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田植えが終わり管理作業の日々

田植え後の亀の尾

5月の連休以後、農繁期に入っておりますが、5月は降雨続きの毎日で、土が乾かず耕耘作業にとても難儀した春になりました。とはいえ、田の方は、耕耘(田おこし)はこなれた土が求められる畑作りと違って、どうとでもなりますし、代かきや田植えは雨の中でもできますので特に支障はないのですが、切り花りんどうも栽培している当園では、去年まで水田だった圃場を春の5月にいきなり細かく砕土した畑にするという毎年の新植分床作り作業。。それは雪解けが遅く春も低温で雨の多い奥羽の山中ではいつも難事業で、6月第1週に苗が搬入される時期までにりんどう定植圃場の畝立てまでをやり終える課題に直面して、いつも憂鬱な気分になりがちです。。今年はまさにぬかるんだ畑作りになった年で、1週間くらい前までりんどう苗を植え付けていましたが、マルチの穴のボコボコの土をかき回して、そして通路のボコボコを手でほぐして、プラグ苗を土の隙間がない状態に密着して植え付けていくという、近年では状態の悪い中の作業になりました。こういう時に、ラジオとかで、県内平野部からの投稿で「畑におしめりの雨を待ってます」などの文言を聞くと、雨の多い当地ではイラッと来たりする、そんな、全体としてはいつものような5月でした。

 

除草機作業中

とはいえ、田植えも終わり、今年も量では亀の尾、ササシグレ、ひとめぼれの順に植え終えて、6月のいまは畦畔農道の草刈りと、水田の除草機をかける時期になっています。りんどうの芽かき草取り作業、タラノキの管理作業などの合間にですが、水田除草機で十分に除草をするためには、土を露出させて固くしてしまってはダメですので、深水にし、田面を柔らかく保ち、除草機もただ条間をまっすぐ一直線に進むのではなく、稲の株に接触するくらいジグザグに満遍なく動かして除草を行うことになります。この時期の稲は除草の回転器具が接触しても大丈夫で、植わっている稲ギリギリを攻める手法で分げつも誘引され、生育効果も上がると言えましょう。エンジン部分は背中に背負うタイプの刈り払い機で、ポールの先端にアタッチで取り付けるタイプの3条の水田除草機です。

 

亀の尾(6月27日)

西和賀町沢内の今年の稲の生育は遅れています(写真は6月27日)。関東以西(あるいは東北南部より南)で時折り「真夏日」のニュースを目にし、農家や評論家が猛暑による白濁米や減収を心配する声を報道したりしていますが、当地はなかなかそうした暖気の恩恵に預かる日は少なく、現在のところでは、さすがに今日は暑かったなという日も最高で28℃弱が1日あったかなと思います。うちの田に限らずですが分げつがなかなか進まず、現段階では茎数確保に不安があります。有機稲作のテキストなどで関東以西をモデルにした記述になるのでしょうが、例えば太い大苗2本植えで、といった推奨がこうした寒冷地ではあまり参考にならないことを痛感します。大きく太い苗ができればそれは良いことですが、苗作りの時期もまだ周囲には雪があり、地温自体が低く、まず芽出しまでの温度確保が最初の難関で、実際に出芽率も下がる傾向がありますし、薄まき推奨の苗箱作りは確かに危険です。結果、田植え後に目立つ欠株を長時間の手植え補植で補うような形を何度もくり返して来ており、毎年が気象との戦いの日々です。例外的に、昨年に関しては播種後に気温が高めで出芽も良かったですね。雪解けも早くて春のスタートが早く、作業的にも余裕を持って進められたし、夏も良い高温でお米も良く穫れました。その分、平年並みの遅めの消雪と冷涼傾向が続いた今年は厳しさを余計に感じるところです。りんどうの開花も遅れるのではという声が聞かれます。

稲の除草作業も終盤になってきました。除草機で掻き回して雑草を浮かせて退治する手法ですが、浮いた雑草が地面に再び着地しないように、浅水管理がセオリーの一般論に逆らって、深水を続け、かつ土を柔らかい状態にキープします。以前からの水田と、小麦やにんにくから転作した水田では雑草に違いがあり、やはり水田を長く続けている田はヒエやコナギが多いです。水面下の小さいコナギは除草機で浮かせてやれますが、水面から顔を出した雑草は除草機では取りきれず、手取りになります。手取り除草は厄介な作業ではありますが、重い除草機をジグザグに時間をかけて進ませる重労働の機械作業と比べて、どちらが楽とも言い切れません。気軽に毎日1時間手取りしよう、と空身で気軽な気持ちで田に入る時間を取りながら、雑草の多い箇所を集中的に歩いて、あと少しに迫った中干しまでの除草期間を乗り切りたいものです。一様に全部をくまなく作業するという除草機械的発想ではなく、草の多い箇所を選んで手取りするというやり方になります。100%を目指すことは不可能ですし、どう効率的に除草するか、でしょうか。

なお、いまは今年からの第6期中山間直接支払交付金の新年度に入り、役員としては役場に提出する書類作りにかなりの時間を取られています。いちばんは協定に入れる農地面積の確定ですが、それ以外にも面倒な書類がいっぱいあり、つくづく役所書類は苦手です。。朝からいきなり強い雨の日とかは諦めて1〜2時間PCに向かいもしましたが、目の前に迫る農作業を犠牲にもできず、夜間や朝食後とかに少しずつ小刻みにやるしかないのですが、本当にやることが多いです。消防の行事もあるし、りんどう関係の役員会やらいろんな集まりで、小規模農業経営者は本当にあれこれ多忙ですよね。全部一人でこなしますので。今夜も結局ブログ記事を書いてしまい、中山間事務は明日に先延ばしにしました。

 

南部小麦(6月27日)

南部小麦が色付いてきました。岩手の平野部ではいまはまさに刈り取り期で、晴天の今日などあちこちで刈り取っていることでしょう。西和賀は岩手の標準的地域に比べ2週間遅れます。消雪の遅さと春の低温が原因ですね。今回は40cm間隔で播種したことが良かったのでしょうか、昨年晩秋の好天が幸いしたのでしょうか、とても良い状態で、多収が見込まれます。とはいえ、いまは小麦の大敵である赤カビ病の発生時期です。こまめに圃場を歩き見回って、疑わしい状態の穂を見つけたら穂を切って圃場外へ持ち出して処分します。南部小麦の刈り取りは、例年ですと7月10日頃になります。実際は水分の%で判断します。水分が高い状態で刈り取ると、ハウスにハセ掛けをするわけですが、その後の乾燥が進みにくい嫌いがあります。しっかりとした乾燥(30%以下)を確認してからの刈り取りがベストですね。

 

にんにくとアリーナ(6月27日)

にんにく畑とアリーナ小麦の圃場です。にんにくは球の肥大に直結するトウ摘み(主に八幡平系)の時期を終え、あとは収穫適期を待つだけですが、どうやら今年は稲と同じく、またりんどうと同じく、遅れているようです。もっと暑くなって欲しいと願うばかりですが、これまでの遅れが急速に取り戻せることもないでしょう。なお、にんにくですが、今年の雪解け時の4月22日と、試験的に1か月後の5月22日にマルチを剥がしました。春から収穫期にかけて、にんにくの根域にマルチで高温の環境を作っていると、割れ、裂球を生じさせる可能性があるそうです。西和賀はにんにくの収穫時までに30℃超えしたりすることはあり得ませんが、念のためマルチを剥がしてみました。4月に剥がした2列はすぐに籾殻をリビングマルチとして施用しました。が、5月22日にマルチを剥がした残りの畝は、籾殻を持って来て散布する時間も取れず、そのままで収穫期を迎えます。使用する籾殻自体は残っているんですがね。雑草の具合にそれほど違いもなさそうなので、来年からはまだそう忙しくない4月に全部剥がして、すぐに籾殻でマルチングしてやることが作業手順の上でも効果的と思いました。あるいは前年の根雪直前に剥がしても同じかもしれませんが。

アリーナ小麦は極晩生で、南部小麦よりもさらに2週間後の刈り取りになります。こちらは強力の品種で、南部小麦と違い穂の色が白がかった茶色になり、とても背が高いです。背が高いことで、穂の長さも南部よりありまして、収量は多くなるありがたい品種です(スイス原産の小麦でパンに向く品種です)。

 

山下氏圃場

ビニールマルチを早めに剥がしてリビングマルチへ、とのサジェスチョンをくださったのは、青森県で長らく県の野菜研究所でにんにくの研究に携わっておられたにんにくの専門家山下一夫さんとの情報交換で教えていただいた農法になります。当園ではセンチュウ害の出どころである青森県の農家からの種苗購入などで(あるいは岩手県内でも既にセンチュウ害を受けた種球の購入植え付けにより)、にんにくの収穫品にイモグサレセンチュウ被害を受けたという苦い経験があります。そしてそれをタネとしてりん片を植え付けることで、畑の土壌自身も、収穫される次のにんにく自身もセンチュウに感染させるという残念な状況に悩ませれていました(もちろん壊滅的な話ではなく一部のにんにくに被害が見られたということですが)。この山下氏の手によって、センチュウ感染したにんにくであっても、その生長点付近を冬の時期に切り取って培養し、最初に得られるそのひょろひょろした状態のネギのような苗を春に植え付けて秋に1片のセンチュウフリーのにんにく片を確保し、そのりん片を購入する、あるいはその優良種子片を植えてもらって翌年に6片の球の状態のにんにくを作ってもらって購入するなどしています。そして当然畑もこれまでにんにくを植えたことのない圃場に移して新規ににんにく畑とし、センチュウやあるいは厄介なウイルスの元となるサビダニ被害もフリーであるにんにくの生産を、当園ではいま達成しようとしています。キロ単位で出荷する量をその優良種優良圃場で生産するには時間もかかりました。昨年はさらに冬期の畑の冠水事故によって多くの優良にんにくが失われてしまったことも痛手でした。

上の写真はそのにんにく専門家の山下一夫氏の圃場に、田植え後の、そしてりんどうの新植苗の搬入をし植え付けがまさに始まる前の6月上旬に訪れて、圃場を見せてもらった時の圃場の様子です。上の写真ではマルチが見えますが、どの色のビニールマルチが畝内部を高温化させにくいかの試験だそうで温度計で計測していました。いちばん高温にさせにくいのがやはり白のマルチでして、次が緑、そして黒、最後に透明が一番温度が上がったようでした。

なお、それよりも氏のアドバイスで最も共感を得たのが、「緑肥の敷き詰め農法」というべき手順でした。写真奥に背が高く生えているのは緑肥作物です。私も小麦やにんにくでの休耕期間の7〜8月に緑肥を栽培しており、にんにく予定地は8月終わり、小麦予定地は9月初めにトラクターで漉き込んで、腐熟させ、にんにくや小麦を植え付ける、という工程を取り入れておりました。しかし、山下氏によれば、すき込みではなく、刈って、重ねて土の上に置く、という手法がミソになるようでした。これは自然農法の基本手法です。下手に耕耘したりするのでなく、刈った草を土の上に置く、それがリビングマルチとなりにんにくを保護するとともに、年数を重ねることでふかふかの土づくりに寄与してくれる。私など毎年小麦からにんにく、にんにくから小麦へと、緑肥を挟んで輪作しているものの、その都度耕耘をすることで、逆に、固い土壌を招いてしまっていたのではないか、耕耘をやめて積み重ねた緑肥の上から植え穴を空けてにんにくのりん片を秋に植え付ける。そのことにより山下氏はふかふか土壌を獲得し、翌年の収穫時もにんにくの茎が抜き難くブチっと切れてしまったりすることなく、柔らかい土壌ですっと力を入れずともにんにくが抜けていく土づくりができるのであると。山下氏は最初からビニールマルチなしで敷き緑肥で通しておられますが、より気温の低い西和賀では、またにんにく以外に作目が多く雑草が取り切れないことも考慮すると、秋の定植時には当園ではビニールマルチは必要です。当地では冬が早く来るためににんにく植え付けはとにかく早めにが鉄則になり、ホワイト六片など早く芽を出す品種は10月になってからの植え付けでは完全に遅い。10月になってから床作りをして植え付ければ雑草もそれほどではないでしょうが、9月最初などの時期に早く植え付けをすれば、やはり9〜10月に雑草は生えて来ます。9月の10日以降はりんどう彼岸出荷や、下旬になると稲刈りと小麦播種を迎えかなり多忙です。そのため9月最初ににんにく植えをするスケジュールではマルチ使用は欠かせないですね。

にんにくは連作はダメだと思い込み、当園では小麦との輪作をしていましたが、山下氏の場合、にんにく収穫後にスダックス等のイネ科の緑肥を蒔いて植え付け前に刈り倒してそしてにんにくを植え付けるのですが、そこでスダックス栽培が挟まれることでにんにくの連作が絶妙に回避され、畑をにんにくに固定しても連作にはならない。耕耘してしまわずに、自然栽培流に耕耘をしないことでかえって柔らかい土づくりを実現させてしまってもいる。見事だなと思いました。小麦で私が真夏の休耕期にマメ科クロタラリアを緑肥栽培していることも連作回避により雪腐れ等の病害を防ぐ目的で、それはにんにくでも同等なようです。研究所の研究員の経歴の方ですから、有機栽培や自然栽培に興味があるわけではありません。図らずも自然栽培の良い部分に出会って、それを活用しているということです。なるほど、ですね。

激務が続いた5月が終わって、ちょうど軽トラで遠乗りがしたくてウズウズと鬱積していた折に、八戸近郊の山下氏の圃場を見学させていただいて、さらに時間を忘れて遅くまで長居をさせていただきましたが、有益な時間でした。

農業について突っ込んだ会話ができることは時間を忘れ喜びです。いま現在、小麦を作付けしている当園では県の農業普及員が赤カビ病の観察のためによく訪れてくれます。その度にいろんな対話ができることは、一人で田畑に閉じこもって作業する自分には良い刺激、情報を得る時間になります。小麦の担当者は水稲の担当者でもあるので、稲の話もします。有機のことは専門外ですので、逆に私からも有機の話をして知ってもらいます。いくら日々の草取りや諸々の作業で立て込んで押しまくられていても、対話は大事な時間ですね。

 

蕪嶋神社

八戸近郊の山下氏の圃場を後にして、せっかくなので、ウミネコの繁殖地「蕪島」に向かいました。家とは逆方向で、帰宅は遅くなることは承知の上ですが、蕪島は見ておきたい。長年の希望でした。夕方で既に神社への階段は閉鎖されていて残念でしたが、山下氏との懇談が続いたからなので、それは仕方もなく、でも、十分に蕪島を楽しめました。光景としても美しいですね。

 

蕪島のウミネコ

浜辺にはいっぱいのウミネコ。良いですね。八戸に春から初夏に来られる機会があったら、ぜひ蕪島を訪れてみてください。

 

モミジイチゴ果実

当園では野いちご、木いちごの植え付けをしています。大した面積ではないし、趣味の域を出るものでもありません。オレンジの美味しい実をならせるモミジイチゴは最も惹かれるいちごです。いちばん最初はどれがそれか、どこにあるかもわからずに、フリマサイトで苗を購入したりしましたが、モミジイチゴ自体を知った後は、近所で見つけたりして、それを庭に移植したりしています。最初にわからずに購入することは教科書代、勉強代で、そこから実物を知り探究がスタートするのです。そうして植え付けたモミジイチゴが実を着けてくれました。きれいないちごですよね。外国にもあるかどうかは不明ですが、日本国内では最高の野いちごと思います。いつか増殖して商品化したら良いのか、趣味の域にとどめておくべきか、将来性は未知数ですが、こうした行いができることのために、都会から脱サラし、農家になったのですから、農家冥利に尽きるとも言え、こうした手間に時間は余計にかかるとは言え、楽しい残業タイムを与えてくれる存在ですよね。だから、やっていられるのでしょう。農業カテゴリー自体の中に楽しみがなければ、やっていられないでしょう。あとは月に2日の軽トラお出かけとです。

ちなみに、ベリー類は、ブルーベリーやラズベリー、ブラックベリー、ハスカップ、カシス、クランベリーやコケモモなど西洋のものもありますが、草イチゴ、クマイチゴ、エビガライチゴ、ノウゴウイチゴ、バライチゴ、フユイチゴ、カジイチゴ、ナワシロイチゴ、ニガイチゴ、ホワイトピーチベリー(これは国籍不明)があります。木ではジューンベリーなどいまが食べ頃になっていて、庭でイチゴの実った姿を目にするのは楽しいものです。

 

Googleマップ
Screenshot

余談ですが、最近はPC等で一番よく楽しみに使っているのがGoogleマップです。中山間交付金申請でいまはアプリとしてはエクセルに最も向かっていますが、息抜きの「空想軽トラ旅」にGoogleマップは良き友です。たまたま家の近くをストリートビューで見てみたら、草刈り作業中の自分の姿が。。。小麦やタラノキの圃場を刈っております。いま現在、りんどうの早生品種の草取りと芽摘み作業が最優先で、この写真の圃場の草刈りはその後にすぐやりますから、もう少しお待ちくださいです。田んぼや小麦やその他広大な面積の草刈りと園芸品目の株の近辺の精密な草取り、そして田の除草とキリがありません。おいしくてボリュームもある定食の店はないかな、大雨が降って買い出しに出た時とかに、どういうスポットを訪れようかな、などついGoogleマップに逃げたりしながら、草との戦いと諸々の管理作業、そして地域の交付金のための事務作業をこなす日々が続いています。

 

天峰山・桂松院

先週のことですが、買い出しの用もあり盛岡へ出かけまして、その時、まあ命の洗濯と言って良いでしょうか、久々に盛岡からR455で岩泉方面への国道を走りました。天峰山・桂松院という地点をGoogleマップで見つけて、訪れてみまして、草の中、仏像と紫の衣を羽織った石仏さんの佇まいを見てきました。こういうあまり人々が訪れないスポットを見つけてさりげなく訪れるのが好きです。

 

天峰山から盛岡岩手山方面の眺望

天峰山というのは知りませんでしたが、R455から北へ入ったところに展望台がありました。外山という地域です。放送局の電波塔らしきものもありました。息抜き、は大事です。こうした場所を目指して走り、無心になる。こうして日々の激務も乗り越えられれば、です。

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稲作が終わり新米の季節へ

稲刈り2024

7月と9月に大雨があって、多雨多湿の2024年夏でした。気温は高かったと思いますが、晴天の印象が薄く、天候的には恵まれたとは言えないシーズンだったでしょうか。切り花りんどうなど園芸品目に病害が出て収量を落としましたが、いつもりんどうとお米は反対になり、今年の稲作は、大雨にもめげず病気にならないで平年よりは多収であったと思います。9月には雨が多かったものの、幸い稲刈り時期の下旬は田も割合乾いていて、去年のようにバインダーが進まないということはありませんでした。もちろん水のある中を用心して刈り進んだ箇所はありました。

 

稲扱き2024

脱穀の時期は割と秋晴れが多くて、今年は良い稲扱きができたと思います。とは言えこちらは気温の低い地域ですから自然乾燥に適しているとは言い難く、外のハセで15%まで水分を下げるというのは厳しいですね。三陸沿岸部とかで遅くまで掛けている風景を見たりしますが、長期間掛けていれば干せるだろうと思われますが、そうもいかなくて、特に11月に入って冬型の気圧配置になってくると、気温も低く小雨が多いぐずついた気候になってきます。籾の水分も下りはしません。10月中の取り込みは必須です。

 

ハウス稲の脱穀2024

そんな地帯ですので、この18間のハウスにも稲を掛けています。4mパイプ4段2連結が2列です。麦の乾燥の時は夏だし真ん中にもう1列作りますが、秋の稲の時は風通しの悪くなる中央部は設置せず2列で行います。それでも4段の下から2・2・1・1の束を掛けますし、ハーベスタに付けているメッシュのコンバイン袋ですが、ここから8袋穫れました。

 

わらカッター2024秋

外に干した通常の稲の脱穀後のわらは畜産農家さんに持って行ってもらいます。そしてこのハウスに掛けたわらについては、わらカッターで田んぼに戻します。ハウスには亀の尾を掛けていましたので、背も高くて効率が良いです。この意味でも長稈品種は助かります。ただ、このわらカット作業は結構体力を消耗します。通常田んぼは水を張っていて平面であるというイメージがあるかもしれませんが、それは慣行の農薬を使う人の田の話で、われわれは何度も除草機かけで田の中を歩きます。長靴の足跡で条間はボコボコになっています。なのでバインダーで刈る時もぶれそうになる動きを制御しながら刈っていきますが、バインダーはエンジンで走行します。このわらカッターは自走せず、エンジンは藁を切断し飛ばすための動力です。タイヤは一輪車に付いているようなタイヤで、自分で押して動かすので、これでわらを田の中で均一に散らかるように移動したり角度を変えたりして飛ばすのは結構力がいるのです。ちょっとした長靴の凹み跡でももう前進できません。むしろ移動は引っ張ることで行います。小さめの田で2枚に散布しました。ハウスに掛ける稲は5〜6アール分の稲なので、わらの量の入り具合は薄めになりますが、やはり毎年少しずつでも田んぼに還元したいものです。ハセ掛け栽培は稲わらを持ち出してしまうので。。

 

小麦の中耕除草

天気の良い日には小麦畑の中耕除草をします。今年は40cm間隔で播種しておりましたが、管理機とちょうど合っているようです。秋のうちに一度こうして除草しておくことは大事です。雪解け後の5月頃にも2度目を行いますが、やはり雪の押されて土も硬くなっていて、それほど綺麗に土が飛んでいかないのです。

 

南部小麦10月27日

10月27日の播種後約1か月後の南部小麦です。今年の秋は高温傾向だったため、秋に植え付けをするこの小麦やにんにくはとても生育が旺盛です。いつもとは違います。ああ、同じ岩手でも東北でもここより気温の高い場所は多いというかほとんどなので、みんな当たり前のように秋にこれくらいの生育になっているんだ、とつくづく感じます。こちらではそれが今年限りのラッキーな状況だということですかね。小麦の場合寒冷なのは悪いことじゃありませんが、早い根雪で年内の生育が早く終わり、遅い雪解けで春の再開が遅れることは結構ではありません。要するに雪がネックになるのが小麦栽培で、春先の雪腐れ病も原因は雪です。

雪腐れ病の対策は、連作をしないことと積雪前の年内の生育をしっかり充実させること、のようです。小麦と輪作できるのはにんにくくらいですが(あとは玉ねぎとか)、小麦と同じ面積のにんにくを交互に作付けするわけにもいきませんし、小麦の連作になってしまいます。そこで刈り取り後と次の播種の前の2か月余りの間にマメ科である緑肥のクロタラリアを栽培し、ある程度生育したところをトラクターですき込んで腐熟化し、小麦を播種するという形をとっています。マメ科を挟むことで連作の回避の意味と緑肥のチッソ分補給の両方を兼ねるのです。また、今回は、南部小麦よりも晩生であるアリーナの方を先に播種しました。ヨーロッパ原産のアリーナは南部小麦よりも雪腐れに弱いです。これは他のライ麦とかスペルト小麦などヨーロッパ小麦にも言えることで、まだアリーナは良い方ですが、それでも南部よりは危険なので、年内の生育量をしっかりキープするためには、早く蒔くということが大事になってきます。

前回も書きましたが、小麦播種は稲刈りと重なります。天気が良く土が乾いている時は稲刈りよりも小麦播種を優先します。ちょうど田植えが代かき後雑草の種が動き始める前に早く行うというのと同じで、小麦畑を耕耘ししかも土がこなれているうちに素早く播種を行う、できれば耕耘当日か翌日に、というのが鉄則になります。

 

焼石岳

いまはそんな激しかった繁忙期も終わり、一段落ついて秋仕舞いの時期になりました(とはいえ今度は雪の心配をしながらで、決して楽な時期というわけではありませんが)。それもごく最近からですが、ちょうど稲刈りが終わって、稲扱きにはまだ時間がある10月17日、かねてから計画していた焼石岳への紅葉登山をしてきました。

焼石岳はここ西和賀町に接する南本内岳から縦走すれば近いんですが、一般向けのコースじゃないので、初めてのコースで一人登山ではちょっと抵抗があり、ぐるっと胆沢ダムの方へ回ってから中沼のコースで登りました。胆沢ダムから登山口までの林道は結構な悪路でスピードも出せず、しかも紅葉の時期なのでもし駐車場が満車だったらどうしようとの心配もよぎります。その意味でその直前の3連休は天気が良かったものの入山はやめて農作業に専念し、新米時期限定の早期脱穀を行い新米を準備することができました。17日は紅葉もピークの好天の日でしたが、平日だったため、駐車場が満車ということはありませんでした(朝7時頃到着で3〜4割の駐車あり)。

 

中沼

地元じゃなく胆沢ダムからのコースにしたのは、紅葉の池を見たかったというのもありました。登山開始からすぐの中沼です。

 

上沼

やや進んで上沼。ここも素晴らしい紅葉です。

 

銀明水避難小屋

避難小屋があります。銀名水という湧き水のところです。避難小屋ってとても魅力的です。前にも書きましたが、予約も要らず値段も安い(あるいは無料)。2段ベッドが組み込まれてあってシュラフと食事の準備はもちろん必要ですが、快適に休めます。そんなに混むこともない。ただ、この場所は登山口から2時間くらいだし、焼石岳自体が日帰りの山ですので、よほど想定外のトラブルとかがない限りはなかなか利用する機会はなさそうです。6月に訪れた朝日連峰の以東岳の避難小屋は山頂近くで、大鳥池のコースで登山口から6時間。早朝に家を出て9時頃から登り始めて到着は夕方。ちょうど良い場所ですね。この以東岳も日帰りする客がいて、かなり強行になります。そのような方は前夜とかに登山口まで乗り入れて車中泊し、早朝から登り始めて日帰り登山をするのですが、そういう山行をするよりは、私は早朝に家を出て、そして山中で小屋泊をする、ということに惹かれます。人の多い関東の有名な山ではなかなかできませんが、東北の静かな山だからこそ、避難小屋を使って夜も昼も山を楽しみたいものです。

 

銀明水

こちらは銀明水という湧き水です。昔からある名水のようですね。中央に見えるパイプ?のようなものはなんでもなく、石の左下から流れてくる水をその出口の箇所で掬って飲みました。よくわかりにくいですが、木の踏み台みたいなものの右側は水の流れになっています。帰りに2L汲んで家でコーヒーや米の水に使いました。

全くの余談ですが、9月のNHK交響楽団の定期でブルックナー8番の「初稿」での演奏会があり、FMとテレビ番組とで放送がありました。指揮は現在常任のファビオ・ルイージです。今年は生誕200年ですしね。ビッグイベントです。

ビックリです。大学1年の頃から40年以上聴き続けてきた8番の初稿がこんなだったのか、と。1楽章の終わりが何と大きく盛り上がって終わるし、3楽章の頂点部ではシンバルが3連打!! 個人的にはここでシンバルが入らないハース版よりも1発大きく鳴るノヴァーク版の方が好きでしたが(その後でもう1発入りますが)、3連打は驚きでした。ノヴァーク版が好みというよりは、オイゲン・ヨッフムのブルックナーが好きだったことによります。いや、でもこの初稿は一番好きかもと思いました。発表後も改訂をくり返すことの多かったブルックナーの交響曲ですが、誰の意見に左右されず、まだ自分の完全な好みで描かれた初稿ですから、最もブルックナーらしさに満ちていると言えます。ブルックナー8番はやはり私には松本市での大学生生活の空気感がまとわりついています。10月になれば空気もぐっと下がってきて、湿度もなく、とても稲がよく乾きそうな。そういうヒヤッとした感覚が蘇りました。

しかし最近は、どちらかと言えば5番の方が好みになっています(私の趣味など別にどうでも良いことではありますが、5番には着目してもらいたい気持ちです)。2楽章も美しくて好きですが、やっぱり終楽章のコーダの部分が凄いですよね。ここの金管セクションはものすごい体力を消耗するそうです。金管が旋律を強奏し、弦楽器は完全に伴奏のリズムを刻みますが、この伴奏もまた良いんですよね。最近「カケルクラシック」という毎回ラジコで聴いている番組にゲスト出演した、NHK教育ピタゴラスイッチで有名な「栗コーダーカルテット」の一員の方が、自らの思い出深い演奏として東京カテドラルで行われた朝比奈隆の5番を挙げて、そのコーダ部分が放送で流れましたが、これもまたテンポも雄大で迫力でした。あまりに凄い演奏で、終演後誰も拍手を打ち鳴らせず沈黙が続いたそうです。オケは大フィルでなく東京都響だったように思いますが、CDで見つけることはできない特殊な音源なようでした。5番も朝比奈、ヨッフム、チェリビダッケの3人のライブ録音をよく聴いています。東京へ上京した最初の年に朝比奈/大フィルの8番を東京文化会館で聴き、バチバチと照明がショートする銀座線に乗って三軒茶屋から上野まで行きましたが(外苑前で乗り換えだったか)、その時は比較的早いテンポで進んでいましたが、生まれて初めての生の8番は感動的でありました。これが唯一の朝比奈体験でした(ハレー彗星の来た1986年です)。ちなみに、8番のヨッフム/バンベルク交響楽団の東京公演は大学生の頃に帰省中の広島でFMの生放送で聴き、これも凄い名演で、わなわなと震えました。NHKホールだったでしょうか、CDで持っていますが、私には8番のベストの演奏です。最後の3音の微妙にためながらの終わり方にもしびれました。東京へ出た年には、朝比奈だけでなく、実はヨッフムも来日していました。しかも確かすぐ近所の昭和女子大学人見記念講堂へ来たのに。。お金がなくて行けませんでした。まだサントリーホールができる前で、この人見記念講堂が日本のベストのホールとされた時期です。ブルックナー7番だったと思いますし、CDにもなっています。まだ未購入ですが、聴きたいですね。

後に、サントリーホールには出版社にいた頃にマーラーの「大地の歌」を聴きに行きましたが、オーケストラの大音量で歌い手の声が掻き消えた箇所があり、それは少し残念でしたが、マーラー自身この曲を耳にすることなく亡くなってしまっているので、オケと歌手の音量のバランスがわからなかったのかもしれませんね。オケの編成は確かに大きかったと思うので。

NHKホールにもよく行きました。1,000円の当日券D席で、会社を早めに退社して、確か6時頃から当日券発売だったような。。コンサートでは珍しいマーラーの3番や、記念碑的な8番もここで聴きました。両曲とも10年に一度くらいの稀なる演奏会ですね(地方では皆無で東京でですね)。マーラー8番の「千人の交響曲」を聴く機会など一生に一度でしょうから、貴重な体験でした。神保町の洋書屋さんでレクラム文庫版の「ファウスト」原書を買って、8番の歌詞を追ったものでした。最後の「hin an!」「上へ(天上へ)!」のラスト、懐かしいです。タムタムが一発荘厳に鳴り響き、終結する。この初演の時は当代の作曲家や指揮者はむろん、ホフマンスタール、シュテファン・ツヴァイクやトーマス・マンも会場にいたという話です。音楽のイベントが歴史的事象になった出来事と言われました。このマーラーの8番、出だしも強烈で、「Veni creator spiritus」(来たれ、創造主なる精霊よ)、でいきなり有無を言わさず引き摺り込まれるわけですが、当時就学以前の幼少の子どもたちに冒頭を聞かせながら、この意味をどうやって教えよう、「おいで、世界を作った妖精さん」で始まるんだと伝えたことも、懐かしい思い出です。

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白神山地への旅

2024田植え(亀の尾)

5月はとにかく繁忙期で、好天の日は田畑から離れられず、特に今年のように作物の進みが早い年は、煽られるように作業を後手後手で進めているという感じです。連休の頃からあっという間に月末へ。。5月20日よりも以前に田植えをしたのは初めての経験です。急ぐ必要はないよと地元では平常心で田植えをやっていますが(もちろんみんな例年より早いです)、亀の尾やひとめぼれなどの晩生品種を作付けする者にとっては、早い田植えはめったにない千載一遇のチャンスと言えます。当園の稲にとっては、近年の夏の高温化の傾向はとてもありがたく、「高温注意情報」のようなニュースを聞くと嬉しくなります。しかし実際は大した高温でもなかったりするのが大半ですが。。とにかく低温は稲へのいもち病の警戒も伴いますし、暑い夏になってくれることを望んでいます。昨年の当地の最高記録が32℃で、もともと冷涼な土地であるからこそ言えることで、暖地に住まれる方には気が滅入る言い方だろうかとは思い恐縮です(18歳まで広島で過ごしたので、真夏のすさまじい暑さはわかります)。もっとも、8月のお盆に日中15℃の表示を見た三陸の海のやませのことを思えば、まだ恵まれているかもしれません。ふだんは三陸の方がずっと気温は高いですが。。

昨日25日で田植えから1週間経ち、除草機がけを開始しました。

 

鶏頭場の池

さて連休中は好天続きで農作業に勤しんだのですが、その直後から天気が悪く、そんなぐずついた5月8日ですが、白神山地へ旅をしてきました。東京で250のバイクに乗っていた時から、「白神山地」には神々しい憧れを感じていまして、その名前によるのでしょうが、1994年、5月の連休に新潟から日本海経由で青森まで走り、東北を一周して戻ってくるという4泊くらい?のツーリングをしました。全部テント泊でしたね。いまは軽トラであまり林道を激しく攻めることはできませんので、当時と同じルートではないのですが、当時は全く見過ごしていた「十二湖」に初めて向かいました。

去年田沢湖から阿仁森吉方面へ走行しましたが、このルートは秋田県内を北上する道として気に入っておりまして、今回も雫石・田沢湖・阿仁を経て能代市で海岸に出て、それから十二湖は割とすぐでした。

白神山地の山中にあるきれいな湖水群は魅力的でした。外国の旅行者もいまして、長野からの帰り道旅行の時でもよく見かけましたが、確かに車を持っていないだろうので、車道もひたすら歩いていて、バックパッカー風に見えます。いわゆる交通網の完備した有名観光地の大勢の外国客とは違った雰囲気で旅を楽しんでおり、私にはこうした人には好感を覚えます。

写真は駐車場(500円徴収されました)からすぐの「鶏頭場(ケトバ)の池」です。

 

青池

それからすぐに、一番有名な「青池」に着きました。いろんなアングルで写真は撮りましたが、どれも足元の木道が邪魔で全貌をきれいに撮ることはできませんでした。水の色はきれいです。

 

沸壺の池

そこから坂を登って「沸壺(ワキツボ)池」を見下ろしました。全貌が撮れまして、ここも美しく、良い感じです。左の方から沢が流れ込んでいました。十二湖全部は距離も離れていて歩きませんが、残りは車道で車から眺められます。ベンチがあった場所で昼を食べました。去年八幡平を歩いた時(ドラゴンアイの時期)にも感じましたが、なかなか弁当を広げる場所というのはありそうで難しいものでした。本当の登山なら悩むことはありませんが(臭いを撒き散らし熊を招かないことには注意です)、半分観光地のようなところでは人の往来もあるし、ためらいがあります。東屋のような場所があれば問題なく弁当を広げますがね。。

 

日本キャニオン

車に乗り少し下ったところで「日本キャニオン」という山肌が見える場所の展望台への道があり、10分くらい登って「日本キャニオン」を眺めてきました。十二湖そのものは観光名所であるものの、敢えてオプショナルでここを目指してくる人はこの時はいなかったようです。

 

千畳敷

そして日本海まで戻りましたが、能代から来る途中、やたら「千畳敷まであと○○キロ」という看板が多く、そんなに有名なポイントなら行ってみようかと、能代方面へ戻らず、鯵ヶ沢とかの方へ北上を続けました。この千畳敷というのは地震で隆起してできた現象だそうです。

 

ライオン岩とかぶと岩

左は「ライオン岩」で、右を向いて寝そべっている様子です。右は「かぶと岩」。

 

白神山地林道入り口

ここまで来れば弘前の方へぐるっと回って帰るしかなく、さらに北を目指しました。途中、白神山地を東西に巡る有名な「弘西林道」の入り口を見つけました。いまは「白神ライン」と名づけられているようですが、残念ながら通行止めでした。オフロードのライダーには聖地のような場所と思いました。

 

岩木山の菜の花畑

林道は通れず(これは事前に検索でわかっていたことです)、鯵ヶ沢から弘前へ向かい、途中に有名な菜の花畑へ立ち寄りました。バックに岩木山が聳えているはずなのですが、雲で見えません。この日はそれほど雨は降りませんでしたが、天気も悪かったのです。天気が悪いから出かけてきたわけで仕方ありませんが。。。

 

1994年白神山地付近

余談ですが、1994年5月3日に白神山地へ向かった時です。大館市の辺りから真北へ白神山地に攻め入ったのですが、左は雪で阻まれて撤退を余儀なくされた地点で、右はその後戻って今回と同じく能代の方へ一般道を走りながら、途中姿を現した白神山地の遠景に感動して撮影した写真です。5月の連休だから山道はまだ雪が残り通行止めなのは当たり前ですよね。当時はわからなかったんですね。

 

1994年追良瀬の林道と岩木山

また、この左の写真は直前に秋田県の森吉山の付近の林道を走った時です。ここからいったん大館へ出て、そしてそのまま白神山地へ突撃しようとしたのですが、結局能代へ遠回りになったという話です。右はその後に、翌日5月4日に岩木山を見ながらの1枚です。岩木山に至る前に「赤石川」に沿った道を走る写真がありましたので、今回と最終的には同じように北側から岩木山を対面した写真だと思います。ちょうど30年前の旅でしたが、この後に岩木山の麓の「嶽温泉」に入り、そこでタオルにものすごい温泉臭が付いて、バッグに入れずに荷台にゴム留めして走ったことをよく覚えています。そして、鹿角のストーンサークルを見て南下し岩手に入り、盛岡手づくり村の駐車場でテントを張ったことは、近所だけによく覚えています。そしてその後に仙台を目指し、名取川で最終テント泊をして、沿岸沿いにR6号を南下し常磐道で東京に戻ったと記憶しています。途中少し高台の道から福島第一原発を見た記憶もあります。初めて見た原発の姿は、原発だと理解はしましたが、初めての原発の光景で印象に残るものでした。

こういう昔を懐かしんでの追走の旅というのは歳をとった証拠かもしれませんね。ただ、あの時の記憶が深い層に沈着していて懐かしいイメージで浮かび上がってくるんですよね。6年前から冬に茅野市で寒天作りの出張をして、学生時代を過ごした松本に久々に訪れるようになってから、過去の訪問や滞在の地に焦点が当たるようになりました。もちろん、新しい初めての場所にもいろいろ出かけています。去年、不幸な骨折のあった岐阜・富山・佐渡の楽しい旅の思い出は、現在の月1度の軽トラ日帰り旅行のきっかけになってしまいましたし、去年は特に治療で北上の病院に通院する日はそのまま足を伸ばしてリフレッシュの旅に出る、という2次的な助長効果も招いてしまっていました。

今年は去年の骨折の招いた伸展腱の断裂縫合術を受けての通院がまだ時々あって、今度の予約はは31日です。今回紹介しました十二湖を巡る旅からまた繁忙期をやり過ごして、またドライブへ出たい気持ちが高まってきています。買い物もあり所用もすませますが、少し足を伸ばして釜石ラーメンを食べたり荒々しい岬を見たりしようかなどとGoogleマップを眺めてみたりしています。

 

 

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イワテヤマナシの講習会

イワテヤマナシの花

10日から2週間も早まって植物の生育が進んでいます。雪解けが早くてその分作業時間を長く取ることができるのはありがたいことでしたが、それにしても作物の進みに作業が追いつかない、という状態が続いています。とはいえ天気が比較的良く暖かい日が多いことは助かっています。昨日今日(5/8,9)はとても寒い東北でしたが。

いつも5月15日頃に満開を迎える当園のやまなし、「ハンベエナシ」も5月2日に写真のような開花最盛期の姿を見せてくれています。「イワテヤマナシ研究会」については何度か記事に書かせていただいておりますが、上のハンベエナシを植え付けたのは2012年、神戸大学の片山寛則先生から譲られた、西和賀町由来の優良なやまなしの枝を穂木に神戸大学で台木に接木して育ったもの(当時2mくらい?)を逆輸入して育てたという経緯のなしです。土着の優良な梨ですから、別に県内他地域のやまなしの取り組みに対抗するわけではありませんが、この地域では何よりこの梨を栽培することに意義もあるし、ここの特色となればという願いを込めています。左から3本目は幼少期に熊にのしかかられて主幹が折れ、その分小さいです。一番右は交配用の別品種(「サネナシ」という種がないイワテヤマナシ)で、今年やっと花が咲きました。ハンベエナシに花粉が届いてくれますよう祈っています。

そうしたやまなしの取り組みを10年以上細々と続けてきたのですが、去年くらいから周囲に徐々に、というか一気に賛同者が出てきてくれて、岩手県内の初発地の九戸、次いで水沢、に続き3番目の取り組み産地と言っても良いようなグループに育ってきていて、とても嬉しく思っています。

 

接木講習会

これまで全く私だけ孤立していたこちらの町でのやまなしの栽培ですが、何か弾みがついたかなと思うのは、イワテヤマナシの研究者、神戸大学の片山先生ご自身が大学を早期退職なされ、この春から盛岡へ移住し、まさにイワテヤマナシの生産と加工に自ら先頭に立って取り組んでいこうと転身されたことが大きいと思います。そして実際4月20日に当園のやまなし園にもお越しいただいて、これからの生産の要となる「接木」作業の講習会を開催することができたのでした。これには町内からだけでなく県内の各地から、そして先輩に当たる水沢のリーダーにもご参加いただいて、共に技術を学んだのでした。

神戸大学にはいまも400本以上のイワテヤマナシが演習林として植えられていて、寒天出張が終了した際の2月に訪れた時に見学もしてきましたが、2012年当時から年月も経ち、木は成木になっていて、当時のように苗木レベルの木ではないため、掘り起こして搬送できるようなしろものではありません。ただ、枝は自由に切り運ぶことができますので、それを穂木にして、購入した台木に接いでやまなしを育てるということになり、それ以外に生産の道はありません。種の栽培では時間もかかり、また性質もばらけます。

台木(購入したマメナシ台木等)と穂木も2月の見学の折に私が軽トラで搬送してきて、それを雪の中で2か月やりすごし、4月初めに雪が消えると同時に植え付けて、そして4月20日にその台木に「ハンベエナシ」や、次いで特に私が惹かれている「和山なし」の穂木を先生の指導のもとに接木し、いまは経過を見守っているところです。

4月20日はとても寒い日でした。。そもそもこの西和賀は他の岩手県内の産地に比べ群を抜いて豪雪の土地です。小さい台木に穂木を接いで、高さは30cmくらいです。台木を雪消えの時に植えた際も、雪が多くたまる場所はとにかく避けて、結局12年前にハンベエを植えた同じ場所、斜面から上ってすぐの畦畔=雪がたまりにくい、の区域に台木を植えました。いまは接木も終わって、来年の春までここで育ってもらって、それから接木を行った各人に掘り起こして持って行ってもらいます。右の写真で斜面が分かりますが、その斜面の下側は雪がすごくたまります。この底はブルーベリー園なのですが、いつも春先にはどんなに雪囲いをしてもかなりバキバキに折られています。まあブルーベリーはしっかりと剪定するのが大事ですが、最初の植えたての幼少期の苗木にとっては過酷な環境です。やまなし(台木)はそれを避けるために狭いけれども雪が少ない区域を選んだ次第です。12年前のハンベエナシ定植の時は、1種では実が着かないので共に異種の交配用にサネナシを同梱してもらったのですが、雪が深いところに植え、翌年んに枯れてしまい、後にまた送ってもらったサネナシは今度は雪の少ない区域に並べて植え、枯れずに育っています。今年やっと開花し、嬉しいです。

 

接木の仕方

神戸大から持ち帰った台木は2種類あり、左は購入した1年目の台木(園芸業者が一般の現代のナシ栽培者の接木用に種から育てた木)、右はそれに接木をしたのだけれど穂木が活着せずに接木に失敗し、台木だけは根もあるため上をちょんぎられても生きていて成長しますので、その分大きくなった何年目かの台木です。小さい台木は左のように接木ナイフで中央付近に切れ目を入れ、右のように太い台木は木の皮のすぐ内側の成長し太っていく部分に切れ目を入れ、そこにシャープに削った穂木を差し込み、接木テープでぐるぐる巻きに密着し、完成です。穂木の成長の層と台木の成長層とがぴったり合わさることで接木が成立します。ので、右のような太さの違う台木のど真ん中に切れ込みを入れても接木にはなりません。穂木は2つ芽を残して切ります。芽が動いていない状態ですので、早めに採取して雪中および冷蔵庫で保存しておきました。

 

やまなし接木

本日5月9日の接木苗の様子です。まだ成否はわかりませんね。台木そのものは芽吹きが見られ、ちゃんと生きております。問題は穂木がどうか、です。左は成木のハンベエなしの枝を切って、高接ぎをした例、中は太い台木に2本穂木を接いだもの、右は細い台木に同じ太さの穂木を接木したものです。どうか活着してくれますように。

 

 

七内川の釣り

接木講習会は懇親会・宿泊も含めての開催でしたが、翌日は天気も良く、家の前の七内川での釣りをする参加者の姿も。とはいえ、この辺りは連日釣り客に攻められていて、なかなか釣れてはくれません。。私はすぐそばに住んでいながら、釣りをする余裕はなかなかありません。

 

鹿肉とチキン料理

ちなみに、懇親会ではジビエ料理を提供しました。写真左は鹿の焼肉で、いちばん美味しいとされる太ももの肉をお出ししました。写真を撮っていませんが鍋料理と、そしてお好み焼きも出しました。右は翌日に釣りをした釣り名人の方と近くの「カタカゴヒルズカフェ」でランチしたメニューです。チキンのガーリック料理は美味しいです。大変おいしくて見た目も美しいですが量が少ないのは難点で、大盛りとかの対応はありません(意識高い系?というのとは違うかもですが上品質のお店です)。女性向けですね。ここは有名なカタクリ大群落の入り口にあり、今年は今回の接木の翌週、連休の前半が見頃だったでしょうか、賑わったはずです。「カタカゴ」は「カタクリ」の古語だそうです。

 

イワテヤマナシの花近影

やまなしの蕾の近影ですが、本当にやまなしの花は美しいです。この花の時期に観に来られる方もいて、花の美しさもまた、やまなしを育てる魅力の一つです。桜の花見だけでなく、やまなしの花見もありです。余談ですが、秋にこのやまなしを囲んで酒を酌み交わしたというような話をもう亡くなってしまった古老から聞いた記憶があります。「ケカズナシ」とも言われるイワテヤマナシですが、救荒食とも言われます。これでケカズ(不作)の時に飢えを凌いだ、という意味なのか、それともケカズの時でも実をならせるよ、の意味なのか。。確かめたいと思います。

 

一本桜2024

いつも5月5日のこどもの日前後に近所の美しい一本桜の写真を撮影しています。今年はこれも大幅前倒しで、4月26日です。りんどうの芽かき作業はそれ単独で1か月かかるいつも大変な春作業なんですが、この桜の開花を待ってスタートしていました。でも今年は間に合わない。実際芽かきは暦通りの5月6日からのスタートになっています。この桜も年々衰えが見えていて、昔のように綺麗な円形の開花ではなくなってきていて、寂しいことです。

 

プール枠

水稲作業も始まっています。3月下旬にハウスを除雪し、下部のパイプを設置してビニールを掛け、地面の麦や稲の脱穀で出た殻を掃除して、整地をしプール枠を設置します。

 

播種機

今年は播種機を譲られまして、電動式の播種部分の装置を通過し、その後すぐに覆土も行うという流れになりました(覆土は手動のハンドル操作)。

 

水稲苗2024

5月9日時点の水稲苗の状況です。近所では代かきも始まっています。岩手の内陸部平野では田植えです。暖地の田植えとこちらの田起こし代かきが同時期になります。今年は当地でも田植えは早まりそうですね。

タラノキ園では、地上へにょきっと現れたヒコバエを探しスコップで掘って所定の畝位置に定植する作業を行っています。十分に需要に応えるためにタラノキ園から多くの穂木を収穫し、来春の出荷に備えたいです。

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稲作がスタートしました

塩水選2024

3月の最終週に種籾を農協の温湯消毒依頼をし、次いで塩水選を行って、稲作がスタートします。亀の尾、ひとめぼれ、ササシグレ、いわてっこの四種の種籾を準備しました。すべて昨年の収穫の籾を使用しますので脱芒や選別作業の必要が出てきます。近所で借りている脱芒機を使いヒゲを取って、というのが最初のスタートですが、あまり上手に取れなかったのが正直なところで、前年の秋のうちに脱芒機作業をしておいた方が、一冬過ごしたいまよりも取れやすかったのかもしれません。

 

脱芒機

前もって脱芒機にかけた後はふるいで雑草の種や土埃を除去し、そして農協の温湯消毒、その後塩水選でしっかり種籾を選別します。特にササシグレは病気にかかって軽い籾が多く、厳重に選別をかけて重いもののみを種として確保しました。最初の写真はひとめぼれの塩水選の様子ですが、ササシグレほどごっそりと浮いてくるものでもなく安心しました。とはいえ塩水を濃いめにしてしっかり選別することは心がけています。

 

籾の水漬け

そして3月27日の夕方から水漬けがスタートしました。かつては、冷害に強く、とか敢えて厳しい環境で育てようとかの理由でこの水に雪を詰めたり、低温環境下で長期間漬けるなどの試みもあったようですが、現在は逆効果と言われ、かえって出芽が揃わなくなったりする危険もあるようで、比較的温度の高い状態で短期間の水漬が主流になっていると思います(積算水温100度で、1日10度平均とすると10日)。とはいえ夜間はまだ気温がマイナスになりますし、10日ではすみませんね。しっかり長く漬ければその後の加温催芽が短くて済むし、漬け方が足りなければその分長く催芽させれば良いと言えるので、あまり厳密には行っておりません。

現在は脱芒機に選別のグレーダーが付いていたりして、プロの種籾出荷農家はきちんと揃った種籾を提供しているし、塩水選はもう行う人はいないようです。薬剤をしっかり使って無病の籾を供給してもいるのです。われわれは自家用の籾を確保するだけの小農家ですので、高額な脱芒機を買うよりも、濃い塩水選で重い籾を確保することが大事です。

 

ハウス除雪1

ハウスの準備も並行して行うわけですが、雪が少なかった年ではあったものの、風が強い当地では建物に当たって跳ね返った雪がそそり立つようにたまってきますので、作業舎に近いハウスの右側にあたる箇所は除雪機による除雪が欠かせません。ハウスの外周をまず除雪します。塊になっているのは、除雪機の後にスコップで削ぎ落としたことによります。

 

ハウス除雪2

右側のパイプの付近は1mの積雪になり、何度も除雪機で掘り下げて飛ばしてやります。とはいえ、普段の年に比べたら楽なものでした。普段ですと硬く凝縮した古い積雪層は除雪機が跳ね返されてなかなか掘り進めていけず、斜めに上に傾いて進んでしまいます。今年は主に3月の積雪が多かったようで、地面に近い部分もそんなに硬くなっていませんでした。

パイプの付近は除雪機で飛ばせないので、あとは自然融雪に任せます。時々スコップで切って落としてやる作業は行うのですが。スコップで切れ目を入れてやるだけでも融雪には効果的です。

 

キリシタン石碑

息子が仙台へ引っ越しし、軽トラで荷物を運んで大型の家財道具が設置できて、ホッと一安心しています。家から運んだ机やベッド、布団、ガスコンロ、自転車などは幌の上部骨組みへの縛り固定もできて、幌付きのありがたさを感じます。荷物を下ろした後にリサイクル店に行き注文していた冷蔵庫や洗濯機を積載しましたが、これも幌フレームへの固定で搬送は楽でした。冷蔵庫と洗濯機ですが、いまは安い製品も多く聞き慣れないメーカーの格安品が生協のカタログ上とかでもみられました。が、自分が昔の人だからかもしれませんが、そうした格安新品よりも中古の国内メーカー品の方が信頼できる気がしました。最終的にどちらが得なのかはわかりませんが、安い新品よりも中古価格のブランド品の方が安心感を覚えるのです。。もちろん日本の老舗ブランドでも海外で製造していることは現実でしょうけど。とにかく時期が移動時期ですし、国内メーカー品の白物家電はリサイクルショップにたくさんありました。

大学の食堂はとても混むという話で、息子も自炊・弁当中心の生活を決意したようです。台所用品とかカーテンみたいな雑貨類は家内が行って手配していますが、とりあえず調味料や洗剤、消耗品などスーパーで買えるものは時間もあって息子と検討しつつ、料理酒とかも含め買い揃えてきました。和食が作れる青年になって欲しいと思ったりします。

さて、帰路は別コースの山道を辿り、宮城県から秋田県へ斜めに横断し、そして横手の方から帰宅をしました。やや大回りではありますが、まだそれほど忙しい時期でもないし、高速代の3,000円を節約し、ドライブ気分も味わって来たところです。湯沢市に入ったところで「キリシタン殉教慰霊碑」へ立ち寄って、雪の残る中運動靴を少し濡らしつつ辿ってみました。このような遺物があると大回りしてでも立ち寄ってみたくなりますね。長野出張時にもそうでしたが、Googleマップを眺めながら史跡等の表示を見てドライブのコースを構想するのは楽しいものです。忘れないように塩水選のための食塩紙包み5kgも購入して家路につきました。ちなみに、この帰途に通った道路(国道108号)のすぐ南に、同じ宮城と秋田をつなぐ県境に田代峠という場所があり、UFOの目撃談が多いスポットがあるようです。冬のこの時期に通行できるかどうかはわかりませんが、何となくそそられますね。

 

仙台駅前で

仙台の駅前を歩いて息子とラーメンを食べてきましたが、やはり盛岡などとは比べものにならない大都会でした。あらためて。。面白いモニュメントに惹かれて入ったペットショップでは、家の犬へのお土産としてはちょっと場違いな感じの用品ばかりで、早々に退散し、歩道橋を上がったり下がったりでラーメン屋に到達しました。

 

たらの芽の様子

現在のメインの作業はたらの芽の出荷です。去年の長野からの帰りで富山湾で負ってしまった手首骨折に関連して、二次的に、左手親指を伸ばすための腱が故障をきたしていました。ただほとんど日常に影響はありませんで、結構な激しさの寒天作業も普通に行えましたが、今年の寒天出張終了後の関西からの帰宅後すぐに、寒天出張の前から予約しておいた親指の長母指伸筋腱を再建する手術を行いました(去年のいま頃に入れたプレートを除去する手術も同時に行い、全身麻酔で2泊の入院です)。現在はまだ負荷がかかる親指の曲げ伸ばしは禁止なのですが、ギプスも取れて適度に親指を曲げ伸ばし動かしつつ、農繁期の到来までに腱の接合部が回復し故障が完治するようにという待機期間になっています。息子の引っ越しでは冷蔵庫や洗濯機を2人で2階に運ぶ作業もありましたが、案外と物を持ち上げるのに親指は使わないもので、まあ一応「静養すべき」身分をのんびり過ごしている次第です。2月後半からの3週間はギプスで服の着替えも辛かったですし、特にたらの芽の穂木を回転鋸で駒木に切断する作業がやりづらかったです。

現在は全ての穂木が駒木になり、それが全部ベッドに並んであとは水管理と収穫出荷のみです。ポケットマルシェで多く注文をいただいていて、ちょうど芽吹きが3月になってからの寒い日々により停滞し、お待ちいただく形になり申し訳なく思っています。均等に伏せ込みをしていっても、3段あるベッドの収穫の段が変わったり、そして気温の変化も加わって、一様のなだらかな出荷にはなりません。出荷が途切れる時期がどうしてもあって、ここは小規模の生産のネックです。ある程度大量に揃う時期もあるので、そういう時は注文が入っていないとまた不安になり、うまくいきません。現在のところほぼ1週間で出荷に応えることができる感じで受注となっていますので、何とか早く芽吹かせて、2日くらいで注文にすぐに応じたいところです。

逆に危険なのはいきなり高温になることで、芽が腐ってしまいます。最上段のベッドはトンネルで上部が全てビニールですので、晴れてくると朝8時前でも30度近くになってしまって危険です。1段、2段目は天井があるために側面だけのビニールなので、急激な上昇はありません。こちらは温度の確保が大事です。ビニール内の空間を温めてはいるものの、いまでも夜明けにはまだ外気は-5度になったりしますので、こうした低温を受けるとどうしても停滞はするでしょう。そしていきなり30度になるのも困りますし、神経を使う作業です。あと2週間、4月10日くらいまでは出荷が続くと思います。PCで調べ物もしたりしながら、左手の静養を兼ねながら農閑期の最終盤を過ごしているところです。

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ダッシュで秋じまい作業。。

亀の尾の姿

晩秋になり、冬型の気候が次から次へとやって来て、すぐに雪が降るほどではないにしても、どんよりと暗く寒い11月。積雪前にやるべきことは山ほどあるのに、天気はずっと雨マーク。最後の気合いをこめて片づけ作業を進めています。昨日はずっと気になっていたハセの解体と横棒の作業小屋2階への搬入作業が終わり、ホッとしています。

何より、脱穀が終わって、あああとは片づけだけだな、終わった感が滲みます。亀の尾が現在の主力の品種になっていますが、やはり姿が美しく、ハセ掛けが似合う品種と思います。今年一番の期待を込めて作付けしたササシグレは7月の長雨で病気にかかり、収量が低く、今期は亀の尾とひとめぼれが主な出荷となります。極端に病気に弱い品種を薬を使わずに栽培することはハードルが高いことは十分わかってはいますが、しかし実際玄米を食べてみて、ササシグレは魅力を感じるお米です。来年は無難に小さい田で作付けします。これからしばらく長期出張に出ますため、ササシグレの出荷は2月中旬より10kgまでの少量出荷でお届けさせていただきたく、その際には宜しくお願いいたします。

 

ハセの熊被害

7月の長雨と並んで、今年の稲作にダメージとなったのは、熊による食害です。毎年、山ぎわに面した田の山ぎわの方の稲をこっそりと食べていたのは知っていました。が、今年は堂々とその山に面した田全体を歩き回っていた上に、いままでは手を出すことがなかったハセ掛け中の稲も毎夜手を出して荒らし、結果、相当な減収被害になった次第です。全てが胃袋に入ったわけではないにしても、バラバラにされた籾は回収できるはずもなく約100kgは減ってしまった感じですね。

秋じまいを進めているいま、タラノキ園やりんどうの通路など至る所、思わぬ場所にバインダーで結束した状態の稲の束が見つかっています。持ち運ばれた稲はすべて、綺麗に脱穀されていて、熊の歯で千歯こきのようにして食べていると想像されます。ハセから落としただけのものや、付近の籾がまだ残っている束はハセに掛け直します。毎日50束も掛け直すのは疲れました。

ハセ掛け乾燥中には、10月6日の暴風の被害もありました。今日も暴風が吹き荒れていますが、強い冬型が到来し、ハセが折られて倒れた状態を、全部いったん束を外し、柱を立て直して、横の棒を組み直し、下ろした稲を再度掛ける。大変です。次いで、全体的に傾いてしまった他の部分は柱にロープを巻きトラクターで引っ張って傾きを直す作業もあり、これも繁忙期真っ只中なのに、余分な仕事でした。冬だったら視界ゼロの大吹雪というところでした。

 

稲わらカッティング

脱穀が終わって、残った稲わらは8割くらいは畜産農家さんに引き取ってもらっていますが、残り、ちょうどハウス内に掛けた稲のわらはわらカッターで田に還元します。天日干しの稲作はわらを持ち出してしまうので、面倒な作業ではありますが、田に戻してやります。これで稲作の外仕事は終わりです(ハセの片づけが残りますが、空中の作業なので最悪積雪後でもできる作業で後回しです。がこれも終わりました)。

 

秋のにんにく米ぬか施用

にんにくも秋のうちに一度草取りをしてやって、その後にマルチの上から全面米ぬかを撒いてやります。これが雪の下で腐熟して、春には植え穴の土と混じって良い追肥効果、乳酸菌補給効果になってくれることと思います。

 

タラノキの伐採

少々の積雪は良いのですが、どっさり雪で埋もれる前にしておかなくてはいけないのが、タラノキの伐採です。このように、11月になりますと全ての枝葉が幹の付け根から落ちて、1本の棒の状態になっています。これを、下の方の、太さによって1〜3芽分残して上を伐採します。それが2月後半からのたらの芽栽培の穂木になります。地際から切って収穫してしまえば来年の芽がないので、必ず芽の位置を確認しつつ、太さによって残す芽の数を勘案しながらノコギリ(剪定ノコ)で切っていきます。重いチェーンソーなど使わず、細身のノコギリで軽快に切って置いていきます。

全部切ったら、通路で20〜30本ずつ縛り、軽トラに積んで作業場に収納します。休眠期間がありますが、その間は寒天製造の出張に出ておりますので、たらの芽生産は寒天から戻ってきてからの2月の作業になります。雪のない地方では2月になって必要時に伐採しても構わないことです。

 

晩秋のタラノキの様子

真ん中の株のように1株で4本くらい立ってくれると理想ですね。秋の伐採時に何本芽を残すかはとても重要で、芽が少なくて太すぎる穂木になっても無駄になるし、多く芽吹かせて細い木が乱立してもたらの芽が小さくなる。細い木はいまは放っておいて春に伐採して捨てることになります。また、せっかく最後まで生育したのに、その後枯れてしまって色合いの黒ずんだものも見られ、そういう木は株元ももう枯死した感じになっています。こういう株もあり、新たに植えつけた養成株もあり、とにかくいっぱい植えておくことが大事です。

 

木の実の種

さて、秋の稲刈りが終わった頃の時期だったですが、ツキザワの家で写真家瀬川強さんの渾身の企画展「西和賀の木の実」があり、見に行ってきました。木の葉っぱや実、種について、どれくらいわれわれはわかっているでしょうか。本当にわかりません。たとえばブナの実が不作で熊が、と報道されるものの、ブナの実を知っている方がどれくらいいらっしゃるか。。長い自然観察の活動の中から得られた標本をずらり陳列されていました。圧巻です。

 

熊の餌

今年ほど熊に泣かされた年もありませんでした。この写真の実を数々食べ歩きできていれば、熊御膳の中に「稲」は記載されずにすみました。糞が消化し切れなかった、というかそれ以外に食べ物がなかったことでしょう。籾殻100%でできているという熊の糞もあちこちで初めて見ました(写真にも撮っています)。

 

イワテヤマナシ研究会

11月になり、研修会も全部ではないですが参加しています。イワテヤマナシ研究会が盛岡市のアイーナで開催され、西和賀の人々にも声かけをして、割合多くの参加者が出てくれました。「香り」が最大の特徴になる昔からの岩手固有のやまなしをジーンバンク活動として残そう、またバラエティ豊かに品種が混じり合ってできた多彩な風味の実を集め、優良なものを食品加工の商材にしてゆこう、と話し合っています。不思議なことに、芳醇な香りが立ち込めるナシというのは豊水幸水ではなくて、昔から賢治の時代より親しまれてきたイワテヤマナシオンリーです。香りを生かしたデザートの試食会も開かれて、その風味を堪能しました。

イワテヤマナシの増殖ということを考えると、ナシの台木(マメナシ、等)を苗木業者から準備して、そこにお気に入りの枝を接木するという手法が主力になります。来年は当園以外の人たちにも植えていただく計画になっていて、いまから楽しみです。

秋じまい作業もあと少しです。天候が非常に悪い中ですが、庭木の雪囲いや外に出された鉢とか放置されたジョウロとか諸々の片づけをもう少しですが頑張って済ませたいと思います。建物の窓を雪から守る雪囲い板の設置もありました。

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田植えが終わりました

田植え2023

真夏の暑さが来たかと思うと雪が降りそうな寒さで乱高下した気候の5月が終わりました。亀の尾とひとめぼれ、それに昨秋分けていただいた「ササシグレ」の苗などを植え、今年の田植えがまず終わりました。2回目の植え代かきをタプタプの水量にして回転を上げてトロトロ層を作る狙いのやり方をしてみましたが、部分的に凹凸になったりもし、そう簡単ではないなという感じもしました。今期は地域おこし協力隊による援農活動も加わっていて、例年以上に、よりきめ細かく稲作の諸作業をきっちりこなしていけたらと思っています。

何より、ササシグレがこちらの冷涼な気候でどうなのか、これが最大の関心事です。

 

チェーン除草2人版

そして苗の活着を待ち、チェーン除草をしました。写真はひとめぼれの田です。協力隊員の彼と2人で引っ張り合うことで、直接背中にたすき掛けロープで田の中を曳きずって歩かずにすみますね。田の短い幅の方を向かい合って往復でチェーンがけしておりますが、この後の動力除草機を使った作業は長い面を進行することになるので、90度逆の引き方をしてみました。うっすらと既に生えた雑草を取ることはできませんが、撹拌して泥水を作ることには効果があることと思います。あんまり田植え直後ですと苗に影響がいくし、遅れると田面が固くもなり、タイミングが非常に難しいです。

 

にんにく2023年5月

にんにくも旺盛に育っています。やはり雪解けが早かったのはありがたかったですね。春になって株元の草取りをし、次はトウ摘みですが、その前に気になっていた通路の雑草の草刈りも、今日完了できました。

 

2023年5月末の小麦とにんにく

にんにくと並んだ6月1日の南部小麦の生育状況です。いつもはこの6月になってからの出穂ですので、1週間程度前倒しで進んでいます。去年秋の播種は播種機を使用しました。均一に蒔けるというメリットもありますが、おそらく一番の効能は、覆土が深くならないで済むという点と思います。溝を掘って手で播種し鍬や長靴等で覆土するというやり方ではどうしても覆土が厚い深蒔きになってしまい、それが生育や、あるいは積雪地の難題「雪腐れ」菌に負けるという状態を招くと考えられ、播種機はそれを防いでくれるようです。

写真は南部小麦ですが、雪解けが早かったからか、その播種機使用が良かったか、これまでにない生育の良さです。一方のアリーナ小麦は、マメ科緑肥のクロタラリアの漉き込みの効果によってか、昨年の壊滅状態に比べるとそこそこに生育してはいますが、まだいくらか雪腐れの影響は受けているようです。アリーナは今度の秋は別の圃場で緑肥も行った上で作付けしてみようと思います。アリーナはヨーロッパの品種だけに、基本、雪には弱いのだと思います。それでもここ沢内でこれまで何年もしっかり育ってはくれました。畑を変えることで再び長稈の濃い葉色の姿を再現したく思います。

それにしても、南部小麦は雪腐れには非常に強いことは検証できました。とはいえ、ここは豪雪地です。雪腐れの原因となる連作を避けるためにも南部小麦圃場にもマメ科緑肥栽培を盛夏の休耕期間中に、全圃場とはいかなくても、順次行っていきたいと思います。緑肥の種代はかなり高価なので、そこが難点です。

 

自家製ルバーブのジャム

2021年晩秋に植え付けをしたルバーブが、昨年2022年の1作を収穫せずしっかり養成し充実させて、今年初めて収穫しました。当園とも共同で農産加工を手がける「味工房かたくり」の加工場でジャムになりました。第1号です。

 

ルバーブ園2023

「クリムゾン・チェリー」という品種になります。西日の強くない畑に籾殻や稲わらをたっぷり入れ、有機質(油粕)のみの栽培になります。近年は夏場の高温猛暑が特に西日本東日本では顕著なようです。ルバーブは暑さを嫌う作物でもあり、ここ沢内のような冷涼地で適度な雨により過乾燥にならない土地柄はかえってルバーブに向いているとも思われます。反面過湿にも弱いため、排水面の配慮は必要です。この場所は住宅の敷地と隣接した元々は田んぼでしたが、川のそばで石が多く、それはマイナスではありますが、水はけはとても良いのです。田としてはザルで不利でも、ルバーブにはきっと味方してくれる気がしております。

 

ルバーブ根塊

植え付けした時のルバーブの根塊です。今後数年間隔で、適宜株を掘り上げてはスコップや押し切りで4等分くらいにし、増やしていくという作業が晩秋または早春に必要になります。

 

タラノキ園2023

タラノキ園の管理も進めています。タラノキは根(種根)より発芽して増殖するのですが、いまこの雑草に覆われた通路部分で、地下に張り巡らされた種根から芽(ヒコバエと言ったりします)がにょきにょきと出て来ていて、それを見つけスコップで土が崩れないように掘り取って、別に作った畝の定位置に植えていくという作業をしています。たらの芽は受注が多く、生産が追いつかないので、できればしっかりと穂木が確保されるよう拡大努力をしたいし、それはいまのこの時期の作業になります。根を直接掘り取って育苗箱等で人工的に発芽させポット育苗して移植するというやり方もありますが、温度湿度管理は難しいですし、こうした切り取った根でなく土中の生きた根から発芽し地上に出現するヒコバエは質量ともに圧倒的に良好です。

逆に、家の敷地内に安易にタラノキを植えることは要注意です。定期的に草刈りで刈っていればいつか絶えてしまいますが、そうでなければあちこちにタラノキが出現し、いろいろ困ることもあるでしょう。庭木の方はご留意ください。

7月に入ると成木の畝は繁茂してもう畑に立ち入れなくなるし、いまのうちに草取り等の管理作業もしっかり進めておきたいものです。写真向こうの方はまだ植えたばかりの苗状態なので秋まで圃場に立ち入れますし、小さい苗のうちはしっかり8月まで草取り作業をしたいと思います。

 

早池峰神社

さて、現在左手首の治療をしているのですが、午前中で終わる診察の後に、病院のある北上市から遠野の早池峰神社に足を伸ばしてみました。雨の日ということもあり、農作業しなきゃと足早に帰るのでなく、やはり時々車を走らせていろんな土地を見ることで心と体のバランスが取れる気がしています。盛岡の知人から早池峰神社の由来についてなど聞く機会があり、関心を持っていました。附馬牛(つきもうし)という遠野の山間部にあり、なんか良い感じの景観でしたね。附馬牛、自分には心地よい土地柄でした。

 

早池峰神社山の神

阿仁でマタギ資料館や山の神を祀る神社に行ったりしましたが、この早池峰神社の中にも「山の神」の碑がありました。

 

早池峰神社馬の絵

遠野は馬産地ですよね。味わい深いです。時々ぼーっとこういう場で安らぎたいと感じます。

 

地早池峰神社地図

入り口付近にあったとてもわかりやすい案内図です。薬師岳がありその向こうはいったん谷間で幹線道路が走り、そしてその奥に早池峰山がそびえているんですね。静かな佇まい。月並みですが、心身の洗濯になった気がします。

 

稲荷穴

早池峰神社に向かう前に、いまは遠野市の宮守(ワサビの産地)でワサビラーメン定食を食べ(ラーメンと餃子にワサビが。。)、そして近くの「稲荷穴」という洞窟を見学しました。洞窟は好きなんですが、ここはちょっと中に入って探検という感じではなく狭い洞窟内に川が流れているというものでした。平日だし、ほぼ誰もいない山道のドライブです。長野県最南端天竜川沿いの誰もいない道路を走ったことを思い出しました。ここよりも天龍の方が秘境感があったかな。

 

宮守眼鏡橋

同じ宮守の「眼鏡橋」、昔子どもたちと来たはずですが、あまり記憶に残っておらず。。銀河鉄道が地上から空へ駆け上っていくシーンが彷彿されますね。

ちなみに、映画「銀河鉄道の父」を観て来ました。賢治の地元県というだけあり、平日でもかなりのお客さんでした。つくづく、妹トシが不憫ですよね。聡明で、賢治を励まし、最大の理解者でしたのに。。賢治の持つ迷いや心の弱い部分、内面の葛藤や自己批判的な傾向、現実を直視しようと力みながらも自分の慣れ親しんだイメージ世界にこもりたがる傾向。。こうした点はとてもわかり、自分も近いのかなと思います。役所広司が演じた父親像は、息子への愛と理解しようとする気持ちに満ち溢れていました。いままで何となく解釈していた賢治の父の印象とは異なっており、私には意外に思えました。

 

旧岩谷堂共立病院

かつて子どもたちを連れて訪ね、その断片的な記憶だけが頭に残って、あれはどこだったかな、と気になってGoogleマップで調べてみる、ということを夜に最近よくやっておりますが、この「旧岩谷堂病院」もその一つで、賢治の映画を観た後に、思い立って訪ねてみました。江刺の「えさし藤原の郷」の近くにあり、15年くらい前に「種山ケ原」へ行った帰りに見つけて立ち寄ったと思います。今回、管理人さんがいて(美しい人)、他に誰もいませんしとても丁寧に解説していただきました。

子どもたちが大きくなっていくにつれ、小さかった時の記憶が遠のいていって記憶が幻のように感じる時があります。そういう記憶の断片像をたどり直してみたい気持ちは後ろ向きであまり健全なことでもないのかもしれませんが、田畑で黙々と稼ぎながらも、時に田畑を飛び出して映画を観る、いろんな土地を訪ね歩く。。先にも述べましたが、そういうことを織り交ぜてくらしていくのが自然なことなのだと最近思います。

子どもたちが小さかった頃というのは農業面でも栽培技術的にまだ確立していないさまざまに不安定な面もあったし、そんな中でも子どもらにいろんな世界を見せたいという願望もあって、農業と外出スケジュールをこなすので精一杯でした。その出かけた先の中身などしっかり味わえていなかったかもしれませんね。前回同じように思って訪れた「マリア観音」について書きましたが、過去の不完全燃焼の部分をたどり直してみたい、そんな気持ちは誰しもあると思いますし、時々は田畑から出て何かしらの見聞を続けたいものです。

年齢的にも、人生の集大成をという年頃に達して来たのかもですね。。

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2023稲作が始まりました

山桜2023

雪解けが早かった2023年春、3月下旬から気温も高くて好天が続き、そしてその反動で例年と同じく、4月10日頃、稲の種籾を蒔いた直後より寒い日が1週間続く、という前進後退をしながらの、2023年春作業のスタートになりました。例年5月4日に満開になる農作業の指標木でもある山桜は今年は4月27日に満開となり、ちょうど1週間の前進での推移になっています。とはいえ、続いた低温への対策に透明被覆を使用して苗箱内の温度確保に努めましたが、まだ出芽には少々ムラがあるようです。この地域では出芽機をみんな使用しますが、その寒冷地ならではの理由がよく分かります。やっと居座り続けた寒気が去って行きつつあり、春なのに暑くて、という気候に早くなってほしいものです。

 

亀の尾種籾

種まきは普段通りの4月12日。小規模農家用の種まき機で2日かけての播種作業となりました。

 

種まき2023

今年はササシグレの種籾が入手できまして、亀の尾・ササシグレ・ひとめぼれ・いわてっこの4品種での作付けになります。ササシグレが成功するかどうかが最大の懸案になりますが、病気にかけずそこそこに穫れるようであれば、ひとめぼれかいわてっこのどちらかを減らし、最終的には3品種の体制にしたく思っています。品種数が多いととても諸々作業が大変になります。亀の尾もですが貴重な籾であるため、コンタミも軽減しなくてはいけません。

 

たらの芽2023

たらの芽部門では、はタラノキ畑がなかなか順調に当初の作付け時点の規模にまで改植が進んでおらず、7a程度での圃場での収穫分でのたらの芽栽培となっております。定期的に注文をいただく飲食店の方々への出荷を除いた余剰分はあまりなくて、収穫の波が大きく来た時のみ、限定的に個人の方向けにフリマサイトを利用しました。ありがたいことに生鮮品であるたらの芽の売れ残りという事態になることなくご注文をいただいて、出荷販売を完遂することができました。3cmの厚さに収まることから、クリックポストを活用することで、送料を抑えた形状の出荷を行うことができました。大小がまちまちになるのは恐縮に思いますが、これから春の栽培管理の時期、できるだけ均一な太さのタラノキを生産する技術、というのもしっかり実現していきたいと思うところです。芽かきの技というところですね。

 

やまなし研究会2023

イワテヤマナシの研究会への参加も10年を超えて時間は重ねて来ておりますが、九戸や水沢で生産グループが立ち上がっていくのに比して、当地西和賀では私が個人的に栽培実証を行っているという域を出ず、力不足を感じる昨今です。現在は水沢が中心になっていて、研究者の神戸大学片山先生も水沢の圃場によくいらっしゃって、私もそうした機会には研究会に足を運んでいる次第です。

大きく生産出荷のグループ活動をということになれば、出荷先の見通しや、ある程度大がかりな加工の体制も必要になって来ます。そうした段階が集団の取り組みの目標にはなるだろうとはいえ、ここ沢内のような場所でいきなり大量の作付けを、という方式を目指すのではなく、採れた果実を自家加工で小さく、イワテヤマナシの魅力をメニュー化・商品化して個別の消費者に提供できる形、というのが取り組みやすいやり方なのかな、と思っているところです。

 

東北ユースオーケストラ

農業外の記事になりますが、3月21日の祝日、盛岡でマーラーの5番のコンサートがあり、出かけて来ました。東北ユースオーケストラという若い楽団のコンサートでした。流石に音楽のプロを目指す若手プレイヤーの集団です。演奏は見事でした。震災復興のテーマを掲げたコンサートでした。このコンサートの直後にお亡くなりになった坂本龍一さんの震災追悼オーケストラ作品が最初に演奏され、その後に宮沢賢治の作品にちなんだ朗読等の要素も含まれたプログラム、そしてマーラーでした。写真が小さくて分かりづらいですが、朗読部分を担当した「あまちゃん」ののんさんが全プログラムの終了後改めてステージに出てこられたシーンです(指揮台やや左)。その左には進行をされていた、かつてニュースステーションで毎日目にしていたアナウンサーの渡辺真理さんも登壇しての終了時の写真です。渡辺真理さん、2001年9.11テロの時のアナウンサーだったですかね。

地方にいてマーラーを聞く機会はあまりありません。ブルックナーもですが。。ふだんはもっぱらCDで聴きますので、細かい部分がどうなっているか、生ではいろんな楽器に目移りしつつ、音の実証確認しますね。やはり目立つ打楽器に目が行きますが、ティンパニの女性、とても上手でした。見ていればどこがティンパニでどれが大太鼓かもはっきり分かりますよね。生ですから。またマーラーといえばタムタムですが、5番では、前半こそ多用されるものの、後半は全く出番がなかったんですね。確かに、タムタムは運命的な宣告を与える要素です。短調の暗い音色の1、2楽章はタムタム的、ですけど、明るい音色に変わっていく3楽章以降はタムタムという感じから抜け出していたかもですね。そういう部分も演奏会ではよく分かります。

東京にいた時はN響のNHKホール当日券D席1,000円のコンサートにお世話になりました。滅多に演奏されないマーラーの3番も、8番「千人」もここで生で聴きました。この2曲は一生忘れられないメモリアルです。上京した初年度、上野の文化会館に、朝比奈隆のブルックナー8番(大フィル)を聴きに行けたのも貴重な思い出です(36年前ですね)。

 

ヤマメ2023

昨年3月に、盛岡在住の、山間地の生活技術や歴史伝承習俗に長けた方を招いての集いを石鳥谷の「カフェそら」さんで行いましたが、その第2弾を西和賀で行いました。懇談会に先立って、わが家の家の前で早速ヤマメを釣り上げた達人の腕前です。渓流釣りでも目印ではなくてウキ(玉ウキ)を使うことで、ウキ下のハリスと針の動きを自然にする効果を狙っていると思います。目印よりウキの方がよく見えますしね。家の前にはヤマメとイワナの両方がいます。すっと移動して捕食するのはこのヤマメで、岩陰でじっと餌を待つのがイワナだそうです。川岸に立てば、達人にはどの辺にどれくらい魚がいるか、カンでわかるそうです。もちろん、クマの気配は常人の何倍もの感覚で察知します。

このあと、古民家「ツキザワの家」でこの達人の方を囲む懇談会を行い、家の管理者の写真家の瀬川さんご夫妻ともとても話が合って盛り上がりました。農作業が本格化する前、自然や生活の技に関する有意義な話題を聴きながらのひとときを過ごすことができました(ツキザワの家は8月の記事で襖絵も紹介させていただきました)。

 

マリア観音標識

さて、子どもたちの小さかった頃のことを思い出し、あの時行ったあの場所はどこだったっけ、と思い改めて検索してみることがよくあります。当時は岩手の土地勘もわからずに出かけていましたし、ああ、あそこに行ってたんだ、ということもよくある話ですね。その一つが一関市東山町にある「マリア観音」でした。気になり始めると、とことん探したくなり、当時の日誌とGoogleマップのおかげで「マリア観音」の名称と場所が特定できました。2007年5月3日に大船渡や陸前高田へ出かけ、その帰り道にふと見つけて立ち寄った光景がずっと片隅に残っていました。2007年の訪問の時は写真に残していなかったんですね。

その日は、震災前の高田松原にドライブに出かけ、その海岸のそばにあるちょっとした公園で、3歳だった長女を遊ばせていた時に、地元の子かな、10歳くらいの女の子が、長女が滑り台で遊ぶ様子をそばでやさしく見守って手助けしてくれたり、ぴったりくっついていてお世話してくれたことがあり、とても印象に残る光景だったのです。

2007年5月3日

お姉さんに娘が遊んでもらっている写真が残っていました。震災の4年前。この公園はもう失われているはずです。お姉さんはお元気でしょうか。いまは25歳くらいかなと思います。この光景はずっと忘れられないです。

 

マリア観音出発地

当時帰り道に寄った「マリア観音」は残念ながら、いまは落石の危険ありということで立ち入り禁止になってました。15年前の記憶ではこの像のあたりから上へ登って、岩場内のマリア像へ至る急峻な道だったと思います。これ以上の写真は撮れませんでした。

 

幽玄洞入り口

せっかくなので、すぐそばにある「幽玄洞」を訪れることにしました(入洞には1,100円かかります)。

 

石筍こま犬

ところどころ、後から設置された石仏などもありますが、いろんな造形美を見せてくれた洞窟でした。石筍こま犬とあるのは、石筍がこま犬のような形に形成されていることからの命名のようです。

 

石筍こま犬

アップするとこんな感じですが。。。

洞窟サンゴ

昔岩手が海だった頃、四射(四放)サンゴとかウミユリとかの化石がここに閉じ込められたそうです。こうした姿を正確に表象するのは難しいですが、専門家による標識がたくさんありました。

 

フローストン

これは生物ではなく水による岩盤の削りの痕跡のようです。

雨の日の、買い物等用足しを兼ねたドライブでした。

 

十和田湖標識

こちらも所用で出かけた青森県の帰りに立ち寄った十和田湖です。奥入瀬渓谷はちょうど新緑が綺麗で(いつもより早いでしょう)、観光客も多くいました。夕方でもありあまり立ち止まらず十和田湖へ向かい、これはメインの道路から逸れた山道を走っていたからこそ出会えた展望台で、ここで美しい十和田湖を眺めてまいりました。

 

十和田湖展望台より

上の看板の眺めです。湖の佇まいって良いですね。八ヶ岳山麓の蓼科の御射鹿池も良かったですね。。

 

八甲田を望む十和田湖

遠方の山は八甲田山でしょうか。八甲田山の映画、まだ観られないでいます。。

冒頭の山桜開花により、諸々の農作業が一斉にスタートしています。作業時期というのに関係ないビニールやネットを掛けたり、苗物を植えたりの作業は適宜行っていますが、桜の開花でりんどうの芽かき(立ち本数を減らす株仕立て作業)のゴーサインとなりましたし、田起こしや、りんどう新植のための堆肥入れ等の準備も OKです。小麦の通路の除草作業が大きな作業枠になり、時間をかけて取り組むことになります。ブルーベリー等の剪定作業もほぼ終えて、とにかく、抜かりなく、遅れることなく、作業を前へ前へと進めていくのみです。

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福井への研修旅行

永平寺参道

認定農業者の全国サミット大会というのが秋に行われていて、昨年はコロナ自粛でありませんでしたが(正確にはリモートで内容閲覧することで開催という形でした)、今年は福井県で行われました。昔は遠くまで大勢で行ったもんだという話を聞きますが、いまは参加の手を挙げる者もいず、結局認定農業者の町内の会長と副会長と役場担当者の3名での参加になっている感じです。

そういうわけで10月19日に福井入りし、まずはタクシーで永平寺に向かいました。前回のブログでも書きましたが、閉園間際でほとんど観ることはできませんでしたが、息子に持たせる数珠を買い、初日の行事となりました。

 

サンドーム福井

福井市内からは30分もバスで移動したでしょうか、眼鏡で有名な鯖江市にあるドーム会場での全体会の開催でした。

 

越前おろしそば

大会は午後開始なのですが、遠距離なので前泊しての参加になり、当日は午前中から会場に来ています。いつも午前中には会場内にいろんな試食コーナーがずらりと並び、かなり高額な料理や菓子類も提供されたりしていました。2016年に参加した岐阜の大会は圧巻で、飛騨牛のサイコロステーキのようなのや有名長良川の鮎の煮汁など行列ができていたものでした。全体会のメインである開催県主催者によるアトラクションですが、これも岐阜の時は大規模なプロジェクションマッピング技術を駆使した豪華なステージ演舞で圧倒されました。司会も大物女優さんだったと思います。コロナ禍のことは仕方ないにせよ、岐阜以後はかなり規模縮小という感じで、今回もそう印象深く残るものではありませんでした。

名物のおろしそばが弁当とともに配布されておりましたが、多分参加費の中に含まれていて購入になったのだと思います。

とはいえ、そういうサービス目当てで参加するものではなく、全国から集った知らない農家どうしの交流が目的になりますね。

岐阜のことばかり賞賛するのも気が引けますが、その時の2日目の視察行程のバスの中での案内役の農業普及員(専門の県職員)さんの地元農業に関するバスガイド解説は大変心に残っていて、まさに痒い所に手が届くような丁寧できめ細かい配慮の語り口で素晴らしいものでした。淀みなくずっと語ってくれていました。2016年当時もブログに書いたと思います。たまたま乗り合わせたバスの担当が専門の方だったからかもしれませんが、以後は農業を知らない一般事務の公務員の方で、ほとんど事務連絡になっていましたね。でもこれが普通で、多分岐阜大会が特別だったのでしょう。

 

アイガモロボット

会場の一角で業者の展示もあり、人々の関心を呼んでいるように見えましたのが、アイガモロボットです。農薬不使用の水稲栽培での最大の負担は除草ですから、こうした装置が田んぼを縦横無尽に歩き回り泥を攪拌して抑草を続けてくれれば本当にありがたい話です。田の中を重い除草機やチェーン除草具を引き回す作業はかなりの重労働です。6月の除草時期に何度除草に入れるかで収量は決まります。もちろん冷害に遭わなければの話です。2年続きで寒さの夏でしたので。。

 

福井恐竜博物館

サミット大会当日夕方から分科会に分かれての懇親会、宿泊、そして2日目の研修視察となります。分科会では集落営農組織の代表者の話、産直運営者の話と2件参加した後に、メインである福井県立恐竜博物館を訪れました。日本で最初に恐竜の骨が発見されたのは岩手県ですが、出土の量が最も多いのがこの福井県勝山市になります。そこに建てられた恐竜専門の博物館は世界3大恐竜博物館と言われ、恐竜少年たちの憧れの聖地です。

 

ティラノザウルス

館内で長いエスカレーターを下って最初に出迎えてくれたティラノザウルスです。動いているし、声も発しています。

 

居留博物館展示

そのティラノを中心に広大な空間に実物大?の骨格標本が配置されています。天井までは何十メートルもあります。首長竜の頭は遥か先でした。

 

恐竜博物館標本群

やや上部の通路から見下ろしています。標本はとてもたくさんで、また陳列品も膨大なもので、とても1時間半の中でくまなく読むことはできませんね。博物館は大好きですし、個人で来ていたらまる1日いたと思います。

 

あまごの宿昼食

あまごの宿というアマゴの養殖施設の料理を昼にいただきました。左上の2尾で小さいなと思いましたが、頭から食べて、味はとても良かったです。養殖施設も見学しましたが、餌やりも敢えて大きくしないような与え方をしているようでした。釣りとしては大物狙いますが、食べるには小さい方が美味しいんですね。右上の小鉢はイワナの刺身で、酢味噌でいただきました。

 

福井の焼き鯖寿司

以上でサミットは終わり、福井駅で焼き鯖寿司を買って、新幹線で岩手に戻ってまいりました。もともと鯖は好きですが、この鯖寿司は絶品でしたね。

あとは極晩りんどうの最後の品種の最後の収穫選別をやりつつ、廃園にするりんどう畑のネットと支柱外し、耕耘、そして半端な時間にはにんにくの草取りをしています。

 

稲扱き2022

例年カメムシ害に見舞われる早稲米の「いわてっこ」ですが、脱穀・籾摺りを終えておりますが、明日、斑点米除去のため農協の色彩選別に出して来ます。明日明後日は好天のようなので、この間に残り品種の大半の脱穀をしたいと思います。亀の尾の新米時期限定のやや高水分のみずみずしいお米の出荷から始めたいと思います。

なお、いろいろ考慮した結果ですが、今年の新米から700円/kgに100円ほど上げさせていただきたく思います。20数年前に500円/kgから始めてその後自前の脱穀・籾摺り設備の導入時に600円に改定させていただいて、15年も経ったでしょうか。他の自然栽培・天日干しの生産者のお米との値段差がやはり大きくなっていて、むしろ改定をとの指摘もいただいたり、また転売目的のような注文が来ても良くありませんから、この年から100円ほど改定させていただきたく思います。その分というのも語弊がありますが、カメムシ害についてはこれまで行っていなかった色選委託で品質を保ちたいと思います。いわてっこは色選に出す関係で11月最初まで出荷はできませんが、おそらくは斑点米の少ないであろう亀の尾から始め、ひとめぼれ、チヨニシキと合計4品種の出荷を行っていきたく、今年の新米もどうぞ宜しくお願いいたします。また、いわてっこ以外にも何らかの着色米がある程度見られた品種については色選委託を行いたく思います。なお、色選に出す場合はその品種全量の玄米で委託するために、これまでの翌春から出荷する分の冬期間氷温の籾での貯蔵・春の籾摺りはできず、玄米での氷温貯蔵にいたします。

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稲刈りが終わりました

2022最後の稲刈り

8月の天候不順やその前6月の低温が影響し大幅に生育が遅れていた2022年稲刈りですが、9月に好天、比較的高温が続いてくれて、籾の登熟はある程度挽回してくれました。稲刈りスタートは1週間遅れでしたが、最終の亀の尾はほぼ前年と同日の刈り取り日となり、現在ハセにズラリ掛かって干されております。

例年カメムシ害の多いいわてっこは既に脱穀まで進めていて、籾摺りすれば玄米ができます。ただ現在、農業者の研修旅行で福井市に来ていて、金曜日まで作業はストップしています。岩手も天気は良さそうなので、籾の天日乾燥という一番の仕事は自動で進んでいることでしょう。

ひとめぼれについては8月のしつこい長雨でいもちに罹っており、カメムシ害の予想されるいわてっことともに、玄米を確認後、色彩選別の委託を行うことも念頭に置いていますので、玄米出荷までには時間がかかりそうに思います。ラストに刈った亀の尾が最も早く玄米で提供できると思います。ご希望も既にいただいていますので、亀の尾は新米時期限定の17%乾燥米をご用意して、天候次第ですが今月末までに出荷させていただきます。

チヨニシキも17%新米限定出荷は可能ですが、注文がなくとも飯米消費に回せる程度の量にしておきたいと思います。この時期の17%高水分米は年内をめどに食べ切っていただきたく思います。次年度へ持ち越すお米は引き続きしっかり乾燥させていきます。

写真は最後の稲刈りとなる亀の尾で、10月15日の様子です。

 

2022ハセ

用意したハセ全体に稲が掛かりました。風でひっくり返されたりすることなく、無事しっかりと乾いてほしいものです。

町の認定農業者協議会で役員になっている関係で、認定農業者サミットという研修旅行に出かけています。今回は福井県です。10月20日という農家として信じられない時期の開催で怒りも込み上げてきたりしますが、まあ南国の農家には雪でシーズンが終わるなんてリミットもないだろうし、戻ってまた続ければいいやという感じもあるのでしょうか。北国の豪雪地では限られた期間、日暮れも早い中、目まぐるしく作業を続けています。

当初は脱穀とぶつかるなと心配してましたが、稲刈りが遅れたことで、稲刈りと稲扱きのちょうどハサマの旅行になりました。

前泊した昨日19日には福井入りしすぐに永平寺にタクシーで向かいました。閉まる時間が早く見学時間はほとんどない中でしたが、数珠を買うことができました。沢内は曹洞宗の檀家が多く、移住した年でしたか、農業を習いに通っていた農家のいまは亡きおじいさんが、永平寺で買った数珠だよと、私にくれました。これから地元の一員として葬式に多く出ることだから、そういうのも持っていない私に差し出してくれたのでした。永平寺に行ったら数珠を買わなければとずっと思っていて、昨日それが果たせました。この数珠は息子に渡したいと思っています。

明日は最終日の部門ごとコース巡りになりますが、福井と言えば恐竜。ラジオ子ども電話相談の恐竜少年たちの聖地、福井県立恐竜博物館もコースに入っていて、一番の楽しみです。永平寺で念珠を買い恐竜博物館を観れば、十分な稲刈り後休養旅行になりますね。

今日はこれから全体会になり、終了後分科会ごとに分かれバスで懇親宿泊会場に移動になります。