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稲作が終わり新米の季節へ

稲刈り2024

7月と9月に大雨があって、多雨多湿の2024年夏でした。気温は高かったと思いますが、晴天の印象が薄く、天候的には恵まれたとは言えないシーズンだったでしょうか。切り花りんどうなど園芸品目に病害が出て収量を落としましたが、いつもりんどうとお米は反対になり、今年の稲作は、大雨にもめげず病気にならないで平年よりは多収であったと思います。9月には雨が多かったものの、幸い稲刈り時期の下旬は田も割合乾いていて、去年のようにバインダーが進まないということはありませんでした。もちろん水のある中を用心して刈り進んだ箇所はありました。

 

稲扱き2024

脱穀の時期は割と秋晴れが多くて、今年は良い稲扱きができたと思います。とは言えこちらは気温の低い地域ですから自然乾燥に適しているとは言い難く、外のハセで15%まで水分を下げるというのは厳しいですね。三陸沿岸部とかで遅くまで掛けている風景を見たりしますが、長期間掛けていれば干せるだろうと思われますが、そうもいかなくて、特に11月に入って冬型の気圧配置になってくると、気温も低く小雨が多いぐずついた気候になってきます。籾の水分も下りはしません。10月中の取り込みは必須です。

 

ハウス稲の脱穀2024

そんな地帯ですので、この18間のハウスにも稲を掛けています。4mパイプ4段2連結が2列です。麦の乾燥の時は夏だし真ん中にもう1列作りますが、秋の稲の時は風通しの悪くなる中央部は設置せず2列で行います。それでも4段の下から2・2・1・1の束を掛けますし、ハーベスタに付けているメッシュのコンバイン袋ですが、ここから8袋穫れました。

 

わらカッター2024秋

外に干した通常の稲の脱穀後のわらは畜産農家さんに持って行ってもらいます。そしてこのハウスに掛けたわらについては、わらカッターで田んぼに戻します。ハウスには亀の尾を掛けていましたので、背も高くて効率が良いです。この意味でも長稈品種は助かります。ただ、このわらカット作業は結構体力を消耗します。通常田んぼは水を張っていて平面であるというイメージがあるかもしれませんが、それは慣行の農薬を使う人の田の話で、われわれは何度も除草機かけで田の中を歩きます。長靴の足跡で条間はボコボコになっています。なのでバインダーで刈る時もぶれそうになる動きを制御しながら刈っていきますが、バインダーはエンジンで走行します。このわらカッターは自走せず、エンジンは藁を切断し飛ばすための動力です。タイヤは一輪車に付いているようなタイヤで、自分で押して動かすので、これでわらを田の中で均一に散らかるように移動したり角度を変えたりして飛ばすのは結構力がいるのです。ちょっとした長靴の凹み跡でももう前進できません。むしろ移動は引っ張ることで行います。小さめの田で2枚に散布しました。ハウスに掛ける稲は5〜6アール分の稲なので、わらの量の入り具合は薄めになりますが、やはり毎年少しずつでも田んぼに還元したいものです。ハセ掛け栽培は稲わらを持ち出してしまうので。。

 

小麦の中耕除草

天気の良い日には小麦畑の中耕除草をします。今年は40cm間隔で播種しておりましたが、管理機とちょうど合っているようです。秋のうちに一度こうして除草しておくことは大事です。雪解け後の5月頃にも2度目を行いますが、やはり雪の押されて土も硬くなっていて、それほど綺麗に土が飛んでいかないのです。

 

南部小麦10月27日

10月27日の播種後約1か月後の南部小麦です。今年の秋は高温傾向だったため、秋に植え付けをするこの小麦やにんにくはとても生育が旺盛です。いつもとは違います。ああ、同じ岩手でも東北でもここより気温の高い場所は多いというかほとんどなので、みんな当たり前のように秋にこれくらいの生育になっているんだ、とつくづく感じます。こちらではそれが今年限りのラッキーな状況だということですかね。小麦の場合寒冷なのは悪いことじゃありませんが、早い根雪で年内の生育が早く終わり、遅い雪解けで春の再開が遅れることは結構ではありません。要するに雪がネックになるのが小麦栽培で、春先の雪腐れ病も原因は雪です。

雪腐れ病の対策は、連作をしないことと積雪前の年内の生育をしっかり充実させること、のようです。小麦と輪作できるのはにんにくくらいですが(あとは玉ねぎとか)、小麦と同じ面積のにんにくを交互に作付けするわけにもいきませんし、小麦の連作になってしまいます。そこで刈り取り後と次の播種の前の2か月余りの間にマメ科である緑肥のクロタラリアを栽培し、ある程度生育したところをトラクターですき込んで腐熟化し、小麦を播種するという形をとっています。マメ科を挟むことで連作の回避の意味と緑肥のチッソ分補給の両方を兼ねるのです。また、今回は、南部小麦よりも晩生であるアリーナの方を先に播種しました。ヨーロッパ原産のアリーナは南部小麦よりも雪腐れに弱いです。これは他のライ麦とかスペルト小麦などヨーロッパ小麦にも言えることで、まだアリーナは良い方ですが、それでも南部よりは危険なので、年内の生育量をしっかりキープするためには、早く蒔くということが大事になってきます。

前回も書きましたが、小麦播種は稲刈りと重なります。天気が良く土が乾いている時は稲刈りよりも小麦播種を優先します。ちょうど田植えが代かき後雑草の種が動き始める前に早く行うというのと同じで、小麦畑を耕耘ししかも土がこなれているうちに素早く播種を行う、できれば耕耘当日か翌日に、というのが鉄則になります。

 

焼石岳

いまはそんな激しかった繁忙期も終わり、一段落ついて秋仕舞いの時期になりました(とはいえ今度は雪の心配をしながらで、決して楽な時期というわけではありませんが)。それもごく最近からですが、ちょうど稲刈りが終わって、稲扱きにはまだ時間がある10月17日、かねてから計画していた焼石岳への紅葉登山をしてきました。

焼石岳はここ西和賀町に接する南本内岳から縦走すれば近いんですが、一般向けのコースじゃないので、初めてのコースで一人登山ではちょっと抵抗があり、ぐるっと胆沢ダムの方へ回ってから中沼のコースで登りました。胆沢ダムから登山口までの林道は結構な悪路でスピードも出せず、しかも紅葉の時期なのでもし駐車場が満車だったらどうしようとの心配もよぎります。その意味でその直前の3連休は天気が良かったものの入山はやめて農作業に専念し、新米時期限定の早期脱穀を行い新米を準備することができました。17日は紅葉もピークの好天の日でしたが、平日だったため、駐車場が満車ということはありませんでした(朝7時頃到着で3〜4割の駐車あり)。

 

中沼

地元じゃなく胆沢ダムからのコースにしたのは、紅葉の池を見たかったというのもありました。登山開始からすぐの中沼です。

 

上沼

やや進んで上沼。ここも素晴らしい紅葉です。

 

銀明水避難小屋

避難小屋があります。銀名水という湧き水のところです。避難小屋ってとても魅力的です。前にも書きましたが、予約も要らず値段も安い(あるいは無料)。2段ベッドが組み込まれてあってシュラフと食事の準備はもちろん必要ですが、快適に休めます。そんなに混むこともない。ただ、この場所は登山口から2時間くらいだし、焼石岳自体が日帰りの山ですので、よほど想定外のトラブルとかがない限りはなかなか利用する機会はなさそうです。6月に訪れた朝日連峰の以東岳の避難小屋は山頂近くで、大鳥池のコースで登山口から6時間。早朝に家を出て9時頃から登り始めて到着は夕方。ちょうど良い場所ですね。この以東岳も日帰りする客がいて、かなり強行になります。そのような方は前夜とかに登山口まで乗り入れて車中泊し、早朝から登り始めて日帰り登山をするのですが、そういう山行をするよりは、私は早朝に家を出て、そして山中で小屋泊をする、ということに惹かれます。人の多い関東の有名な山ではなかなかできませんが、東北の静かな山だからこそ、避難小屋を使って夜も昼も山を楽しみたいものです。

 

銀明水

こちらは銀明水という湧き水です。昔からある名水のようですね。中央に見えるパイプ?のようなものはなんでもなく、石の左下から流れてくる水をその出口の箇所で掬って飲みました。よくわかりにくいですが、木の踏み台みたいなものの右側は水の流れになっています。帰りに2L汲んで家でコーヒーや米の水に使いました。

全くの余談ですが、9月のNHK交響楽団の定期でブルックナー8番の「初稿」での演奏会があり、FMとテレビ番組とで放送がありました。指揮は現在常任のファビオ・ルイージです。今年は生誕200年ですしね。ビッグイベントです。

ビックリです。大学1年の頃から40年以上聴き続けてきた8番の初稿がこんなだったのか、と。1楽章の終わりが何と大きく盛り上がって終わるし、3楽章の頂点部ではシンバルが3連打!! 個人的にはここでシンバルが入らないハース版よりも1発大きく鳴るノヴァーク版の方が好きでしたが(その後でもう1発入りますが)、3連打は驚きでした。ノヴァーク版が好みというよりは、オイゲン・ヨッフムのブルックナーが好きだったことによります。いや、でもこの初稿は一番好きかもと思いました。発表後も改訂をくり返すことの多かったブルックナーの交響曲ですが、誰の意見に左右されず、まだ自分の完全な好みで描かれた初稿ですから、最もブルックナーらしさに満ちていると言えます。ブルックナー8番はやはり私には松本市での大学生生活の空気感がまとわりついています。10月になれば空気もぐっと下がってきて、湿度もなく、とても稲がよく乾きそうな。そういうヒヤッとした感覚が蘇りました。

しかし最近は、どちらかと言えば5番の方が好みになっています(私の趣味など別にどうでも良いことではありますが、5番には着目してもらいたい気持ちです)。2楽章も美しくて好きですが、やっぱり終楽章のコーダの部分が凄いですよね。ここの金管セクションはものすごい体力を消耗するそうです。金管が旋律を強奏し、弦楽器は完全に伴奏のリズムを刻みますが、この伴奏もまた良いんですよね。最近「カケルクラシック」という毎回ラジコで聴いている番組にゲスト出演した、NHK教育ピタゴラスイッチで有名な「栗コーダーカルテット」の一員の方が、自らの思い出深い演奏として東京カテドラルで行われた朝比奈隆の5番を挙げて、そのコーダ部分が放送で流れましたが、これもまたテンポも雄大で迫力でした。あまりに凄い演奏で、終演後誰も拍手を打ち鳴らせず沈黙が続いたそうです。オケは大フィルでなく東京都響だったように思いますが、CDで見つけることはできない特殊な音源なようでした。5番も朝比奈、ヨッフム、チェリビダッケの3人のライブ録音をよく聴いています。東京へ上京した最初の年に朝比奈/大フィルの8番を東京文化会館で聴き、バチバチと照明がショートする銀座線に乗って三軒茶屋から上野まで行きましたが(外苑前で乗り換えだったか)、その時は比較的早いテンポで進んでいましたが、生まれて初めての生の8番は感動的でありました。これが唯一の朝比奈体験でした(ハレー彗星の来た1986年です)。ちなみに、8番のヨッフム/バンベルク交響楽団の東京公演は大学生の頃に帰省中の広島でFMの生放送で聴き、これも凄い名演で、わなわなと震えました。NHKホールだったでしょうか、CDで持っていますが、私には8番のベストの演奏です。最後の3音の微妙にためながらの終わり方にもしびれました。東京へ出た年には、朝比奈だけでなく、実はヨッフムも来日していました。しかも確かすぐ近所の昭和女子大学人見記念講堂へ来たのに。。お金がなくて行けませんでした。まだサントリーホールができる前で、この人見記念講堂が日本のベストのホールとされた時期です。ブルックナー7番だったと思いますし、CDにもなっています。まだ未購入ですが、聴きたいですね。

後に、サントリーホールには出版社にいた頃にマーラーの「大地の歌」を聴きに行きましたが、オーケストラの大音量で歌い手の声が掻き消えた箇所があり、それは少し残念でしたが、マーラー自身この曲を耳にすることなく亡くなってしまっているので、オケと歌手の音量のバランスがわからなかったのかもしれませんね。オケの編成は確かに大きかったと思うので。

NHKホールにもよく行きました。1,000円の当日券D席で、会社を早めに退社して、確か6時頃から当日券発売だったような。。コンサートでは珍しいマーラーの3番や、記念碑的な8番もここで聴きました。両曲とも10年に一度くらいの稀なる演奏会ですね(地方では皆無で東京でですね)。マーラー8番の「千人の交響曲」を聴く機会など一生に一度でしょうから、貴重な体験でした。神保町の洋書屋さんでレクラム文庫版の「ファウスト」原書を買って、8番の歌詞を追ったものでした。最後の「hin an!」「上へ(天上へ)!」のラスト、懐かしいです。タムタムが一発荘厳に鳴り響き、終結する。この初演の時は当代の作曲家や指揮者はむろん、ホフマンスタール、シュテファン・ツヴァイクやトーマス・マンも会場にいたという話です。音楽のイベントが歴史的事象になった出来事と言われました。このマーラーの8番、出だしも強烈で、「Veni creator spiritus」(来たれ、創造主なる精霊よ)、でいきなり有無を言わさず引き摺り込まれるわけですが、当時就学以前の幼少の子どもたちに冒頭を聞かせながら、この意味をどうやって教えよう、「おいで、世界を作った妖精さん」で始まるんだと伝えたことも、懐かしい思い出です。

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稲作がスタートしました

塩水選2024

3月の最終週に種籾を農協の温湯消毒依頼をし、次いで塩水選を行って、稲作がスタートします。亀の尾、ひとめぼれ、ササシグレ、いわてっこの四種の種籾を準備しました。すべて昨年の収穫の籾を使用しますので脱芒や選別作業の必要が出てきます。近所で借りている脱芒機を使いヒゲを取って、というのが最初のスタートですが、あまり上手に取れなかったのが正直なところで、前年の秋のうちに脱芒機作業をしておいた方が、一冬過ごしたいまよりも取れやすかったのかもしれません。

 

脱芒機

前もって脱芒機にかけた後はふるいで雑草の種や土埃を除去し、そして農協の温湯消毒、その後塩水選でしっかり種籾を選別します。特にササシグレは病気にかかって軽い籾が多く、厳重に選別をかけて重いもののみを種として確保しました。最初の写真はひとめぼれの塩水選の様子ですが、ササシグレほどごっそりと浮いてくるものでもなく安心しました。とはいえ塩水を濃いめにしてしっかり選別することは心がけています。

 

籾の水漬け

そして3月27日の夕方から水漬けがスタートしました。かつては、冷害に強く、とか敢えて厳しい環境で育てようとかの理由でこの水に雪を詰めたり、低温環境下で長期間漬けるなどの試みもあったようですが、現在は逆効果と言われ、かえって出芽が揃わなくなったりする危険もあるようで、比較的温度の高い状態で短期間の水漬が主流になっていると思います(積算水温100度で、1日10度平均とすると10日)。とはいえ夜間はまだ気温がマイナスになりますし、10日ではすみませんね。しっかり長く漬ければその後の加温催芽が短くて済むし、漬け方が足りなければその分長く催芽させれば良いと言えるので、あまり厳密には行っておりません。

現在は脱芒機に選別のグレーダーが付いていたりして、プロの種籾出荷農家はきちんと揃った種籾を提供しているし、塩水選はもう行う人はいないようです。薬剤をしっかり使って無病の籾を供給してもいるのです。われわれは自家用の籾を確保するだけの小農家ですので、高額な脱芒機を買うよりも、濃い塩水選で重い籾を確保することが大事です。

 

ハウス除雪1

ハウスの準備も並行して行うわけですが、雪が少なかった年ではあったものの、風が強い当地では建物に当たって跳ね返った雪がそそり立つようにたまってきますので、作業舎に近いハウスの右側にあたる箇所は除雪機による除雪が欠かせません。ハウスの外周をまず除雪します。塊になっているのは、除雪機の後にスコップで削ぎ落としたことによります。

 

ハウス除雪2

右側のパイプの付近は1mの積雪になり、何度も除雪機で掘り下げて飛ばしてやります。とはいえ、普段の年に比べたら楽なものでした。普段ですと硬く凝縮した古い積雪層は除雪機が跳ね返されてなかなか掘り進めていけず、斜めに上に傾いて進んでしまいます。今年は主に3月の積雪が多かったようで、地面に近い部分もそんなに硬くなっていませんでした。

パイプの付近は除雪機で飛ばせないので、あとは自然融雪に任せます。時々スコップで切って落としてやる作業は行うのですが。スコップで切れ目を入れてやるだけでも融雪には効果的です。

 

キリシタン石碑

息子が仙台へ引っ越しし、軽トラで荷物を運んで大型の家財道具が設置できて、ホッと一安心しています。家から運んだ机やベッド、布団、ガスコンロ、自転車などは幌の上部骨組みへの縛り固定もできて、幌付きのありがたさを感じます。荷物を下ろした後にリサイクル店に行き注文していた冷蔵庫や洗濯機を積載しましたが、これも幌フレームへの固定で搬送は楽でした。冷蔵庫と洗濯機ですが、いまは安い製品も多く聞き慣れないメーカーの格安品が生協のカタログ上とかでもみられました。が、自分が昔の人だからかもしれませんが、そうした格安新品よりも中古の国内メーカー品の方が信頼できる気がしました。最終的にどちらが得なのかはわかりませんが、安い新品よりも中古価格のブランド品の方が安心感を覚えるのです。。もちろん日本の老舗ブランドでも海外で製造していることは現実でしょうけど。とにかく時期が移動時期ですし、国内メーカー品の白物家電はリサイクルショップにたくさんありました。

大学の食堂はとても混むという話で、息子も自炊・弁当中心の生活を決意したようです。台所用品とかカーテンみたいな雑貨類は家内が行って手配していますが、とりあえず調味料や洗剤、消耗品などスーパーで買えるものは時間もあって息子と検討しつつ、料理酒とかも含め買い揃えてきました。和食が作れる青年になって欲しいと思ったりします。

さて、帰路は別コースの山道を辿り、宮城県から秋田県へ斜めに横断し、そして横手の方から帰宅をしました。やや大回りではありますが、まだそれほど忙しい時期でもないし、高速代の3,000円を節約し、ドライブ気分も味わって来たところです。湯沢市に入ったところで「キリシタン殉教慰霊碑」へ立ち寄って、雪の残る中運動靴を少し濡らしつつ辿ってみました。このような遺物があると大回りしてでも立ち寄ってみたくなりますね。長野出張時にもそうでしたが、Googleマップを眺めながら史跡等の表示を見てドライブのコースを構想するのは楽しいものです。忘れないように塩水選のための食塩紙包み5kgも購入して家路につきました。ちなみに、この帰途に通った道路(国道108号)のすぐ南に、同じ宮城と秋田をつなぐ県境に田代峠という場所があり、UFOの目撃談が多いスポットがあるようです。冬のこの時期に通行できるかどうかはわかりませんが、何となくそそられますね。

 

仙台駅前で

仙台の駅前を歩いて息子とラーメンを食べてきましたが、やはり盛岡などとは比べものにならない大都会でした。あらためて。。面白いモニュメントに惹かれて入ったペットショップでは、家の犬へのお土産としてはちょっと場違いな感じの用品ばかりで、早々に退散し、歩道橋を上がったり下がったりでラーメン屋に到達しました。

 

たらの芽の様子

現在のメインの作業はたらの芽の出荷です。去年の長野からの帰りで富山湾で負ってしまった手首骨折に関連して、二次的に、左手親指を伸ばすための腱が故障をきたしていました。ただほとんど日常に影響はありませんで、結構な激しさの寒天作業も普通に行えましたが、今年の寒天出張終了後の関西からの帰宅後すぐに、寒天出張の前から予約しておいた親指の長母指伸筋腱を再建する手術を行いました(去年のいま頃に入れたプレートを除去する手術も同時に行い、全身麻酔で2泊の入院です)。現在はまだ負荷がかかる親指の曲げ伸ばしは禁止なのですが、ギプスも取れて適度に親指を曲げ伸ばし動かしつつ、農繁期の到来までに腱の接合部が回復し故障が完治するようにという待機期間になっています。息子の引っ越しでは冷蔵庫や洗濯機を2人で2階に運ぶ作業もありましたが、案外と物を持ち上げるのに親指は使わないもので、まあ一応「静養すべき」身分をのんびり過ごしている次第です。2月後半からの3週間はギプスで服の着替えも辛かったですし、特にたらの芽の穂木を回転鋸で駒木に切断する作業がやりづらかったです。

現在は全ての穂木が駒木になり、それが全部ベッドに並んであとは水管理と収穫出荷のみです。ポケットマルシェで多く注文をいただいていて、ちょうど芽吹きが3月になってからの寒い日々により停滞し、お待ちいただく形になり申し訳なく思っています。均等に伏せ込みをしていっても、3段あるベッドの収穫の段が変わったり、そして気温の変化も加わって、一様のなだらかな出荷にはなりません。出荷が途切れる時期がどうしてもあって、ここは小規模の生産のネックです。ある程度大量に揃う時期もあるので、そういう時は注文が入っていないとまた不安になり、うまくいきません。現在のところほぼ1週間で出荷に応えることができる感じで受注となっていますので、何とか早く芽吹かせて、2日くらいで注文にすぐに応じたいところです。

逆に危険なのはいきなり高温になることで、芽が腐ってしまいます。最上段のベッドはトンネルで上部が全てビニールですので、晴れてくると朝8時前でも30度近くになってしまって危険です。1段、2段目は天井があるために側面だけのビニールなので、急激な上昇はありません。こちらは温度の確保が大事です。ビニール内の空間を温めてはいるものの、いまでも夜明けにはまだ外気は-5度になったりしますので、こうした低温を受けるとどうしても停滞はするでしょう。そしていきなり30度になるのも困りますし、神経を使う作業です。あと2週間、4月10日くらいまでは出荷が続くと思います。PCで調べ物もしたりしながら、左手の静養を兼ねながら農閑期の最終盤を過ごしているところです。

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ダッシュで秋じまい作業。。

亀の尾の姿

晩秋になり、冬型の気候が次から次へとやって来て、すぐに雪が降るほどではないにしても、どんよりと暗く寒い11月。積雪前にやるべきことは山ほどあるのに、天気はずっと雨マーク。最後の気合いをこめて片づけ作業を進めています。昨日はずっと気になっていたハセの解体と横棒の作業小屋2階への搬入作業が終わり、ホッとしています。

何より、脱穀が終わって、あああとは片づけだけだな、終わった感が滲みます。亀の尾が現在の主力の品種になっていますが、やはり姿が美しく、ハセ掛けが似合う品種と思います。今年一番の期待を込めて作付けしたササシグレは7月の長雨で病気にかかり、収量が低く、今期は亀の尾とひとめぼれが主な出荷となります。極端に病気に弱い品種を薬を使わずに栽培することはハードルが高いことは十分わかってはいますが、しかし実際玄米を食べてみて、ササシグレは魅力を感じるお米です。来年は無難に小さい田で作付けします。これからしばらく長期出張に出ますため、ササシグレの出荷は2月中旬より10kgまでの少量出荷でお届けさせていただきたく、その際には宜しくお願いいたします。

 

ハセの熊被害

7月の長雨と並んで、今年の稲作にダメージとなったのは、熊による食害です。毎年、山ぎわに面した田の山ぎわの方の稲をこっそりと食べていたのは知っていました。が、今年は堂々とその山に面した田全体を歩き回っていた上に、いままでは手を出すことがなかったハセ掛け中の稲も毎夜手を出して荒らし、結果、相当な減収被害になった次第です。全てが胃袋に入ったわけではないにしても、バラバラにされた籾は回収できるはずもなく約100kgは減ってしまった感じですね。

秋じまいを進めているいま、タラノキ園やりんどうの通路など至る所、思わぬ場所にバインダーで結束した状態の稲の束が見つかっています。持ち運ばれた稲はすべて、綺麗に脱穀されていて、熊の歯で千歯こきのようにして食べていると想像されます。ハセから落としただけのものや、付近の籾がまだ残っている束はハセに掛け直します。毎日50束も掛け直すのは疲れました。

ハセ掛け乾燥中には、10月6日の暴風の被害もありました。今日も暴風が吹き荒れていますが、強い冬型が到来し、ハセが折られて倒れた状態を、全部いったん束を外し、柱を立て直して、横の棒を組み直し、下ろした稲を再度掛ける。大変です。次いで、全体的に傾いてしまった他の部分は柱にロープを巻きトラクターで引っ張って傾きを直す作業もあり、これも繁忙期真っ只中なのに、余分な仕事でした。冬だったら視界ゼロの大吹雪というところでした。

 

稲わらカッティング

脱穀が終わって、残った稲わらは8割くらいは畜産農家さんに引き取ってもらっていますが、残り、ちょうどハウス内に掛けた稲のわらはわらカッターで田に還元します。天日干しの稲作はわらを持ち出してしまうので、面倒な作業ではありますが、田に戻してやります。これで稲作の外仕事は終わりです(ハセの片づけが残りますが、空中の作業なので最悪積雪後でもできる作業で後回しです。がこれも終わりました)。

 

秋のにんにく米ぬか施用

にんにくも秋のうちに一度草取りをしてやって、その後にマルチの上から全面米ぬかを撒いてやります。これが雪の下で腐熟して、春には植え穴の土と混じって良い追肥効果、乳酸菌補給効果になってくれることと思います。

 

タラノキの伐採

少々の積雪は良いのですが、どっさり雪で埋もれる前にしておかなくてはいけないのが、タラノキの伐採です。このように、11月になりますと全ての枝葉が幹の付け根から落ちて、1本の棒の状態になっています。これを、下の方の、太さによって1〜3芽分残して上を伐採します。それが2月後半からのたらの芽栽培の穂木になります。地際から切って収穫してしまえば来年の芽がないので、必ず芽の位置を確認しつつ、太さによって残す芽の数を勘案しながらノコギリ(剪定ノコ)で切っていきます。重いチェーンソーなど使わず、細身のノコギリで軽快に切って置いていきます。

全部切ったら、通路で20〜30本ずつ縛り、軽トラに積んで作業場に収納します。休眠期間がありますが、その間は寒天製造の出張に出ておりますので、たらの芽生産は寒天から戻ってきてからの2月の作業になります。雪のない地方では2月になって必要時に伐採しても構わないことです。

 

晩秋のタラノキの様子

真ん中の株のように1株で4本くらい立ってくれると理想ですね。秋の伐採時に何本芽を残すかはとても重要で、芽が少なくて太すぎる穂木になっても無駄になるし、多く芽吹かせて細い木が乱立してもたらの芽が小さくなる。細い木はいまは放っておいて春に伐採して捨てることになります。また、せっかく最後まで生育したのに、その後枯れてしまって色合いの黒ずんだものも見られ、そういう木は株元ももう枯死した感じになっています。こういう株もあり、新たに植えつけた養成株もあり、とにかくいっぱい植えておくことが大事です。

 

木の実の種

さて、秋の稲刈りが終わった頃の時期だったですが、ツキザワの家で写真家瀬川強さんの渾身の企画展「西和賀の木の実」があり、見に行ってきました。木の葉っぱや実、種について、どれくらいわれわれはわかっているでしょうか。本当にわかりません。たとえばブナの実が不作で熊が、と報道されるものの、ブナの実を知っている方がどれくらいいらっしゃるか。。長い自然観察の活動の中から得られた標本をずらり陳列されていました。圧巻です。

 

熊の餌

今年ほど熊に泣かされた年もありませんでした。この写真の実を数々食べ歩きできていれば、熊御膳の中に「稲」は記載されずにすみました。糞が消化し切れなかった、というかそれ以外に食べ物がなかったことでしょう。籾殻100%でできているという熊の糞もあちこちで初めて見ました(写真にも撮っています)。

 

イワテヤマナシ研究会

11月になり、研修会も全部ではないですが参加しています。イワテヤマナシ研究会が盛岡市のアイーナで開催され、西和賀の人々にも声かけをして、割合多くの参加者が出てくれました。「香り」が最大の特徴になる昔からの岩手固有のやまなしをジーンバンク活動として残そう、またバラエティ豊かに品種が混じり合ってできた多彩な風味の実を集め、優良なものを食品加工の商材にしてゆこう、と話し合っています。不思議なことに、芳醇な香りが立ち込めるナシというのは豊水幸水ではなくて、昔から賢治の時代より親しまれてきたイワテヤマナシオンリーです。香りを生かしたデザートの試食会も開かれて、その風味を堪能しました。

イワテヤマナシの増殖ということを考えると、ナシの台木(マメナシ、等)を苗木業者から準備して、そこにお気に入りの枝を接木するという手法が主力になります。来年は当園以外の人たちにも植えていただく計画になっていて、いまから楽しみです。

秋じまい作業もあと少しです。天候が非常に悪い中ですが、庭木の雪囲いや外に出された鉢とか放置されたジョウロとか諸々の片づけをもう少しですが頑張って済ませたいと思います。建物の窓を雪から守る雪囲い板の設置もありました。

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稲刈り真っ最中です

ササシグレの稲刈り

8月9月にあれほど好天で田も乾いていたのに、いざ稲刈りを迎えた10月のいま、毎日雨続き、7月のあの悪夢の長雨が思い起こされます。。しかし、稲刈りはしなくてはならず、ぬからない方の田から刈り始めています。写真はササシグレ、7月の長雨でいもちが出ており残念です。やはりいもちには弱かった。。10アールの田から実質どれくらいの籾が穫れるか、脱穀してみないとわかりません。それにしても大雨の影響が残り、本当に田が乾かず。。。やっと昨日あたりから回復傾向で、一気に進めているところです。

 

熊被害

熊の被害が多い今年。。田も結構荒らされています。まあ被害としてはわずかなものですので問題にはなりませんが。昨日も町内で熊に遭遇し怪我をした人(おばあさんです)が出ております。

 

ハセこさえ

9月から10月にかけては目の回る忙しさです。切り花りんどうの出荷に多く時間を取られるからでありますが、稲刈りに向けてハセの準備も難儀な作業です。一人で横棒を架けるためには中央に写る補助具を使います。これであとはケースの上に上がって上から4本、白いハセナワで縛っていきます。小屋の2階の窓から下ろして柱のそれぞれの場所まで引きずり歩く作業で4時間、柱に結わえる作業で4時間という感じでしょうか。脱穀が終わってナワを解いて運んで2階に上げで保管する作業は6時間、くらいでしょうか。片づけるのはいつも雪が降る頃になってしまいます。下2本には2段ずつ掛け、上2本は1段ずつの計6段掛けになります。

10月6日の強い冬型気候の日、当地では暴風雨がすさまじく、ハセの柱が3本折れ、残りも全体的に傾いてしまいました。折れたハセの部分は稲を全部取り外し、横棒もいったんほどいて、柱をまず埋め直し(地際で折れるので、地中に埋まってた分短くなります)、もう一度ナワで縛って、稲を掛け直します。この作業で3時間のロスになりました。翌日、風が鎮まってからは、トラクターで柱を引っ張って、ハセの傾きを戻す作業を2時間くらいやりました。すべての柱につっかえを設置すればいいんでしょうが、棒の量が多くなりすぎても面倒で。。でも今回のことで、もう少し多めにつっかえをして強風に備えたいと思います。

 

亀の尾稲刈り2023

10月11日、亀の尾を刈っています。背丈が高く、その分収量も上がり、味も良い亀の尾は自然栽培向けであり、当園でもいま一番の作付けになっています。マイナス面といえば、やはり晩生であるということで、去年など青米がとても多かったです。山形の庄内原産ですので、ここよりはずっと暖かい地域のお米です。しかし青い米が多いことは食味上は決してマイナスではありません。今年のお米は概して良くないとの話が耳に入ってきます。一等米も少ないとか。。ここ沢内は真夏も32度以上にはなっていないし、水も結構入れておりましたが、果たして玄米の状態はどうでしょうか。。。昨夜は籾摺り機の掃除もしっかり行いまして、いま掛けている稲の脱穀と籾摺りはまもなく行えます。

 

小麦播種中

稲刈りの前の作業になりますが、まず小麦播種があります。播種の前には施肥と耕耘があり、耕す工程と播種の工程で、小麦4反歩で2日の作業量になります。「ごんべえ」がなければこの作業時間ではすみません。以前はトラクターの耕耘を狭い耕耘幅間隔で行って、写真にも見えるロータリーの尾輪の跡を蒔き溝にして手で蒔いていましたが、覆土作業も必要だし、トラクター作業も狭い間隔で耕耘場所を重ねながらの作業になるため時間が倍もかかり、もういまでは戻ることはできません。

 

緑肥後の小麦畑播種

ここは緑肥をすき込んだ畑になります。8月31日に1度のすき込み作業であらかたすき込んだ畑を播種直前に最終耕耘して、土の柔らかいうちに播種機で播種しました。ここは雑草に悩まされてきた畑ですが、8月に緑肥が完全に占有したことで、雑草退治になってくれれば良いがと思っています。ただ単に雑草をすき込んだだけという通常の年とは今回は雑草の生え方が違う気がします。これで秋のうちに一度管理機を借り中耕除草してやると、来年だいぶ違うのではないかと思います。

 

小麦というのは米よりも収量は上がらないし、販売単価も安いです。しかし、稲作とは作業時期がずれるため、農地の活用としては有効に思います。いまの小麦の圃場を全部田にしたとしたら約9反歩。これを全部稲刈りしてハセ掛けするのは当園としてはきついですね。ハセ場も足りません。また小麦関係の交流交友もありますし、にんにくとの輪作の役目もあります。この秋4反歩ほど南部小麦とアリーナを作付けしましたが、この量は維持していきたいものと思います。これだとギリギリ雨よけハウスの中のハセで乾燥させることができるのです。

なお、今年は南部小麦・アリーナとも既にいくらか製粉しており、現在は在庫がございます。精白粉kg単価600円+運賃になります。よろしければどうぞご利用ください。

麦熊

播種から半月経った南部小麦の畑に侵入者ありです。なんとなく小麦箇所はよけて歩こうとしている感じはするのですが、米と違いまだ食べられるものでもなく、徘徊しても無意味なんですがね。

 

にんにく畝完了

稲刈りと前後して進行しているのがにんにくの植え付けです。お彼岸用りんどうの出荷が忙しくなる9月の上旬の前に、このように畝の準備を行っておき、すぐにホワイト六片を植え付けます。ホワイト六片は休眠が浅く、早くに芽を出しますので、特に冬が早く来る当地では早植えに越したことはありません。遅れて10月になったりすると、大きなりん片を植え付けても結果は小さいにんにくになってしまいます。何度も経験済みです。

他方、八木や八幡平にんにくは休眠が深いので、稲刈り後の10月中旬でも大丈夫です。にんにくの植え付けは前もっての夜なべ作業の種こぼし(りん片に割って準備をすること)も含め、結構時間を要します。稲刈りが終わらないいまはなかなかにんにくの後半戦に手がつけ難いですが、この1週間で稲刈りも含めカタをつけたいところです。

 

Panna cotta

盛岡方面へ所用で出た時に、広宮沢という場所(以前、この辺で木下サーカスを観ました)で昼食のデザートに、初めてですがパンナコッタというのをいただきました。とても美味しく、上にかかったラムレーズンのソースが絶品です。帰りにイオンの食品売り場に寄った時、パンナコッタというのを主にプリンが置いてある辺りで探しましたが、見つかりませんでした。プリンのように手に入りやすいデザートになってくれれば、と願うところです。ちなみに、「ババロア」というお菓子も好きなんですが、手に入りません。寒天で長野にいるときは伊那食品のババロアのもとが売ってるんですが、こちらでは売っていませんね。できたデザートとしても置いていないですし、残念です。

 

滝沢の知人の田を訪れました。岩手山すぐそばのあきたこまち。手入れもしっかりしていて、まもなくの稲刈りを待つ状態です(夕方の撮影のため色が淡いです)。水が冷たくて、と言っておられ、冷たい湧き水の流水を池を介してぬるめているようでしたが、低温冷水の悩みは当園も同じです。あったかい地方よりも水の冷たい山間地の方が稲のいもちになりやすいというのは、悲しい現実ですね。自然栽培米として定評のあるササシグレはとてもいもちに弱く、それでササニシキに入れ替わったという経緯があるようですが、初年度の今年、結構大変でした。何とか、面積を小さめにしても続けていきたい品種です。こちらの写真のあきたこまちは順調でした。

稲刈りとにんにく植え、もうひと頑張りです。それを乗り越えれば、あとは、もう秋じまいの季節なんですね。寒くなってきました。