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福井への研修旅行

永平寺参道

認定農業者の全国サミット大会というのが秋に行われていて、昨年はコロナ自粛でありませんでしたが(正確にはリモートで内容閲覧することで開催という形でした)、今年は福井県で行われました。昔は遠くまで大勢で行ったもんだという話を聞きますが、いまは参加の手を挙げる者もいず、結局認定農業者の町内の会長と副会長と役場担当者の3名での参加になっている感じです。

そういうわけで10月19日に福井入りし、まずはタクシーで永平寺に向かいました。前回のブログでも書きましたが、閉園間際でほとんど観ることはできませんでしたが、息子に持たせる数珠を買い、初日の行事となりました。

 

サンドーム福井

福井市内からは30分もバスで移動したでしょうか、眼鏡で有名な鯖江市にあるドーム会場での全体会の開催でした。

 

越前おろしそば

大会は午後開始なのですが、遠距離なので前泊しての参加になり、当日は午前中から会場に来ています。いつも午前中には会場内にいろんな試食コーナーがずらりと並び、かなり高額な料理や菓子類も提供されたりしていました。2016年に参加した岐阜の大会は圧巻で、飛騨牛のサイコロステーキのようなのや有名長良川の鮎の煮汁など行列ができていたものでした。全体会のメインである開催県主催者によるアトラクションですが、これも岐阜の時は大規模なプロジェクションマッピング技術を駆使した豪華なステージ演舞で圧倒されました。司会も大物女優さんだったと思います。コロナ禍のことは仕方ないにせよ、岐阜以後はかなり規模縮小という感じで、今回もそう印象深く残るものではありませんでした。

名物のおろしそばが弁当とともに配布されておりましたが、多分参加費の中に含まれていて購入になったのだと思います。

とはいえ、そういうサービス目当てで参加するものではなく、全国から集った知らない農家どうしの交流が目的になりますね。

岐阜のことばかり賞賛するのも気が引けますが、その時の2日目の視察行程のバスの中での案内役の農業普及員(専門の県職員)さんの地元農業に関するバスガイド解説は大変心に残っていて、まさに痒い所に手が届くような丁寧できめ細かい配慮の語り口で素晴らしいものでした。淀みなくずっと語ってくれていました。2016年当時もブログに書いたと思います。たまたま乗り合わせたバスの担当が専門の方だったからかもしれませんが、以後は農業を知らない一般事務の公務員の方で、ほとんど事務連絡になっていましたね。でもこれが普通で、多分岐阜大会が特別だったのでしょう。

 

アイガモロボット

会場の一角で業者の展示もあり、人々の関心を呼んでいるように見えましたのが、アイガモロボットです。農薬不使用の水稲栽培での最大の負担は除草ですから、こうした装置が田んぼを縦横無尽に歩き回り泥を攪拌して抑草を続けてくれれば本当にありがたい話です。田の中を重い除草機やチェーン除草具を引き回す作業はかなりの重労働です。6月の除草時期に何度除草に入れるかで収量は決まります。もちろん冷害に遭わなければの話です。2年続きで寒さの夏でしたので。。

 

福井恐竜博物館

サミット大会当日夕方から分科会に分かれての懇親会、宿泊、そして2日目の研修視察となります。分科会では集落営農組織の代表者の話、産直運営者の話と2件参加した後に、メインである福井県立恐竜博物館を訪れました。日本で最初に恐竜の骨が発見されたのは岩手県ですが、出土の量が最も多いのがこの福井県勝山市になります。そこに建てられた恐竜専門の博物館は世界3大恐竜博物館と言われ、恐竜少年たちの憧れの聖地です。

 

ティラノザウルス

館内で長いエスカレーターを下って最初に出迎えてくれたティラノザウルスです。動いているし、声も発しています。

 

居留博物館展示

そのティラノを中心に広大な空間に実物大?の骨格標本が配置されています。天井までは何十メートルもあります。首長竜の頭は遥か先でした。

 

恐竜博物館標本群

やや上部の通路から見下ろしています。標本はとてもたくさんで、また陳列品も膨大なもので、とても1時間半の中でくまなく読むことはできませんね。博物館は大好きですし、個人で来ていたらまる1日いたと思います。

 

あまごの宿昼食

あまごの宿というアマゴの養殖施設の料理を昼にいただきました。左上の2尾で小さいなと思いましたが、頭から食べて、味はとても良かったです。養殖施設も見学しましたが、餌やりも敢えて大きくしないような与え方をしているようでした。釣りとしては大物狙いますが、食べるには小さい方が美味しいんですね。右上の小鉢はイワナの刺身で、酢味噌でいただきました。

 

福井の焼き鯖寿司

以上でサミットは終わり、福井駅で焼き鯖寿司を買って、新幹線で岩手に戻ってまいりました。もともと鯖は好きですが、この鯖寿司は絶品でしたね。

あとは極晩りんどうの最後の品種の最後の収穫選別をやりつつ、廃園にするりんどう畑のネットと支柱外し、耕耘、そして半端な時間にはにんにくの草取りをしています。

 

稲扱き2022

例年カメムシ害に見舞われる早稲米の「いわてっこ」ですが、脱穀・籾摺りを終えておりますが、明日、斑点米除去のため農協の色彩選別に出して来ます。明日明後日は好天のようなので、この間に残り品種の大半の脱穀をしたいと思います。亀の尾の新米時期限定のやや高水分のみずみずしいお米の出荷から始めたいと思います。

なお、いろいろ考慮した結果ですが、今年の新米から700円/kgに100円ほど上げさせていただきたく思います。20数年前に500円/kgから始めてその後自前の脱穀・籾摺り設備の導入時に600円に改定させていただいて、15年も経ったでしょうか。他の自然栽培・天日干しの生産者のお米との値段差がやはり大きくなっていて、むしろ改定をとの指摘もいただいたり、また転売目的のような注文が来ても良くありませんから、この年から100円ほど改定させていただきたく思います。その分というのも語弊がありますが、カメムシ害についてはこれまで行っていなかった色選委託で品質を保ちたいと思います。いわてっこは色選に出す関係で11月最初まで出荷はできませんが、おそらくは斑点米の少ないであろう亀の尾から始め、ひとめぼれ、チヨニシキと合計4品種の出荷を行っていきたく、今年の新米もどうぞ宜しくお願いいたします。また、いわてっこ以外にも何らかの着色米がある程度見られた品種については色選委託を行いたく思います。なお、色選に出す場合はその品種全量の玄米で委託するために、これまでの翌春から出荷する分の冬期間氷温の籾での貯蔵・春の籾摺りはできず、玄米での氷温貯蔵にいたします。

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稲刈りが終わりました

2022最後の稲刈り

8月の天候不順やその前6月の低温が影響し大幅に生育が遅れていた2022年稲刈りですが、9月に好天、比較的高温が続いてくれて、籾の登熟はある程度挽回してくれました。稲刈りスタートは1週間遅れでしたが、最終の亀の尾はほぼ前年と同日の刈り取り日となり、現在ハセにズラリ掛かって干されております。

例年カメムシ害の多いいわてっこは既に脱穀まで進めていて、籾摺りすれば玄米ができます。ただ現在、農業者の研修旅行で福井市に来ていて、金曜日まで作業はストップしています。岩手も天気は良さそうなので、籾の天日乾燥という一番の仕事は自動で進んでいることでしょう。

ひとめぼれについては8月のしつこい長雨でいもちに罹っており、カメムシ害の予想されるいわてっことともに、玄米を確認後、色彩選別の委託を行うことも念頭に置いていますので、玄米出荷までには時間がかかりそうに思います。ラストに刈った亀の尾が最も早く玄米で提供できると思います。ご希望も既にいただいていますので、亀の尾は新米時期限定の17%乾燥米をご用意して、天候次第ですが今月末までに出荷させていただきます。

チヨニシキも17%新米限定出荷は可能ですが、注文がなくとも飯米消費に回せる程度の量にしておきたいと思います。この時期の17%高水分米は年内をめどに食べ切っていただきたく思います。次年度へ持ち越すお米は引き続きしっかり乾燥させていきます。

写真は最後の稲刈りとなる亀の尾で、10月15日の様子です。

 

2022ハセ

用意したハセ全体に稲が掛かりました。風でひっくり返されたりすることなく、無事しっかりと乾いてほしいものです。

町の認定農業者協議会で役員になっている関係で、認定農業者サミットという研修旅行に出かけています。今回は福井県です。10月20日という農家として信じられない時期の開催で怒りも込み上げてきたりしますが、まあ南国の農家には雪でシーズンが終わるなんてリミットもないだろうし、戻ってまた続ければいいやという感じもあるのでしょうか。北国の豪雪地では限られた期間、日暮れも早い中、目まぐるしく作業を続けています。

当初は脱穀とぶつかるなと心配してましたが、稲刈りが遅れたことで、稲刈りと稲扱きのちょうどハサマの旅行になりました。

前泊した昨日19日には福井入りしすぐに永平寺にタクシーで向かいました。閉まる時間が早く見学時間はほとんどない中でしたが、数珠を買うことができました。沢内は曹洞宗の檀家が多く、移住した年でしたか、農業を習いに通っていた農家のいまは亡きおじいさんが、永平寺で買った数珠だよと、私にくれました。これから地元の一員として葬式に多く出ることだから、そういうのも持っていない私に差し出してくれたのでした。永平寺に行ったら数珠を買わなければとずっと思っていて、昨日それが果たせました。この数珠は息子に渡したいと思っています。

明日は最終日の部門ごとコース巡りになりますが、福井と言えば恐竜。ラジオ子ども電話相談の恐竜少年たちの聖地、福井県立恐竜博物館もコースに入っていて、一番の楽しみです。永平寺で念珠を買い恐竜博物館を観れば、十分な稲刈り後休養旅行になりますね。

今日はこれから全体会になり、終了後分科会ごとに分かれバスで懇親宿泊会場に移動になります。

 

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稲刈り進行中です

稲刈り開始

今年は6月の低温と8月の長雨によって、稲刈りが1週間程度遅れています。実際はもう少しひどく遅れる感じだったのですが、9月に好天が続いて少し取り戻してくれて、それは大変ありがたいことでした。6月の低温により、にんにくや小麦、お盆りんどう収穫期も遅れましたが、それらは既に過ぎたことで、いまの懸案は稲刈りです。写真は10月3日に、最も早生である「いわてっこ」に着手した様子です。普段の年ならば9月25日には刈り終わっているところです。

自然栽培に好適な品種を求めて、長稈品種である「亀の尾」と「チヨニシキ」を昨年導入し、その自家採取で2年目の今シーズンとなっています。もう1点、前から作付けしている「ひとめぼれ」がありますが、こちらはもともとやや長稈で、肥料を入れるといもち病になることもあり無肥料栽培で行っていました(肥料を入れるという場合は米ぬか施用のことになります)。

現在はいわてっことひとめぼれの稲刈りが終わり、この2種はハセ掛け乾燥中です。雨がまた多くなってきて、脱穀の機会はまだ先になりそうです。明日からまた数日晴れ予報なので、このチャンスにチヨニシキ、亀の尾の順に刈り取りする予定です。

この地域では中山間地の冷涼地帯であるため、農家の大半は早生のいわてっこを植えています。当園も1枚植えていますが、現代品種の特性である短稈が欠点で、米ぬか程度の農法では背丈が取れず、穂も短くて収量が上がりません。カメムシの侵入と穂の時期が合っているのだろうか、カメムシ害が多いというのも難点です。でも残りの品種は全て晩生になりますし、寒さの夏にはオロオロ歩き、といった結果になることを思えば、早生であるいわてっこはやはり残して続けたい品種になります。去年も8月がとても寒かったですしね。今年もいわてっこが最初に脱穀になりお米ができますが、果たしてカメムシがどれほど食害しているか、心配になりますし、悪ければ色彩選別の依頼も考えています。

ひとめぼれや亀の尾にはカメムシ害はほとんどなく、多分出穂や登熟の時期がカメムシとずれているのではと思い、ありがたいところです。天日乾燥の農法では、やはり10月15日というのが稲刈りのリミットのように思います。10月中に乾燥を終えないと、11月に入ると冬型気候が多く冷たい雨の日々になってしまうので、乾燥が進みませんし、11月10日には例年初積雪があります。

限られた時間の中で判断し、作業を進めていかなくてはなりませんね。

今年8月の長雨は大変ひどく、切り花りんどうにも病害が出ましたが、無肥料のひとめぼれにもいもちが出ておりまして、収量が下がるのは仕方ないにせよ、玄米自体の品質がどうなっているか気にかかります。こちらも色選を頼むのがベターなように思っています。

明日からのチヨニシキと亀の尾はまずまず順調に推移しているように思え、これらは天候次第で10月20日頃の早期脱穀(17%水分米)を一部行って、新米時期ならではのみずみずしいお米として提供させていただきたいと思います。残りはギリギリまでハセ掛けし、来年夏場の出荷に耐えうるしっかりした乾燥を続けます。

いわてっことひとめぼれにつきましては、色彩選別にかける場合、まとまった全量での委託になり、出荷は遅れます。今月下旬の亀の尾の出荷が最速になるかと思っております。

今年のお米もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

クロタラリア の漉き込み

雪腐れにより大幅に収量を落とした今年の小麦ですが、検討の結果、刈り取り後から次の種まきまでの2か月間、マメ科緑肥のクロタラリアを育て、土作りとしました。アリーナを播種する畑に蒔いたクロタラリアを9月下旬にすき込んでいるところです。播種からちょうど2か月でのすき込みになります。1回目の耕耘では写真の通りですが、2回目の耕耘でほぼ綺麗にすき込めました。

すき込んでからは10日〜2週間ほど待ってから小麦を播種せよと言われます。根雪が早く来る地帯ですので、播種を急ぐのですが、一応10日待ってから小麦の種、ここはアリーナですが蒔きました。

小麦播種機

今年は播種機「ごんべえ」を購入しました。これまではトラクターの尾輪で畑に付いた溝に蒔いていたのですが、深植えは良くないとの記述もあって深さが安定で、もちろん溝付け・播種・覆土が同時にできる播種機はありがたい装置です。マーカーをオプションで購入し、50cmの間隔で正確に蒔くことができました。

 

アリーナ出芽2022秋

10月2日に播種したアリーナの出芽は南部小麦よりやや遅く、10月10日になりました。この間極端に寒い日もありましたし。寒さが来ると怖いのが霜です。せっかく稲の登熟をまだかまだかと待っているときに霜が降りれば、もう生育はストップで青いまま終わってしまいます。麦は霜には負けませんが。。

 

サルナシ

庭のサルナシが実をつけています。今年はイチゴ系も増やし、モミジイチゴ 、草イチゴ、カジイチゴ 、苗代イチゴに加え、熊イチゴや冬イチゴ、バライチゴが仲間入りしました。ナツハゼとクロマメノキ、ジューンベリー(2株目)も今年は作付けしています。小果樹を育て、実をならせ、それが美味しくできると本当に楽しいですよね。

夜はりんどう選別作業やにんにくの出荷準備に従事しています。稲刈りが終われば一区切りですが、ハセに稲が掛かっているうちは落ち着きません。。

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古民家でのアート職人展示会、夏の休日

ツキザワの家

結局、梅雨明けがないままに梅雨前線がそのまま秋雨前線になってしまった北東北では、かつてないほどの日照のない多湿の夏(?)が過ぎて、ここに来て比較的日差しのある穏やかな秋を迎えています。とにかく、大幅に遅れていた稲の生育を挽回して欲しく、しばらく気温高めという予報に期待をしています。にんにくも小麦もお盆りんどうも、そして稲も1週間遅れという異例のシーズンです。唯一彼岸りんどうだけはぴったり当たりましたが、それはススキとかと同じで寒さが来ると開花促進になるので、かえって冷涼さの現れです。

8月上旬はお盆用りんどうの出荷に追われておりましたが、それも一段落したお盆最中の時期に、写真家の瀬川強さんたちが手をかけて修繕された「ツキザワの家」に初めて行って来ました。鉄工と木工の職人の2人展を見学するためです(8月13日)。ツキザワの家は「砂ゆっこ」のすぐ近くにあります。

 

アイアン木工コラボ机

鉄工の「山のうえアイアン」氏と当園サイトでも紹介している木工の竹澤氏のコラボの作品展です。本当はもっと早くに行いたかったようなのですが、春の竹澤氏ウッド工房の火事による消失という出来事があって、その後片付けや工房の再建を進めながら、ようやくこの日を迎えたのでした。竹澤氏の再建の作業にはアイアン氏のご尽力もあり、そうした協力関係の絆があって、この古民家での開催に至ったのでした。

 

山のうえアイアン

こちらはアイアン氏の鉄工芸品です。

ウッド工房ブナの森

こちらは竹澤氏の木工製品。

アイアン小品

古民家の調度品にもさりげなく小品が展示されています。

 

ツキザワの家囲炉裏

これもツキザワの家の備品の囲炉裏で、座って談笑も。

 

襖絵

さてこちらは廊下を歩いて奥の間ですが、素晴らしい絵が襖に描かれています。西和賀の早春から冬までの四季の移ろいを描いたそうです。こちらで大きいサイズもご覧いただけたらと思います(左の切れている部分はこちらに)。千葉県在住の川崎茂花さんという方の作品です。こちらは2人展が終わったいまももちろん観ることができますね。

 

麦生漁港

話は変わりますが、お盆用のりんどう出荷が終わると、次はにんにく畑の準備になり、最後の3回目草刈りなどしているうちに、すぐ次の彼岸りんどうの大量出荷時期がやってきます。束の間の休息が8月下旬に1日だけ取れて、久慈市に出かけてきました。コンサートがあったのですが、せっかくなので釣りもしてきました。久慈の水族館もぐらんぴあのやや北にある麦生漁港を知人に紹介いただいて訪れました。外洋に面しているので波は高かったですが、幸いそれほどひどくはなく、小雨が降ったり止んだりのあいにくの空ではありましたが、投げ釣り、ブラーという新型の仕掛けを使ったアイナメ狙い、それにオキアミの撒き餌とサビキの小アジ類狙いの3本立てで、コンサートまでの短い時間でしたが、凝縮した忙しい釣りをしてきました。

 

麦生漁港の釣り

結果的には小さいアイナメとフグが1匹ずつ釣れただけで、そんなに魚影が濃いとは感じられませんでした。引き上げる頃になって、ルアー専門の上級者風の釣り客が来て竿を出していましたが、「北の方(八戸方面ということですね)から始めて南下して来ましたが、全然ダメ。今年は特に海が濁っているみたいだ」といった感想を言っておられました。私も岩手へ来て四半世紀経ち、三陸にも5回くらいは釣りに来ていますが、あんまり良い思いをしたことはなかったですね。子どもの頃の広島の瀬戸内海ではアイナメ、キス、カレイ、ベラ(ギザミ)が良く釣れましたし、市内の河川では河口近くでハゼ(ジェット天秤でゴカイ)、やや上流ではハヤやヤマベ(投げ浮き付き毛鉤セット)が面白いように釣れたものでした。市内の近くの川端で3人でハゼ100匹釣ったこともありました。いまでも釣り番組を聴いていると良い成果を挙げている話が放送もされ、やはり腕と釣り場選びなのかもしれませんが、ふと、小・中学生の頃の自分には、まだ自然というものと繋がった第六感覚があって、それが大人になって失われてしまい、頭で考えて釣りの努力をしようとすればするほど、人為的で自然から離れていった格好になっているのでは、とも思いました。

農業でもそうですが、作物や周囲の環境で生じていることは、その原因もプロセスもブラックボックスのようなもので、こうやったらこうなるのでは、という想像の中で作物と格闘しているようなものかもしれません。人間の認識に備わっている能力で物事をカテゴライズして判断していることで、現象面で辻褄が合っていても、それは物自体(Ding an sich)を語るものではない、というカントの学説の通りでしょうか。。

考えれば考えるほど、自然から遠ざかってしまう、のか。そんな物思いに耽るのも、脳や神経を休ませる休日ならではのことでしょうか。

だいたい昼間の畑作業は地元ラジオ局のワイド番組をポケットラジオで聞きながらですが、夜の作業場残業時に、WiFi環境(中継器で家から中継しています)ですのでスマホでYoutubeやPodcastを聞いていて、ハイデガーやヘーゲル、ヘーゲル左派、ニーチェ、安藤昌益など雑多に聴きながら作業しています。資本論こそ読んでいませんが、概要を耳で聞きながら、最晩年のマルクスにはSDGsのような発想もあったなど昨今の解釈も知ることもできました。こうした学びも農作業の日々の面白さでもあります。

 

アンバーホールステージ

お昼過ぎに慌ただしく釣りの片付けをして、久慈アンバーホールに出かけ、ベートーヴェンの交響曲2曲を聴いて来ました。仙台フィルのベートーヴェン交響曲連続演奏会の一環で、この日の曲目は8番と7番です。8番など滅多に演奏される曲ではなく、出だしの颯爽とした音色が大好きです。そして第7は言うまでもなくベートーヴェンのシンフォニーの中でも1、2を争う人気曲です。特に終楽章の木管の下降した後に上昇をしつつ弦が熱狂的に奏でるラストの部分は圧巻ですね。演奏もホールも素晴らしかったですよ。ちなみに、東北のプロのオーケストラはこの仙台フィルと山形交響楽団の2つだけだそうです。願わくば東北でもブルックナーやマーラーのシンフォニーを演奏してもらいたいものです。今年11月の長野・松本両市で、サイトウキネンによるマーラーの9番があります(先進地です!)。11月25日頃でちょうど寒天作業に行く移動時期にぴったり当たりますので調べてみましたが、18,000円のチケット代はちょっと尻込みしますね。。松本では懐かしい信州大学交響楽団によるマーラー1番を、ちょうどこの寒天出張移動時に聴くことができました。コロナ直前の秋でした。成人式に出た昔の地味な松本市民会館は、実に立派なホールに変身していて驚きましたが。

 

アンバーホール外観

久慈アンバーホールの外観です。実にアート的ですね。ただ久慈はやっぱりちょっと遠いです。。高速を使っても距離的には大回りになりますし、滅多には行けませんね。

 

思惟大橋発端部

その後、帰りはせっかくのドライブなので別ルートを選びまして(行きは岩手町の沼宮内から葛巻を通って久慈に至る最短ルートでした)、野田村の方へ南下し、道の駅のだで有名な「のだ塩ソフト」を食べました。そして、田野畑村を走行します。田野畑など滅多に来ることもありません。山地酪農の吉塚公雄さんがおられるところですね。当園とも縁のある東京のピアニスト富樫春生さんの盛岡でのライブに出かけた時に、「親戚です」(富樫さんの)といって紹介された方が吉塚さんで、田野畑からライブに来られて同席していたのでした。都会から岩手へ移住し独自の農法を追究される大先輩の方ですね。考え方や日々のご努力にも大変敬意を覚えるお方です。

その田野畑村に「思惟大橋」という橋があります。20年以上も前ですが、田野畑村のホームページ作成にかかわったことがありまして、その原稿作成のための素材として送られて来た資料の中に「思惟大橋」があり、頭に残っていました。名前も独特で、うら覚えで恐縮ですが、当地に赴任した転勤者がこの橋の凄まじい谷間の深さにたじろいで、橋から先に進もうか、やっぱり引き返そうかと「思案した」というところから来ているらしいです。盛岡の開運橋にも似たようなエピソードがありますね。思惟というのは明らかに哲学用語ですし、それに意表を突かれて記憶にあったのかもです。

田野畑の道の駅のそばにありますが、旧道と新道があるようで、私が通ったのは旧道の方でした。上の写真には新道の方の橋が見えています。

 

思惟大橋からのパノラマ

橋の半ばで軽トラから降りて谷底を見ました。確かにすごい絶景です。都会からいきなりこういう地理の場所に来ると、確かに怖気付いてしまいますかね。

やがて日暮れになり、盛岡のホームセンター等での買い物もあり、あとはまっしぐらに走って帰宅しました。楽しい休日でした。以前なら子どもたちを連れて来たところですが、もう休日は部活で埋められており、寂しい気もしますがひとり旅になりました。

現在は彼岸りんどうが終わって極晩生の品種に変わっています。にんにくの植え付けと小麦の播種も並行しています。にんにくと小麦の植え付けが終われば、今度はやっと稲刈りになります。10月に入ってからになるでしょうね。りんどうは10月下旬まで出荷が続きます。小麦の種まきには、播種機ごんべえを購入し使用していまして、次回の時にご紹介いたします。

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長雨の夏です

にんにくの収穫

7月からずっと雨ばかり続いています。7月初旬のにんにく掘り、中旬の小麦刈り取りも雨の中に行ったようなものでしたが、それに輪をかけて8月の上旬からまたお盆にかけてしつこい長雨と時には豪雨で、まいったまいったの夏になっております。当地は物理的な災害は免れましたことは幸いに思っておりますが、同じ東北の知人関係では圃場の被害にも遭われており、大変でした。お見舞いいたします。

7月に掘った今年のにんにくに関しては、割合と大きめなものにできていて、この点は安堵しています。ちょうどハウスに掛け干してから1か月経ち、お盆用りんどう出荷戦が終わったことから、いま集中的に皮むき作業を進め、出荷を開始しているところです。今年のにんにくもどうぞ宜しくお願いいたします。

ホワイト六片・八木ともに例年よりはM品(当園では最上位規格)が多いですが、量的にはSサイズが主流にはなっています。八幡平だけはどうしてもMサイズに至らずS品あるいはSS規格品になり、この点は少し限界も感じています。八幡平は100%トウ立ちする品種で、これは折り取ってにんにくの芽として食べているわけですが、取り遅れるとにんにくが小型化しますため、まめに見歩いて折り取っていたつもりではあるのですが、どうしたものか、大きく出来るコツを得たいものです。

 

小麦の収穫

小麦については、既に報告させていただいていますが、アリーナ小麦とライ麦が雪により融雪時に消失していて、改めて大雪の冬だったということと、雪で株が消失する=「雪腐れ病」なんだという事態を認識しました。長期間の積雪に耐え切れず枯死してしまったというような物理的現象ではなくて、多雪による原因菌の増殖作用した病気であるということのようです。北海道の産地ではこの対策として晩秋に薬剤散布までしているそうでした。薬とかの問題じゃないんじゃないのと思っていましたが、とにかくれっきとした病気だということです。当園で行うべき耕種的防除について専門家にも尋ね、知見も得られたので、来年こそはと思っています。

・肥料が少ないと菌に負けやすい。
・麦を連作していると菌に負けやすい。
・播種の覆土が深くなっていると菌に負けやすい。

こういうことが調べた結果として得られました。肥料については化学肥料を使いませんので鶏糞や豚糞を使用しており、これは現状通りとします(本当は牛糞が良いのですが)。田と違って麦は無肥料の自然栽培は難しいです(ライ麦はOKです)。ヒントは緑肥にあり、マメ科緑肥で窒素分をしっかり補給するとともに、同じくマメ科等緑肥を使うことで麦→豆→麦の作型となって、連作障害を回避する効果も得られます。この緑肥の使用は既に行っており、収穫後すぐに耕耘して種を蒔きました。ここ沢内は融雪の遅れから平地より刈り取りが3週間遅れ(今年は増してや遅かったです)、また次の積雪が早いため小麦の播種も遅らせることができません。他より短い小麦の休耕期間に緑肥を蒔き、十分成長させてからすき込んで、土になじませ、そして小麦の播種ができます。今年のような雨続きの天気だと、小麦の刈り取りができないイライラよりも、早く緑肥を蒔きたいストレスでした。十分に緑肥が生育しないうちに時間切れとなり耕耘して小麦を蒔くというのは効果も薄いですから。緑肥の種代も結構高額になるんです。

 

クロタラリア (ネマックス)

小麦に先んじて行ったにんにくの収穫の跡地、秋にアリーナの作付け予定地となる畑にマメ科のクロタラリア という緑肥の播種(商品名はネマックス)を7月18日に行いました。ほぼ30日後の8月16日のクロタラリアの様子です。緑肥を蒔いたのは別の南部小麦の畑も同様で、雪腐れに強い南部小麦でもやはり連作が続くことはマイナスですのでマメ科を挟み、雪腐れ菌により強く、かつ地力窒素増強で収量も上げたく、やれることは行ってみています。

みなさん大抵の方は「ごんべえ」などの播種機で種まきをされると思います。大規模の農家はトラクターの後ろに何条もの播種装置を設置して5条とか7条蒔きをしていきますが、当園の規模では手押しのタイプになります。この度やっと導入するに至り、この秋の播種から使用します。いままでトラクターの尾輪で蒔き溝を付けて蒔いておりましたが、播種機使用で覆土も一定になり、各条間もマークを付けて正確に隣接畝の位置を決められるので、その間を除草中耕することで草対策もできます。

なお、小麦に関しましては、今回の8月上旬の集中豪雨で(豪雨というのは一時的にですが)、春蒔きの農林61号は収穫が不能となり、アリーナやライ麦に続き残念な結果となりました。61号は茎が極端に細くて、昨年も登熟期になると折れてしまってそういう穂が集中的に鳥害に遭ったりという感じでした。初年度は秋蒔きで春に完全雪腐れ、そしてすぐその春に春蒔きした2作目の去年は上記の状態に、そして3作目の今年は思い切って相当量の豚糞を投入し前半は生育も良く、やっぱり雪の影響を受けない春蒔きは良いなと思ったりしましたが、7月末からお盆までりんどう出荷に集中していたこの2週間の間です。長雨による茎折れとやっぱりの鳥食害、それに雨で一層進んだ雑草繁茂で状態が一変し、バインダーを畑に入れてみましたが、収穫を諦めました。ここはかなり頑張って草取りしたのですが、やはり小麦と雑草が春に同時出芽スタートになるというのは農薬を使わない栽培には致命的なんですね。麦はほんと難しいです。

長雨については、ブルーベリーにも影響があり、晴れていればちょうど完熟して良い感じだな、というべきものが、収穫してみるとぶよぶよした感じで張りがなく、食べても発酵臭のような風味でものにならず、出荷には至りませんでした。こちらも時期的にはりんどうのお盆出荷と合致し、ふだんでしたらお盆出荷終了後のお盆最中にちょうど完熟で良かったりしたのですが、やはり時期が重なる品目というのは農家として避けなければならず、結果的にどちらかを捨てる事態になるのだなということを、長雨が元凶ではあるのですが、感じさせられました。薄力品種で期待もしていた農林61号は作付けをやめることにしますし、ブルーベリーについてはりんどう出荷前の小木ながら風味の良い「アーリーブルー」だけに絞って植栽を続けたいと思います。これは前から思っていたのですが、毎年雪で折られてアーリーブルーが順調に育っていないのが現状です。来春もまた10本以上挿し木をし、3年かけて定植に持っていきたいと思います。

 

下駄除草

田んぼは6月にひたすら除草を続け、その後に中干し、そして現在出穂の時期になっていますが、田についても限られた除草期間(田植え後1週間後から1か月間)を今年も何とか精を出しやりました。エンジン除草機で3回除草機かけを行い、それで残る最終工程は中干し作業直前(6月末)の除草下駄踏みで締めくくります。

 

除草下駄

岩手県金ケ崎町の方が製造した除草下駄は大きくなった雑草もひと踏みで泥に沈めてくれます。今年は3回除草機で歩いたため土が固くならず、どの田も容易に踏み込むことができました(土が硬い場合は無理です)。エンジン除草機についてはある程度雑草が根を張り生育してしまうと上を撫でるだけで除草になりません。また株の直近や株間はできません。できるだけ初期に2回集中的に行い、3回目は無駄だったかなとも思い、2回+この除草下駄にするという流れで次年度は臨みます。ごく初期にチェーン除草をかけることも株間条間関係なく除草できる点はメリットですが、植えたての活着前の稲ではダメージを与え、タイミングは難しいです。

有機栽培の基本は大きい成苗を2本植えするというものですが、当地のような寒冷地では分けつが進まず2本では足りないという見方が大勢です。それに加え活着の早さを考えるとより小さめの苗の段階で早く植えるということが、除草開始時期の上でもとても大事な気がします。寒冷地では田植えの遅れることが嫌われます。特に亀の尾やひとめぼれは奥手ですので、植え遅れは厳禁です。小さめでも早く4本くらいずつ植えて、小さければそれだけ早く活着し早めの除草に入る。まさに草を見ずして草を取る。種蒔き時に薄蒔きにすれば、それだけ育苗にも時間がかかり、また薄蒔きは田植えでの欠植がつきものですね。来年の籾播種はいろいろ考えながら、教科書セオリーではなく土地の風土に合った農法を見つめ直してみたいと思います。

今年は稲の出穂が遅れています。騒がれているような猛暑では東北北部は決してないのです。今日などは多分25度まで上がらないでしょう。お盆を過ぎたら秋の気配ですね。長雨の多湿でいもち病も心配ですし、稲刈りも遅れます。今月上旬のしつこい前線は既に秋雨前線だったんでしょうか? 夏よ去るな、が本音です。

 

虚空蔵堂ご開帳

さて、地元ラジオカー684号リポートで知ったのですが、盛岡に、丑年と寅年だけを守ってくれるお寺があるそうで、不退院虚空蔵堂(ふたいいんこくぞうどう・浄土宗)という仙北町にあるお寺ですが、13年ぶりに本尊のご開帳が行われるという情報がありました。ちょうど私は寅年でもありますし、これはお参りに行った方がいいなと思って、その開帳の日7月13日は雨でもありにんにく掘りも終わっていましたので、出かけて、またこの機会に祈祷を受けてきたところです。

写真のご本尊が13年ぶりに公開された虚空蔵菩薩です。隣に丑と寅が描かれていますね。

 

虚空蔵堂お助け観音

境内にはお助け観音なる仏像が。いろいろお寺の方(というか地元町内会の方のようでしたが)に話を聞いたのですが、このお助け観音像か秘仏虚空蔵菩薩のどちらか忘れたのですが、雫石の御所湖の辺りの河原で流されてあるのを発見した人が祀った、と言われていました。何を助けてくれるのでしたか。。私は日中に行きましたが、裏の方には既に出店がいっぱい並んでいて、夕方からは地元の子どもたちが楽しみに出歩く行事になっていると思われます。下の娘は丑年なのでご開帳じゃくても来年も参拝してみましょうか。住職からも改めて話を聞いてみたいところです。

 

丑寅を守ってくれる

参拝料を払って住職に祈っていただき、お札をもらいました。うちに神棚はあるんですが、お寺でいただいたものを棚にあるお宮?に入れるのも変ですので、とりあえずその隣の同じ棚に直接置いていますが、こういう場合はどうすれば良いんでしょうね。

広島長崎の日を迎え、終戦の日も過ぎました。広島の日はりんどう出荷のまさに頂点の日になっています。りんどう選別の残業をしながら夜ラジオを聞きますが、原爆の日には特別な番組があります。今年はFMシアターというラジオ劇で『とうがきの花ことば』という作品を放送していました。とうがきとはイチジクのことだそうです。広島弁も上手で、ストーリーもわかりやすく結束機械の作業音を挟みながらもすっと入ってきて印象に残りました。介護施設で暮らすおばあさんが書き記す原爆の日直後の様子を担当の介護士さんが読みながら、だんだんと古老の若い日の姿に思いを馳せていくという話でしたが、良い番組でした。

同じ時期、作家の高橋源一郎さんの番組「飛ぶ教室」、これは毎週聞いていますが、広島市から生放送された8月5日の回も印象深く残っています。ちなみに、高橋さんのお母さんが8月6日当日の朝の広島に朝8時に着く列車の切符を買うために並んでいて、すぐ前の人で売り切れとなって切符が買えず、汽車に乗れず、という話をしていました。もし切符が買えていたら自分もいまこの世の中にいなかったと。

2番組を聴いて、平和や核兵器廃絶の概念を訴え続けることで戦争体験が継承されていくだけじゃないんだなと感じましたね。理論や説を学ぶのではなくて、個人の個別の戦争生活体験、それは多少後から脚色があったり記憶が変異したりする部分があっても構わないことで、一つ一つの実体験を物語として見聞きするということが、私たち後世の者が脳裏で追体験することになり、自分の自身の映像イメージを得ることにつながります。ニュースや報道、活字で論理によって(「抑止」の意味とか)戦争の危険を伝えることはもちろん大切でしょうが、ある意味「それはもっともなことだね」という概念の理解にとどまってしまうことかもしれない。そこから踏み込んでいくために、「物語」ということの大事さがあると感じました。純粋理性だけでなく実践理性を、ということにもなりましょうか。

ちなみに、「飛ぶ教室」はいろんな本を紹介し、それは結構参考にしたりしています。ちょっと古いところでは東京芸大への入試を扱った美術系の漫画『ブルーピリオド』が紹介され、買って娘とともに読みましたが、最近紹介されていた、松村圭一郎という人類学者の方が書いた『うしろめたさの人類学』がとても自分の感覚にフィットして、入手しました。まだページをめくる前にりんどうの深夜残業が到来し、少し印象が薄れてしまってますが、「商品と贈与」といった注目すべき論点を含んでいて、他日またお伝えできたらと思っています。

今日もまた雨が降り続いています。これから次の彼岸向けりんどう出荷、そして稲刈り等で忙しくなる前に、最後3回目の草刈りやりんどうの草取り、中間品種のりんどう収穫、にんにく畑の準備等々、気を抜くことはできません。夜間はにんにくの出荷準備のための皮むき作業になります。昨日は7月に刈り取ってハウス内に掛けていた南部小麦を脱穀し、そしてダメになった農林61号の畑をトラクターで麦・雑草もろとも綺麗に耕耘整地しました(秋に南部小麦を蒔けるための準備になります)。事務作業もいくつか残っておりました。

 

 

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初夏の管理作業進行中〜草との戦いの日々

トウ摘みの頃のにんにく畑

東北南部まで異例の梅雨明けと猛暑になっているようですが、こちらは梅雨の真っ最中で、最低気温が20度、最高気温が25度という感じで推移しています。風があって涼しさは感じられる時もありますが、湿度が高く、作物には心配です。

田植えが終わり、当園の柱品目でもある切り花りんどうの苗の新しい定植や、採花する株の芽かき(株仕立て)をあらかた終えて、そのりんどうや田、小麦畑の除草作業が毎日続いています。にんにくの収穫という期日までに草取り作業をまず終えることが課題になり、にんにく収穫・乾燥調整、そして小麦の刈り取り・ハセ掛け、に続き、りんどうの出荷の夏を迎えます。

今年のにんにくは現在産地では盛んに行われているようで、今年は出来が良いとの新聞記事や知人情報もありました。融雪が遅れる当地では約2週間遅れての収穫になり、雪の多かった今年はいつもより遅れています。7月初頭にホワイト六片を掘り、やや置いて八木・八幡平の順に掘っていき15日頃に完了する流れになろうかと思います。

 

八幡平にんにくの芽

6月20日頃から1週間、いつも八幡平のトウ摘みを行い、その2週間後が収穫という感じになっています。100%トウが立ちしかも美味しいのが八幡平の特徴です。一方、八木は100%トウが立たず、ホワイト六片は2割くらいにトウ立ちを認めるという品種間の相違があります。味としてはそれほど品種間の差はないのですが、八木や八幡平は休眠が深く、その分植え付けもゆっくり稲刈り後にすることができるし(別に早く植えてもいいのですが、9月は忙しいですね)、収穫後の食用にんにくとしても、早くから出芽し緑色が混ざってくるホワイト六片より、休眠が深い=持ちが良いという特性があります。

 

6月下旬の南部小麦

南部小麦もそこそこに伸びており、写真は6月21日ですが、いまがそろそろ収穫期という東北標準地の小麦と異なって、7月15日頃からの刈り取りとなります(例年よりもう少し遅れそうな気もします)。今年はヨーロッパ系であるアリーナ小麦とライ麦が春の融雪後に大部分が消失してしまっているという異常事態の小麦部門でして、もともと雪に弱いとされていた農林61号が以前に同様の目に遭ったことは仕方ないにしても、強健とされるライ麦やまた前に試みたスペルト小麦が雪に負け、そしてこれまで頑張ってくれたアリーナもまた今年の雪には勝てなかったという事実は、改めて寒さではなく雪が小麦の強敵であり、そしてヨーロッパに比べて日本が多雪の国であり、もしかしたら世界一なのかもしれません(新潟の津南や、青森八甲田山系酸ヶ湯など)。ただ、新潟や福島の豪雪地に比べ雪の量としてはやや少ない当地西和賀ですが、結局北にあり寒冷地でもあって、雪解けがうんと遅いのがネックなんですね。もっとも、さらに北の奥地の酸ヶ湯には負けますがね。

そんな中、日本産、岩手由来の南部小麦が豪雪に負けず春からの生育を屈強に再開してくれたことは、日本品種の誇りとも言えましょう。

 

農林61号出穂前畝間刈り後

なお、こちらは春蒔きした農林61号の出穂前6月22日の様子です。昨年も春蒔きしたのですが、痩せ地だったこともありうまく育たず、収穫できるものではありませんでした。小麦は肥料がないと特に寒冷地では難しいと思います。今年は別の畑で、鶏糞等肥料を多めに投入して播種しました。春蒔きのため雑草の発芽と同時スタートになることが、草対策の面で秋蒔きより難しくなるけれど、雪の影響が関係ない分は素晴らしいことです! われわれにとっては。

かなり繁茂していた畝間の雑草は、草刈り機で刈り取りました。完全じゃないですが、刈り草が畝間に横たわることは土作り上も好ましいことです。3アールそこそこの畑ですが、畝間刈りに2時間くらい要しました。収穫は本来の秋蒔きより当然遅れて、お盆頃になろうと思いますので、それまで7月にもう2時間草刈りに歩かなくてはなりません。。反面、狭いハウスでの小麦の乾燥スペースには苦慮していますが、南部小麦が乾燥し脱穀して空いた後のハセに61号を刈り取って掛けることができるのは利点です。

 

除草機後のひとめぼれ

田んぼは除草機がけを行っていて、ヒエやコナギが大量に浮かんできます。これが沈んで活着しないよう、常に深水を維持しています。今週3回目をかければあとは中干しの季節になり、草取りは終了します。なお、中干し中に株元の雑草を刈り取る用のアタッチを購入しましたので、水が引いて歩きやすくなった後に試してみたいと思います。

このような寒冷地では、稲の分けつがどうしても進みません。自然栽培・有機栽培の原則は大きい苗を育て少ない本数で、しかも間隔を空けて植える、という形です。基本はそのように努力していますが、果たして暖地のセオリーがこちらで通用するのか、いつも疑問には思うところです。確かに大苗を植えればいきなり深水にして抑草に役立つでしょう。しかし肥料が少ない農法で気温が低い環境では分けつが進みません。除草機をかけるのは分けつを促す目的もあるのですが、自然環境には逆らえず限界があります。成苗大苗を作るには時間もかかり、その分田植えは遅れます。それよりも苗が小さいうちに、ある程度密植で茎数を確保し早めに田植えすることが、秋の収量に関わってくる気がします。寒冷地は分けつが進みにくいだけでなく、当然登熟も遅れ稲刈りが遅れます。亀の尾にしてもひとめぼれにしても、もともと寒冷地用に作られた品種ではないですし、それを寒冷地で作付けする場合には、やはり早めの田植えというのが基本になり、大苗に育つのをじっくりと待つ余裕はないと言えるのではと思っています。

稲作は本当に地域ごと、田ごとに違った形になり、全国一律のやり方なんていうのはないと言っていいと思います。そういった微妙な部分を、ネット等の共通常識みたいな情報をうのみにするのではなく、自分の田に合うように修正をしていく作業が必要で、そのためには何年何十年と時間がかかるものですね。

 

やまなしの花遠景

田植え前、代かきの頃にちょうどやまなし(生物種としての名称はイワテヤマナシ)の花が咲きます。今年も5月15日頃に開花しました。ただ、このハンベエナシ(品種名というよりはこの個体名)という一種のみでは結実が難しく、現在サネナシ・ナツナシ(これらは品種名です)の2種の苗木を植え、開花に至る成長をしてくれるのを待っているところです。ハンベエナシは、優良な西和賀町左草地区由来の木を神戸大学の研究機関により接木植栽をし増殖したものを、再びこの西和賀町に搬送し植え付けたやまなしになります。

 

やまなしの花近景

実がなるのは9月頃で、割と大きめ、匂いも味も良好とのことで、本当に楽しみにしております。やまなしの花は写真ではわかりませんがうっすらと灰色がかっている白さが特徴で、町内にも屋敷内や保育所とかに植えてあります。「クラムボンは笑ったよ」「カプカプ笑ったよ」で知られるやまなしは、賢治さんも言っているように香りが特徴で、昔よく食べたなぁ、懐かしいと老人の方はおっしゃいますね。ただ、現在はほとんど食されることもなく、道路に落ちて車に轢かれたりしているような状況だったりもします。何とか復活させ、活用していきたいと思います。美味しいお酒になると物語で語られていますしね。

 

水沢のやまなし圃場

このイワテヤマナシを植え、商品化し活用していこうという岩手県内の取り組みについては紹介したこともありますが、水沢市の「パイオニア牧場」(畜産農家兼ステーキ屋さん)でも植栽を進め、この春に、上述したイワテヤマナシ研究者である神戸大学の片山先生の指導で多種のやまなしを植え付けしました。

 

水沢のやまなし看板

クラムボンとは何か。泡の形状をした霊的存在のようなイメージですが。。パイオニア牧場の上の看板の大きな画像はこちらからどうぞ。

 

ワイルドストロベリー 近景

当園ではブルーベリーを始め、ベリー類をいろいろ植栽しております。まだまだ始めたばかりでほとんど趣味の域というか試行錯誤の試み段階というもので、果樹と言えるサルナシやハスカップ、カシス、桑(マルベリー)、アロニア等のほか、コケモモ、特にイチゴについてはいろんなものを収集しています。スーパーに並ぶイチゴではなく昔からの野生由来のもので、野イチゴというカテゴリーになろうかと思います。自分なりの解釈ですが、野イチゴは木イチゴと草イチゴに分かれ、それぞれ西洋のもの、日本のものがあって、面白いものです。

ブラックベリーやラズベリーなどは西洋の木イチゴになりますが、日本にも木イチゴがあり、モミジイチゴ 、熊イチゴ、冬イチゴ、苗代イチゴなどです(寒冷地では難しいカジイチゴ、それにバライチゴというのも最近入手できました)。そのほかの野イチゴというのは、木化が少ない草イチゴと呼ばれるものになります。ヘビイチゴという草イチゴ系もあり、タラノキ畑に自生していたのを移植しましたが、美味しくないです。また外国の野イチゴ(草イチゴ系)も興味深いものがあり、代表的なのはワイルドストロベリーで、写真のようにいま盛んに採れていますが、ランナーの出ないウッドランドストロベリー というのもあり、今年植えてみました。さらにヨーロッパの野イチゴとして、森のイチゴといわれるフレーズ・デ ・ボア(高級感がありますね)や、アルパインストロベリー といったものもあって、これらも試しに植えていまして、いま苗状態のところを観察しているところです。

最初はこうして名のわかっている種や苗を購入して植えていますが、植えてみて特徴を知れば、山や川で見つけたときに何イチゴかわかるようになりますね。盗掘はよろしくないでしょうが、実から種を得ることはできますね。ヨーロッパの野いちごは種や苗で買って増やすしかありません。いろいろ肥料にも工夫して風味を醸成できればそれも楽しみだし、野イチゴジャムとして、木イチゴジャムと草イチゴジャム枠の2種製品を、あるいは全イチゴからブレンドして、オリジナルな野イチゴジャムを作るというのも面白そうです。フレーズデボアなどは単独で作った方が良いかも知れませんが。。

とはいえ、私自身は栽培農家ですので、そうした希望を持つ方々への食材提供というのがまずは役割かと思っています。やまなしもいろいろ加工してみたい方に果実を提供できればと思うところです。

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農業シーズンのスタートです

2022年一本桜

雪の深かったこの冬ですが、4月20日頃には大体消えて、消えた箇所から外仕事のスタートとなり、そして5月に入って本格的にシーズンが始まっています。雪解けが遅かった分、とても忙しいです。ハウスのビニールにしても秋には外し、春に掛ける。掛ける前に雪で曲がったりずれたりしたパイプを正常に戻し、雪で曲がらないように秋に外していた下部直管パイプやビニペットも付け直しての作業で、これも雪が深い地域ならではの作業になりますね。

いつも春作業が本格化する目安となっているわが農地から見たときだけ丸い形の山桜。例年と同じ5月4日に満開です。気温の高い日もあったので、雪解けの遅かった割には春の自然や植物の生育時期はいつも通りのようで、だからこそ余計に忙しい。。

 

福寿草

福寿草も例年通り。これは家の敷地じゃないのですが、今年敷地内に、行者にんにくと並んで1株見つけました。

 

脱ぼう機で脱ぼう中

稲の作業も開始しております。ここ西和賀地域は同じ岩手や秋田の中でも近隣と異なった気象環境です。盛岡等岩手の内陸とは気候区そのものが違いますし、気温も3度くらい低い。秋田内陸は気候区はぴったりですが、気温が盛岡との差以上に低い。ここだけ雨や雪が降っているということもザラですし、消雪期が4月後半までという春の遅れ(気温が低いから)は、なかなか新潟などの豪雪地でも少ないのではと思います。こういう環境では、稲作においても岩手県内の暖かい他地域で穫れた籾を買うのではなくて、やはりここで、この農法で穫れた種籾を使うということが大事なのではと改めて思っています。近所より脱芒機(だつぼうき)を借りてきて、籾についている「のげ」(芒)を取り、種まき作業をスムーズに行うという作業を初めて行いました(これまで自種栽培はありましたが脱芒機を使ったのは初めてでした。

農協から種籾を購入する場合は、こうした工程が終わって、しかも良い充実籾のみが出荷されているわけで、関係はないのですが、自分で種籾を準備するとなると、この「のげ」取りと、そのあとの塩水選でしっかりと軽い籾を除去し、良い籾だけで種まきを行うことになります。

 

温湯消毒装置

農協の温湯消毒の設備に脱芒した種籾を持ち込んで60度10分の温湯消毒をしてもらいました。そしてその後に塩水選を行います。先に塩水選をしてから温湯消毒をすると、籾はダメになります。塩水選で水に漬けることにより水の通り道のようなものが籾の中に形成されてしまい、温湯消毒の60度の湯が表面から籾内部に浸透してしまって、発芽不良を起こします。脱芒→乾籾で温湯消毒→塩水選→2週間の水漬→ハトムネ催芽→種まき、です。

 

催芽器で催芽

催芽器です。20年くらいも前でしょうか、どなたかからいただいたものです。温度設定が13度と32度しかなく、32度の方は本当は29度とかにしたいのですが、変えられないですね。。

つい最近、春蒔き小麦として農林61号を種まきしましたが、その際に風呂消毒46度8時間をこの装置でやろうと、家の給湯の湯を沸騰させたりし、鍋で運び込んでは水温計で測って、という作業を試みるも、ついに水温計は45度より上がりませんでした。32度のサーモは水温維持に何の貢献もなく、お湯を沸かしている間に、そしてそれを部屋からこの作業場まで運んでいるうちにこの青いコンテナ内の水温が下がってしまい、下がる温度と加えるお湯とが相殺しあって、46度には達しませんでした。ちょっとだけでも46度が達成されれば良かったのですが。

悔しいですが、全部お湯を捨て、今度は風呂のシャワーの手持ち部分を外して、それがなんとかホースに連結できるようでしたので、風呂の窓越しにホースをつないで限界の60度設定のお湯を送り込みました。今度は50度でキープできたので、最後は若干冷まして種を浸漬し、無事作業を終えることができました。

 

農林61号種

温湯消毒が催芽も兼ねてくれて、2日後に行った播種時にはこのような状態に。これで3kgになります。畑は昨年バックホーでタラノキを掘り起こし、凸凹になった畑を手間ですがスコップで整地を可能な限り行って、平らにした3.5アールの圃場です。収穫は秋まきよりも遅いお盆過ぎになると思いますが、それまで雑草や鳥などにやられないように。。7月に刈り取ってハウスに掛けた南部小麦等が乾燥を終え脱穀ができるのがお盆なので、そこで空いたスペースに掛けて乾燥させたいと思います。

農林61号を春蒔きにしたのは、秋まきしてみたところ、雪で春に全滅していたからでした。春に蒔けば雪の心配は関係ないですね。ただ雑草の種と同時スタートになるので、草に負けないかが心配です。

 

2022年種まき

稲の方ですが、当園では小規模ですしミクニ式の播種機で播種しております。覆土用の器具も買っていて、播種と覆土は別の器具で行います。蒔く品種が変わるたびに播種器具は掃除しますが、覆土の方はそのまま継続します。

 

ササシグレ種籾

今年、ササシグレの種籾をジーンバンクより購入してみました。当地はササシグレには寒すぎて不適地なのですが、自然栽培の方の多くが良食味に惹かれて作付けをしています。失敗する危険性が高いし、小さい場所で試験するのが無難です。ジーンバンク より購入した種籾は98粒ありました。果たしてどんな結果になるでしょうか。写真はハトムネ催芽した籾をまず箱の土の上に並べてみたところです。

今年はササニシキは作付けをやめ、好評いただいている亀の尾と、ひとめぼれ、いわてっこ、そして2年目でもう一度確証したいチヨニシキの4品種で行います。いわてっこは現代の短稈品種で自然栽培には向かない難しさのある品種ではあるのですが、ご要望が多い点といもち病にかなり強いという点で作付けは維持しております。

地区の共同機械で畦塗りを行って、半数の田に米ぬかを散布し(残りは無施肥)、昨日(5月7日)、好天の中、田起こしを行いました。米ぬかはこれから田植えまでの3週間の間に発酵促進してくれることでしょう。岩手県内でも連休は田植えという農家が多いですが、当地では連休は田起こしです。

 

吉兵衛の桜

話は変わりますが、私は植木が比較的好きな方です。美しい木を見ると気分も良いですね。沢内では、桜は函館に上陸してから開花するという気候で、いま満開から散り始めに向かう感じです。私が最初の2年間を過ごした小屋のそばの桜が今年は素晴らしく綺麗に咲いています(写真は5月7日)。今までこれほど綺麗に咲いたことはありません。当地の桜は雪で枝が折られたりすることと関係があるのかもしれませんが、花の付かない枝が目立ったり、手入れも違うのでしょうが東京の世田谷公園でよく見ていた見事な桜よりもどうしても見劣りを感じてしまいます。

 

鍵沢のしだれ桜

こちらは地元沢内で有名な鍵沢のしだれ桜です(西和賀FANのサイトから借用しました。私の写真より綺麗だったので)。

 

小岩井植木植物園マップ

毎年というわけではありませんが、春の雪解け頃に、小岩井植木植物園に出かけます。ここ沢内から割と近く、小岩井農場まきば園よりもずっと手前にある植木園です。たくさんの木が地面に植えられていて、購入時には掘り起こして根巻きをしてもらえます。ネットショップ等での値段を見ると、かなり安いのではと思います。直接軽トラで引き取るわけだし、小さいポット植えのものからウン万円の立派なものまでさまざまです。

入り口にはマップがあって、どこにどんな木があるかわかります。この植物園で何が購入できるかの品目一覧はネット等では得られません。現地のこのマップの写真を見るしかなく、このマップ自体の画像はネットでも掲載がありますが、文字が小さくて読めません。私自身このマップに何が書かれてあるのかとても知りたかったので、今回このマップの文字が読める写真を掲載します。もし出かけてみたいという近郊の方は参考になさってください(→大きい画像で見る)。北国のこの地方に合った木が植えられ出荷されているという点が頼もしい限りです。国道46号繋の交差点から北へ5分くらいのところです。

 

ニオイヒバ

植木が好きというよりも、防風を考えて木を植えることが今回の目的です。メインの防風屋敷林としてはドイツトウヒを7本、家の西側に植えて立派に大きくなってくれていますが、それの間を補うものとして、植木ペディアとかいろんなサイトで調べるのも楽しい時間でした。とにかく雪に強い常緑針葉樹だろうと考え、ニオイヒバ とキャラボクに決めました。家の防風目的ということなので、同時に屋根からの落雪というリスクも追います。ただ寒さに強い、だけでは難しく、では雪に強い木とは、というと答えはなかなか、です。

結局植えてみるしかないし、万人向けの木があるものでもなく、好みですよね。ふだんからよその家の庭にはどんな木が植えられているか、チラチラ見てもおり、大いに参考にすべきですが、趣味の分野でもあるのだし、好きな木をまずは植えてみて観察し、秋に厳重に雪囲いをするということになりましょうか。。

 

キャラボク

キャラボクも何となく名前に惹かれて注目していた樹木ですが、80cmサイズが1本だけ小岩井に残ってありました! ニオイヒバ 4本(1.8m)とキャラボク1本、それにレンギョウとエゴノキとヒメシャラの木を小さめのポットものですが気に入って購入。今年の新顔になります。

これまで小岩井植木植物園では、ジューンベリーやクロモジ、ヤマボウシ、アロニアやハスカップなどを購入しています。希望の木がないと時は注文でどこかから仕入れて取り寄せもしてくれます。

来年はカツラの木とプンゲンストウヒ(ホプシーとして人気)を計画しているところで、農作業の合間にもどこのスペースに何を植えるかいろいろ詮索したりです。

 

コシアブラ

コシアブラを畑の脇の山から採ってきて昼に食べました。タラノキ畑のタラノメも芽吹き始めています。

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山に生きる暮らしのわざを学ぶ会

佐々木さんの会

厳しかった冬もそろそろ終わりに近づいて、気温も緩んで来ているところですが、1週間前の日曜日に、かねてから計画していました、山の自然や生態に詳しい佐々木さんという方を招いての懇談会を開催いたしました。千年前に近江から天皇の勅命を受け岩手の山間地に赴き神社の要職に就かれたとされるご先祖に発し、山で生きるわざや衣食住に関わる生活のすべを代々継承して身に付けておられ、岩魚や熊のこと、食べられる植物やキノコのこと、料理法から貯蔵法まで広範囲な知識をお持ちの方です。その豊富な知識の一端を関心のある方々にも知ってもらおうと思っての企画でした。山に入れば、今日は熊はどの辺にいそうだという気配までも肌でわかるという、山の達人あるいは師匠そのものの女性です。

農村部でも、語り継がれる昔の生活話などは、時としてその子弟たちから敬遠され、近代化のなかである意味思い出したくない負の遺産みたいに取られることがあるようで、私もこの地でそのように見て感じることもありました。逆に私などのような都会育ちで自然を巡る知識に乏しい者が興味津々に聞き入っていたりします。他方、岩手の近隣で田畑の場に集まって農家非農家入り混じって交流するような機会もありますが、そうした場面に集まってくれる方々は、農家農村に親近感を持ってくれているし、私が感じているようなわくわくするような興味を、この佐々木さんの壮大な自然観歴史観宗教観に基づいた実践的な知識から学び取ってくれるに違いないと思っています。

単なるレジャーやアウトドアの関心から発して修得された経験ではないだけに、とても奥深さを感じますし、敬意の念を覚える次第です。集まりは大変盛会だったし、とても2〜3時間の懇談で吸収しきれるようなものではありません。佐々木さんご自身も、こうした技術や知識がだんだんに求められなくなり廃れてしまうことに危機感も感じていて、写真やイラスト、メモや長文でも書き記した資料をお持ちになっていて、その一つ一つに深く感服いたしました。これは後世のために書物として書き残される価値が十二分にあるものと、私も、その場の方々も感じてくれていて、それはいつか現実化したいと思っております。編集の職業から遠ざかってうん十年になりますが、これが実現されればライフワークになりそうです。

私たち一般人も、山に入って釣りや山菜キノコ採りなどするわけで、そうした折に役立ててもらえる本であるという側面も大きいポイントと思います。農家としてみれば、山の幸といえばとかく山のものを生かした農業ビジネスみたいに、現代農業誌とかの見出しを飾りそうですが、そうした短絡的なことではなくて、山のものをじっくり観察し育てる探究心自体は自然に持っていたいし、そもそもバックボーンとして備えておきたい知識ですよね。たらの芽一つとってもその生態がきちんとわかっていなければ、しっかりした栽培には至らないはずですね。

 

カフェそらランチ

3月6日は、ここ沢内でいう「大ブキ」(大吹雪)で運転中ホワイトアウトも何度かある悪天候でしたが、10数名が石鳥谷のやえはた自然農園さんが運営する「カフェそら」に集まり、一流のランチのタイムを過ごしながらの懇談会となりました。こちらのご夫妻は自然農を営みながらカフェをされていて、私たち農家からすれば究極のスタイルに思えます。こういう農家さんに触れる機会もまた農閑期ならではで、山の達人佐々木さんと同じようにこちらの藤根さんご夫妻にも尊敬の念を感じざるを得ないですね。

もう少しだけ農閑期は続きます。いろんなことを考えておきたいものです。雪が消えたらひたすら農作業に没頭する日が来る。それでいいのか? そういう自問自答もありますが、目の前の作業から逃れるわけにはまだまだゆかず、家族を養わなくてはいけませんし、同時に夢や大志は忘れずにいたいものです。

 

ハウス除雪

それにしても、岩手に戻り、あっという間の1か月でした! 農閑期をのんびりととは言ってもPCに向かって調べ物をしたり、確定申告など必要な事務仕事をしているとあっという間に時間が過ぎますし、いまのうちに調べたり手配したりしたいことは結構あって、HPにも手を入れたりしていると、もう30日が経過しています。

雪が多かったこの冬もだんだん弱々しくなり、これまで立ち入れなかった水稲ハウス内部の除雪にも着手する段階に来ております。風の強いこの地域では建物に反射してせり上がるように雪の山脈が形成され、ちょうどそこに水稲育苗のハウスがあるものだから、パイプのてっぺん付近まで雪が積もっていて、パイプのアーチ部分が雪で曲げられないように外側から何回もスコップで落としてやりましたが、ハウスの中の方については除雪機の煙突(シュート部)が入り口であるドア上部にも引っかかり、そこを払いのけ中に入っても、今度は補強の金具に引っかかるという具合で二の足を踏んでいました。

ガソリンが空になり、まだ途中でやめておりましたが、例年急峻な雪の崖を平らに払うまでが非常に困難な過程になります。ある程度平らになれば、あとは除雪は簡単です。その前段階でまずハウス外側の外周の除雪をしますが、これは90度直角に曲がる時が大変で、除雪機の長さ以上の幅をしっかり払っておく必要が出てきます。

 

たらの芽2022

たらの芽のふかし栽培にも着手していて、最初の伏せ込み分がそろそろいい感じに芽吹いて来ています。今年は圧倒的にタラノキ穂木の量が足りなくて、残念ながら通常のご注文に応じることができません。こちらの収穫の揃ったタイミングで、細々と少数の料理屋さんにある分だけ送りますという感じでお願いし、来季以後のタラノキの増産に賭けるのみです。

タラノキ種根の人工的発芽からポットに移植した後の出芽まで管理していくのが大変で、昨年は発芽率もよくはありませんでしたし、せっかく芽が出てポット移植しても、その後の出芽前後に芽が腐ってしまっているという連続でした。山のものですが、デリケートな何かがあるのかもしれません。今年も雪解け後の大きな課題です。

この記事は一度、今朝最終的にアップロードしたものですが、その後、サイドバーの書式等の調整やいろんな設定を見直しているうちにサイドバーの大半を失ってしまうという事態に陥ってしまいました。このサイトではサイドバーを20個も個別に設置しており、そう簡単にやり直しは効かないです。やむなくバックアップした2日前の最新のデータをダウンロードし、まずはこれを苦労して解凍し、今度はデータベース自体をアップロードして復元するという過程でエラーが続き、一筋縄ではいかない作業でした。。そして何とか2日前の状態にまで戻すという素人には結構ハードルの高い作業を格闘しつつ進め、苦労してデータベースの復旧に成功することができました。それで、結果やむなく最新のこのブログ記事だけは失ってしまい、いま、今朝の記憶を元に書き直しています。以前のHPというのはパソコンに作成保存したデータをサーバーに上げる、のでした。いまはサーバー自体で作成し、PCには残りません。写真は当然手元にありますが、問題はテキストです。2年前も同じことがあって、その時はデータベースの復旧が当時の技量では難しくてできず、約1年間のブログ記事テキストを失ってしまいました。。それに比べれば、復旧できただけ今日は一歩前進したのですが。。ただ、もし1日前に、どこかに大事な修正を加えていたりしたら、それは永久に消え去ったままでしょう。。

 

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岩手に戻り農家再開しました

霧ヶ峰から北アルプスを遠望

2月10日夜からの最後の寒天(テングサの)煮込みが始まり11日の午前10時を持って庭への天出し作業が終わりました。そしてその日中と翌12日に片づけを終えて、寒天出張は無事完了しました。外で寒天を完成させていく庭仕事の人たちはまだ2週間くらい仕事は続きますが、煮込みを主体とした釜の仕事である私は区切りが付いて、13日の朝に工房のある茅野市を発ち、岩手へと向かいました。

今回は途中の1泊を会津若松にしましたが、佐久・高崎・日光経由のルートを取ったため、八ヶ岳を横断する必要もあり、まずは霧ヶ峰への登頂からのスタートでした。とはいえ茅野市から30分で着いてしまう近さなんですが。。

初めて寒天仕事に従事した年の2018年1月下旬にもこちらにはドライブで来ております(ブログの霧ヶ峰探訪記)。4年ぶりの今年は2月10日の積雪で雪は多めでした。雲が多めで写真としては晴れた2018年の時の方が少し綺麗でしたね。本当は大キレットを撮りたかったのですが、霧ヶ峰からはその全貌は見えないようで残念でした。2018年1月19日に来た時の良好な写真でお示しします(↓)。

 

大キレット

大キレットにこだわるのは、信州大学の松本にいた20歳前後の頃から、ここにずっと畏怖の念というかぞっとする恐怖心みたいなものを覚え続けていたからです。ここを越えないと槍と穂高を縦断することはできまでん。ついに槍穂の縦走の機会はなくて大キレットを通過することはなさそうですが、ここ霧ヶ峰の高さまで登っても大キレットの深淵部は見えません(蝶ヶ岳が遮っているのですが)。人は研鑽を積み高みに登れば登るほど、深淵部の深みを初めて見ることができる地位に至ります。それは松本のような都市部から簡単に全貌を表すものではありません。かつて常念岳に登った時は眼前に見えたはずですけどね。こういう考えにヘーゲルの「精神現象学」の絶対的に知ることへの高みへ至る「経験」の歩みを重ねて捉えていたものでした。高みへ登るということは足元の地盤の深みを自覚することでもあり。。

 

霧ヶ峰から富士山を遠望

こちらは富士山が見えるところでのワンショットです。右の方は南アルプスということですね。今回富士見町のルバーブ栽培の農家の方を2月11日の日に探訪する機会がありましたが、その時はもっと大きな富士山がいきなり現れて来たものでした。

 

茅野市から見た八ヶ岳

茅野市は八ヶ岳のお膝元であり、ちょうど寒天工場からは見えないんですが、少し走らせるとこのように美しい姿を見せてくれます。大学1年の夏休みには蓼科グランドホテル滝の湯でアルバイトした懐かしい土地でもあります。登山としては東京時代に3回くらい登りました。一度は年末大晦日の冬山で、赤岳山頂付近で風雪に遭い、顎のあたりが軽い凍傷でポロポロ皮が剥けた経験も懐かしいところです。

 

釜の煮込みが67日

去年に続き、今回も釜でのテングサ煮込みからモロブタに移した煮汁の天切りまでの工程で、夜10:30起床、翌日夕方5時に就寝というハードなスケジュールが休む間もなく67日間。前後の準備期間と片づけを合わせて約80日。一つ一つの作業そのものは決して重労働というわけではないのですが、力仕事の瞬間も多々あり、睡眠不足が背景にありまして、容易な仕事ではありません。ただただ慣れていくしかないという感じです。

 

TBS取材中

後半にTBSの取材が入りました。この土地に特有の伝統産業だけに新聞やテレビはひっきりなしに取材に来ますが、それらは季節の風物詩ということで、地元県内のニュースの一コマというものです。今回のTBSはそうではなくて、新しい企画の「不夜城」というタイトルで夜に働いている人たちを追ったドキュメンタリー番組ということで、22:30の起床時から付き合ってくれました。放送は3月29日の深夜の時間帯だそうです。

いろいろこれからの企画の話もしたし、私としては農家農村が、ここならではという仕事を見出して、「農閑期」という克服し難い壁を突破できるようなきっかけ作りがテレビ番組を通じても発掘されていけば良いと感じました。

 

鶴ヶ城

さて13日は八ヶ岳から佐久に抜け、会津若松を目指す日程でした。ホテルの宿に入るにあたり、ちゃんとしたカバンを持っていなかったので、旅行カバンを買える店?? と思案する中、結局佐久にあるイオンに入って手頃なバッグを買い、そして長野県を後にしました。あとは会津若松までお店が並ぶ市街地というのは通過しません。

佐久市のイオンにいたときに、日曜日でもあって、「お父さん!」という男の子の声が耳に入り、ハッとしました。10年前には盛岡のイオンで私がそう呼ばれていた。ここは長野で自分の子はいない一人身。仮に子どもたちがそばにいたとしても、いまはもう10代も半ばでこういう高い大きな声で遠くから呼ばれることはありません。そういう経験はもう永久に失ってしまったのだといまさらながら気が付いたのでした。。

翌日は夕方に抗原検査の予約をしていたために、あまりあちこち気ままに移動というわけにはいけませんで、ナビで到着時間を気にしつつ湯沢・横手から沢内に戻り、薬局で鼻から採取する抗原検査で陰性を確認し、家に戻りました。

わかっていたことですが、家が近づいてくるにつれ、こちら岩手での生活の感覚が戻って来て、昨日までの茅野の生活が遠のいて行きます。現実に戻り、こうして部屋のパソコンに向かっている姿を茅野では早く早くと願いつつ労働した日々ではありましたが、戻ってみれば当たり前のことで、こうした当たり前の自由な時間を持てることは貴重ではありますけれど、戻ってみればそれまでです。一番ワクワクする時は、工場を車で後にした直後の、自由になったという解放感でしょうか。自分で自分の時間を工面できるありがたみをひしひしと噛み締めながら、霧ヶ峰へと走らせる。ちょっと贅沢してCDや外部入力の付いたオーディオが軽トラには備わっていて、スマホから繋ぐケーブルもあります。これでブルックナーの5番を聴きながら霧ヶ峰を走る姿は、寒天作業中に何度も頭の中で予行演習されていたものでした。。

5番の終楽章のクライマックス(コーダ)は実に壮大です。トゥッティというんでしたか、全部の楽器が鳴り響き、主旋律は金管群が担当し、弦楽器は全て伴奏に回ります。この伴奏の弦楽器が必死に刻むリズムが何とも言えない魅力に感じています。

冒頭に触れた北アルプスへの空間をブルックナーが満たしてくれましたが、こうした山岳にはぴったりですね。帰り道のルートも、一部軽井沢のグネグネ道から高崎・前橋の市街地は高速道路で切り抜けましたが、後の会津へ向かう道は国道122号という山中をゆく道路。日光を過ぎて鬼怒川・川治・湯西川と温泉地を通過し、車中はやはりブルックナー。8番、9番と進みます。市街地ではどうも似合わずブルックナーは山間部というのがやはり実感できます。

暗くなって、会津若松に入り、鶴ヶ城を眺め、宿に入り、11月24日以来の晩酌を楽しみました。

そして、いまは再び農家に戻り、お米の出荷も全品種対応いたします。どうぞまた宜しくお願いいたします。

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寒天煮込み開始です(長野にて)

岩手から500km離れ、八ヶ岳の麓、茅野市に来ております。11月24日到着なので20日くらいは経過したでしょうか、今年も伝統製法の寒天製造所で煮込みの業務を担当しています。

始まってしまえば、長時間の淡々とした労務が延々と続き、決して楽な仕事ではありません。楽しみと言える部分は来る時と帰りの移動の旅時間ということになりますか。

 

長野市で1泊した後に茅野市へ向かうのに、これまで大町方面へ行っていなかったので、ちょっと遠回りで向かってみました。信州大学1年目の6月頃、こちら青木湖へ来た記憶があります。いまはあまり言われないかもしれませんが、当時「思索の湖」といった表現がされていて、鬱蒼とした静寂なイメージであろう湖を見たくなって出かけたのでした。

ニーチェのツァラトゥストラではないですが、そもそも長野県のような山岳高地で思索して過ごしたいといった感覚が大学文学部の原イメージみたいに感じていた高校時代でしたし、その思いが現実に叶ったわけでした。

 

こちらは連続している中綱湖です。釣りで有名だったような気がします。

 

すぐそばには大糸線の「海の口」という駅。海という言葉が長野にはあり、小海線とかもですね。

 

長野市では素泊まりでしたので、近所にモーニングを食べに行きました。何か昭和のイメージがありますね。いまはコーヒーと朝食という場合では、ハンバーガーの店かドトールみたいなところに行くのでしょうが、いわゆる喫茶店に行く機会もないし、いいですよね、モーニング。「ブルーリボン」という昔ながらのお店で500円でした。

 

こちらは後日、気温がどうも高いということでテングサ煮込みが休みになって軽トラで出かけた時の食事です。長野県ではかつ丼はこのようなソースかつ丼が主流のようです。

 

そして寒天の煮込みが開始しました。釜の底部分が新調され、去年見られたバーナー部への漏れはなくなりましたが、樽の板は古く、こちら脇からの漏れはあるのが難点です。。水を一気に貯めると漏れるので、少しずつ水位を上げ湯気で板の隙間を封じながらお湯を煮るのです。

煮込みがおしまいの2月10日頃まで先は長く、ただ無心で仕事に向かうばかりです。暮らしの楽しみ的な時間がないので、出かけたりゆっくり夜の時間を過ごしたりという感じではありません。酒造りや炭焼きなどもそうかもしれませんが、火にかけて仕込む作業というのは、どうしても昼夜を問わないつきっきりの作業工程になるのでしょう。夕方も早く寝たいところですが、夜に噴火して吹きこぼれにならないよう、エアで撹拌をしっかり行い、寝て5時間後には起きまたエアを行うといった具合です。

その後はそのまま12時頃から舟にクレーンで煮汁を草ごと移し、布のフィルター越しに溜まっていく「のり」をモロブタにポンプで注入し、やや固まったところで21本に切って外に運び出し、庭作業の人たち10数名が改良と言われる台に並べる天出しに引き継ぐというものです。

 

庭では藁しきや「とかし」の設置も終わり生天の並べを待っています。写真はまだ始まる前の状態です。今日が9日目の煮込み。前年の煮込みは70釜でしたので、始まったばかりです。

まあ岩手の日常とは違った経験が得られますし、昔ながらの煮込みや天出し、庭での自然な製法は自分の農業にも通ずるし、少人数で大規模機械化を目指す国の趨勢にも逆行しますかね。

大規模農業の推進が農村コミュニティーの希薄化をもたらすみたいな議論が常套句みたいに言われますが、こうした伝統製法の寒天作りも、りんどうやにんにくとかの手作業の園芸品目、いわゆる手仕事産業も、結局衰退することにつながるのでは、ということが将来への懸念部分じゃないかと思いますね。地元でもりんどうは産地化しているので推進はするものの、主流は大規模機械を投じて有休農地を減らすそば・大豆等の土地利用型作物が勧められているわけで、りんどうも兼務していた人も、とても手作業のりんどうまでやっていられなくて、作物系に専念するケースが出ています。

こちらの寒天工場もあと何年続くでしょうか? 全国でここだけという一級の特産なので生き残ることもあるかもしれませんが。

寒天煮込みももう少し手作業の労苦を減らし機械化合理化できないかとつい思ってしまって、それは上に述べたことと矛盾する?と思ったりしますが。。

なおお米は玄米を持参しており、郵便局も近くあり出荷に応じております。亀の尾、チヨニシキ、いわてっこの3品をご用意できます。どうぞ宜しくお願いいたします。