
小麦の出荷準備が終わりました。昨年一昨年と7月に停滞した梅雨前線の影響で刈り取りもその後の乾燥も難儀しましたが、今年は一転して7月に晴天高温の日が続き、1週間程度遅れ気味だった登熟もグングン挽回し、南部小麦でほぼ例年並み、アリーナでは例年より1週間早くに刈り取りを行うことができました(水分24%程度での刈り取り)。今期は播種の条間をこれまでの50cmから40cmにしてみたところ、生育が良く、昨年晩秋に好天が続いて年内の生育が良かったことも大きいですが、一番多く穫れたのではと思います。反面、やや離れたタラノキ園地になっている圃場群の一角に作付けした南部小麦は雪腐れの影響があり、ほとんど皆無の状態でした。雪腐れに強い南部小麦で雪腐れとはよほど条件が悪かったのでしょうか。稲作と違って小麦の場合は、全くダメ、皆無、という事態が起こり得ます。播種後の大雨で発芽不良になることもありますし、水捌けの悪いところもダメです。豪雪地では雪による病害も大きいです。町内で唯一小麦栽培仲間だった人がいましたが、昨年の夏の収穫直前にイノシシの被害に遭って収穫を断念し、以後今期は作付けもやめておりました。残念です。

そういう険しい小麦栽培の作付けを続けているのは、希望していただける消費者の方がいらっしゃることと、また、経済効率だけを考えれば全部田んぼにした方が良いでしょうが、ハセ掛けの稲作ではそもそも作業力として増反は無理だし、仮に全部田でやれたとしても売り切れる保証はありません(昨今の状況なら売り切ることができるかもしれませんが)。限られた労力で農作業を回していくには、作業が一気に重ならないように分散していくことですので、夏の麦刈り、秋の稲刈り、と分けることは身の丈に合った農業の仕方になります。
またアリーナ小麦という貴重な品種を持っていることから、これは作り続けて絶やさないようにしたいものです。同時に南部とアリーナは刈り取り時期が1週間以上違うので(アリーナは晩生です)、労力分散の意味でも好都合です。

小麦の天日乾燥栽培では、屋根のある施設内での乾燥が必須になります。当園の乾燥ハウスはそれほど広くなく、現状の30アールが限界です。3間(5.4m)の狭い間口のハウス内に3列のハセを組んでいるために、自分で束を掛けるのに歩いて行くスペースが狭く、またその地面には段ボールが敷かれにんにくが干されているので、非常に歩きづらいです。収穫時のハセ掛けの時、入り口に運搬車を停めて、そこから手で持って奥に進んでパイプに掛けていきます。
乾燥が終わって脱穀する時は、今度は束を外してもう一度運搬車の上に乾燥した束を運んで、それから手に取ってハウスの外に置いたハーベスタに投入して脱穀します。稲の場合は野外のハサ場なのでハーベスタがハセのそばに移動しながら脱穀でき、いちいち束を手で持ってハーベスタに移動することはありません。
このようないろいろ面倒な工程になるのが天日乾燥の小麦栽培になります。

南部小麦(右)とアリーナ(左)の差は一目瞭然で、穂の色が全然違うし、背丈もアリーナの方がずっと長いです。稲よりももちろん長いので、ハーベスタで扱く時は結束機のカバーを外して行います。ライ麦などもっと長くて大変です。基本、ライ麦はコンバインで刈って乾燥機で灯油乾燥させるのが現実的でしょう。いずれ天日乾燥はハウスで雨に当たらないとは言っても風がそうそう入り込んではこないため、乾燥は簡単ではありません。何度も水分計で計測しながらで、その点も乾燥機に放り込んで指定した水分に乾燥させるというコンバイン式とは異なる苦労があります。ただ脱穀のタイミングという面では、秋の稲の方がハラハラします。10月下旬の、何日か晴天が続いた後の、天気が崩れる直前というのがベストで、そこを逃すといろいろ大変な目に遭いますから、とても気を使います。脱穀のタイミング面は小麦の方が楽と言えましょうか。

最後の仕上げは籾摺り機による小麦の選別作業です。ハーベスタで脱穀し取り込んだ麦は稲の籾と違って既に玄麦になっていますが、そこにはおびただしい量の茎とか穂の殻などが混じっていて(写真の左)、この不要物を籾摺り機で取り除くことができます。きれいに仕上がってきますが、今度秋に米の籾摺りを行う時にこの玄麦が機械に残っていて混ざってきます。完全に掃除することは不可能なので、しばらくは飯米で使って自分たちで麦ご飯を食べることになります。本当は小麦用に小さめの籾摺り機が欲しいでのですが。。ごく小さい籾摺り機はありますが、あまりに小さすぎて使えません。ごくわずかな10kgくらいの米に籾が混じっていて除去したいというような時には効力を発揮してくれますが。。
これで小麦の作業は終わりました。玄麦としては随時出荷が可能です。また現在収穫後の製粉の委託分の取りまとめ中です。9月の最初頃に出来上がる形で今月下旬に製粉所に出そうと思っていますので、製粉をご希望の方はどうぞ宜しくお願いいたします。南部小麦とアリーナの両方とも発注します。その後はご注文のあった方には取置きをして、残りは秋田のパン屋「カボチャ」さんに出荷します。取り置きをした玄麦は氷温で春まで貯蔵して、それから4月初めに春の製粉委託をします。なにせ15kg以上から製粉可能ということですので(これでもずいぶん小ロットで受けてくれてありがたいです)、ある程度まとまらないと発注できないのです。

稲の方ですが、お盆最中の8月16日のササシグレの様子です。今日8月20日はもう少しうっすらと黄味を帯びています。何とか、極端に弱いいもち病に罹らずに済んだようです。ササシグレやひとめぼれはこのように穂が揃ってきていますが、メインである亀の尾はまだ出たばかりです。よその南国ではもう早稲品種の稲刈りを行ったりしているようですが、こちらはまだ穂が出始め。。これほど暑いと言われる夏でもここはやはり冷涼地で、そう簡単には温暖化しないようです。例年よりは温暖なのですがね。

使わないハサ場に這わせたサルナシが実を付けています。こういう実がなる植物を育てるのはとても楽しく、山里ならではの暮らしの醍醐味ですね。

お盆の15日。ずっと切花りんどうの出荷で遅くまでの作業が続いてへとへとですが、今日くらいは休息をと盛岡へ出かけてきました。もちろん買い物なども兼ねてですが。県立博物館で岩手と天文についての展示を行っていて(「星にねがいを〜宇宙(そら)といわての年代記」)、それが17日日曜日までの開催だったので、混雑がありそうな土日を避けると15日金曜日しかありません。りんどうは春の低温による生育の遅れと7月の高温での開花抑制が重なって、開花が遅れました。しかし市場の需要というのはカレンダーで決まるので、8月10日以降はもう花屋さんも仕入れが済んで、あとは価格が下がります。今年はふだんならお盆りんどう品種の収穫が終わっている8月15日もまだ畑にはありましたが、値段も下がっているし、りんどうも1日くらいは待ってくれるので、出かけた次第です。上の写真は、企画展コーナーのケースの外から斜めの角度で撮影するしかない写真を、Photoshopで変形させて正面向きに再現してみたものです。
岩手出身の田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)という人は知りませんでしたが、とても重要人物で、国際会議でキュリー夫人とかと一緒に写っている写真も展示されており、また岩手では「Z項」で有名な木村榮の指導者にあたる偉人らしいです。何といっても岩手には水沢VLBI観測所があります。ここには大きい電波望遠鏡や宇宙科学館という見学施設、Z項の木村氏の展示館もあり、岩手の子どもなら必ず一度は訪れている場所です。現在のここのトップである本間希樹氏はブラックホールの写真を世界で初めて撮影した天文学者として脚光を浴びましたし、ラジオのこども科学相談の解説者としても知られていますね。

電波望遠鏡、でかいです。ちょうどこの時にレール上をこの巨大な望遠鏡がヒューンと動いて移動するのを見ることができて、それも感動的でした。この後は確か水沢のかっぱ寿司に行ったと記憶しています。子どもたちが成長した現在、こういうお出かけはなくなってしまい、寂しいことではありますね。

常設の自然史展示コーナーに「よだか」(ヨタカですかね)の剥製があるよとラジオで言っていたので、これも見てきました。思ったより小さくて鳩よりも少し小さいくらいです。夜に大きく裂けた口を開いて飛び回り、虫捕り網のような感じで虫を食べているのだそうです。剥製からは口の感じは分かりませんが。。ここ沢内にはいろんな鳥がいて、鳴き声は耳に覚えていても何の鳥かわからないということが結構あります。短く、スタッカートという感じででしょうか、よだかは「チョチョチョチョ」という声で聴けばすぐわかります。賢治の「よだかの星」の朗読会を雫石で行うという番組内で、この県立博物館の鳥博士と言われる方がよだかについて解説してくれていました。
この博物館へ行く前には、盛岡市内で映画「長崎〜閃光の影で」を観ました。私は広島市の生まれですが、同じ被爆地である長崎のことは地理も含めよくわかりませんでした。映画は実話に基づくストーリーのようでしたし、良かったと思いました。長崎市生まれの監督がじっくり年月をかけて構想し作った作品のようでした。ただ、少し残念だったのは登場人物の方言での言葉遣いが早口で聞き取りにくかったことです。録音機器による不明瞭さのせいがあったかもしれませんが、そこは配慮があっても良かったかと思います。仕方ないことだったかもしれませんが。。ちょうど8月上旬はりんどうの選別作業で夜遅くまで作業場にいます。昼は地元IBCラジオを聴きますが、夜はNHKを聴くことが多いです。戦後80年の戦争関連の番組もよく聴きました。北方や満州からの帰国時の旧ソ連兵との戦闘の体験実話や、女子学生が風船爆弾を作っていた話など、ただ単に聞きかじっていただけの話を体験談としてリアルに想像しながら聴取しました。特に満州からの帰還時に自分の幼い子どもを捨てて逃げたという話はあまりに酷でした。テレビでも番組は多くあったかもしれませんが、仕事中に見ることはできませんし、ラジオは私の貴重な情報源です。ただ、人物の顔がわからなかったりするのは仕方ないことですが。。









































































