に投稿 コメントを残す

信州茅野で寒天作業に従事

岩手から長野へ出張しています。7回目となった寒天製造のため茅野市に滞在し、テングサの煮込みと濾過、濾液の箱(モロブタ)への注入と包丁による切断が自分の作業工程です。

野外に出した天は夜に凍らないとダメになってしまうため、気温が高い状態の時は煮込みを休止します。

15日はそういう日で、それで松本に出かけて来ました。大学時代から慣れ親しんだ近郊の美鈴湖まで足を伸ばして来ました。美鈴湖の向こうは常念・蝶ヶ岳です。

 

懐かしい北アルプスの景色は変わることなく、そして見る立ち位置により微妙に異なった姿を表してくれます。平野部からはそれなりに、視座が高まれば山懐も深く重厚に。

 

一方、こちらはその数日前にやはり釜が休止になり出かけた、近くの蓼科高原から見た八ヶ岳。まだ雪はほんどありません。

 

寒天を作るにはそれなりの準備作業が必要です。私の場合、北国で積雪のため早く農業のシーズンが終わることと、釜の作業で煮込み終了とともに帰宅することから、庭の作業準備段階から長野入りし働いていて、釜が終われば帰りますが、外作業(庭と呼びますが)の人たちは、最後に出した天の完成と、そして庭の片付け作業を引き続き行って、私より3週間くらい後まで稼ぎます。

最初は田に藁を敷くことからスタートします。そこにトカシという天の載る台木を運んでいます。

 

杭を打ってその上に木を乗せて縛り、天の載るカイリョウを積んで準備完了です。この長木は稲のハセ掛けに使う杉の棒です。

あとは、乾燥して軽くなった天が風で飛んで行かないよう防風ネットを張り巡らせて完了です。

 

釜の方もいろいろ準備があります。10か月使っていなかった釜は水を入れても漏れるので、少しずつ水を入れバーナーで沸かし沸騰させ蒸気の力で桶の木を膨らませて漏らないように釜を仕込んでいかなくてはなりません。

 

こちらは煮汁を濾す舟の下、濾過された液(ノリ)が溜まる部分です。上に写る柱の上に舟が乗っています。舟も終了時には降ろして洗い、そして開始時のいま上に上げます。総勢で8人くらいで担ぎ上げる作業です。

 

12月15日、松本でふとパルコを見つけました。地元ニュースで閉店が報道されています。私が大学で松本にいた時にオープンし、何を買うわけじゃないけど出かけてみた記憶があります。その40年後に閉店ですね。

確かディズニーランドもこの大学4年間にオープンしました。ニュースで当時見たのは覚えてますが、全く興味がありませんでした。ビデオ等でディズニー作品に親しんだ世代でもないし、ただ、後に子育ての中で自分も結構夢中で調べたりし、実際3度行きましたが。。

 

松本に着いて最初に市の美術館に行きました。駐車場も十分で助かりました。向かいにある芸術館で信州大学オーケストラのマーラー巨人を聴いた時から、この美術館は目に付いていました。

 

2009年に30歳というあまりにも若くして病気で亡くなった、長野県にもゆかりのある画家須藤康花さんの展示を観て来ました。ゆかりがあるというのはそのお父さんが長野県麻績村で自然農業を開始されたことによる移住のようで、おそらく定年後なんでしょう。それまでは大学で教鞭を取られた方のようでした。娘の死後いくつかの刊行物も手がけられ、そして松本に須藤康花美術館を開館されました。次回、今回の松本市美術館での展示が終わった後に、そちらの方も行ってみたいと思います。

 

絵とともに展示された詩の数々は、創作芸術というようなものではなく心の中から溢れ出た生々しい現実と思います。その文章と絵とが合わさって、心を揺さぶられます。通常の美術作品鑑賞とは異なった感動がありました。

メメントモリとかよく言われますが、芸術は死というものを意識した創作であるべき、と言った理解ができるかもしれませんが、この方はそんな生やさしい「世界観」とかではないと感じました。そもそも「概念」などではなく、病魔と戦う苦しい現実そのものの救いや解放の模索が絵を描くという行為だったと思います。ベートーヴェンの感じた苦痛に通ずると思いましたが、ベートーヴェンの絵もありました。本を入手したので、帰った後ゆっくり読みたいと思います。

 

に投稿 コメントを残す

ダッシュで秋じまい作業。。

亀の尾の姿

晩秋になり、冬型の気候が次から次へとやって来て、すぐに雪が降るほどではないにしても、どんよりと暗く寒い11月。積雪前にやるべきことは山ほどあるのに、天気はずっと雨マーク。最後の気合いをこめて片づけ作業を進めています。昨日はずっと気になっていたハセの解体と横棒の作業小屋2階への搬入作業が終わり、ホッとしています。

何より、脱穀が終わって、あああとは片づけだけだな、終わった感が滲みます。亀の尾が現在の主力の品種になっていますが、やはり姿が美しく、ハセ掛けが似合う品種と思います。今年一番の期待を込めて作付けしたササシグレは7月の長雨で病気にかかり、収量が低く、今期は亀の尾とひとめぼれが主な出荷となります。極端に病気に弱い品種を薬を使わずに栽培することはハードルが高いことは十分わかってはいますが、しかし実際玄米を食べてみて、ササシグレは魅力を感じるお米です。来年は無難に小さい田で作付けします。これからしばらく長期出張に出ますため、ササシグレの出荷は2月中旬より10kgまでの少量出荷でお届けさせていただきたく、その際には宜しくお願いいたします。

 

ハセの熊被害

7月の長雨と並んで、今年の稲作にダメージとなったのは、熊による食害です。毎年、山ぎわに面した田の山ぎわの方の稲をこっそりと食べていたのは知っていました。が、今年は堂々とその山に面した田全体を歩き回っていた上に、いままでは手を出すことがなかったハセ掛け中の稲も毎夜手を出して荒らし、結果、相当な減収被害になった次第です。全てが胃袋に入ったわけではないにしても、バラバラにされた籾は回収できるはずもなく約100kgは減ってしまった感じですね。

秋じまいを進めているいま、タラノキ園やりんどうの通路など至る所、思わぬ場所にバインダーで結束した状態の稲の束が見つかっています。持ち運ばれた稲はすべて、綺麗に脱穀されていて、熊の歯で千歯こきのようにして食べていると想像されます。ハセから落としただけのものや、付近の籾がまだ残っている束はハセに掛け直します。毎日50束も掛け直すのは疲れました。

ハセ掛け乾燥中には、10月6日の暴風の被害もありました。今日も暴風が吹き荒れていますが、強い冬型が到来し、ハセが折られて倒れた状態を、全部いったん束を外し、柱を立て直して、横の棒を組み直し、下ろした稲を再度掛ける。大変です。次いで、全体的に傾いてしまった他の部分は柱にロープを巻きトラクターで引っ張って傾きを直す作業もあり、これも繁忙期真っ只中なのに、余分な仕事でした。冬だったら視界ゼロの大吹雪というところでした。

 

稲わらカッティング

脱穀が終わって、残った稲わらは8割くらいは畜産農家さんに引き取ってもらっていますが、残り、ちょうどハウス内に掛けた稲のわらはわらカッターで田に還元します。天日干しの稲作はわらを持ち出してしまうので、面倒な作業ではありますが、田に戻してやります。これで稲作の外仕事は終わりです(ハセの片づけが残りますが、空中の作業なので最悪積雪後でもできる作業で後回しです。がこれも終わりました)。

 

秋のにんにく米ぬか施用

にんにくも秋のうちに一度草取りをしてやって、その後にマルチの上から全面米ぬかを撒いてやります。これが雪の下で腐熟して、春には植え穴の土と混じって良い追肥効果、乳酸菌補給効果になってくれることと思います。

 

タラノキの伐採

少々の積雪は良いのですが、どっさり雪で埋もれる前にしておかなくてはいけないのが、タラノキの伐採です。このように、11月になりますと全ての枝葉が幹の付け根から落ちて、1本の棒の状態になっています。これを、下の方の、太さによって1〜3芽分残して上を伐採します。それが2月後半からのたらの芽栽培の穂木になります。地際から切って収穫してしまえば来年の芽がないので、必ず芽の位置を確認しつつ、太さによって残す芽の数を勘案しながらノコギリ(剪定ノコ)で切っていきます。重いチェーンソーなど使わず、細身のノコギリで軽快に切って置いていきます。

全部切ったら、通路で20〜30本ずつ縛り、軽トラに積んで作業場に収納します。休眠期間がありますが、その間は寒天製造の出張に出ておりますので、たらの芽生産は寒天から戻ってきてからの2月の作業になります。雪のない地方では2月になって必要時に伐採しても構わないことです。

 

晩秋のタラノキの様子

真ん中の株のように1株で4本くらい立ってくれると理想ですね。秋の伐採時に何本芽を残すかはとても重要で、芽が少なくて太すぎる穂木になっても無駄になるし、多く芽吹かせて細い木が乱立してもたらの芽が小さくなる。細い木はいまは放っておいて春に伐採して捨てることになります。また、せっかく最後まで生育したのに、その後枯れてしまって色合いの黒ずんだものも見られ、そういう木は株元ももう枯死した感じになっています。こういう株もあり、新たに植えつけた養成株もあり、とにかくいっぱい植えておくことが大事です。

 

木の実の種

さて、秋の稲刈りが終わった頃の時期だったですが、ツキザワの家で写真家瀬川強さんの渾身の企画展「西和賀の木の実」があり、見に行ってきました。木の葉っぱや実、種について、どれくらいわれわれはわかっているでしょうか。本当にわかりません。たとえばブナの実が不作で熊が、と報道されるものの、ブナの実を知っている方がどれくらいいらっしゃるか。。長い自然観察の活動の中から得られた標本をずらり陳列されていました。圧巻です。

 

熊の餌

今年ほど熊に泣かされた年もありませんでした。この写真の実を数々食べ歩きできていれば、熊御膳の中に「稲」は記載されずにすみました。糞が消化し切れなかった、というかそれ以外に食べ物がなかったことでしょう。籾殻100%でできているという熊の糞もあちこちで初めて見ました(写真にも撮っています)。

 

イワテヤマナシ研究会

11月になり、研修会も全部ではないですが参加しています。イワテヤマナシ研究会が盛岡市のアイーナで開催され、西和賀の人々にも声かけをして、割合多くの参加者が出てくれました。「香り」が最大の特徴になる昔からの岩手固有のやまなしをジーンバンク活動として残そう、またバラエティ豊かに品種が混じり合ってできた多彩な風味の実を集め、優良なものを食品加工の商材にしてゆこう、と話し合っています。不思議なことに、芳醇な香りが立ち込めるナシというのは豊水幸水ではなくて、昔から賢治の時代より親しまれてきたイワテヤマナシオンリーです。香りを生かしたデザートの試食会も開かれて、その風味を堪能しました。

イワテヤマナシの増殖ということを考えると、ナシの台木(マメナシ、等)を苗木業者から準備して、そこにお気に入りの枝を接木するという手法が主力になります。来年は当園以外の人たちにも植えていただく計画になっていて、いまから楽しみです。

秋じまい作業もあと少しです。天候が非常に悪い中ですが、庭木の雪囲いや外に出された鉢とか放置されたジョウロとか諸々の片づけをもう少しですが頑張って済ませたいと思います。建物の窓を雪から守る雪囲い板の設置もありました。

に投稿 コメントを残す

稲刈り真っ最中です

ササシグレの稲刈り

8月9月にあれほど好天で田も乾いていたのに、いざ稲刈りを迎えた10月のいま、毎日雨続き、7月のあの悪夢の長雨が思い起こされます。。しかし、稲刈りはしなくてはならず、ぬからない方の田から刈り始めています。写真はササシグレ、7月の長雨でいもちが出ており残念です。やはりいもちには弱かった。。10アールの田から実質どれくらいの籾が穫れるか、脱穀してみないとわかりません。それにしても大雨の影響が残り、本当に田が乾かず。。。やっと昨日あたりから回復傾向で、一気に進めているところです。

 

熊被害

熊の被害が多い今年。。田も結構荒らされています。まあ被害としてはわずかなものですので問題にはなりませんが。昨日も町内で熊に遭遇し怪我をした人(おばあさんです)が出ております。

 

ハセこさえ

9月から10月にかけては目の回る忙しさです。切り花りんどうの出荷に多く時間を取られるからでありますが、稲刈りに向けてハセの準備も難儀な作業です。一人で横棒を架けるためには中央に写る補助具を使います。これであとはケースの上に上がって上から4本、白いハセナワで縛っていきます。小屋の2階の窓から下ろして柱のそれぞれの場所まで引きずり歩く作業で4時間、柱に結わえる作業で4時間という感じでしょうか。脱穀が終わってナワを解いて運んで2階に上げで保管する作業は6時間、くらいでしょうか。片づけるのはいつも雪が降る頃になってしまいます。下2本には2段ずつ掛け、上2本は1段ずつの計6段掛けになります。

10月6日の強い冬型気候の日、当地では暴風雨がすさまじく、ハセの柱が3本折れ、残りも全体的に傾いてしまいました。折れたハセの部分は稲を全部取り外し、横棒もいったんほどいて、柱をまず埋め直し(地際で折れるので、地中に埋まってた分短くなります)、もう一度ナワで縛って、稲を掛け直します。この作業で3時間のロスになりました。翌日、風が鎮まってからは、トラクターで柱を引っ張って、ハセの傾きを戻す作業を2時間くらいやりました。すべての柱につっかえを設置すればいいんでしょうが、棒の量が多くなりすぎても面倒で。。でも今回のことで、もう少し多めにつっかえをして強風に備えたいと思います。

 

亀の尾稲刈り2023

10月11日、亀の尾を刈っています。背丈が高く、その分収量も上がり、味も良い亀の尾は自然栽培向けであり、当園でもいま一番の作付けになっています。マイナス面といえば、やはり晩生であるということで、去年など青米がとても多かったです。山形の庄内原産ですので、ここよりはずっと暖かい地域のお米です。しかし青い米が多いことは食味上は決してマイナスではありません。今年のお米は概して良くないとの話が耳に入ってきます。一等米も少ないとか。。ここ沢内は真夏も32度以上にはなっていないし、水も結構入れておりましたが、果たして玄米の状態はどうでしょうか。。。昨夜は籾摺り機の掃除もしっかり行いまして、いま掛けている稲の脱穀と籾摺りはまもなく行えます。

 

小麦播種中

稲刈りの前の作業になりますが、まず小麦播種があります。播種の前には施肥と耕耘があり、耕す工程と播種の工程で、小麦4反歩で2日の作業量になります。「ごんべえ」がなければこの作業時間ではすみません。以前はトラクターの耕耘を狭い耕耘幅間隔で行って、写真にも見えるロータリーの尾輪の跡を蒔き溝にして手で蒔いていましたが、覆土作業も必要だし、トラクター作業も狭い間隔で耕耘場所を重ねながらの作業になるため時間が倍もかかり、もういまでは戻ることはできません。

 

緑肥後の小麦畑播種

ここは緑肥をすき込んだ畑になります。8月31日に1度のすき込み作業であらかたすき込んだ畑を播種直前に最終耕耘して、土の柔らかいうちに播種機で播種しました。ここは雑草に悩まされてきた畑ですが、8月に緑肥が完全に占有したことで、雑草退治になってくれれば良いがと思っています。ただ単に雑草をすき込んだだけという通常の年とは今回は雑草の生え方が違う気がします。これで秋のうちに一度管理機を借り中耕除草してやると、来年だいぶ違うのではないかと思います。

 

小麦というのは米よりも収量は上がらないし、販売単価も安いです。しかし、稲作とは作業時期がずれるため、農地の活用としては有効に思います。いまの小麦の圃場を全部田にしたとしたら約9反歩。これを全部稲刈りしてハセ掛けするのは当園としてはきついですね。ハセ場も足りません。また小麦関係の交流交友もありますし、にんにくとの輪作の役目もあります。この秋4反歩ほど南部小麦とアリーナを作付けしましたが、この量は維持していきたいものと思います。これだとギリギリ雨よけハウスの中のハセで乾燥させることができるのです。

なお、今年は南部小麦・アリーナとも既にいくらか製粉しており、現在は在庫がございます。精白粉kg単価600円+運賃になります。よろしければどうぞご利用ください。

麦熊

播種から半月経った南部小麦の畑に侵入者ありです。なんとなく小麦箇所はよけて歩こうとしている感じはするのですが、米と違いまだ食べられるものでもなく、徘徊しても無意味なんですがね。

 

にんにく畝完了

稲刈りと前後して進行しているのがにんにくの植え付けです。お彼岸用りんどうの出荷が忙しくなる9月の上旬の前に、このように畝の準備を行っておき、すぐにホワイト六片を植え付けます。ホワイト六片は休眠が浅く、早くに芽を出しますので、特に冬が早く来る当地では早植えに越したことはありません。遅れて10月になったりすると、大きなりん片を植え付けても結果は小さいにんにくになってしまいます。何度も経験済みです。

他方、八木や八幡平にんにくは休眠が深いので、稲刈り後の10月中旬でも大丈夫です。にんにくの植え付けは前もっての夜なべ作業の種こぼし(りん片に割って準備をすること)も含め、結構時間を要します。稲刈りが終わらないいまはなかなかにんにくの後半戦に手がつけ難いですが、この1週間で稲刈りも含めカタをつけたいところです。

 

Panna cotta

盛岡方面へ所用で出た時に、広宮沢という場所(以前、この辺で木下サーカスを観ました)で昼食のデザートに、初めてですがパンナコッタというのをいただきました。とても美味しく、上にかかったラムレーズンのソースが絶品です。帰りにイオンの食品売り場に寄った時、パンナコッタというのを主にプリンが置いてある辺りで探しましたが、見つかりませんでした。プリンのように手に入りやすいデザートになってくれれば、と願うところです。ちなみに、「ババロア」というお菓子も好きなんですが、手に入りません。寒天で長野にいるときは伊那食品のババロアのもとが売ってるんですが、こちらでは売っていませんね。できたデザートとしても置いていないですし、残念です。

 

滝沢の知人の田を訪れました。岩手山すぐそばのあきたこまち。手入れもしっかりしていて、まもなくの稲刈りを待つ状態です(夕方の撮影のため色が淡いです)。水が冷たくて、と言っておられ、冷たい湧き水の流水を池を介してぬるめているようでしたが、低温冷水の悩みは当園も同じです。あったかい地方よりも水の冷たい山間地の方が稲のいもちになりやすいというのは、悲しい現実ですね。自然栽培米として定評のあるササシグレはとてもいもちに弱く、それでササニシキに入れ替わったという経緯があるようですが、初年度の今年、結構大変でした。何とか、面積を小さめにしても続けていきたい品種です。こちらの写真のあきたこまちは順調でした。

稲刈りとにんにく植え、もうひと頑張りです。それを乗り越えれば、あとは、もう秋じまいの季節なんですね。寒くなってきました。

に投稿 コメントを残す

小麦とにんにくの準備と夏休み

クロタラリアのすき込み

りんどうの切り花出荷をしていると、お盆と彼岸の出荷の山があり、その谷間の時期は、小麦とにんにくの圃場作りやホワイト六片の植え付け、草刈り、諸々の草取りの作業で、谷間の時期とはいえかなり慌ただしい日々になり、夜は夜で乾燥を終え冷蔵保存中(氷温冷蔵)のにんにくの出荷のための皮剥き作業で過ごしています。

彼岸のりんどうが咲いて来る前に秋植えの畑の準備を終わらせるために、逆算して結構煽られる時期になります。とはいえ、何かレジャーやお出かけができるのはこの時期ならではなのですが。。

小麦畑では、収穫後の休耕期間に播種したマメ科のクロタラリアが旺盛に茂っていて、これをトラクター(ロータリー)ですき込む作業を行いました。何回か書いておりますが、小麦は連作障害があり、またそれに起因して豪雪地では雪腐れ病を起こしやすくなるために、イネ科でなくマメ科の緑肥を作付けし連作回避をするとともに、小麦栽培に必要なチッソの補給を行うという工程を組み入れています。自然栽培であればこれのみで良いのですが、冬が長く気温の低い当地では、加えて鶏糞等も施すことで、収穫量を見込むことになります。

小麦の刈り取りから次の播種まで2か月という短い期間に生育させてすき込みし、しかもその後播種まで腐熟の期間が2〜3週間必要です。速攻で旺盛に育つ品種のマメ科の緑肥というと限られていて、小麦ではクロタラリアという緑肥を組み合わせることになります。

 

ネマコロリ

去年は同じクロタラリアという種でもネマックスという丸葉で柔らかいタイプの緑肥種子を栽培しました。ただ値段も結構高かったため、今年はいくらか安いネマコロリという品種のクロタラリアを購入し作付けしました。7月23日に播種し、8月26日にすき込みをしました。断然こちらが早いです。すき込み時点で背丈は120cm。1か月ですごい生育です。ネマコロリは細葉タイプで、生育は旺盛だがすき込み作業に困難な場合もあり、その際は早めの段階ですき込むようにという記述も見かけましたので、トラクターで手に負えなくなってしまうくらい伸びる前に、また天気もちょうど翌週から雨模様になるとの予報もあり、少し早いんでしょうがすき込みをしました。

しかし想定していた以上に柔らかくすき込むことができました。おそらく、今年の猛暑を受けて、暑さを好むクロタラリアは例年以上に短期間でぐんぐん生育し、かえって柔らかい状態で体が大きくなったのではと思います。西和賀のワラビが豊富な雪解け水といきなりの春の日照で急激に太く柔らかく育つ、というのと同じ感じの理屈? 今年の天候はクロタラリア緑肥にとっては好条件だったようです。背丈が伸び植物体の量が増えることでチッソ量も増すし、旺盛な生育で雑草を抑えることにも貢献してくれています。これから3週間以上かけて腐熟させたのちに、2度目の耕耘をして、そして小麦播種をします。

 

南部小麦とアリーナ乾燥中

乾燥中の、右が南部小麦、左がアリーナ小麦です。8月15日に脱穀しました。まだ脱穀直後そのままの状態なのですが、近々、籾摺り機でゴミの茎葉や殻などのゴミ飛ばしと玄麦に付着した薄皮の除去の作業を行い、玄麦として完成します。注文もいただいておりますので、早めに行い出荷をしたいです。米の籾摺りの時に小麦が混じるため、本当は小麦用の籾摺り機もあったら便利なんですが、なかなかそこまでは余裕がありません。。

 

ツキザワの家クラフト展1

さて、お盆には、去年もでしたが、古民家ツキザワの家でクラフト展が完済され、行ってきました。右奥はウッド工房ブナの森の竹澤さんのブースです。このサイトでも書いておりますが、栗の木の片袖机を作っていただいた方です。不慮の火事で工房の建物を失い、自宅の中に工房を再構築しての制作活動をされています。飾られている写真はこの古民家のオーナー、写真家瀬川強さんの写真です。

 

ツキザワの家クラフト展2

こちらは山のうえアイアン田中正博さんの鉄アートの品々です。また今回、木の家具製作の「nokka」工藤さんと、西洋木皿作家「waranoue」藤原さんとお会いすることもできて、良い時間を過ごさせていただきました。

 

菊池・nokka・waranoue

初対面であったnokkaさん、waranoueさんと話し込んで時間が過ぎ閉館時間となってしまい、詳しく写真を撮ることができませんでした。左は、木工竹澤さんと同じく古くから陶芸をなさっている菊池窯・菊池啓二さんの作品、右が新しい作家2名、上がwaranoue、下がnokkaの作品です。どうぞご本人のサイトで大きい写真もご覧いただけたら幸いに思います。

これも前にも書いていることなのですが、私自身はアート創作とは無縁な無芸の人間ですが、農業の土台に、芸術や創作活動の気持ちを持っていたいと常々持っていて、農業の営みは創作の精神とは無縁であってはいけないと感じている者です。そういう意識を持っていると、自ずと文芸やアート活動に取り組む人たちに対し親近感を覚え、関係性ができてくる気がしています。彼らとの交流は大切にしたいと思っています。

 

カズグリ自生地

さて、冬の手首骨折の関係で時々北上市への通院があるのですが、その際は遠回りの遠足を楽しむこととしていまして、今回はお盆繁忙期の後の休息ということで診療後に足を伸ばして探索してきました。

花巻市東和町の「カズグリ自生地」の探訪です。っカズグリというのは野生種の栗の突然変異種で、唯一ここにある木だけです。囲いの柵の中には唯一の変異株の木から接ぎ木で増やした数本が実を付け始めています。家のそばの栗の木が既にイガを形成していたのを見て、かねてからチェックしていた自生地に訪れることにした次第です。

 

カズグリ

数個のイガが数珠つなぎに連なっている不思議な栗の実です。

 

早池峰ダム

そのあとに、早池峰ダムに出かけました。早池峰山が奥に写っております。

折壁峠から早池峰山

帰路に着き、折壁峠を至りました。ここからは広大な山裾の背後に早池峰山が構えていて、とても良い景観をなしております。ここから紫波町方面へ抜け、花巻経由でなめとこラインを通って西和賀に戻りました。

 

月山山頂

7月の下旬にちょ山形県の山、月山に登る予定だったのが、りんどうの出荷が激しく、断念。そのリベンジでお盆後に月山8合目の駐車場がやや空くだろう8月22日(火)に月山行きを決行しました。正面が月山の頂上である月山神社ですね。上りが3時間ちょっと、下りが2時間ちょい、という感じのスケジュールでした。ほとんどが岩で組まれた登山道のため、つまづいて転びそうになるようなゴロゴロの岩の道でして、ここで転んだら骨折だな、という意識で一歩一歩進む感じでしたね。昔会社の近くにあった登山靴の店(巣鴨の辺り)で足の形を取って作ってもらった軽登山靴が活躍してくれました。

 

goro登山靴

30年前に購入したgoroの軽登山靴です。いまはこのような茶色の川の登山靴はあまり見かけませんかね。30年前のスタイルでした。。またいまは多くの方がストックを両手に持って登っていましたが、これは岩の道での転倒防止や、また斜面を登る時のヨイショの力入れにも使えます。自分は急な登りの場所は太ももを手で押すようにして登ってましたが、ストックを使った方がずっとスマートですね。

 

八紘一宇

八紘一宇、、全ての事象には差別などなく、一つの家に平和に暮らすように生きることが理想とする、というように解釈されるんでしょうか。そのような、信仰の雰囲気に満ちた山なんですね。随所に見られたお花畑も、どこか現実を超えた世界のごとくに咲いておりました。

 

月山登山入り口鳥居

下って、ほとんど駐車場近く。鳥居の中に写るのが月山です。登る時に撮影すべきですが、上りは別ルートでした。

 

月山8合目ライブカメラ

月山登山が気になり始めてから、月山8合目の駐車場のライブカメラというサイトを時々見ておりました。全部で170台停められるそうですが(右奥にまだスペースがあります)、苦労してカーブの多い狭い山道を上り詰めここまで来て車が停められない、となると結構悲惨ですよね。土日やお盆は到底無理でしょう。朝岩手を発って向かうというのでは。。ほぼ下山したタイミングでのライブカメラの画像を記念に保存しておきました。ちなみにこの日は火曜日で、混雑予想はなかったので、まず安心はしていましたが、時間はけっこうかかり、朝4:45に家を出ても結局8:30過ぎての到着でした。途中すき家で朝ごはんも食べましたし。

いずれ山形に入り真室川から最上川を下って鶴岡へ向かう道を走り、途中から左側(南側)へ曲がって山道をかなり走ります。今回、帰りは山形市へ出てから岩手に戻ったので、コースとしては月山スキー場の方からのルートの方が近かったかもしれません。が、情報ではそちらの駐車場代で1,000円かかることと、多分使いたくなるリフトに乗るならば往復で確か1,500円だったか、です。一人での登山でしたし、節約したわけですが、大回りの走行時間でガソリン代と、少し使った高速代を入れれば大差はないかもしれませんが。。いずれ、鶴岡の月山8合目からのルートの方が正統の道のようで、まあこちらにして良かったのかもです。

山形市では博物館等のある大きな公園のすぐそばの「かすみが温泉」に入ってきました。ここは市営で入浴料も200円、シャンプーや石鹸付きという穴場的な温泉でした。駐車場も問題なく停められました。夕食にラーメンを食べ、おみやげに山形の地酒セット等を買い、深夜の12時頃に家に着きました。かなり暑い日で下山して車でお風呂に向かうまでの間に500mlの飲み物を3本飲みました。月山の山頂部では涼しい風も吹いていて汗が冷たく感じられたくらいでしたが、下界の山形県内はかなり相当暑く、登山によりかなり水分も消費したのだと思います。

それに比べ、当地西和賀沢内では、数日前に初めて32.0℃の今期最高記録が出たとラジオで言っていた通り、35℃とかにはならない地域です。それはありがたいことですが、外で作業をしていると30℃でも暑いものです。でも田にとっては高温が大事ですので、寒さの夏をオロオロ歩くよりは、猛暑の方がずっとありがたいですね。

あとは、もう、彼岸りんどうの出荷までに草取りと草刈りに専念するのみです。隙間を見てにんにく植え(ホワイト六片から)も始めておきたいものです。とはいえ秋の品種も咲き進んできて、もうじき最初の1箱ができるまでとなり、お尻に火が着いた状態で他の済ませるべき農作業を進めています。

に投稿 2件のコメント

にんにくと小麦の収穫期

にんにく乾燥中2023

秋田市では大変な大雨被害が出ましたが、ここ西和賀町は気象的にも秋田に近いせいもあって岩手で一番降ったようでした。川や水路の氾濫は気にかかり、消防でも見回りしたりしましたが、これだけ降っても浸水が起きにくいのはやはり舗装路が少なく、ほとんどが地面だからかもしれません。とはいえ氾濫や土砂崩れなどは山間地ではどこでも起こりうるので。。

自分の圃場も何度か見回りもします。水路で田に水を入れる箇所は水の取水栓の場所を石などを置いて水位を高くしていて、そこに急激に水が押し寄せて、置いた石で水が盛り上がり田畑に越水して流れ込んでいた場所を見つけ。。慌ててその石を退かせたりしました。

いまはまさににんにくと小麦の収穫期。例年より1週間早い進みで、にんにくは全て掘り終えて根茎を切り乾燥ハウス内の金属ハセに掛けて自然乾燥中です。この乾燥棚には小麦も入ります(写真右)。今年は小麦用にもう1棟ハウスを準備しました。にんにく乾燥ではハウス内が30度以上に上がりにくくするため、にんにくの頭上の部分だけを黒い遮光シートで覆っています。これでかなり気温上昇を防げます。小麦の箇所は日が差し込みます。

 

八木収穫2023

近年ご注文を多くいただいている秋田原産の「八木」です。赤みが特徴です。形としてはいびつだったり、土の付いた表皮を剥いた後の出荷の荷姿はホワイト六片のように美しくはないのですが、手に入りにくいにんにくですし、当園でも大きめの種子を使って植えますが、分球が不完全だったり、なかなか手ごわい栽培の難しい品種であります。

今年は全般に割合大きめのにんにくになっているようでした。周りに栽培農家のいない手探り農業技術なのですが、深く掘る・深く植える・早く(早い時期に)植える、の3点と、草取りなんだと思います。浅植えになったにんにくは収穫時の抜き取りは楽ですが、総じてそれらは小さめでした。深植えでは抜き取りに難儀し、茎がちぎれたりする場合もあり移植ベラ片手で起こしながらの収穫になったりしますが、大きいものを採るためには必要な努力かもしれません。

 

南部刈り取り2023

にんにくの後は小麦の収穫です。適期を迎えたとたん雨が続き、タイミングを探しておりましたが、昨日の7月15日は災害級の豪雨だとの予報を見て、13,14日の両日で何とか南部小麦の刈り取りを済ませました。14日夕方最後の1枚は雨に当たってしまいましたが、とりあえず畑から全部集め軽トラや運搬車の荷台、あるいは乾燥ハウスの中の地面に積み上げて翌日の豪雨から守り、そして大雨の昨日の午前中に全部ハセに掛け終えて、南部小麦の収穫作業は完了しました。1か月間ハセで乾かして、お盆過ぎに脱穀し玄麦を手にすることができます。

今回はは種機を使っては種したことは割合良い結果に至ったと思います。問題はやはり雑草対策で、春に一度管理機で中耕し、また草刈り機でも畝間除草したりしましたが、草が多発する場所はあり、また小麦に接している雑草はそのままなんともできぬまま大型化しバインダーで一緒に刈り取ることにもなります。田の除草にも言えることですが、一番難しいのが草対策です。

 

ササシグレ中干し中

こちらは今年初めて挑戦したササシグレです。割合分けつもし、いい感じで生育し中干しの時期を迎えています。冷水と低温多湿の傾向がある当地では、暖地よりもいもちが心配される土地柄です。これからの2週間は要警戒期になります。

 

金命水

今年は免許証の更新に行かねばならず、月1度の7月分のドライブの楽しみを兼ねる日としました。更新ですが、大型免許のため「深視力検査」があり、これが苦手なのです。。それでちょっと検索して、ユーチューブで前日に少し練習をしました。それで少し目が慣れたのか、当日は割とすんなりクリアすることができました。何の練習もなくいきなり検査に挑むのは結構厳しいと思います。寝床でスマホでの動画視聴でも、やっておいてよかったと思います。

免許証を手にした後は。ホームセンターでの買い物の後、今まで通ったことのない道路を走り、初めて地図で目にした阿原山という高原に向かいました。ここには金命水という名水があるとのマップの記載があって、そちらにまずは出かけました。ここは歩かなくても、車を停めてすぐの場所でした。4Lの焼酎ペットポトルに水をいただいて、いま朝のコーヒーに使用しています。

 

阿原山

そして阿原山に行き、賢治の詩碑等を見て一度水沢方面の市街地へと降りました。写真をとっている地点が三角点になります。

 

胆沢ダム

そしてまだ時間があったので、胆沢ダムへ向かいました。ここはその展望できる地点からの眺めです。そしてダムへ向かい、さらに湖の周囲を車で走りました。

 

弘法の枕石

弘法の枕石という場所がありました。1200年前に弘法大師が秋田へ旅する途中にこのそばの山中にあるという「於呂閇志神社」に詣った後にこの岩で一晩休んだと言われ、ダムを作るときに発見されたようなのですが、そのままだとダムの底に沈んでしまうことから、ものすごい苦労をして上まで引っ張り上げたそうです。

その於呂閇志神社にも車で向かい、かなりの悪路を走行したのですが、突然にUターンできるくらいの空き地が現れて行き止まりに。。夕方にもなっていたし、下車して歩いて深入りすることは避け、そのまま引き返しました。家に帰って検索してみると、よく見れば近くに歩いて向かう参道があったように見受けました。

それから秋田へそのままR397号で抜けて横手の山内経由で帰宅しました。帰りは横手方面の市街地へ出ず、東成瀬村から山内(さんない)への山道を経由して普段横手へ出る時のR107号へ合流できました。

397号は国道とはいえ車も少なく山道です。途中、久々に熊を見ました。子熊と思いますが、道脇の林へと去っていく姿はどことなく愛嬌がありました。すぐに見えなくなって、写真などは撮れませんでした。

前回の記事でも書いていますが、月1くらいで何かの用事に合体して未走行の道を探してドライブすることは良いリフレッシュになります。ふだんからGoogleマップはよく見ています。これからあともう1種アリーナ小麦を1枚ですが刈り、農道畦畔の草刈り2回目を終わらせ、りんどうの草取りやネット管理をしていれば、すぐにりんどうの出荷が始まります。

 

アリーナ刈り取り

7月17日、最後に残ったアリーナ小麦を刈りました。予報は雨の連続でしかも強い雨になっています。雨が数時間止んだ間隙を縫って、濡れてはいましたが刈るべきと判断しました。コンバインじゃないので麦に傷をつける心配はありません。水が溜まるような圃場ではないので機械作業は可能でしたが、土が柔らかくなっているので刈り取り部を持ち上げるようにしての作業となります。

 

アリーナ集め

アリーナは結構かさばるのです。全部集め終えました。すぐにハウスに向かいます。

 

アリーナハセ掛け中

ハウスに掛け終わりました。汚れたバインダーを洗浄機で洗い、今年の刈り取り作業完了です。右側は南部小麦です。早く雨が終わって猛暑になってほしいものです。。

に投稿 コメントを残す

作物の生育期と草取り期

6月17日のにんにく

にんにくがもう少しで収穫期という段階になっています。トウ摘みをあらかた終えたところで(八幡平がメインですが)、ホワイト六片があと1週間、その1週間後に八木・八幡平の順に掘り取りというスケジュールになろうかと思います。はたして大きな球になっているかは全体としてわかりませんが、茎葉の伸びは良いようです。今年は小さめとの声も聞こえて来ていて。。

 

にんにくの芽

八幡平のにんにくの芽がごっそり採れております。とても美味しいので、これも収穫と言って良い作業です。この田植え用苗カゴに4つくらいになります。引き取り手がちょうど多数ありまして、余すところなく活用されたと思います。中ほどの芯は食べれませんが、ハサミで切って上と下が美味しく食べられます。冷蔵庫で2週間以上持ち、それもありがたいです。八幡平は100%トウ立ちし、ホワイト六片よりも5〜7日収穫も遅れます。また、晩秋から貯蔵にんにくにも出芽が始まり老化が進みますが、八幡平は休眠も遅くて当地では植え付け後の出芽が翌春になります。このことから貯蔵にんにくも出芽開始が遅くて老化が始まるのも遅いというメリットがあります。鮮度がそれだけ長持ちするということですね。

 

南部小麦6月7日

去年、雪腐れ病に泣かされた小麦部門ですが、盛夏の休耕期間にマメ科緑肥を導入したことで成果があったようです。また鶏糞を今回はしっかりと施用したこと、それに雪解けが早かったことも大きい要因ですが、背丈が取れ、かつてないほどの良好な生育を見せています。まだ穫れてみないとわかりませんが、特に南部小麦についてはかなり期待を持っています。7月10日頃に刈り取りし、1か月間ハウス内で乾燥し8月下旬には出荷ができるよう工程を進めたいと思います。

アリーナの方は、まだ雪腐れの土壌が残っているのか、初期生育が良くなく全盛期よりは7割くらいの勢いかと見ていましたが、ここの来て背丈もぐんぐん伸びて来ましたし、まずまずの収穫になるかなとは思います。来年は畑を変え、緑肥ももちろん施用してみたいと思います。

小麦に関しましては予約注文で8月末には全量が完売すると思いますので、ご利用いただける際は早めにカートあるいはメールフォームで宜しくお願いいたします(不測の結果もあり得ますのでクレジット決済は現時点ではお控えいただけたらと存じます)。

 

しどけ

山に詳しい方から、というか里山文化の森羅万象にお詳しい人なんですが、山中で採れた山菜苗を譲っていただきました。これはしどけです。しどけ(食用出荷)が道の駅等に並ぶ5月連休の頃、そうした産直施設などでそのしどけのポット苗などはないかなと注意していましたが、苗としては見当たりませんでした。こういう山菜も庭で育ててみたいという需要はあると思うんですが。

タラノキは出荷用に植えておりますが、その他コシアブラや行者にんにくも少しですが自家用に植わっていて、これにしどけが加わったことはありがたく思っています。活着するまでは、毎日葉に潅水し、蒸散でしおれないよう注意が必要でした。

 

アイッコとワサビ

また、こちら、アイッコ(左)とわさび(右)もいただき、順調です。アイッコの左の株はすぐ枯れてしまったのですが、すぐに次の芽がでてきて、次の週にいただいた2本目の苗と同等の生育になっています。わさびも当初の葉は悪く見えていましたが、新しい葉が出て活着しております。アイッコは絹などと同じ繊維としても使用されていたそうですね。

 

ルバーブ

ルバーブも続々と茎が立って来ています。あと1か月くらいは収穫でき、その後は株養成のために温存します。前回ジャムの写真を掲載しましたが、やっぱり色が綺麗で美味しいです(美味しさは緑のものと同じと思いますが)。自家製ジャム作りのため茎出荷としてご利用いただける方は、どうぞメールフォームよりお願いいたします。

 

苗代いちご

野イチゴをさまざまに植えております。その一つ「苗代イチゴ」。最初どんな姿かもわからず、通販で入手し、現在田畑の斜面等で栽培中なのですが、全く同じ植物がいつも過ごしているタラノキ圃場の崖の法面一面にびっしりと生えているのを発見しました。。ちなみにスマホで植物を見分けてくれるアプリをいれておりますが、まぎれもなく苗代イチゴと鑑定してくれました。

ここ奥羽の山村ではいろんな豊かな植物が生育しています。フリマサイト等で手に入れられる植物も探せば多くはこの地元にあるだろうと思うのですが、まず素人には名前と物が一致しないので見かけてもそれとわからない。次いで山歩きし探すような時間的余裕がない。ということで最初は購入するということが近道にはなります。その後自分でも知識を深め、近くで偶然出会った時には目に入って採取もできるだろうし、自生する環境の特性も学ぶことができるでしょう。日当たりとか、水辺かとか。。現にこうして身近な場所で苗代イチゴの大群落を見つけることができたのも、苗購入で勉強した成果と言えますね。

なお、サイトで購入したものは実は品種が違うイチゴだったということはよくあります。熊イチゴと冬イチゴは混同されやすいかもしれません。そこは何だ違うじゃないか、ではなく、そうしたことの学びも必要ですね。

 

カタカゴカフェ

ところで、近所にセンスの良いカフェができています。以前子どもたちがピアノを習っていた家の斜め向かい、カタクリ大群落で知られる「安ヶ沢」入り口付近にある「カタカゴヒルズカフェ」というお店です。こちらの家のお生まれで、長らく外国で暮らし、その後国内で古民家カフェを営んでいらした女性が実家に戻って自宅の改修をして、お店を開かれたのでした。うちから車で5分の距離だし、おしゃれでもありますので、特に女性の来園者(援農等)がいらした時はこちらに行くことが多いです。タンドリーチキンがおすすめのようです。個人的には左上のグリーンカレーがイチオシです。ふつうの住宅なんですが、いまはGoogleマップ等で場所で迷うことはないですね。機会がったらお勧めします。念のため電話で予約されると確実です(私もそうしてます)。「カタカゴ」は「カタクリ」の古語の表現のようです。

 

カタカゴヒルズカフェ外観

どうぞ西和賀方面に日中来られる方はお昼のランチやカフェタイムにご活用ください。やっていない日もあるので、前もって電話してからが無難です。

 

 

碧祥寺資料館1

前述の盛岡の山村文化に詳しい方と、碧祥寺博物館を訪ねました。こちらでも地元である私自身がその方にガイドをしていただき、民間信仰や仏教等の知見を深めることができました。いろんな場所で目にしているものも、名称とかその意味など知らない場合も多く、こうした資料館を一緒に見学することで、一人で漫然と見るよりも、はるかに勉強になります。

 

碧祥寺資料館2

こうした薬に関わる伝承知識もとても貴重なことですね。わかる人が少なくなっていくのは明らかで、通常こうした陳列を見ても、ふーんそうかで終わってしまい、そこで何かをコメントしたり実生活で応用したりできるような人が現在この山村でもどれくらいいるでしょうか。。こうした知見を備えていること、というのは現代の社会でもましてや求められることではないかと思うのですが。。しかもこうした知識や経験が発信できるのはこちらのような山村から、ですね。

 

碧祥寺マタギ1

さて、5月に阿仁マタギのレポートをした際に古い写真を探し出して当ブログでも掲載しましたが、こちら西和賀の「碧祥寺博物館」のマタギ資料館にも改めて行きました。手作りっぽい山の神がいろいろあり、農家が雪に閉ざされる農閑期にコツコツ掘ったんでしょうね。むしろシュールな美しさすら感じます。自宅の神棚や、家々の神社、山祇神社などに奉納されていた御神体なのでしょう。碧祥寺の前の住職の太田祖電さんが蒐集されたのだと思います。

 

碧祥寺マタギ2

猟具です。先の詳しい方からの解説で、特に小さい方のとらばさみでは、挟む力が強すぎて足を切断したりしてしまいがちで、獲物としての価値を損ねることにもなるため、布等をうまく巻いて挟む衝撃の強さを弱め、できるだけ獲物を傷つけないように捉えるための微妙な調整技というのが必要なのだそうです。力がゆるすぎると逃げてしまいますしね。

 

碧祥寺マタギ3

こちらは鹿やキジのオスがメスを呼ぶ声を模写した笛で、この音を聞いて近くのライバルのオスが何だけしからんと飛び出て来たところをバンとしとめるという笛です。シカ笛はクマの骨にガマガエルの皮が貼ってあるそうで。上の方の管を口に当てて吹くというものです。ちなみに鹿の骨は削って服用すると骨折に有効な薬用があるそうですが、逆に皮下脂肪の油は鹿の油よりも熊の油の方が薬用・美容の効果はずっと高いそうです。

 

碧祥寺マタギ資料館

碧祥寺の博物館は沢内大田の「農家食堂およね」の反対側の坂道を上がったところにあり、大人500円で4つの資料館を見学できます。上の写真はそのうちのマタギ資料館になります。20名以上だと団体割引があります。

 

八幡平ドラゴンアイ

さて、全然話題は変わりますが、昨今有名になった八幡平の「ドラゴンアイ 」(鏡沼)です。決して仕事にゆとりがあって出かけているわけではないのですが、何かの用に合わせて半日プラスしてぶらり軽トラの旅に出るのが、この春からしっくり来ていて、良い癒し効果にもなっている気がしています。6月8日頃に開眼した(中心点が雪解けで黒くなる)というニュースでしたが、この6月14日ではちょっと遅かったようで、ベストは6月10日辺りだったでしょうか。。雪解けの様子が龍の目のように見えるとのことで人気のスポットになっています(NHKの「山カフェ」でも放送していました)。

 

八幡平ガマ沼

ドラゴンアイ から八幡平山頂を経て、こちらはガマ沼です。美しいですね。

八幡平マツ

八幡平はトドマツが多いようです。八幡平の山頂(といっても明確なピークじゃありませんが)から「源太森」の方面を目指して散策しました。

 

八幡平池塘

八幡平という名称に対してこれまでぼんやりした認識しかなかったのですが、なだらかな丘陵地帯にトドマツの林と池塘が点在しているという景観です。駐車場から短時間でぐるり散策でき、登山というよりは散策ですね。鏡沼の辺りはドラゴンアイ ブームで多くの観光客が来ていました。6月ともなれば普通の服装で問題ありません。ただ悪天候の時はやはり厳しく冷たい雨が降ることは当然です。

 

寺山修司オペラ「黙示録」

さて、この日は夜に寺山修司の観劇の予定があり、これに先立って八幡平にも足を運んだのですが、夜、岩手県民会館に久しぶりに行きました(中ホール)。2010年度から7冬、土壌分析のアルバイトで公会堂の隣、盛岡広域振興局の4階の農業改良普及センターの実験室から正面に県民会館を眺めながら分析業務をやっていたのですが、その仕事がなくなって、内丸の官庁街に来る機会もなくなっていました。年に2〜3回は映画を観に大通り近辺に行くことはありますが、映画は北上市の場合もありますし。

オペラ「黙示録」というタイトルで、かつてNHKのラジオドラマになった寺山自作の脚本に、盛岡の方が室内楽用に全編に作曲し、演奏も出演も盛岡在住の方によるものでした。特にピアノは途切れることなく演奏が続き、要所要所で弦楽四重奏が加わるというスタイル。主役は圧倒的にピアノですね(上演時間は休憩除き1:40くらいでした)。

とても力作でした。オペラというには小規模ですが、とても味わいのある時間を過ごせました。金田一駐車場に停めていたので、ついでに大通りでラーメンを食べて帰りました(CT33ビルのラーメン屋です)。

田畑では、田の除草、りんどうの草取り&芽かき、そしてにんにく、次いで小麦の収穫が近づいている、という段階です。草イチゴ、苗代イチゴ、冬イチゴ、バライチゴ、カジイチゴ 、ノウゴウイチゴ、熊イチゴ、そしてキイチゴであるモミジイチゴも順調に生育しています。この6月、新たにエビガライチゴと紅花イチゴが加わりました。紅花イチゴは八幡平でも見かけました。コケモモ類もいろいろありますが、これら植えたところを毎日観察して歩くのは楽しいものです。こうした野イチゴ系のジャムなど、いつかは生産してみたく思っています。

に投稿 2件のコメント

田植えが終わりました

田植え2023

真夏の暑さが来たかと思うと雪が降りそうな寒さで乱高下した気候の5月が終わりました。亀の尾とひとめぼれ、それに昨秋分けていただいた「ササシグレ」の苗などを植え、今年の田植えがまず終わりました。2回目の植え代かきをタプタプの水量にして回転を上げてトロトロ層を作る狙いのやり方をしてみましたが、部分的に凹凸になったりもし、そう簡単ではないなという感じもしました。今期は地域おこし協力隊による援農活動も加わっていて、例年以上に、よりきめ細かく稲作の諸作業をきっちりこなしていけたらと思っています。

何より、ササシグレがこちらの冷涼な気候でどうなのか、これが最大の関心事です。

 

チェーン除草2人版

そして苗の活着を待ち、チェーン除草をしました。写真はひとめぼれの田です。協力隊員の彼と2人で引っ張り合うことで、直接背中にたすき掛けロープで田の中を曳きずって歩かずにすみますね。田の短い幅の方を向かい合って往復でチェーンがけしておりますが、この後の動力除草機を使った作業は長い面を進行することになるので、90度逆の引き方をしてみました。うっすらと既に生えた雑草を取ることはできませんが、撹拌して泥水を作ることには効果があることと思います。あんまり田植え直後ですと苗に影響がいくし、遅れると田面が固くもなり、タイミングが非常に難しいです。

 

にんにく2023年5月

にんにくも旺盛に育っています。やはり雪解けが早かったのはありがたかったですね。春になって株元の草取りをし、次はトウ摘みですが、その前に気になっていた通路の雑草の草刈りも、今日完了できました。

 

2023年5月末の小麦とにんにく

にんにくと並んだ6月1日の南部小麦の生育状況です。いつもはこの6月になってからの出穂ですので、1週間程度前倒しで進んでいます。去年秋の播種は播種機を使用しました。均一に蒔けるというメリットもありますが、おそらく一番の効能は、覆土が深くならないで済むという点と思います。溝を掘って手で播種し鍬や長靴等で覆土するというやり方ではどうしても覆土が厚い深蒔きになってしまい、それが生育や、あるいは積雪地の難題「雪腐れ」菌に負けるという状態を招くと考えられ、播種機はそれを防いでくれるようです。

写真は南部小麦ですが、雪解けが早かったからか、その播種機使用が良かったか、これまでにない生育の良さです。一方のアリーナ小麦は、マメ科緑肥のクロタラリアの漉き込みの効果によってか、昨年の壊滅状態に比べるとそこそこに生育してはいますが、まだいくらか雪腐れの影響は受けているようです。アリーナは今度の秋は別の圃場で緑肥も行った上で作付けしてみようと思います。アリーナはヨーロッパの品種だけに、基本、雪には弱いのだと思います。それでもここ沢内でこれまで何年もしっかり育ってはくれました。畑を変えることで再び長稈の濃い葉色の姿を再現したく思います。

それにしても、南部小麦は雪腐れには非常に強いことは検証できました。とはいえ、ここは豪雪地です。雪腐れの原因となる連作を避けるためにも南部小麦圃場にもマメ科緑肥栽培を盛夏の休耕期間中に、全圃場とはいかなくても、順次行っていきたいと思います。緑肥の種代はかなり高価なので、そこが難点です。

 

自家製ルバーブのジャム

2021年晩秋に植え付けをしたルバーブが、昨年2022年の1作を収穫せずしっかり養成し充実させて、今年初めて収穫しました。当園とも共同で農産加工を手がける「味工房かたくり」の加工場でジャムになりました。第1号です。

 

ルバーブ園2023

「クリムゾン・チェリー」という品種になります。西日の強くない畑に籾殻や稲わらをたっぷり入れ、有機質(油粕)のみの栽培になります。近年は夏場の高温猛暑が特に西日本東日本では顕著なようです。ルバーブは暑さを嫌う作物でもあり、ここ沢内のような冷涼地で適度な雨により過乾燥にならない土地柄はかえってルバーブに向いているとも思われます。反面過湿にも弱いため、排水面の配慮は必要です。この場所は住宅の敷地と隣接した元々は田んぼでしたが、川のそばで石が多く、それはマイナスではありますが、水はけはとても良いのです。田としてはザルで不利でも、ルバーブにはきっと味方してくれる気がしております。

 

ルバーブ根塊

植え付けした時のルバーブの根塊です。今後数年間隔で、適宜株を掘り上げてはスコップや押し切りで4等分くらいにし、増やしていくという作業が晩秋または早春に必要になります。

 

タラノキ園2023

タラノキ園の管理も進めています。タラノキは根(種根)より発芽して増殖するのですが、いまこの雑草に覆われた通路部分で、地下に張り巡らされた種根から芽(ヒコバエと言ったりします)がにょきにょきと出て来ていて、それを見つけスコップで土が崩れないように掘り取って、別に作った畝の定位置に植えていくという作業をしています。たらの芽は受注が多く、生産が追いつかないので、できればしっかりと穂木が確保されるよう拡大努力をしたいし、それはいまのこの時期の作業になります。根を直接掘り取って育苗箱等で人工的に発芽させポット育苗して移植するというやり方もありますが、温度湿度管理は難しいですし、こうした切り取った根でなく土中の生きた根から発芽し地上に出現するヒコバエは質量ともに圧倒的に良好です。

逆に、家の敷地内に安易にタラノキを植えることは要注意です。定期的に草刈りで刈っていればいつか絶えてしまいますが、そうでなければあちこちにタラノキが出現し、いろいろ困ることもあるでしょう。庭木の方はご留意ください。

7月に入ると成木の畝は繁茂してもう畑に立ち入れなくなるし、いまのうちに草取り等の管理作業もしっかり進めておきたいものです。写真向こうの方はまだ植えたばかりの苗状態なので秋まで圃場に立ち入れますし、小さい苗のうちはしっかり8月まで草取り作業をしたいと思います。

 

早池峰神社

さて、現在左手首の治療をしているのですが、午前中で終わる診察の後に、病院のある北上市から遠野の早池峰神社に足を伸ばしてみました。雨の日ということもあり、農作業しなきゃと足早に帰るのでなく、やはり時々車を走らせていろんな土地を見ることで心と体のバランスが取れる気がしています。盛岡の知人から早池峰神社の由来についてなど聞く機会があり、関心を持っていました。附馬牛(つきもうし)という遠野の山間部にあり、なんか良い感じの景観でしたね。附馬牛、自分には心地よい土地柄でした。

 

早池峰神社山の神

阿仁でマタギ資料館や山の神を祀る神社に行ったりしましたが、この早池峰神社の中にも「山の神」の碑がありました。

 

早池峰神社馬の絵

遠野は馬産地ですよね。味わい深いです。時々ぼーっとこういう場で安らぎたいと感じます。

 

地早池峰神社地図

入り口付近にあったとてもわかりやすい案内図です。薬師岳がありその向こうはいったん谷間で幹線道路が走り、そしてその奥に早池峰山がそびえているんですね。静かな佇まい。月並みですが、心身の洗濯になった気がします。

 

稲荷穴

早池峰神社に向かう前に、いまは遠野市の宮守(ワサビの産地)でワサビラーメン定食を食べ(ラーメンと餃子にワサビが。。)、そして近くの「稲荷穴」という洞窟を見学しました。洞窟は好きなんですが、ここはちょっと中に入って探検という感じではなく狭い洞窟内に川が流れているというものでした。平日だし、ほぼ誰もいない山道のドライブです。長野県最南端天竜川沿いの誰もいない道路を走ったことを思い出しました。ここよりも天龍の方が秘境感があったかな。

 

宮守眼鏡橋

同じ宮守の「眼鏡橋」、昔子どもたちと来たはずですが、あまり記憶に残っておらず。。銀河鉄道が地上から空へ駆け上っていくシーンが彷彿されますね。

ちなみに、映画「銀河鉄道の父」を観て来ました。賢治の地元県というだけあり、平日でもかなりのお客さんでした。つくづく、妹トシが不憫ですよね。聡明で、賢治を励まし、最大の理解者でしたのに。。賢治の持つ迷いや心の弱い部分、内面の葛藤や自己批判的な傾向、現実を直視しようと力みながらも自分の慣れ親しんだイメージ世界にこもりたがる傾向。。こうした点はとてもわかり、自分も近いのかなと思います。役所広司が演じた父親像は、息子への愛と理解しようとする気持ちに満ち溢れていました。いままで何となく解釈していた賢治の父の印象とは異なっており、私には意外に思えました。

 

旧岩谷堂共立病院

かつて子どもたちを連れて訪ね、その断片的な記憶だけが頭に残って、あれはどこだったかな、と気になってGoogleマップで調べてみる、ということを夜に最近よくやっておりますが、この「旧岩谷堂病院」もその一つで、賢治の映画を観た後に、思い立って訪ねてみました。江刺の「えさし藤原の郷」の近くにあり、15年くらい前に「種山ケ原」へ行った帰りに見つけて立ち寄ったと思います。今回、管理人さんがいて(美しい人)、他に誰もいませんしとても丁寧に解説していただきました。

子どもたちが大きくなっていくにつれ、小さかった時の記憶が遠のいていって記憶が幻のように感じる時があります。そういう記憶の断片像をたどり直してみたい気持ちは後ろ向きであまり健全なことでもないのかもしれませんが、田畑で黙々と稼ぎながらも、時に田畑を飛び出して映画を観る、いろんな土地を訪ね歩く。。先にも述べましたが、そういうことを織り交ぜてくらしていくのが自然なことなのだと最近思います。

子どもたちが小さかった頃というのは農業面でも栽培技術的にまだ確立していないさまざまに不安定な面もあったし、そんな中でも子どもらにいろんな世界を見せたいという願望もあって、農業と外出スケジュールをこなすので精一杯でした。その出かけた先の中身などしっかり味わえていなかったかもしれませんね。前回同じように思って訪れた「マリア観音」について書きましたが、過去の不完全燃焼の部分をたどり直してみたい、そんな気持ちは誰しもあると思いますし、時々は田畑から出て何かしらの見聞を続けたいものです。

年齢的にも、人生の集大成をという年頃に達して来たのかもですね。。

に投稿 2件のコメント

阿仁への旅

マタギ資料館

大型連休も終わりましたが、気温高めの好天の日もありましたけど、5月6日は終日の雨予報で。。ずっと農作業続きでしたので、本降りの天気そうだし気分転換にふと思いついたドライブ旅行を実行しました。阿仁マタギの地を探訪します。雫石のR 46号に出て、仙岩トンネルを抜ければ秋田県です。すぐに田沢湖で、そこから北に上れば阿仁と呼ばれる地域になります。

こちらへ移住する2年前に、東京からバイクで訪れました。阿仁を経て森吉山の中腹を走って白神山地へ向かう旅でした。「阿仁」を意識した動機は「釣りキチ三平」著者の矢口高雄氏の影響によるものですね。農家を志す気持ちが固まった時、大学が信州だったことで長野県での移住就農も模索しましたが、その後東北に気持ちが向かうことになったのは、阿仁マタギのイメージが東北にはあって、それは確かに長野にない要素だったろう、という思いがあったのですね。東北は未経験・未知の世界で、テントを積んで北に向かったのでした。そのツーリングで初めて東北へ移住するという考えが視野に入って来ました。

 

マタギ鉄砲

そんなことを思い出しながら阿仁に向かい、今回2度目となるマタギ資料館を訪れました。温泉宿泊施設の館内の一室が資料館になっており、当時(1994年)とはちょっと違いましたね。展示品はそう代わりないだろうと思いますが。村田銃などが陳列されていました。

 

マタギ武器類

その他の武器や熊を獲る時の補助具などです。

 

マタギわな等

カンジキをはじめとした道具や罠など。陳列品は結構多く、ここが日本で一番のマタギ資料館に違いありません。

 

マタギ巻物

このような歴史的に重要な資料も実物が展示されているんですね。

 

マタギ山の神

山の神の信仰というのが阿仁のマタギの根幹を成しているように思います。ちなみに、山の神は女の神様で、確か片目だと何かで読みました。上の写真も拡大すると左目がそのようになって見えます。理由は調べましたがわかりませんでした。

ところで、こちら西和賀町沢内は阿仁と似た景観風土であり、実際にマタギ博物館(沢内太田・碧祥寺境内)もあるのです。もちろん地元なので訪れています。が、ここ沢内では、あまり「マタギ」とか言わないんですよね。熊を撃つ人は多くいますが、「鉄砲撃ち」とか呼び、マタギとかシカリとか独特の言葉は使わないように思います。実際熊撃ちと話をしてそう思いました。夏は田んぼをやったり建設関係の人もいます。

 

マタギ沢内

解説パネルに確かに「沢内」とあります。岩手で唯一とは驚きですね。ちなみに、この図と同じ図が沢内の碧祥寺マタギ博物館にもあります。思い起こせば狩猟のための道具や山の神像も陳列されてありました。この博物館では阿仁と同じように「マタギ」の語も出て来ます。でも、実際の熊撃ちはマタギって言わないんですが。。なぜか。。あくまで秋田・阿仁の言葉遣いなのでしょうか?? 多分沢内の博物館を開設するに当たって、おそらくは阿仁のマタギ関連の文献を参考にされたのではという気もしています。学術的歴史的には阿仁が中心地なのでしょう。が、言葉遣いとかまでは奥羽の峠を越えてこちらまでは伝わりきれなかったのだろうと推測します。とはいえ、阿仁と沢内は地理的気候的に近さを感じますし何となくほっとする場所でした。

それしても、言葉遣いはどうあれ、マタギ文化は日本海側気候の多雪地帯に分布していますよね。積雪により冬の農閑期が長く、そのため生活のため、産業の一つとして熊を獲る文化が養われたのではないか、という気がいたします。

 

マタギ小屋

マタギの小屋だそうです。こちら資料館のある温泉施設の駐車場内にありました。雪に強い形ではありますが、2mほどの積雪には耐えられない気がします。無雪期用に建ててはほぐしという形で使ったのでしょうか。。

 

打当の山神神社

山の神様を祀る神社があり、資料館のある打当地区の神社です。鳥居の上部には山神神社と書かれています。山の神については沢内の博物館にも像があるのですが、山神神社というのはありません。代わりにではないかもしれませんが、「山祇神社」はたくさんあります。

 

沢内の山の神

この山の神像とオコゼの写真は2017年2月に地元碧祥寺のマタギ資料館で撮影したものですが、上に山の神の御神体という説明があり、山祇神社に祀られるという語句を見ることができます。2枚の別の写真を組み合わせたものですが、オコゼの上の説明文は左の木彫りの山の神の像を指していると思います。農家が農閑期に作ったのでしょうか、こうした木彫りの無名の像が沢内ではあちこちにあって、「山祇神社」や家の神棚に奉納されているということのように解釈されますが、阿仁では数か所の「山の神神社」に祀られており、また手作りの無数の神像があるわけでなくて、阿仁資料館のパネルにある写真のごとく、素人の作ではない立派な御神体が奉納されているという感じなのでしょうか。。

 

マタギ資料館1994年

ちなみに、1994年の今回と同じく大型連休の折にバイクで出かけた際の阿仁のマタギ資料館で撮影した写真が出てきたので、スキャナーしてみました。この時は独立した建物だったような気がしますが、30年近く前のことなのであまり覚えていません。。自分の無意識ながらも趣味趣向というのは変わらないものですね。何にシャッターを向けるか、何年経っても変わりませんね。

 

根子山神社

次に、こちらはマタギの発祥地と言われる阿仁の根子(ねっこ)集落にある山の神の神社です。隙間から中を見させてもらいましたが、この奥に山の神が祀られていることと思います。

 

根子集落の遠景

根子に入ってすぐの少し高台から集落を遠望しています。新緑と雨で雲が沸き立つ様子が美しいです。

 

根子のトンネル

この根子集落に入るにはメインの国道から脇に逸れ、トンネルを抜けて来なければなりません。昔は峠越えでしょうが、いま現在でもこのトンネルはとても狭く、対向車とすれ違うことなど到底できず、随所にすれ違いのスペースがありました。結構長いトンネルでしたが、幸い車と行き違うことはありませんでした。車内からの撮影で、ナビのアンテナに引っ掛けたマスクが写っており恐縮です。高さ3.8mとうことでかろうじて大型トラックも通れなくはなさそうで、トラックが入れないと何かと大変ですがそれは大丈夫そうでした。

 

またたびラーメン

お昼に、打当の資料館の建物内にあった「シカリ」という食堂で「またたびラーメン」を食べてきました(950円)。山菜がしっかり入っています。ワラビも多く入ってましたが、固かったですね。と言うか、沢内のワラビは柔らかくして食べる風習なので、固く感じたということで、こちらが普通なのでしょう。あっさりとしてまた食べごたえもありました。

 

くま牧場

近くにくま牧場があり、こちらも29年ぶりに訪れてみました。この連休から冬の休み明け営業となっておりました。

 

くま牧場遠景

ひぐま舎の2階から眺めた景色です。良いですね、阿仁。

 

ツキノワグマ

ツキノワグマがいっぱいいて、みんな動き回っています。29年前の時は確か子グマを抱っこできたような気がします。自分も抱っこした記憶があり、爪が当たって結構痛かったような?? 当時はもっと子連れ客も多かった気がします。連休ですがあまりお客さんはいませんで、資料館も、ラーメンの食堂も私一人でした。雨だったからですかね。

 

ヒグマ舎

こちらがひぐま舎です。10年くらい前、秋田の八幡平のくま牧場で冬に除雪機で排雪して出来た山をひぐまがよじ登って脱走し、餌係であったおばあさんたちが死亡した痛ましい事故がありました。とてもセンセーショナルなニュースで、襲った熊は餌も十分に与えられていなくて飢餓状態だったとのことです。この事故を受けて、八幡平は廃園しこちらの阿仁で飼育するようになったそうです。ひぐま舎はその際に建てられた建物のようで、29年前にはありませんでしたし、ひぐま自体もいなかったのではと思います(?)。そもそも一般の動物園にもひぐまはいるのでしょうか? 八幡平くま牧場の時のニュースで初めて本州にもいたのだと知りました。

 

ひぐま

ひぐまは1頭ずつ時間を決めて飼育部屋から庭に出て来ます。ツキノワグマのように大勢で見ることはできません。2頭以上一緒にしておくと喧嘩して、実際1頭死んでしまったらしいです。そういえば「ゴールデンカムイ」でもひぐまはよく登場しますし、人が襲われるシーンも多く出て来ます。なお、阿仁マタギも出ていましたね(第7師団の谷垣ニシパ?)! このひぐま舎はツキノワグマよりも人気を集めているようで、園の目玉になってるように思いました。もっとも雨でしたしお客さんは少ないです。左は池で水浴びし、ブルっとしている瞬間です。ものすごいしぶきでした。

 

ハチ公の生家の像

さて、阿仁のマタギ関連と熊を観ることができたので、目標は終えたのですが、そのまま引き返すのもなんだしと、北に大館の方へ向かいました。忠犬ハチ公の生家というのがあり、見て来ました。ハチ公は秋田犬だったんですね。

 

ハチ公の生家のトイレ

こちらは案内板を兼ねた公衆トイレです。こちらの施設の方がユニークかもですね。

この後は大館のコメリで買い物をして帰路に着きました。大館から鹿角へ出るのですが、そのあとはこの前通った十和田湖からの帰り道とダブらないように、今回秋田のドライブということで、八幡平の秋田側、玉川温泉を通るルートで宝仙湖を抜けて田沢湖、仙岩道路で雫石、というルートで走りました。八幡平アスピーテラインは午後5時で閉鎖になるというのは知っておりますが、その閉鎖が田沢湖へ至るこれから走る道にまで及んでいはしないか、ちょっと心配でした。まだ連休のさなかというのに車の往来などほとんどない山道です。一応国道なんですが。。

ひぐまの事故で閉鎖になった牧場も鹿角からのこのルート上にあったのをいま知りました。アスピーテラインの辺りはさすがに道路脇に雪が残っていて、一部車道にも雪崩れて来ている箇所もあり、夕方暗くなりつつあるし、ちょっと心細い気もしましたが、まあこういう走りはいつものことですし、とにかく車の故障がないことのみを祈ります。ちなみに、この玉川温泉近辺の道路にはガソリンスタンドは全くありません。山間地のスタンドは土日休みだったりもするのであてにはできません。田沢湖近辺の国道で給油はしておきました。

 

宝仙湖

玉川温泉を過ぎ南下すると美しい宝仙湖に出ます。これは最南部ダムのそばからの1枚で、夕方6時半近くになっています。写真はPhotoshopで明るく改造しています。

 

カリヨンの鐘

そのダムの脇に「カリヨンの鐘」と言うスポットが。ビゼーの組曲「アルルの女」にもカリヨンという曲があったですね。定時ではなかったので大きい金のみ手動で鳴らして来ました。西洋の鐘の音、私はとても心が安らいで好きです。ここも偶然見つけ立ち寄ったわけでなく、前夜にGoogle マップを見ていて「カリヨンの鐘」に着目して、停車したのでした。

暗くなり、あとは帰るだけ。土産を買うようなお店もありません。。

 

くま牧場1994年

1994年のくま牧場の写真です。ここに落ちたら一巻の終わりですね。熊たちは何に注目しているのでしょうか。。

 

阿仁1994年

バイクにテントを積んでのツーリング。アルバムのメモに阿仁と書いてあるだけでどこか全く覚えがないですが、いずれ阿仁で一泊したようでした。いまだったら軽トラの幌の中でテントなしに場所も選ばず寝ることができますが。。

今日はまた寒さが戻って来て、冷たい雨が降っています。岩手北部では数センチの積雪もあったそうです。タラノキの種根の管理作業と田の排水部へのパイプ設置などの作業をしておりました。タラノキ部門では管理をしっかり行い発芽育苗に成功させ、無事にタラノキにできる苗を一本でも多く育てるべく努力しています。今夜は0度になるそうで、いろいろ警戒です。。

に投稿 コメントを残す

2023稲作が始まりました

山桜2023

雪解けが早かった2023年春、3月下旬から気温も高くて好天が続き、そしてその反動で例年と同じく、4月10日頃、稲の種籾を蒔いた直後より寒い日が1週間続く、という前進後退をしながらの、2023年春作業のスタートになりました。例年5月4日に満開になる農作業の指標木でもある山桜は今年は4月27日に満開となり、ちょうど1週間の前進での推移になっています。とはいえ、続いた低温への対策に透明被覆を使用して苗箱内の温度確保に努めましたが、まだ出芽には少々ムラがあるようです。この地域では出芽機をみんな使用しますが、その寒冷地ならではの理由がよく分かります。やっと居座り続けた寒気が去って行きつつあり、春なのに暑くて、という気候に早くなってほしいものです。

 

亀の尾種籾

種まきは普段通りの4月12日。小規模農家用の種まき機で2日かけての播種作業となりました。

 

種まき2023

今年はササシグレの種籾が入手できまして、亀の尾・ササシグレ・ひとめぼれ・いわてっこの4品種での作付けになります。ササシグレが成功するかどうかが最大の懸案になりますが、病気にかけずそこそこに穫れるようであれば、ひとめぼれかいわてっこのどちらかを減らし、最終的には3品種の体制にしたく思っています。品種数が多いととても諸々作業が大変になります。亀の尾もですが貴重な籾であるため、コンタミも軽減しなくてはいけません。

 

たらの芽2023

たらの芽部門では、はタラノキ畑がなかなか順調に当初の作付け時点の規模にまで改植が進んでおらず、7a程度での圃場での収穫分でのたらの芽栽培となっております。定期的に注文をいただく飲食店の方々への出荷を除いた余剰分はあまりなくて、収穫の波が大きく来た時のみ、限定的に個人の方向けにフリマサイトを利用しました。ありがたいことに生鮮品であるたらの芽の売れ残りという事態になることなくご注文をいただいて、出荷販売を完遂することができました。3cmの厚さに収まることから、クリックポストを活用することで、送料を抑えた形状の出荷を行うことができました。大小がまちまちになるのは恐縮に思いますが、これから春の栽培管理の時期、できるだけ均一な太さのタラノキを生産する技術、というのもしっかり実現していきたいと思うところです。芽かきの技というところですね。

 

やまなし研究会2023

イワテヤマナシの研究会への参加も10年を超えて時間は重ねて来ておりますが、九戸や水沢で生産グループが立ち上がっていくのに比して、当地西和賀では私が個人的に栽培実証を行っているという域を出ず、力不足を感じる昨今です。現在は水沢が中心になっていて、研究者の神戸大学片山先生も水沢の圃場によくいらっしゃって、私もそうした機会には研究会に足を運んでいる次第です。

大きく生産出荷のグループ活動をということになれば、出荷先の見通しや、ある程度大がかりな加工の体制も必要になって来ます。そうした段階が集団の取り組みの目標にはなるだろうとはいえ、ここ沢内のような場所でいきなり大量の作付けを、という方式を目指すのではなく、採れた果実を自家加工で小さく、イワテヤマナシの魅力をメニュー化・商品化して個別の消費者に提供できる形、というのが取り組みやすいやり方なのかな、と思っているところです。

 

東北ユースオーケストラ

農業外の記事になりますが、3月21日の祝日、盛岡でマーラーの5番のコンサートがあり、出かけて来ました。東北ユースオーケストラという若い楽団のコンサートでした。流石に音楽のプロを目指す若手プレイヤーの集団です。演奏は見事でした。震災復興のテーマを掲げたコンサートでした。このコンサートの直後にお亡くなりになった坂本龍一さんの震災追悼オーケストラ作品が最初に演奏され、その後に宮沢賢治の作品にちなんだ朗読等の要素も含まれたプログラム、そしてマーラーでした。写真が小さくて分かりづらいですが、朗読部分を担当した「あまちゃん」ののんさんが全プログラムの終了後改めてステージに出てこられたシーンです(指揮台やや左)。その左には進行をされていた、かつてニュースステーションで毎日目にしていたアナウンサーの渡辺真理さんも登壇しての終了時の写真です。渡辺真理さん、2001年9.11テロの時のアナウンサーだったですかね。

地方にいてマーラーを聞く機会はあまりありません。ブルックナーもですが。。ふだんはもっぱらCDで聴きますので、細かい部分がどうなっているか、生ではいろんな楽器に目移りしつつ、音の実証確認しますね。やはり目立つ打楽器に目が行きますが、ティンパニの女性、とても上手でした。見ていればどこがティンパニでどれが大太鼓かもはっきり分かりますよね。生ですから。またマーラーといえばタムタムですが、5番では、前半こそ多用されるものの、後半は全く出番がなかったんですね。確かに、タムタムは運命的な宣告を与える要素です。短調の暗い音色の1、2楽章はタムタム的、ですけど、明るい音色に変わっていく3楽章以降はタムタムという感じから抜け出していたかもですね。そういう部分も演奏会ではよく分かります。

東京にいた時はN響のNHKホール当日券D席1,000円のコンサートにお世話になりました。滅多に演奏されないマーラーの3番も、8番「千人」もここで生で聴きました。この2曲は一生忘れられないメモリアルです。上京した初年度、上野の文化会館に、朝比奈隆のブルックナー8番(大フィル)を聴きに行けたのも貴重な思い出です(36年前ですね)。

 

ヤマメ2023

昨年3月に、盛岡在住の、山間地の生活技術や歴史伝承習俗に長けた方を招いての集いを石鳥谷の「カフェそら」さんで行いましたが、その第2弾を西和賀で行いました。懇談会に先立って、わが家の家の前で早速ヤマメを釣り上げた達人の腕前です。渓流釣りでも目印ではなくてウキ(玉ウキ)を使うことで、ウキ下のハリスと針の動きを自然にする効果を狙っていると思います。目印よりウキの方がよく見えますしね。家の前にはヤマメとイワナの両方がいます。すっと移動して捕食するのはこのヤマメで、岩陰でじっと餌を待つのがイワナだそうです。川岸に立てば、達人にはどの辺にどれくらい魚がいるか、カンでわかるそうです。もちろん、クマの気配は常人の何倍もの感覚で察知します。

このあと、古民家「ツキザワの家」でこの達人の方を囲む懇談会を行い、家の管理者の写真家の瀬川さんご夫妻ともとても話が合って盛り上がりました。農作業が本格化する前、自然や生活の技に関する有意義な話題を聴きながらのひとときを過ごすことができました(ツキザワの家は8月の記事で襖絵も紹介させていただきました)。

 

マリア観音標識

さて、子どもたちの小さかった頃のことを思い出し、あの時行ったあの場所はどこだったっけ、と思い改めて検索してみることがよくあります。当時は岩手の土地勘もわからずに出かけていましたし、ああ、あそこに行ってたんだ、ということもよくある話ですね。その一つが一関市東山町にある「マリア観音」でした。気になり始めると、とことん探したくなり、当時の日誌とGoogleマップのおかげで「マリア観音」の名称と場所が特定できました。2007年5月3日に大船渡や陸前高田へ出かけ、その帰り道にふと見つけて立ち寄った光景がずっと片隅に残っていました。2007年の訪問の時は写真に残していなかったんですね。

その日は、震災前の高田松原にドライブに出かけ、その海岸のそばにあるちょっとした公園で、3歳だった長女を遊ばせていた時に、地元の子かな、10歳くらいの女の子が、長女が滑り台で遊ぶ様子をそばでやさしく見守って手助けしてくれたり、ぴったりくっついていてお世話してくれたことがあり、とても印象に残る光景だったのです。

2007年5月3日

お姉さんに娘が遊んでもらっている写真が残っていました。震災の4年前。この公園はもう失われているはずです。お姉さんはお元気でしょうか。いまは25歳くらいかなと思います。この光景はずっと忘れられないです。

 

マリア観音出発地

当時帰り道に寄った「マリア観音」は残念ながら、いまは落石の危険ありということで立ち入り禁止になってました。15年前の記憶ではこの像のあたりから上へ登って、岩場内のマリア像へ至る急峻な道だったと思います。これ以上の写真は撮れませんでした。

 

幽玄洞入り口

せっかくなので、すぐそばにある「幽玄洞」を訪れることにしました(入洞には1,100円かかります)。

 

石筍こま犬

ところどころ、後から設置された石仏などもありますが、いろんな造形美を見せてくれた洞窟でした。石筍こま犬とあるのは、石筍がこま犬のような形に形成されていることからの命名のようです。

 

石筍こま犬

アップするとこんな感じですが。。。

洞窟サンゴ

昔岩手が海だった頃、四射(四放)サンゴとかウミユリとかの化石がここに閉じ込められたそうです。こうした姿を正確に表象するのは難しいですが、専門家による標識がたくさんありました。

 

フローストン

これは生物ではなく水による岩盤の削りの痕跡のようです。

雨の日の、買い物等用足しを兼ねたドライブでした。

 

十和田湖標識

こちらも所用で出かけた青森県の帰りに立ち寄った十和田湖です。奥入瀬渓谷はちょうど新緑が綺麗で(いつもより早いでしょう)、観光客も多くいました。夕方でもありあまり立ち止まらず十和田湖へ向かい、これはメインの道路から逸れた山道を走っていたからこそ出会えた展望台で、ここで美しい十和田湖を眺めてまいりました。

 

十和田湖展望台より

上の看板の眺めです。湖の佇まいって良いですね。八ヶ岳山麓の蓼科の御射鹿池も良かったですね。。

 

八甲田を望む十和田湖

遠方の山は八甲田山でしょうか。八甲田山の映画、まだ観られないでいます。。

冒頭の山桜開花により、諸々の農作業が一斉にスタートしています。作業時期というのに関係ないビニールやネットを掛けたり、苗物を植えたりの作業は適宜行っていますが、桜の開花でりんどうの芽かき(立ち本数を減らす株仕立て作業)のゴーサインとなりましたし、田起こしや、りんどう新植のための堆肥入れ等の準備も OKです。小麦の通路の除草作業が大きな作業枠になり、時間をかけて取り組むことになります。ブルーベリー等の剪定作業もほぼ終えて、とにかく、抜かりなく、遅れることなく、作業を前へ前へと進めていくのみです。

に投稿 コメントを残す

長野からのゆっくり旅〜合掌造りの山里と佐渡の探訪

相倉集落合掌造り

恒例になっています冬期の長野県諏訪地方への寒天造りは今年は期間が短く、早めに釜の煮込みも終了したことから、めったにない機会ですし、少し寄り道をしてたっぷりと帰郷の旅路を楽しみました。普段の岩手からの行き帰りでわざわざ大回りをすることはないのですが、大体のコースは通行して来ましたし、今回は木曽から岐阜へ出て、高山から白川郷方面へと向かうことにしました。上は白川郷を見た後に、たまたま案内標識で見て立ち寄った「相倉(あいのくら)合掌造り集落」で、白川郷以上にすばらしい、この冬の一番の絶景フォトを撮ることができました。雪の山道を10分くらい登っての観測ポイントからの眺めは感動的で、日曜日でもあり観光客も結構いましたが、みんな感嘆の声を上げていました。あまりに美しく、大きいフォトもリンクで掲載しておきます。

相倉集落2なぜこのような光景に惹かれるんでしょうか。外国の童話の挿絵等でも見たことがあるような、田舎集落と背後に高い雪山の取り合わせ。世界に通ずるいわばやはり原風景で、心の底でえもいわれぬ何ものかに掻き立てられる感情でしょうか。。住みたいですよね。でも実際住めば、えもいわれぬ気持ちはなくなる気もします。

背後の山は白山と思います。岐阜へ入った時、白山は見たいと思いつつも、なかなかその全貌を眺める場所に恵まれず、高山から白川郷へ至る山道も谷間の庄川という川沿いを通るために眺望はそれほどよく得られません。河童橋から穂高を眺めるようには、白山は姿を現してくれませんでした。

それにしても高山から白川へ向かう国道は、往来も少なく、おそらくみんな高速を通るのでしょう。完全な雪道でしたので4駆をかけ、慎重に走りますが、荷台にテングサの煮カスを100kgくらい積んでいたので少し安定感はあったかもです。それにしても対向車が少ない。車と出会わない。12月31日の長野・愛知・静岡の県境付近の天竜川の感じです。もしかしてあと少しで白川郷というところで冬期閉鎖になっているとか?? そんな不安もよぎりました。それほど山奥の道でした。

あるいは高速を走っていたらもしかして白山は見えたのでしょうか? しかし上の相倉集落の背景にある山はどうやら白山の一部のようですので、少し安心しました。ちなみに、東京で勤務していた出版社のあった土地が文京区白山でした。それで白山の言葉により惹かれるものを感じていたのかもしれません。

 

帰雲城址

この庄川沿いに走る道路脇に、沈んだ城の跡というような案内があり、車を停めました。一見遠目に西洋の修道士かのように見えた石像に惹かれ、近づいて眺めましたが、雪でほとんど何があるかわかりません。帰雲城(かえりくもじょう)という城が昔あり、ここで沈んだということですが、家に帰って調べてみると、1585年に東海や北陸を襲った大地震により崩落した土砂に埋もれてしまったという記載がありました。こんな山奥にもお城があったのですね。

 

白川郷

そして、道路の閉鎖に見舞われることもなく、突然に人々が往来する世界文化遺産の白川郷に着きました。外国人だらけです。外人にとってはこのクラスの雪も茅葺きの建物もさぞ珍しいことでしょうね。東南アジア系の人が多く、また少数ですが欧米系の人の歩いて移動している光景が割と目につきました。バックパッカーとまではいかないかもしれませんが、欧米系は個人の客で、アジア系は団体客という感じでしたか。駐車料が1,000円かかりました。人が多くてマスクしますが、眼鏡が曇ります。。

 

白川郷合掌造り屋根裏

有料で見学できるエリアに立ち寄って、合掌造りの中に入ってみました。私は沢内へ移り住んだ2年目に、住んでいる屋根の葺き替えを手伝ったことがあります。こうした屋根裏に上がって、カヤ葺きの人が外側から刺してくる紐付きの大きな針を中に押し入れて、写っているように丸い骨組み棒に紐を通して、もう一度その針を抜いてもらい、骨組みどうしではなく外と中でカヤを挟んで紐で縫うという作業を行いました。

 

合掌造りのき

軒下を見上げるとはこんな作りになっています。建物の中には昔の農具や生活具が展示されていたりしましたが、これは11月に岩手の川井でも見ましたし、そんなに珍しくもない感じでしたが、外国人にとっては興味深いものだったでしょう。「カンテラ」など実際どうなんだっけという品は写真に収めて来ました。

この白川郷はあまりにも有名ですが、でも景観としては「相倉」ですね!

 

木曽白川の氷柱群

相倉集落の光景が印象的だったためにトップに記させていただきましたが、順序としては、茅野の寒天工場を発った日は杖突き峠から伊那に入り、権兵衛トンネルから木曽へ抜けて、木曽福島の辺りの山道をフラフラしました。

釜の煮込み作業は夜の11:30から始まり、クレーンでの舟への煮汁移し、濾過した煮汁のノリツギ作業、固まった液の天切り作業、次の草の釜入れ作業を終えて13時過ぎから16時のエアかき混ぜ(棒立て作業)まで2時間ちょっと休憩があり、ここで風呂に入ったりしますが、ちょうどこの時間に長野SBCのローカル番組をテレビで観ていました。そこで確か紹介されていた氷柱群が木曽にあるということで、今回目指しました。ちょっとわかりにくくて通り過ぎたりしましたが、写真の「白川の氷柱群」がそれでした。写真に収めているのは一部で、高さ50m、幅250mに及ぶと記されていましたが、今年はそこまでにはなっていないようでした。地下水が染み出してツララになっているものです。御嶽山の近くまで進みましたが、雲に隠れて見えませんでした。

 

寝覚めの床

木曽といえば「寝覚めの床」ですので、これも掲載いたします。国道からだと線路とかが邪魔ですよね。学生時代に「特急しなの」で通行した時は眼前でよく見え、列車のスピードも落としてくれて案内アナウンスもしてくれました。車掌さんによっては「木曽のナカノリさん〜」と歌ってくれたものでした。いまでもそういうアナウンスはあるのでしょうか。。

3年くらい前にもここを訪れて記事にも書いたと思いますが、名古屋から特急で木曽の山を懸命に登り進み、そして松本のある穏やかな平野部に至ります。遠くには神々しい北アルプスが。。ブルックナーの九番の最終楽章の最後の部分がそうなんですね。激しいトゥッティ(全ての楽器が全力で奏でるクライマックス部)の後に、ふっと突然に天上の光景が拓けて、静かに終わります。アダージョで終わる九番ならではの全曲の締めくくりです。

西和賀沢内もそうですね。北上市から激しい山間部を通り抜け、山間部の盆地平野部に、ふっと至る。ブルックナー的です。

馬籠宿

木曽からは馬籠宿へ向かいました。以前、まだ釜煮込みでなく水車の仕事(テングサを洗う仕事)をしていた時の1日休みがあった折に「妻籠」には行っておりましたので、今回は馬籠に行きました。妻籠とともに、高校の時の修学旅行で来ているはずなんですが、全く記憶にありません。。

 

富山湾岩瀬浜

さて木曽の翌日の、合掌造りの里を満喫した後ですが、富山湾へ向かいました。昔NHK特集で富山湾についての番組があり、内容は忘れていますが蜃気楼だったり、いろんな生態的なこととか、背後に北アルプスが聳えていたり、気になっていた場所でした。ちょうど寒天工場に富山にゆかりがある人がいて話を聞いているうちに、こちら方面へ遠回りして寄ってから帰ろうと決めてました。いつも赴任の最初の頃からもう帰りのコースを検討し始めるのですが、頭の中で合掌造りとセットコースになっております。午後3時頃に岩瀬浜海水浴場に到着し、砂浜からの景色を楽しんでおりました。

が、いきなりのアクシデントが。。海水を触っていて、急に潮が大きくなったので靴を濡らすまいと後ずさりをしたところ、その波が結構大きくて、思わずダッシュし転んで左手を着いた時に結構な衝撃が。。靴は濡れはしませんでしたが、手首は3日経ったいまでもまだ痛く、けっこうな打撲を負ってしまいました。この後富山市内に戻ってガラスの美術館を見て白えびの天丼を食べてから宿泊地である上越市へ向かおうと思っていましたが、すぐに運転ができる状態でもなく、少し仮眠してしまい、それから次の上越市の宿へ向かうことにしました。白えびが課題に残りました。

軽トラなので、当然マニュアル車ですが、左手が痛いです。市街地は信号や渋滞で特にギアの入れ替えが多く、困ったと思いました。結局右手を左に回して2速に入れて発進し、次は4速に入れる、という2段階で何とかこなしました。国道8号とかを新潟方面へ向かい走るわけですが、時々5速まで入れるものの、2・4速式で何とかなりました。それにしても、富山市から上越市までは結構距離がありました。暗がりの中すぐ海が見える道を走りますが、昼間だったらもっと海がよく眺められたことでしょう。

夜に出張先の土地を走っていると寂しくなるということを前回も書いたのですが、2回目の寒天赴任で長野入りした時に、岩手を発ちこの上越市で1泊する行程を取りましたが、暗くなってから海が見えて来た時に、初めて何とも言えぬ寂しさを感じました。今回はもう自宅への帰路行程に入っいるし、そんな寂しさはありません。手首の痛さがあるだけです。

 

佐渡へ入港

上越市内のスーパーで閉店間際の値引き惣菜やビールを買い込んで、軽く晩酌後早々に眠りに就いて、そして翌日は新潟港を目指し早めに出発し、生まれて初めての佐渡渡航を実現しました。

昨夜は暗くて海がよく見えなかったものの、上越から新潟市への海沿いの道で十分に海辺の風景を楽しむことができました。海辺には板張りの住宅が建ち並んでいて、独特の景観を醸していましたし、佐渡に入ってからもでしたが、新潟には竹が多くあるなと思いました。

少しでも安く渡航費用を抑えたいといろいろ検索し、アプリを入れたりいろいろやった結果、ただでさえ足りないギガを消費して、オーバーしたギガ分を回収できたかどうかというくらいの割引率でチケットを入手し、佐渡に渡りました。新潟市からは佐渡は見えませんでした。霞んでいて見えないのか、それとも地球が丸いために見えないのかわかりませんが、フェリーは2時間半の航路で、あと30分くらいという時の佐渡の光景が上の写真です。

フェリーですが、車を積むとうんと高くなるので、新潟港に停めて単身で渡りました。2等席ですが片道3,100円くらいでした。新潟佐渡汽船すぐそばの万代駐車場Eに停め、24時間以内でしたので、翌日800円の料金ですみました(乗船した人の割引価格です)。ちなみに軽自動車でも往復で30,000円かかるようです(運転手1人乗船料金込み)。

 

トキの剥製

船は東側の両津という港に停まりますが、宿を取ったのは小1時間バスで走っての西側の温泉旅館でしたので、バス代が往復かかります。しかも帰りの方は、時刻の少し前に別の方面行きのバスが来るから注意してと旅館で言われたにも関わらず、よく行き先を確かめず、時間的にこれだと思って間違えたバスに乗ってしまい、違和感を感じて運転手さんに確認して2個先のバス停で降りて乗り直すというミスも。。行きは港で少しバスが停車してたので確認できましたが。。乗り慣れていないせいか、どうもバスは苦手です。料金が刻々と変わり、スムーズに支払って降りられるかも気になってしまいますよね。定期券ではないし。

温泉宿のすぐ近くに博物館があったので、午後4時を過ぎていましたが、まずこちらを見学しました。佐渡といえば、1)トキ、2)金山、3)伝統芸能(太鼓や能など)でしょうか。博物館でしたので縄文や弥生の出土品や生き物の剥製などが多かったですが、まあまあ満足。車じゃないのでトキの住む森にも世界遺産が決まったという金山にも行けませんでした。佐渡は結構広く、グーグルマップとかでコンビニが近いなとか思っても経路を見れば歩いて40分とかで、足がないと何もできないだろう感じです。

翌日の旅館からの帰りは、バス下車から出航まで時間があったので両津の港を少し歩く余裕がありましたが、レンタカーがあるじゃないですか。そういえばレンタカーを生まれてこのかた借りたことがありません。いつか、多分その時はもうないでしょうが、再び佐渡に来れた時はレンタカーを借りれば良いんですね。軽だと1日5千円切る感じでした。今回バスは往復で1,500円くらいでした。

砂金採りの道具佐渡金山には行けませんでしたし、博物館にもあまり見たかった展示はありませんでしたが、砂金を取るための道具が陳列してありました。ちなみに、今回の旅で、絵画にせよ展示品にせよ、案内看板にせよ、説明があるとそれは写真を撮るようにしていました。WiFiのない寒天工場にいて無駄にギガは使えないし、夕方5時のおやすみ前のひとときとか、旅先でスマホで撮った写真をその説明書きとともに見返していました。引き伸ばして見れば十分読めますよね。

 

 

 

 

 

 

佐渡文化・鬼太鼓

佐渡にはいろんな演芸の文化が栄えていたとは知りませんでした。太鼓が盛んなのは何となく知っていましたが、鬼太鼓というジャンルになるらしいです。岩手にも鬼の文化というのがありますが、さらにまた能とかも盛んで、能楽堂も結構数あるらしいです。

ブリカツ

小1時間博物館にいて、それから隣の温泉旅館に移り、ゆっくり温泉に入って寒天煮込みの積み重なった疲れと、手首の打撲をたっぷり癒しました。ぬるっとした効能ありそうな温泉でしたね。一人だし素泊まりですので、売店の適当な食べ物と、フェリーの中で買った「ブリカツ」やスーパーの千切りキャベツで晩酌としました。バスなので道中下車して買い物もできずです。居酒屋も館内にはありましたが、温泉から出て出歩く気力も予算もないし、売店のビールと茅野で買っていた五一ワインの大瓶も味わって、のんびりテレビを見て極楽でしたね。何より、もう夜の11時20分に起きなくて良いのです。佐渡だけで使えるという2千円の商品券がもらえたのもラッキーでした。

 

ときわ丸

両津港からフェリーで帰路に着きました。立派な船でした。佐渡の土産として、娘にはトキのキーホルダーのようなものとかマグネットを買ったりしましたが、佐渡土産ナンバーワンは佐渡バターのクッキー(800円)のようで、買いました。

 

佐渡からの別れ

佐渡見えず

 

 

 

 

カモメに見送られながら、佐渡が離れて行きます。しばらくすると何も見えなくなってしまい、雲のせいか地球が丸いせいなのか。。

新潟からは小国・山形を経て自宅に戻りました。カツ丼(ふつうに卵でとじたもの)が無性に食べたくなり、いつも旅の時はそうですが、チェーン店とかでなく大衆食堂を探して入りました。

また途中小国の道の駅で買ったラフランス入り午後の紅茶は美味しかったです。

疲れていますし、まだ手首も痛い。少し何もできずゆっくり休養し、夜は念願の晩酌しながらWiFiでPC映画を観る、で過ごし、それからたらの芽作業や確定申告等事務作業に着手します。とりあえず、スマホの写真をMacに移送し年賀状に目を通したり、どっさりの郵便物を開封したりしています。