に投稿 コメントを残す

長野の年末年始から

1月1日の富士山

珍しく年末年始が休止になった寒天工場です。初めての滅多にない機会なので、いろいろ出かけて来ました。茅野市のお隣の原村と富士見町の境界辺り、寒天作業場より車で20分弱の所で富士山を見ることが出来ました。天気も良く1月1日の富士山です。

正月の天

天出しされた寒天も順調に進んでいます。

木曽駒

大晦日の31日も休みとなり、釜の湯を沸かしたり若干の作業はありましたが、早々に終えて、そして信州ドライブに出かけて来ました。

長野県は言うなれば東北よりは都会でありますので、茅野市もですし松本、長野など人が多いです。車の往来も多くて渋滞に巻き込まれますので、割とのんびりしていて自分の好みでもある伊那谷の方面を走りました。最初は高遠から南アルプスに沿って走る山道の国道を進んでましたが、冬期の閉鎖ということで谷底を走るメインルートに変更し、伊那から飯田方面へ向かいました。天気が良くて駒ヶ根で少し中央アルプス側へ逸れて、木曽駒ヶ岳を撮影して来ました。千畳敷カールで有名ですね。

それから、30年近くも前に、伊那谷での就農移住を試みて、現在は飯田市に合併された当時の上村を訪ねました。今回の目標地点になります。ここに「下栗」という地区があり、かなり奥地の急峻な地形の土地に集落があります。何年か前にこちらのローカルの番組で放送されていたのを覚えていまして、今回訪れてみました。

国道から狭い舗装路をゆっくり上って行きます。命の水という湧き水で小休止し、車で行ける最終地点まで進みました。

さらに、駐車場から歩いて20分、その下栗の里が見下ろせる地点に到着です。確かに惹かれますよね。こういう山暮らし。当時上村の役場にも訪れて、就農の希望など職員さんに伝えて対応していただいて来ましたが、1995年頃はオウム事件もあり、この南アルプスの村も無縁でなくて、住民も他地域からの移住者という者に警戒感を抱いているというムードで、結局就農の話には進みませんでした。

ともあれ、ここまで奥地の急峻な土地では農業というのはなかなか難しかったでしょう。

でもいまでも何かしら後ろ髪を引かれる感じは少しありますね。

光岳

その下栗から見た光岳方面です。この山なみから受ける感動は、先の木曽駒などの比ではありません。北アルプスでは雲の平が最奥の地であるとすれば、南アルプスではこの山域が最深部になるでしょう。どこから入山しても下山まで3〜4日かかる奥深い山域。この光岳(てかりだけ)は東京にいた頃からずっと気に掛かっており、この夏もラジオの「山カフェ」でかつてのおしん役の小林綾子さんが登頂した話をしていた放送をしっかり聴いていて、羨ましく思ったものでした。

さて麓の方へ降りて来て、長野県最南端の天龍村へ。最近見た番組(ローカル)で、ここは柚子の栽培が盛んと言っており、写しました。良い感じの田舎ですよね。伊那谷の最奥部、満足度満点ですよ。あったかいんでしょうね。お茶も植わっています。

何かしら特産品を買って帰りたかったのですが、道の駅もことごとく閉まっていますし、開いている食堂もなくはないですが、一人でコロナ禍にわざわざ、とも思いパン等を買って天竜川沿いで食べました。

さて、軽トラックの旅はさらに深みに入って行きます。天竜川を下流に進んで行きますが、もうすれ違う車両もありません。長野と静岡と愛知の3県の交わる辺り、実に深いです。ガソリンもメモリが2個になり不安もよぎりましたが、飯田線の「大嵐」(おおぞれ)駅を今回の最終目標に、人っ子一人いない狭いカーブの続く道を、ただ訳もなくひたすら走行します。

実は東京に住んでいた時に確か年末にバイク(XLR250)で浜松から天竜川を上るツーリングをしました。その時に大嵐駅の辺りでテントを張って寝たような記憶が。。すぐそばにはスナックがあり、そこで生まれて初めて一人で酒場に入った記憶が。。駅のそば、テント脇で水道の蛇口を見つけ顔を洗い、そこで持参したシェエラカップを忘れてきたような記憶が。。

大嵐駅

でも大嵐駅は他に建物など何一つない場所にポツンと建っていました。全部思い違いだったのでしょうか。。いったい自分はどこの駅で野営したのだろうか?

飯田線はいったい誰が利用するのだろうと、線路とは対岸の道を元の長野方面へ戻りました。他に別のルートはなく、戻るしかない。

給油を気にしながら、対岸を見ると山あいに集落が。いやあ、本当に奥の奥に人が暮らしているんだ。。先の下栗を思い出します。

幸いガス欠になることもなく、阿南町まで戻って給油。長野県はガソリンが高いです。あとは飯田市、伊那市と戻って、高遠から杖突峠を経て茅野に戻りました。

明日2日も休みで、また出かけてみようと思っています。