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新年も寒天作りで幕開けです

元日の天

長野県茅野市でテングサの煮込み作業を続けていまして、特段休みとかもなく新年を迎えております。まだ予定の1/3しか進んでませんが、あと1か月すれば煮込みは終わりです。深夜からの長時間に渡る作業工程ですが、無心に、無欲に、焦る気持ちも遮断し、1か月を過ごします。

 

元日の天出し風景

人数が今期は少ない中、庭の人たちも元日から頑張って天を出してくれています。通いの人は正月に家でいろいろしたいこともあるでしょうが。。建屋に泊まりの遠隔地従事者は、じっと部屋にいるよりは仕事をした方が良いとも思うでしょう。私自身これまでの数年間の中の休日(煮込みが休み)で、だいたいのところは行き尽くしましたので、油代もかかるし仕事してる方がそれだけ工程も進むということで結構なことです。

 

釜

バーナーの調子も良く早めの時間に沸騰しています。早めに煮込みが始められるのはありがたいことです。とはいえ煮込みといってもドンドンと草を放り込むわけでなく、ここで10分待つとか、ここでエアを放つ(コンプレッサーによる攪拌)とか決まりがあり、煮込み完了まで2時間ちょっとかかります。そして火を止め10数分待ってから全体のエア攪拌を念入りに行って、下に張り付いた草を上へ剥ぎ取り上げて、その日の工程は終わります。

 

煮込み終了後に夕方早めに寝て、今度は深夜11時から釜からバケットで舟の濾過装置へ煮汁と草を丸ごと移し、布のフィルター、竹の漏斗で濾して、下に溜まった液を容器(モロブタ)にポンプで移し、冷めたところで包丁で切断します。これを野外に出して(天出し)、凍結と融解をくり返して棒寒天(角寒天)が出来上がります。写真は漉した液を注入したのが冷めて固まったところを切る天切りの工程です。3:40〜5:30までかかります。

 

キース・ヘリング美術館

さて、クリスマスの頃に天気が悪くて休みとなり、夏の野良仕事の時にラジオでお勧めと聞いてチェックしていた、キース・ヘリング美術館に行って来ました。八ヶ岳山麓ですが山梨県になりますね。

 

キース・ヘリングの作品

キース・ヘリングのことは良くは知りませんでしたが、単純で敢えてわかりやすさを全面に出しながら、いろんなメッセージを描き込んだ作家のように思います。美術に長けた審美眼など全く持ち合わせておりませんが、素人目線ながら美術館に行くのは好きですね。

ここ茅野市での出張時期の部屋にいるときの時間の過ごし方(そんなに何時間もありませんが)はほとんどがスマホでの調べ物や、美術館博物館で撮影した写真を細部までじっくり眺めたりすること、あとはマップでドライブ旅行や登山の構想を練ることくらいです。通信の状態も良くないし、WiFiもなく夜に映画を楽しむこともできません。そもそもが夕方5時に就寝しますし。

 

蛇を戴く土偶

キース・ヘリングから富士見町に行き着いたので、そうだルバーブの専門産直店舗へ行ってみようと向かいましたが、閉店。ここは3回以上来た気がしますが、開いていた試しがありません。張り紙があって、月に5、6日しか営業してなくて。まるでお店としての体をなしてません。ちょうど関係者が出てきたのでどうなってるのか訊いてみましたが、経営が変わって、Googleマップとかもアクセスもできず、営業の告知ができないが仕方がないといった話。まあもう2度と来ないかなと思いました。ここだけで売っているのは確かルバーブのビールだったでしょうか。

その後、駅前の600円の日替わり定食が有名なお店で日替わり定食を食べ、それから思い立って井戸尻考古館へ行ってみました。

写真は髪がヘビになっている土偶です。

 

始祖女神像

こちらは始祖女神像という土偶。この2点をみるだけでも訪れる価値はありますが、その他にもたくさんの土器等の展示があり見応えがあります。

 

八ヶ岳昔の絵図

続いて隣にある民俗資料館も訪ねます。八ヶ岳についての古い絵図、良いですね。

 

代掻き作業機

代掻き作業機、代馬用です。なるほど原理は同じですが、輪で羽爪を括ることで強度を保持してますね。

 

除草下駄

除草下駄もありました。左側の下駄は除草機の回転器具が付いていて、滑らせることで回転、除草になり、草を沈め込む鉄板と合わせ2つの機能を持っています。なるほど。

 

籾摺り機

籾摺り機は初めて見ました。

 

元日の寒天建屋

元日の寒天建屋です。本日の作業が終わった後に。

 

軽トラin寒天工場

崖の上のハンパなスペースに軽トラを停めています。煮込みが続き発車の機会が減っています。黄色い目印棒よりもミラーがバックに下がると、崖から転落になります。祠が見守ってくださっているでしょうか。

頑張ろう、1月。

 

 

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年末年始の長野から

年末年始はテングサの煮込みが3日休止となり、31、1日と出かけて来ました。1月1日の富士山は清里の辺りになりますが、八ヶ岳中腹にある美し森展望台という場所にて撮影しました(展望台へは駐車場から徒歩10分くらい)。

 

振り返ってその展望台から八ヶ岳を見るとこのような感じです。小海線沿いの南側から見た方が荒々しい姿は見られるので期待したのですが、真ん中の低い山がちょっと邪魔してますね。

年末の大晦日に赤岳登山をしましたが、30年も前ですが、小屋に荷物を下ろして山頂へ出かけた際にホワイトアウトで道に迷い、結構道も逸れたようで、ああ、これまでなのか、と思った時に、スッと一瞬前方の雲が取れ、山頂のピークを表す柱が見えました。一瞬なので他所を向いていたら見えなかったでしょう。それはすぐ雲に隠れましたが、その方向へまっすぐ歩いて無事山頂へ着きました。一瞬姿を見せた時、柱が十字架のように見えました。まだ生きていろとの啓示のように思いました。その夜山小屋のふとんの中で顎が痒くなり掻いているとボロボロ皮膚が剥がれてきて、凍傷になったんだとわかりました。正月明けの出勤時(出版社勤務の時代です)にはまだ黒い顎のままでした。。遠い昔の八ヶ岳の思い出です。

 

年末の庭仕事の風景、いわゆる天出しの作業です。私がモロブタに天を注いでそれを包丁で切り、運搬車で現地に運んだものを庭仕事の人たちが受け取って箱を配置し、カイリョウと呼ばれる台に並べていきます。

 

2週間ほど外で凍る溶けるを繰り返した天は「すどり」と言いますが、左の大型ザルに取り集めてハウスの棚で最終乾燥させて寒天が完成します。

 

29日の天出しで釜は休みに入り翌30日は草洗いなど水車の仕事をし、仕事納めとなりました。そしてその夜は忘年会ということで、庭仕事の人たちと一緒にお好み焼きを作り、長野の人たちに広島のソウルフードを伝授しました。いまは全国どこでもソース含め材料が揃います。特に小さいお子さんのいる家庭では、ホットプレートを囲んでお父さんが腕を振るう。うけること間違いなしですね。

 

山下清の美術館がすぐ近くにあり最近知りまして、31日に出かけて来ました。いいですね。貼り絵。身近な素材で生活感もあって、また長野にも縁があったんですね。カレンダーを買って、ポストカードもプレゼントにもらって来ました。末娘への土産です。

 

続いて諏訪の片倉館へ行きました。午前だし風呂は別に大丈夫でしたので400円払って中を見学しました。

遥か昔ですが信州大学に合格が決まった時にすぐに信州の旅行のガイドブックを買い、そこにあった片倉館の画像がずっと残っていまして、訪ねてみた次第です。が、建物の中は特にどうということもなく、建物の外観の写真だけで十分でしたかね。もちろん大多数の人は千人風呂に入りに訪れます。

旅行ガイドブックの表紙にあった安曇野の碌山美術館も頭の隅にこびりついていた画像でしたが、ここも既に寒天出張2年目の時の帰りに立ち寄っています。

 

片倉館の中に入ったから案内表示で気づいたのですが、守り熊という彫り物が外壁に施されていて、面白かったですね。

 

その後には塩尻を経由して、木曽の入り口である奈良井宿に出かけて来ました。妻籠も馬籠も行っておりますが、それらより建物の並ぶ街並みの距離はこちらが長い気がしました。岩手にはあまりないストリートでしょうかね。旅行者気分を味わって来ました。雨で寒かったですが。。

 

さて、この奈良井宿の中で事前にスマホで調べた際に気になっていたマリア地蔵を探し、ちょっとわかりにくかったですが、見つけることができました。なぜかこのような古い像には惹かれるんですね。岩手にもマリア観音像があります。旅行者たちには全く関心を持たれていないようでしたが。。

 

見つかった時には既に首はなかったようです。抱かれた赤子の手に持つものの先端が十字になっていることから、マリア像ではないかと言われ、ここ山深い木曽の地にも隠れキリシタンの信仰の姿があったことに感慨深いものを覚えました。キリシタン自身の手では首を落とすことはできなかったのではないでしょうか。全くの事故かもしれませんし、意図があった行為だったかもしれません。

これで大晦日の旅は終えて、木曽と伊那を結ぶ権兵衛トンネルで伊那に出て高遠経由で杖突峠を通って夕方4時には寒天宿舎に着いていました。遠いドライブに見えて岩手よりは狭いのかと感じました。

翌1月1日には八ヶ岳に中腹を清里方面へドライブして富士山も眺め午後1時には帰って来ていましたが、廃村になった稗之底古村址も途中探索していて、これについてはまた改めて投稿します。

大変な勤務である寒天煮込み作業もまだ中盤に差しかかったばかりで2/5くらいです。こちらでは少量の米の出荷しかできない不完全な農家ですが、2月上旬には岩手に戻ります。今年も何卒宜しくお願いいたします。

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もうじき農家に戻ります

天出し作業

寒天出張もあと1週間となりました。

 

家路へと旅立つ当日の感覚というのは独特のものがあります。昨日まで延々と続いた作業の日々がなんだか急に遠い日の記憶のように変わり、かといって自宅での生活はまだちょっとピンときていなくて、どっちつかずの浮遊感。私は自由だ、という感覚。

 

移動の間の短い期間のみの貴重な気分と言えるかもしれません。町に入り家が近づいてくると、もう以前の意識に戻りますから。

 

今年は暖冬で、何度か寒天の煮込みが休止となり、草を洗う業務ではなく慣れない庭仕事もやりました。暖かい日が続く中に煮立ての生の天出しをすると、寒天にならずダメになってしまうそうです。

 

この寒天作りで一番技術を要するのがモロブタに入った生天を取り出して改良台に載せる「天出し」作業でしょう。折らずに素早さも求められるこの作業は難しいです。

 

 

雪のため積む

吹雪もありました。沢内では日常茶飯事のフキもこちら寒天の里では一冬に1〜2度あるかないか。風が強い地方では寒天やそれを載せるムシロが飛んでいってしまいます。諏訪地方が産地なのはもともと風が弱いというせいもあります。

 

でも写真を撮った頃にはもう雪もへたってましたが。

 

 

シンビズム展

寒天作業に来ている画家の方の情報で、美術展にも行って来ました。茅野駅そばの市民会館です。アート的な要素は常に自分の農業に対する思いの中に位置付けていたいと感じています。この作品は会館の外庭にあるオブジェですが、この作家は田んぼもやられており、稲やその作業に創作の源泉をお持ちのようでした。「シンビズム展」という展示で信州の新しいアートの動向を表す造語のようです。

 

 

茅野駅前

茅野駅前です。松本から大学1年の夏休みに蓼科グランドホテル滝の湯でアルバイトした時もここで下車したし、東京時代に八ヶ岳登山に来た時もここの駅でした。冬に赤岳山頂付近でホワイトアウトに見舞われて頬に凍傷を追ったこともありましたね。とはいえあまりこの茅野駅の記憶はないんですよね。確か昔はMount8と駅舎にロゴマークがあったような。。ただこちらの方に訊いても知らないようで、私の記憶違いかもです。

 

夕方からはテレビを見て過ごすことが多いです。いま家にテレビを置いてなく、テレビ以外の生活を大事にしているのですが、こちらでは一人だし、最近は情報番組も多いので、まあ楽しんでいます。特に土曜日の「子ども博士」の番組は好きですね。地元局制作の特集番組は必ず観ています。

 

最近は記憶喪失の方の身元を視聴者からの連絡で探すという番組を興味深く観ました。中でも、幼少期の記憶はあるのだが、現在の身元がわからない記憶喪失者として保護されたという方の報道は、考えさせられることが多くありました。

 

本人は父母がなく叔母に育てられて、虐待も受け学校にも通っていなかったという記憶をお持ちなのですが、テレビを観た母親という方から連絡が入り、実際は親もあり、大学まで通ったそうです。そしてスタジオでその話を人ごとのようにご本人は聞いている。

 

素人が思う素朴な疑問ですが、一般常識や日本語も失われず、正常に流暢な日常会話はできる。ただ自分が何者かがわからない。「日本」や「ラーメン」「愛」は理解できていて、しかし自分が誰かだけがわからない。しかもそれでいて幼少期に過ごした部屋や自分を虐待した人物の顔が光景としてしっかり根付き自分の経験になっている。しかしそれは実は想像の産物だった。いったい「自己」とは何なのか、突きつけられた思いです。

 

視聴者からの連絡でカメラマンだった方もいましたが、ご自分では過去から現在まで全く記憶がないそうです。でも「カメラ」や「シャッター」はわかるはずですね。しかし職業上使っていたはずのカメラ関係の専門用語は記憶がないことになるでしょうか。それがわかると自己の自覚まであと一歩と思えますが、触れられていません。

 

そもそも一般の知識とはすべて自分の経験で獲得するものとも思えますが、学校や本とかで習った「寒天」は覚えていても、この製造所で獲得した「天切り」や「モロブタ」は自己の経験とあまりに密接なため忘れることになるのでしょうか。あるいは、なぜか私はこの青いモロブタのことを使用法まで含めて知っているが、私は寒天を作っていた人物だという記憶がない、ということになるんでしょうか。

 

イマヌエル・カントという人は、すべての認識の根源には統覚という自己の意識があると述べていますが、こうした根源的な統覚能力により、日常的な認識判断だけでなく、全く別の現実にない経験を脳内に構築することがあるのでしょうか。観念論的に。不思議な現象と思いますね。すべて自己の認識能力が知識を形成する以上は、大雑把に言って、自分の経歴に密着する知識と一般常識の知識とに線引きはできないように私には思えるのですが。。当たり前のことですが、痴呆という現象とは全く違いますね。

 

いずれにせよ、もし私がいま私の経歴だと信じていることが、周囲の100人から揃って一律に違うと告げられたなら、私は私の思い込みで自分の記憶を捏造していた、という思いに自分自身なるかもしれないですね。自分の過去も解釈の賜物という気もするし、自分の経歴の理解というのは、刻一刻と再構成されて自覚されているのではとも思います。

 

wifiのないギガ難民の暮らしももう少しです。こちらでは月末になるとギガ使用が次のステップにならないよう節約せざるを得ず、モバイル禁止で我慢です。

 

天カスを表面の乾いたところを剥ぎ取っては肥料袋に詰めていく作業をしつつ、積雪がないことを確認して軽トラの幌を張る作業のタイミングを図っています。

 

もう少し頑張って全うしたいと思います。