ようやく雪が消えてきて、春作業がスタートしましたが、連日の雨続きでなかなか進みません。ただ雨が続いたおかげで雪が消えていったとも言えるので、これまでの雨は良かったのですが、これからはもういりません。これまでのメインの作業はたらの芽の収穫出荷でしたので、天候には左右されず進められました。最終盤を迎え、もう加温も控え気味にし、最後の数点の注文に応えるだけです。無事、できたものは完売しそうで、生鮮品生産としては心配だった無駄な売れ残りの廃棄等が出ずに良かったと思います。
とはいえ、たらの芽栽培は結構難易度は高いと思います。今期については、カビの発生を恐れるあまり、灌水を控えて経過させてしまったことが、駒木の乾燥を招き、気温の高い日に悪くしてしまう失敗がありました。換気により風通しを良くしつつも、新鮮な水を常に供給することが大事で、ビニールに開いていた穴からの漏水もあって、ちゃんと対策が必要と分かりながら、栽培期間中はビニールの細かい検証や交換もできず、修繕は生産終了後の課題になっています。
収穫が終わったら施設の細かい点検をして来年に備えたいものです。雨の日の仕事ですね。
たらの芽をポケットマルシェというサイトに出品しています。米やにんにくと違い、収穫期を迎えたものはすぐに出荷しなければならない生鮮品目ですので、自分のサイトだけでは短期間に全部売り切ることはできません。その点、フリマサイトは多くのお客さんに見ていただけるのでありがたい存在です。たらの芽の場合、梱包が3cmの厚さで収まるために、クリックポストを使用します。写真のように専用の箱に折り目を付けて保護の薄いシートを敷いて300gを並べていき、梱包します。全国一律185円という安価なコストはありがたく、輸送に2日以上かかる点だけは生ものだけに心配ですが、到着後にすぐにザルやボウルで水にさらしてから冷蔵してもらえれば、シャキッと戻ります。
ゆうパックなど本格的な輸送形態を選択するならば、輸送コスト的にもっと大きいパッケージ(1kgとか)となりましょう。でも一般の家庭利用では300g程度が適量で、その価格帯にいきなり700〜1,000円の輸送コストを上乗せすることはできません。ここはやはりクリックポストの選択で進むしかないかと思っています。
山菜の豊富な土地柄である上に、もともと農閑期の仕事をということで始めたたらの芽栽培ですので、旬の畑の露路物や山の天然物と違い、促成栽培という選択になりました。天然物以外は食べる気がしないよ、というような意見もわかりますが、こうした促成栽培のたらの芽は色も緑が綺麗で柔らかく、お子さんも喜んで食べてもらえる品ではあります。
5月になればこの穂木の採取圃場であるタラノキ畑でも自然に芽吹いてきて、秋までに1枝から2本程度芽を仕立ててその2本の穂木を育てて伐採採取します。細い枝の場合は芽は1個だけにしますし、1本の枝の芽の数を調整して、太い枝が秋に得られるように努めます。芽かき作業ですね。で、その余分な芽を掻いて持ち帰り天ぷらにしたりしますが、それらは結構硬くてゴワゴワした感じです。自分の施設での栽培のたらの芽のハジキを期間中食べていますが、それに慣れてくると、むしろ柔らかい方が食べやすく思います。
旬の時期に深山に入って天然のたらの芽を採れば、日陰になっていることで、促成に近い感じにはなりますが、タラノキ園の木は日当たりが良いので野生的です。タラノキそのものは日光を好むのですが、柔らかい緑のたらの芽は日陰が良いのです。そうなれば、柔らかい天然の緑のたらの芽と促成栽培のたらの芽との差はあまりないということになります。
そんな収穫出荷の日々もあと数日で終わります。
並行して、稲の種籾の準備もこの時期の大きな仕事です。亀の尾やひとめぼれなど晩生品種を作付けていてかつ出芽機を使わないハウス内平置きの出芽法ですので、種まきは早めに行います。早い時期の田植えを計画しますのでそれからの逆算ですね。地区の中では一番早いと思います。まあ途中で追い越されてしまいますが。。
今年から農協の育苗センターで温湯消毒をしてくれなくなったため、自分の風呂で行いましたが、60℃にはなりませんで、やかんで沸騰させたお湯を足し足しして、何とか58℃を確保し15分浸漬しました。そしてすぐに塩水選を行い、あとはそのまま水に漬けて12日くらい。そしてハトムネ催芽機で芽出しをしてから播種します。
3月後半になるとハウスの除雪をしますが、雪が消えてハウスのビニール掛け、そして種籾の催芽、そして育苗の培土の準備が一致して初めて種まきができます。わが家は4月10日が種まき開始の日です。ハウス内の土を整地しますが、その前に昨年の麦や稲の脱穀の際に溜まっていたハーベスタから排出される殻などを綺麗に片付けてからです。平らにした地面にプール枠を組んで、ブルーシートを敷きます。作業場の2階から苗箱を下ろし、播種機をハウス内に設置して、土入れ・播種・覆土の作業がスタートします。
亀の尾が60枚、ササシグレが26枚、ひとめぼれが18枚、通常出荷はしませんがりんどうの廃園後翌年に作付けするいわてっこが今年1反歩で21枚、以上になりました。用意した亀の尾種籾が予定より少し足りず、多めに準備していたササシグレが少し増えました。ひとめぼれも需要はありますので7アール分1枚に作付けします。
ここは冷涼な地域です。有機稲作のセオリーで薄まきの大苗育苗を理想として播種を行って田植えしても、結果、分けつが暖地のようにはできません。ある程度厚く蒔き、1株当たりの植え付け本数を増やすことは、寒冷地という地理風土の必要な方法になります。そうしたこともあって亀の尾は種籾を多く使ったせいで箱の枚数がやや少ない結果になりましたが、その面積の中でしっかり穫れるよう努力いたします。
品種が増えるといろいろ面倒なのですが、現在どれも必要な品種と思い、なかなか数を減らせないでいます。いわてっこの方はともかくとして、亀の尾・ササシグレ・ひとめぼれから選択してお求めいただきたく思います。
以上のここまでは雪が残り雨が降っている時期でも進められる作業になります。
外の圃場に目を向けますと、4月17日に、大部分のにんにくが現れてきました。雪に押しつぶされてまだ呆然とした感じですが、これから一歩も二歩も他地域に遅れての再スタートですので、頑張って挽回してくれとエールを送るのみです。
同じ17日の小麦アリーナ畑です。ヨーロッパ由来で南部小麦よりは雪に弱いのですが、何とか生き残っていてくれました。まだ眠そうですし、株元に葉がいっぱい枯れていて、この枯れ葉の中からの復活を力強く遂げてほしいです。この枯れた部分を見越して播種時は厚まきにします。また秋の年内の生育が足りないで雪の覆われると雪腐れになりやすく、そのためにも早い時期の播種が必要です(9月中の播種)。
去年の晩秋は暖かい日が多くて、にんにくと小麦については大変ラッキーでした。いろんな品目を植えていると、何かが思わぬ恩恵を受けてくれたりするものです。水稲だけで、しかもコンバイン+乾燥機であれば、稲刈り後10月からの天気はもはや関係ありません。ハセ掛けのわれわれは稲刈り後の好天がとにかく必要ですし、同じく作付け直後のにんにくや小麦もお日様に助けられました。とはいえ、去年の秋がたまたまそうだったため、やっと他地域並みに育ったということですので、同じ岩手県内でも他の少雪地域の人たちはこのくらいの生育はいつも当たり前だよということになるわけでしょう。まあそれも寒冷積雪地の宿命で、それを何らかポジティブ要素に変えて生きていくしかありません。
なお、雪腐れ病に対処するために、小麦連作による障害を回避するという必要があり、そのためと、土作りやチッソの補給という面を併せてマメ科のクロタラリアを盛夏の休耕期間中に作付けし、小麦の播種前にすき込んでいます。その成果が確認されるのもこの雪解け時期になります。
一方、消雪後まもなく行うことの一つに、ルバーブの株分けがあります。近所の加工所でジャムにしてくれていますが、やはり赤いルバーブのジャムは綺麗で貴重です。赤いルバーブはいま入手が困難ですので、大事に増やしていきたい財産です。1株掘り上げてスコップで4個に分けます(写真は4つに切り分けたところ)。株分けをすればそれらは小さくなるので今年の収穫は控えなければならず、したがって、一気にではなく毎年少しずつの株分けになります。
もう一つ春の作業に果樹の剪定と接木や挿し木の作業があります。去年4月に、寒天出張終了時に神戸大学から輸送したマメナシ台木にイワテヤマナシを接木しましたが、あまり成果が思わしくなく、多分台木自体を植え付けてすぐの接木だったせいもあったでしょうか、失敗した台木を掘り起こして盛岡市乙部の片山先生の圃場へ持って行き、プロの手によって台木を生かしてもらうこととしました。秋の時点で成功したかなと思われるものは私の園地でそのまま経過観察していますが、やはり幼木をこの多雪地帯で管理することは容易でないと思いました。細く小さい木の上に2mの雪がずしりとのしかかるので、いくら雪囲いをしても、テープで止めて固着したはずの接木部分が押されて曲がってしまったり。。むしろこういう豪雪地では挿し木などと同じくポットで管理して冬は作業場で管理し、何度か植え替えをし、3年くらい育ててから地植えする方が良いのでしょうか。小さい台木での接木育苗作業は雪のない盛岡に委ねることにして、当園ではすでにイワテヤマナシ成木が8本あるので、それらの一部を高接ぎで好みの品種に改変していく、あるいは一本まるごと別の木に改造していくという作業をメインにしたいと思っています。立派な成木に高接ぎを行えば、成功率も高く、また生育も早いです。雪による圧迫も地面から上に上がった空中のことなので回避できることになります。
たらの芽もですが、太い穂木(駒木)からは大きな芽が育ち、細い木からは小さな芽になります。太さが肝心なようです。イワテヤマナシは岩手特有の、岩手にだけ自生した、香ばしい匂いのする梨の実なので、これを活かし、いろんな産品に商品化したり、また果実のみの出荷販売もありですしね。まずは太い枝に理想の実をしっかりならせられるよう栽培管理に努力したいと思います。
農業外では、久しぶりに地元のお寺「玉泉寺」(ぎょうくせんじ)に法事で出かけました。りっぱなお堂です。すばらしいです。仏教文化の高い芸術性を目の当たりにした気持ちです。こんな山奥の過疎の村にこのようなお寺があることは嬉しくなるし、誇りに思いますね。新興の住宅街とかでない太古からの暮らしの歴史を持つ山村であることを感じさせてくれるひとときでした。入植時にとても世話になった地元のおばあさんの3回忌でした。ご飯を食べながらご家族親戚の人たちと久しぶりにおばあさんの話や、四半世紀前の話でとても懐かしい時間を過ごしました。
そのおばあさんの土地を借りて農業を続けてきているし、そのうちの1枚の田を買っていまの住宅や作業場、ハウスなどがあります。都会育ちで農業のイロハも、また田舎で力強く生きていくためのすべをも持たない30そこそこの青年に、豊かな知識と技を伝授してくれたおばあさんでした。ポツンと一人でやって来て、しかも血縁もない豪雪の山村です。いまそれなりに暮らしが続いてこれたのも、このおばあさんの助けで生活の土台ができたからでしょう。車の運転ができないおばあさんと、その地元のお婆さんたちを乗せて、県内のいろんな場所を訪ねました。自分にとってそれらのドライブは岩手を知る発見の旅でもありました。ワゴンRの後ろの席をフラットにして、そこにばあさんたちが座っておしゃべりする様を見ながら温泉に行ったり、志和稲荷へ参拝に行ったり、バイキングにも行きましたしいろいろでした。
さて、雪がある時期のもう一つの仕事は、薪の玉切りです。10年以上前にヤフオクで買った古いチェーンソーに頑張ってもらって、雪のあるうちに玉切りを行いました。薪割りは地面が出てからの作業で後回しですが。森林組合からの購入で3間の量ですが、今年のこのナラは地元産だそうで、県内他の木よりもとにかくここ奥羽の地で育った木は年輪が詰まってずしりと重い。切るのも苦戦し難儀でしたが、燃やすには火持ちも良くて、良い薪になるでしょう。
農閑期の間はいろいろ出かける用もあり、外出でランチする機会も割合ありました。寒天出張の時は3食デリバリー弁当でしたが、とにかく量が少なくて、もうご飯はいいからと結局おかずだけにしてもらって、ご飯は炊飯器で炊いて好きな量を食べていました。深夜からの長時間の勤務のため1日4食食べており、しかも酒を飲まない生活だったので、米も長野産コシヒカリを社長からもらって、自分の持ち込んだ玄米と交互に食べておりました。デリバリーのない4食目(夜食)はレトルトのカレーだったりしましたが、3食のデリバリーもおかずは少ないし病院食のようです。そういう体験をしていると、高級な意識高い系の上品なレストランよりも、大衆食堂の大盛り系に行きたくなってしまうのが人情ですね。
左は盛岡市の「田舎家」という食堂の看板メニューの唐揚げ定食です。ご飯はまあ普通盛りですが、唐揚げの量が結構多くて、お腹いっぱいになりました。人気のお店で早い時間帯でないとかなり並ぶのではと思います。右は西和賀から横手へ向かう途中にある「山内食堂」で、オモウマイ店とかいう番組で取り上げられて行列の店になりました。昔はなかったと思うので、この10年くらいにできたのでしょうか。ユーリンチーというメニューです。写真じゃ分かりにくいですが、2枚の写真ともかなりの肉の量です。これでご飯が大盛りだったら食べきれないでしょう。油淋鶏というのは初めて食べましたが、醤油の甘酢とネギがふんだんにかかった美味しい唐揚げ料理でした。
寒天からの帰りに仙台で娘と「北京餃子」という中華店に行き、また先日は息子と「中華飯店」という店にも行きまして、ずいぶん中華を食べて、寒天生活の食の70日を挽回した気持ちです。「北京餃子」は中華が各種安価に食べられていろいろ頼んでシェアして食べたりしましたし、「中華飯店」は値段は結構しましたがどれも大盛り系で、いちばんのおすすめは春巻きでした。日立システムズホールというコンサートホールのすぐそばにありますので、コンサートの前後に出かけられてはいかがでしょうか。去年の夏にはここでモーツァルトのピアノコンチェルト20番とマーラーの「巨人」を聴き、その後で一緒に聴いた子どもたちと中華飯店に寄ろうと思いつつ、結局コンサートが夜9時頃までかかったので閉店して入れませんでした。
余談ですが、コンサートでは、先日NHK教育で観たマーラーの第2番「復活」がすばらしかったです。指揮者はカーチュン・ウォンというシンガポール出身の若手ですが、リハの映像からして、表情も豊かで人間味に溢れ、とても好感の持てる指揮者でした。この「復活」は合唱を伴った壮大な交響曲ですが、これまでコンサート経験も、曲の映像を動画で観たこともなかったので、とても刺激的で新鮮な体験でした。演奏ももちろん素晴らしいの一言です。いまの時代、語弊はあるかもですが、ブルックナーやマーラーのような壮大なシンフォニーというのは時代にマッチしていないように常日頃、感じています。自分自身がブルックナーやマーラーしか聴かないような狭いタイプなので余計に阻害感を意識してしまうのかもしれません。
想像するに、20世紀のバーンスタインやテンシュテット、ひいてはフルトヴェングラーのような気迫のこもった熱い演奏というのはいまの流行りではないのかもしれませんね。コンサートの曲目を見ても、ドビュッシーやサンサーンスなど、一見王道ではないよという作曲家の演目も東北の山形や仙台でも頻繁に行われるメジャー曲目だし、シベリウスなんかも演奏機会が多いですね。ラフマニノフなども人気の演目です。もちろんドヴォルザークだったり、シューマンだったり、演奏会いっぱいあります。ただ、ブルックナーやマーラーとなると、ちょっと「引いてしまう」というのが時代のムードなのかと感じています。え、やるの、という。。去年なんかブルックナーの生誕200年のメモリアルイヤーだったんですがね。私の偏見やひがみなんだと思われてもいけませんが、クラシックのトーク番組(FMの音楽番組)とかを聴いていても、敬遠されてるかなみたいに感じる節がありますね。だいたい女性はブルックナーが嫌いという説もあります。大袈裟な感情の発露とか、壮大なクライマックスとか、そういうのじゃなくてね、いまの気分はもっと身近な身の回りの感覚にマッチした音楽が求められているんじゃないの? そういうようなご時世という気がしますね。
「全身全霊でマーラー楽曲の表現を追究したい」という感じのことを「復活」の演奏に当たってカーチュン・ウォンは語っていました。復活の合唱はラストの10分くらいかと思いますが、歌い出しは「よみがえる」、で始まります(復活する、です。auferstehen)。歌詞を検証した上ではありませんが「生きるために死ぬ」とか、「自分が息絶えてしまうことも、それが生の糧になる」という感じの詩になりますね。後の傑作「大地の歌」の集結部では、「自分がこの世にいなくなった後も、花々は永遠に咲き誇るのだ、永遠に」の言葉で静かに終わっていきます。現代の感覚としては特異かもしれませんが、しかし「全身全霊」というカーチュン・ウォン氏の言葉は、非現実的な大袈裟なドラマを語るのではない、いま風に表現しマーラーのメッセージの核心を言い当てた言葉遣いに思いました。
カーチュン・ウォンと日本フィルでマーラーのチクルスを進めているそうで、その一環としての放送でした。それならば、いつか数年以内に第8番を演奏することになるのでしょう。「復活」と同じオルガンのあるサントリーホールですね。その時はぜひ東京へ行かなくては、と思いましたね。いまは日の目を見ないかもしれない時代の周辺部の人たちが集結しますね、きっと。ブルックナーの大作第5番のコンサートが東京で最近あったと思いますが、私が情報を目にした時は完売していました。いるのです。ブルックナーやマーラーに心を打たれ、時代の気分が何であろうと何十年もひたすら愛好して来た、自分の生きる道はこれだと貫いて来た、いまはたまたま特殊な愛好家として辺境地?に暮らす人たちが。。
マーラー8番は東京時代の最後の頃にN響の特別演奏会を30年前に渋谷で体験してはおりますが、楽しみに次回のその時を待つことにします。稲刈りとかお盆や彼岸のりんどう需要期でないことを願います。
盛岡へ出かけた4月18日、盛岡市の石割桜が満開でしたので、車を停め写真を撮りました。外国人観光客がいっぱいいました。西和賀町まではまだインバウンドは及んでいません。が、早晩われわれのこの山あいの雪国にもお客は来ることでしょう。地元の若い人たちにもそういう読みはあるでしょうし、新たな形態の宿泊業への進出も取り組んでいます。
石割桜を見た後に、せっかくなので映画の「教皇選挙」(コンクラーヴェ)を観て来ました。カトリック教会のこと、ひいてはキリスト教の文化歴史的側面について、日本人はなかなか理解ができていないと思います。私自身もたとえば哲学の勉強の中で西洋思想史の中でのキリスト教の持つ意義というのは大大テーマであるとはいえ、その本質的部分は何となく避けて通って来た気がします。でも、子どもたちに対しても、世界を股にかけた仕事をするようになってほしいし、そういう時にギリシャ神話やキリスト教文化のことを知っておいた方がよく、同時に自国の「古事記」の個々の話なども外国人に説明できるようであってほしい、などと言いはします。その通りでしょうが、なかなか。。
次の教皇を決めるのは枢機卿(すうききょうと呼ぶのが正しいらしいです)団の人たちで、バチカンに集まって教皇の選挙を何日もかけて決まるまで行う、という話ですね。そのことは知っています。教皇が選出された時は特別な色の煙で地元住民に知らせるとかも何かで憶えていました。映画だけでなく実際にいろいろ策略や陰謀とかもあったことでしょう。そういう世界史の一コマを子どもたちには知ってほしいものです。
雪が溶けたいま、映画を見たりする余裕ももうなさそうです。去年よりも雪解けが遅くて春作業は遅れています。稲の育苗だけは進めていますが、ちょっと気温が低くて、いつものことですが出芽にヤキモキの日々です。平置き出芽でみんな使うシルバーシートですが、寒冷地では天気の悪い時は「保冷」になって箱の温度を低くしてしまうため日中は外して夜に「毛布」のつもりで掛けてやります。こうして出芽を待っているうちに、出芽機で出芽した苗をハウスに並べる地元の農家に追い越されてしまうのでした。。
これからりんどうの春作業が待ち構えています。支柱を直し、肥料をやり、ネットを掛けて芽かきをする。廃園予定の圃場はいまのうちにマルチを剥がしておくし、新たに新植する圃場は溝を掘って排水を進め、5月にはこなれた畑で畝立てができるよう準備をする。りんどう作業は何週間もかけて、夏までに終わらせるような息の長い作業です。田んぼの仕事はそれに比べれば、田おこしも代かきも、田植えもまあ数日で終わる話であり、問題は植え終わった後からの除草作業です。
とはいえ田もりんどうも除草がメインの作業になるということは春の作業の形が一段落し終わってからの話で、それがおよそ6月初めまでの仕事になります。一方、秋に植え付けをしたにんにくと小麦は、もういまは形ができているので、収穫の7月までは除草がメインになります。一方で秋はにんにく小麦の仕込みの時期であり、かつ稲刈りやりんどうの収穫時期であるため、最大の繁忙期になります。
まずはいまこの春の「形にしていく」時期を乗り切りたいところです。