになりますが、それ以前に盛岡で土壌分析の冬期パートに出ていた時は、3月末までの期間の勤務だったので、夜7時過ぎに帰宅して(盛岡からなので)、それから夜なべでたらの芽栽培をし、あとは土日にフル回転でやっていたので結構大変でした。寒天出張は短期で土壌分析より収入も高いですが、夜中から始まる長時間労働になり、ここでかなり消耗しますので、いまはたらの芽作業だけでなく、いろんな調べ物をしたりし、農閑期そのものも楽しめるようでありたく感じます。

昨年は長野からの帰路の旅路で手首の骨折という事態に遭って、その通院に引っ掛けて、北上市の病院から県内近郊へのドライブ旅をして気分転換にもなりました。そうした「軽トラ自由旅」は元々は寒天仕事のための長野への往復の旅路や、たまにある寒天煮込み休止(釜止め)という降って沸いた現地での休日の過ごし方で始まりました。ブログにも掲載している通りで、今年は兵庫までの遠征になりました。

いまもGoogleマップを開くと、いろんな構想が沸き起こります。去年は久々に登山をやってきました(月山)が、昔、出版社にいた時に、東京から同僚とオフロードバイクで同じ山形の朝日連峰の大鳥池(釣りキチ三平で有名になった伝説の岩魚「タキタロウ」伝説の湖)へキャンプに行ったことを思い出し、マップでルートを追跡してみたりしていくうちに、もう一度いまチャレンジしたくなっています。30年前のツーリングの時は関越道で新潟入りし、胎内川とか三面川を遡上した林道ツーリングで登山口まで走ったと思いますが。。

 

大鳥池1992年

こちら岩手から行く時はもう少し楽な4時間ちょっとでの走行で登山口まで到着できます。1992年の時は大鳥池までの往復でしたが、全行程は3泊くらいしたと思います。今度は以東岳まで登って、そこで割合新しくできた避難小屋に泊まってみようかと思っています。小さい避難小屋ですし、ハイシーズンでなく日の長い6月下旬くらいの平日の、天気の良い日を狙って。。先客がいるかも、ですが。。今年なら残雪も少ないでしょう。2日農場を空けるには、前準備も必要だし簡単じゃないですが、こうしたことが農への活力にもなりますから、ぜひ実現したいものです。その前にナメトコ山で練習してからでしょうか。。

癒しという言葉をミノにして歳を重ねて体力が落ちてくることの言い訳にするというのでなく、思いだけでがむしゃらに突き進むというのでもなく、仕事や生活感覚の全体像を見てベストな暮らし方をと、常に思いを巡らせていたいものです。