さ わ う ち の 昔 話 〜  蒼前 様に祀られた馬   



  昔からこの地方では、旧五月節句に馬を使ってはならないといって、田かきの忙しい最中なのに、この一日だけはゆっくり馬を休ませることを堅く守ってきまし た。
 「田植えにはコモヅチも動く」と言っているこの沢内で、田植えを前にして目の回るような多忙なときに、その日だけは決して田かきをしないのには、相当の 理由があったからなのです。
 「五月の節句に馬を使うと、その馬は乱気になって走り出し、最後には立ち往生する」という恐ろしい伝説があったからでした。馬を家族の一員と考えて大事 にしている馬産地では、これほど恐いことはなかったでしょう。

 川舟の新山に、吉右エ門という屋号の家がいまもあります。事の起こりはこの家での出来事でした。
 吉右エ門の家には代々良い馬が飼われていました。いつも山かげ(雫石方向)から来る博労から世話されて、絶えず名馬を飼育していたと言われていました。
 この家で、ある年の旧五月の節句に、通り歩く人も足を止めて見入るほどのたくましい馬を出して、田かきをしていました。
 ふだんは従順でおとなしく使われていたこの馬は、朝から落ち着きがなく、おどおどしていることを家の人は気がつかないで、田に引き出して使い始めたので した。
 ところが、その馬は少し働いたと思った頃、急に暴れ出したのです。くろ(畦畔)を越えて隣の田に、させ取り(田かき馬を制御する人)もろとも引っ張って 右往左往。一気に数枚の田を横切って、必死の力でさせ竿を握る女を振り倒して道路に駈け上がります。そして頭を北の方に向けて立ちすくみ、大きく身震いし たかと思うと鞍を振り落とし、一目散に乱馬の疾走を続けていったのでした。
いくら馬について自信のある天狗連も、これを取り抑える元気さえなかったほどでした。
 馬はひた走りに走って、群境の峠を越え、山野を駈けめぐって、道行く人々があれよあれよと驚き騒ぐのをよそに、岩手山の方向を目指して走り続けたのであ りました。
 気が違ったように駈け出した吉右エ門の田かき馬は、途中休むこともなく岩手郡御所村、滝沢村と走り続けます。さすがのきれいな毛並みも全身汗まみれ、土 埃で、立髪を振り乱した様子は全く昨日までとはうって変わった姿。滝沢で急に方角を北に変え、真正面に見える岩手山に駆け登ろうという勢いです。しかし十 里あまりも不休で疾走したため、高峯山の麓を通る頃にはようやく疲れを覚えたらしく、次第に元気は衰え始めます。
 滝沢の人々は、乱馬が地響きを鳴り響かせて山には入っていったということで大騒ぎとなり、わいわいと後を追っていきます。そして、岩手山が目の前にきれ いに見える鬼越山まで登ったとき、突然目にしたのです。乱馬が四つ足をじっと踏ん張って立っているのを。「馬がいるぞ」と叫んでおそるおそる近づいてみる と、なんということか、馬は立ったまま死んでいました。これぞまさしく立ち往生でした。
 一方、吉右エ門の家では、騒ぎのため仕事をやめ、人の休む節句に働いたことをただ悔いるばかり。馬が沢内から走り出ていったことを知ると、「山かげ(山 向こう)から売られて来た馬だから、その方向へ行ったことだ」と、翌日、道行く人たちに尋ねながら、滝沢へ向かいます。鬼越山で立ち往生の馬があると聞 き、「さては」と急ぎました。
 果たして葦毛の馬が立ち往生しています。主人は走り寄って涙ながらに顔をなでてやりますが、どうにもできない後の祭り。ねんごろに馬を葬って、家路につ いたのでした。そして噂はたちまち家から家、村から村へと伝わって、人々は節句に馬を使うことを恐れるようになりました。
 馬の立ち往生した鬼越山には、村人たちの奉納によって蒼前様が建てられ、永くこの馬の霊を弔うとともに、馬の守護神として崇められるようになりました。

 毎年五月の節句に行われる有名な「チャグチャグまっこ」は、この蒼前神社から出発します。蒼前詣りといって例年沢内の人たちも多く参詣に行きますが、特 に郷土沢内に縁故の深い神社でもあったのです。

〜高橋善二『沢内の民話』(沢内村教育委員会)より抄録