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阿仁への旅

マタギ資料館

大型連休も終わりましたが、気温高めの好天の日もありましたけど、5月6日は終日の雨予報で。。ずっと農作業続きでしたので、本降りの天気そうだし気分転換にふと思いついたドライブ旅行を実行しました。阿仁マタギの地を探訪します。雫石のR 46号に出て、仙岩トンネルを抜ければ秋田県です。すぐに田沢湖で、そこから北に上れば阿仁と呼ばれる地域になります。

こちらへ移住する2年前に、東京からバイクで訪れました。阿仁を経て森吉山の中腹を走って白神山地へ向かう旅でした。「阿仁」を意識した動機は「釣りキチ三平」著者の矢口高雄氏の影響によるものですね。農家を志す気持ちが固まった時、大学が信州だったことで長野県での移住就農も模索しましたが、その後東北に気持ちが向かうことになったのは、阿仁マタギのイメージが東北にはあって、それは確かに長野にない要素だったろう、という思いがあったのですね。東北は未経験・未知の世界で、テントを積んで北に向かったのでした。そのツーリングで初めて東北へ移住するという考えが視野に入って来ました。

 

マタギ鉄砲

そんなことを思い出しながら阿仁に向かい、今回2度目となるマタギ資料館を訪れました。温泉宿泊施設の館内の一室が資料館になっており、当時(1994年)とはちょっと違いましたね。展示品はそう代わりないだろうと思いますが。村田銃などが陳列されていました。

 

マタギ武器類

その他の武器や熊を獲る時の補助具などです。

 

マタギわな等

カンジキをはじめとした道具や罠など。陳列品は結構多く、ここが日本で一番のマタギ資料館に違いありません。

 

マタギ巻物

このような歴史的に重要な資料も実物が展示されているんですね。

 

マタギ山の神

山の神の信仰というのが阿仁のマタギの根幹を成しているように思います。ちなみに、山の神は女の神様で、確か片目だと何かで読みました。上の写真も拡大すると左目がそのようになって見えます。理由は調べましたがわかりませんでした。

ところで、こちら西和賀町沢内は阿仁と似た景観風土であり、実際にマタギ博物館(沢内太田・碧祥寺境内)もあるのです。もちろん地元なので訪れています。が、ここ沢内では、あまり「マタギ」とか言わないんですよね。熊を撃つ人は多くいますが、「鉄砲撃ち」とか呼び、マタギとかシカリとか独特の言葉は使わないように思います。実際熊撃ちと話をしてそう思いました。夏は田んぼをやったり建設関係の人もいます。

 

マタギ沢内

解説パネルに確かに「沢内」とあります。岩手で唯一とは驚きですね。ちなみに、この図と同じ図が沢内の碧祥寺マタギ博物館にもあります。思い起こせば狩猟のための道具や山の神像も陳列されてありました。この博物館では阿仁と同じように「マタギ」の語も出て来ます。でも、実際の熊撃ちはマタギって言わないんですが。。なぜか。。あくまで秋田・阿仁の言葉遣いなのでしょうか?? 多分沢内の博物館を開設するに当たって、おそらくは阿仁のマタギ関連の文献を参考にされたのではという気もしています。学術的歴史的には阿仁が中心地なのでしょう。が、言葉遣いとかまでは奥羽の峠を越えてこちらまでは伝わりきれなかったのだろうと推測します。とはいえ、阿仁と沢内は地理的気候的に近さを感じますし何となくほっとする場所でした。

それしても、言葉遣いはどうあれ、マタギ文化は日本海側気候の多雪地帯に分布していますよね。積雪により冬の農閑期が長く、そのため生活のため、産業の一つとして熊を獲る文化が養われたのではないか、という気がいたします。

 

マタギ小屋

マタギの小屋だそうです。こちら資料館のある温泉施設の駐車場内にありました。雪に強い形ではありますが、2mほどの積雪には耐えられない気がします。無雪期用に建ててはほぐしという形で使ったのでしょうか。。

 

打当の山神神社

山の神様を祀る神社があり、資料館のある打当地区の神社です。鳥居の上部には山神神社と書かれています。山の神については沢内の博物館にも像があるのですが、山神神社というのはありません。代わりにではないかもしれませんが、「山祇神社」はたくさんあります。

 

沢内の山の神

この山の神像とオコゼの写真は2017年2月に地元碧祥寺のマタギ資料館で撮影したものですが、上に山の神の御神体という説明があり、山祇神社に祀られるという語句を見ることができます。2枚の別の写真を組み合わせたものですが、オコゼの上の説明文は左の木彫りの山の神の像を指していると思います。農家が農閑期に作ったのでしょうか、こうした木彫りの無名の像が沢内ではあちこちにあって、「山祇神社」や家の神棚に奉納されているということのように解釈されますが、阿仁では数か所の「山の神神社」に祀られており、また手作りの無数の神像があるわけでなくて、阿仁資料館のパネルにある写真のごとく、素人の作ではない立派な御神体が奉納されているという感じなのでしょうか。。

 

マタギ資料館1994年

ちなみに、1994年の今回と同じく大型連休の折にバイクで出かけた際の阿仁のマタギ資料館で撮影した写真が出てきたので、スキャナーしてみました。この時は独立した建物だったような気がしますが、30年近く前のことなのであまり覚えていません。。自分の無意識ながらも趣味趣向というのは変わらないものですね。何にシャッターを向けるか、何年経っても変わりませんね。

 

根子山神社

次に、こちらはマタギの発祥地と言われる阿仁の根子(ねっこ)集落にある山の神の神社です。隙間から中を見させてもらいましたが、この奥に山の神が祀られていることと思います。

 

根子集落の遠景

根子に入ってすぐの少し高台から集落を遠望しています。新緑と雨で雲が沸き立つ様子が美しいです。

 

根子のトンネル

この根子集落に入るにはメインの国道から脇に逸れ、トンネルを抜けて来なければなりません。昔は峠越えでしょうが、いま現在でもこのトンネルはとても狭く、対向車とすれ違うことなど到底できず、随所にすれ違いのスペースがありました。結構長いトンネルでしたが、幸い車と行き違うことはありませんでした。車内からの撮影で、ナビのアンテナに引っ掛けたマスクが写っており恐縮です。高さ3.8mとうことでかろうじて大型トラックも通れなくはなさそうで、トラックが入れないと何かと大変ですがそれは大丈夫そうでした。

 

またたびラーメン

お昼に、打当の資料館の建物内にあった「シカリ」という食堂で「またたびラーメン」を食べてきました(950円)。山菜がしっかり入っています。ワラビも多く入ってましたが、固かったですね。と言うか、沢内のワラビは柔らかくして食べる風習なので、固く感じたということで、こちらが普通なのでしょう。あっさりとしてまた食べごたえもありました。

 

くま牧場

近くにくま牧場があり、こちらも29年ぶりに訪れてみました。この連休から冬の休み明け営業となっておりました。

 

くま牧場遠景

ひぐま舎の2階から眺めた景色です。良いですね、阿仁。

 

ツキノワグマ

ツキノワグマがいっぱいいて、みんな動き回っています。29年前の時は確か子グマを抱っこできたような気がします。自分も抱っこした記憶があり、爪が当たって結構痛かったような?? 当時はもっと子連れ客も多かった気がします。連休ですがあまりお客さんはいませんで、資料館も、ラーメンの食堂も私一人でした。雨だったからですかね。

 

ヒグマ舎

こちらがひぐま舎です。10年くらい前、秋田の八幡平のくま牧場で冬に除雪機で排雪して出来た山をひぐまがよじ登って脱走し、餌係であったおばあさんたちが死亡した痛ましい事故がありました。とてもセンセーショナルなニュースで、襲った熊は餌も十分に与えられていなくて飢餓状態だったとのことです。この事故を受けて、八幡平は廃園しこちらの阿仁で飼育するようになったそうです。ひぐま舎はその際に建てられた建物のようで、29年前にはありませんでしたし、ひぐま自体もいなかったのではと思います(?)。そもそも一般の動物園にもひぐまはいるのでしょうか? 八幡平くま牧場の時のニュースで初めて本州にもいたのだと知りました。

 

ひぐま

ひぐまは1頭ずつ時間を決めて飼育部屋から庭に出て来ます。ツキノワグマのように大勢で見ることはできません。2頭以上一緒にしておくと喧嘩して、実際1頭死んでしまったらしいです。そういえば「ゴールデンカムイ」でもひぐまはよく登場しますし、人が襲われるシーンも多く出て来ます。なお、阿仁マタギも出ていましたね(第7師団の谷垣ニシパ?)! このひぐま舎はツキノワグマよりも人気を集めているようで、園の目玉になってるように思いました。もっとも雨でしたしお客さんは少ないです。左は池で水浴びし、ブルっとしている瞬間です。ものすごいしぶきでした。

 

ハチ公の生家の像

さて、阿仁のマタギ関連と熊を観ることができたので、目標は終えたのですが、そのまま引き返すのもなんだしと、北に大館の方へ向かいました。忠犬ハチ公の生家というのがあり、見て来ました。ハチ公は秋田犬だったんですね。

 

ハチ公の生家のトイレ

こちらは案内板を兼ねた公衆トイレです。こちらの施設の方がユニークかもですね。

この後は大館のコメリで買い物をして帰路に着きました。大館から鹿角へ出るのですが、そのあとはこの前通った十和田湖からの帰り道とダブらないように、今回秋田のドライブということで、八幡平の秋田側、玉川温泉を通るルートで宝仙湖を抜けて田沢湖、仙岩道路で雫石、というルートで走りました。八幡平アスピーテラインは午後5時で閉鎖になるというのは知っておりますが、その閉鎖が田沢湖へ至るこれから走る道にまで及んでいはしないか、ちょっと心配でした。まだ連休のさなかというのに車の往来などほとんどない山道です。一応国道なんですが。。

ひぐまの事故で閉鎖になった牧場も鹿角からのこのルート上にあったのをいま知りました。アスピーテラインの辺りはさすがに道路脇に雪が残っていて、一部車道にも雪崩れて来ている箇所もあり、夕方暗くなりつつあるし、ちょっと心細い気もしましたが、まあこういう走りはいつものことですし、とにかく車の故障がないことのみを祈ります。ちなみに、この玉川温泉近辺の道路にはガソリンスタンドは全くありません。山間地のスタンドは土日休みだったりもするのであてにはできません。田沢湖近辺の国道で給油はしておきました。

 

宝仙湖

玉川温泉を過ぎ南下すると美しい宝仙湖に出ます。これは最南部ダムのそばからの1枚で、夕方6時半近くになっています。写真はPhotoshopで明るく改造しています。

 

カリヨンの鐘

そのダムの脇に「カリヨンの鐘」と言うスポットが。ビゼーの組曲「アルルの女」にもカリヨンという曲があったですね。定時ではなかったので大きい金のみ手動で鳴らして来ました。西洋の鐘の音、私はとても心が安らいで好きです。ここも偶然見つけ立ち寄ったわけでなく、前夜にGoogle マップを見ていて「カリヨンの鐘」に着目して、停車したのでした。

暗くなり、あとは帰るだけ。土産を買うようなお店もありません。。

 

くま牧場1994年

1994年のくま牧場の写真です。ここに落ちたら一巻の終わりですね。熊たちは何に注目しているのでしょうか。。

 

阿仁1994年

バイクにテントを積んでのツーリング。アルバムのメモに阿仁と書いてあるだけでどこか全く覚えがないですが、いずれ阿仁で一泊したようでした。いまだったら軽トラの幌の中でテントなしに場所も選ばず寝ることができますが。。

今日はまた寒さが戻って来て、冷たい雨が降っています。岩手北部では数センチの積雪もあったそうです。タラノキの種根の管理作業と田の排水部へのパイプ設置などの作業をしておりました。タラノキ部門では管理をしっかり行い発芽育苗に成功させ、無事にタラノキにできる苗を一本でも多く育てるべく努力しています。今夜は0度になるそうで、いろいろ警戒です。。

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2023稲作が始まりました

山桜2023

雪解けが早かった2023年春、3月下旬から気温も高くて好天が続き、そしてその反動で例年と同じく、4月10日頃、稲の種籾を蒔いた直後より寒い日が1週間続く、という前進後退をしながらの、2023年春作業のスタートになりました。例年5月4日に満開になる農作業の指標木でもある山桜は今年は4月27日に満開となり、ちょうど1週間の前進での推移になっています。とはいえ、続いた低温への対策に透明被覆を使用して苗箱内の温度確保に努めましたが、まだ出芽には少々ムラがあるようです。この地域では出芽機をみんな使用しますが、その寒冷地ならではの理由がよく分かります。やっと居座り続けた寒気が去って行きつつあり、春なのに暑くて、という気候に早くなってほしいものです。

 

亀の尾種籾

種まきは普段通りの4月12日。小規模農家用の種まき機で2日かけての播種作業となりました。

 

種まき2023

今年はササシグレの種籾が入手できまして、亀の尾・ササシグレ・ひとめぼれ・いわてっこの4品種での作付けになります。ササシグレが成功するかどうかが最大の懸案になりますが、病気にかけずそこそこに穫れるようであれば、ひとめぼれかいわてっこのどちらかを減らし、最終的には3品種の体制にしたく思っています。品種数が多いととても諸々作業が大変になります。亀の尾もですが貴重な籾であるため、コンタミも軽減しなくてはいけません。

 

たらの芽2023

たらの芽部門では、はタラノキ畑がなかなか順調に当初の作付け時点の規模にまで改植が進んでおらず、7a程度での圃場での収穫分でのたらの芽栽培となっております。定期的に注文をいただく飲食店の方々への出荷を除いた余剰分はあまりなくて、収穫の波が大きく来た時のみ、限定的に個人の方向けにフリマサイトを利用しました。ありがたいことに生鮮品であるたらの芽の売れ残りという事態になることなくご注文をいただいて、出荷販売を完遂することができました。3cmの厚さに収まることから、クリックポストを活用することで、送料を抑えた形状の出荷を行うことができました。大小がまちまちになるのは恐縮に思いますが、これから春の栽培管理の時期、できるだけ均一な太さのタラノキを生産する技術、というのもしっかり実現していきたいと思うところです。芽かきの技というところですね。

 

やまなし研究会2023

イワテヤマナシの研究会への参加も10年を超えて時間は重ねて来ておりますが、九戸や水沢で生産グループが立ち上がっていくのに比して、当地西和賀では私が個人的に栽培実証を行っているという域を出ず、力不足を感じる昨今です。現在は水沢が中心になっていて、研究者の神戸大学片山先生も水沢の圃場によくいらっしゃって、私もそうした機会には研究会に足を運んでいる次第です。

大きく生産出荷のグループ活動をということになれば、出荷先の見通しや、ある程度大がかりな加工の体制も必要になって来ます。そうした段階が集団の取り組みの目標にはなるだろうとはいえ、ここ沢内のような場所でいきなり大量の作付けを、という方式を目指すのではなく、採れた果実を自家加工で小さく、イワテヤマナシの魅力をメニュー化・商品化して個別の消費者に提供できる形、というのが取り組みやすいやり方なのかな、と思っているところです。

 

東北ユースオーケストラ

農業外の記事になりますが、3月21日の祝日、盛岡でマーラーの5番のコンサートがあり、出かけて来ました。東北ユースオーケストラという若い楽団のコンサートでした。流石に音楽のプロを目指す若手プレイヤーの集団です。演奏は見事でした。震災復興のテーマを掲げたコンサートでした。このコンサートの直後にお亡くなりになった坂本龍一さんの震災追悼オーケストラ作品が最初に演奏され、その後に宮沢賢治の作品にちなんだ朗読等の要素も含まれたプログラム、そしてマーラーでした。写真が小さくて分かりづらいですが、朗読部分を担当した「あまちゃん」ののんさんが全プログラムの終了後改めてステージに出てこられたシーンです(指揮台やや左)。その左には進行をされていた、かつてニュースステーションで毎日目にしていたアナウンサーの渡辺真理さんも登壇しての終了時の写真です。渡辺真理さん、2001年9.11テロの時のアナウンサーだったですかね。

地方にいてマーラーを聞く機会はあまりありません。ブルックナーもですが。。ふだんはもっぱらCDで聴きますので、細かい部分がどうなっているか、生ではいろんな楽器に目移りしつつ、音の実証確認しますね。やはり目立つ打楽器に目が行きますが、ティンパニの女性、とても上手でした。見ていればどこがティンパニでどれが大太鼓かもはっきり分かりますよね。生ですから。またマーラーといえばタムタムですが、5番では、前半こそ多用されるものの、後半は全く出番がなかったんですね。確かに、タムタムは運命的な宣告を与える要素です。短調の暗い音色の1、2楽章はタムタム的、ですけど、明るい音色に変わっていく3楽章以降はタムタムという感じから抜け出していたかもですね。そういう部分も演奏会ではよく分かります。

東京にいた時はN響のNHKホール当日券D席1,000円のコンサートにお世話になりました。滅多に演奏されないマーラーの3番も、8番「千人」もここで生で聴きました。この2曲は一生忘れられないメモリアルです。上京した初年度、上野の文化会館に、朝比奈隆のブルックナー8番(大フィル)を聴きに行けたのも貴重な思い出です(36年前ですね)。

 

ヤマメ2023

昨年3月に、盛岡在住の、山間地の生活技術や歴史伝承習俗に長けた方を招いての集いを石鳥谷の「カフェそら」さんで行いましたが、その第2弾を西和賀で行いました。懇談会に先立って、わが家の家の前で早速ヤマメを釣り上げた達人の腕前です。渓流釣りでも目印ではなくてウキ(玉ウキ)を使うことで、ウキ下のハリスと針の動きを自然にする効果を狙っていると思います。目印よりウキの方がよく見えますしね。家の前にはヤマメとイワナの両方がいます。すっと移動して捕食するのはこのヤマメで、岩陰でじっと餌を待つのがイワナだそうです。川岸に立てば、達人にはどの辺にどれくらい魚がいるか、カンでわかるそうです。もちろん、クマの気配は常人の何倍もの感覚で察知します。

このあと、古民家「ツキザワの家」でこの達人の方を囲む懇談会を行い、家の管理者の写真家の瀬川さんご夫妻ともとても話が合って盛り上がりました。農作業が本格化する前、自然や生活の技に関する有意義な話題を聴きながらのひとときを過ごすことができました(ツキザワの家は8月の記事で襖絵も紹介させていただきました)。

 

マリア観音標識

さて、子どもたちの小さかった頃のことを思い出し、あの時行ったあの場所はどこだったっけ、と思い改めて検索してみることがよくあります。当時は岩手の土地勘もわからずに出かけていましたし、ああ、あそこに行ってたんだ、ということもよくある話ですね。その一つが一関市東山町にある「マリア観音」でした。気になり始めると、とことん探したくなり、当時の日誌とGoogleマップのおかげで「マリア観音」の名称と場所が特定できました。2007年5月3日に大船渡や陸前高田へ出かけ、その帰り道にふと見つけて立ち寄った光景がずっと片隅に残っていました。2007年の訪問の時は写真に残していなかったんですね。

その日は、震災前の高田松原にドライブに出かけ、その海岸のそばにあるちょっとした公園で、3歳だった長女を遊ばせていた時に、地元の子かな、10歳くらいの女の子が、長女が滑り台で遊ぶ様子をそばでやさしく見守って手助けしてくれたり、ぴったりくっついていてお世話してくれたことがあり、とても印象に残る光景だったのです。

2007年5月3日

お姉さんに娘が遊んでもらっている写真が残っていました。震災の4年前。この公園はもう失われているはずです。お姉さんはお元気でしょうか。いまは25歳くらいかなと思います。この光景はずっと忘れられないです。

 

マリア観音出発地

当時帰り道に寄った「マリア観音」は残念ながら、いまは落石の危険ありということで立ち入り禁止になってました。15年前の記憶ではこの像のあたりから上へ登って、岩場内のマリア像へ至る急峻な道だったと思います。これ以上の写真は撮れませんでした。

 

幽玄洞入り口

せっかくなので、すぐそばにある「幽玄洞」を訪れることにしました(入洞には1,100円かかります)。

 

石筍こま犬

ところどころ、後から設置された石仏などもありますが、いろんな造形美を見せてくれた洞窟でした。石筍こま犬とあるのは、石筍がこま犬のような形に形成されていることからの命名のようです。

 

石筍こま犬

アップするとこんな感じですが。。。

洞窟サンゴ

昔岩手が海だった頃、四射(四放)サンゴとかウミユリとかの化石がここに閉じ込められたそうです。こうした姿を正確に表象するのは難しいですが、専門家による標識がたくさんありました。

 

フローストン

これは生物ではなく水による岩盤の削りの痕跡のようです。

雨の日の、買い物等用足しを兼ねたドライブでした。

 

十和田湖標識

こちらも所用で出かけた青森県の帰りに立ち寄った十和田湖です。奥入瀬渓谷はちょうど新緑が綺麗で(いつもより早いでしょう)、観光客も多くいました。夕方でもありあまり立ち止まらず十和田湖へ向かい、これはメインの道路から逸れた山道を走っていたからこそ出会えた展望台で、ここで美しい十和田湖を眺めてまいりました。

 

十和田湖展望台より

上の看板の眺めです。湖の佇まいって良いですね。八ヶ岳山麓の蓼科の御射鹿池も良かったですね。。

 

八甲田を望む十和田湖

遠方の山は八甲田山でしょうか。八甲田山の映画、まだ観られないでいます。。

冒頭の山桜開花により、諸々の農作業が一斉にスタートしています。作業時期というのに関係ないビニールやネットを掛けたり、苗物を植えたりの作業は適宜行っていますが、桜の開花でりんどうの芽かき(立ち本数を減らす株仕立て作業)のゴーサインとなりましたし、田起こしや、りんどう新植のための堆肥入れ等の準備も OKです。小麦の通路の除草作業が大きな作業枠になり、時間をかけて取り組むことになります。ブルーベリー等の剪定作業もほぼ終えて、とにかく、抜かりなく、遅れることなく、作業を前へ前へと進めていくのみです。

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長野からのゆっくり旅〜合掌造りの山里と佐渡の探訪

相倉集落合掌造り

恒例になっています冬期の長野県諏訪地方への寒天造りは今年は期間が短く、早めに釜の煮込みも終了したことから、めったにない機会ですし、少し寄り道をしてたっぷりと帰郷の旅路を楽しみました。普段の岩手からの行き帰りでわざわざ大回りをすることはないのですが、大体のコースは通行して来ましたし、今回は木曽から岐阜へ出て、高山から白川郷方面へと向かうことにしました。上は白川郷を見た後に、たまたま案内標識で見て立ち寄った「相倉(あいのくら)合掌造り集落」で、白川郷以上にすばらしい、この冬の一番の絶景フォトを撮ることができました。雪の山道を10分くらい登っての観測ポイントからの眺めは感動的で、日曜日でもあり観光客も結構いましたが、みんな感嘆の声を上げていました。あまりに美しく、大きいフォトもリンクで掲載しておきます。

相倉集落2なぜこのような光景に惹かれるんでしょうか。外国の童話の挿絵等でも見たことがあるような、田舎集落と背後に高い雪山の取り合わせ。世界に通ずるいわばやはり原風景で、心の底でえもいわれぬ何ものかに掻き立てられる感情でしょうか。。住みたいですよね。でも実際住めば、えもいわれぬ気持ちはなくなる気もします。

背後の山は白山と思います。岐阜へ入った時、白山は見たいと思いつつも、なかなかその全貌を眺める場所に恵まれず、高山から白川郷へ至る山道も谷間の庄川という川沿いを通るために眺望はそれほどよく得られません。河童橋から穂高を眺めるようには、白山は姿を現してくれませんでした。

それにしても高山から白川へ向かう国道は、往来も少なく、おそらくみんな高速を通るのでしょう。完全な雪道でしたので4駆をかけ、慎重に走りますが、荷台にテングサの煮カスを100kgくらい積んでいたので少し安定感はあったかもです。それにしても対向車が少ない。車と出会わない。12月31日の長野・愛知・静岡の県境付近の天竜川の感じです。もしかしてあと少しで白川郷というところで冬期閉鎖になっているとか?? そんな不安もよぎりました。それほど山奥の道でした。

あるいは高速を走っていたらもしかして白山は見えたのでしょうか? しかし上の相倉集落の背景にある山はどうやら白山の一部のようですので、少し安心しました。ちなみに、東京で勤務していた出版社のあった土地が文京区白山でした。それで白山の言葉により惹かれるものを感じていたのかもしれません。

 

帰雲城址

この庄川沿いに走る道路脇に、沈んだ城の跡というような案内があり、車を停めました。一見遠目に西洋の修道士かのように見えた石像に惹かれ、近づいて眺めましたが、雪でほとんど何があるかわかりません。帰雲城(かえりくもじょう)という城が昔あり、ここで沈んだということですが、家に帰って調べてみると、1585年に東海や北陸を襲った大地震により崩落した土砂に埋もれてしまったという記載がありました。こんな山奥にもお城があったのですね。

 

白川郷

そして、道路の閉鎖に見舞われることもなく、突然に人々が往来する世界文化遺産の白川郷に着きました。外国人だらけです。外人にとってはこのクラスの雪も茅葺きの建物もさぞ珍しいことでしょうね。東南アジア系の人が多く、また少数ですが欧米系の人の歩いて移動している光景が割と目につきました。バックパッカーとまではいかないかもしれませんが、欧米系は個人の客で、アジア系は団体客という感じでしたか。駐車料が1,000円かかりました。人が多くてマスクしますが、眼鏡が曇ります。。

 

白川郷合掌造り屋根裏

有料で見学できるエリアに立ち寄って、合掌造りの中に入ってみました。私は沢内へ移り住んだ2年目に、住んでいる屋根の葺き替えを手伝ったことがあります。こうした屋根裏に上がって、カヤ葺きの人が外側から刺してくる紐付きの大きな針を中に押し入れて、写っているように丸い骨組み棒に紐を通して、もう一度その針を抜いてもらい、骨組みどうしではなく外と中でカヤを挟んで紐で縫うという作業を行いました。

 

合掌造りのき

軒下を見上げるとはこんな作りになっています。建物の中には昔の農具や生活具が展示されていたりしましたが、これは11月に岩手の川井でも見ましたし、そんなに珍しくもない感じでしたが、外国人にとっては興味深いものだったでしょう。「カンテラ」など実際どうなんだっけという品は写真に収めて来ました。

この白川郷はあまりにも有名ですが、でも景観としては「相倉」ですね!

 

木曽白川の氷柱群

相倉集落の光景が印象的だったためにトップに記させていただきましたが、順序としては、茅野の寒天工場を発った日は杖突き峠から伊那に入り、権兵衛トンネルから木曽へ抜けて、木曽福島の辺りの山道をフラフラしました。

釜の煮込み作業は夜の11:30から始まり、クレーンでの舟への煮汁移し、濾過した煮汁のノリツギ作業、固まった液の天切り作業、次の草の釜入れ作業を終えて13時過ぎから16時のエアかき混ぜ(棒立て作業)まで2時間ちょっと休憩があり、ここで風呂に入ったりしますが、ちょうどこの時間に長野SBCのローカル番組をテレビで観ていました。そこで確か紹介されていた氷柱群が木曽にあるということで、今回目指しました。ちょっとわかりにくくて通り過ぎたりしましたが、写真の「白川の氷柱群」がそれでした。写真に収めているのは一部で、高さ50m、幅250mに及ぶと記されていましたが、今年はそこまでにはなっていないようでした。地下水が染み出してツララになっているものです。御嶽山の近くまで進みましたが、雲に隠れて見えませんでした。

 

寝覚めの床

木曽といえば「寝覚めの床」ですので、これも掲載いたします。国道からだと線路とかが邪魔ですよね。学生時代に「特急しなの」で通行した時は眼前でよく見え、列車のスピードも落としてくれて案内アナウンスもしてくれました。車掌さんによっては「木曽のナカノリさん〜」と歌ってくれたものでした。いまでもそういうアナウンスはあるのでしょうか。。

3年くらい前にもここを訪れて記事にも書いたと思いますが、名古屋から特急で木曽の山を懸命に登り進み、そして松本のある穏やかな平野部に至ります。遠くには神々しい北アルプスが。。ブルックナーの九番の最終楽章の最後の部分がそうなんですね。激しいトゥッティ(全ての楽器が全力で奏でるクライマックス部)の後に、ふっと突然に天上の光景が拓けて、静かに終わります。アダージョで終わる九番ならではの全曲の締めくくりです。

西和賀沢内もそうですね。北上市から激しい山間部を通り抜け、山間部の盆地平野部に、ふっと至る。ブルックナー的です。

馬籠宿

木曽からは馬籠宿へ向かいました。以前、まだ釜煮込みでなく水車の仕事(テングサを洗う仕事)をしていた時の1日休みがあった折に「妻籠」には行っておりましたので、今回は馬籠に行きました。妻籠とともに、高校の時の修学旅行で来ているはずなんですが、全く記憶にありません。。

 

富山湾岩瀬浜

さて木曽の翌日の、合掌造りの里を満喫した後ですが、富山湾へ向かいました。昔NHK特集で富山湾についての番組があり、内容は忘れていますが蜃気楼だったり、いろんな生態的なこととか、背後に北アルプスが聳えていたり、気になっていた場所でした。ちょうど寒天工場に富山にゆかりがある人がいて話を聞いているうちに、こちら方面へ遠回りして寄ってから帰ろうと決めてました。いつも赴任の最初の頃からもう帰りのコースを検討し始めるのですが、頭の中で合掌造りとセットコースになっております。午後3時頃に岩瀬浜海水浴場に到着し、砂浜からの景色を楽しんでおりました。

が、いきなりのアクシデントが。。海水を触っていて、急に潮が大きくなったので靴を濡らすまいと後ずさりをしたところ、その波が結構大きくて、思わずダッシュし転んで左手を着いた時に結構な衝撃が。。靴は濡れはしませんでしたが、手首は3日経ったいまでもまだ痛く、けっこうな打撲を負ってしまいました。この後富山市内に戻ってガラスの美術館を見て白えびの天丼を食べてから宿泊地である上越市へ向かおうと思っていましたが、すぐに運転ができる状態でもなく、少し仮眠してしまい、それから次の上越市の宿へ向かうことにしました。白えびが課題に残りました。

軽トラなので、当然マニュアル車ですが、左手が痛いです。市街地は信号や渋滞で特にギアの入れ替えが多く、困ったと思いました。結局右手を左に回して2速に入れて発進し、次は4速に入れる、という2段階で何とかこなしました。国道8号とかを新潟方面へ向かい走るわけですが、時々5速まで入れるものの、2・4速式で何とかなりました。それにしても、富山市から上越市までは結構距離がありました。暗がりの中すぐ海が見える道を走りますが、昼間だったらもっと海がよく眺められたことでしょう。

夜に出張先の土地を走っていると寂しくなるということを前回も書いたのですが、2回目の寒天赴任で長野入りした時に、岩手を発ちこの上越市で1泊する行程を取りましたが、暗くなってから海が見えて来た時に、初めて何とも言えぬ寂しさを感じました。今回はもう自宅への帰路行程に入っいるし、そんな寂しさはありません。手首の痛さがあるだけです。

 

佐渡へ入港

上越市内のスーパーで閉店間際の値引き惣菜やビールを買い込んで、軽く晩酌後早々に眠りに就いて、そして翌日は新潟港を目指し早めに出発し、生まれて初めての佐渡渡航を実現しました。

昨夜は暗くて海がよく見えなかったものの、上越から新潟市への海沿いの道で十分に海辺の風景を楽しむことができました。海辺には板張りの住宅が建ち並んでいて、独特の景観を醸していましたし、佐渡に入ってからもでしたが、新潟には竹が多くあるなと思いました。

少しでも安く渡航費用を抑えたいといろいろ検索し、アプリを入れたりいろいろやった結果、ただでさえ足りないギガを消費して、オーバーしたギガ分を回収できたかどうかというくらいの割引率でチケットを入手し、佐渡に渡りました。新潟市からは佐渡は見えませんでした。霞んでいて見えないのか、それとも地球が丸いために見えないのかわかりませんが、フェリーは2時間半の航路で、あと30分くらいという時の佐渡の光景が上の写真です。

フェリーですが、車を積むとうんと高くなるので、新潟港に停めて単身で渡りました。2等席ですが片道3,100円くらいでした。新潟佐渡汽船すぐそばの万代駐車場Eに停め、24時間以内でしたので、翌日800円の料金ですみました(乗船した人の割引価格です)。ちなみに軽自動車でも往復で30,000円かかるようです(運転手1人乗船料金込み)。

 

トキの剥製

船は東側の両津という港に停まりますが、宿を取ったのは小1時間バスで走っての西側の温泉旅館でしたので、バス代が往復かかります。しかも帰りの方は、時刻の少し前に別の方面行きのバスが来るから注意してと旅館で言われたにも関わらず、よく行き先を確かめず、時間的にこれだと思って間違えたバスに乗ってしまい、違和感を感じて運転手さんに確認して2個先のバス停で降りて乗り直すというミスも。。行きは港で少しバスが停車してたので確認できましたが。。乗り慣れていないせいか、どうもバスは苦手です。料金が刻々と変わり、スムーズに支払って降りられるかも気になってしまいますよね。定期券ではないし。

温泉宿のすぐ近くに博物館があったので、午後4時を過ぎていましたが、まずこちらを見学しました。佐渡といえば、1)トキ、2)金山、3)伝統芸能(太鼓や能など)でしょうか。博物館でしたので縄文や弥生の出土品や生き物の剥製などが多かったですが、まあまあ満足。車じゃないのでトキの住む森にも世界遺産が決まったという金山にも行けませんでした。佐渡は結構広く、グーグルマップとかでコンビニが近いなとか思っても経路を見れば歩いて40分とかで、足がないと何もできないだろう感じです。

翌日の旅館からの帰りは、バス下車から出航まで時間があったので両津の港を少し歩く余裕がありましたが、レンタカーがあるじゃないですか。そういえばレンタカーを生まれてこのかた借りたことがありません。いつか、多分その時はもうないでしょうが、再び佐渡に来れた時はレンタカーを借りれば良いんですね。軽だと1日5千円切る感じでした。今回バスは往復で1,500円くらいでした。

砂金採りの道具佐渡金山には行けませんでしたし、博物館にもあまり見たかった展示はありませんでしたが、砂金を取るための道具が陳列してありました。ちなみに、今回の旅で、絵画にせよ展示品にせよ、案内看板にせよ、説明があるとそれは写真を撮るようにしていました。WiFiのない寒天工場にいて無駄にギガは使えないし、夕方5時のおやすみ前のひとときとか、旅先でスマホで撮った写真をその説明書きとともに見返していました。引き伸ばして見れば十分読めますよね。

 

 

 

 

 

 

佐渡文化・鬼太鼓

佐渡にはいろんな演芸の文化が栄えていたとは知りませんでした。太鼓が盛んなのは何となく知っていましたが、鬼太鼓というジャンルになるらしいです。岩手にも鬼の文化というのがありますが、さらにまた能とかも盛んで、能楽堂も結構数あるらしいです。

ブリカツ

小1時間博物館にいて、それから隣の温泉旅館に移り、ゆっくり温泉に入って寒天煮込みの積み重なった疲れと、手首の打撲をたっぷり癒しました。ぬるっとした効能ありそうな温泉でしたね。一人だし素泊まりですので、売店の適当な食べ物と、フェリーの中で買った「ブリカツ」やスーパーの千切りキャベツで晩酌としました。バスなので道中下車して買い物もできずです。居酒屋も館内にはありましたが、温泉から出て出歩く気力も予算もないし、売店のビールと茅野で買っていた五一ワインの大瓶も味わって、のんびりテレビを見て極楽でしたね。何より、もう夜の11時20分に起きなくて良いのです。佐渡だけで使えるという2千円の商品券がもらえたのもラッキーでした。

 

ときわ丸

両津港からフェリーで帰路に着きました。立派な船でした。佐渡の土産として、娘にはトキのキーホルダーのようなものとかマグネットを買ったりしましたが、佐渡土産ナンバーワンは佐渡バターのクッキー(800円)のようで、買いました。

 

佐渡からの別れ

佐渡見えず

 

 

 

 

カモメに見送られながら、佐渡が離れて行きます。しばらくすると何も見えなくなってしまい、雲のせいか地球が丸いせいなのか。。

新潟からは小国・山形を経て自宅に戻りました。カツ丼(ふつうに卵でとじたもの)が無性に食べたくなり、いつも旅の時はそうですが、チェーン店とかでなく大衆食堂を探して入りました。

また途中小国の道の駅で買ったラフランス入り午後の紅茶は美味しかったです。

疲れていますし、まだ手首も痛い。少し何もできずゆっくり休養し、夜は念願の晩酌しながらWiFiでPC映画を観る、で過ごし、それからたらの芽作業や確定申告等事務作業に着手します。とりあえず、スマホの写真をMacに移送し年賀状に目を通したり、どっさりの郵便物を開封したりしています。

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寒天休日の長野旅、その2

御射鹿池1

今年の寒天事業は規模の縮小があり、年末年始以外にも3日間の休日があって、部屋でじっとしていてももったいないので、1月12日、近郊の蓼科付近をドライブしてみました。蓼科の御射鹿池は東山魁夷の有名な絵のモデルになった、静謐なたたずまいの池でした。ちょうどいい感じの結氷で美しく、真冬にも関わらずカメラを向ける人もおりました。

 

御射鹿池2

蓼科にはグランドホテル「滝の湯」という昔からのホテルがあり、信州大学1年生の夏休みに長期アルバイトをしました。バイト仲間とも仲良くなって、よく部屋による集まって談笑したものでした。八ヶ岳自体も大学卒業後ですが東京から登山に何度か来ており、寒天作業場のある茅野市はその玄関口であり、この冬季出張はそうした過去の縁もあって続いている気がします。この日「滝の湯」も訪れましたが、休館でした。。

温泉施設や別荘地のある蓼科の山麓そのものの地帯はそんなに歩いているわけでなく、もちろん有名なこの池も初めての来訪でした。目は常に山頂の方へ向いていましたので。麦草峠は冬季閉鎖と知っていましたが、こちらも行けるところまで軽トラで走って来ました。

 

乙女滝とカモシカ

近くに乙女の滝という滝があり、足を伸ばしました。カモシカの子どもが左の方におります。蓼科は日本を代表するリゾート地の一つともいえ、観光客も特に夏場のシーズンはとても多いことでしょう。そうした人たちを対象にした直販型の農家も多くいることと思います。ただ冬場は休んでいるところもあり、そういう姿には少し残念な、寂れた感みたいなものを感じてしまいますね。スキー場とかは賑わっているんでしょうが。。

 

槍穂・霧ヶ峰

そして、蓼科に来たからには、やはり霧ヶ峰方面に足を伸ばしたくなって来ます。去年も岩手への帰り道で八ヶ岳を横断し佐久方面へ抜ける際に通ったので、寒天の折だけで3回目になります。蓼科山麓から白樺湖経由で30分もかからないでしょうか。茅野市街地からも小一時間で行ける場所です。この霧ヶ峰から良い地下水が茅野方面へ巡り流れて来て、良い寒天作りの基盤になっているとのことです。

 

鹿島槍

さて、休日2日目の翌日は大町方面へ出かけて来ました。本当は松本の少し先の安曇野の美術館を目的に走ったのですが、行ってみると冬季閉館中で、昨年の寒天で長野入りした時に出かけてちょうど閉館日だったことのリベンジに大町まで向かったのでしたが、それほど遠くという感じではありませんでした。大町山岳博物館からの、これは鹿島槍ヶ岳でしょうか。前面に壁のごとく立ちはだかっています。正月もでしたが、好天が続き、ドライブには最適でした。

ちなみに、かつて松本市内にあって学生からも好評だったスパゲティ屋さんがその美術館の近くにあり、お昼時に行ってみたものの、こちらも閉店中。。松本駅前から別荘地的な林間の土地に移転していて、リゾート客向けの経営に転換してのことなのかと思うと、何となく残念な気持ちでした。

 

山岳博物館には畦地梅太郎の絵が2点飾られていました。「黒部の山賊」の表紙にも使われた、実に味わいのある絵ですね。

 

大町博物館の雷鳥

この博物館では庭で雷鳥やカモシカが飼育されています。こちらは日本の雷鳥ですが、スバールバル雷鳥という北欧の雷鳥もいました。

そして博物館を去り、夕方茅野への帰路に着きます。正月のドライブでも感じたことですが、暗くなってくると、やはり少し憂鬱になってくるんですね。お前はどこに向かって帰っているのだ、という根無し草的状態。たった2か月といっても結構長いです。こちらでりんどう出荷している頃の2か月はあっという間ですけどね。地元で冬に除雪勤務している人も、除雪のこの3か月間はとても長く感じると言っていました。家で夜過ごす地元の勤務でも確かにそう感じます。ましてや600kmも離れた土地ですから。

とはいえ寒天作業は独特な伝統工芸的な面もあり、天日干しで乾燥させて産品を作る面はうちの農業とも大きく通じます。いつまでこの産業自体が成り立っているか不明でもありますが、機械的な工場生産品とは違った職人的作業であることは確かです。学生時代を過ごした、第2の故郷である長野はその後の東京時代よりも自分には近いものがありますし、割り切って旅行の楽しみも単純に受け入れながら、続けていけばよろしいのでしょうかね。この出張の一番の楽しみは行き帰りの道中の旅路ですね。それに今年は近郊のドライブが随分加わりました。

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山梨県への旅

山梨県立美術館

1月2日に山梨県へ出かけて来ました。現在の拠点長野県茅野市から甲府まで1時間くらい。沢内から北上や盛岡へ出る感覚なんですね。山梨県立美術館が開館ということで、ミレーを見に行きました。

鶏に餌をやる女

「鶏に餌をやる女」

夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」

種を蒔く人・落ち穂拾い

そして「種を蒔く人」と「落ち穂拾い」です。

落ち穂拾い

落ち穂拾いの絵画部分です。この日のみ、写真撮影許可とのことでした。良いですね。農夫の姿。大地に馴染んだ生活感。後ろに麦の束の大きな山が見えますが、乾燥はどうやってたのでしょうか? 積んでいては乾きませんし、この後乾燥棚に掛けたのでしょうか。

米倉壽仁・早春

米倉壽仁というシュールレアリスムの画家の展示もあり、併せて見てきました。「早春」(1940年)。

精進湖からの富士山

9時の開館時間から2時間以上堪能し、そして富士五湖方面へ向かいました。精進湖からの富士山はとても綺麗で圧倒されます。31日の南信州奥地の探訪もでしたが、好天に恵まれた年末年始です。甲府市内を走るのは初めてでした。

鳴沢氷穴

次に訪れた西湖のそばには洞窟があり、入館して来ました。こちらは鳴沢氷穴です。岩泉の龍泉洞などのように石灰岩が溶けて出来る鍾乳洞と異なり、溶岩から噴き出すガスが溶岩内に空間を形成して出来たダイナミックな火山活動によるもののようです。

富嶽風穴

こちらは富嶽風穴という洞窟です。かつて冷蔵庫のような役目にも使われて、蚕や植物種子等を保冷し、出芽を調整したり蚕も仮眠させたりで生産調整をしたという記述があり、興味深く感じます。

溶岩樹型

旅の途中で「溶岩樹型」なる標識を見て停車し、探索してみました。溶岩流に巻き込まれた樹木が溶岩に包まれた後、高熱で燃え尽きてその樹型を残したという穴です。こういう穴が無数にありました。鳴沢村です。

河口湖からの富士山

最後に河口湖へ。ここは一大リゾート地という感じですね。高校の修学旅行で行ったような記憶がありますが、どうだったか。北側の湖畔からやや夕暮れに近づいた富士山ショットを撮り、そして茅野市の宿営地に戻りました。茅野まで2時間。一関から沢内へ帰る感じです。

帰路で暗くなった夜道を運転していますと、何だか気持ちが暗くなってもくるんですよね。家に帰るわけではなく、自分の正しい居場所に根付いていないような感覚。単純な旅行であれば自分の意志で自由ですからまた違いますが、その感覚は仕事である程度長期に出張している以上仕方ありません。いろんな不安や悩みごとは家にいても感じることですしね。。

そして今日1月3日の深夜から湯を沸かし始め、明日からまたテングサ煮込みが始まります。ようやく折り返し地点で、出張もあと1か月余りです。

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長野の年末年始から

1月1日の富士山

珍しく年末年始が休止になった寒天工場です。初めての滅多にない機会なので、いろいろ出かけて来ました。茅野市のお隣の原村と富士見町の境界辺り、寒天作業場より車で20分弱の所で富士山を見ることが出来ました。天気も良く1月1日の富士山です。

正月の天

天出しされた寒天も順調に進んでいます。

木曽駒

大晦日の31日も休みとなり、釜の湯を沸かしたり若干の作業はありましたが、早々に終えて、そして信州ドライブに出かけて来ました。

長野県は言うなれば東北よりは都会でありますので、茅野市もですし松本、長野など人が多いです。車の往来も多くて渋滞に巻き込まれますので、割とのんびりしていて自分の好みでもある伊那谷の方面を走りました。最初は高遠から南アルプスに沿って走る山道の国道を進んでましたが、冬期の閉鎖ということで谷底を走るメインルートに変更し、伊那から飯田方面へ向かいました。天気が良くて駒ヶ根で少し中央アルプス側へ逸れて、木曽駒ヶ岳を撮影して来ました。千畳敷カールで有名ですね。

それから、30年近くも前に、伊那谷での就農移住を試みて、現在は飯田市に合併された当時の上村を訪ねました。今回の目標地点になります。ここに「下栗」という地区があり、かなり奥地の急峻な地形の土地に集落があります。何年か前にこちらのローカルの番組で放送されていたのを覚えていまして、今回訪れてみました。

国道から狭い舗装路をゆっくり上って行きます。命の水という湧き水で小休止し、車で行ける最終地点まで進みました。

さらに、駐車場から歩いて20分、その下栗の里が見下ろせる地点に到着です。確かに惹かれますよね。こういう山暮らし。当時上村の役場にも訪れて、就農の希望など職員さんに伝えて対応していただいて来ましたが、1995年頃はオウム事件もあり、この南アルプスの村も無縁でなくて、住民も他地域からの移住者という者に警戒感を抱いているというムードで、結局就農の話には進みませんでした。

ともあれ、ここまで奥地の急峻な土地では農業というのはなかなか難しかったでしょう。

でもいまでも何かしら後ろ髪を引かれる感じは少しありますね。

光岳

その下栗から見た光岳方面です。この山なみから受ける感動は、先の木曽駒などの比ではありません。北アルプスでは雲の平が最奥の地であるとすれば、南アルプスではこの山域が最深部になるでしょう。どこから入山しても下山まで3〜4日かかる奥深い山域。この光岳(てかりだけ)は東京にいた頃からずっと気に掛かっており、この夏もラジオの「山カフェ」でかつてのおしん役の小林綾子さんが登頂した話をしていた放送をしっかり聴いていて、羨ましく思ったものでした。

さて麓の方へ降りて来て、長野県最南端の天龍村へ。最近見た番組(ローカル)で、ここは柚子の栽培が盛んと言っており、写しました。良い感じの田舎ですよね。伊那谷の最奥部、満足度満点ですよ。あったかいんでしょうね。お茶も植わっています。

何かしら特産品を買って帰りたかったのですが、道の駅もことごとく閉まっていますし、開いている食堂もなくはないですが、一人でコロナ禍にわざわざ、とも思いパン等を買って天竜川沿いで食べました。

さて、軽トラックの旅はさらに深みに入って行きます。天竜川を下流に進んで行きますが、もうすれ違う車両もありません。長野と静岡と愛知の3県の交わる辺り、実に深いです。ガソリンもメモリが2個になり不安もよぎりましたが、飯田線の「大嵐」(おおぞれ)駅を今回の最終目標に、人っ子一人いない狭いカーブの続く道を、ただ訳もなくひたすら走行します。

実は東京に住んでいた時に確か年末にバイク(XLR250)で浜松から天竜川を上るツーリングをしました。その時に大嵐駅の辺りでテントを張って寝たような記憶が。。すぐそばにはスナックがあり、そこで生まれて初めて一人で酒場に入った記憶が。。駅のそば、テント脇で水道の蛇口を見つけ顔を洗い、そこで持参したシェエラカップを忘れてきたような記憶が。。

大嵐駅

でも大嵐駅は他に建物など何一つない場所にポツンと建っていました。全部思い違いだったのでしょうか。。いったい自分はどこの駅で野営したのだろうか?

飯田線はいったい誰が利用するのだろうと、線路とは対岸の道を元の長野方面へ戻りました。他に別のルートはなく、戻るしかない。

給油を気にしながら、対岸を見ると山あいに集落が。いやあ、本当に奥の奥に人が暮らしているんだ。。先の下栗を思い出します。

幸いガス欠になることもなく、阿南町まで戻って給油。長野県はガソリンが高いです。あとは飯田市、伊那市と戻って、高遠から杖突峠を経て茅野に戻りました。

明日2日も休みで、また出かけてみようと思っています。

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農シーズンが終わり、そして寒天製造時期になり

米ぬか施肥後のにんにく圃場

奇跡的に無積雪の11月が終わり、12月を迎えています。ありがたいことです。にんにくの雑草はかなりの茂みになっていましたが、全部取り切ることができました。そしてフィニッシュは米ぬかの散布です。生の米ぬかですが、これから冬場にゆっくりと腐熟して雪解け時には土作り効果、追肥効果をもたらせてくれると思っています。

日暮れが早く夕方4時半には外作業は終了。あとは作業場で黒にんにくの準備製造をしたり、会計の記帳をしたり、補助金等への事務作業をしたり、年賀状の作成をしたり、これまでできなかった事務作業も山のようにあり、これも何とか終了し、そして農作業のシーズンが終了しました。冬支度に漏れはないか、あちこち見回って、シーズン最終日を終えました。

 

タラノキ伐採2022

最後の収穫作業はタラノキ穂木です。悔しいことですが、育苗がうまく進まず芽の素材量は少なめで、作業はすぐに終わりました。作業場に保管しており、2月の芽吹かせを待ちます。

 

アイアン・横手

余裕もできてきて、お隣横手市での展示会に誘われて、知人の職人の技を見てきました。山のうえアイアンの鉄工アートです。

 

ブナの森・横手

こちらは「ブナの森」竹澤氏の木工展示です。飛ぶように売れていく品々ではありませんが、こうした作品群が然るべき買い手の元に届いてくれたらと願わざるを得ません。

 

あがたの森

そして11月が終わり、例年通りに長野への寒天製造の出張の日が来ました。今年は開始がやや遅く、11月29日に家を出て、翌30日、群馬の嬬恋村から長野入りしました。旅行支援で安く泊まれた上に3,000円のクーポンももらえ、食費に充てたところです。

上田から松本へ着き、学生時代を過ごした街を少し歩きました。

懐かしいスパイスの「キッチン南海」でカレーを食べ、旧制松本高校跡地である「あがたの森」公園を散策しました。ここは初めて足を踏み入れました。ヒマラヤ杉並木が有名です。家の庭木でも姿形の良い針葉樹が好きで植えておりますが、ヒマラヤ杉はちょっと手に入りにくそうですね。巨大になりそうだし。すぐ近くにはイオンモールもできています。今回は行きませんでしたが、ナワテ通りの辺りが好きです。

 

北アルプス

アルプス公園にも出かけてみましたが、木が邪魔でアルプスは見えず、進入した駐車場を間違ったかと退却し、すぐ近くの学生時代によく訪れた岡田神社奥にある芥子坊主という高みより北アルプスを眺めました。さっきまで見えていた常念が急に雲隠れしましたが。。

北アルプスに別れを告げいつものごとくひどい渋滞に巻き込まれながら茅野市を目指しました。19号はあんまりにも渋滞がひどくて我慢できず、ルートを東寄りの小高い南北に走る道路にチェンジし、塩尻から諏訪を経由し寒天工場のある茅野市に入りました。長野県の渋滞状況を見ていると、いつもながらやはり関東地方の人口密集度は東北とは異なるなと感じます。

 

庭

寒天の準備作業がスタートし、田んぼ(庭と言います)に藁敷きをし、杭を打って杉の間伐材の長木を上に載せて縛り、「とかし」作りをします。生寒天の台(「カイリョウ」)が乗り、日中の暖かい日差しを受けて溶けて、それが夜に凍って、をくり返して、東北でいえば凍み大根のような天日干し角寒天が出来上がります。

 

釜

私の係は釜のテングサ茹で業務なので、庭の準備ができれば釜の持ち場へ移ります。右の釜で茹でた草と煮汁をクレーンのバケットで掬い、左の舟には布を被せますが、その布の上に移し、濾した液(「のり」)が底に溜まっていきます。それをポンプで青いモロブタに移し、やや固まった状態で天切り包丁で切って庭に出し(「天出し」)、庭で寒天になっていきます。

 

 

舟の内部

舟の木枠にはタルキで溝を付けており、そこに竹のすだれを被せ、さらに布で覆います。毎日漉してはカスを捨て、のくり返しです。何十回で終わりになるでしょうか。今夜12月16日から深夜のクレーン作業とのりつぎ、天切り、草入れの釜作業が始まります。

 

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旧川井村での農家研修

嵯峨均氏への視察

めっきり寒くなってきました。ブルーベリーの雪囲いやりんどうの片づけ作業も終わって、タラノキの伐採搬入が本日終わり、にんにくの草取りが残っています。草取りはちょっとでも積雪があるとアウトなので、にんにくの草取りに精を出していますが、大きな作業を残したままも嫌なので、タラノキの伐採は進めました。今日は結構あったかかったですが、ふだんはもう特に夕方4時過ぎると長靴の足先が凍みてきて、しかも夕暮れも早く4時半には作業場に撤退です。。。例年ならある初回の積雪がまだないのが何と言っても救いです。

こうしたいまの時期は地区の研修旅行のシーズンでありまして、うちの集落では旧川井村(現宮古市川井)で雑穀販売をなされている嵯峨農園さんを視察させていただきました。私と同じお仲間の先輩にあたる首都圏からのIターン移住で川井に居を構え、雑穀の生産販売をなされている方です。化学製品メーカーの研究職からの転身で就農されたユニークな経歴をお持ちです。

岩手は雑穀王国でもありますし、この川井村(旧)もそうした農村文化の土地柄でした。その地に移住して、農業を始められた過程で地元の雑穀文化に着目し、地域の農家を動かして取りまとめ、黎明期と言って良い時期からのインターネット販売で生産を伸ばしたという実績の方です。いまでは地元の生産だけでは注文に応じきれず、岩手県内の雑穀産地から取り寄せてブレンドし、パッケージしたものをさまざまな販売ルートで出荷なさっています。ヒエ・粟・たかきび・黒豆の4種のブレンドです。独自の配合割合なんでしょう。生産の方はリタイヤされたそうですが、県内産地から送られてくる雑穀をパック詰めし販売に乗せていく業務をパートさん数名とともに行っているそうで、小さな個人事業の私からすれば、はるか先を走っておられる方です。

自分の身と比較しながら考えても、それなりに人のやっていない独創的な部分は共通点の一つもあるかもしれないですが、地域の人たちを巻き込んで新しい生産の枠組みを構築していくという努力は生半可では成り立ちません。よくわかります。やはり販売面で実績をあげること、それがしっかり伴わないと、ただ夢を追いましょうだけでは地元の人は付いて来てくれませんから。。

これからも嵯峨さんとは連絡を取らせていただきながら、今回の視察のご縁を活かしていけたらと思っています。

 

嵯峨農園雑穀乾燥施設

大きくやっているのだから、トラクターに多くの播種装置を付け種まきし、汎用の専用コンバインで刈ってるんでしょうと思いきや、手押し播種機でコツコツ蒔いて、バインダーで刈り、写真のようなハサ場で乾燥しハーベスタで脱穀しているらしく、この点はちょっと驚きました。当園と同じ農法とは。。でもそうした姿勢で自然に近い栽培法を選択してられるという証ですね。そうした面も消費者に好意的に迎えられているのかと思います。今後の一層のご発展をお祈りいたします。

ちなみに、写真のような広い面積の屋根を張るのは西和賀町では危険です。太い単管とはいえ多分雪で潰れてしまうと思います。。

 

川井特別展・穀物貯蔵

さて、その川井(現宮古市です)では、ちょうど北上山地民俗資料館で「山里の暮らしと保存食」の特別展示を開催中でした。嵯峨農園さんの研修の後、こちらの資料館で展示を観覧しました。川井出身の知人に情報の提供をしていただき、良いタイミングで上の嵯峨農園さんとこの資料館特別展を同じ日に見学することができました。

 

川井特別展・川魚

ここの資料館としての所蔵量は文献も併せてとても多く、すばらしい資料館として評価が高いです。ただ、いかんせん、団体旅行の立ち寄り。一人であればゆっくり何時間も観て佇んでいたことでしょうが、落ち着かないですよね。早く昼を食べに先を急ぎたい人もいますし、皆が皆、興味があるわけでもありません。ただ、やはりみんな高齢ですし、ここに展示されている品々はそっくりそのまま自分たちの沢内の用具と同じようなもので人生の歴史が重なるのです。昔話を語ったり、ここはちょっと違うなあ、とか、まんざらでもない様子で、内心来て良かったと思った次第です。

 

川井特別展・保存食展示

当園で復活を目指しているやまなしもそうですが、飢饉の時の食材の意味合いが昔はとても重大で、毎年の冬場の貯蔵品なども食文化の重厚な歴史そのもので、眼前に提供されています。貴重な資料の数々です。ジャガイモを干して数珠つなぎにしている様子は映画「タイマグラばあちゃん」で取り上げられていましたね。映画では川の冷水にさらしていました。

 

川井常設展・農具等

3月に山里の伝承文化について懇談した会のことを思い出します。ただ、懐古趣味としてでなく、何か現代社会に対する強いメッセージが込められているはずと感じています。昔はこうだったんだね、で終わるのではなく、何かプラスαがこうした展示品には備わっているはずですね。そうしたメッセージ性をどう取り出し投げかけていけるのか。。

 

川井常設展・山の神

山の神様、東京にいた時のバイクツーリングで秋田の阿仁(マタギの里)を訪れて見学しましたが、山の神様はなんとなく東北のイメージと合致する気がしています。小学校の頃からの矢口高雄氏(「釣りキチ三平」他)の漫画がどうも根っこにあって通奏低音みたいに流れているのですが、こういう展示を目にするとホッとして安らぐ気がします。

 

川井常設展・エンチコ

エンチコですね。。わが家のエンチコはワゴンRの荷台でした。後部座席をフラットに倒して後ろのドアを上に全開し、子どもが落ちないように犬用のケージを折りたたんで立てかけて柵にしましたね。いまはもう親の背を越していますが。。

 

宮古海鮮丼

午前中の川井の見学を終え、約30分で宮古の沿岸に着きます。宮古市魚菜市場で昼を食べました。海鮮丼は1,500円でしたか。あとはみなさんの関心はお買い物ですね。

 

山田の黒豆ソフト

次なる道の駅やまだでは、名物の「あずきばっとうソフト」(350円)を食べました。小豆にうどんのような練り物と黒蜜がかかったソフトです。元はソフトでなく原型の食材があるようですね。

さてその翌日には、今度は雫石から有機の関係の方々の視察の受け入れがあり、ふだんの田畑に一人べったりとは違った学びの2日間になりました。農シーズンの切り替わり時期、新鮮な非日常の時間もちょっぴりあるのでした。

そして今年もまた寒天作りの長野出張の時が刻々と近づいており、雪がないのを幸いにと短い昼の日照の間、忘れていることはないかと振り返りながら、まだ野良仕事を続けております。タラノキ伐採は今日終了しましたし、明日にんにくの草が取り切れ、畝全体に米ぬかを散布できたら終了です。。タラノキはやはり今年もまだ十分な素材量ではないですが、とにかく春から初夏には次の植え付けを全力で進め、たっぷりのたらの芽穂木を獲得したいものです。

また、決算や青色申告の事務のツールに「freee会計」というクラウド型の会計ソフトを導入し、昨日から早朝夜間の時間は設定作業に追われています。WordPressなどもそうですが、いわゆるソフトのバージョンアップに追い立てまくられることなく、ブラウザで、かつスマホからも記帳ができる。やっぱりそのスタイルがいま風です。CD製品でウィンドウズでしか起動できなかったり、毎年バージョンアップにお金を取られたりではなく、もちろん有料ではありますが、長野にいても記帳が手軽にできるアプリが良いですね。

農業分野は、いまでもFAXがルーチンだったり、紙の回し物がドッサリで、種苗や資材の注文にハンコをついた紙を農協まで持って来い、というのがまだ常識です。ポイント等で集客を図るネットショップやSNSが日常のやりとりになる中で、FAXや紙の現物やりとりにいつまでこだわっていられるのかと思ったりもしますね。いつか農協の営農も購買もアマゾンに乗っ取られる日が来るのかもです。

当面、夜なべの作業はにんにくの皮むきとfreee会計の設定作業で、出張日まで続きそうです。。

何事もなければ、次回は長野からの報告記事になるかと思います。お米と出来立ての黒にんにくを持参して出張します。ご注文は茅野郵便局からゆうパックで配送します。土曜日も集荷受け付けをしていたと記憶してます。引き続き、宜しくお願いいたします。

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福井への研修旅行

永平寺参道

認定農業者の全国サミット大会というのが秋に行われていて、昨年はコロナ自粛でありませんでしたが(正確にはリモートで内容閲覧することで開催という形でした)、今年は福井県で行われました。昔は遠くまで大勢で行ったもんだという話を聞きますが、いまは参加の手を挙げる者もいず、結局認定農業者の町内の会長と副会長と役場担当者の3名での参加になっている感じです。

そういうわけで10月19日に福井入りし、まずはタクシーで永平寺に向かいました。前回のブログでも書きましたが、閉園間際でほとんど観ることはできませんでしたが、息子に持たせる数珠を買い、初日の行事となりました。

 

サンドーム福井

福井市内からは30分もバスで移動したでしょうか、眼鏡で有名な鯖江市にあるドーム会場での全体会の開催でした。

 

越前おろしそば

大会は午後開始なのですが、遠距離なので前泊しての参加になり、当日は午前中から会場に来ています。いつも午前中には会場内にいろんな試食コーナーがずらりと並び、かなり高額な料理や菓子類も提供されたりしていました。2016年に参加した岐阜の大会は圧巻で、飛騨牛のサイコロステーキのようなのや有名長良川の鮎の煮汁など行列ができていたものでした。全体会のメインである開催県主催者によるアトラクションですが、これも岐阜の時は大規模なプロジェクションマッピング技術を駆使した豪華なステージ演舞で圧倒されました。司会も大物女優さんだったと思います。コロナ禍のことは仕方ないにせよ、岐阜以後はかなり規模縮小という感じで、今回もそう印象深く残るものではありませんでした。

名物のおろしそばが弁当とともに配布されておりましたが、多分参加費の中に含まれていて購入になったのだと思います。

とはいえ、そういうサービス目当てで参加するものではなく、全国から集った知らない農家どうしの交流が目的になりますね。

岐阜のことばかり賞賛するのも気が引けますが、その時の2日目の視察行程のバスの中での案内役の農業普及員(専門の県職員)さんの地元農業に関するバスガイド解説は大変心に残っていて、まさに痒い所に手が届くような丁寧できめ細かい配慮の語り口で素晴らしいものでした。淀みなくずっと語ってくれていました。2016年当時もブログに書いたと思います。たまたま乗り合わせたバスの担当が専門の方だったからかもしれませんが、以後は農業を知らない一般事務の公務員の方で、ほとんど事務連絡になっていましたね。でもこれが普通で、多分岐阜大会が特別だったのでしょう。

 

アイガモロボット

会場の一角で業者の展示もあり、人々の関心を呼んでいるように見えましたのが、アイガモロボットです。農薬不使用の水稲栽培での最大の負担は除草ですから、こうした装置が田んぼを縦横無尽に歩き回り泥を攪拌して抑草を続けてくれれば本当にありがたい話です。田の中を重い除草機やチェーン除草具を引き回す作業はかなりの重労働です。6月の除草時期に何度除草に入れるかで収量は決まります。もちろん冷害に遭わなければの話です。2年続きで寒さの夏でしたので。。

 

福井恐竜博物館

サミット大会当日夕方から分科会に分かれての懇親会、宿泊、そして2日目の研修視察となります。分科会では集落営農組織の代表者の話、産直運営者の話と2件参加した後に、メインである福井県立恐竜博物館を訪れました。日本で最初に恐竜の骨が発見されたのは岩手県ですが、出土の量が最も多いのがこの福井県勝山市になります。そこに建てられた恐竜専門の博物館は世界3大恐竜博物館と言われ、恐竜少年たちの憧れの聖地です。

 

ティラノザウルス

館内で長いエスカレーターを下って最初に出迎えてくれたティラノザウルスです。動いているし、声も発しています。

 

居留博物館展示

そのティラノを中心に広大な空間に実物大?の骨格標本が配置されています。天井までは何十メートルもあります。首長竜の頭は遥か先でした。

 

恐竜博物館標本群

やや上部の通路から見下ろしています。標本はとてもたくさんで、また陳列品も膨大なもので、とても1時間半の中でくまなく読むことはできませんね。博物館は大好きですし、個人で来ていたらまる1日いたと思います。

 

あまごの宿昼食

あまごの宿というアマゴの養殖施設の料理を昼にいただきました。左上の2尾で小さいなと思いましたが、頭から食べて、味はとても良かったです。養殖施設も見学しましたが、餌やりも敢えて大きくしないような与え方をしているようでした。釣りとしては大物狙いますが、食べるには小さい方が美味しいんですね。右上の小鉢はイワナの刺身で、酢味噌でいただきました。

 

福井の焼き鯖寿司

以上でサミットは終わり、福井駅で焼き鯖寿司を買って、新幹線で岩手に戻ってまいりました。もともと鯖は好きですが、この鯖寿司は絶品でしたね。

あとは極晩りんどうの最後の品種の最後の収穫選別をやりつつ、廃園にするりんどう畑のネットと支柱外し、耕耘、そして半端な時間にはにんにくの草取りをしています。

 

稲扱き2022

例年カメムシ害に見舞われる早稲米の「いわてっこ」ですが、脱穀・籾摺りを終えておりますが、明日、斑点米除去のため農協の色彩選別に出して来ます。明日明後日は好天のようなので、この間に残り品種の大半の脱穀をしたいと思います。亀の尾の新米時期限定のやや高水分のみずみずしいお米の出荷から始めたいと思います。

なお、いろいろ考慮した結果ですが、今年の新米から700円/kgに100円ほど上げさせていただきたく思います。20数年前に500円/kgから始めてその後自前の脱穀・籾摺り設備の導入時に600円に改定させていただいて、15年も経ったでしょうか。他の自然栽培・天日干しの生産者のお米との値段差がやはり大きくなっていて、むしろ改定をとの指摘もいただいたり、また転売目的のような注文が来ても良くありませんから、この年から100円ほど改定させていただきたく思います。その分というのも語弊がありますが、カメムシ害についてはこれまで行っていなかった色選委託で品質を保ちたいと思います。いわてっこは色選に出す関係で11月最初まで出荷はできませんが、おそらくは斑点米の少ないであろう亀の尾から始め、ひとめぼれ、チヨニシキと合計4品種の出荷を行っていきたく、今年の新米もどうぞ宜しくお願いいたします。また、いわてっこ以外にも何らかの着色米がある程度見られた品種については色選委託を行いたく思います。なお、色選に出す場合はその品種全量の玄米で委託するために、これまでの翌春から出荷する分の冬期間氷温の籾での貯蔵・春の籾摺りはできず、玄米での氷温貯蔵にいたします。

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古民家でのアート職人展示会、夏の休日

ツキザワの家

結局、梅雨明けがないままに梅雨前線がそのまま秋雨前線になってしまった北東北では、かつてないほどの日照のない多湿の夏(?)が過ぎて、ここに来て比較的日差しのある穏やかな秋を迎えています。とにかく、大幅に遅れていた稲の生育を挽回して欲しく、しばらく気温高めという予報に期待をしています。にんにくも小麦もお盆りんどうも、そして稲も1週間遅れという異例のシーズンです。唯一彼岸りんどうだけはぴったり当たりましたが、それはススキとかと同じで寒さが来ると開花促進になるので、かえって冷涼さの現れです。

8月上旬はお盆用りんどうの出荷に追われておりましたが、それも一段落したお盆最中の時期に、写真家の瀬川強さんたちが手をかけて修繕された「ツキザワの家」に初めて行って来ました。鉄工と木工の職人の2人展を見学するためです(8月13日)。ツキザワの家は「砂ゆっこ」のすぐ近くにあります。

 

アイアン木工コラボ机

鉄工の「山のうえアイアン」氏と当園サイトでも紹介している木工の竹澤氏のコラボの作品展です。本当はもっと早くに行いたかったようなのですが、春の竹澤氏ウッド工房の火事による消失という出来事があって、その後片付けや工房の再建を進めながら、ようやくこの日を迎えたのでした。竹澤氏の再建の作業にはアイアン氏のご尽力もあり、そうした協力関係の絆があって、この古民家での開催に至ったのでした。

 

山のうえアイアン

こちらはアイアン氏の鉄工芸品です。

ウッド工房ブナの森

こちらは竹澤氏の木工製品。

アイアン小品

古民家の調度品にもさりげなく小品が展示されています。

 

ツキザワの家囲炉裏

これもツキザワの家の備品の囲炉裏で、座って談笑も。

 

襖絵

さてこちらは廊下を歩いて奥の間ですが、素晴らしい絵が襖に描かれています。西和賀の早春から冬までの四季の移ろいを描いたそうです。こちらで大きいサイズもご覧いただけたらと思います(左の切れている部分はこちらに)。千葉県在住の川崎茂花さんという方の作品です。こちらは2人展が終わったいまももちろん観ることができますね。

 

麦生漁港

話は変わりますが、お盆用のりんどう出荷が終わると、次はにんにく畑の準備になり、最後の3回目草刈りなどしているうちに、すぐ次の彼岸りんどうの大量出荷時期がやってきます。束の間の休息が8月下旬に1日だけ取れて、久慈市に出かけてきました。コンサートがあったのですが、せっかくなので釣りもしてきました。久慈の水族館もぐらんぴあのやや北にある麦生漁港を知人に紹介いただいて訪れました。外洋に面しているので波は高かったですが、幸いそれほどひどくはなく、小雨が降ったり止んだりのあいにくの空ではありましたが、投げ釣り、ブラーという新型の仕掛けを使ったアイナメ狙い、それにオキアミの撒き餌とサビキの小アジ類狙いの3本立てで、コンサートまでの短い時間でしたが、凝縮した忙しい釣りをしてきました。

 

麦生漁港の釣り

結果的には小さいアイナメとフグが1匹ずつ釣れただけで、そんなに魚影が濃いとは感じられませんでした。引き上げる頃になって、ルアー専門の上級者風の釣り客が来て竿を出していましたが、「北の方(八戸方面ということですね)から始めて南下して来ましたが、全然ダメ。今年は特に海が濁っているみたいだ」といった感想を言っておられました。私も岩手へ来て四半世紀経ち、三陸にも5回くらいは釣りに来ていますが、あんまり良い思いをしたことはなかったですね。子どもの頃の広島の瀬戸内海ではアイナメ、キス、カレイ、ベラ(ギザミ)が良く釣れましたし、市内の河川では河口近くでハゼ(ジェット天秤でゴカイ)、やや上流ではハヤやヤマベ(投げ浮き付き毛鉤セット)が面白いように釣れたものでした。市内の近くの川端で3人でハゼ100匹釣ったこともありました。いまでも釣り番組を聴いていると良い成果を挙げている話が放送もされ、やはり腕と釣り場選びなのかもしれませんが、ふと、小・中学生の頃の自分には、まだ自然というものと繋がった第六感覚があって、それが大人になって失われてしまい、頭で考えて釣りの努力をしようとすればするほど、人為的で自然から離れていった格好になっているのでは、とも思いました。

農業でもそうですが、作物や周囲の環境で生じていることは、その原因もプロセスもブラックボックスのようなもので、こうやったらこうなるのでは、という想像の中で作物と格闘しているようなものかもしれません。人間の認識に備わっている能力で物事をカテゴライズして判断していることで、現象面で辻褄が合っていても、それは物自体(Ding an sich)を語るものではない、というカントの学説の通りでしょうか。。

考えれば考えるほど、自然から遠ざかってしまう、のか。そんな物思いに耽るのも、脳や神経を休ませる休日ならではのことでしょうか。

だいたい昼間の畑作業は地元ラジオ局のワイド番組をポケットラジオで聞きながらですが、夜の作業場残業時に、WiFi環境(中継器で家から中継しています)ですのでスマホでYoutubeやPodcastを聞いていて、ハイデガーやヘーゲル、ヘーゲル左派、ニーチェ、安藤昌益など雑多に聴きながら作業しています。資本論こそ読んでいませんが、概要を耳で聞きながら、最晩年のマルクスにはSDGsのような発想もあったなど昨今の解釈も知ることもできました。こうした学びも農作業の日々の面白さでもあります。

 

アンバーホールステージ

お昼過ぎに慌ただしく釣りの片付けをして、久慈アンバーホールに出かけ、ベートーヴェンの交響曲2曲を聴いて来ました。仙台フィルのベートーヴェン交響曲連続演奏会の一環で、この日の曲目は8番と7番です。8番など滅多に演奏される曲ではなく、出だしの颯爽とした音色が大好きです。そして第7は言うまでもなくベートーヴェンのシンフォニーの中でも1、2を争う人気曲です。特に終楽章の木管の下降した後に上昇をしつつ弦が熱狂的に奏でるラストの部分は圧巻ですね。演奏もホールも素晴らしかったですよ。ちなみに、東北のプロのオーケストラはこの仙台フィルと山形交響楽団の2つだけだそうです。願わくば東北でもブルックナーやマーラーのシンフォニーを演奏してもらいたいものです。今年11月の長野・松本両市で、サイトウキネンによるマーラーの9番があります(先進地です!)。11月25日頃でちょうど寒天作業に行く移動時期にぴったり当たりますので調べてみましたが、18,000円のチケット代はちょっと尻込みしますね。。松本では懐かしい信州大学交響楽団によるマーラー1番を、ちょうどこの寒天出張移動時に聴くことができました。コロナ直前の秋でした。成人式に出た昔の地味な松本市民会館は、実に立派なホールに変身していて驚きましたが。

 

アンバーホール外観

久慈アンバーホールの外観です。実にアート的ですね。ただ久慈はやっぱりちょっと遠いです。。高速を使っても距離的には大回りになりますし、滅多には行けませんね。

 

思惟大橋発端部

その後、帰りはせっかくのドライブなので別ルートを選びまして(行きは岩手町の沼宮内から葛巻を通って久慈に至る最短ルートでした)、野田村の方へ南下し、道の駅のだで有名な「のだ塩ソフト」を食べました。そして、田野畑村を走行します。田野畑など滅多に来ることもありません。山地酪農の吉塚公雄さんがおられるところですね。当園とも縁のある東京のピアニスト富樫春生さんの盛岡でのライブに出かけた時に、「親戚です」(富樫さんの)といって紹介された方が吉塚さんで、田野畑からライブに来られて同席していたのでした。都会から岩手へ移住し独自の農法を追究される大先輩の方ですね。考え方や日々のご努力にも大変敬意を覚えるお方です。

その田野畑村に「思惟大橋」という橋があります。20年以上も前ですが、田野畑村のホームページ作成にかかわったことがありまして、その原稿作成のための素材として送られて来た資料の中に「思惟大橋」があり、頭に残っていました。名前も独特で、うら覚えで恐縮ですが、当地に赴任した転勤者がこの橋の凄まじい谷間の深さにたじろいで、橋から先に進もうか、やっぱり引き返そうかと「思案した」というところから来ているらしいです。盛岡の開運橋にも似たようなエピソードがありますね。思惟というのは明らかに哲学用語ですし、それに意表を突かれて記憶にあったのかもです。

田野畑の道の駅のそばにありますが、旧道と新道があるようで、私が通ったのは旧道の方でした。上の写真には新道の方の橋が見えています。

 

思惟大橋からのパノラマ

橋の半ばで軽トラから降りて谷底を見ました。確かにすごい絶景です。都会からいきなりこういう地理の場所に来ると、確かに怖気付いてしまいますかね。

やがて日暮れになり、盛岡のホームセンター等での買い物もあり、あとはまっしぐらに走って帰宅しました。楽しい休日でした。以前なら子どもたちを連れて来たところですが、もう休日は部活で埋められており、寂しい気もしますがひとり旅になりました。

現在は彼岸りんどうが終わって極晩生の品種に変わっています。にんにくの植え付けと小麦の播種も並行しています。にんにくと小麦の植え付けが終われば、今度はやっと稲刈りになります。10月に入ってからになるでしょうね。りんどうは10月下旬まで出荷が続きます。小麦の種まきには、播種機ごんべえを購入し使用していまして、次回の時にご紹介いたします。