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山梨県への旅

山梨県立美術館

1月2日に山梨県へ出かけて来ました。現在の拠点長野県茅野市から甲府まで1時間くらい。沢内から北上や盛岡へ出る感覚なんですね。山梨県立美術館が開館ということで、ミレーを見に行きました。

鶏に餌をやる女

「鶏に餌をやる女」

夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」

種を蒔く人・落ち穂拾い

そして「種を蒔く人」と「落ち穂拾い」です。

落ち穂拾い

落ち穂拾いの絵画部分です。この日のみ、写真撮影許可とのことでした。良いですね。農夫の姿。大地に馴染んだ生活感。後ろに麦の束の大きな山が見えますが、乾燥はどうやってたのでしょうか? 積んでいては乾きませんし、この後乾燥棚に掛けたのでしょうか。

米倉壽仁・早春

米倉壽仁というシュールレアリスムの画家の展示もあり、併せて見てきました。「早春」(1940年)。

精進湖からの富士山

9時の開館時間から2時間以上堪能し、そして富士五湖方面へ向かいました。精進湖からの富士山はとても綺麗で圧倒されます。31日の南信州奥地の探訪もでしたが、好天に恵まれた年末年始です。甲府市内を走るのは初めてでした。

鳴沢氷穴

次に訪れた西湖のそばには洞窟があり、入館して来ました。こちらは鳴沢氷穴です。岩泉の龍泉洞などのように石灰岩が溶けて出来る鍾乳洞と異なり、溶岩から噴き出すガスが溶岩内に空間を形成して出来たダイナミックな火山活動によるもののようです。

富嶽風穴

こちらは富嶽風穴という洞窟です。かつて冷蔵庫のような役目にも使われて、蚕や植物種子等を保冷し、出芽を調整したり蚕も仮眠させたりで生産調整をしたという記述があり、興味深く感じます。

溶岩樹型

旅の途中で「溶岩樹型」なる標識を見て停車し、探索してみました。溶岩流に巻き込まれた樹木が溶岩に包まれた後、高熱で燃え尽きてその樹型を残したという穴です。こういう穴が無数にありました。鳴沢村です。

河口湖からの富士山

最後に河口湖へ。ここは一大リゾート地という感じですね。高校の修学旅行で行ったような記憶がありますが、どうだったか。北側の湖畔からやや夕暮れに近づいた富士山ショットを撮り、そして茅野市の宿営地に戻りました。茅野まで2時間。一関から沢内へ帰る感じです。

帰路で暗くなった夜道を運転していますと、何だか気持ちが暗くなってもくるんですよね。家に帰るわけではなく、自分の正しい居場所に根付いていないような感覚。単純な旅行であれば自分の意志で自由ですからまた違いますが、その感覚は仕事である程度長期に出張している以上仕方ありません。いろんな不安や悩みごとは家にいても感じることですしね。。

そして今日1月3日の深夜から湯を沸かし始め、明日からまたテングサ煮込みが始まります。ようやく折り返し地点で、出張もあと1か月余りです。

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長野の年末年始から

1月1日の富士山

珍しく年末年始が休止になった寒天工場です。初めての滅多にない機会なので、いろいろ出かけて来ました。茅野市のお隣の原村と富士見町の境界辺り、寒天作業場より車で20分弱の所で富士山を見ることが出来ました。天気も良く1月1日の富士山です。

正月の天

天出しされた寒天も順調に進んでいます。

木曽駒

大晦日の31日も休みとなり、釜の湯を沸かしたり若干の作業はありましたが、早々に終えて、そして信州ドライブに出かけて来ました。

長野県は言うなれば東北よりは都会でありますので、茅野市もですし松本、長野など人が多いです。車の往来も多くて渋滞に巻き込まれますので、割とのんびりしていて自分の好みでもある伊那谷の方面を走りました。最初は高遠から南アルプスに沿って走る山道の国道を進んでましたが、冬期の閉鎖ということで谷底を走るメインルートに変更し、伊那から飯田方面へ向かいました。天気が良くて駒ヶ根で少し中央アルプス側へ逸れて、木曽駒ヶ岳を撮影して来ました。千畳敷カールで有名ですね。

それから、30年近くも前に、伊那谷での就農移住を試みて、現在は飯田市に合併された当時の上村を訪ねました。今回の目標地点になります。ここに「下栗」という地区があり、かなり奥地の急峻な地形の土地に集落があります。何年か前にこちらのローカルの番組で放送されていたのを覚えていまして、今回訪れてみました。

国道から狭い舗装路をゆっくり上って行きます。命の水という湧き水で小休止し、車で行ける最終地点まで進みました。

さらに、駐車場から歩いて20分、その下栗の里が見下ろせる地点に到着です。確かに惹かれますよね。こういう山暮らし。当時上村の役場にも訪れて、就農の希望など職員さんに伝えて対応していただいて来ましたが、1995年頃はオウム事件もあり、この南アルプスの村も無縁でなくて、住民も他地域からの移住者という者に警戒感を抱いているというムードで、結局就農の話には進みませんでした。

ともあれ、ここまで奥地の急峻な土地では農業というのはなかなか難しかったでしょう。

でもいまでも何かしら後ろ髪を引かれる感じは少しありますね。

光岳

その下栗から見た光岳方面です。この山なみから受ける感動は、先の木曽駒などの比ではありません。北アルプスでは雲の平が最奥の地であるとすれば、南アルプスではこの山域が最深部になるでしょう。どこから入山しても下山まで3〜4日かかる奥深い山域。この光岳(てかりだけ)は東京にいた頃からずっと気に掛かっており、この夏もラジオの「山カフェ」でかつてのおしん役の小林綾子さんが登頂した話をしていた放送をしっかり聴いていて、羨ましく思ったものでした。

さて麓の方へ降りて来て、長野県最南端の天龍村へ。最近見た番組(ローカル)で、ここは柚子の栽培が盛んと言っており、写しました。良い感じの田舎ですよね。伊那谷の最奥部、満足度満点ですよ。あったかいんでしょうね。お茶も植わっています。

何かしら特産品を買って帰りたかったのですが、道の駅もことごとく閉まっていますし、開いている食堂もなくはないですが、一人でコロナ禍にわざわざ、とも思いパン等を買って天竜川沿いで食べました。

さて、軽トラックの旅はさらに深みに入って行きます。天竜川を下流に進んで行きますが、もうすれ違う車両もありません。長野と静岡と愛知の3県の交わる辺り、実に深いです。ガソリンもメモリが2個になり不安もよぎりましたが、飯田線の「大嵐」(おおぞれ)駅を今回の最終目標に、人っ子一人いない狭いカーブの続く道を、ただ訳もなくひたすら走行します。

実は東京に住んでいた時に確か年末にバイク(XLR250)で浜松から天竜川を上るツーリングをしました。その時に大嵐駅の辺りでテントを張って寝たような記憶が。。すぐそばにはスナックがあり、そこで生まれて初めて一人で酒場に入った記憶が。。駅のそば、テント脇で水道の蛇口を見つけ顔を洗い、そこで持参したシェエラカップを忘れてきたような記憶が。。

大嵐駅

でも大嵐駅は他に建物など何一つない場所にポツンと建っていました。全部思い違いだったのでしょうか。。いったい自分はどこの駅で野営したのだろうか?

飯田線はいったい誰が利用するのだろうと、線路とは対岸の道を元の長野方面へ戻りました。他に別のルートはなく、戻るしかない。

給油を気にしながら、対岸を見ると山あいに集落が。いやあ、本当に奥の奥に人が暮らしているんだ。。先の下栗を思い出します。

幸いガス欠になることもなく、阿南町まで戻って給油。長野県はガソリンが高いです。あとは飯田市、伊那市と戻って、高遠から杖突峠を経て茅野に戻りました。

明日2日も休みで、また出かけてみようと思っています。

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農シーズンが終わり、そして寒天製造時期になり

米ぬか施肥後のにんにく圃場

奇跡的に無積雪の11月が終わり、12月を迎えています。ありがたいことです。にんにくの雑草はかなりの茂みになっていましたが、全部取り切ることができました。そしてフィニッシュは米ぬかの散布です。生の米ぬかですが、これから冬場にゆっくりと腐熟して雪解け時には土作り効果、追肥効果をもたらせてくれると思っています。

日暮れが早く夕方4時半には外作業は終了。あとは作業場で黒にんにくの準備製造をしたり、会計の記帳をしたり、補助金等への事務作業をしたり、年賀状の作成をしたり、これまでできなかった事務作業も山のようにあり、これも何とか終了し、そして農作業のシーズンが終了しました。冬支度に漏れはないか、あちこち見回って、シーズン最終日を終えました。

 

タラノキ伐採2022

最後の収穫作業はタラノキ穂木です。悔しいことですが、育苗がうまく進まず芽の素材量は少なめで、作業はすぐに終わりました。作業場に保管しており、2月の芽吹かせを待ちます。

 

アイアン・横手

余裕もできてきて、お隣横手市での展示会に誘われて、知人の職人の技を見てきました。山のうえアイアンの鉄工アートです。

 

ブナの森・横手

こちらは「ブナの森」竹澤氏の木工展示です。飛ぶように売れていく品々ではありませんが、こうした作品群が然るべき買い手の元に届いてくれたらと願わざるを得ません。

 

あがたの森

そして11月が終わり、例年通りに長野への寒天製造の出張の日が来ました。今年は開始がやや遅く、11月29日に家を出て、翌30日、群馬の嬬恋村から長野入りしました。旅行支援で安く泊まれた上に3,000円のクーポンももらえ、食費に充てたところです。

上田から松本へ着き、学生時代を過ごした街を少し歩きました。

懐かしいスパイスの「キッチン南海」でカレーを食べ、旧制松本高校跡地である「あがたの森」公園を散策しました。ここは初めて足を踏み入れました。ヒマラヤ杉並木が有名です。家の庭木でも姿形の良い針葉樹が好きで植えておりますが、ヒマラヤ杉はちょっと手に入りにくそうですね。巨大になりそうだし。すぐ近くにはイオンモールもできています。今回は行きませんでしたが、ナワテ通りの辺りが好きです。

 

北アルプス

アルプス公園にも出かけてみましたが、木が邪魔でアルプスは見えず、進入した駐車場を間違ったかと退却し、すぐ近くの学生時代によく訪れた岡田神社奥にある芥子坊主という高みより北アルプスを眺めました。さっきまで見えていた常念が急に雲隠れしましたが。。

北アルプスに別れを告げいつものごとくひどい渋滞に巻き込まれながら茅野市を目指しました。19号はあんまりにも渋滞がひどくて我慢できず、ルートを東寄りの小高い南北に走る道路にチェンジし、塩尻から諏訪を経由し寒天工場のある茅野市に入りました。長野県の渋滞状況を見ていると、いつもながらやはり関東地方の人口密集度は東北とは異なるなと感じます。

 

庭

寒天の準備作業がスタートし、田んぼ(庭と言います)に藁敷きをし、杭を打って杉の間伐材の長木を上に載せて縛り、「とかし」作りをします。生寒天の台(「カイリョウ」)が乗り、日中の暖かい日差しを受けて溶けて、それが夜に凍って、をくり返して、東北でいえば凍み大根のような天日干し角寒天が出来上がります。

 

釜

私の係は釜のテングサ茹で業務なので、庭の準備ができれば釜の持ち場へ移ります。右の釜で茹でた草と煮汁をクレーンのバケットで掬い、左の舟には布を被せますが、その布の上に移し、濾した液(「のり」)が底に溜まっていきます。それをポンプで青いモロブタに移し、やや固まった状態で天切り包丁で切って庭に出し(「天出し」)、庭で寒天になっていきます。

 

 

舟の内部

舟の木枠にはタルキで溝を付けており、そこに竹のすだれを被せ、さらに布で覆います。毎日漉してはカスを捨て、のくり返しです。何十回で終わりになるでしょうか。今夜12月16日から深夜のクレーン作業とのりつぎ、天切り、草入れの釜作業が始まります。