さ わ う ち の 昔 話 〜  座敷 わらしと首なし地蔵   



 旧南部領内の各地に、特に村でも旧家といわれる家に、よく座敷わらしがいたという話が伝えられていますが、沢内にもそうした昔 話があったのです。
 村中央の太田の南に「富治屋敷」という所があって、そこに旧家がありました。この家に夜な夜な座敷わらしが現れて、人の寝静まった真夜中になると、二階 からみしり、みしりと降りてくるのです。初めてこの家に泊まった人は、まんじりともできないで夜を明かし、家人もまた時々悩まされて、憂鬱な気分で暮らし ていたのでした。
たまたま或る夜のこと、その座敷わらしが主人の枕元に現れて、
 「おれは、この家の前にある古井戸の中に埋められている者である。一日も早く掘り上げて、おれの苦しみを救ってくれ」
と、告げ去りました。
 主人は目が覚めてから、気持ちが悪かったので、早速家族や隣近所の人たちを頼んで、その古井戸を掘りにかかりました。次第に掘り下げていくと、はたして お告げのとおり一体の地蔵様が出てきました。手に取って見ると首のない地蔵様でした。主人は別に心にもとめずに、お堂を建ててねんごろに祀りました。これ がいわゆる太田の首なし地蔵であります。
 なお、このとき、地蔵様と一緒に古井戸の中から平たい小さな石が何百となく出てきて、これには「南無阿弥陀仏」あるいはお経の一句が墨で書かれていまし た。何のために小石にこのようなものが書かれ、古井戸に埋められたのかはわかりませんでした。
 昔この付近に刑場(おしおきば)があって、罪人の首が切られた場所であったことを思い合わせると、その供養にと小石に書いて古井戸に投げ込む習慣があっ たのかとも考えられます。この辺一帯は明治の初め頃までは人家も少なく寂しいところであったことが想像されますが、いずれこのお地蔵様がどうして首をもが れ古井戸に葬られたのかは知る由もありませんでした。
 で、このあとも依然として座敷わらしは出続けました。この旧家の人たちは我慢も尽き果てて家を売り渡し、ついに問題の家は取り壊されることになりまし た。
 近所の人たちがその手伝いに行ったときのことです。常居の敷き板を起こして爐を取り去ったときです。その下から、地蔵様の形をした石が台石に使われてい たのを掘り出したのです。群がり集まった人たちは、口々に、「座敷わらしの正体はこれだったんだ」と言い合ったそうです。そして、そのためなのか、建て替 えした後の家には座敷わらしは出なかったと伝えられています。
 座敷わらしと首なし地蔵、これははたして関係があったのだろうか。

 〜高橋善二『沢内の民話』(沢内村教育委員会)より抄録