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田植えが終わり管理作業の日々

田植え後の亀の尾

5月の連休以後、農繁期に入っておりますが、5月は降雨続きの毎日で、土が乾かず耕耘作業にとても難儀した春になりました。とはいえ、田の方は、耕耘(田おこし)はこなれた土が求められる畑作りと違って、どうとでもなりますし、代かきや田植えは雨の中でもできますので特に支障はないのですが、切り花りんどうも栽培している当園では、去年まで水田だった圃場を春の5月にいきなり細かく砕土した畑にするという毎年の新植分床作り作業。。それは雪解けが遅く春も低温で雨の多い奥羽の山中ではいつも難事業で、6月第1週に苗が搬入される時期までにりんどう定植圃場の畝立てまでをやり終える課題に直面して、いつも憂鬱な気分になりがちです。。今年はまさにぬかるんだ畑作りになった年で、1週間くらい前までりんどう苗を植え付けていましたが、マルチの穴のボコボコの土をかき回して、そして通路のボコボコを手でほぐして、プラグ苗を土の隙間がない状態に密着して植え付けていくという、近年では状態の悪い中の作業になりました。こういう時に、ラジオとかで、県内平野部からの投稿で「畑におしめりの雨を待ってます」などの文言を聞くと、雨の多い当地ではイラッと来たりする、そんな、全体としてはいつものような5月でした。

 

除草機作業中

とはいえ、田植えも終わり、今年も量では亀の尾、ササシグレ、ひとめぼれの順に植え終えて、6月のいまは畦畔農道の草刈りと、水田の除草機をかける時期になっています。りんどうの芽かき草取り作業、タラノキの管理作業などの合間にですが、水田除草機で十分に除草をするためには、土を露出させて固くしてしまってはダメですので、深水にし、田面を柔らかく保ち、除草機もただ条間をまっすぐ一直線に進むのではなく、稲の株に接触するくらいジグザグに満遍なく動かして除草を行うことになります。この時期の稲は除草の回転器具が接触しても大丈夫で、植わっている稲ギリギリを攻める手法で分げつも誘引され、生育効果も上がると言えましょう。エンジン部分は背中に背負うタイプの刈り払い機で、ポールの先端にアタッチで取り付けるタイプの3条の水田除草機です。

 

亀の尾(6月27日)

西和賀町沢内の今年の稲の生育は遅れています(写真は6月27日)。関東以西(あるいは東北南部より南)で時折り「真夏日」のニュースを目にし、農家や評論家が猛暑による白濁米や減収を心配する声を報道したりしていますが、当地はなかなかそうした暖気の恩恵に預かる日は少なく、現在のところでは、さすがに今日は暑かったなという日も最高で28℃弱が1日あったかなと思います。うちの田に限らずですが分げつがなかなか進まず、現段階では茎数確保に不安があります。有機稲作のテキストなどで関東以西をモデルにした記述になるのでしょうが、例えば太い大苗2本植えで、といった推奨がこうした寒冷地ではあまり参考にならないことを痛感します。大きく太い苗ができればそれは良いことですが、苗作りの時期もまだ周囲には雪があり、地温自体が低く、まず芽出しまでの温度確保が最初の難関で、実際に出芽率も下がる傾向がありますし、薄まき推奨の苗箱作りは確かに危険です。結果、田植え後に目立つ欠株を長時間の手植え補植で補うような形を何度もくり返して来ており、毎年が気象との戦いの日々です。例外的に、昨年に関しては播種後に気温が高めで出芽も良かったですね。雪解けも早くて春のスタートが早く、作業的にも余裕を持って進められたし、夏も良い高温でお米も良く穫れました。その分、平年並みの遅めの消雪と冷涼傾向が続いた今年は厳しさを余計に感じるところです。りんどうの開花も遅れるのではという声が聞かれます。

稲の除草作業も終盤になってきました。除草機で掻き回して雑草を浮かせて退治する手法ですが、浮いた雑草が地面に再び着地しないように、浅水管理がセオリーの一般論に逆らって、深水を続け、かつ土を柔らかい状態にキープします。以前からの水田と、小麦やにんにくから転作した水田では雑草に違いがあり、やはり水田を長く続けている田はヒエやコナギが多いです。水面下の小さいコナギは除草機で浮かせてやれますが、水面から顔を出した雑草は除草機では取りきれず、手取りになります。手取り除草は厄介な作業ではありますが、重い除草機をジグザグに時間をかけて進ませる重労働の機械作業と比べて、どちらが楽とも言い切れません。気軽に毎日1時間手取りしよう、と空身で気軽な気持ちで田に入る時間を取りながら、雑草の多い箇所を集中的に歩いて、あと少しに迫った中干しまでの除草期間を乗り切りたいものです。一様に全部をくまなく作業するという除草機械的発想ではなく、草の多い箇所を選んで手取りするというやり方になります。100%を目指すことは不可能ですし、どう効率的に除草するか、でしょうか。

なお、いまは今年からの第6期中山間直接支払交付金の新年度に入り、役員としては役場に提出する書類作りにかなりの時間を取られています。いちばんは協定に入れる農地面積の確定ですが、それ以外にも面倒な書類がいっぱいあり、つくづく役所書類は苦手です。。朝からいきなり強い雨の日とかは諦めて1〜2時間PCに向かいもしましたが、目の前に迫る農作業を犠牲にもできず、夜間や朝食後とかに少しずつ小刻みにやるしかないのですが、本当にやることが多いです。消防の行事もあるし、りんどう関係の役員会やらいろんな集まりで、小規模農業経営者は本当にあれこれ多忙ですよね。全部一人でこなしますので。今夜も結局ブログ記事を書いてしまい、中山間事務は明日に先延ばしにしました。

 

南部小麦(6月27日)

南部小麦が色付いてきました。岩手の平野部ではいまはまさに刈り取り期で、晴天の今日などあちこちで刈り取っていることでしょう。西和賀は岩手の標準的地域に比べ2週間遅れます。消雪の遅さと春の低温が原因ですね。今回は40cm間隔で播種したことが良かったのでしょうか、昨年晩秋の好天が幸いしたのでしょうか、とても良い状態で、多収が見込まれます。とはいえ、いまは小麦の大敵である赤カビ病の発生時期です。こまめに圃場を歩き見回って、疑わしい状態の穂を見つけたら穂を切って圃場外へ持ち出して処分します。南部小麦の刈り取りは、例年ですと7月10日頃になります。実際は水分の%で判断します。水分が高い状態で刈り取ると、ハウスにハセ掛けをするわけですが、その後の乾燥が進みにくい嫌いがあります。しっかりとした乾燥(30%以下)を確認してからの刈り取りがベストですね。

 

にんにくとアリーナ(6月27日)

にんにく畑とアリーナ小麦の圃場です。にんにくは球の肥大に直結するトウ摘み(主に八幡平系)の時期を終え、あとは収穫適期を待つだけですが、どうやら今年は稲と同じく、またりんどうと同じく、遅れているようです。もっと暑くなって欲しいと願うばかりですが、これまでの遅れが急速に取り戻せることもないでしょう。なお、にんにくですが、今年の雪解け時の4月22日と、試験的に1か月後の5月22日にマルチを剥がしました。春から収穫期にかけて、にんにくの根域にマルチで高温の環境を作っていると、割れ、裂球を生じさせる可能性があるそうです。西和賀はにんにくの収穫時までに30℃超えしたりすることはあり得ませんが、念のためマルチを剥がしてみました。4月に剥がした2列はすぐに籾殻をリビングマルチとして施用しました。が、5月22日にマルチを剥がした残りの畝は、籾殻を持って来て散布する時間も取れず、そのままで収穫期を迎えます。使用する籾殻自体は残っているんですがね。雑草の具合にそれほど違いもなさそうなので、来年からはまだそう忙しくない4月に全部剥がして、すぐに籾殻でマルチングしてやることが作業手順の上でも効果的と思いました。あるいは前年の根雪直前に剥がしても同じかもしれませんが。

アリーナ小麦は極晩生で、南部小麦よりもさらに2週間後の刈り取りになります。こちらは強力の品種で、南部小麦と違い穂の色が白がかった茶色になり、とても背が高いです。背が高いことで、穂の長さも南部よりありまして、収量は多くなるありがたい品種です(スイス原産の小麦でパンに向く品種です)。

 

山下氏圃場

ビニールマルチを早めに剥がしてリビングマルチへ、とのサジェスチョンをくださったのは、青森県で長らく県の野菜研究所でにんにくの研究に携わっておられたにんにくの専門家山下一夫さんとの情報交換で教えていただいた農法になります。当園ではセンチュウ害の出どころである青森県の農家からの種苗購入などで(あるいは岩手県内でも既にセンチュウ害を受けた種球の購入植え付けにより)、にんにくの収穫品にイモグサレセンチュウ被害を受けたという苦い経験があります。そしてそれをタネとしてりん片を植え付けることで、畑の土壌自身も、収穫される次のにんにく自身もセンチュウに感染させるという残念な状況に悩ませれていました(もちろん壊滅的な話ではなく一部のにんにくに被害が見られたということですが)。この山下氏の手によって、センチュウ感染したにんにくであっても、その生長点付近を冬の時期に切り取って培養し、最初に得られるそのひょろひょろした状態のネギのような苗を春に植え付けて秋に1片のセンチュウフリーのにんにく片を確保し、そのりん片を購入する、あるいはその優良種子片を植えてもらって翌年に6片の球の状態のにんにくを作ってもらって購入するなどしています。そして当然畑もこれまでにんにくを植えたことのない圃場に移して新規ににんにく畑とし、センチュウやあるいは厄介なウイルスの元となるサビダニ被害もフリーであるにんにくの生産を、当園ではいま達成しようとしています。キロ単位で出荷する量をその優良種優良圃場で生産するには時間もかかりました。昨年はさらに冬期の畑の冠水事故によって多くの優良にんにくが失われてしまったことも痛手でした。

上の写真はそのにんにく専門家の山下一夫氏の圃場に、田植え後の、そしてりんどうの新植苗の搬入をし植え付けがまさに始まる前の6月上旬に訪れて、圃場を見せてもらった時の圃場の様子です。上の写真ではマルチが見えますが、どの色のビニールマルチが畝内部を高温化させにくいかの試験だそうで温度計で計測していました。いちばん高温にさせにくいのがやはり白のマルチでして、次が緑、そして黒、最後に透明が一番温度が上がったようでした。

なお、それよりも氏のアドバイスで最も共感を得たのが、「緑肥の敷き詰め農法」というべき手順でした。写真奥に背が高く生えているのは緑肥作物です。私も小麦やにんにくでの休耕期間の7〜8月に緑肥を栽培しており、にんにく予定地は8月終わり、小麦予定地は9月初めにトラクターで漉き込んで、腐熟させ、にんにくや小麦を植え付ける、という工程を取り入れておりました。しかし、山下氏によれば、すき込みではなく、刈って、重ねて土の上に置く、という手法がミソになるようでした。これは自然農法の基本手法です。下手に耕耘したりするのでなく、刈った草を土の上に置く、それがリビングマルチとなりにんにくを保護するとともに、年数を重ねることでふかふかの土づくりに寄与してくれる。私など毎年小麦からにんにく、にんにくから小麦へと、緑肥を挟んで輪作しているものの、その都度耕耘をすることで、逆に、固い土壌を招いてしまっていたのではないか、耕耘をやめて積み重ねた緑肥の上から植え穴を空けてにんにくのりん片を秋に植え付ける。そのことにより山下氏はふかふか土壌を獲得し、翌年の収穫時もにんにくの茎が抜き難くブチっと切れてしまったりすることなく、柔らかい土壌ですっと力を入れずともにんにくが抜けていく土づくりができるのであると。山下氏は最初からビニールマルチなしで敷き緑肥で通しておられますが、より気温の低い西和賀では、またにんにく以外に作目が多く雑草が取り切れないことも考慮すると、秋の定植時には当園ではビニールマルチは必要です。当地では冬が早く来るためににんにく植え付けはとにかく早めにが鉄則になり、ホワイト六片など早く芽を出す品種は10月になってからの植え付けでは完全に遅い。10月になってから床作りをして植え付ければ雑草もそれほどではないでしょうが、9月最初などの時期に早く植え付けをすれば、やはり9〜10月に雑草は生えて来ます。9月の10日以降はりんどう彼岸出荷や、下旬になると稲刈りと小麦播種を迎えかなり多忙です。そのため9月最初ににんにく植えをするスケジュールではマルチ使用は欠かせないですね。

にんにくは連作はダメだと思い込み、当園では小麦との輪作をしていましたが、山下氏の場合、にんにく収穫後にスダックス等のイネ科の緑肥を蒔いて植え付け前に刈り倒してそしてにんにくを植え付けるのですが、そこでスダックス栽培が挟まれることでにんにくの連作が絶妙に回避され、畑をにんにくに固定しても連作にはならない。耕耘してしまわずに、自然栽培流に耕耘をしないことでかえって柔らかい土づくりを実現させてしまってもいる。見事だなと思いました。小麦で私が真夏の休耕期にマメ科クロタラリアを緑肥栽培していることも連作回避により雪腐れ等の病害を防ぐ目的で、それはにんにくでも同等なようです。研究所の研究員の経歴の方ですから、有機栽培や自然栽培に興味があるわけではありません。図らずも自然栽培の良い部分に出会って、それを活用しているということです。なるほど、ですね。

激務が続いた5月が終わって、ちょうど軽トラで遠乗りがしたくてウズウズと鬱積していた折に、八戸近郊の山下氏の圃場を見学させていただいて、さらに時間を忘れて遅くまで長居をさせていただきましたが、有益な時間でした。

農業について突っ込んだ会話ができることは時間を忘れ喜びです。いま現在、小麦を作付けしている当園では県の農業普及員が赤カビ病の観察のためによく訪れてくれます。その度にいろんな対話ができることは、一人で田畑に閉じこもって作業する自分には良い刺激、情報を得る時間になります。小麦の担当者は水稲の担当者でもあるので、稲の話もします。有機のことは専門外ですので、逆に私からも有機の話をして知ってもらいます。いくら日々の草取りや諸々の作業で立て込んで押しまくられていても、対話は大事な時間ですね。

 

蕪嶋神社

八戸近郊の山下氏の圃場を後にして、せっかくなので、ウミネコの繁殖地「蕪島」に向かいました。家とは逆方向で、帰宅は遅くなることは承知の上ですが、蕪島は見ておきたい。長年の希望でした。夕方で既に神社への階段は閉鎖されていて残念でしたが、山下氏との懇談が続いたからなので、それは仕方もなく、でも、十分に蕪島を楽しめました。光景としても美しいですね。

 

蕪島のウミネコ

浜辺にはいっぱいのウミネコ。良いですね。八戸に春から初夏に来られる機会があったら、ぜひ蕪島を訪れてみてください。

 

モミジイチゴ果実

当園では野いちご、木いちごの植え付けをしています。大した面積ではないし、趣味の域を出るものでもありません。オレンジの美味しい実をならせるモミジイチゴは最も惹かれるいちごです。いちばん最初はどれがそれか、どこにあるかもわからずに、フリマサイトで苗を購入したりしましたが、モミジイチゴ自体を知った後は、近所で見つけたりして、それを庭に移植したりしています。最初にわからずに購入することは教科書代、勉強代で、そこから実物を知り探究がスタートするのです。そうして植え付けたモミジイチゴが実を着けてくれました。きれいないちごですよね。外国にもあるかどうかは不明ですが、日本国内では最高の野いちごと思います。いつか増殖して商品化したら良いのか、趣味の域にとどめておくべきか、将来性は未知数ですが、こうした行いができることのために、都会から脱サラし、農家になったのですから、農家冥利に尽きるとも言え、こうした手間に時間は余計にかかるとは言え、楽しい残業タイムを与えてくれる存在ですよね。だから、やっていられるのでしょう。農業カテゴリー自体の中に楽しみがなければ、やっていられないでしょう。あとは月に2日の軽トラお出かけとです。

ちなみに、ベリー類は、ブルーベリーやラズベリー、ブラックベリー、ハスカップ、カシス、クランベリーやコケモモなど西洋のものもありますが、草イチゴ、クマイチゴ、エビガライチゴ、ノウゴウイチゴ、バライチゴ、フユイチゴ、カジイチゴ、ナワシロイチゴ、ニガイチゴ、ホワイトピーチベリー(これは国籍不明)があります。木ではジューンベリーなどいまが食べ頃になっていて、庭でイチゴの実った姿を目にするのは楽しいものです。

 

Googleマップ
Screenshot

余談ですが、最近はPC等で一番よく楽しみに使っているのがGoogleマップです。中山間交付金申請でいまはアプリとしてはエクセルに最も向かっていますが、息抜きの「空想軽トラ旅」にGoogleマップは良き友です。たまたま家の近くをストリートビューで見てみたら、草刈り作業中の自分の姿が。。。小麦やタラノキの圃場を刈っております。いま現在、りんどうの早生品種の草取りと芽摘み作業が最優先で、この写真の圃場の草刈りはその後にすぐやりますから、もう少しお待ちくださいです。田んぼや小麦やその他広大な面積の草刈りと園芸品目の株の近辺の精密な草取り、そして田の除草とキリがありません。おいしくてボリュームもある定食の店はないかな、大雨が降って買い出しに出た時とかに、どういうスポットを訪れようかな、などついGoogleマップに逃げたりしながら、草との戦いと諸々の管理作業、そして地域の交付金のための事務作業をこなす日々が続いています。

 

天峰山・桂松院

先週のことですが、買い出しの用もあり盛岡へ出かけまして、その時、まあ命の洗濯と言って良いでしょうか、久々に盛岡からR455で岩泉方面への国道を走りました。天峰山・桂松院という地点をGoogleマップで見つけて、訪れてみまして、草の中、仏像と紫の衣を羽織った石仏さんの佇まいを見てきました。こういうあまり人々が訪れないスポットを見つけてさりげなく訪れるのが好きです。

 

天峰山から盛岡岩手山方面の眺望

天峰山というのは知りませんでしたが、R455から北へ入ったところに展望台がありました。外山という地域です。放送局の電波塔らしきものもありました。息抜き、は大事です。こうした場所を目指して走り、無心になる。こうして日々の激務も乗り越えられれば、です。

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2025年春、農作業スタートです

たらの芽栽培最盛期

ようやく雪が消えてきて、春作業がスタートしましたが、連日の雨続きでなかなか進みません。ただ雨が続いたおかげで雪が消えていったとも言えるので、これまでの雨は良かったのですが、これからはもういりません。これまでのメインの作業はたらの芽の収穫出荷でしたので、天候には左右されず進められました。最終盤を迎え、もう加温も控え気味にし、最後の数点の注文に応えるだけです。無事、できたものは完売しそうで、生鮮品生産としては心配だった無駄な売れ残りの廃棄等が出ずに良かったと思います。

とはいえ、たらの芽栽培は結構難易度は高いと思います。今期については、カビの発生を恐れるあまり、灌水を控えて経過させてしまったことが、駒木の乾燥を招き、気温の高い日に悪くしてしまう失敗がありました。換気により風通しを良くしつつも、新鮮な水を常に供給することが大事で、ビニールに開いていた穴からの漏水もあって、ちゃんと対策が必要と分かりながら、栽培期間中はビニールの細かい検証や交換もできず、修繕は生産終了後の課題になっています。

収穫が終わったら施設の細かい点検をして来年に備えたいものです。雨の日の仕事ですね。

 

たらの芽出荷荷姿

たらの芽をポケットマルシェというサイトに出品しています。米やにんにくと違い、収穫期を迎えたものはすぐに出荷しなければならない生鮮品目ですので、自分のサイトだけでは短期間に全部売り切ることはできません。その点、フリマサイトは多くのお客さんに見ていただけるのでありがたい存在です。たらの芽の場合、梱包が3cmの厚さで収まるために、クリックポストを使用します。写真のように専用の箱に折り目を付けて保護の薄いシートを敷いて300gを並べていき、梱包します。全国一律185円という安価なコストはありがたく、輸送に2日以上かかる点だけは生ものだけに心配ですが、到着後にすぐにザルやボウルで水にさらしてから冷蔵してもらえれば、シャキッと戻ります。

ゆうパックなど本格的な輸送形態を選択するならば、輸送コスト的にもっと大きいパッケージ(1kgとか)となりましょう。でも一般の家庭利用では300g程度が適量で、その価格帯にいきなり700〜1,000円の輸送コストを上乗せすることはできません。ここはやはりクリックポストの選択で進むしかないかと思っています。

山菜の豊富な土地柄である上に、もともと農閑期の仕事をということで始めたたらの芽栽培ですので、旬の畑の露路物や山の天然物と違い、促成栽培という選択になりました。天然物以外は食べる気がしないよ、というような意見もわかりますが、こうした促成栽培のたらの芽は色も緑が綺麗で柔らかく、お子さんも喜んで食べてもらえる品ではあります。

5月になればこの穂木の採取圃場であるタラノキ畑でも自然に芽吹いてきて、秋までに1枝から2本程度芽を仕立ててその2本の穂木を育てて伐採採取します。細い枝の場合は芽は1個だけにしますし、1本の枝の芽の数を調整して、太い枝が秋に得られるように努めます。芽かき作業ですね。で、その余分な芽を掻いて持ち帰り天ぷらにしたりしますが、それらは結構硬くてゴワゴワした感じです。自分の施設での栽培のたらの芽のハジキを期間中食べていますが、それに慣れてくると、むしろ柔らかい方が食べやすく思います。

旬の時期に深山に入って天然のたらの芽を採れば、日陰になっていることで、促成に近い感じにはなりますが、タラノキ園の木は日当たりが良いので野生的です。タラノキそのものは日光を好むのですが、柔らかい緑のたらの芽は日陰が良いのです。そうなれば、柔らかい天然の緑のたらの芽と促成栽培のたらの芽との差はあまりないということになります。

そんな収穫出荷の日々もあと数日で終わります。

 

風呂消毒と塩水選

並行して、稲の種籾の準備もこの時期の大きな仕事です。亀の尾やひとめぼれなど晩生品種を作付けていてかつ出芽機を使わないハウス内平置きの出芽法ですので、種まきは早めに行います。早い時期の田植えを計画しますのでそれからの逆算ですね。地区の中では一番早いと思います。まあ途中で追い越されてしまいますが。。

今年から農協の育苗センターで温湯消毒をしてくれなくなったため、自分の風呂で行いましたが、60℃にはなりませんで、やかんで沸騰させたお湯を足し足しして、何とか58℃を確保し15分浸漬しました。そしてすぐに塩水選を行い、あとはそのまま水に漬けて12日くらい。そしてハトムネ催芽機で芽出しをしてから播種します。

 

播種機

3月後半になるとハウスの除雪をしますが、雪が消えてハウスのビニール掛け、そして種籾の催芽、そして育苗の培土の準備が一致して初めて種まきができます。わが家は4月10日が種まき開始の日です。ハウス内の土を整地しますが、その前に昨年の麦や稲の脱穀の際に溜まっていたハーベスタから排出される殻などを綺麗に片付けてからです。平らにした地面にプール枠を組んで、ブルーシートを敷きます。作業場の2階から苗箱を下ろし、播種機をハウス内に設置して、土入れ・播種・覆土の作業がスタートします。

亀の尾が60枚、ササシグレが26枚、ひとめぼれが18枚、通常出荷はしませんがりんどうの廃園後翌年に作付けするいわてっこが今年1反歩で21枚、以上になりました。用意した亀の尾種籾が予定より少し足りず、多めに準備していたササシグレが少し増えました。ひとめぼれも需要はありますので7アール分1枚に作付けします。

ここは冷涼な地域です。有機稲作のセオリーで薄まきの大苗育苗を理想として播種を行って田植えしても、結果、分けつが暖地のようにはできません。ある程度厚く蒔き、1株当たりの植え付け本数を増やすことは、寒冷地という地理風土の必要な方法になります。そうしたこともあって亀の尾は種籾を多く使ったせいで箱の枚数がやや少ない結果になりましたが、その面積の中でしっかり穫れるよう努力いたします。

品種が増えるといろいろ面倒なのですが、現在どれも必要な品種と思い、なかなか数を減らせないでいます。いわてっこの方はともかくとして、亀の尾・ササシグレ・ひとめぼれから選択してお求めいただきたく思います。

以上のここまでは雪が残り雨が降っている時期でも進められる作業になります。

 

にんにくの目覚め

外の圃場に目を向けますと、4月17日に、大部分のにんにくが現れてきました。雪に押しつぶされてまだ呆然とした感じですが、これから一歩も二歩も他地域に遅れての再スタートですので、頑張って挽回してくれとエールを送るのみです。

 

アリーナ小麦の目覚め

同じ17日の小麦アリーナ畑です。ヨーロッパ由来で南部小麦よりは雪に弱いのですが、何とか生き残っていてくれました。まだ眠そうですし、株元に葉がいっぱい枯れていて、この枯れ葉の中からの復活を力強く遂げてほしいです。この枯れた部分を見越して播種時は厚まきにします。また秋の年内の生育が足りないで雪の覆われると雪腐れになりやすく、そのためにも早い時期の播種が必要です(9月中の播種)。

去年の晩秋は暖かい日が多くて、にんにくと小麦については大変ラッキーでした。いろんな品目を植えていると、何かが思わぬ恩恵を受けてくれたりするものです。水稲だけで、しかもコンバイン+乾燥機であれば、稲刈り後10月からの天気はもはや関係ありません。ハセ掛けのわれわれは稲刈り後の好天がとにかく必要ですし、同じく作付け直後のにんにくや小麦もお日様に助けられました。とはいえ、去年の秋がたまたまそうだったため、やっと他地域並みに育ったということですので、同じ岩手県内でも他の少雪地域の人たちはこのくらいの生育はいつも当たり前だよということになるわけでしょう。まあそれも寒冷積雪地の宿命で、それを何らかポジティブ要素に変えて生きていくしかありません。

なお、雪腐れ病に対処するために、小麦連作による障害を回避するという必要があり、そのためと、土作りやチッソの補給という面を併せてマメ科のクロタラリアを盛夏の休耕期間中に作付けし、小麦の播種前にすき込んでいます。その成果が確認されるのもこの雪解け時期になります。

 

ルバーブの株分け

一方、消雪後まもなく行うことの一つに、ルバーブの株分けがあります。近所の加工所でジャムにしてくれていますが、やはり赤いルバーブのジャムは綺麗で貴重です。赤いルバーブはいま入手が困難ですので、大事に増やしていきたい財産です。1株掘り上げてスコップで4個に分けます(写真は4つに切り分けたところ)。株分けをすればそれらは小さくなるので今年の収穫は控えなければならず、したがって、一気にではなく毎年少しずつの株分けになります。

 

乙部のイワテヤマナシ園

もう一つ春の作業に果樹の剪定と接木や挿し木の作業があります。去年4月に、寒天出張終了時に神戸大学から輸送したマメナシ台木にイワテヤマナシを接木しましたが、あまり成果が思わしくなく、多分台木自体を植え付けてすぐの接木だったせいもあったでしょうか、失敗した台木を掘り起こして盛岡市乙部の片山先生の圃場へ持って行き、プロの手によって台木を生かしてもらうこととしました。秋の時点で成功したかなと思われるものは私の園地でそのまま経過観察していますが、やはり幼木をこの多雪地帯で管理することは容易でないと思いました。細く小さい木の上に2mの雪がずしりとのしかかるので、いくら雪囲いをしても、テープで止めて固着したはずの接木部分が押されて曲がってしまったり。。むしろこういう豪雪地では挿し木などと同じくポットで管理して冬は作業場で管理し、何度か植え替えをし、3年くらい育ててから地植えする方が良いのでしょうか。小さい台木での接木育苗作業は雪のない盛岡に委ねることにして、当園ではすでにイワテヤマナシ成木が8本あるので、それらの一部を高接ぎで好みの品種に改変していく、あるいは一本まるごと別の木に改造していくという作業をメインにしたいと思っています。立派な成木に高接ぎを行えば、成功率も高く、また生育も早いです。雪による圧迫も地面から上に上がった空中のことなので回避できることになります。

たらの芽もですが、太い穂木(駒木)からは大きな芽が育ち、細い木からは小さな芽になります。太さが肝心なようです。イワテヤマナシは岩手特有の、岩手にだけ自生した、香ばしい匂いのする梨の実なので、これを活かし、いろんな産品に商品化したり、また果実のみの出荷販売もありですしね。まずは太い枝に理想の実をしっかりならせられるよう栽培管理に努力したいと思います。

 

玉泉寺

農業外では、久しぶりに地元のお寺「玉泉寺」(ぎょうくせんじ)に法事で出かけました。りっぱなお堂です。すばらしいです。仏教文化の高い芸術性を目の当たりにした気持ちです。こんな山奥の過疎の村にこのようなお寺があることは嬉しくなるし、誇りに思いますね。新興の住宅街とかでない太古からの暮らしの歴史を持つ山村であることを感じさせてくれるひとときでした。入植時にとても世話になった地元のおばあさんの3回忌でした。ご飯を食べながらご家族親戚の人たちと久しぶりにおばあさんの話や、四半世紀前の話でとても懐かしい時間を過ごしました。

そのおばあさんの土地を借りて農業を続けてきているし、そのうちの1枚の田を買っていまの住宅や作業場、ハウスなどがあります。都会育ちで農業のイロハも、また田舎で力強く生きていくためのすべをも持たない30そこそこの青年に、豊かな知識と技を伝授してくれたおばあさんでした。ポツンと一人でやって来て、しかも血縁もない豪雪の山村です。いまそれなりに暮らしが続いてこれたのも、このおばあさんの助けで生活の土台ができたからでしょう。車の運転ができないおばあさんと、その地元のお婆さんたちを乗せて、県内のいろんな場所を訪ねました。自分にとってそれらのドライブは岩手を知る発見の旅でもありました。ワゴンRの後ろの席をフラットにして、そこにばあさんたちが座っておしゃべりする様を見ながら温泉に行ったり、志和稲荷へ参拝に行ったり、バイキングにも行きましたしいろいろでした。

 

薪割り

さて、雪がある時期のもう一つの仕事は、薪の玉切りです。10年以上前にヤフオクで買った古いチェーンソーに頑張ってもらって、雪のあるうちに玉切りを行いました。薪割りは地面が出てからの作業で後回しですが。森林組合からの購入で3間の量ですが、今年のこのナラは地元産だそうで、県内他の木よりもとにかくここ奥羽の地で育った木は年輪が詰まってずしりと重い。切るのも苦戦し難儀でしたが、燃やすには火持ちも良くて、良い薪になるでしょう。

 

最近食べたランチから(大盛り系)

農閑期の間はいろいろ出かける用もあり、外出でランチする機会も割合ありました。寒天出張の時は3食デリバリー弁当でしたが、とにかく量が少なくて、もうご飯はいいからと結局おかずだけにしてもらって、ご飯は炊飯器で炊いて好きな量を食べていました。深夜からの長時間の勤務のため1日4食食べており、しかも酒を飲まない生活だったので、米も長野産コシヒカリを社長からもらって、自分の持ち込んだ玄米と交互に食べておりました。デリバリーのない4食目(夜食)はレトルトのカレーだったりしましたが、3食のデリバリーもおかずは少ないし病院食のようです。そういう体験をしていると、高級な意識高い系の上品なレストランよりも、大衆食堂の大盛り系に行きたくなってしまうのが人情ですね。

左は盛岡市の「田舎家」という食堂の看板メニューの唐揚げ定食です。ご飯はまあ普通盛りですが、唐揚げの量が結構多くて、お腹いっぱいになりました。人気のお店で早い時間帯でないとかなり並ぶのではと思います。右は西和賀から横手へ向かう途中にある「山内食堂」で、オモウマイ店とかいう番組で取り上げられて行列の店になりました。昔はなかったと思うので、この10年くらいにできたのでしょうか。ユーリンチーというメニューです。写真じゃ分かりにくいですが、2枚の写真ともかなりの肉の量です。これでご飯が大盛りだったら食べきれないでしょう。油淋鶏というのは初めて食べましたが、醤油の甘酢とネギがふんだんにかかった美味しい唐揚げ料理でした。

寒天からの帰りに仙台で娘と「北京餃子」という中華店に行き、また先日は息子と「中華飯店」という店にも行きまして、ずいぶん中華を食べて、寒天生活の食の70日を挽回した気持ちです。「北京餃子」は中華が各種安価に食べられていろいろ頼んでシェアして食べたりしましたし、「中華飯店」は値段は結構しましたがどれも大盛り系で、いちばんのおすすめは春巻きでした。日立システムズホールというコンサートホールのすぐそばにありますので、コンサートの前後に出かけられてはいかがでしょうか。去年の夏にはここでモーツァルトのピアノコンチェルト20番とマーラーの「巨人」を聴き、その後で一緒に聴いた子どもたちと中華飯店に寄ろうと思いつつ、結局コンサートが夜9時頃までかかったので閉店して入れませんでした。

余談ですが、コンサートでは、先日NHK教育で観たマーラーの第2番「復活」がすばらしかったです。指揮者はカーチュン・ウォンというシンガポール出身の若手ですが、リハの映像からして、表情も豊かで人間味に溢れ、とても好感の持てる指揮者でした。この「復活」は合唱を伴った壮大な交響曲ですが、これまでコンサート経験も、曲の映像を動画で観たこともなかったので、とても刺激的で新鮮な体験でした。演奏ももちろん素晴らしいの一言です。いまの時代、語弊はあるかもですが、ブルックナーやマーラーのような壮大なシンフォニーというのは時代にマッチしていないように常日頃、感じています。自分自身がブルックナーやマーラーしか聴かないような狭いタイプなので余計に阻害感を意識してしまうのかもしれません。

想像するに、20世紀のバーンスタインやテンシュテット、ひいてはフルトヴェングラーのような気迫のこもった熱い演奏というのはいまの流行りではないのかもしれませんね。コンサートの曲目を見ても、ドビュッシーやサンサーンスなど、一見王道ではないよという作曲家の演目も東北の山形や仙台でも頻繁に行われるメジャー曲目だし、シベリウスなんかも演奏機会が多いですね。ラフマニノフなども人気の演目です。もちろんドヴォルザークだったり、シューマンだったり、演奏会いっぱいあります。ただ、ブルックナーやマーラーとなると、ちょっと「引いてしまう」というのが時代のムードなのかと感じています。え、やるの、という。。去年なんかブルックナーの生誕200年のメモリアルイヤーだったんですがね。私の偏見やひがみなんだと思われてもいけませんが、クラシックのトーク番組(FMの音楽番組)とかを聴いていても、敬遠されてるかなみたいに感じる節がありますね。だいたい女性はブルックナーが嫌いという説もあります。大袈裟な感情の発露とか、壮大なクライマックスとか、そういうのじゃなくてね、いまの気分はもっと身近な身の回りの感覚にマッチした音楽が求められているんじゃないの? そういうようなご時世という気がしますね。

「全身全霊でマーラー楽曲の表現を追究したい」という感じのことを「復活」の演奏に当たってカーチュン・ウォンは語っていました。復活の合唱はラストの10分くらいかと思いますが、歌い出しは「よみがえる」、で始まります(復活する、です。auferstehen)。歌詞を検証した上ではありませんが「生きるために死ぬ」とか、「自分が息絶えてしまうことも、それが生の糧になる」という感じの詩になりますね。後の傑作「大地の歌」の集結部では、「自分がこの世にいなくなった後も、花々は永遠に咲き誇るのだ、永遠に」の言葉で静かに終わっていきます。現代の感覚としては特異かもしれませんが、しかし「全身全霊」というカーチュン・ウォン氏の言葉は、非現実的な大袈裟なドラマを語るのではない、いま風に表現しマーラーのメッセージの核心を言い当てた言葉遣いに思いました。

カーチュン・ウォンと日本フィルでマーラーのチクルスを進めているそうで、その一環としての放送でした。それならば、いつか数年以内に第8番を演奏することになるのでしょう。「復活」と同じオルガンのあるサントリーホールですね。その時はぜひ東京へ行かなくては、と思いましたね。いまは日の目を見ないかもしれない時代の周辺部の人たちが集結しますね、きっと。ブルックナーの大作第5番のコンサートが東京で最近あったと思いますが、私が情報を目にした時は完売していました。いるのです。ブルックナーやマーラーに心を打たれ、時代の気分が何であろうと何十年もひたすら愛好して来た、自分の生きる道はこれだと貫いて来た、いまはたまたま特殊な愛好家として辺境地?に暮らす人たちが。。

マーラー8番は東京時代の最後の頃にN響の特別演奏会を30年前に渋谷で体験してはおりますが、楽しみに次回のその時を待つことにします。稲刈りとかお盆や彼岸のりんどう需要期でないことを願います。

 

石割桜2025

盛岡へ出かけた4月18日、盛岡市の石割桜が満開でしたので、車を停め写真を撮りました。外国人観光客がいっぱいいました。西和賀町まではまだインバウンドは及んでいません。が、早晩われわれのこの山あいの雪国にもお客は来ることでしょう。地元の若い人たちにもそういう読みはあるでしょうし、新たな形態の宿泊業への進出も取り組んでいます。

石割桜を見た後に、せっかくなので映画の「教皇選挙」(コンクラーヴェ)を観て来ました。カトリック教会のこと、ひいてはキリスト教の文化歴史的側面について、日本人はなかなか理解ができていないと思います。私自身もたとえば哲学の勉強の中で西洋思想史の中でのキリスト教の持つ意義というのは大大テーマであるとはいえ、その本質的部分は何となく避けて通って来た気がします。でも、子どもたちに対しても、世界を股にかけた仕事をするようになってほしいし、そういう時にギリシャ神話やキリスト教文化のことを知っておいた方がよく、同時に自国の「古事記」の個々の話なども外国人に説明できるようであってほしい、などと言いはします。その通りでしょうが、なかなか。。

次の教皇を決めるのは枢機卿(すうききょうと呼ぶのが正しいらしいです)団の人たちで、バチカンに集まって教皇の選挙を何日もかけて決まるまで行う、という話ですね。そのことは知っています。教皇が選出された時は特別な色の煙で地元住民に知らせるとかも何かで憶えていました。映画だけでなく実際にいろいろ策略や陰謀とかもあったことでしょう。そういう世界史の一コマを子どもたちには知ってほしいものです。

雪が溶けたいま、映画を見たりする余裕ももうなさそうです。去年よりも雪解けが遅くて春作業は遅れています。稲の育苗だけは進めていますが、ちょっと気温が低くて、いつものことですが出芽にヤキモキの日々です。平置き出芽でみんな使うシルバーシートですが、寒冷地では天気の悪い時は「保冷」になって箱の温度を低くしてしまうため日中は外して夜に「毛布」のつもりで掛けてやります。こうして出芽を待っているうちに、出芽機で出芽した苗をハウスに並べる地元の農家に追い越されてしまうのでした。。

これからりんどうの春作業が待ち構えています。支柱を直し、肥料をやり、ネットを掛けて芽かきをする。廃園予定の圃場はいまのうちにマルチを剥がしておくし、新たに新植する圃場は溝を掘って排水を進め、5月にはこなれた畑で畝立てができるよう準備をする。りんどう作業は何週間もかけて、夏までに終わらせるような息の長い作業です。田んぼの仕事はそれに比べれば、田おこしも代かきも、田植えもまあ数日で終わる話であり、問題は植え終わった後からの除草作業です。

とはいえ田もりんどうも除草がメインの作業になるということは春の作業の形が一段落し終わってからの話で、それがおよそ6月初めまでの仕事になります。一方、秋に植え付けをしたにんにくと小麦は、もういまは形ができているので、収穫の7月までは除草がメインになります。一方で秋はにんにく小麦の仕込みの時期であり、かつ稲刈りやりんどうの収穫時期であるため、最大の繁忙期になります。

まずはいまこの春の「形にしていく」時期を乗り切りたいところです。

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カーナビは心の友、地図更新に苦戦

白山を遠方にドライブ中
長野への2か月出張の行き帰りの軽トラ旅は自分にとって特別なリフレッシュと気持ちの切り替えの期間になっています。秋に農業が終わったという節目と、冬の寒天作業が終わったという節目ですね(もちろん後者の方が解放感が絶大ですが)。先月の長野県茅野市からの帰り道は紀伊半島を1周し、大阪から北陸へ抜けて、山形仙台経由で帰宅する長旅となりました。ブログでも書きましたが伊勢神宮とか南方熊楠記念館への訪問、岡本太郎設計の太陽の塔の見学など、だけでなく走行した旅の全体が心に刻まれています。そして、その時のドライブの走行は、帰宅後にGoogleマップで辿り直してみると、正確には出ませんのでそれ以上の走行キロ数になりますがおよそ1,800kmになりました。写真は福井県の越前市付近で正面に見える雪山が多分白山であろうと思って車内から撮影しました。

その旅を支えてくれたのはカーナビになります。カーナビを友に、旅が成り立っているようなものです。昔オフロードバイクで旅をした時はもちろん地図だけが頼りで、「ツーリングマップル」をバイクの風防手前のスペースに挟んで、東京からおよそ東日本のほとんどは走行したと思います。

ナビに頼るようになったいまは地図はもっぱら部屋にいる時の画面での表示になりました。地図そのものは好きでして、GoogleマップはいまでもPCで最も多く使用するアプリだし、山のコース地図、国土地理院の地図も併用して楽しんでいます。山も登山口まで車で向かうため、Googleと地形図は両方不可欠ですね。

そんな現在のカーナビは2台目で、初代は5年で故障してしまいました。ポータブル式でダッシュボードに吸盤で粘着させるタイプですが、よく剥がれてごつんとぶつけていましたので、それが原因かと思います。GPSも受信しない時が多くあったりして、同じ後継機種の「ゴリラ」5インチを2022年2月に購入し、現在に至っています。ちょうど3年ですが粘着は良くて衝撃も加えていないので、まだまだ使い続けたいと思います。

 

SDカードへの書き込み

購入してからまる3年経ちますと、やはりカーナビの地図が古くなってきます。有料の地図更新があるというのは知っていましたが、結構高価で、機械が壊れるまで地図は我慢して使い切って買い換えるしかないかなと思っていましたが、検索してみると、いま現在5インチのカーナビそのものがどうやら製造が終わっているようなんですね(国産の製品としては)。考えてみればスマホをダッシュボードに設置すれば済むことで、わざわざカーナビに代金を払って使うのは需要が減って来たという傾向なのだと思います。しかも本体だけでなく地図そのものの維持更新にもお金がかかるわけです。馬鹿らしいことかもしれません。

現在は新製品がなくて、自分のと同じ3年前のモデルが倍近い値段で中古品でしょうか、Amazonとかにも載っています。そういうことであるならば、いずれはスマホに取って代わられるのかもしれないが、ここは最後の贅沢、奮発して地図更新をし、もう3年はいまのゴリラに頑張ってもらおうという決断をしました。この5インチのカーナビと共に長距離の旅を続けてきましたし、やはり見やすい、めんこいやつなのです。ギガやバッテリーの減りの心配もありません。この最後の贅沢に出費を許してくださいの気持ちです。スマホのGoogleマップで住所や電話番号を調べてからカーナビに入力するのは面倒ではありますが、まあそれも旅へ出る楽しみの儀式で、セルを回した後の暖機運転です。

ところが、その地図更新の手続きがこんなに大変な作業であったとは!

まずSDカードを買ってこなくてはなりませんが、そもそもダウンロードするためのPCがウィンドウズで、10以上でなければだめですと。スマホもダメ、Macには対応しておりません、と冷ややかな説明文章が目に飛び込みます。でもどうしても更新がしたかったので、近所の家に行ってみると、ウィンドウズ7だそうでがっかり、結果、20分くらいの事務所の知人にお邪魔することにしました。どうせコメリまで行ってSDカードを買ってこなければならず、簡単に近所ではすみません。最初16GB以上という記述を見て16GBを買いましたが、容量が足りず、32GBを買いに再びコメリへ走りました。要注意ですね。16GB以上、ですから32ないと入りませんね、確かに。実際使用可能領域は16や32よりは少ないですし。

いったんナビにSDカードを入れて更新するための機種情報を書き込んでから地図提供元である「ゼンリン」のサイトよりウィンドウズ専用の地図更新のためのアプリを使って、まずは購入代金11,880円を決済し、地図データをダウンロードします。サイトからまずPCへのダウンロードですが、これで80分はかかりました。途中オセンで買い物したりしましたが余裕で終わっていません。そしてやっとダウンロードが終わり、次のSDカードへの書き込みの段階に入ったところで、エラー表示が出て、書き込みができない、SDカードが壊れているなどのメッセージが出て、あっけなく終了。作業進行の説明をスマホで並行して読みながら、購入手続きとかダウンロード時間以外にも時間をかけてここまで来たのに、できませんでした?

翌日パナソニックの技術相談の窓口に電話で問い合わせました。技術系の人らしい口調で、丁寧に説明してくれましたが、結局その通りSDカードか、SDカードリーダー(USB端子に接続できるアダプター)の不具合だろうとの説明でした。USBを介してのアダプターでなく直接SDカードのスロットがあるPCでなければだめなのかと訊いたところ、スロット搭載機のPCでも同じエラーはありうるのでアダプターがダメとは限らない、との言葉に安堵を覚えました。あまりSDスロット搭載機は見ないので。。

昨日、お米を配達したり、注文していたトレッキングシューズを受け取りに行く用事もあり、盛岡のインターネットカフェに行ってみました。事前に電話で確認したところ、SDカードのアダプターもあるので自由に使って良いとのことで、再チャレンジの気持ちが沸き起こりました。

時間はそれなりにかかりましたが、ソフトクリームを久しぶりに2回食べ、ココアやエスプレッソも飲んだりして、時間は過ぎました。思えば、長野の寒天出張の初回の時はまだスマホを持っておらず、溜まり込んでいるであろうメールの確認に茅野市のネットカフェに行ったことがあり、その時の店にもソフトがあり食べました。車にナビは付いていたので、電話帳でカフェの電話番号を調べ、初代ナビに入力して慣れない茅野市のネットカフェに辿り着けました。ありがとう、心の友です。

前回、SDへの書き込みの段階で失敗したので、もし本当にSDカードが壊れていたらすぐ買いに走らなくては、コンビニでも売っているのだろうか、とか考えているうちに、PCへのダウンロードが終わり、ついにSDカードへの書き込み段階に移行して、作業は途切れずに続いています。もしかして一歩進んだ? SDカードは壊れていなかった? このまま進んでくれとの緊迫の時が過ぎていきます。

そして、ついにゴールです。あまりに嬉しくて、写真を撮りました。

 

 

カーナビ本体への書き込み

ネットカフェでは利用料が1,000円弱かかりました。でもソフトや飲み物を飲食した代金と思えば済むことですね。ソフトクリームもいま高いですから。良い経験です。その後は車に戻りSDカードをを挿入してナビ本体の地図データ書き換えの作業です。ところがこれもまた時間がかかります。登山靴の受け取りに石井スポーツのあるMOSSビルに向かって進行しながら、作業は続いていて、石井スポーツでゆっくりいろんな商品を見て時間も使い、靴を購入して車に戻ると、まだ続いています。駐車場でエンジンは止めてもキーはオンにしたままバッテリーを減らしての作業です。昨秋にバッテリーをより大きいタイプに新調していてよかったです。

ジュンク堂へ行って農業書など眺めて戻ってみたら、終了していました。

サイトからPCへのダウンロードで80分、PCからSDへの書き込みで40分、SDからナビへの更新で80分、という感じでしょうか。予習で頭に叩き込んでわかっている場合の時間でこれですから、説明を読みながらしどろもどろでやっていれば、それがおととい地元で失敗した時の私ですが、とてつもない時間を要します。結局トータルで1日仕事でした。黙ってスマホでナビをすればタダで努力も要らなかったんですがね。

 

前潟駅が地図に

盛岡からの帰り道、ナビに「前潟駅」が写っています。このカーナビを買った2022年にはまだこの駅はなかったことをウィキペディアの情報で確認して(前潟駅は2023年3月の開業)、最新状態への地図更新が無事完了したことが証明されました。震災があった2011年から7冬、盛岡の農業改良普及センターに土壌分析の仕事で通った時代にはこの駅はなくて、私が車を停めて電車に乗っていた1個手前の大釜駅の次が終点盛岡でした。盛岡の内丸(通勤していた普及センターのある場所)から盛岡駅までの徒歩区間にはホームセンターがなくて、帰宅時にホームセンターにどうしても寄らなくてはいけなかった時は、大釜で下車した後に、家と逆方向の盛岡寄りのこの前潟まで車で戻って、サンデーで買い物をして帰宅したものでした。いまもし同じ通勤をするとしたら、家から直接前潟駅に車で行ってから電車に乗ったことでしょう(無料駐車場はあるんでしょうか)。そして職場まで盛岡駅から徒歩で30分近くかかるので、運動には良いし、冬だからできたことですね。そして帰宅もまた遅くなり、それからたらの芽の作業をしたりしていたので、結構忙しかったです。いまは、寒天出張時はかなりハードな拘束の作業でしたが、終わってからのドライブと、帰宅後の確定申告などの事務作業、次いでたらの芽作業の専念で雪解けを待つ暮らしになっています。こういう農閑期時期だからこそ、カーナビ地図更新という作業もできたのでした。

いよいよ今日からたらの芽の収穫出荷が始まりました。カビや腐れなどにやられることなく多くの出荷をすべく努力します。

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雪深い早春のたらの芽栽培

たらの芽ふかし2025

寒い冬になっていますが、その中でも日中は春の気配も漂う季節になっています。今年も寒天製造の出張から帰宅して、たらの芽の促成栽培をスタートさせています。帰宅直後の頃は寒さも真冬本番で、真冬日が続いており、そんな気候の中で無理にふかし促成を始めても、時間ばかりかかって生育は遅く、逆に時間がかかりすぎることでカビにやられたりする危険も高まります。そこはじっと待ってからにすることとし、決算や確定申告、また春からのいろんな資材や種苗とかの検索や注文事務など、パソコンへ向かっての作業が主体となっていました。

たらの芽栽培としては、穂木を駒木に切断し、水に漬ける作業(樹液を出させてカビがつきにくくする意義と、発芽を促す催芽の意味があります)、水に漬けた駒木を圧力あるシャワー洗浄をし樹液を洗い流し、トレイに並べていく作業だけで、1日3時間くらいの軽作業です。収穫が始まるまではこんな感じです。

 

駒木トレイ

水に漬け終わった駒木をトレイに並べ、シャワー洗浄しました。あまりくっつけすぎて並べるとカビになりやすく、離れすぎると倒れます。だいたいこんな感じでトレイを埋めて、このまま栽培棚へ置きます。

 

穂木のテーブル電動鋸

秋のうちに採取しておいた穂木をこのテーブルカッターで駒木にします。2/3くらいは終わりました。あと1週間で手持ちの穂木は全部棚に入りますが、3段の棚全部使っても入り切らないので、残りは収穫で棚から出て行って空きスペースができるのを待ってからの伏せ込みになります。

全部伏せ込みが終わると、あとは収穫だけですが、こまめに棚を観察し、カビの発生はないか、温度や遮光の管理、水の交換は適切にしているか、日々チェックが欠かせません。日中の日差しがある日はビニールを開けて空気の入れ替えも大切な作業です。その時は扇風機で静かに風を送ったりもします。特に最上段は日光を多く受けやすく、遮光を掛けておかないと、芯の腹の部分が小さい膨らみのうちに葉が展葉する茎が出始めてしまい、結果小さなたらの芽になってしまうので、しっかりとお腹を膨らませるために暗く管理します。ダイオシートを使っていますが、日中晴れて来ても急激に気温が上がらないためにも遮光は大事なことです。

 

やまなし園3月上旬

やまなし園もまだまだ雪に覆われていて、ここは斜面のてっぺんで雪が溜まりにくい場所なんですが、まだ50cmくらいはあります。その他の田畑の平均でまだ1.3mといった感じでしょうか。近年は雪の量が少なめであったため、今年は多いように感じますが、10年くらい前など、4月1日の時点で1mくらいあった気がします。田畑の消雪も4月末の連休に突入してからという年もありました。この辺りが長野や新潟などの豪雪地帯と違う点で、関東よりも消雪の日が1か月も遅くなるのは、やはり最高最低の気温が全然こちらが低いことによるのでしょう。

 

作業舎への通路

問題は稲の籾を収納しているこの作業舎の冷蔵庫から籾を出して、籾摺り機のあるたらの芽栽培室の方へと搬送したいのですが、1mを超える雪の除雪に苦労しています。写真で見える作業場のシャッターが雪で開かず、除雪機が出せないでいました。やっと昨日シャッターをこじ開けて除雪を開始しましたが、歩いて硬く踏み固めたところとそうでない気温が上がって柔らかくなっているところとの差が大きくて、除雪機が真っ直ぐに進めないで苦戦しています。秋に籾摺りした玄米の在庫がほぼ底をつき、氷温貯蔵籾を早く玄米にして出荷を再開したいのですが。。

本当は秋のうちに全部籾摺りをしてその半分の玄米をこちら作業小屋の冷蔵庫に氷温貯蔵して、そのまま継続して出荷するようにしても良いのです。お客さんを待たせないで済むし、1回1回の出荷分玄米を雪山を越えて担いで運び出すことはできないわけじゃありません。籾摺りとなると全部を持ち出さないとダメなので、軽トラが入れるように除雪が必要なのです。もともと、秋に全部玄米にしてしまうのではなく籾での貯蔵で春に籾摺りした方が春以降の出荷分が鮮度も良く美味しいのでは、という考えで行ってきたことですが、実際のところ半年遅れで籾摺りした玄米が秋に籾摺りを行ったものより本当においしくて鮮度が良いのか、と言われればなかなかその差を実感できるものではありませんね。

農薬を使わない稲作ではどうしてもカメムシ斑点米の発生がありますので、農協の色彩選別機を使うことである程度除去することができます。そうなればむしろ秋のうちに全て玄米にして色選委託に出すことになりますので、それにより玄米品質を向上させることができて、かつ玄米をそのまま-1℃の氷温貯蔵米にすることももちろん継続します。いまの時期にお客さんも待たせません。次回作ではそのようにしてカメムシ害対策と品切れのない状態を維持することを遂行したいと思います。稲刈り直後の高水分の生出荷分だけは色選に出せませんが。。また通常の16%乾燥米とハウスでの15%乾燥米が色選装置で混じってしまうことはちょっと心配ですので、15%と16%の袋を分けて装置に入れるよう要望はいたします。

 

作業場通路除雪2025

昨日真っ直ぐに進めなかった除雪機はクローラーの左の軸のピンが切れてしまっていて、農機屋さんへ走り、そしてクローラーの回転軸のピンの穴とそれの外枠の穴を合わせるために、方向転換クラッチを微妙に切りながら軸を回転させ2つの穴を合わせ、まず折れたピンを叩き出し、新しいピンを差し込むためにさらに正確に穴位置を定め、ピンは何とか差し込めました。機体が傾いたことでオイルが漏れてしまい、エンジンオイルを補給し、再スタート。無事住宅の方から作業舎への通路を除雪することができました(やれやれです)。これで多分数日待てば雪が消えて軽トラをバックで入り口に着けて、氷温籾を運び出し、住宅の方の作業場部分に設置した籾摺り機で玄米にします。また、森林組合より薪を購入していますが、バックで入れるところまで入ってもらってユニックで写真の右側の山に薪を降ろしてもらえます。雪のあるうちにここで玉切りし、あとは地面が出てからゆっくり薪割りをします。

近々籾貯蔵在庫の籾摺りが行えますが、玄米が底をついているいま現在、米の価格が高騰していることもあり、「ポケットマルシェ」の方への出荷は注文に応じきれそうになく休止していました。自サイトの方はそのまま続けておりますが、やはり注目度が足りないせいか、そんなにサイトに直に注文が来るするわけではありません。有名サイトへの出品とは違いますね。価格は去年と据え置きで、社会で価格が高騰しているからといって、それに便乗して値上げをすることは、ちょっと恥ずかしい行為ですし、自分の経営上やむなくの値上げというのなら別ですが、今期はその理由もありません。ですので、慣行栽培のお米よりも販売価格が安くなってすらいます。といっても農協や米卸経由の店頭価格からどれくらい差し引かれて、秋に農家に精算額が入って所得が実際増すのか、その時は近所の農家に訊いてみたいと思います。価格を上げる要因はないと申しましたが、今度の秋に亀の尾のみになると思いますが色彩選別に委託を出すとなれば、その手数料分は価格に入れさせていただきたいと思います。キロ当たり数十円の値上げにはなりますが、それでより品質の良いお米を供給することができるならば、必要な工程となると思っています。

 

ハウス除雪着手2025

来月の今日辺りは種まきをしている時期です。除雪機が出せたので、ハウスと作業場の間の雪山の除雪にも手を付けました。水稲育苗ハウスの除雪はまず外周からです。反対側の側面は雪が少ないので、とにかくまずここを払うために、5回くらいかけて減らしていきました。

去年は猛暑の夏だったので、ここ奥羽の里はちょうど良い暑さで、亀の尾など、よく穫れました。先日までいた長野の人たちは、真夏は標高1,000mの茅野・原村付近でも平気で35度になるよ、とのことで、やはり東北の山間地は違うのかもしれません。気象庁のデータを見ても去年の沢内で8月6日にたった一度32.0°を観測し、それが最高です。前後に31.5℃とかは数日ありますが。。ちなみに長野県の原村の実測値は7月23日の33.5℃が最高でしたので、まあ35℃はちょっと大袈裟でしたが、32℃台は数日ありました。もっとも岩手県の北上市も結構高い数値を叩き出しており、原村よりもむしろ暑かったかもという感じです。それほどここ沢内は冷涼と言って良い地域と思います。広大な奥羽の山塊の醸し出す水蒸気や緑そのものがリビングマルチになって気温の上昇をマイルドに抑えてくれているのかもしれませんね。豪雪の影響は真夏までは持たないと思いますが。。

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太陽の塔を見学し豪雪の岩手に帰りました

太陽の塔真下から

長かった長野での寒天製造の仕事も、いつかは終わります。終わってしまえばあっという間に1週間、飛ぶように過ぎ去りますが、今回の帰宅時は気になっていた岡本太郎の太陽の塔を見ることと、これまで訪れたことのない紀伊半島を一周し、南方熊楠記念館へ行くこと、が目標のドライブ旅行となり、寒天工房のあった茅野から伊那谷へ入って飯田経由で名古屋入りし、ぐるっと半島を回って大阪から北陸、新潟から東北入りし、仙台経由で岩手へと戻る旅程となりました。そして現在は豪雪の沢内で過ごしています。体を休めながら、いろんな資材の注文や決算・確定申告の作業、ハウスのパイプが曲がらないようアーチ部分を超えた雪の除雪、そしてこれから始まるたらの芽栽培のための準備をしております。

寒天作業の終盤から居座った寒波で気温の低い状態が続いていますね。ちょうど北陸付近を通過するときは寒波の谷間のタイミングで走行はとても快適でしたが、いま再び雪が続く状態で、とにかくハウスのパイプを守ることが先決です。除雪機もありますが、格納する作業舎のシャッターが雪で完全に封じられており、少し気候が緩んでからの除雪機作業になりそうです。4月10日までにハウス近辺が完全に消雪し、ビニールが掛けられるようになればと思いますが、今年の雪は手強そうです。田畑から雪が消える時期も4月末の連休の頃になる予感もします。

さて太陽の塔、何がどうとが言い表せないけどスゴイ。このようにも感嘆されたりしますが、秋頃に講談師神田伯山のラジオで伯山氏が太陽の塔を観覧した時の印象を熱く語っていて、これは寒天終了時に足を伸ばして実物をリアルに体験して来なければ、と思っていました。2か月半に及んだ出張中、じっと旅立ちの時を待ち続けていた軽トラックはついにその時を迎え、始動し、下道ですが、飯田市からさらに南下して愛知県入りを目指し旅が始まりました。

途中、伊那谷へ入る手前の高遠(桜で有名)に、同じ寒天(てんやと言ったりします)に通っていた農家の橘内(キツナイ)さんを訪ねました。写真は撮りませんでしたが、畑と作業場や住宅を見せていただきました。福島県出身で、震災後に地元での営農を断念し知人の紹介を経て長野へと移住し、ここ伊那市高遠の山深い里で有機野菜を生産販売しています。農政や社会情勢にも明るい聡明な人ですが、新規就農者として私にもよくわかります苦労を積み重ねて現在に至っています。まだ40代前半、小さいお子さんもおられ、まさにこれからの人ですね。雪がないというメリットがありますし、来年は冬期も寒天従事でなく営農を続け、完全な専業になられるかもと思い、今年の機会に訪れておけて良かったと思いました。

とはいえ、寒天から西回りで帰宅旅をする場合、権兵衛トンネルで木曽から岐阜に抜けるような時もここは必ず通行しますので、私が続ける限りいつでも立ち寄ることは簡単ですが。。私と同じく時期にはポケットマルシェにも出品しているので、見かけたらいろいろ閲覧してみてください。

 

小川清風寮

長男が誕生した時ですので20年近く前ですが、近くの農業改良普及センターで冬期にやっていた田畑の土壌分析の業務が終了となり、近場で仕事も見つからず、4か月ほどトヨタで働いてきたことがありました。1冬だけで、その後は大型免許を取って町の除雪オペレータもやりましたが、その懐かしくもあるトヨタの小川清風寮を訪れてみました。ここで個室を与えられ、近くの元町工場へバスで向かいました。村の中でも、俺もトヨタにいたことあると言う人と会ったりします。

 

フィール

最初の頃は首にぶら下げた写真証で食堂の食事をし給料から引かれていましたが、3食となるとこれが結構な額になり、途中で食堂利用はやめまして家から米を送ってもらって自炊に切り替えました。昼ごはんだけは工場の食堂を使ったと思いますが。その時に週末に通ったスーパーも健在でした。

 

伊勢神宮外宮

初日はこの後名古屋経由で亀山市にあるホテルに宿泊し、翌日は紀伊半島に向かいました。数日前から急遽、伊勢神宮に行ってみようと思い立って、検索で調べ、まずは外宮(げくう)からということでその正宮を参拝しました。中はよく見えないんですが、どこも杉の丸太がどんと屋根に乗っていましたね。

 

伊勢神宮内宮

こちらは場所を変えて伊勢神宮内宮の正宮です。石段に踏み入れた後は写真撮影禁止ということでしたが、わからずに撮影している人が警備員に注意されていました。写真の消去まで求められはしなかったかと思いますが。。地元の両沢公民館のそばに昔の石碑など残っていますが、稲刈りが終わった後に何か月もかけて昔はお伊勢参りをしたようです。一生に一度、生きて戻って来れるか、という不安もあったゆえでしょうか、こうして石に刻んだりしたんでしょう。いまは思い立ってすぐ車で行けますが、それもこれも長野県で働いたという地理的な環境によるもので、いま岩手から車で伊勢参拝に行こうとはなりませんよね。

横山展望台からの賢島英虞湾

伊勢から南下し、鳥羽の辺りで真珠を土産に購入し(鳥羽パールタウンという建物内に入る専門店)、店でも勧められた賢島(かしこじま)を目指すことにしました。賢島はホテルのほか真珠の工房や販売店があったりという感じで、海辺まで降りて歩いたりしてみましたが、特に観光で立ち寄る施設というのはありませんでした。訪れるみなさんは宿泊客でしょう。その後、賢島を去ってから、偶然ですが気になる場所を見つけ、それは「横山展望台」というスポットでした。ここまではさすがに調べもできずに、ドライブを進める中でたまたま看板で見かけて、時間も押してはいましたが、行ってみようと思い寄り道をしました。

行って良かった、素晴らしい光景です。岩手三陸のリアス式海岸とも違う何とも穏やかな光景。毛細血管のように海が入り込んでいます。これはぜひ、伊勢志摩に来られた方は立ち寄って欲しいビュースポットですね。伊勢神宮の頃にはどんよりし強風が吹いていましたが、午後からは好天となり、気温は低めではありましたが、良い眺望に恵まれました。大きい写真もこちらに掲載しておきます。

そこから。。。その日の予約は南紀白浜の温泉宿だったんですが、夕方が近づく時間帯でまだこれから250kmあります。しかもグネグネ道で。。前日もでしたが遅めのスーパーに寄って値引きされた惣菜を買い、遅い時間に晩酌をするという形の旅行になり、一人旅ですし居酒屋に寄ったりはしませんね。また結局時間が遅くなってしまうので、夕食をどこかの店で食べるということもなく、急いでまずはスーパー、そしてホテルへという流れになります。でも伊勢から白浜へ向かう海辺の景色は入江がとても綺麗で楽しめました。途中からは内陸部になり、暗い夜道を走り続けます。

2日目の夜は温泉大浴場のあるホテルで部屋にはバストイレなしのタイプの5千円クラスのホテルでした。今回はすべて朝食付きでしたので、ビュッフェ形式で量もついつい食べてしまいがちで、お昼は逆にドライブの友の飲み物とおやつで済ませながら車をひたすら走らせるというスタイルになっておりました。

 

南紀白浜の海岸

翌朝の白浜の海岸です。紀伊半島の南西部のかなり深い場所ですね。岩手沢内から車で来た地点としては最も遠い地点といえます。砂浜もまさに白くて綺麗です。この景色から左へ向きを変えると、リゾートホテルが立ち並んでいます。関西エリアでは人気の観光地ではないかと思います。

 

南方熊楠記念館

この地域での目的は南方熊楠記念館です。岬の先端にあたる部分に建っていて、観光と兼ねるにも良いロケーションです。熊楠を知る人は寒天の仕事人の中にも結構いて、昭和天皇に粘菌を菓子の箱に入れて送ったとか、ロンドンの大英博物館を出禁になったりとか、知っている人もいましたね。われわれ人文思想系をやった者としては、粘菌学者という狭い範疇の人でなく、森羅万象に渡る現象物の観察の積み重ねから得られた壮大な世界観を提示しようとした知の巨人、というイメージになります。昔、中沢新一氏の『森のバロック』を読んだこともありましたが、8年くらい前になりますか、子どもたちと山形市の博物館へ「熊楠と粘菌の世界展」をお盆頃に見に行った時の印象も強く残っていました。例の菓子箱も山形に展示されていましたし、粘菌についてかなり詳しく紹介した動画も放送されていました。学芸員の方がとても親切に詳しくそばにいて解説してくれたこともよく覚えています(あまり他にお客さんもいなかったので)。

 

熊楠記念館の屋上テラスより

その熊楠記念館の屋上テラスからの眺めは素晴らしいものでした。ぐるっと周囲が見渡せます。位置的には四国の南部、高知とかと同じくらい南です。太平洋に面しているという点では関東も同じかもしれませんが、やはり遠くに来て南に張り出した土地で太平洋を見ている感慨はありましたね。

 

京大水族館

すぐそばに京都大学の水族館を見つけ、入館しました。熊楠館と両方入ると記念品がもらえるということで、箱の中から磁石で吊り上げた景品は、若き熊楠と南方マンダラが描かれた缶バッチでした。貴重なものです。説明を加え、中3の娘に渡しました。

ここから田辺市内にある熊楠の住んだ住宅を目指し、渋滞とナビがあってもわかりにくい路地をぐるぐる回った後に到着しましたが、校外学習に来ていた小学生が走り回っていて、また入館料もかかるということで、外観と庭を眺めてから立ち去り、次のメインの目的地である大阪の万博公園を目指しました(吹田市にある1970年の万博の記念公園です)。寒天の仲間と合流する予定でしたし、時間ももったいないので高速を使い2時間走りました。

 

太陽の塔正面

大阪市内も高速でビュンビュン走るため、渋滞はありませんでした。予定通りに駐車場に着き、寒天仲間のリュウちゃんと共に太陽の塔へ向かいました。いちおう写真は撮りましたが、写真からは実物の感動は得られません。実際にここに立ち会うことで、この70mの塔の凄さ、岡本太郎の凄さを感じることができます。説明することが難しいすごさ、万博といった技術の進歩や明るい未来の生活といったイメージへのまさに真っ向から対立する強力なアンチテーゼ。メインの万博会場というその最先端の調和の美空間のど真ん中に屋根を突き破って途方もないいびつなモニュメントが不気味に聳えている。当時の小学生世代にはこれほどのインパクトはなかったでしょう。自分もその世代ですが、ついつい、この岡本太郎の作品にいろんな概念的意味づけを考えたりしますし、南方熊楠と比較してみたり、世界観という視点で解釈しようとしたり、それは自由でしょうが、まずはその「説明すること」を超えたインパクトをそのままに受け止めたいと思います。

こうして、太陽の塔のみが終了後も特別に壊されずにここに残りました。その意味はとても大きく、当時広島から連れて行ってもらえなかった私も、追体験することができたのでした。しかし岡本太郎自身は壊すことには当然の決まりとして受け入れていたようでした。塔を壊さないで残して、という投書は、当時の小学生からの声が多かったと聞きます。

 

太陽の塔内部

内部は、生命の進化の系譜がモニュメントとして造形されています。これは後から作られたものでなく、万博の1970年当時からこのような内部になっていたのですね。そうした地球上の万物を包み込んだ象徴として「太陽」がここに聳えているわけです。こうした地球規模の発想は南方熊楠に通じますね。2人の巨人は同じ魂を持っているように思います。同じ日にこの2人の巨人の足跡を見たことは貴重な経験になりました。

階段で2階以上に上がっての写真撮影をしたい人は500円払って、たすき掛けにするスマホのホルダーというのを借りなければなりません。多分このモニュメントを上の階で撮影しようとしてスマホを落下させた例があるのでしょう。下にいた人には危険な話ですよね。随所に案内係さんがいましたが、この写真の箇所で、この首長竜だけは万博以後一度もこの系統樹の幹から外されて下に降りたことはありません、ここは写真を撮る絶好のスポットですよと教えてくれました。500円払ってホルダーを買った人だけに教えてくれているそうで、撮影しました。

 

太陽の塔内部の進化の図

わかりづらいですが、系統樹モニュメントのスケッチになります。

 

太陽の塔の腕の内部

そしてこちらは太陽の塔の左右の腕の部分です。このように頑丈な鉄の骨格が塔を支えていて、これはかなりの工事ですね。当時の製作費で6億3千万円かかったそうです。

 

太陽の塔後ろ

太陽の塔を後ろから見ると、こうです。黒い太陽と言われています。顔の部分はレンガが張り詰めております。この顔含め外装に3つの顔が描かれています。

 

地底の太陽

4つ目の顔になる「地底の太陽」は内部の1階にあります(展示品は数少ないスケッチから作成したレプリカで、実物は行方不明のようです)。

この後、塔を出て、同じ万博公園内にある国立民族学博物館を見て歩きました。結構広く膨大な展示品があり、じっくり見るには時間を要します。とにかく世界中のあらゆる展示品が並んでいると言う感じです。閉館までいましたが、まさに万博、熊楠含め広い視座の森羅万象を描いた世界観に浸った日になりました。

 

道頓堀川

それからリュウちゃんと車は別ですが道頓堀に向かい、初の道頓堀体験となりました。吹田市から一般道ですが全然混んでいません。大阪は市街部の道路網がしっかりしているようです。そして阪神優勝時に人々が川へ飛び込むのがここなんですね。串カツとたこ焼きを食べビールの生中で乾杯となりました。急遽ですが楽天トラベルで宿を探し簡単に取れましたが、豪華なビュッフェの朝食付きで一人4,500円は安いと思いました(心斎橋地区)。

 

富山のブラックラーメン

翌日からは、目的も終えたので、もう岩手へ帰るだけです。1日じゃ無理なので途中新潟県の上越市にホテルを取りました(こういう計画を寒天従事時に綿密に立てていたわけです)。朝リュウちゃんと別れた後は、もう予定もなくひたすら走るのみです。京都は清水寺のそばを通り、琵琶湖西岸の道を北上し福井県に出て、石川、富山、新潟と距離は長いです。夕方に富山市内でブラックラーメンを食べ、スーパーで富山名物のナルトを買って、上越市へ向かい、最後の宿泊、そして翌日仙台市内で長女と「北京餃子」で中華を食べてから、後は高速で帰宅しました。名物を食べたのは道頓堀の時とこのラーメンだけですね。伊勢神宮では店の並ぶ場所で「伊勢海老コロッケ」と「松坂牛コロッケ」を買い車で食べました。確かに味はそれっぽい感じでした。伊勢神宮では「伊勢うどん」を食べるのが慣わしだそうですが、何となくこういう観光地の店には入れないタイプなんですよね。人も並んでいたし。去年、神戸の市内で昼時に神戸の中華街にいましたが、ウロウロ歩いたものの、なんか、結局入れませんでした。

大阪へ行かれる方は、機会があったら万博公園の太陽の塔を実際に見て、何かを感じてもらえればと思います。そして紀州は熊楠記念館に立ち寄られた時は展望テラスからの眺望がおすすめです。本当は熊楠も闊歩した熊野の森も歩いてみたいところですが、熊野古道も那智の滝も行けませんでした。那智の滝など本当に最南部の深いところにあるのです。もう紀伊半島に踏み入れることはないかもしれません。が、寒天の仕事をしていなかったら、去年の神戸も、その前の年の合掌造りや佐渡ヶ島もなかったことです。大学生の子どもたちには探究心と好奇心をといつも言うのですが、知らない世界を見聞することは何かしら仕事や生活面でも影響を受けますよね。しばらくは東北管内で登山をメインに休日を時々設けたいと思います。

 

大雪のハウス

まずはこのドカ雪でハウスや建物に被害が出ないよう対処しながら、事務作業とたらの芽の生産に励みたいと思います。積雪がここまでになるのは久しぶりで、これから気温が高くなるらしいのでそれを期待し、シャッターを開いて除雪機が出せるようになったら、まずは作業場と住宅を行き来できるように払いたいと思います。玄米在庫もだいぶ減ってきており、いまはその作業場からの山を乗り越えて玄米を出荷ごとに個別に運んでいますが、もうじき玄米在庫も尽きますので、同じ冷蔵庫に氷温で貯蔵している籾を住宅の方に設置している籾摺り機械まで全部運び込んで玄米にする作業をしたく、そのための除雪機除雪のタイミングを待っています。次いで、ハウスの方の水稲種まきと育苗のためのビニール掛けのためのハウスの除雪となり、それは春一番の外作業といえますね。室内では並行して種籾の塩水選や水漬けがあります。

とはいえ、それは1か月後の作業ですので、その前にいまはたらの芽準備が課題で、3月中旬の出荷開始を目指して準備を進めたいと思います。

 

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寒天作りの日々

庭の風景

新しい年になり気分も新たにというところですが、全く昨日と同じ寒天作り、テングサの煮込みとクレーンでの濾過作業、煮汁の注入と包丁での切断、のくり返しです。これまで雨が続いたりしそうな気候の時は釜の煮込みを休止し休日になることもありましたが、今年は気温が低く雨が続くような気象でなくて、ひたすら生産が続いております。

写真のようにカイリョウと言われる台の上で、生天が寒天に自然に進展していきます。

 

天出し

天出しと言われる光景です。青いモロブタと言われる容器にわれわれが煮たテングサの草を濾した煮汁(ノリと言う)を注入し、3時間後くらいで固まってトコロテンになったところを21に切断して現場(庭と言う)に運び、バトンタッチ、そこで10数名の庭の担当がカイリョウの上にヒョイと載せていくのです。

 

釜

釜で草を煮ています。ガンガンに沸騰させた状態で草を種類に応じて順番に投入して煮込みます。煮込みながらグルグルと全体が対流することが大事で、火加減は重要です。沸騰による対流が止んでしまうと草は底に張り付き、焦げたり、爆発的に噴出し惨事となります。恐ろしいくらいにグルグル波打って対流している方が安全で煮込みとしては正解です。

休日があり車で旅に出たりできればまた写真や記事を掲載できますが、休みなく働いておりますので、あまり書くこともありません。深夜からの長時間労働のため、休憩である13〜16時はひたすら身体を休め、体調には万全を尽くします(この時間帯が休憩でありうるのはあくまでトラブルなく煮込みまで無事完了した場合のことです)。晩酌もしないので、家にいる時の日々のアルコールを抜く良い機会であります。

ちなみに、このように書くと労働基準法とかに違反していないかなどと思われるかもしれませんが、天候次第で連続の勤務がありうることは労働基準監督署にも届けられているようです。まあ農家も同じですよね。そういう天候次第の事業に雇用されていて、しかもわれわれは泊まり込みで暮らしており、休日があっても家のことができるわけではないし、休みなく働くのがちょうど良いのかと思っています。

いずれあと何日、だとかあと1/3だとか思わないことですね。日々を淡々と生きる。目の前の今日のことだけ考える。始まれば、終わる。先のこと未来のことなど想像せず、いまのこの一瞬だけを見ること、でしょうか。早く期間が終われと念じることは、逆に自分を苦しめるだけですね。かつてトヨタの期間募集に行った時もまあかなりキツかったし、同じようにそうした環境で帰省できる日を指折り数える方も多いことでしょう。当時の自分がまさにそうでしたし、共感いたします。

とはいえ、勤務が終わって帰省する時の何泊かのドライブ旅行は最大の楽しみですから、Googleマップや楽天トラベルなどを見て休憩の時を過ごしている次第です。

2月10日頃までには帰宅になると思います。その節はまた宜しくお願いいたします。