長かった長野での寒天製造の仕事も、いつかは終わります。終わってしまえばあっという間に1週間、飛ぶように過ぎ去りますが、今回の帰宅時は気になっていた岡本太郎の太陽の塔を見ることと、これまで訪れたことのない紀伊半島を一周し、南方熊楠記念館へ行くこと、が目標のドライブ旅行となり、寒天工房のあった茅野から伊那谷へ入って飯田経由で名古屋入りし、ぐるっと半島を回って大阪から北陸、新潟から東北入りし、仙台経由で岩手へと戻る旅程となりました。そして現在は豪雪の沢内で過ごしています。体を休めながら、いろんな資材の注文や決算・確定申告の作業、ハウスのパイプが曲がらないようアーチ部分を超えた雪の除雪、そしてこれから始まるたらの芽栽培のための準備をしております。
寒天作業の終盤から居座った寒波で気温の低い状態が続いていますね。ちょうど北陸付近を通過するときは寒波の谷間のタイミングで走行はとても快適でしたが、いま再び雪が続く状態で、とにかくハウスのパイプを守ることが先決です。除雪機もありますが、格納する作業舎のシャッターが雪で完全に封じられており、少し気候が緩んでからの除雪機作業になりそうです。4月10日までにハウス近辺が完全に消雪し、ビニールが掛けられるようになればと思いますが、今年の雪は手強そうです。田畑から雪が消える時期も4月末の連休の頃になる予感もします。
さて太陽の塔、何がどうとが言い表せないけどスゴイ。このようにも感嘆されたりしますが、秋頃に講談師神田伯山のラジオで伯山氏が太陽の塔を観覧した時の印象を熱く語っていて、これは寒天終了時に足を伸ばして実物をリアルに体験して来なければ、と思っていました。2か月半に及んだ出張中、じっと旅立ちの時を待ち続けていた軽トラックはついにその時を迎え、始動し、下道ですが、飯田市からさらに南下して愛知県入りを目指し旅が始まりました。
途中、伊那谷へ入る手前の高遠(桜で有名)に、同じ寒天(てんやと言ったりします)に通っていた農家の橘内(キツナイ)さんを訪ねました。写真は撮りませんでしたが、畑と作業場や住宅を見せていただきました。福島県出身で、震災後に地元での営農を断念し知人の紹介を経て長野へと移住し、ここ伊那市高遠の山深い里で有機野菜を生産販売しています。農政や社会情勢にも明るい聡明な人ですが、新規就農者として私にもよくわかります苦労を積み重ねて現在に至っています。まだ40代前半、小さいお子さんもおられ、まさにこれからの人ですね。雪がないというメリットがありますし、来年は冬期も寒天従事でなく営農を続け、完全な専業になられるかもと思い、今年の機会に訪れておけて良かったと思いました。
とはいえ、寒天から西回りで帰宅旅をする場合、権兵衛トンネルで木曽から岐阜に抜けるような時もここは必ず通行しますので、私が続ける限りいつでも立ち寄ることは簡単ですが。。私と同じく時期にはポケットマルシェにも出品しているので、見かけたらいろいろ閲覧してみてください。
長男が誕生した時ですので20年近く前ですが、近くの農業改良普及センターで冬期にやっていた田畑の土壌分析の業務が終了となり、近場で仕事も見つからず、4か月ほどトヨタで働いてきたことがありました。1冬だけで、その後は大型免許を取って町の除雪オペレータもやりましたが、その懐かしくもあるトヨタの小川清風寮を訪れてみました。ここで個室を与えられ、近くの元町工場へバスで向かいました。村の中でも、俺もトヨタにいたことあると言う人と会ったりします。
最初の頃は首にぶら下げた写真証で食堂の食事をし給料から引かれていましたが、3食となるとこれが結構な額になり、途中で食堂利用はやめまして家から米を送ってもらって自炊に切り替えました。昼ごはんだけは工場の食堂を使ったと思いますが。その時に週末に通ったスーパーも健在でした。
初日はこの後名古屋経由で亀山市にあるホテルに宿泊し、翌日は紀伊半島に向かいました。数日前から急遽、伊勢神宮に行ってみようと思い立って、検索で調べ、まずは外宮(げくう)からということでその正宮を参拝しました。中はよく見えないんですが、どこも杉の丸太がどんと屋根に乗っていましたね。
こちらは場所を変えて伊勢神宮内宮の正宮です。石段に踏み入れた後は写真撮影禁止ということでしたが、わからずに撮影している人が警備員に注意されていました。写真の消去まで求められはしなかったかと思いますが。。地元の両沢公民館のそばに昔の石碑など残っていますが、稲刈りが終わった後に何か月もかけて昔はお伊勢参りをしたようです。一生に一度、生きて戻って来れるか、という不安もあったゆえでしょうか、こうして石に刻んだりしたんでしょう。いまは思い立ってすぐ車で行けますが、それもこれも長野県で働いたという地理的な環境によるもので、いま岩手から車で伊勢参拝に行こうとはなりませんよね。
伊勢から南下し、鳥羽の辺りで真珠を土産に購入し(鳥羽パールタウンという建物内に入る専門店)、店でも勧められた賢島(かしこじま)を目指すことにしました。賢島はホテルのほか真珠の工房や販売店があったりという感じで、海辺まで降りて歩いたりしてみましたが、特に観光で立ち寄る施設というのはありませんでした。訪れるみなさんは宿泊客でしょう。その後、賢島を去ってから、偶然ですが気になる場所を見つけ、それは「横山展望台」というスポットでした。ここまではさすがに調べもできずに、ドライブを進める中でたまたま看板で見かけて、時間も押してはいましたが、行ってみようと思い寄り道をしました。
行って良かった、素晴らしい光景です。岩手三陸のリアス式海岸とも違う何とも穏やかな光景。毛細血管のように海が入り込んでいます。これはぜひ、伊勢志摩に来られた方は立ち寄って欲しいビュースポットですね。伊勢神宮の頃にはどんよりし強風が吹いていましたが、午後からは好天となり、気温は低めではありましたが、良い眺望に恵まれました。
そこから。。。その日の予約は南紀白浜の温泉宿だったんですが、夕方が近づく時間帯でまだこれから250kmあります。しかもグネグネ道で。。前日もでしたが遅めのスーパーに寄って値引きされた惣菜を買い、遅い時間に晩酌をするという形の旅行になり、一人旅ですし居酒屋に寄ったりはしませんね。また結局時間が遅くなってしまうので、夕食をどこかの店で食べるということもなく、急いでまずはスーパー、そしてホテルへという流れになります。でも伊勢から白浜へ向かう海辺の景色は入江がとても綺麗で楽しめました。途中からは内陸部になり、暗い夜道を走り続けます。
2日目の夜は温泉大浴場のあるホテルで部屋にはバストイレなしのタイプの5千円クラスのホテルでした。今回はすべて朝食付きでしたので、ビュッフェ形式で量もついつい食べてしまいがちで、お昼は逆にドライブの友の飲み物とおやつで済ませながら車をひたすら走らせるというスタイルになっておりました。
翌朝の白浜の海岸です。紀伊半島の南西部のかなり深い場所ですね。岩手沢内から車で来た地点としては最も遠い地点といえます。砂浜もまさに白くて綺麗です。この景色から左へ向きを変えると、リゾートホテルが立ち並んでいます。関西エリアでは人気の観光地ではないかと思います。
この地域での目的は南方熊楠記念館です。岬の先端にあたる部分に建っていて、観光と兼ねるにも良いロケーションです。熊楠を知る人は寒天の仕事人の中にも結構いて、昭和天皇に粘菌を菓子の箱に入れて送ったとか、ロンドンの大英博物館を出禁になったりとか、知っている人もいましたね。われわれ人文思想系をやった者としては、粘菌学者という狭い範疇の人でなく、森羅万象に渡る現象物の観察の積み重ねから得られた壮大な世界観を提示しようとした知の巨人、というイメージになります。昔、中沢新一氏の『森のバロック』を読んだこともありましたが、8年くらい前になりますか、子どもたちと山形市の博物館へ「熊楠と粘菌の世界展」をお盆頃に見に行った時の印象も強く残っていました。例の菓子箱も山形に展示されていましたし、粘菌についてかなり詳しく紹介した動画も放送されていました。学芸員の方がとても親切に詳しくそばにいて解説してくれたこともよく覚えています(あまり他にお客さんもいなかったので)。
その熊楠記念館の屋上テラスからの眺めは素晴らしいものでした。ぐるっと周囲が見渡せます。位置的には四国の南部、高知とかと同じくらい南です。太平洋に面しているという点では関東も同じかもしれませんが、やはり遠くに来て南に張り出した土地で太平洋を見ている感慨はありましたね。
すぐそばに京都大学の水族館を見つけ、入館しました。熊楠館と両方入ると記念品がもらえるということで、箱の中から磁石で吊り上げた景品は、若き熊楠と南方マンダラが描かれた缶バッチでした。貴重なものです。説明を加え、中3の娘に渡しました。
ここから田辺市内にある熊楠の住んだ住宅を目指し、渋滞とナビがあってもわかりにくい路地をぐるぐる回った後に到着しましたが、校外学習に来ていた小学生が走り回っていて、また入館料もかかるということで、外観と庭を眺めてから立ち去り、次のメインの目的地である大阪の万博公園を目指しました(吹田市にある1970年の万博の記念公園です)。寒天の仲間と合流する予定でしたし、時間ももったいないので高速を使い2時間走りました。
大阪市内も高速でビュンビュン走るため、渋滞はありませんでした。予定通りに駐車場に着き、寒天仲間のリュウちゃんと共に太陽の塔へ向かいました。いちおう写真は撮りましたが、写真からは実物の感動は得られません。実際にここに立ち会うことで、この70mの塔の凄さ、岡本太郎の凄さを感じることができます。
内部は、生命の進化の系譜がモニュメントとして造形されています。これは後から作られたものでなく、万博の1970年当時からこのような内部になっていたのですね。そうした地球上の万物を包み込んだ象徴として「太陽」がここに聳えているわけです。こうした地球規模の発想は南方熊楠に通じますね。2人の巨人は同じ魂を持っているように思います。同じ日にこの2人の巨人の足跡を見たことは貴重な経験になりました。
階段で2階以上に上がっての写真撮影をしたい人は500円払って、たすき掛けにするスマホのホルダーというのを借りなければなりません。多分このモニュメントを上の階で撮影しようとしてスマホを落下させた例があるのでしょう。下にいた人には危険な話ですよね。随所に案内係さんがいましたが、この写真の箇所で、この首長竜だけは万博以後一度もこの系統樹の幹から外されて下に降りたことはありません、ここは写真を撮る絶好のスポットですよと教えてくれました。500円払ってホルダーを買った人だけに教えてくれているそうで、撮影しました。
わかりづらいですが、系統樹モニュメントのスケッチになります。
そしてこちらは太陽の塔の左右の腕の部分です。このように頑丈な鉄の骨格が塔を支えていて、これはかなりの工事ですね。当時の製作費で6億3千万円かかったそうです。
太陽の塔を後ろから見ると、こうです。黒い太陽と言われています。顔の部分はレンガが張り詰めております。この顔含め外装に3つの顔が描かれています。
4つ目の顔になる「地底の太陽」は内部の1階にあります。
この後、塔を出て、同じ万博公園内にある国立民族学博物館を見て歩きました。結構広く膨大な展示品があり、じっくり見るには時間を要します。とにかく世界中のあらゆる展示品が並んでいると言う感じです。閉館までいましたが、まさに万博、熊楠含め広い視座の森羅万象を描いた世界観に浸った日になりました。
それからリュウちゃんと車は別ですが道頓堀に向かい、初の道頓堀体験となりました。吹田市から一般道ですが全然混んでいません。大阪は市街部の道路網がしっかりしているようです。そして阪神優勝時に人々が川へ飛び込むのがここなんですね。串カツとたこ焼きを食べビールの生中で乾杯となりました。急遽ですが楽天トラベルで宿を探し簡単に取れましたが、豪華なビュッフェの朝食付きで一人4,500円は安いと思いました(心斎橋地区)。
翌日からは、目的も終えたので、もう岩手へ帰るだけです。1日じゃ無理なので途中新潟県の上越市にホテルを取りました(こういう計画を寒天従事時に綿密に立てていたわけです)。朝リュウちゃんと別れた後は、もう予定もなくひたすら走るのみです。京都は清水寺のそばを通り、琵琶湖西岸の道を北上し福井県に出て、石川、富山、新潟と距離は長いです。夕方に富山市内でブラックラーメンを食べ、スーパーで富山名物のナルトを買って、上越市へ向かい、最後の宿泊、そして翌日仙台市内で長女と「北京餃子」で中華を食べてから、後は高速で帰宅しました。名物を食べたのは道頓堀の時とこのラーメンだけですね。伊勢神宮では店の並ぶ場所で「伊勢海老コロッケ」と「松坂牛コロッケ」を買い車で食べました。確かに味はそれっぽい感じでした。伊勢神宮では「伊勢うどん」を食べるのが慣わしだそうですが、何となくこういう観光地の店には入れないタイプなんですよね。人も並んでいたし。去年、神戸の市内で昼時に神戸の中華街にいましたが、ウロウロ歩いたものの、なんか、結局入れませんでした。
大阪へ行かれる方は、機会があったら万博公園の太陽の塔を実際に見て、何かを感じてもらえればと思います。そして紀州は熊楠記念館に立ち寄られた時は展望テラスからの眺望がおすすめです。本当は熊楠も闊歩した熊野の森も歩いてみたいところですが、熊野古道も那智の滝も行けませんでした。那智の滝など本当に最南部の深いところにあるのです。もう紀伊半島に踏み入れることはないかもしれません。が、寒天の仕事をしていなかったら、去年の神戸も、その前の年の合掌造りや佐渡ヶ島もなかったことです。大学生の子どもたちには探究心と好奇心をといつも言うのですが、知らない世界を見聞することは何かしら仕事や生活面でも影響を受けますよね。しばらくは東北管内で登山をメインに休日を時々設けたいと思います。
まずはこのドカ雪でハウスや建物に被害が出ないよう対処しながら、事務作業とたらの芽の生産に励みたいと思います。積雪がここまでになるのは久しぶりで、これから気温が高くなるらしいのでそれを期待し、シャッターを開いて除雪機が出せるようになったら、まずは作業場と住宅を行き来できるように払いたいと思います。玄米在庫もだいぶ減ってきており、いまはその作業場からの山を乗り越えて玄米を出荷ごとに個別に運んでいますが、もうじき玄米在庫も尽きますので、同じ冷蔵庫に氷温で貯蔵している籾を住宅の方に設置している籾摺り機械まで全部運び込んで玄米にする作業をしたく、そのための除雪機除雪のタイミングを待っています。次いで、ハウスの方の水稲種まきと育苗のためのビニール掛けのためのハウスの除雪となり、それは春一番の外作業といえますね。室内では並行して種籾の塩水選や水漬けがあります。
とはいえ、それは1か月後の作業ですので、その前にいまはたらの芽準備が課題で、3月中旬の出荷開始を目指して準備を進めたいと思います。