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寒天作りが終わり農家へ戻りました

釜の湯気

久しぶりに岩手から記事を書きます。2月12日の朝に寒天の私の作業が終わり、茅野市を発って、帰路に向かいました。

寒天の釜の仕事は前日お昼頃の草入れから始まり、エアコンプレッサーによる「棒立て」で釜の中の草を混和する作業を3回行って、それからクレーンで中身を舟に移し、朝方に濾過した液を箱(もろぶた)に注入して、それが固まるのを待って包丁で切って、箱を運搬車で庭に運ぶ、という一連の流れになります。

庭に運び終わって庭の人たちに引き渡して工程が終了となり、最後の煮込みもこの2月12日の朝の庭への運び出しを持って完了しました(午前8時過ぎ)。

 

クレーン作業

夜中から始まる作業は、先ほどの庭へ運び出して寒天として並べていく天出しの作業(10数人で行う)から逆算し、組み立てられています。リモコンでクレーンを操作して、舟に液と草を移すバケット作業は最初の大仕事と言えます(深夜12時から2時頃まで)。要はUFOキャッチャーのようなもんですが。

 

舟

バケットで釜から草と液を隣の舟に移します。白い布はコーヒーフィルターと同じ役目です。へりに草を置いていて、これは後に防波堤の役目になります(防波堤はまだ未完成です)。

 

満杯になった舟

バケットで釜から移し終える頃にはこのように舟は溢れそうになります。先の防波堤がないと舟の布どうしの隙間箇所とかから下層部に草が落ち混入していき、純粋な寒天の液に「オリ」として草が混じってしまうのをできるだけ防ぐためです。

 

舟下部のつらら

その舟の下層部がこちらです。舟には各セクションに竹製のフィルターが設置してあって、その上に布を敷きます。それで濾された液がこの部分に溜まっていきます。したたる液はこのように上部につらら状にもなっていて、鍾乳洞のような面白い光景を見せてくれます(コリコリした歯ごたえで旨い)。この撮影時にはもちろん液はなく、箱に全部出し終わって最後に溜まったオリを掃除している時に撮影したものです。

毎日が長時間にわたる辛い作業ではありました。終わっていま岩手へ戻っていますが、その戻ったあとの時間の経つのの早いこと。もう10日以上になります。夜10時半に起きて次の日の夕方5時に寝る作業は大変でしたし、この10日間は疲労回復の期間のようで、久々のパソコンに向かいながらゆっくりと過ごしています。とはいえ、除雪をしたり、籾摺り作業をしたり、そしてタラノメの作業を開始したり、にんにくの皮むき、決算と申告の準備をしたり、決して暇ではないんですが。。強風で切れた光ケーブルの修理に立ち会う日もありました。吹雪の中、業者さんがケーブルを修理して無事インターネットが復旧したのは嬉しいことでした。

 

松本ピカドン

今回の長野からの帰路では上田の「無言館」を訪れる計画でした。そのために松本を経由しますが、まだ、ありました。信州大学前の食堂「ピカドン」。広島の原爆投下を後世の松本市民に伝えるメッセージで名付けられたと思います。40年経ってるんですね。。八十二銀行も懐かしい。チキンカツカレーを食べました。

本当は信大の生協で昼を食べたかったのですが、駐車するのに時間がかかりそうで、今回はパスしました。学食の方が入っている人の数も密ですしね。

この前に、ルバーブを栽培されている農園を見学させていただいたのですが、それについては春以降また改めて記事にも挙げていきたく思います。

 

無言館

松本から上田に向かい、現在は無料になった三才山トンネルを越えて、無言館に到着しました。戦死した画学生の残した絵を収集している記念館です。多くは二十歳前後の絵画を志す若者の遺作が展示され、絵のそばにはその若者や絵についての説明が記されています。若い生命のほとばしりを感じますし、その後この人はまもなく突然の戦死を遂げるのだということを前提に絵に接するという鑑賞です。。

敷地内にはもう一つ別館もあって、そんなに広くはないのですが、1時間ちょっとかけて、この貴重な空間に滞在してまいりました。写真は撮ることができません。

 

無言館別館

無言館の第2の新館です。こちらも静寂な時間が流れていて、今朝までの次々と目前の作業に迫られて追われるように過ごした80日間から、すうっと意識が切り替わっていきます。ポストがあります。実際に配達されるポストではないですが、思いを書き連ねた手紙を投函することができる、そういうポストです。三陸にもこのようなポストがありましたか。いや、公衆電話でしたか。。

 

真田神社

上田市では、息子が高校受験を迎えますので、2年前の長女の時と同様、真田神社で合格祈願のお参りをし、お守りを買ってきました。落ちない城、不落城ということで受験の祈願も多いとかです。

そしてこの後はすぐ高速に乗って、その日の宿になっている新潟市に向かいました。夜の10時半に起きてずっと仕事をしてそのあとの夕方ですし、もう寝るべき時間に上信越道を高速運転するというのは、結構辛い行程でした。毎日5時間しか寝られませんでしたしね。10分くらいのうたた寝は休憩時間にしてましたが。上田から軽自動車でも料金が4,500円かかったので、距離としてはかなりあったということですね。何とか新潟市に着き、無事予約していたホテルに到着しました。

 

おまけ1カレー

おまけ1。寒天工場では食事は3食給食センターが配達してくれる弁当です(正月や日曜日は休みになるため、寒天の専務が弁当を買って届けてくれる)。金曜日の昼はカレーと決まっていまして、これは結構美味しかったです。最後の金曜日は出発でギリギリ食べれませんでしたが、ピカドンでチキンカツカレーを食べましたね。

ちなみに、天草を煮る釜の仕事は夜食が必要で、これは家から玄米を持参して、釜飯の素を買って味付けし食べておりました。

 

おまけ2バイキング

おまけの2です。新潟のホテルの翌朝の朝食バイキングです。盛り付けしてる時はもちろんマスク着用ですね。この後コーヒーとヨーグルトをデザートにいただきました。朝コーヒーが飲めるのは喜ばしいことで、寒天の時もコーヒーメーカーで作ってましたし(起きてすぐという意味で夜食を食べる23時過ぎに作ってましたが)、またホテルの予約でも大概はコーヒー欲しさに朝食付きにしています。もっとも道中にコンビニでもコーヒーは買って飲むんですが。。

朝これだけしっかり食べれば、コロナ禍での県外の移動になりますし、昼ご飯は無理になくても大丈夫です。結局はいろんな店に買い物で立ち寄ることにはなりましたが、昼は食べなくてOKで。。

これからの時期はタラノメに集中して、飲食店からの受注が厳しい状況下で、無事販売ができるよう努力していかなくてはなりません。これまで買っていただいていたお店の方にこれまでのようにどうでしょうかと電話をかけるのも、すごく抵抗を感じてしまいます。。季節のものと比べ、柔らかくて緑が綺麗なタラノメは需要もあると思いますし、冬の仕事の1部門として続けていきたいと思います。ちなみに、このタラノメがあるために寒天の仕事は2月上旬までにしてもらっています。庭で寒天の作業に携わる10数人は2月末あるいは3月初めまで外の仕事を続けております。最後の2月12日に出した天も寒天になるのはこの月末頃になるわけです。ただ、もう新たな「天出し」は13日以降はないですので、並行して庭の片付けも進めていくことになりますね。青森から赴任していた人たちもそろそろ帰宅時を迎えることでしょう。

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寒天を煮ています

釜
12月と1月は長野県茅野市で寒天作りに従事するようになり、4冬目となっています。これまで3冬はテングサを洗う役でしたが、今年はテングサを煮る釜仕事に変わりました。

大きな釜で毎日500kg(乾燥重量)の草を煮て、煮汁の生天を作っています。

写真は草を投入した直後の釜です。

 

舟

夜も深まり12時頃から昔からの舟にクレーンのバケットで草と煮汁を移し、布で漉して下部のコンクリート槽に液を溜め、ポンプでモロブタに流し込む流れです。

棒で吊り下がっているのは石を麻袋で包んだ重石です。これで草まみれの液から液だけを搾り込みます。

 

のりつぎ

上の舟から漉した液(ノリ)をポンプで吸い上げて、こうしてモロブタに注入し、約2時間くらいで固まり天になります。それを包丁で21本の寒天に切って、運搬車で庭に運び、カイリョウと言われる台に天出しします。あとは凍ったり溶けたりを繰り返して乾燥した角寒天になります。その間庭人たちはカイリョウを積んだり広げたりを繰り返す重労働を日々こなしています。

この天出しをしてからは庭仕事の担当になります。釜の仕事は深夜11時頃から釜より舟へ移す作業、3時過ぎから舟からモロブタに注入するノリツギ作業、6時40分頃から固まった天を切って庭に運ぶまでの作業、そして去年までやってました洗われたテングサを釜の前に搬入し準備を整えて、湯が沸いたところで草を投入する作業(午前11時頃から)、そして草が入り終わった後3回ですが棒で釜の底をつついて草が固着しないで流動するようにさせる作業(棒立て)に分かれます。棒立ては最近はエアーコンプレッサーを使います。

 

クレーン

クレーン舟移しに3時間、ノリツギと濾した草のカスのトラックへの積載で3時間、固まった天を切る天切りと草の搬入で3時間、草の釜への投入で3時間、棒立ては3回で1時間という感じです。

 

バーナー

あと2時間に1度バーナーを切って掃除してやることになっています。

何歳になっても新しい仕事に挑戦することは大事で、ついつい自分の流れでやっているのではないか、新しい学びや気づきから遠ざかっていないか、考えさせてくれる。

まずきつい長時間の作業になりますが、無事2月上旬まで勤め上げられればと思います。

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長野への旅路

華厳の滝

慌ただしく12月に突入しています。11月22日に岩手を発って、寒天作りの仕事に就くために長野へ向けて出発しました。ギリギリまでいろんな用事や事務作業、秋仕舞い、またタラノメ栽培室の外壁ポリカの張り替え作業など、もうクタクタになりながら、時間のなさに煽られながら、出発の日を迎えました。

横手市からずっと南下して今回は日本海に出ず、寒河江、喜多方、会津若松を経て鬼怒川温泉辺りを通過して、初めて日光へ行きました。日光駅前のビジネスホテルで一泊し、翌朝いろは坂を通って日光華厳の滝を見て来ました。なんともいえぬ風格というか重厚なたたずまいは印象に残る光景でした。

 

いろは坂

軽トラでいろは坂は厳しいものもありましたが、S字カーブを堪能して来ました。天気も良く、冬型で悪天の日本海側と異なり良い天気です。

 

男体山

男体山は日光の主峰でしたか。赤茶けた山肌が特徴なんですね。

その後、いろは坂を戻って足尾銅山の方へ向かい、前橋、高崎。この辺り道路も狭い一車線で渋滞気味です。車ものんびりノロノロ運転が多い感じでした。やっと郊外へ抜けて横川の釜飯(釜飯屋さんは昼時を過ぎていても大勢の観光客)を越えて、またもS字峠越えで軽井沢。白樺湖を越えて茅野市の寒天工場に到着しました。この11月23日より、冬の出張生活がスタート。江戸時代から続く伝統製法の寒天作りに従事いたします。

 

ワラシキ

翌日24日から仕事始め。稲刈りの終わった寒天予定地の田に大量に藁を敷いていくワラシキからスタートです。

東北の田のようにコンバイン等の轍に雨水が溜まってぬかるんでいるような田じゃありません。もともと冬場は降水量が少ない上に水捌けも良い田です。そうは言ってもこのワラシキで泥とかが付かない製造ができるわけですね。

こうした外の寒天作りは庭の仕事と言いますが、ここに寒天を並べていくための棚を設置していく準備作業があるわけで、実際に生天が外に出ていくまでは10日ほどの準備期間を要します。そして別工程で天草の準備、釜の準備も並行しており、次回はこの話題を報告いたします。

 

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もうじき農家に戻ります

天出し作業

寒天出張もあと1週間となりました。

 

家路へと旅立つ当日の感覚というのは独特のものがあります。昨日まで延々と続いた作業の日々がなんだか急に遠い日の記憶のように変わり、かといって自宅での生活はまだちょっとピンときていなくて、どっちつかずの浮遊感。私は自由だ、という感覚。

 

移動の間の短い期間のみの貴重な気分と言えるかもしれません。町に入り家が近づいてくると、もう以前の意識に戻りますから。

 

今年は暖冬で、何度か寒天の煮込みが休止となり、草を洗う業務ではなく慣れない庭仕事もやりました。暖かい日が続く中に煮立ての生の天出しをすると、寒天にならずダメになってしまうそうです。

 

この寒天作りで一番技術を要するのがモロブタに入った生天を取り出して改良台に載せる「天出し」作業でしょう。折らずに素早さも求められるこの作業は難しいです。

 

 

雪のため積む

吹雪もありました。沢内では日常茶飯事のフキもこちら寒天の里では一冬に1〜2度あるかないか。風が強い地方では寒天やそれを載せるムシロが飛んでいってしまいます。諏訪地方が産地なのはもともと風が弱いというせいもあります。

 

でも写真を撮った頃にはもう雪もへたってましたが。

 

 

シンビズム展

寒天作業に来ている画家の方の情報で、美術展にも行って来ました。茅野駅そばの市民会館です。アート的な要素は常に自分の農業に対する思いの中に位置付けていたいと感じています。この作品は会館の外庭にあるオブジェですが、この作家は田んぼもやられており、稲やその作業に創作の源泉をお持ちのようでした。「シンビズム展」という展示で信州の新しいアートの動向を表す造語のようです。

 

 

茅野駅前

茅野駅前です。松本から大学1年の夏休みに蓼科グランドホテル滝の湯でアルバイトした時もここで下車したし、東京時代に八ヶ岳登山に来た時もここの駅でした。冬に赤岳山頂付近でホワイトアウトに見舞われて頬に凍傷を追ったこともありましたね。とはいえあまりこの茅野駅の記憶はないんですよね。確か昔はMount8と駅舎にロゴマークがあったような。。ただこちらの方に訊いても知らないようで、私の記憶違いかもです。

 

夕方からはテレビを見て過ごすことが多いです。いま家にテレビを置いてなく、テレビ以外の生活を大事にしているのですが、こちらでは一人だし、最近は情報番組も多いので、まあ楽しんでいます。特に土曜日の「子ども博士」の番組は好きですね。地元局制作の特集番組は必ず観ています。

 

最近は記憶喪失の方の身元を視聴者からの連絡で探すという番組を興味深く観ました。中でも、幼少期の記憶はあるのだが、現在の身元がわからない記憶喪失者として保護されたという方の報道は、考えさせられることが多くありました。

 

本人は父母がなく叔母に育てられて、虐待も受け学校にも通っていなかったという記憶をお持ちなのですが、テレビを観た母親という方から連絡が入り、実際は親もあり、大学まで通ったそうです。そしてスタジオでその話を人ごとのようにご本人は聞いている。

 

素人が思う素朴な疑問ですが、一般常識や日本語も失われず、正常に流暢な日常会話はできる。ただ自分が何者かがわからない。「日本」や「ラーメン」「愛」は理解できていて、しかし自分が誰かだけがわからない。しかもそれでいて幼少期に過ごした部屋や自分を虐待した人物の顔が光景としてしっかり根付き自分の経験になっている。しかしそれは実は想像の産物だった。いったい「自己」とは何なのか、突きつけられた思いです。

 

視聴者からの連絡でカメラマンだった方もいましたが、ご自分では過去から現在まで全く記憶がないそうです。でも「カメラ」や「シャッター」はわかるはずですね。しかし職業上使っていたはずのカメラ関係の専門用語は記憶がないことになるでしょうか。それがわかると自己の自覚まであと一歩と思えますが、触れられていません。

 

そもそも一般の知識とはすべて自分の経験で獲得するものとも思えますが、学校や本とかで習った「寒天」は覚えていても、この製造所で獲得した「天切り」や「モロブタ」は自己の経験とあまりに密接なため忘れることになるのでしょうか。あるいは、なぜか私はこの青いモロブタのことを使用法まで含めて知っているが、私は寒天を作っていた人物だという記憶がない、ということになるんでしょうか。

 

イマヌエル・カントという人は、すべての認識の根源には統覚という自己の意識があると述べていますが、こうした根源的な統覚能力により、日常的な認識判断だけでなく、全く別の現実にない経験を脳内に構築することがあるのでしょうか。観念論的に。不思議な現象と思いますね。すべて自己の認識能力が知識を形成する以上は、大雑把に言って、自分の経歴に密着する知識と一般常識の知識とに線引きはできないように私には思えるのですが。。当たり前のことですが、痴呆という現象とは全く違いますね。

 

いずれにせよ、もし私がいま私の経歴だと信じていることが、周囲の100人から揃って一律に違うと告げられたなら、私は私の思い込みで自分の記憶を捏造していた、という思いに自分自身なるかもしれないですね。自分の過去も解釈の賜物という気もするし、自分の経歴の理解というのは、刻一刻と再構成されて自覚されているのではとも思います。

 

wifiのないギガ難民の暮らしももう少しです。こちらでは月末になるとギガ使用が次のステップにならないよう節約せざるを得ず、モバイル禁止で我慢です。

 

天カスを表面の乾いたところを剥ぎ取っては肥料袋に詰めていく作業をしつつ、積雪がないことを確認して軽トラの幌を張る作業のタイミングを図っています。

 

もう少し頑張って全うしたいと思います。

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冬仕事まだまだ続きます

水槽の草

寒天作りは正月も平常通り、三が日が過ぎたあたりでちょうど折り返し地点でした。現在40釜くらいが進んで、庭の寒天占有も3回転目に入っています。私は残すところ3週間余りとなり、210日頃に岩手に戻る予定です。

 

まだしばらくです。

 

この諏訪地方は角寒天製造が何軒かある産地であるわけですが、洗った草をこのように水槽に浸け、水の入れ替えを行う方式はこの製造所のみで、他は大きなミキサーのようなもので洗って、コンテナに入れた後は、これを水槽の中にバラで投入したりせずに、コンテナのままいくらか水に浸けた後は、そのまま釜へと送られるそうです。われわれのように一度カゴに入れた草を水槽に放ち、そしてまた水槽からカゴに詰めて釜に送るというやり方は二度手間だというのが定説だそうで。確かにその通りですね。

 

 

釜へ向かう草

ちなみに、乾燥した元の草を一晩水に浸けてから洗浄するため、洗浄機に入れる際に一度まずコンテナに入れて洗浄機に投入するので、実際は3度のコンテナ工程になります。

 

昔は、敢えて水の流れの中に漬けたりして、水流での水漬けを大事にしたそうです。水車で草を洗ったわけだし、その状態をできるだけ再現するために水槽への投入の手間は大事にしたいんですね。水槽でもただ浸けっぱなしではなく、水を落として、また満水にし、をくり返し、夜はホースで各水槽に配水して、新鮮な水を流しつつ水の流れを与えています。水を抜くことで、草に酸素も供給されることですね。

 

 

水槽タコ足シャッター開き

こういう余計と言われる手間が寒天の良い粘りや風味につながるという考えからの手順ですが、他社ではやらないそうで。。

 

こうした工程の導入は農業で行われるいろいろな想いや努力といったことにも繋がりますね。モノづくりの原動力と思います。

 

 

カスの山

また、この寒天製造に働きに来ている近隣の農家は、この草を煮た後の出がらしのカスを社長にトラックで運んでもらって畑で使っています。ほうれん草とかぶどうの農家ですが、寒天事業者にとっては処理に困る廃棄物でもあり、他方、農家にとってはミネラルや微量要素に富んだ有効な、肥料というより土壌改良材になるということです。

 

 

広げたカス

今年は私もにんにくに使用したいと思い、カスを空き地に1台1釜分下ろしてもらいました。これを広げて、乾燥した表面を削って肥料袋に集めて軽トラで岩手に搬送するという計画です。1釜、乾燥で500kg
の草が煮られたあとですから2t堆肥と同等の量です。残念ながら全部は到底軽トラには載りません。何百キロも走りますしね。

 

チッソやリン酸カリの補給を目的にするものではなく、寒天の目に見えないパワーをにんにくに注入したいと狙っております。

 

いずれ、こちらでの生活はあくまで副業だし、仮の姿ではあります。

 

今年の農業はこうしよう、帰ったら農閑期のうちに何をしよう、どこに行こうなどなど考える時間もたっぷりです。とはいえ、そういうとき肝心の子どもたちは学校行事満載で、思うように計画も立ちません。いつも思うことですが、行事による拘束が休日まで及んでいるため、なかなか家族としての私的なお出かけができなくなっています。イベントなどはいつの土日でも良いわけじゃありませんし。

 

学校行事のための送迎も当然のことして前提になっていますが、農家のように土日も関係なく、平日も遅くまで作業に当たっている者には送迎も重圧です。学校関係だけはなくて、農家の限られた時間でいろんなところに連れて行っていろんな経験をさせてやりたいし、コンサート、ミュージアム、山や海、動物園水族館、等々世界は豊かで広い。それが大半が学校の枠組だけで終わってしまうのは、考えてみれば残念なこと。。昔はこうじゃなかったとつぶやいたところで、そんな変わり者の父親の思いなど無関係に社会は進んでいきます。こういうことは当事者の子ども自身にも理解できないことです。

 


昔は学校から帰ると子どもたちで集まって野球や釣りをしたり、隠れんぼをしたり、友だちの家で漫画を描いたりしましたが、そういう子どもの発案で夕方や休日を過ごすことは希少となり、学校や社会が用意したメニューに従って子どもたちは行動します。少子化で近所に子どもも少ないし、地域社会によるお膳立てがないとダメなんですかね。。

 

他方では一国の大臣が妻の出産に伴い育児休暇を取るとか。。しかも満額の報酬が支払われるとか。。

 

農家としてはびっくりな話ですね。家族に子どもが生まれれば、その分いっそう働かなくてはいけないんじゃ? 家族が増えるんですから規模を縮小するわけにはいかないし、逆に少ない人数で現状以上の規模の仕事量で二重に多く働かなくてはダメですよね。。もちろん家族のために頑張るぞという張り合いがあるからですが。

 


旦那の育児休暇などとは真逆な中小農家の声はマイナーで、ごめんなさい、かき消されてしまうグチでしかないでしょうが。。

 

孤独な個人事業者はひっそり寡黙に、ひたすら冬仕事でテングサの重い草をすくい集め続けるのみです。

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伝統的寒天製造法

八ヶ岳博物館

明けましておめでとうございます。長野県茅野市の寒天工場の部屋(個室です)で正月を迎えています。

 

冬期間の短期決戦の仕事なので、クリスマスも正月も関係ありません。今日も普通に仕事を終えました。とはいえ今年は暖冬気味で休止期間があったことはお伝えしましたが、その際にもう半日の休みがあって、ちょっと気になっていた八ヶ岳博物館に行ってきました。

 

 

寒天設備

博物館では寒天についての展示があり、伝統的製造の各種道具が並べられていて興味深く見てきました。

 

いまでも私のいる工場では当たり前に現役で使っているものも多くありました。私は天草を洗うセクションにいますが、それは水車の仕事と呼ばれています。最初水を扱う場所ということで「水舎」といった意味かと思ってましたが、文字通り水車だったんですね。昔は水車で天草を洗っていたというわけでした。

 

 

釜

釜もありました。工場で稼働するのと全く同じです。1年目の赴任の時にいくつか写真を撮っており記事に上げておりましたが機会があればまた今回も撮影します。今年は釜を新調し、去年見られたような漏水は起こらないはずです。

 

 

改良ともろぶた

細かな器具です。右の台は「改良台」と書かれていて、よく写真でお見せしている寒天の載っている台です。なんでみんながカイリョウと呼んでいたのか納得しました。何からの改良なのかはわかりません。

 

 

天切り包丁

寒天の元の原液を流し込む「もろぶた」と角寒天に切る天切り包丁です。もろぶたはいまは青いプラスチックの箱になってます。

 

 

草洗いの木

これが水車で搗く石臼で、天草を入れ叩き、砂とかを取り除いたようです。水も混ざって行われたはずですね。いまは洗浄機で洗浄していますが、かなり砂は出ます。

 

 

釜の中

釜の底が見えるように桶を切ってありました。

 

ちなみに水は地下水で、大型のポンプで24時間汲み続けています。良い水が採取できない場所では寒天は作れません。

 

 

寒天製造法1

寒天製造の工程が書かれています。貴重なので掲載しますね。われわれの製法は天然寒天になります。

 

 

寒天製造法2

この地域がなぜ寒天作りに適しているかが書かれています。社長が言ってましたが、松本では暖かすぎ、軽井沢では寒すぎるのだそうです。

 

 

黒曜石

さて、2年前の赴任の時にも長和町の黒曜石の博物館を紹介しましたが、八ヶ岳一帯は黒曜石の産地であり、矢尻など武器の道具としてここから全国各地に運ばれたらしいです。

 

 

セキの高低差確認博物館の展示からですが、こちらは田んぼの用水路を掘った昔の人たちの様子の説明図です。沢内で聞いた話と同じだったので興味深く、掲載します。岩手でもこちら長野でも、水路(セキ)を作る時は松明を使って高低差を調整していたんですね。こちら茅野では、この明かりをこの前通行した杖突峠から見て平になる指示を与えたとか。

 

 

す取り

あったかくて釜で煮るのを止めた時、1度庭の仕事をやりました。改良に載ったほぼ完成に近いものを上の「す」に取る「す取り」作業です。寒天の載ったすを運搬車でハウスに運び、さらに乾燥を進ませて、完成します。

 

改良にはムシロ、新聞紙、白の寒冷紗、寒天の順になります。

 

 

りんご湯のニュース

夕方は早く終わりますので、地元のニュースを観ます。台風19号の話題を毎日目にします。長野市近郊のリンゴ農家さんには辛い年でした。今年の出来秋を期待して応援したいですね。

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寒天作りの準備作業

聖湖

長野県へ来て1週間。旅はあっという間に終わって、ひたすら仕事の日々になっております。長野入りした1124日は天気も良くぽかぽかの陽気でした。長野市から松本への途中にある聖湖は実に美しいたたずまいでした。

 

気温が高かったのでヘラブナの食いも良かったことでしょう。数分間いただけでしたが、竿が満月にしなっている光景も目にできました。

 

 

わら敷き

寒天づくりの最初の工程は、田に敷き藁をする作業から。コンバインで刈ったでしょうが、藁を長いままにし置いてあるものに加えて、他からも藁を運び込んで厚く敷き詰めていきます。ここで3月まで作業をするので、ぬからないように、寒天に土が付かないようにという目的でしょう。さすが寒天の産地だけあって、コンバインの轍に水など一つも溜まっていません!

 

 

棒組み

次いで杉の棒を運び入れ杭を打ち、杭の上に棒を乗せて紐で固定して、その上に寒天の乗る台(カイリョウ)を片方だけ乗せてもう片方は地面に置く。正確に南向きに棒は配置してあり、杭の高さは日光を最大限効率よく受けられる角度に設定します(文章ではわかりにくいので、後日写真で示します)。

 

こうした準備にすでに1週間。もうじきテングサを洗って煮て庭に(この田んぼ)出していく本作業が始まります。

 

お米などのご注文は通常通りお受けして、自宅より発送させていただいております。スマホはやはり必需品です。WiFiがなくギガを使わざるを得ないのが難点です。。