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寒天煮込み開始です(長野にて)

岩手から500km離れ、八ヶ岳の麓、茅野市に来ております。11月24日到着なので20日くらいは経過したでしょうか、今年も伝統製法の寒天製造所で煮込みの業務を担当しています。

始まってしまえば、長時間の淡々とした労務が延々と続き、決して楽な仕事ではありません。楽しみと言える部分は来る時と帰りの移動の旅時間ということになりますか。

 

長野市で1泊した後に茅野市へ向かうのに、これまで大町方面へ行っていなかったので、ちょっと遠回りで向かってみました。信州大学1年目の6月頃、こちら青木湖へ来た記憶があります。いまはあまり言われないかもしれませんが、当時「思索の湖」といった表現がされていて、鬱蒼とした静寂なイメージであろう湖を見たくなって出かけたのでした。

ニーチェのツァラトゥストラではないですが、そもそも長野県のような山岳高地で思索して過ごしたいといった感覚が大学文学部の原イメージみたいに感じていた高校時代でしたし、その思いが現実に叶ったわけでした。

 

こちらは連続している中綱湖です。釣りで有名だったような気がします。

 

すぐそばには大糸線の「海の口」という駅。海という言葉が長野にはあり、小海線とかもですね。

 

長野市では素泊まりでしたので、近所にモーニングを食べに行きました。何か昭和のイメージがありますね。いまはコーヒーと朝食という場合では、ハンバーガーの店かドトールみたいなところに行くのでしょうが、いわゆる喫茶店に行く機会もないし、いいですよね、モーニング。「ブルーリボン」という昔ながらのお店で500円でした。

 

こちらは後日、気温がどうも高いということでテングサ煮込みが休みになって軽トラで出かけた時の食事です。長野県ではかつ丼はこのようなソースかつ丼が主流のようです。

 

そして寒天の煮込みが開始しました。釜の底部分が新調され、去年見られたバーナー部への漏れはなくなりましたが、樽の板は古く、こちら脇からの漏れはあるのが難点です。。水を一気に貯めると漏れるので、少しずつ水位を上げ湯気で板の隙間を封じながらお湯を煮るのです。

煮込みがおしまいの2月10日頃まで先は長く、ただ無心で仕事に向かうばかりです。暮らしの楽しみ的な時間がないので、出かけたりゆっくり夜の時間を過ごしたりという感じではありません。酒造りや炭焼きなどもそうかもしれませんが、火にかけて仕込む作業というのは、どうしても昼夜を問わないつきっきりの作業工程になるのでしょう。夕方も早く寝たいところですが、夜に噴火して吹きこぼれにならないよう、エアで撹拌をしっかり行い、寝て5時間後には起きまたエアを行うといった具合です。

その後はそのまま12時頃から舟にクレーンで煮汁を草ごと移し、布のフィルター越しに溜まっていく「のり」をモロブタにポンプで注入し、やや固まったところで21本に切って外に運び出し、庭作業の人たち10数名が改良と言われる台に並べる天出しに引き継ぐというものです。

 

庭では藁しきや「とかし」の設置も終わり生天の並べを待っています。写真はまだ始まる前の状態です。今日が9日目の煮込み。前年の煮込みは70釜でしたので、始まったばかりです。

まあ岩手の日常とは違った経験が得られますし、昔ながらの煮込みや天出し、庭での自然な製法は自分の農業にも通ずるし、少人数で大規模機械化を目指す国の趨勢にも逆行しますかね。

大規模農業の推進が農村コミュニティーの希薄化をもたらすみたいな議論が常套句みたいに言われますが、こうした伝統製法の寒天作りも、りんどうやにんにくとかの手作業の園芸品目、いわゆる手仕事産業も、結局衰退することにつながるのでは、ということが将来への懸念部分じゃないかと思いますね。地元でもりんどうは産地化しているので推進はするものの、主流は大規模機械を投じて有休農地を減らすそば・大豆等の土地利用型作物が勧められているわけで、りんどうも兼務していた人も、とても手作業のりんどうまでやっていられなくて、作物系に専念するケースが出ています。

こちらの寒天工場もあと何年続くでしょうか? 全国でここだけという一級の特産なので生き残ることもあるかもしれませんが。

寒天煮込みももう少し手作業の労苦を減らし機械化合理化できないかとつい思ってしまって、それは上に述べたことと矛盾する?と思ったりしますが。。

なおお米は玄米を持参しており、郵便局も近くあり出荷に応じております。亀の尾、チヨニシキ、いわてっこの3品をご用意できます。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

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もうじき農家に戻ります

天出し作業

寒天出張もあと1週間となりました。

 

家路へと旅立つ当日の感覚というのは独特のものがあります。昨日まで延々と続いた作業の日々がなんだか急に遠い日の記憶のように変わり、かといって自宅での生活はまだちょっとピンときていなくて、どっちつかずの浮遊感。私は自由だ、という感覚。

 

移動の間の短い期間のみの貴重な気分と言えるかもしれません。町に入り家が近づいてくると、もう以前の意識に戻りますから。

 

今年は暖冬で、何度か寒天の煮込みが休止となり、草を洗う業務ではなく慣れない庭仕事もやりました。暖かい日が続く中に煮立ての生の天出しをすると、寒天にならずダメになってしまうそうです。

 

この寒天作りで一番技術を要するのがモロブタに入った生天を取り出して改良台に載せる「天出し」作業でしょう。折らずに素早さも求められるこの作業は難しいです。

 

 

雪のため積む

吹雪もありました。沢内では日常茶飯事のフキもこちら寒天の里では一冬に1〜2度あるかないか。風が強い地方では寒天やそれを載せるムシロが飛んでいってしまいます。諏訪地方が産地なのはもともと風が弱いというせいもあります。

 

でも写真を撮った頃にはもう雪もへたってましたが。

 

 

シンビズム展

寒天作業に来ている画家の方の情報で、美術展にも行って来ました。茅野駅そばの市民会館です。アート的な要素は常に自分の農業に対する思いの中に位置付けていたいと感じています。この作品は会館の外庭にあるオブジェですが、この作家は田んぼもやられており、稲やその作業に創作の源泉をお持ちのようでした。「シンビズム展」という展示で信州の新しいアートの動向を表す造語のようです。

 

 

茅野駅前

茅野駅前です。松本から大学1年の夏休みに蓼科グランドホテル滝の湯でアルバイトした時もここで下車したし、東京時代に八ヶ岳登山に来た時もここの駅でした。冬に赤岳山頂付近でホワイトアウトに見舞われて頬に凍傷を追ったこともありましたね。とはいえあまりこの茅野駅の記憶はないんですよね。確か昔はMount8と駅舎にロゴマークがあったような。。ただこちらの方に訊いても知らないようで、私の記憶違いかもです。

 

夕方からはテレビを見て過ごすことが多いです。いま家にテレビを置いてなく、テレビ以外の生活を大事にしているのですが、こちらでは一人だし、最近は情報番組も多いので、まあ楽しんでいます。特に土曜日の「子ども博士」の番組は好きですね。地元局制作の特集番組は必ず観ています。

 

最近は記憶喪失の方の身元を視聴者からの連絡で探すという番組を興味深く観ました。中でも、幼少期の記憶はあるのだが、現在の身元がわからない記憶喪失者として保護されたという方の報道は、考えさせられることが多くありました。

 

本人は父母がなく叔母に育てられて、虐待も受け学校にも通っていなかったという記憶をお持ちなのですが、テレビを観た母親という方から連絡が入り、実際は親もあり、大学まで通ったそうです。そしてスタジオでその話を人ごとのようにご本人は聞いている。

 

素人が思う素朴な疑問ですが、一般常識や日本語も失われず、正常に流暢な日常会話はできる。ただ自分が何者かがわからない。「日本」や「ラーメン」「愛」は理解できていて、しかし自分が誰かだけがわからない。しかもそれでいて幼少期に過ごした部屋や自分を虐待した人物の顔が光景としてしっかり根付き自分の経験になっている。しかしそれは実は想像の産物だった。いったい「自己」とは何なのか、突きつけられた思いです。

 

視聴者からの連絡でカメラマンだった方もいましたが、ご自分では過去から現在まで全く記憶がないそうです。でも「カメラ」や「シャッター」はわかるはずですね。しかし職業上使っていたはずのカメラ関係の専門用語は記憶がないことになるでしょうか。それがわかると自己の自覚まであと一歩と思えますが、触れられていません。

 

そもそも一般の知識とはすべて自分の経験で獲得するものとも思えますが、学校や本とかで習った「寒天」は覚えていても、この製造所で獲得した「天切り」や「モロブタ」は自己の経験とあまりに密接なため忘れることになるのでしょうか。あるいは、なぜか私はこの青いモロブタのことを使用法まで含めて知っているが、私は寒天を作っていた人物だという記憶がない、ということになるんでしょうか。

 

イマヌエル・カントという人は、すべての認識の根源には統覚という自己の意識があると述べていますが、こうした根源的な統覚能力により、日常的な認識判断だけでなく、全く別の現実にない経験を脳内に構築することがあるのでしょうか。観念論的に。不思議な現象と思いますね。すべて自己の認識能力が知識を形成する以上は、大雑把に言って、自分の経歴に密着する知識と一般常識の知識とに線引きはできないように私には思えるのですが。。当たり前のことですが、痴呆という現象とは全く違いますね。

 

いずれにせよ、もし私がいま私の経歴だと信じていることが、周囲の100人から揃って一律に違うと告げられたなら、私は私の思い込みで自分の記憶を捏造していた、という思いに自分自身なるかもしれないですね。自分の過去も解釈の賜物という気もするし、自分の経歴の理解というのは、刻一刻と再構成されて自覚されているのではとも思います。

 

wifiのないギガ難民の暮らしももう少しです。こちらでは月末になるとギガ使用が次のステップにならないよう節約せざるを得ず、モバイル禁止で我慢です。

 

天カスを表面の乾いたところを剥ぎ取っては肥料袋に詰めていく作業をしつつ、積雪がないことを確認して軽トラの幌を張る作業のタイミングを図っています。

 

もう少し頑張って全うしたいと思います。

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伝統的寒天製造法

八ヶ岳博物館

明けましておめでとうございます。長野県茅野市の寒天工場の部屋(個室です)で正月を迎えています。

 

冬期間の短期決戦の仕事なので、クリスマスも正月も関係ありません。今日も普通に仕事を終えました。とはいえ今年は暖冬気味で休止期間があったことはお伝えしましたが、その際にもう半日の休みがあって、ちょっと気になっていた八ヶ岳博物館に行ってきました。

 

 

寒天設備

博物館では寒天についての展示があり、伝統的製造の各種道具が並べられていて興味深く見てきました。

 

いまでも私のいる工場では当たり前に現役で使っているものも多くありました。私は天草を洗うセクションにいますが、それは水車の仕事と呼ばれています。最初水を扱う場所ということで「水舎」といった意味かと思ってましたが、文字通り水車だったんですね。昔は水車で天草を洗っていたというわけでした。

 

 

釜

釜もありました。工場で稼働するのと全く同じです。1年目の赴任の時にいくつか写真を撮っており記事に上げておりましたが機会があればまた今回も撮影します。今年は釜を新調し、去年見られたような漏水は起こらないはずです。

 

 

改良ともろぶた

細かな器具です。右の台は「改良台」と書かれていて、よく写真でお見せしている寒天の載っている台です。なんでみんながカイリョウと呼んでいたのか納得しました。何からの改良なのかはわかりません。

 

 

天切り包丁

寒天の元の原液を流し込む「もろぶた」と角寒天に切る天切り包丁です。もろぶたはいまは青いプラスチックの箱になってます。

 

 

草洗いの木

これが水車で搗く石臼で、天草を入れ叩き、砂とかを取り除いたようです。水も混ざって行われたはずですね。いまは洗浄機で洗浄していますが、かなり砂は出ます。

 

 

釜の中

釜の底が見えるように桶を切ってありました。

 

ちなみに水は地下水で、大型のポンプで24時間汲み続けています。良い水が採取できない場所では寒天は作れません。

 

 

寒天製造法1

寒天製造の工程が書かれています。貴重なので掲載しますね。われわれの製法は天然寒天になります。

 

 

寒天製造法2

この地域がなぜ寒天作りに適しているかが書かれています。社長が言ってましたが、松本では暖かすぎ、軽井沢では寒すぎるのだそうです。

 

 

黒曜石

さて、2年前の赴任の時にも長和町の黒曜石の博物館を紹介しましたが、八ヶ岳一帯は黒曜石の産地であり、矢尻など武器の道具としてここから全国各地に運ばれたらしいです。

 

 

セキの高低差確認博物館の展示からですが、こちらは田んぼの用水路を掘った昔の人たちの様子の説明図です。沢内で聞いた話と同じだったので興味深く、掲載します。岩手でもこちら長野でも、水路(セキ)を作る時は松明を使って高低差を調整していたんですね。こちら茅野では、この明かりをこの前通行した杖突峠から見て平になる指示を与えたとか。

 

 

す取り

あったかくて釜で煮るのを止めた時、1度庭の仕事をやりました。改良に載ったほぼ完成に近いものを上の「す」に取る「す取り」作業です。寒天の載ったすを運搬車でハウスに運び、さらに乾燥を進ませて、完成します。

 

改良にはムシロ、新聞紙、白の寒冷紗、寒天の順になります。

 

 

りんご湯のニュース

夕方は早く終わりますので、地元のニュースを観ます。台風19号の話題を毎日目にします。長野市近郊のリンゴ農家さんには辛い年でした。今年の出来秋を期待して応援したいですね。