さ わ う ち の 昔 話 〜  沢内 開びゃくの話   



 「沢内年代記」によれば、太古より沢内の大部分は満々と水をたたえた南北四十キロにも及んだ大きな湖であったそうである。ここ はさまざまの悪獣や猛禽、毒竜が住みつくさながら鬱蒼としたジャングルで、迷い込んだ者は食われてしまい二度と生きて帰れることはない地であったと伝えら れている。そこへ住吉の神が降臨されて、神通力により白羽の矢を山に射てこれを崩し、それによって湖水は次第に流れ出し、沢内は陸地となった。それととも にはびこっていた悪獣どもは逃げたり退治させられて、そして人間が入り込んで来て住み着くようになったのである。
 そして、いまからおよそ八百から千年前、ここ沢内は深山幽谷の寂しい辺地、わずかに落武者や世捨人の隠れ家がひっそりとたたずまうのみ。そこに、寂しい ながらも平和な暮らしを奪う恐ろしい出来事が起きたのであった。猿橋地区西方にある「万治ヶ沢」から化け物が出て来て、特に太田から上の通りでは人も馬も 食われ、大変な事態になったのであった。化け物は何者なのかも不明、神出鬼没で雷雨の伴う闇夜に突如現れては、疾風迅雷の早業で人馬をさらって行くのだっ た。人々はなすすべもなく、ただじっと不安にすごすのみの毎日だった。
 太田の地に女が一人生きながらえて、露の命とあきらめながらひっそりと寂しく暮らしている柴の庵があった。
 ある年の四月の初め、このわび住居に身の丈六尺余りの大男四人組が七匹の犬を連れて訪れた。手に手に弓矢を持ち、またぎ姿の出で立ちで、「たのもう。た のもう」と戸口で叫ぶ。女が出て、「この地には鬼神が住み人馬を食らうゆえ、長居は無用。急ぎ人里に出でたまえ」とせきたてるが、「われらは狩人。そのよ うな話を聞いた上は、捨て置いて帰るわけには参らぬ。くせ者を退治するゆえ、今晩一夜の宿をお貸しくだされ」と入って来たのだった。
 女はできる限りのもてなしをし、四方山話をしているうちに夜は更け、狩人は槍の穂先を磨き、犬をあたりにしのばせて、待機した。墨を流したような真っ暗 闇、その真夜中に、天地も振動するほどの大の雷雨。今宵こそ良い機会と固唾をのんで四人組が待ち受けていると、妙に気持ちの悪い風が通ったかと思った途 端、上下に牙を持ち、目は寒夜の星のごとくギラギラと輝かした獣が屋内に飛び込んで来たのだった。
 これを見て取った七匹の犬は七方から駈け出し獣を攻め立て、四人の狩人は一気に槍の穂先を揃えて突きかかる。敵もさる者、ものともせずに飛び回るが、犬 たちは脚に食いつき、頭に食い下がり大攻勢に。そして、狩人も「えいやっ」と渾身の力で槍を突き通し、格闘の末、化け物はうなり声を上げて倒れ伏したの だった。
 この激しい戦いが終わった頃には東の空も白み始め、見れば一丈余りもある白い毛の混じった老いた大猿が倒れていた。これが、長年この地の人畜を害して恐 ろしがられていた化け物の正体であった。
 さて、しばらく休んでいるうちに、四人の狩人の姿が、何と見違えるように神々しい御姿に変わっていったので、女は驚いて、思わずその前にひれ伏した。急 に貴い人の姿に変わった四人は、次のように語り述べたのである。
 「私たちは、諏訪、住吉、賀茂、春日の神々であり、この地の人々の難儀を救おうと、狩人の姿になって降り立ち、化け物を退治したのですよ。これでこの地 は安らかになるでしょう。なお、これからお前には二人の男の子が産まれます。名前を月日にかたどって、日五、月五と名づけなさい。そして永くこの地方は繁 栄をとげるでしょう」
 こう言い終わると、あたりが金色に光り輝く中、紫の雲が現れて、そしてその中に四人の御姿は消えて行ったのであった。女はただ呆然としていつまでも伏し ているばかりであった。

 その後、神様のお告げどおりに女には二人の男の子が産まれ、日五、月五と名づけられた。次第に村は栄え、そして後世になり、四人の神々は四箇所に祀ら れ、坂本、湯田、川尻、越中畑の明神様として崇められているのである。化け物が退治されたのは旧暦の四月三日であったので、農家はこの日は仕事を休んで明 神様のお祭りをするようになり、一日のうちにこの四社をお参りすると何でも願いが叶うと言われたそうである。この日はいわば、沢内の開びゃくの記念日なの である。

〜高橋善二『沢内の民話』(沢内村教育委員会)より抄録